かつては、梅雨というと、シトシトと雨が降り続くような情景をイメージしますが、近年では、今まで経験したことのないような豪雨が降り、それが毎年、どこかで起こっているという状態になってしまいました。そして、それと併せて新型コロナのような疫病も流行しています。

さて、人類は、古代より様々な災害に見舞われてきました。洪水であったり、干ばつであったり、冷害であったり、害虫の大量発生であったり、疫病が流行ったりと様々ですが、それらが原因となって飢饉が発生し、膨大な数の餓死者や病死者を出してきたのです。

我が国の場合は、大量の餓死者は、江戸時代の飢饉による犠牲者しか記憶にありませんが、お隣の中国では、1960年前後に、大飢饉による数千万人の死者が出ているようですし、北朝鮮では、1990年代に大水害に端を発する大規模な飢饉が発生し、百万人単位の犠牲者が出たということです。また、アジアのみならず、アフリカなどでも、恒常的に飢えに苦しんでいる人がいて、多数の餓死者が出ているようです。

このように、人類は絶えず災害に苦しめられてきたのですが、気になるのは、これらの災害が局地的、単発的なものではなく、世界的で、同時多発的になってきたことです。

実は、このところ、中国を中心としたアジア各地、そして北米などでも「過去数十年から数百年に一度」というような大雨や洪水が発生し続けているようなのです。

これは、今年だけの現象ではありません。去年も、一昨年も、その前もそうだったのです。すべてにおいて一過性ではなく、規模を拡大させて繰り返されているのです。

そうなると、来年も、再来年も、その先も、ずっと繰り返されるのでしょうか? 毎年のように、世界中が、一斉に洪水状態になるのでしょうか?

とにかく、地球に異変が起こり、気象が大きく変わったことは確かですが、同時に進行している、新型コロナの世界的な流行による経済封鎖、そして、アフリカ、中東、インド、中国などの20か国以上の国でのイナゴ数千億匹の大発生などを併せると、世界規模の食糧危機が心配されます。そして、また、おびただしい餓死者が出ることが危惧されるのです。

そうなったら、お金さえ払えば美味しいものが食べられるとして、大半の人が飢えの心配などしていないと思われる日本も、実は、大部分の食糧を外国からの輸入に頼っている国ですから、たちまち食糧が枯渇し、飢の苦しみに喘ぐことになるはずです。

さて、人は偉そうなことを言っても、食べなければ生きられない存在であることを改めて思い知らされます。人は、美味しいものを食べることの喜びがある一方、食べられないことによって大きな苦しみを味わう存在でもあるのです。

文明社会においても、突然、飢えの苦しみというものがやって来る時代だとしたら、今一度、人は、食べるということの根本的な意味を考えてみる必要があるのではないでしょうか?

生命を維持するために食べるのみならず、より美味しい食べ物、より珍しい食べ物を求め続けて飽くことを知らない現代人は、食べるということが、他の生命体の命を犠牲にしていることを再認識する必要があると思います。

食べるという行為は、矛盾した行為なのです。他の生命体を食べて己が生き残ることだからです。

これは人という霊的生命体の本来のあるべき姿ではありません。人は、本来、ものを食べる必要のない生命体だったのです。それを、わざわざ、食べなくても生きられる幽質の世界から食べなければ生きられない物質の世界へ入ったのです。

これは他から強制されたことではないのです。人類がみずから蒔いた種であり、みずから刈り取らなければなりません。

この矛盾は、ただ単に死んで幽質の世界へ帰れば解決するというものではありません。この世で生きているときから、死んだあと上の世界へ入れるよう幽体の活性化に努めるとともに、死んでからも、さらなる霊的な成長を図ることによって、二度とこの世、この物質の世界に生まれて来ないようにしなければならないのです。

とにかく、今こそ、人類全体が、食べなければ生きられない世界に生きるという矛盾について、さらには、この世で生きることの意味と価値について深く考える時期が来ているではないかと思います。


風と岩
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