契山館 大阪支部のブログ~死後の世界を真面目に考える会~

契山館大阪支部に通うメンバーのブログです。 このブログの内容は会の公式な見解ではありません。 書き込み者の自由な書き込みを期待する為に、内容については原則として支部は干渉していません。誹謗中傷など、誤解を受けるような部分がある場合等を除き、書き込みをする人達の見解を掲載しています。 契山館について知りたい方はこちら 霊に関する総合知識サイト 霊をさぐる http://www.interq.or.jp/mercury/w22525/

旧約聖書の創世記には、最初の人類であるアダムとエバは、蛇にそそのかされて、神から禁じられた善悪の知識の木の果実を食べ、楽園を追放された、とあります。

また、それによって、エバ、つまり女性には産みの苦しみが始まり、アダム、つまり男性には、食物を得るための労働の苦しみが始まった、とも記されています。

これは、古代の人々にもたらされた神話であり、それをそのまま事実として受け取ることはできませんが、そこには重大な真実を示唆する内容が含まれているように思われます。

水波霊魂学によりますと、人類は、最初、幽質という世界にいて、何不自由なく気ままに暮らしていましたが、自由というものに飽きてしまい、高貴な霊魂の忠告を聞き入れず、不自由な物質の世界に下りて、不自由な物質の身体をまとったとされます。

その結果、食べねば生きられない身体となり、動物を殺したり、人間同士で食べ物を奪い合ったり、攻撃的な念を出して、他の人の幽体を傷付けたりするような生命体へと変貌していったということです。

そして、死んでからも、幽質界とは、本来、欲すれば何でも手に入る世界であり、他者と争う必要の全くない世界であり、善悪という概念そのものが存在しない世界であったのに、そこに、争いと、善悪という観念を持ち込んだのだそうです。

そうすると、創世記の記述は、次のように解釈しなければならないということになるのではないでしょうか?

まず、善悪の木の実を食べるよう蛇にそそのかされたというのは、正しくないと思われます。
そもそも、楽園を追放されたのではなく、みずからの意思で幽質界という楽園から出ていったのです。

自分で勝手に出ていって、そこで生きるための労働や出産の苦しみというものを知り、その結果、死んでから、闘争心と、善悪の観念を楽園、つまり、幽質界へ持ち込んだということになるのです。

つまり、己の責任を他に転嫁したり、原因と結果が逆であったりしているということになります。

しかし、それは古代の人々の知性や感性というものに合わせて物語が形成されたということで、楽園を出てしまったことは確かであり、楽園を出たために、人類の苦しみ、不幸が始まったということについては、その通りであると言えるのではないでしょうか?

なお、人は物質の世界において偏った知識を発達させたために、自分が神のごとし存在であると錯覚し、挙句は、神や霊魂や死後の世界を否定するまでになり、無神論、唯物論などというとんでもない観念を生み出してしまったことを考えると、創世記のこの一節は、重要な示唆を与えてくれるように思われます。


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