2017年03月24日

丸山真男『「である」ことと「する」こと』完全読解 1−1

 『「きわめて重大な意味」とはどのような意味か、その内容を説明しなさい。』という課題が出されました。
ディーン
 憲法に書いてあるって事でしょう?
たお
 え、そんな簡単なことなの?
りの
 ちゃんと考えよう。そんなに簡単な課題は出ないでしょう? えっと、憲法に書いてあるっていうところまでは、とりあえず間違ってないと思う。なんて書いてあるかが大事・・・。
ディーン
 りの、格好良いよ。その前に、何について、『重大な意味がある』と言っているかを整理しよう。『権利の上に眠る者』という言葉に、『重大な意味がある』と言っているようだね。



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2017年03月23日

「鮎川信夫全詩集」僑隠坑毅押腺隠坑毅粥。僑

「夜と沈黙について」 12
第7聯『いたずらな月が生んだ魔女は/笑っていた。「痛みの戸口から入って/わたしはおまえの血を飲みほした」/その不気味な、悩ましい笑いは/高く低く、沈黙の胸をたたいた。//』
 詩的瞬間が去り、至上性は消え去った。あとにはこの疎外に充ちた世界だけが残る。「いたずらな月」はやはりこの世界の象徴だ。魔女が笑う。第2聯のあの冷たい笑いである。希有な瞬間が過ぎ去ったあとには痛みだけが残されている。あの「暴風」と「哀歌」と「永遠の刑罰」ばかりが、突き刺さる骨のように残されてしまっているのだ。温かい血肉は失せた。詩は何をもたらしたのだろうか。詩にはどんな力もないということか。
 おそらくはそうなのだ。鮎川もまた体験したのではないだろうか。



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2017年03月22日

David Bowie Stampが配達されました。

 昨日帰宅したら、bowieのstampが配達されていた。始め大きな封筒一つだと思って開封したら、12ポンド分しか入っていなくて、あれ、注文しくじったか、と思ったのだが、後で郵便の束を調べたら、もう二通来ていて、3分割されて配達されていたのだった。
 なかなか美しいデザインというか、絵柄はすべてレコード・CDジャケットなんだけど、それが封筒に印刷されていたり、レコード盤仕様のケースの中に入っていたり、こちらはどうして良いか分からなくなるような、感傷を誘うようなデザインなのだった。

stamp1

stamp2















stamp3



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2005「シャガールと木の葉」 129

「Larghetto」8
 自分が死んでもまだ、この感じは続くように思われる。個の感覚を超え出たような何かがやってきているということか。この表現には驚かされる。もう一度自分の感覚を見つめ直さなければという気持ちにさせる。
 第4聯は一行目と三行目が秀逸だ。
 全体としてこの作品はアンバランスな感が否めない。良い聯と悪い聯とがはっきりしている。共有という意図がおそらくはあるのだが、どうだろうか。あまりにも聯と聯とがかけ離れてはいないだろうか。



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2017年03月21日

「鮎川信夫全詩集」僑隠坑毅押腺隠坑毅粥。僑

「夜と沈黙について」 11
 「暴風」と「永遠の刑罰」というイメージは、確かに痛みを語っている。これらは悲しみを語っているように見える。痛みと悲しみが鮎川信夫の詩作品の低音部を成すのだ。
 なぜ「鶴」なのだろうか。「鶴」は縁起の良い鳥だ。日本の文化では祝福に充ちた鳥である。吉兆である。それなのに「ひと群れの鶴にまじって、永遠の刑罰を/翼のなかにさぐりつづけた。」と言うのだ。この二行は、とても難しい。
 死者の接近は吉兆なのだ。それは願わしいことなのだ。その願わしいことは、これ以上ないほどの悲しみや後悔の念とも重なるのかもしれない。その烈しい苦痛の瞬間こそが、あの第3聯の「影深い谷が/死せる魂に、大きな裂け目をつくり/そこに、あたらしい岩山が出現する」瞬間のイメージなのかもしれない。



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2017年03月20日

やっぱり文乃押し! A Life 最終回!

A Lifeの最終回を見た。
良い終わり方だったと思う。
みんな良い人になっちゃうのはちょっと・・・と思ったけど。
文乃が沖田先生と一緒にシアトルに行かないのがまあ良かったかな。この病院には私に出来ることがまだある、と言っている時の文乃、柴田さんの表情は素敵だった。
登場人物の一人一人がそれぞれの問題を乗り越えて自律してゆく物語なのだった。
こういう時代だから、必要な物語なのだと思った。
あと、木村文乃のInstagramが素敵だった。クランクアップの時に、キムタク一人にしないという共演者の気持ちに痺れた。
A Lifeをみたいと思ったきっかけは、やっぱり最初はキムタクのことが心配だったから、というのがあったから。
SMAP解散前夜の仲間はずれは、ちょっときつすぎるんじゃないかと思ったから。
病院に残ります

文乃インスタグラム

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2005「シャガールと木の葉」 128

「Larghetto」7
第4聯「こころは疑いで一杯なのに/からだは歌わずにいられない/夜の道は死の向こうまで続いている」
 第4聯は再び詩的である。
 疑いで一杯なのはなぜだろう。私の言葉を信頼できないからだ。歌おうとする詩人としての自分の言葉を信頼できないのだ。しかし歌わせる何かがある。それを「からだ」と言ってみた。ほんとうは「からだ」かどうか分からない。わたしの生そのものの要請と言っても良いかもしれないが、しかし三行目は「夜の道は死の向こうまで続いている」とある。生と言ったのでもまだ足りないということだ。



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2017年03月19日

「鮎川信夫全詩集」僑隠坑毅押腺隠坑毅粥。毅

「夜と沈黙について」 10
第6聯『やわらかな髪を腕にまき、彼は/暴風の夜を飛んでいった。哀歌をうたいながら/ひと群れの鶴にまじって、永遠の刑罰を/翼のなかにさぐりつづけた。/墜ちゆく星の、最後のまたたきが/感覚の闇を照らした。樹々が小枝を打ちならし/一千の喇叭がいちどに鳴った。その響きは/彼の五体を震わせた。//』
 第6聯は、至上性の体験を連想させる。詩が動いているのではないだろうか。「やわらかな髪」は「蒼ざめた花嫁」の髪ではないだろうか。死者の蘇りはそれ自体詩的な時空でのみ動くのだ。なぜなら世界はまだ沈黙を守っているからである。言葉にならない詩の領域でのみ、私たちは「蒼ざめた花嫁」と出会うのである。この一行目に始まり、二行目「暴風の夜」を飛ぶ、「哀歌」、三行目「ひと群れの鶴」、「永遠の刑罰を」、四行目「翼のなかにさぐりつづけた」、五行目「墜ちゆく星」というこの畳み込んでくるようなイメージ群は凄まじい。



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2017年03月18日

2005「シャガールと木の葉」 127

「Larghetto」6
第3聯「真昼の静寂に小耳にはさむのは/太古からの虻の睦言/
夕暮れの大気に嗅ぎつけるのは/草いきれに残る永遠の匂い//」
 「太鼓からの虻の睦言」と「草いきれに残る永遠の匂い」は、これもまた第1聯に匹敵する常套句のような、あまり新しさのない詩句である。前半と後半の対句的な技法も相俟って陳腐である。
 なぜこんなふうに当たり前の詩句をまき散らしているのだろうか。
 理由はやはり「共有」が目的だからだとしか言いようがない。



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2017年03月17日

「鮎川信夫全詩集」僑隠坑毅押腺隠坑毅粥。毅

「夜と沈黙について」 9
第5聯『わけもなく涙をながす男の/荒涼とした心に、蒼ざめた花嫁をあたえ/時は移った。沈黙の/燃える屋根の下に、愛は/その秘密を夜のなかに隠していた。//』
 男は涙を流している。それはもしかすると死者の接近を表すのかもしれない。「蒼ざめた花嫁」とは、蘇った死者の思い出かもしれない。だから、世界は沈黙を守り続け変化していないが、その屋根の下だけに死者との「愛」が隠されているのである。
 そうすると第4聯の天使の呼びかけは、やはり死者に向かっても呼びかけていると考えた方が良いのではないだろうか。



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2017年03月16日

2005「シャガールと木の葉」 126

「Larghetto」5
 第2聯で重要なのは二行目「満ち溢れている」だ。これが第1聯のみすぼらしさを掬い取る。「言葉を与えられずに何が欲しいのか?」という問いかけが生きてくる。何かが満ちあふれている。これを語りたいのだ。しかしそれに見あう言葉がない。それは外の体験なのだ。「外」と言っても読者に通じないから、だから単純な価値の反転した表現を採用したのだ。「欲しいもの」とは、共有だということになろうか。



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2017年03月15日

「鮎川信夫全詩集」僑隠坑毅押腺隠坑毅粥。毅

「夜と沈黙について」 8
 だから「ひとつの声」と「別の声」の二つの声で呼びかけるのではないだろうか。
 この天使は、反世界のイメージだ。世界の中に位置づけることの出来ない至上性、あるいは批判精神の象徴のようなイメージなのだ。このイメージは男自身も含めて世界に対して『忘れるな、忘れる前に語れ、お前の罪を語れ』と言っているのではないか。
 あるいは読みすぎかもしれないが、「レエテ河」を死者が飲む川の水とするならば、死者たちに向かってもこの天使は呼びかけているのかもしれない。その場合『語れ』というのはこの世界に向けて語れ、この言語論的世界に存在せよ、ということになるだろう。



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2017年03月14日

2005「シャガールと木の葉」 125

「Larghetto」4
第2聯「何が欲しいのだろうか私は/満ち溢れている時に/言葉を与えることが出来ずに//」
 第2聯から本当の詩が始まる。私は今満ちあふれているのだ。第1聯はその感覚を提示しているのだ。ただ、その提示の仕方は、私たちの言葉にとても易しく触れるように配慮されていた。その配慮を、谷川俊太郎は「言葉を与えることが出来ず」と語る。



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2017年03月13日

「鮎川信夫全詩集」僑隠坑毅押腺隠坑毅粥。毅

「夜と沈黙について」 7
 天使のような女性が「罪の記憶のうせぬうちに」と言うのはなぜだろうか。
 「やがて/ひとつの声をかけ、つづいて別の声で/天使は、夜の戸口から呼びかけた。」もよく分からない。「ひとつの声をかけ、つづいて別の声で」とはどういうことなのか。
 「夜の戸口から」天使はどちらに向いて呼びかけているのか。外へか? 内へか?
 つまり「罪の記憶」は誰の罪の記憶なのかということだ。この男が持っているイメージはそもそも何だったのだろうか。この天使の呼びかけは、世界への呼びかけなのか、逆に自己嫌悪のように自分自身に向けられたものなのか。
 その両方なのかもしれない。



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2017年03月12日

2005「シャガールと木の葉」 124

「Larghetto」3
 その安易さは、例えばこういう表現をしてみるだけで感じ取ることが出来る。
「私は白樺に教えた」「私は青空を諭した」「私は蛇苺を侮った」「私たちはそよ風をなぶりものにした」
 これらはどことなく新鮮な感じを与える。失礼かもしれないけれど、工藤直子さんが「ライオンは白樺に・・・と教えました」とか、「モグラは青空を諭して言った」くらいのことを言いそうな感じさえするのだ。私たち人間の戯画化された姿が見えてくる。そういう「外からの視線」を生む点で、これらの詩句は詩的である。谷川俊太郎のストレートな反転と比べると、ずっと工夫があると言えるように思う。



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2017年03月11日

「鮎川信夫全詩集」僑隠坑毅押腺隠坑毅粥。毅

「夜と沈黙について」 6
第4聯『どの窓も、暗く淋しく/空虚であった。白い翼をつけた女が/さっきから彼のイメージの/中にあった。「何を考えているのか/告げなさい。レエテ河の水を飲まぬうちに/罪の記憶のうせぬうちに」やがて/ひとつの声をかけ、つづいて別の声で/天使は、夜の戸口から呼びかけた。//』
 「レエテ河」とはギリシャ神話に出てくる河だ。黄泉の国にある河の一つで、その川の水を飲むと全てを忘れ去るという。Letheは古代ギリシア語では、「忘却」あるいは「隠匿」を意味するらしい。ギリシャでは、死者は輪廻転生する前にレエテ河の水を飲むために、前世の記憶を失うのだと考えられていた。



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2017年03月10日

2005「シャガールと木の葉」 123

「Larghetto」2
 科学技術を手にして久しい私たちの世界は、そもそも自然を支配する立場にある人間の文化的世界である。だから、この四行は通常のヒエラルキーから生まれるはず上下のイメージを反転させているということになる。この書き方は、しかし詩の表現としては極めて初歩的だ。つまりヒエラルキーの逆を書けば、私たちの世界の外が簡単に暗示されるからだ。



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2017/3 R.I.P. David Bowie回顧展 David Bowie is

 天王洲アイルへ行く。寺田倉庫G1で開催中、David Bowie回顧展「David Bowie is」に行ってきた。Starman,Space Odityを聴いたら、涙が出てきた。Funの1人としては、至福の空間だった。Ziggy Stardustのコンサートビデオが流れている比較的広い空間では、みんなが動かずに映像に見入っていて、あ、この動かない空気、エーちゃんのCafeと同じ空気だ、と思った。
 ずっとヘッドホンを付けていて、ちょっと耳が痛くなった。
 一階ではグッズを売っていたが、何も買わずに帰ってきた。何だろう。葬儀に参列したような気分だったからだろうか。グッズを買うというとことが、何となく気持ちにしっくり来なかった。マグカップとか、タオルとかハンカチとか、ファイルとか・・・結構そそられてたけどね。いいよ、いいよ。記念切手、予約してるんだから。そうそう。楽しみだよね。

davidbowie4

 



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2017年03月09日

「鮎川信夫全詩集」僑隠坑毅押腺隠坑毅粥。毅

「夜と沈黙について」 5
 「影深い谷が/死せる魂に、大きな裂け目をつくり/そこに、あたらしい岩山が出現するまで」という句は何を意味するのだろうか。
 「影深い谷」とは何か。「死せる魂に、大きな裂け目をつくり」とは? 「そこに、あたらしい岩山が出現する」とあるから、これは死者への視線が再び私たちの世界を形成する瞬間を表しているように思われる。すると「影深い谷」は、あるべきものがない空谷の意味になる。
その何もない空隙が、「死せる魂」のために、「裂け目」=場所を作るのではないだろうか。空谷は空谷としてあり、この世界の1ピースを成しているからである。そこに死者への視線を宿そうと思えば、そこに無理矢理スペースを設け、つまり何かがあると言うためのスペースを設けて、その上で死者との語らいを据えなければならないのだ。



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2017年03月08日

2005「シャガールと木の葉」 122

「Larghetto」1
第1聯「私は白樺に教えられている/青空に諭(さと)されている/
蛇苺に嘲られ/そよ風に嬲(なぶ)られている//」
 「白樺」「青空」「蛇苺」「そよ風」、これらの自然の風物が、人間である私を立場として上回っている。「教える」「諭す」「嘲る」「嬲る」、という動詞は、教養や立場や常識や強さにおける上下の関係を前提としている。四行とも、価値のヒエラルキーが前提にあり、その上で自然の風物が私を上回るところから私に関わっているという表現である。

ラルゲット【larghetto(イタリア)】(広辞苑)
〔音〕(largo の指小辞)速度標語。「ゆっくりと、しかしラルゴよりやや速く」の意。ラルゴとアダージョとの中間。

シャガールと木の葉
谷川 俊太郎
集英社
2005-04




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