10人の人が、目の前のテーブルに置かれたリンゴを眺めていました。

テーブルには、赤くて美味しそうなリンゴが置かれていました。

10人の人に、テーブルの上にある物体の存在について、何があるか尋ねました。

10人の内、9人は、赤いリンゴが存在していると言いました。

一人だけ、何も存在していない、テーブルの上には、何も無いと言いました。

次の10人のグループに入れ替わりました。

さっきのグループと同じ問題を出しました。

テーブルには、同じ様に赤いリンゴが置かれていました。

10人の内、9人は、何も存在していない、テーブルの上には、何も無いと言いました。

一人だけ、赤いリンゴが存在していると言いました。

最初に、私は、赤いリンゴが置かれていましたと言いました。

赤いリンゴは、確かにテーブルの上にありました。

人が見えているという割合、見えていないという割合に関わらず、赤いリンゴが置かれていました。

現代、多くの人々は、神を居ないと言います。
それは、人が認識しているかしていないかの割合の違いでしかなく、そこに神は確かにいらしたのでした。

人が神を認知しようとする限り、神の存在は分かりません。

神が人を認知しようとする方法があれば、それは、人も認知が可能なのでした。

それが、神伝の法でした。

のるか&そるか

↓ブログランキングに参加中。ご協力お願い致します。