人は、自分自身の事を、私と言います。

僕と仰有る方もいらっしゃるそうです。

私は、とても大切です。

私は、人との違いを見付けられます。

私は、社会との距離感を見付けられます。

私があって、初めて人はそこ以外の事象を認識できます。

私という概念が、それぞれ違うからこそ、その相違によって、争いや戦争までもが生まれるそうです。

では、問います。

私とは、何でしょうか?
本当に、それは存在したのでしょうか?

もしかしたら、私だと認識していた者は、私ではなく、誰かの作り出した幻だったという事は無いでしょうか?

誰が、それを証明してくれるのでしょうか?

私以外の他者でしょうか?
その他者は、果たして存在するのでしょうか?
その他者だと認識していた人も、もしかしたら、誰かの作り出した幻では無いのでしょうか?

もしかしたら、私だと認識していた人も、他者だと認識していた人も、誰かと認識していた人も、それは、たった一つの意識の作り出した破片に過ぎなかった可能性はないでしょうか?

答えは「分かりません」が正解です。
この問いに答えを出せる人間は居ませんでした。

人は、自分自身の視点でしか物事を判断できません。

神様は居ないとか、目に見えるものが全てだとか、そうした概念で「私」を埋め立てる時、その時、人はまた一回り、矮小になっていくのでした。

「私」を越えた時、初めて人は、大きな視点から人を認識できるのかもしれません。

契山館 広報部のYouTubeチャンネル


のるか&そるか

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