以前、子供の頃の、夜空の星を眺めた時に陥った、不思議な感覚について述べさせていただいたことがありますが、その体験から10年ほどたったある日、思いがけない死に対する恐れの感情、というより、居ても立ってもいられないような恐怖の衝動が襲ってきました。

その頃は、唯物論(無神論)にどっぷり浸かっており、唯物的な思想に基づいた労働組合活動などの社会活動にいそしんでいました。それがあるとき、一人で物思いにふけっていたときに、突然、思いもよらなかった死への恐怖感が湧き上がってきたのです。

別に、そのとき、何か危険な目にあったからというわけではありません。日頃、宗教を馬鹿にしていた自分であるにもかかわらず、かけがえのない自分が死によって消滅してしまうということに耐えられないという思いが突き上げてきました。

唯物論の見地では、己という存在、肉体はもちろんのこと、心、意識も含めてすべて物質によって成り立っているとされますから、死とともにすべてが消滅するのは当たり前であり、それを受け入れてきたはずなのに、なぜ、そんな思いが出てきたのかはわかりません。

しかし、そういう思いが湧き上がってきて、そのことを思うと居ても立ってもいられないという感じで、それ以上の考えると、気が狂ってしまうのではないかと思うほどでした。

よって、それからは、そのような思いが湧き上がる気配がすると、それを封じ込め、無理矢理、心の奥にしまい込むようにしたのでした。

それは、子供の頃、夜空を見上げながら、広大な宇宙に意識がなくて、人間にだけ高次の意識、自己意識があるのは、おかしい、そんな高次な意識を持つ人間が百年たらずで死に、その意識が消滅してしまうのはおかしい、と思わせた意識が長い年月を経て反撃を開始したのかもしれません。

いや、そうではなく、これは、今までずっと守護霊、指導霊、補助霊方が働きかけてきてくださったことにより、己の意識の中の矛盾が噴き出してきたのかもしれません。

さて、そういうことがあってからは、いったんは死というものに対する思いを心の底にしまい込んだものの、社会運動や政治運動が退潮期に入ったこともあって、今まで抱いていた理想のようなものは色あせてゆき、徐々にそういった活動からは遠ざかっていくようになりました。

しかし、それによってすぐに死後の世界や霊魂に関心を持ち始めたかというと、そうではありません。もう、何をどうしていいのかわからずに、休みになると、ただただ、山を歩き回ったり、誰もいない渓流で釣りをしたりして、無駄な時間を過ごすことになります。

そんな状態が何年か続いたでしょうか、完全に己の人生の目的を喪失したような状態になって、自分の人生はもはやこれまでで、このまま何もしないで死んでいくのかと思い始めたとき、なぜか、突然、「起死回生、9回2アウト、逆転ホームラン」というフレーズが脳裏に浮かびました。

それは、今までもっていた価値観が崩壊し、この世の中に絶望しても、それを一挙にひっくり返すような、もっと価値のある生き方があるのだという思いが心の奥から突き上げてきたのだと思います。

これが、補助霊からのインスピレーションによるものであったとは断定できせんが、唯物論者を自認して死後の世界を拒絶していた私が宗教的、霊的世界に足を踏み入れて行くきっかけとなります。

そこで、目を今まで全く関心のなかった霊的、宗教的な分野に向けてみると、時代は精神世界ブーム、超能力ブームでにぎわっており、一気に霊的なものへ、とりわけ、霊的な修行法というものに関心が向くようになったのです。

しかし、これが、また、インチキや詐欺が横行するとんでもない世界で、何も分からないまま、怪しい世界に迷い込んでしまい、何年も翻弄されることになります。

よって、そこで、また、無駄にお金と時間を浪費してしまい、契山館に出会うことができるのは、まだ、もうしばらく先のことになるのです。

今から振り返りますと、この糸の切れた凧のような紆余曲折のプロセスに対し、守護霊、指導霊、補助霊方には、大変なご苦労をおかけしたに違いありません。改めて、お詫びとお礼を申し上げたいと思います。


風と岩
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