2017年06月24日

昼ながら幽かに光る(短歌十二首) 北原白秋 4

北原白秋の歌、三首について調べて発表する課題が出されました。
1.春の鳥な鳴きそ鳴きそあかあかと外の面の草に日の入る夕べ
2.時計の針気鉢気箸僕茲襪箸するどく君をおもひつめにき
3.昼ながら幽かに光る蛍一つ孟宗の藪を出でて消えたり

北原白秋について
とうり
 南蛮趣味に火がつくきっかけとなったのは、詩誌『明星』を出していた与謝野鉄幹の『五足の靴』という紀行文でした。これは、35歳の鉄幹が、北原白秋(早大文科23歳)、吉井勇(早大文科22歳)、木下杢太郎(本名:太田正雄、東大医科23歳)、平野万里(東大工科23歳)たち若者を連れて九州を旅行したときの旅行記です。この旅は明治40年7月28日から8月27日までの1ヶ月にわたる九州西部をめぐる旅でした。平戸や島原など、キリシタンゆかりの地を訪ね歩いたわけですが、特に天草では隠れキリシタンの時代から変わらないエキゾチックな情景と出会いました。この旅の後に、木下杢太郎は詩「天草組」(10篇)、戯曲「南蛮寺門前」を、北原白秋は詩「天草雅歌」(11篇)を発表し、白秋自身最初の詩集「邪宗門」に収録しています。そうして明治末年から大正にかけての文壇に「南蛮趣味」の流行をもたらしました。
 木下杢太郎さんは、旅行に出る前は詩を書けなかったそうですが、この旅で4人が詩や短歌を次々に作るのを見て、「自分にもできるのでは…」と思って作ったのが詩作のはじまりだったそうです。



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2017年06月23日

昼ながら幽かに光る(短歌十二首) 北原白秋 3

北原白秋の歌、三首について調べて発表する課題が出されました。
1.春の鳥な鳴きそ鳴きそあかあかと外の面の草に日の入る夕べ
2.時計の針気鉢気箸僕茲襪箸するどく君をおもひつめにき
3.昼ながら幽かに光る蛍一つ孟宗の藪を出でて消えたり

北原白秋について
とうり
 処女詩集の『邪宗門』と第二詩集の『思ひ出』が有名な詩集です。歌集としては『桐の花』があります。それから白秋は「パンの会」に所属していました。「パンの会」の「パン」はギリシア神話に登場する牧神のことで、享楽の神様を意味します。パン屋さんに集まる会ではありません。【笑】「パン」という神様は、山羊の角と下半身を持つ神様で、上半身は人間の姿をしています。葦笛を吹くのが得意だそうです。それで、その「パンの会」は、当時の二十代の若者たちが集まった会合で象徴主義の拠点になった集まりです。1908年に結成されました。で、この会に集まった人たちの間ではやったのが南蛮趣味です。
南蛮趣味は、日本には見られない風土や風俗への漠然とした好奇心から始まる芸術上の趣味を表します。



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2017年06月22日

昼ながら幽かに光る(短歌十二首) 北原白秋 2

北原白秋の歌、三首について調べて発表する課題が出されました。
1.春の鳥な鳴きそ鳴きそあかあかと外の面の草に日の入る夕べ
2.時計の針気鉢気箸僕茲襪箸するどく君をおもひつめにき
3.昼ながら幽かに光る蛍一つ孟宗の藪を出でて消えたり

北原白秋について
たお
 あと、三番目の全体として理解されるっていうところですが、こういうのも見つかりました。ポール・ヴェルレーヌの言葉です。プリントを配ります。【配付してから読み上げる】「それというのも我々はニュアンスを望むから、/色彩ではない、ただニュアンスだけを!/ああ! ただニュアンスだけが/夢と夢を、フルートと角笛を調和させる!」ニュアンスっていうのは微妙な雰囲気ってことだと思うんですけれど、これだっていうように他のものと分けて、はっきりと分析できるものではなくて、なんとなく感じられるのが芸術だって言ってるんじゃないかと思いました。
りの
 詩は分かりにくい言葉で書いてありますが、前に城崎先生は表現できない領域を目指すのが文学であり芸術だ、っていうようにおっしゃっていたと思いますが、その言い方と合ってると思いました。
 


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2017年06月21日

昼ながら幽かに光る(短歌十二首) 北原白秋 1

      北原白秋の歌、三首について調べて発表する課題が出されました。
      1.春の鳥な鳴きそ鳴きそあかあかと外の面の草に日の入る夕べ
      2.時計の針気鉢気箸僕茲襪箸するどく君をおもひつめにき
      3.昼ながら幽かに光る蛍一つ孟宗の藪を出でて消えたり
      チーム たお りの まな とうり
      
北原白秋について
りの
   北原白秋さんは、詩も書くし、短歌も書くし、童謡も書きます。詩人として活躍したときは「白露時代」って言われるくらい活躍している人です。「白露」の「白」は白秋で「露」は三木露風さんという詩人です。白秋も露風も同じく象徴派の詩人です。
たお
 象徴主義について調べました。あんまりよく分からなかったんですが、【ノートを読む】「芸術作品はまず始めに観念的でなければならない。唯一の理想は観念的なものであるからだ。続いて芸術作品は象徴的でなければならない。第一義の観念に形を与えようとしたとき、それは象徴となる。三番目に、芸術作品は全体として理解される。第四に芸術作品は主観的でなければならない。事物はわたしによって感受される記号として存在するからだ。最後に芸術作品は装飾的なものとして存在する。」
 前に「芸術の楽しみ」で読んだプラトンのメディア論に似てると思いました。理想ってイデアの世界のことだと思うんですけど、人間が理性で到達できる世界がイデアの世界だったと思いますが、その観念としての理想に形を与えたものが象徴で、象徴主義はそれをつかむことが芸術だって言っているように思いました。
      


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2017年06月20日

習作 詩

「はるによばれて」
春によばれ
ねむりはじめて
さくらは

雨にも風にも
もう めざめることなくゆれ
くもりぞらにとけ
死化粧もほどこして
しずまりかえり

つちにありがとうのことば
とどけて
いる




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2017年06月19日

丸山圭三郎「〈読み〉の楽しみ」を巡る対話 12

p368・七行目「そうではなく、私たちがテクストと自らの身の相互的運動を通して得られるような快い緊張感と興奮、これが快楽を生む源なのではないだろか。」について説明する課題が出されました。
たお
で、それはちょうど読者が生きているのと同じ状況が生まれたことになるから、現実の生活の中で新しい意味が生まれる場面を生きたことと同じ状況になる。ね、赤ちゃんが誕生する病室を今思いついたんだけど、どうかな。合ってる?
まな
産婦人科の病室?
たお
うん。お姉ちゃんがこの間赤ちゃん産んだの。春休み中だったから私はその日病室にママと一緒にいたんだけど、凄くドキドキしたし、生まれたときに嬉しくて嬉しくて、お姉ちゃんの顔見たら涙が出てきちゃったの。
りの
あ、言ってたよね。うん、そっか。読むことも書くことも意味を生み出したとき、人が生き生きとする場面と同じことが起こるんだから、たおのイメージは正しいと思うよ。
ディーン
お姉ちゃんの赤ちゃんのこと、言ってたね。そうか、そういうことなんだね。
りの
まとめ出来そうだね。ガンバロ!
みんな
はーい。



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2017年06月18日

丸山真男『「である」ことと「する」こと』への挑戦 4−13

『具体的政策→法の施行→国会の多数決→国民の多数の意思というような「首尾一貫」した還元論法』について、どういう意味か、またそれがどのような結果をもたらしているかを説明しなさい、という課題が出されました。
たお
四枚目は4.日本人の多数の建前論 制度があるから安心している私たち、という現状の説明かな。
まな
ここに城崎先生の言っていた選挙に行かないとか、国会の議論に関心がないとか、入れた方が良いよね。
とうり
マスコミは政治家が当選した後、何をしているかを聞きに行かないとか。政治家の売名行為だなんていう議論よりも、実際に国民が選んだ人たちが、何をしているかをしっかりみ続けるシステムは必要なんじゃないかな…
りの
オーケー、そういうことも発表しよう。メモ作っておいてね。
とうり
うん。
たお
五枚目、5.まとめ 還元論法で安心している私たちだけど、制度の中身について、それがどんな風に機能しているかを全く知らないでいる。これは危険なことなんだって丸山真男さんは主張しているけど、私たちもそうだなと思うって感じ?
りの
そうね。(カードに書き込む)できたよ。じゃ、Presentationの練習しよう。
みんな
はーい。


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2017年06月17日

丸山圭三郎「〈読み〉の楽しみ」を巡る対話 11

p368・七行目「そうではなく、私たちがテクストと自らの身の相互的運動を通して得られるような快い緊張感と興奮、これが快楽を生む源なのではないだろか。」について説明する課題が出されました。
まな
テクストを読むことが意味を生み出したとき、生きることになって、それは身体が活動することと、行為することと同じことが起きたことになるってこと?
ディーン
だね。…でもちょっと待って、相互的運動がまだ分かってないな…。
りの
あ、それってここじゃない? p368の一行目見て。(教科書を指さす)「〈読む〉ことも〈書く〉ことも、対象から意味を与えられると同時に意味を付与するという相互作用から成っているのではあるまいか。」相互作用って言ってる…。
ディーン
りの、鋭い。完全に見逃してたよ。テクストと読者の身体は向き合っていて、テクストから意味がやってくるし、読者の身体の側でも、意味を生産する。そういうお互いの意味作用があって、初めて生産性が力として働いたことになるんだ。



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2017年06月16日

丸山真男『「である」ことと「する」こと』への挑戦 4−12

『具体的政策→法の施行→国会の多数決→国民の多数の意思というような「首尾一貫」した還元論法』について、どういう意味か、またそれがどのような結果をもたらしているかを説明しなさい、という課題が出されました。
りの
オーケー、KP法のカードは何と何にする?
たお
まず1.還元論法 ここで意味を解説する。
りの
はい…(カードに書き込む)
たお
次は2.民主主義とは ここは議論のテーマを、教科書を遡って整理する。
りの
うん…(カードに書き込む)
たお
三枚目は3.丸山真男の主張 常に民主化してなきゃ民主主義じゃない、という立場の説明。
りの
オーケー(カードに書き込む)



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2017年06月15日

丸山圭三郎「〈読み〉の楽しみ」を巡る対話 10

p368・七行目「そうではなく、私たちがテクストと自らの身の相互的運動を通して得られるような快い緊張感と興奮、これが快楽を生む源なのではないだろか。」について説明する課題が出されました。
ディーン
見せて見せて。「生きること、行為することとは、身体活動を意味している。」あ、ここに身体が出てくるんだね? 「書くこと、読むことは、意味を生み出すとき精神活動で終わらずに、行為となり、身体が生きることにつながると考えて良い。だから、書くことや読むことが身体が打ち震えるほどの感動につながることがある。小説を読んで涙が止まらなくなるというのは、その読みが意味の生産を引き起こし、身体活動になったことを証明している。小説を書きながら、思わず笑ってしまったり、詩を書きながら涙ぐんでしまったりするのは、書くことが意味の生産に繋がり、生きること、つまり身体活動になったことを証明している。」ははぁ…そういうことか…。
りの
生きることが身体活動なんだ…。



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2017年06月14日

丸山真男『「である」ことと「する」こと』への挑戦 4−11

『具体的政策→法の施行→国会の多数決→国民の多数の意思というような「首尾一貫」した還元論法』について、どういう意味か、またそれがどのような結果をもたらしているかを説明しなさい、という課題が出されました。
りの
ああ! そうだね。そことつながるんだ。ちゃんと復習しなきゃだなぁ…
まな
その日のうちの復習だよね。
りの
よし、ということは、日本の民主主義はどうなのか、ちゃんとしているのかどうかが議論のテーマで、その中で丸山真男さんは常に民主化する努力をしていないと、民主主義の世の中にはならないって言っていて、私たち日本人の多数は、選挙制度があるから、議会制度があるから民主主義と思い込んでいて、それは、徳川時代の「である」原理を引きずっていることになるんじゃないかと。いうことね?
とうり
That's right!
まな
Sure !



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2017年06月13日

丸山圭三郎「〈読み〉の楽しみ」を巡る対話 9

p368・七行目「そうではなく、私たちがテクストと自らの身の相互的運動を通して得られるような快い緊張感と興奮、これが快楽を生む源なのではないだろか。」について説明する課題が出されました。
たお
あ! ここだ。
ディーン
どれ?
たお
「読む=書く=生きる」のところの説明を先生がしてくれたところ。「身」じゃなくて「身体」っていう概念を使ってるんだけど…
りの
(ノートを読む)「人間は行為することによって意味を生み出す存在である。人間がいなければ、宇宙に意味は無い。」あ、ここ、憶えてるよ。「人間は生きることによって、意味を生み出している。書くことも読むことも意味を生み出す創造行為である。つまり、書くことも読むことも、それが意味を生み出している限り、生きることと同じ、等価になる。



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2017年06月12日

丸山真男『「である」ことと「する」こと』への挑戦 4−10

『具体的政策→法の施行→国会の多数決→国民の多数の意思というような「首尾一貫」した還元論法』について、どういう意味か、またそれがどのような結果をもたらしているかを説明しなさい、という課題が出されました。
たお
ほんとだ。書いてある。「制度の現実の働き方を絶えず監視し批判する姿勢によって、初めて生きたものとなりうる」っていうところだよね?
とうり
ほんとだ。同じこと前の方で言ってたんだ。
まな
そっか。制度があるから、はい、おしまい、じゃダメだよ、っていうのが丸山真男さんが言っていることなのね。
たお
そうだね。城崎先生が話したことのメモがあるよ。そう言えば。今更だけど。(ノートのページをめくる)選挙をしてる。→ちゃんとした選挙? 定数配分は? 一票ずつ入れてる? 国会で審議。→チャンと審議してる? 数の力の多数決になってない? ポーズだけの審議? 法律作った。→法律の中身は? 拡大解釈はないか? ねじ曲げた理解を許していない? いろいろ待ったを掛けるところはあるんだって城崎先生が話してたよね。ほんと、今更だけど。



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2017年06月11日

丸山圭三郎「〈読み〉の楽しみ」を巡る対話 8

p368・七行目「そうではなく、私たちがテクストと自らの身の相互的運動を通して得られるような快い緊張感と興奮、これが快楽を生む源なのではないだろか。」について説明する課題が出されました。
りの
ごめん、まだとっかかりだけなんだけど、そういうクイズ遊びとは違った読み方が、どんな読み方かをここは言っているんだと思う。「私たちがテクストと自らの身の相互的運動を通して得られるような快い緊張感と興奮、これが快楽を生む源なのではないだろか。」っていうのは、創造行為になるような、意味と世界を生み出すような読み方が、どんな感じかを言っているじゃない?
ディーン
賛成。間違いない。でも「テクストと自らの身の相互的運動」っていうのは、引用部分には無かった言い方だね。これと創造行為とどう関わるんだろう。
たお
ちょっと待って…私なんか引っかかるんだ…
まな
何か、ノートに書いたのね?
たお
うん、どっかに書いた感じがするんだ…
りの
たお、頼むぅ、ヒントを見つけてください…



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2017年06月10日

丸山真男『「である」ことと「する」こと』への挑戦 4−9

『具体的政策→法の施行→国会の多数決→国民の多数の意思というような「首尾一貫」した還元論法』について、どういう意味か、またそれがどのような結果をもたらしているかを説明しなさい、という課題が出されました。
まな
今日冴えてるかも。ここだよ。(課題箇所の直後の一文を指さす)「政策を実施した場合の具体的な効果についての面倒な測定や不断の検証の問題を一挙に飛び越してしまうのです。」「面倒な測定や不断の検証」をしなきゃいけないのに、選挙してる、国会やってる、はい、おしまい、というのがダメだって丸山真男さんは言ってるんじゃない?
りの
ははあ…だねぇ…えっと…なんか引っかかる。(教科書の前の方をめくる)あ、やった、私も見つけたよ。
とうり
なに? なに?
りの
ここ。「民主主義というものは、人民が本来制度の自己目的化――物神化――を不断に警戒し、制度の現実の働き方を絶えず監視し批判する姿勢によって、初めて生きたものとなりうるのです。それは民主主義という名の制度自体について何より当てはまる。つまり自由と同じように民主主義も、不断の民主化によってかろうじて民主主義でありうるような、そうした性格を本質的に持っています。」



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2017年06月09日

丸山圭三郎「〈読み〉の楽しみ」を巡る対話 7

p368・七行目「そうではなく、私たちがテクストと自らの身の相互的運動を通して得られるような快い緊張感と興奮、これが快楽を生む源なのではないだろか。」について説明する課題が出されました。
たお
だから書くことも読むことも同じ創造行為なんだってことね? 書くことと読むことには区別がないんだ…。
まな
両方とも創造行為だから、喜びがあるし、気持ちいいってこと?
ディーン
うん、そうか。分かってきた。読むことは、世界を生み出すことだから楽しいんだ。それがパズル解きとかクイズ遊びと違った読み方だってことの意味なんだよ。
りの
そっか…少しだけ分かったような気がする。
たお
きたきた! 教えてぇ!



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2017年06月08日

丸山真男『「である」ことと「する」こと』への挑戦 4−8

『具体的政策→法の施行→国会の多数決→国民の多数の意思というような「首尾一貫」した還元論法』について、どういう意味か、またそれがどのような結果をもたらしているかを説明しなさい、という課題が出されました。
まな
それが建て前の論理だってことね?
たお
建前って言うのは『(1)振売りや大道商人が、物を売る時の口上。売り声。浄瑠璃、新版歌祭文「アヽコリヤ、―どころじやない」(2)表向きの方針。「本音(ほんね)と―」』だから、表向きの方針、という意味よ。「建前の論理」は表向きの考え方、議論の仕方ってこと?
りの
表面的な考え方…。見たところだけの考え方。今は民主主義の世の中だ、っていうのが表面的なのはどうしてだろう? 見たところ、だって、選挙はしているし、国会は休んでないよね。



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2017年06月07日

丸山圭三郎「〈読み〉の楽しみ」を巡る対話 6

p368・七行目「そうではなく、私たちがテクストと自らの身の相互的運動を通して得られるような快い緊張感と興奮、これが快楽を生む源なのではないだろか。」について説明する課題が出されました。
りの
でもね、読者はこの小説を読むのよ。読んで感動したりするのよ。つまりこの作品の中に意味を発見したりする。ああ、この小説はこんな世界を描いてるんだ! 凄いっとかって思うじゃない? 読者はその人流に「檸檬」を読み解いて、その人なりの世界を発見する…とすると、「檸檬」っていう作品は世界を生み出す力として、まだそのときも働いているってことになるんじゃないかな。
ディーン
あぁ、そうか! そういうことか! テクストは生産性として働き続けるってそういうことなんだ。読者がいる限り、小説は作品として決して終了しないんだ。本は読まれ続ける限り出来上がらないんだ!
まな
ねえ、創造的な力が作者と作品と読者を、ずーんと串刺しにしてるってイメージを今感じたんだけど、違ってる?
りの
それで良いと思う。



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2017年06月06日

丸山真男『「である」ことと「する」こと』への挑戦 4−7

『具体的政策→法の施行→国会の多数決→国民の多数の意思というような「首尾一貫」した還元論法』について、どういう意味か、またそれがどのような結果をもたらしているかを説明しなさい、という課題が出されました。
りの
「国会の多数決→国民の多数の意思」っていうのは、これは選挙のことかな。
とうり
はあ、そうかそうか。選挙をして国民の代表を選んで、その人たちが議論をして多数決をして法律を決めたんだから、国民の意思が法律を決めたことになる。あ、分かった、これが還元論法だ!
まな
え、どういうこと?
とうり
行政が政策を実行するのには、前もって法律が必要で、その法律は国会が多数決で決めていて、その国会議員は、選挙で選ばれているから、国会の数は国民の支持の数なんで、つまり国民の意思が国会議員を選び、多数決をさせて国民の意思の通りに法律を決めて、それに基づいて行政が政策を実行しているから、政策は国民が望んだことだ、って考える。はい、おしまい、にするってことだよ。



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2017年06月05日

丸山圭三郎「〈読み〉の楽しみ」を巡る対話 5

p368・七行目「そうではなく、私たちがテクストと自らの身の相互的運動を通して得られるような快い緊張感と興奮、これが快楽を生む源なのではないだろか。」について説明する課題が出されました。
まな
「文学が」じゃないかな。書き出しが「文学の領域だけに限っても、」になってるから。違うかな。
りの
そうか。まな、凄い。なんか分かってきたぞ。
まな
聞かせて聞かせて。
りの
じゃあね、ほら小説のことを考えてみて。作家が小説を書き終えました。例えば梶井基次郎が「檸檬」を書き終えました。書き終えたんだから、小説はそこで終わっているし、作品世界も一旦終了している感じがするでしょう?
たお
うん、終わりの「。」がついてるはずだもの。原稿は作者の手を離れて印刷に回されて、本は本屋に並んでる。だからもう作家その先は書かないよね。



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