2004年05月02日

詩論 辻征夫「俳諧辻詩集」について 31

 「饅頭」前編

 「冬の雨饅頭熱き離別かな」。冬の雨は冷たい。外気の気温によっては霙にも雪

にもなる雨だ。その雨の中で、熱い饅頭を食べるのは、何よりもその寒さを凌ぐた

め、その寒さから目を背けるためであろう。なぜならその雨の冷たさは、「離別」

の故の冷たさなのであり、その雨は、あるいは涙の代わりに暗い空から落ちてくる

やも知れぬ雨だからである。それは「饅頭熱き離別」という奇妙な語法からも推察

できよう。「饅頭熱き離別」は、「離別」の持つネガティブで暗いイメージを薄め

る働きを明らかにしているのである。「饅頭熱き」は「離別」の本質である「冬の

雨」を相殺しようとして働くからである。「饅頭熱き」は、その熱さの分だけ、そ

れに成功しているかのようである。しかし、その一方では、その熱さが飽くまで「

饅頭」によってもたらされたものである、という点において、その限界を厳しく制

限されており、「冬の雨」の圧倒的な冷たさ、その本源的であると同時に現実的で

もある広がりに対して、いかにも滑稽なほど無力であることが露呈していると言っ

ても良いのである。

 「(子供が饅頭食ってやがって/いや熱いものだからふうふう吹いてやがって」。

だから、この乱暴とも思える口調は、始めの句がもたらした、せっぱ詰まった情調

が要求した語調なのである。悲しみやら怒りやらやる瀬無さ、憐れみ、そういった

様々な情調がこの物言いを要求しているのだ。

 「父親の方は見ないんだよ」。饅頭が今しばらくの間だけ、子供の心を救ってい

るのだ。その丸く柔らかい滑稽な、無力の象徴のような、ただ熱いだけの饅頭であ

る。子供はその饅頭に食らいつくことで、父親から目をそらすことにより、現実の

手をも一瞬逃れ去るのだ。


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2004年04月29日

詩論 辻征夫「俳諧辻詩集」について 30

「枯野」

 「たいぶ寒うなりましたと山鳩が鳴いている」。この一行詩は、山鳩の鳴き声を

思い出させながら、同時にその声が響く季節の記憶を甦らせる。また更に「だいぶ

寒うなりました」という人間世界の何気ない挨拶の言葉が、鳥の声の上に被さるよ

うに反響し、季節感と同時に穏やかな、あるいは懐かしい風俗なども付随して想起

されるのだ。そう言えば、あの山鳩の声を、ここ何年か、余り聞かなくなったよう

な気もする。東京の中心部では、次第に失われてゆこうとする声が、この句の上で

は元気に響いているのだ。

 「風邪でござるか野太き声の寒烏」。一方、カラスと言えば、今日では幅を利か

せている。群を成すカラスは、それなりに迫力がある。この一年間でようやくその

数を減らしたと言われるカラス。最近では特に鳥インフルエンザのことなどもあっ

て、うっかりするとこの句なども、大丈夫かい? と要らぬ心配を呼び覚ますかも

知れない。しかし、この「寒烏」は一羽であろう。私は先日、八幡様の境内で、カ

ラスと並んで組石に腰掛けて、ほんの少しの間だったが、時折見つめ合い(もっと

もカラスの方は少しばかり緊張気味だったが)、仲良く休憩をしてきたばかりだ。

カラスも一羽であれば、話し相手にもなるのである。この句にあるカラスは、まだ

人間とカラスの間に親しみの情を充分に容れる余裕のある時代のカラスであろう。

カラスに向けて古風な挨拶の言葉が呼び掛けて、一時代前のカラスの声を聞かせて

くれているのだ。

 両句とも、枯れ野の句だが、共に失われてゆこうとする色、セピア色の風景を湛

え、懐かしい響きを行間に木霊させながら互いを呼び合うように思われる。


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2004年04月25日

詩論 辻征夫「俳諧辻詩集」について 29

「落葉」後編

 「木の葉はたえまなく散っていたが/あのとき散り遅れた幾葉かがあったのだろ

うか」。この「木の葉」は、子供時代の彼が作り出した二重性を帯びた現実のどち

らの次元でも降り続け、舞い続け、どちらの次元でも強いリアリティを持っていた

に違いない。一つの次元のリアリティが本物で、他はこれに付随する、他は前者を

利用してこれに寄生する、といった関係は、この二重性の中にはないのである。両

者の関係は平行関係、パラレルであって、どんな階層秩序も介入しないし、どんな

還元も真ではない。

 「頭に白髪を置き 子の行末に思い悩みつ/河口近くの道を辿っていたとき/何

処かから降りかかり/足もとに乾いた音を立てた木の葉―」。そしてこの二重性を

帯びたリアリティは、数十年の時を経て、現在の生の現実的感覚となって再現する。

子供時代の彼が、「貧しい樵の父母のことを思」う思念と、現在の彼の「子の行末

に思い悩」む思念の平行関係、森を歩く少年の描く線分と、河口近くの道を辿る現

実の彼の描く線分。こうして三つの生の時間は併走し、混在し、同時に流れ、同時

に体験せられるものとなる。

 「童話の森を出てひさしく/生きて来たつもりだったが/半生は/一枚の木の葉

が梢で枯れて/足もとに転がるまでの束の間だった」

 辻征夫はかつてこう書いたことがある。「霙の雑木林のはずれを/電車がガタピ

シ通過して行きましたが/あの小さな乗客が/ここに来るまで/およそ四十年かか

るというのは/気のとおくなるはなしです」(「電車と霙の雑木林」『河口眺望』

所収)。同じ詩人にしてこうも観点が異なるのはどうした訳なのだろうか。『河口

眺望』には何度も、二つの時間の接近、二つの生の経路の間の距離が一時的に縮ま

り、併走し、ついには交わる体験が描かれる。そしてこの時間と生の重層的体験と

いうテーマを、『俳諧辻詩集』は意識的に引き継ぎながら、作品空間の広がりの探

究を進めているように思われる。つまり複数の作品が並列し、併走し、互いの世界

を縦断し合うような空間の広がりとその重層性を追い求めつつ、その動的な関わり

合いや共犯関係を実験的に実現しようとしているのだと思われる。おそらく、この

方法的な変化が、ある重要な変質をもたらしたのではあるまいか。イメージとして

の交点の探究から、体験としての交点、あるいは交点の体験へと移行し、重層的に

立ち現れる時間や生のリアリティが増大しているのではあるまいか。それは言って

みれば、「雑木林」とその「はずれ」を通過して行く「電車」ほどの距離が、「足

もとに乾いた音を立てた木の葉―」というところまで接近してきた、ということで

はあるまいか。そのリアリティが「束の間だった」との述懐の一行をもたらすので

はあるまいか。そのリアリティは、勿論作品空間のひろがりに向けて開かれた詩人

の元へと、作品空間そのものがもたらす力に因るのである。


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2004年04月22日

詩論 辻征夫「俳諧辻詩集」について 28

「落葉」前編

 「落葉降る天に木立はなけれども」実際、どういう仕組みが働いて起きたのか、

分からない。見上げても空が広がるばかりの上空から、落ち葉が舞い降りてきたの

だ。その出来事の面白味がこの句の主眼であろう。しかし、この根のない虚空から

生まれ出た出来事、という印象は、そのまま文学の想像的地平の相貌に相似するよ

うだ。書きとめられた「私」が現実のとその輪郭を完全に一致することはない。「

私」と語られた刹那、「私」は現実の私からは滑り落ち、あるいは増殖し、あるい

は何もないはずの所から、予想外の別の顔をした「私」が出現して、書かれた「私」

の上に舞い降りるのである。この重層性が文学的地平の在り方と言って良い。よく

言われる「深み」とは、この「ぶれ」のこと、この生産者の居ない生産性による、

ほとんどオートマティックなものと感じられる自己増殖、分裂への、決して互いに

断絶することのない、密着したままの分裂への意志、を言い当てているのではなか

ろうか。文学を理解するとは、この重層性に触れることであり、文学を成すとは、

この重層性に至る体験、複数の時間が同時に流れる希有の体験の記述を言うのでは

なかろうか。

 「森を歩いたことがあった/七歳だったか八歳だったか/やわらかい腐葉土を踏

んで/ここは森だなと思いながら歩いた」子供の頃の遠い記憶が立ち上がる。数十

年という隔たりを越えて、子供時代の記憶が甦る。こんな風にゆっくりと、現実の

単調で単純な時間の流れ、その生の感覚は、二重性を帯び始め、次第に文学的地平

の接近を露わにし始めるのでもあろうか。「やわらかい腐葉土」の感覚は、既に現

実のものではないのに、強いリアリティを獲得しており、この第二の生の地平は、

更に一層の増殖を加速化させて、次の次元に触れるのである。「ここは森だな」、

この「森」は記憶の中の森そのものでは最早ない。記憶の中の子供が生み出した二

重性の中に出現した森である。それは既に「童話の森」なのである。「パンをちぎ

って ひとかけらずつ落して行けば/…/貧しい樵と父母のことを思って」「鬱蒼

と暗い」ヘンゼルとグレーテルの世界を彼は行くのである。


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2004年04月18日

詩論 辻征夫「俳諧辻詩集」について 27

「木枯」

 「(あの岬ですよ/木枯が/つい海にまで出てしまうのは―」遠く「岬」は見え

ている。「岬」は陸地と海の境界であり、陸地が海へと張り出し、陸地の最先端を

成す土地、それ以上、陸上を行く者は地の上を進むことが適わない。そうだ、己の

脚で行くことを断念した者だけが、その先へ踏み入ることのできる土地、と言って

も良い。その先は、「木枯」の孤独な脚なき脚ばかりが、踏み迷う地帯、その先に

は道なき道が呆然と広がり、砕け散っているはずの土地だ。

 「つい海にまで出てしまう」とは、どういうことなのか。出ようとして出るので

はない。そこに道はないのだし、脚は無力と化するのだから。「つい海にまで出て

しまう」とは、意思のないところに働く奇妙な意思を捉えている。己の意思のない

瞬間に、おのれ自身さえも不確かで曖昧なものとなる希有な瞬間に、それは起こる

のではあるまいか。

 「漁港の医師が指差すかなた/小さな灯台があり/岩礁に波が白く砕けている」

港は海への出入り口だ。辻征夫に於いては、「出港」のための時と場所がいつもこ

こには在る。その「出港」はまた常に、遙か彼方の時と場所をもたらす体験である。

それは彼方に向けての呼びかけであり、彼方を手前へと呼び寄せる小さな灯台のよ

うに働き、岩礁に砕ける波音のように、聞こえずして聞こえてくる、微かなざわめ

きに聴き入る体験である。

 「じゃ今日ははやくおやすみなさい/薬も忘れないように―」彼は医師の前に立

つ。身体を病んで、つまり身体を弱めて、力無く医師の言葉に縋る身である。この

衰弱、あるかなきかの衰弱、まるでイメージのようなわれ知らぬ間の衰弱が、彼を

遠方へと誘うのである。彼は木枯らしに思いを馳せるだろう。「海に出て/途方に

暮れてしまったものたちのことを考え」る。そうだ、あの岬から、「つい海にまで

出てしま」ったら、そこには何もない。踏みしめられ得るどんな土地も現れること

がない。そこは土地なき土地である。どんな確信も、どんな安心も、吹き荒ぶ木枯

らしの前では無力となろう。しかし、それはそれで善しとすべきことだ。そうある

ことが正しいのだ。その途方に暮れた心を保つことだけが、岬の先での肝心な心構

えと言って良い。

 「風邪もよし/木枯またよし/海ひかる」この、海を輝かせるものは、何であろ

うか。私は、ここでもまた月を思う。遠いところで、彼の知らない方角で、静かに

輝く月のことを思う。


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2004年04月15日

詩論 辻征夫「俳諧辻詩集」について 26

「厨房」

 「蟋蟀の玉葱といて物言わず」「蟋蟀」が「玉葱」と共に佇んでいる。鳴くわけ

でもなく、静かにしている。「玉葱」は平らな所に置かれてあるのか、段ボールの

中に収められているのか。一つなのか、複数であるのか。「玉葱と」という語感は、

二つのものが並ぶ様を想起させないだろうか。平らなところに、両者は並んでいる

ように思われる。シュルレアリスムではないが、「蟋蟀」と「玉葱」の出会いとい

うのも、それだけで楽しい取り合わせである。「といて」という語感には、もう一

つ「蟋蟀」と「玉葱」とを同時に擬人化するニュアンスがある。その擬人化の楽し

さと、生き物の蟋蟀と野菜の玉葱とを同じように扱ってしまう面白みが合わせられ

ていて愉快だ。

 この「といて」を粗忽さと取るとどうだろうか。「物言わず」にもその余韻があ

って、「蟋蟀」と「玉葱」は、別に会話が交わせる間柄ではなく、コオロギの立場

からすれば、話しかけても答えてくれる相手でもなく、とすれば黙っている以外に

仕方がないのだ、ということになろうか。しかし、これには別解が有り得る。交点

のイメージがそれだ。その解は、詩行の方からやって来る。

 詩行は、「蟋蟀」を異なる文脈に置いて描き始める。「蟋蟀」は、冒頭の俳句と

同じようにやはり黙っているのだが、その風景には既に「玉葱」はない。「台所」

で佇むコオロギは、ぽつねんとしているばかりで、この場面には「蟋蟀」を際立た

せたり、相対化するような役割を担うべき比較対象がない。このコオロギは、はる

かに主観的に佇んでいると言って良い。だからその姿を発見した「おれ」は、あっ

という間にこのコオロギと一体化してしまうのだ。「おれ」は「蟋蟀」が「髭」を

立てて「遠慮」していると見る。勿論自分自身にも「覚えがある」からである。こ

の一体化は意外と徹底していて、「おれ」も「蟋蟀」を前にして沈黙を守る。おそ

らくは「遠慮」から。つまり沈黙を介して深い交流が実現している、「おれ」と「

蟋蟀」との出会いがここに見て取れると言って良いのだ。この観点を前の句に及ぼ

してゆくことができよう。「物言わず」は、交流がないことではなく、言葉を介さ

ない物言わぬ交点の存在を暗示しているのだ、といった具合に。そう考えてくると、

「といて」の擬人化も、粗忽さではなく、意識的に同じ扱いをしているということ

になろうか。

 末尾にはもう一つ句が添えられている。「鰯雲だらだら坂の酒の店」「鰯雲」と

言うと、日中、晴れた秋の空に高くかかる雲だ。明るい陽射しのある時間帯、長い

坂の途中にある酒屋が見える。詩行の末尾が「さてと 出かけるか」とあるので、

この店で一杯引っかけながら無駄話をしていた男が、店の暖簾をくぐって出てきた

というところか。「だらだら」という言葉がここではキーワードだ。辻征夫特有の

サボタージュのイメージだ。のんびりとした非生産的な時間への憧憬が感じられ、

呑気な、温かい雰囲気の漂う句と見て良いだろうか。

 同じ虫シリーズということで「慶州」のあとに並べられているようだが、「慶州」

の世界からはきわめて遠いところにある作品だ。むしろ92年の作品の中の「木の

芽どき」「五月雨」「梅雨」などと近い。これらの中では内容のある方と言って良

いか。『河口眺望』の中のテーマを踏まえながら、『俳諧辻詩集』の方法を最初に

完成させた作品、そんな言い方もできるかも知れない。


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2004年04月13日

詩論 辻征夫「俳諧辻詩集」について 25

「慶州」後編

 四行目「旅館をさがしに行った友だちを待つうちに/わたくしは眠ってしまった

のだろうか」宿がまだない彼は、友人が出かけていった後に、その場に取り残され

る。彼は風と埃に晒されて孤独だ。彼自身には宿るべき場所のあてはない。彼自身

の手がそれを求めて彷徨うこともない。彼は佇み、彼は待つばかりだ。彼の在り方

の内には、その場を逃れようとする動きはない。逃れようとする動きの主体は「友

だち」の上にあって、彼自身にはない。彼は真実、晒されているのだ。彼は何かを

待っているのだろうか。そんな風にも問うことができる。彼は寧ろぼんやりしてい

るだろう。彼の目は閉ざされ、彼の意識は眠りに赴く。眠りこそ、彼の受動性の極

限では無かろうか。手足は束縛無き束縛により自由を失っている。それらは束縛に

対して挑むことすらできないだろう。心もまた同じだ。どんな強制からも解放され

て、心は受身の極限で浮遊する。

 「なにか誇り高く風格のあるものが/わたくしの前をとおる気配がして」ないが

しろにはできないもの、それ自身の風格を持つもの。風格とは、歴史の裏付けを持

つものでは無かろうか。幾度となく反復し、新たに積み重ねられ、指示され続けた

歴史の堆積が必要では無かろうか。それ故に生まれた誇りがそれを包み込んでいる。

それはただ一つの人生が産み落とせるものではあるまい。個体を超えた時間がそこ

で発露していなければなるまい。眼を開いた彼が見たものは何であったか。

 「蟷螂の肩肘はってとおりけり」「蟷螂」はカマキリのことだが、「蟷」は『ま

ともに強い相手に向かってゆく虫』という意味、「郎」は格好がよい、という意味

を含んでいるから、この「蟷螂」という呼び名は、カマキリにとって大変に名誉な

名であると言って良い。しかし、この句の中におけるカマキリは、どこか滑稽で軽

く、どこか不必要に気張っているかのようだ。詩行との間には大きな落差があって、

その甚だしさの上におもしろみが宿るようだ。この句はそれだけのものである。

 次の句、「杖ついて蟷螂ゆるりと振り向きぬ」こちらの句の方がずっと味わいが

ある。この「蟷螂」は本当にカマキリであったろうか。「杖ついて」という描写、

「振り向きぬ」という動作が、長い髯をはやした仙人のような老人をイメージさせ

る。老人は歴史を、あの広がりをも指し示すようで、このカマキリこそが、「わた

くし」の見たものであったのではないか、と思わせる。風土には歴史がある。風と

埃には歴史がある。強い日ざし、その厳しさ、その奔放さ、その出会いには歴史が

ある。

 もう一つ、「蟷螂」は振り向いた。その視線の先には「わたくし」が居る。「わ

たくし」は「蟷螂」の視線に射抜かれてそこに居る。あの歴史、あの風格、あの誇

りあるものが、受身のまま風土に晒されたままの「わたくし」に気付き、「わたく

し」に見入るのだ。これはどんな体験であろうか。ヴェルレーヌには「撰ばれてあ

ることの/恍惚と不安と/二つわれにあり」という句がある。この句は太宰治の「

葉」の冒頭に添えられてもいるが、ここにはまたその変奏とすべき体験があるのか

も知れない。


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2004年04月11日

詩論 辻征夫「俳諧辻詩集」について 24

「慶州」前編

 一行目「(慶州城外の」そこは城壁の外である。城は人々の日常の生活の場を守

るかのようにして己を透明化しつつ、その実、己の権力を精鋭なスカイラインの上

に描く。スカイラインは美しい。がしかし、それは空と大地の本来際限の無いはず

の広がりに限界を定める描線である。この同じ権力は、言語の流通の様態に対して

も、これを透明化する、つまり無意識化することによりオートメーション化し、そ

れはあのスカイラインのごとく、言語を判然と区切り、その無際限な佇まい、その

荒寥とした広がりに限界を定める。これが城であり、今、彼は城の外である。

 二行目「風と埃の街道の」風は流通する。それ自身の仕方で。その流通は、何ら

の規制を受けることがない。ここは城の外であり、建物も建物に囲まれた狭隘な道

筋もない。どんな風の通り道もない。何かがあったにしても、それは風を妨げるも

のでは無い。風は純然たる風土のかけらとして、大地を吹き抜け、再びやってきて

は、また立ち去る。いや、そういう言い方が既に誤りだ。風は遍在するものだから

だ。それはここと、そこと、あそことに、同時に、あるいは間歇的に、あるいは連

続して、あるいは不連続に、震え動くものだからだ。この場所で風は自由奔放であ

り、大地の塵を巻き上げては埃を伴ってゆく。人は苦痛であろう。視界を閉ざされ

ることもあろうし、眼を閉じねばならぬ事もあろう。人はこの場所で、風と埃に晒

されたまま、落ち着いた己の時を過ごすことは難しい。しかし、人はここを行き来

する。風に晒され、埃に苛まれて、街道は人を時折運ぶ。そして街道は交点となる。

やって来た人と人、何かと何かが、出会う場所だ。城の内側と違って、人は日常の

生活から逸れており、己の時を持たないから、街道は純然たる風土の上に引かれた

線であるから、人と人、何かと何かは交わり、時に併走し、出会うことがあるだろ

う。この出会いは、裸形の出会いである。

 三行目「土塀の陰に日ざしを避けて」「土塀」は一部崩れているかも知れない。

ここは風雨に晒された土地であるから。風雨の権力なき力、何ものも透明化するこ

とをせず、すべてを光の元に晒す力が君臨する土地であるから。それはいかなる人

工物にも勝るであろう。その崩れかけた土塀の陰に、彼は陽射しを避けなければな

らない。風と共に太陽もまた容赦なく人の肌を苛むのだ。陽射しは、この土地の性

質を物語る。ここは、人のための土地ではない。人はここに住まうことがない。人

は時折行き来するばかりの、風土による風土のための、風土だけのある土地である。


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2004年04月06日

詩論 辻征夫「俳諧辻詩集」について 23

「林檎」

 「転がりし林檎投手は手で拾い」林檎が転がっていれば、誰だって手で拾うだろ

う。いきなり口から飛びつくのは、犬の類では無かろうか。なぜ「投手は」と「投

手」ばかりを強調し他と区別するのだろうか、その特殊性とは何であるか。だから

この句は、句が終わったところから始まるのだ。「投手」にとって「林檎」はどん

な意味を持つのだろうか、どんな誘惑であり得るか、ということを考えるところに、

この句の興味も尽きているのではあるまいか。しかしながら、それを暗示するには

十七文字では少々短いようにも思われる。是非とも以下の詩行が必要となってくる

ようも思えるのだが。

 野球のボールに似たものを手に取ると、投手の内面には「投球感覚がよみがえる」

、「できれば」「前方に一直線に送球したい」というのが「投手」を誘う誘惑であ

る。

 ところが、この誘惑は実現することはない。なぜなら「球場ならぬわたくしども

の日常では/受けとめてくれるものが常にあるとはかぎらない」からだ。この二行

があることによって、投手と林檎と受け止め手との関係が一挙に性格を変えるよう

に思われる。ここから俳句の世界の限界を越えて、新しい領域に踏み込むような気

がする。受け止め手がいないために、林檎は「断念された夢」となり、「投手は悄

然といまある場所にとり残されている」逆に言えば、林檎は受け止め手に受け止め

られて初めて林檎となることができ、そうなって初めて投手の夢を実現するものと

なるのである。これは、詩と詩人と読み手のことを言っているのではあるまいか。

「吾妻橋」の「さして読まれもせぬ詩を書く男」というテーマが、ここでは中心に

据えられているのではないか。

 もう一つ、詩が一つの夢であり、欲望であり、それ自身が一つの誘惑である、と

いうこと。詩が、投手の前に転がる林檎であるということを、この作品は明らかに

しているのだ。このことも忘れずに書き添えておこう。


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2004年04月05日

詩論 辻征夫「俳諧辻詩集」について 22

「断崖」後編

 「あなたの名を冠した文学賞が昨年できて/その第二回が清水哲男にきまった」

清水哲男氏はこの時、詩集「夕日に赤い帆」で賞を受賞している。これは栄えある

事であろう。しかし、通常のように散文的に、例えば芥川賞受賞といった具合に栄

えある訳では無かろう。ずっとひっそりとして、遙かに権威とは無縁な歓びが、そ

こには流れているはずである。

 「ぼくたちは突然断崖の句を作って餞(はなむけ)とすることにしたのでした」

「断崖」は唐突に陸地が失われる土地である。その断言は大地に対して垂直に切り

立つほどに徹底しており、微塵の躊躇をも許さない。しかし、この大地のピリオド

は、単純な平面を成す訳でもない。その切り口は複雑に入り組み、およそ考えられ

得る限りの重層性を湛えることができる。この断崖は、人生の到達点、その高みで

あるだろう。栄誉に照り輝きながら海面を遙か眼下に見下ろす地点であるだろう。

また、この断崖は終局の暗示であるだろう。大地は自らの終わりを間近にして、一

層波浪に打たれ、震えつつおのが身の砂礫を落下させるであろう。「断崖」は一つ

の断言であるが、その内実は歓びであり悲しみでもある。「折しも受賞の日は(そ

の日も日は断崖の上に登り/憂ひは陸橋の下を低く歩んで)/清水は奥さんを伴っ

て病院へ行き/ぼくたちは新宿の酒場にひっそりといたのでしたが―」この四行が

おそらくこの作品のモチーフなのであろう。朔太郎の描写が清水哲男の受賞の日の

喜びと悲しみと滑稽と深刻との、それぞれの正当性を裏付けているのだ。そしてそ

れらの相矛盾する情調は一つの断言の内に、「断崖」というイメージの重みの内に、

同時に流れていると言って良い。

 第二連には八木忠栄氏と清水昶氏の俳句が並ぶ。「断崖に風ごうごうと赤い月」

荒々しい絶壁である。厳しく断ち切られたかのような断崖にかかる赤い月は、しか

し、独り遊弋を楽しむかのごとき色合いを感じさせもする。この「赤」は、血の色、

危険や傷口の存在を知らせる血の色であろうか…。いや、そうではなく、この「赤」

は若々しい血の色、青春の熱さを持ちこたえている血の色ではなかったろうか。

 「性愛の断崖に浮く秋の雲」この「断崖」はまた別のニュアンスを持つようだ。

ここは絶頂であり、昇りつめたエクスタシーの漂う場所だ。しかしやはり断崖であ

るにはあるであって、この絶頂を過ぎれば、すぐさま急激な弛緩と倦怠がやって来

るであろう。その直前の頂き、そこに浮く秋の雲は、爽快で高々と澄んだ青空にか

かり、あたかも動きも消えもしないもののように見えているのである。

 最終連は辻征夫のオリジナルな詩行で結ばれる。人生の「日暮れ」を迎えつつあ

る「ヨットハーバー」につながれた「夕陽に赤い帆の ヨット」に呼び掛ける。「

秋風に吹かれながらでも/もういちど 遠くまで/行ってみようか」清水哲男にも

自分にも、他の仲間たちにも呼び掛けているかのようなこの言葉は、「萌えいづる

若葉に対峙して」の「船出」の境地に近い。いや、顔を向けている方角は正反対で

はあるのだ。「断崖」の船出は、秋を迎えてから「もういちど」試みる、過ぎ去っ

た夏を追いかけるような船出であるが、「萌えいづる…」の「船出」の方は、たっ

た一回きりの、最後に一度だけ成し得る船出であるからだ。しかしながら、生へ再

び挑むかのような熱い、あるいは夕陽に照らされているからこそ赤く染まるこの船

出と、死へ向けてのもの言わぬ、ひっそりとした船出とは、何と似通っていること

か。そこにあるもの、この二つの船出を要請するものが、ただ一つの情熱であるか

らだ。詩人を捕らえたまま放さず、彼の人生の青春期から死の床までを貫き通す、

ただ一つの情熱があるからだ。


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2004年04月04日

詩論 辻征夫「俳諧辻詩集」について 21

「断崖」前編

 この作品は詩行から始まり、末尾近くに八木忠栄氏と清水昶氏の俳句が配されて

いる。やや変則的な書かれ方をしている。また引用か数多いのも特徴だ。

 最初の二行はただ読んだだけではすぐさま誰のことかは分からない。分かる人に

は分かるのだろうが、注を読んで二行目が三好達治の「師よ 萩原朔太郎」からの

引用であることを知り、朔太郎を描いていたことが分かった。しかし、今ここでは、

この人物が誰であるかよりも、何であるか、ということの方が重要だ。

 「腰のすわらぬ 着流しの 顎を突き出した」一行目のこの三句からなる点描は、

辻征夫なりの、朔太郎の印象を述べているのだろう。「腰のすわらぬ」一つ所に落

ち着くことがない。いつも動いている。いつも移動中である。「着流しの」袴を着

けるような改まった格好をしない。常識的にそれが必要と思われるような席にあっ

てもなお、やはり普段と変わることがない。「顎を突き出した」この表情はよく分

からない。何か、権威や世間に対する表情ででもあるか?

 二行目は鋭利な刃を持つ斧のような、力強く重い一行だ。「旅行嫌ひの漂泊者 

夢遊病者
(ソムナンビュール)」日程を決めてコースを定めて余暇を楽しむような

旅行など軽蔑するくせに、自分は一つ所に留まってはいられない。ほとんど病的に

土地から土地へと移り住んでゆく。帰るべき土地を持たない漂泊者であり、知らず

知らずのうちに移動している夢遊病者のような人物だ。

 「いつもうらぶれた淋しい裏町の小路をゆく/マンドリンと手品の愛好者(アマ

トワール)」三行目も三好達治の同じ作品からの引用との注がある。この漂泊者は

繁華な大通りとは無縁である。ひっそり閑としてひなびたような細道、周囲の家々

も貧しげで活気に乏しいそんな町並みを縫う小径を好んで歩いてゆく。情調もの悲

しいマンドリンの音色と小さな驚きに充ちたささやかな芸、手品を好む人物。いず

れも賑やかな大通りや大きなビルが建ち並ぶ町並みよりも、ひっそりと静かな佇ま

いを見せる裏町の小さな寄席や見せ物小屋に相応しい。

 「砂礫のごとき人生かな!と/呟きつつもどこか滑稽だった/前橋のバスター・キ

ートン」砂や小石のような人生、いつまでたっても大きな巌(いわお)のように存

在感のある人生とはならず、いつまでも細石(さざれいし)のまま過ぎてゆく人生。

この感慨は悲痛に聞こえる。しかもその呟きは、どんな権威をも形づくることなく、

キートンの能面のように笑いを誘うというのだ。

 ここに在るのは、反権力の権化のような存在だ。現実の権力に対峙する第二の、

第三の権力ではない。それでは元も子もないであろう。ここに在るのは、一切の権

力から逃れ去ろうとする権力の不在、「自己」という己自身の統治者からも逃れ去

ろうとするものに他ならない。「あなたの名」が空疎ではないのは、「萩原朔太郎」

という名前が充溢しているからではない。その名が降り立つ地平、辻征夫、三好達

治等が触れている地平が溢れんばかりなのである。朔太郎が関わりを持った領域が

豊かであったのであり、彼の在り方が正しく何かを伝えているからである。


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2004年04月03日

詩論 辻征夫「俳諧辻詩集」について 20

「ビート詩抄を読んで、こんな書き方でいいのかしらと思いながら安西均さんの思

い出」後編

 第二連は「ここでどこかのおじさんが/小便をしていますよー」と始まる。連全

体で主語が省略されているのは、それが確定しているからだ。立ち小便をしている

のが安西均、「おまわりさーん」と叫ぶのが「わたくし」=「ぼく」というわけだ。

しかし、この確定は同時に安西均を「どこかのおじさん」に変え、「わたくし」=

「ぼく」を「あなた」に変え得るような、主語の内容の空洞化を含んでもいるよう

に思われる。第二連は軽妙で、滑稽で、大変に楽しい一場面を描いている。が、そ

の軽さは特定の人物に縛られていない軽さでもあるように思われる。「しながらな

んとか振り向こうとして/横顔を見せて」いる安西均は、寧ろ顔がない、どんな顔

でも当てはまる、顔のない横顔を見せているように思われる。それは勿論、「安西

均さん」と「わたくし」の間でも、その親しさの感情のあわいでも起きているので

ある。

 第二連結び、「ほんの/二年数ヶ月前」は、遠くなりつつあるものの接近を言い

当てたような表現で終わる。

 詩行の後半は次の二行で始まる。「戦いと飢えで死ぬ人間がいる間は/おれは絶

対風雅の道をゆかぬ と」「と」とあるからこれは引用である。引用もまた書かれ

たものの読み直し、読むかのように書くことであり得る。引用は書き手の性質を変

えてしまうからだ。引用文の中の主語「おれは」は「彼は」に変質するだろう。

 この詩行の前半と後半の関係は、後になって判明するのだが、時間が数時間遡っ

ているのだ。前半の詩行の一行目「渋谷で飲んで」という部分の最初の一時、まだ

「酔わないうち」のことがここで再現されているのだ。時間が倒置されているのだ

が、この置き換えにより「おれは」という主語の曖昧さは一層際立つのである。

 「中桐雅夫君が/肩いからせて書いているでしょう」「中桐雅夫君」は、倫理的

な理由から風雅の道を自らに禁じ、そこから逸れてゆくというのだ。硬直したかの

ような強い線分が示される。彼の描くこの線分と、「わたくし」と「わたし」とが

酔っぱらって描くもう一つの逸脱、非倫理的に風雅の道から逸れて行く線分は、「

風雅の道から/ちょっとはずれた」ものである点で似ており、両者の生の軌跡は見

事な平行線を辿る。この決して交わるはずのない二本の線分は、「まっすぐ」であ

る、という一点で交わる。あるいは融合する。

 「書く」ということについて考えてみると、ここに生身の私が居て、「私は」と

書き記すのだが、この主語は書かれたもの、その地平にあっては、「私」という主

体を指示しない。生身の私に読まれた時にさえもそれはそうだ。というのも、書か

れた「私は」は、読み直されてしか存在し得ない己を開示するからだ。およそ「書

く」ことは「読む」ことであり、そうあることを通してしか「書く」という己のあ

り方を存在せしめることが出来ない。だから「私は」と書くことは、いつでも「彼

は」への変質の契機となるしかないし、「彼は」は「誰々は」という、一層空疎な

主語への転換を用意するだろう。それはしかし、貧しくなることを意味しない。書

かれたものの地平の奥深くへと沈潜してゆくことを意味するのであって、「私は」

は無数の「彼は」と結ばれ、際限のない反復と逸脱の作用に晒される、「私は」が

その豊饒に触れること、その豊かさの中に消えてゆくことをこそ意味するのである。

勿論それはどんな救いとも無縁でもあるのだが。

 どれほど「肩いからせて」自己の内的倫理を表明しようとも、「書く」ことはこ

の「自己」の硬い守りを維持することがない。正反対の線分にも呑み込まれ、共犯

関係は結ばれ、当初のもくろみは敢えなく崩れ去るだろう。「書く」ということが

招来するダイナミックな嵐のような風土を、ここに感じることが出来るように思う

のである。


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2004年04月02日

詩論 辻征夫「俳諧辻詩集」について 19

「ビート詩抄を読んで、こんな書き方でいいのかしらと思いながら安西均さんの思

い出」前編

 「海豚の芸終りひぐらし鳴き始む」安西均氏の俳句が先頭に添えられている。イ

ルカの芸は水族館などでは人気のイベントであろう。大勢の観客を湧かせて、イル

カたちが水中、水面、空中で躍動する動きと喧噪に満ち満ちたショーだ。賑やかな

時が過ぎ去って慣習も去ると、会場には何も泳がないプールと清掃する係員、あと

は誰も座らない堅い椅子の列だけが残っている。太陽も傾き、夕刻を迎えようとし

ている。樹木の間からヒグラシのカナカナという静かな鳴き声が聞こえてくる。イ

ルカのショーの明るさ、動き、大勢の人の気配、熱気といったイメージが、一挙に

消え去って、昼に対峙する夕暮れの静けさ、落ち着き、涼しげな気配、日中の活動

が一段落する一時が立ち上がる。それは丁度、夏が終わり秋が立ち上がる季節の移

り変わりをも感じさせる。夏と秋が一日の中に肩を並べ交錯している。一九九三年

八月十四日、二つの季節が同時に流れた一日。

 詩行はこの一日から離れて別の一日を舞台とする。「渋谷で飲んで/さらにもう

一軒/いつもの鮎屋に行く途中で小用をたしたくなった/のはぼくではなくて安西

均さん」「小用」云々はあたかも「ぼく」を主語とするかのように書かれている。

四行目は主語を確定しようとし、また確定してもいるのだが、私には逆に、二つの

主語の間が曖昧にされる効果を感じる。日本語は主語を多くの場合に省略する。省

略できるのは、対話する者同士の間で、主語が確定しているからだ。最初の三行だ

けならば、主語は間違いなく確定していて「私」=語り手であったろう。三行の間、

読み手はそのように読んでいるはずだ。それを四行目は覆してしまう。覆す、と感

じられるのは、通常ならば最初に主語を確定してから内容を語るべき文脈であった

からだ。そうしないで主語を別に確定しようとする、つまり本来の主語を遅ればせ

ながら提示する四行目は、それまで読み取られたはずの、読み手の中にあった文脈

を破壊しているのである。この箇所は、日本人の読者であれば、ひどく揺さぶられ

たという印象を持つのではないか。それによって「ぼく」と「安西均さん」という

主体が揺らぐのである。主語としての地位を揺るがせられている、と思うのである。

 いずれにせよ、安西均=「わたし」は立ち小便を始めた。「ハチ公がいる広場の

交差点の/地下街への入口の壁と車道の間で」。この場所は、辻征夫の作品世界に

あっては暗示的な場所だ。ここは交点である。二つのあるいは複数の生の時間、複

数の世界が平行して生きられる場所だ。先ほどの主語の揺らぎは忘れずにいよう。

「その姿を/わたくしの(さきほどはぼくでしたが)」「わたくし」と「ぼく」の

交換も、その主語の揺らぎの余波ではなかったか。「ぼく」はもう「ぼく」であり

続けることはできないだろう。「からだで隠しながら おまわりさーん」この一行

は軽いおふざけでもあるのだが、二つの相反する言動はこの主語の揺らぎとも呼応

するのでは無かろうか。


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2004年03月29日

詩論 辻征夫「俳諧辻詩集」について 18

「鬼やんま」

 「海峡」と同じく、安西冬衛の短詩を踏まえた句と考えて良いと思われる。「韃

靼海峡」を浦賀沖に、「てふてふ」を鬼やんまに置き換える。この作品は、それだ

けのもので、「海峡」のような力を持たない。しかし、それを補うかのように詩行

が地平を押し広げる働きをしているようだ。と言うよりも、この俳句は、詩行があ

って初めて完結するかのように作られている感がある。

 詩行は、鬼やんまが向かったはずの房総半島に場所を移す。渡ったはずのものが

到着する側の「小さな入江の/浜辺」である。この詩行もまた、安西冬衛の作品を

受け止める位置にあることが分かる。しかし、「海峡」と違って、こちらの場合の

読み直しは甚だしく、ほとんど原形を留め得ないと言って良いほどだ。やって来た

のは空を飛ぶものですらなく、水上を滑るもの、「水上スキー」である。また「鬼

やんま」でさえなく、「日本髪の女性」なのである。この「日本髪の女性」のイメ

ージは、一面では「てふてふ」の「可憐さ」を継承していると言えようが、その反

面では「鬼やんま」が「てふてふ」との間で作り出す「崩し」の感覚をも継承して

いるとも言えそうだ。「鬘かぶって…/…/もう顔がひきつって/青ざめてんだ」。

「鬼やんま」の複眼はエメラルドグリーンをしている。色もそうだが、上から見た

シルエットは丁度、日本髪の鬘のようなシルエットに見える。そんな印象もこのイ

メージの底にはあるのかも知れない。

 これに続く詩行の第二連では、再び「鬼やんま」が登場する。「こっちは堂々た

るもんさ/…/爆音がきこえるかと思ったよ)」。「鬼やんま」は日本最大のトン

ボであるし、大変な早さで飛行するから、この堂々とした勇姿は相応しいと言うべ

きだが、同時に勿論のこと、この海峡を渡る姿は「てふてふ」を読み直したもので

ある。「鬼やんま」は同じ経路をパトロールするように往復して飛ぶ習性があるら

しいから、実際の所めったなことでは海に出ることはないだろう。一方、この「爆

音が」聞こえそうな「鬼やんま」の姿は、「水上スキー」でやって来た「日本髪の

女性」のイメージをも継承する。おそらくは彼女を連れてきたモーターボートのエ

ンジン音と呼応する。

 つまり、安西冬衛の短詩と、「鬼やんま」の二つの連の二つの世界が、三つども

えになって互いに呼応する形に書かれているのがこの作品の姿だ、と言える。そし

てその呼応を実現する上で最も重要な役割を担っているのが先頭の俳句なのである。

これが無い場合、詩行から直接に安西冬衛へ到達することは不可能であるし、安西

冬衛からこれらの詩行が導き出されることもあり得なかっただろう。

 最後に「貨物船」のイメージについて触れなければならない。私は「貨物船」こ

そ、この先頭の俳句に相応しいイメージであるように思うのである。「貨物船」は、

いつも沖合に止まっているかのように浮かんで見える。停泊しているのかと思って

いると、見ている内にその位置をずらしてゆく。静かに、音もなく、何主張するで

もなく、ただひたすらに荷を大量に積載し水平線上に浮かぶ姿は、広大な文学的地

平に降り立った「我が」作品の、あるいは「我が身」の、おそろしく謙虚なイメー

ジではないかと思えるのである。と言うのも、貨物船は決して美しい船ではないか

らだ。近づいてい見ると錆だらけだし、もともと美しく作られている訳でもない。

どでかいだけで、乗って楽しいものでもなかろう。辻征夫は、俳句を「貨物船」の

号を使って作った。その命名には別に謂われがあるようだが、イメージとして生成

してゆく過程には、そんな印象もあるのでは無かろうか。


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2004年03月26日

詩論 辻征夫「俳諧辻詩集」について 17

「公園」 後編

 夏の章なのだが、この作品は「冬は―」とあって、「明け方の夢でもの食う寒さ

かな」で前半が終了する。句そのものは、独立の印象を書き留めた句として読むこ

とも出来るが、作品の前半を受ける形で添えられることで、「寒さかな」は、気候

としての明け方の寒さを単に表すのではなく、遮るものなく身を寒風に晒されてい

る人間の寒さを表すように感じられるのである。まさに、そのイメージを受けて、

作品の後半が始まる。

 「もう電車はないしタクシーも見あたらないから、その辺で夜を明かすかと駅前

広場の隣の公園に入って行くと、」読点が極度に少ない書き方は、どことなく締ま

りなく、放任の香りが漂う。それは今にも落下して行こうとするものを、手放しで

見つめている意識の無力を表すようでもあり、また落下の加速度そのもののように

も感じられる。

 この人物は帰宅途中だったが、電車がなくなってしまい、公園で夜明かしをする

のだが、その判断の内に既にその落下運動の最初の微動があったのである。

 「四隅に一つずつ置かれたベンチはどれも浮浪者らしい男が占領していて、午前

一時というのに二人は食事に余念が無く、二人は紙袋を枕にして寝ている。」この

四つのベンチと四人の浮浪者、そして二人ずつ、食事をする者と寝ている者が居る

、という対称性に充ちた空間は、鏡面に囲まれた世界を思わせる。一度その内部に

入り込んだ光は、いつまでも鏡と鏡の間を反射し続ける、そういった空間を思わせ

る。そして同時にそこは隠喩的空間でもあると私は思う。私には書くことと読むこ

との同時的継起と一体を為すように思われてならない。

 この奇妙な公園に迷い込んだ男は、食事中の浮浪者のもとに歩み寄り、次のよう

に話しかける。「済まないが始発が出るまでここで眠りたいから、端をすこし開け

てくれまいか、私はただ眠るだけだから眠るままにさせておいてくれればあとは何

も望まない、あそれから出来ることならその咀嚼音はもうすこし控え目がいいな、

それでは並居る貴顕紳士の顰蹙を買うばかりだよ、いやいやたとえばの話だ、いま

貴君のまわりにそういう人士がいるわけではない、では眠らせてもらうよ」この言

葉は「夏館」での語りかけと同じく、生身の人間の言葉では最早ない。この人物は

鏡面界に迷い込み、既に変身を遂げて、読むように語るもの、人間ではないものと

なっているのだ。「目覚めては眠り目覚めては眠り、からだの芯の疲れがベンチに

滲み込んで行くようだった。」これが、文学的地平に降り立ったものの姿だ。その

体験の描写、かろうじて書き留められた、ぎりぎりの描写ではなかろうか。切れ切

れの意識。エネルギーの遺漏。のように感じられる労苦。一段と強まる要請。何に

対する要請か。読み、かつ書くこと、読むと同時に書くという困難な作業を日々続

けることへの、日増しに己の全てを注ぎ込むようにという要請。日増しに強まる容

赦のない…

 そして「目覚めては眠り目覚めては眠り…」している内に空腹を覚えたこの人物

は、「終夜営業の店まで行き、無愛想な店員から弁当を買ってベンチに戻り、むさ

ぼり食っているといましがた終電がでたらしい駅の方から男が来て、かたわらでい

った。」このあと、彼は先ほどの自分の台詞と全く同一の言葉を聞くのだ。彼は鏡

面界の住人、「ほのかな異臭が、私のまわりに漂っているようだった」という作品

の末尾を末までもなく俟つまでもなく、ここでは浮浪者の一人に変化(へんげ)し

ているのである。一切の守護を離れた人間、身を寒風に晒された人間、蓄えなく、

日々失って行くだけの人間。そうだ、失うのはすべてを失うのだ。時間もエネルギ

ーも、なにもかも。どんな保障からも見離された人間。

 読点はこの部分では普通に振られている。また反復された台詞が終わった後の結

びの部分も、通常のリズムで書かれている。やはりあの奇妙なだらだらと続く文体

は、鏡面界に入って行く者の意識のあり方、その瓦解の過程と関わるのかもしれな

い。


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2004年03月25日

詩論 辻征夫「俳諧辻詩集」について 16

「公園」 前編

 「物売りが水飲んでいる暑さかな」「物売り」という生業も、既にある情緒を伴

ったイメージ、回想の中の風景となりつつあるようだ。寺田寅彦の随筆集でも昭和

十年頃の風景の中で失われてゆこうとしていた物売りの声を描写している。詩行を

俟たずとも、この物売りは自転車や徒歩で移動する物売りであろう。商売の最中に

炎天の暑さに耐え兼ねて、公園の蛇口から水を飲んでいる光景が目に浮かぶ。都心

では現在、繁華街にようやく姿を見る程度となった物売りは、おそらくこんな姿で

見かけられることはあまりないだろうと思う。どうだろうか。この句は実景であろ

うか。回想上の風景を読み取った作品であろうか。日本全国を隈無く巡れば、物売

りがまだまだ立派に生活を成り立たせている地域もあるかもしれない。(諸外国で

は普通に見られる土地もあるようだ。)断定は出来ないけれど、辻征夫のテーマ系

がらすると、回想を基調とした作品である可能性は高いのではないかと思うのだが。

 詩行は、この「物売り」の姿を克明に再現するところから始まる。「公園の木陰

に自転車を止めて/汗を拭っている男/麦藁帽子の下の ぼんやりしたまなざし/

ちびたサンダルからはみだしているかかとの汚れ」この描写は、俳句作品の「物売

り」を読み取りこれをありありと再現して見せているのだが、ここでは三つの問題

を指摘してみたい。

 一つは、この姿が、ある敗残のイメージに重ね合わせられている、ということ。

「子供のとき 午後の公園で何度も見た/母がなぜか顔をそむけた男」母親の嫌悪

感を子供は共有していないけれども、母の背けられた視線は、この物売りの姿をは

っきりと拒絶している。この拒絶は、物売りの姿が、子供に先行する価値の基準、

子供も少なくともその一部分においてはそれに所属しているはずの、集団の価値基

準から外れていること、逸れていることを表している。

 もう一つは、この物売りの姿に語り手が同化してゆく、ということだ。「あれが

わたしの姿だったなんて/思いもしなかったよ」読むように書くことにより、その

ものに同化してゆく。それは自らもまた、集団のヒエラルキーからこぼれ落ち、逸

れてゆく、ということでもある。

 三つ目は、二つの時間の同時的体験、二つの生を同時に生きる、というテーマ系

の再現である。子供である自分と物売りとの間にあった距離、それは一つは母の背

けられた視線が表す通り、接点は拒まれ、その間には途方もない隔たりがあるのだ

が、数十年という時を経て(これがもう一つの隔てである)、今「わたし」は「物

売り」と同じものとなっている。あの距離は飛び越えられて「わたし」は二つの時

間と二つの生を同時に生きているのだ。つまり、あの「読むように書く」という姿

勢が、この跳躍をもたらしている、と言い直すことも出来るだろう。そして辻征夫

の場合、多くこの跳躍は、私たちの価値基準、私たちの集団のヒエラルキーからす

ると、真っ逆様に落ちてゆくことを意味する、と言って良いかもしれない。


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2004年03月24日

詩論 辻征夫「俳諧辻詩集」について 15

「夏館」

 この作品は俳句作品の前に解説が付されている。散文詩と言い換えるべきかも知

れないが。

 「本所緑町の母の実家の…二階の座敷の欄間に、古ぼけた一葉の肖像写真が掛け

てあった。」辻の詩行は、この肖像写真を読み取るところから始まる。「頰はこけ、

眼光は炯々として鋭く、髪は肩まで垂れている。中津藩士川野大一郎胤義の、御一

新で髷を落したときの肖像である。この曾祖父の風貌にある厳しさは、祖父にも、

そして晩年の母にもあった。」「肖像写真」を読み取り、書き記すこの作業の中で、

読むように書くことが始まっている。曾祖父の風貌が祖父から母親にまで辿られて

ゆく過程で、肖像写真から読み取られ、そこに現れ出たものの存在感が増してゆく。

読むように書くことにより、そこに存在し得ぬはずのものの存在が立ち現れる。

 「ある夏、父が残した茅屋の小さな庭に立っていたとき、不意に何者か私と並ん

で佇立する気配があった。」書くことが成し得たもの、その存在と会話するために

は、まだ充分な条件は揃わない。生身の人間が、これと対話する訳には行くまい。

それを成し得るには狂気が必要であろう。しかし、もう一つの道が残されているよ

うに思われる。己自身が、存在し得ぬはずの存在となることだ。生身の人間である

ことを止めること。私自身であることを止めること。この一つの生の中断により、

別の生を迸りのように生きる、この在るはずのない変身により、不可思議な対話が

可能となる、というよりも、不可能なまま、可能となる。それをしも成し得たもの

は「書くこと」以外にあり得ない。存在し得ぬはずのものの存在の立ち現れは、私

の生の中断、別の生の迸りと連動するかのようである。

 「一瞬たじろいだが踏みとどまり、そのものと向き合う姿勢になると、日頃の思

いが何故か胸を突きあげ、私はそのものに向かっていっていた。詩文に携わるもの

必ずしも軟弱にあらず、悲しみ極まれば腰間ならぬたましいの震えから、一条の光

芒が走らないとも限らない、さらに―、汝なにゆえに(いま私に)現れしかと問お

うとしたとき、緊迫は緩み、そのものの気配も消えた。」

 書くことから、一条の光芒が迸り出る。その光芒は、祖父が見入った曾祖父胤義

の佩刀の刀身と同じく、ある心の動き、なにものか連綿と続くものに向かい合おう

とする心の動きを可能とする。そして、なにものかのことばを聴き取らせるのであ

る。

 「夏館燻製のごとき祖父と立つ」祖父はこの句を「駄句」と呟く。しかし、祖父

と並び立ち祖父の呟きを聴き取らせた句である。


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2004年03月23日

詩論 辻征夫「俳諧辻詩集」について 14

「蛍」

 「噛めば苦そうな不味そうな蛍かな」夏の夜を彩る蛍の輝きは、古くから日本人

に愛好されてきた風物であるが、しかし、そうは言っても蛍は断然、虫なのである。

もちろん、生のまま食べることは出来ないに違いない。古い時代には、あるいは試

みた豪傑もあったかもしれないが。蛍の文学的受容を一切切り捨てたところに、こ

の作品の滑稽味が生じていると思われる。

 詩行にあるやりとりは、この俳句の作者を「土手の野良猫」だとして、「鰹節で

一献さしあげたいと/そいって呼んでおいで」と結ばれる。噺の口調そのままで、

その頓狂な調子がいかにも楽しい。

 私はこの作品も、俳句作品の読み直しによって作られているように思うのだが、

どうだろうか。


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2004年03月22日

詩論 辻征夫「俳諧辻詩集」について 13

「花火」

 「家二軒遠出して見る花火かな」「家二軒」が精一杯の「遠出」だった。そこで

見た花火の何とありがたく貴重な輝きであったことか。花火ははかない。一瞬の芸

術とも言われる。美しく開き、瞬く間に闇に消える。光の後に控える闇が際立つよ

うな一面もある。だから人間の生が重ねられて想起されるとき、そこに死の影がい

つも伴うのである。「家二軒」が「遠出」であるような人の生と「花火」とは、相

対し向き合っているかのようだ。

 詩行は、語り手が「病臥している」母の元へやって来たところから始まる。「戸

をがらっと開けて」とあるから、この家は昔ながらの日本家屋、玄関が引き戸にな

っているのだ。ここから既にある情緒が流れ始めている。「花火見に行こうかおれ

がおぶって行くから」と語り手が誘うが、母は「黙っている」。背負われて行く己

の姿が許せないらしい。そこにこの女性の美学が働いている。かつての気丈な日本

女性の、己の立ち居振る舞いに気遣う美学である。一方に誘ってくれたものを無闇

に断れない情愛もあって、その葛藤が沈黙の背景にある、と考えて良いだろうか。

ほどなく「歩、い、て、い、く」と切れ切れに答える。語り手は理解する。「そう

だよなあ あの母が/背負われて行く姿なんか/ひとに見せるわけがない」

 「浴衣の帯をきりりと締めて」立つ母の姿は美しい。しかし「そろりそろりと歩

いたが/すぐに道端の縁台に腰をおろしてしまった」。俳句にある「家二軒」の解

説にもなっている描写である。並んで坐った語り手は「このわずかな隙間に/花火

の野郎あがらなかったら/もうてめえとはおわりだなってかんがえ」ている。気丈

ではあるがたいそう弱っている母を、川開きの花火に背負ってでも連れて行こうと

する語り手、坐り込んだ母に、どうしても花火を見せてやりたい語り手、この語り

手の必死な思いは、そのまま母の命の有様を伝えて余りある。直後の「それで?」

という一行は、この語り手に聞き手のあることを示すのだが、この一行ある故に、

母の姿は、それまでかろうじて持ち堪えてきたというかのように、たちどころに思

い出の中に溶け込んで行くのだ。ようやく上がった「音のない/薄い花火」ひとつ、

母の姿と相照らし合うと共に、記憶の中に、頷く母の姿と共に永く残る輝きとなっ

た。

 私はこの作品が殊の外好きだ。ここに再現する昭和の町と空気、そこに生きる古

い息遣いをまだ知っている人々の呼気が好きだ。しかし、思うのだ。この親孝行、

本当に生きられたのだろうか、と。私にはここにある時間そのものが、第二の生で

あるかのように感じられてならない。想像的で願わしい、それでいて遠い、第二の

時間と思われてならない。理由は2つ。一つは辻征夫の詩的世界のあり方が、いつ

もそうであるから。もう一つは、語り手に聞き手が居る、という設定があるから。

ここにある世界は語られたものである。語られたものは読まれたものでもある。そ

れは文学的地平に属しているという暗号と理解できるように思うのである。


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2004年03月21日

詩論 辻征夫「俳諧辻詩集」について 12

「夏の川」

 「頭から齧らるる鮎夏は来ぬ」目刺しであれば普通のことだろうが、ある程度の

大きさのある鮎を頭からがぶりといくのは、なかなか豪快な食べ方ではないだろう

か。鮎が解禁になり、釣ったその場で焼いて食べているのであろうか。夏らしい解

放感溢れる一場面といったところか。

 「(友釣りってのは乱暴で/嫌いだから/おれなんかただ川を/見ているだけさ」

釣りの光景ではあるのだが、焦点はすぐさまずれて行き、川面へと移動する。しか

し、彼は何のためにここに居るのだろう。「竿はたしかに出しているけれど/釣れ

なくたってかまわない」彼の釣り糸の先には、友釣りのための魚は付いていないの

だろうか。それとも、魚以外のもの、疑似餌とか、ミミズとか、何かそんなものが

付いているのだろうか。まさか釣り針だけで引っかけようと? 嫌いでも何でも、

やはりやることはやっていて、釣れない自分を「おれなんかただ川を/見ているだ

けさ」と言っているのではないだろうか。俳句と絡ませれば、鮎をがぶりといくと

ころに夏を感じる、という世界がそこに既にある、と考えた方が良い。やっぱり彼

は鮎を釣りに来ているんじゃないか?

 「浮子(うき)よりも 水を見ていて 水の/流れる音ってのは川のもう一つ下

あたりで/おおぜいがなにやら喋っているみたいなんだ」この連綿と続く数限りな

い音のイメージは、『河口眺望』で何度も登場したお馴染みのイメージだ。遠く隔

てられたものの間を、その距離を跳び越えさせる濃度とか、現実から遊離させ、そ

の束縛を解き放つ麻酔の効果を持つ。どちらの場合も、今、とか、現実、といった

世界に重なるもう一つの世界、もう一つの時間を可能にする。ここでも現実の川辺

の釣りの場面に重なって、もう一つの空間が開けてゆく。「川のもう一つ下のあた

り」というのがその空間の現れる位置だ。川の中ではなく、「川のもう一つ下」と

言っているのは、それが現実の空間とは別の次元の空間だからである。会話を交わ

す女の言葉の中にも「あなた いつも川でしょう?/誘えなかったのよ」とある。

彼女は「川」とは別の場所にいて、「川原のおれを見あげて/答えてくれる」ので

ある。

 「そうか じゃこんどは川で/水の中でパーティをしようか/生きている友だち

みんな集まって/火を燃やして―」『ボートを漕ぐおばさんの肖像』の「おばさん」

は過去からやって来た。それは詩人の中の「少年」に呼応する、「少年」を呼び覚

ます存在だった。ここに登場した「女」はいったいどこからやって来たのだろうか。

「生きてる友だちみんな集まって」という一節は気になる表現だ。死んでしまった

友だちは無理だから、という意味だろうか。それともこちら側に居る、つまり生き

ている友だち、ということだろうか。「川で」=「水の中で」パーティをしよう、

というのが「おれ」の提案だ。場所はこちら側の世界だ。だから「生きている友だ

ち」と言ったのではないだろうか。つまり「女」は「死」のイメージを背負ってい

る、ということになる。

 「そうね/それもいいわね/という女の声も/はや川下―)」女の声が流されて

ゆくのは、空間が閉じて、声だけがこちら側の川の流れに取り残され、浮かび、流

されてゆくのだろう。

 「笹舟のなにのせてゆく夏の川」僅かな余韻が残るだけだ。が、しかし、ほんの

一瞬垣間見えた世界、それは「女」の言葉やその存在に、ではなく、あの「生きて

いる友だちみんな」と言ったあの言葉に垣間見えたもの、笹舟が運ぶものは、それ

だ。

 全体として不思議な構成になっている。死んだ魚を豪快にがぶりといく、という

冒頭の句は、生き生きとした世界を持つ。一方の末尾の笹舟の句には、死への思い

がしっとりと流されてゆく。また、その死のイメージは、「死」という言葉からで

はなく、「生きている友だち」という言葉から到来したものである。全体として「

生」と「死」が入り乱れているような印象がある。これこそあの川音の効果と言っ

ていいだろうか。


osakabekenshou at 09:08|PermalinkComments(0)TrackBack(0)
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