一般社団法人契山館・大阪支部ブログ   ~死後の世界を真面目に考える会~

一般社団法人契山館大阪支部のメンバーのブログです。 このブログの内容は、会の公式な見解ではありません。書き込み者の自由な書き込みを期待するために、内容については原則として支部は干渉していません。誹謗中傷など、誤解を受けるような部分がある場合等を除き、書き込みをする人達の見解を掲載しています。

Category: 私の宗教遍歴

11.古神道を求めて

四柱推命の占い師のSさんのアドバイスを受けて、自分なりに修験道を学びたいと思いました。
それまで修験道の先生から信仰や修行の大切さを学んできていたので、やはり難しい教義とか教えだけを頭で理解する信仰ではなく、修行などの実践を通して生きた信仰を教えてくれるところを探したいと思いました。
そして、信仰を教えてくれて、修行も教えてくれて、霊的なことも教えてくれるところは、やはり修験道しかないように思い、祖父が信仰していた大峰山に行ったり、修験道のお寺や不動明王を本尊とするお寺に行ってみたりしました。

お寺の護摩焚きに行った時、他のお経の時はあまり声を出さない年配の方が、不動明王のご真言になると急に背筋を伸ばして声をはりあげて唱えている姿を何度も見て、私はなぜインドが起源とされている不動明王が日本人にとても人気があるのか、いつも不思議に思っていました。
だから、日本人にとって不動明王はインドの神さまではなく何か別の存在なのではないか、不動明王は人々にご利益を与えると言われているけれどその力の本当の意味は何か、不動明王の信仰の先に本当のことがわかるのではないか、と思ったのでした。

その少し前、奈良の吉野山にある修験道のお寺に行って蔵王権現のお姿を見た時、その迫力のあるお姿にとても感動したことがありました。
それを思い出して、蔵王権現とは何だろう、不動明王とどう関わりがあるのだろうかと思い、権現の意味を調べてみると日本の神さまのことであることがわかりました。
その時に修験道は仏教と神道が融合したもので、今まで仏教にこだわって勉強してきたのだから、これからは神道の世界を学んでみたいと思いました。
また、修験道の先生が古神道の世界が最もすばらしいと言っていたことを思い出し、先生が暴風神と言っていたスサノオの神さまを求めて探していけば何か見つかるかもしれないと思いました。

そして、まず神道の本を読むと、古事記がとても素晴らしいことや、神道の中に禊や鎮魂などの修行法があることがわかりました。
次に祝詞を読んでみると、多分スサノオの神さまのことが書かれているのではないかと思う祝詞に何か力強さを感じて、ますますスサノオの神さまのことを知りたいと思うようになりました。
でも、どうやって神道の修行法やスサノオの神さまのことを教えてくれるところを探したらいいのかわからなかったので、とりあえずスサノオの神さまをお祀りしている神社に行ってみることにしました。

最初奈良にある大きな神社に行ってみました。
神社に行ったところでどうしたらいいのかやっぱりよくわからなかったものの、お参りした時に、
「本当の信仰と本当の修行を教えてくれるところに出会えますように。」
と祈願しました。
その後すぐに、何となく以前から気になっていた近所のスサノオの神さまをお祀りしている神社に行きました。
その神社の行事案内を見た時、“節分祭で護摩焚きをします”と書かれていて、神社でも護摩焚きが行われることを初めて知って驚きました。
そして、護摩焚きが行われるのは、お寺では不動明王、神社ではスサノオの神さまをお祀りしているところであることに気付きました。
だからその時、もしかしたら仏教の不動明王は、日本人にとってインドの神さまではなく、日本のスサノオの神さまなのかもしれないと思いました。
そういえば海、水、風、龍など共通しているものが多く、どこかイメージが似ていることにも気付いて、私が求めている方向性は間違っていないような気がして嬉しくなりました。
そして、奈良の神社にお参りした時と同じように、
「どうぞ本当の信仰と本当の修行を教えてくれるところに出会わせて下さい。」
と祈願しました。
その後境内から空を見上げて、何とか出会えないものだろうか…出会えたらいいのだけど…と大きなため息を付いたことを今でもはっきり憶えています。

そして、それから数日後に、私は霊魂学のホームページに出会ったのでした。
11 古神道を求めて

文章:こすず、絵:しずく
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10.四柱推命の占い師さんに見てもらって 

息子の幼稚園のママ友にヒーリングをしてもらったすぐ後に、今度は当時小学生だった娘の習い事で知り合ったママ友Aさんが自分の家で開いているという料理教室に誘われて行くようになりました。
それまでPTA活動にも熱心そうなAさんを見て、私はAさんとは合わないと思っていましたし、Aさんも私に話しかけてくることはありませんでした。
それがある時、突然Aさんがお化粧をしておしゃれになっていたのに驚いて、
「どうしたの、今までと全然雰囲気が違うけど何かあったの?」
と私が聞いたことから、Aさんがそれまでと全然違って”フレンドリー“な感じで料理教室に誘ってきたのでした。

初めてAさんの料理教室に行った時、実はそれが一時ネズミ講で有名になった調理器具を販売する団体ということがすぐにわかりました。
「子供のためには安全で美味しい料理を作ってあげることは大切よ。それに母親がきれいであることも。だから私はきちんとお化粧もすることにしたの。」
とAさんは言っていましたが、それは全て勧誘活動で、だからAさんが急に私に対してフレンドリーになったのかと何だかすごく納得できました。
でも、高価な調理器具を買うつもりはなかったものの、子供の関係もあって断り切れないまま、何となくズルズルとAさんの家に通うようになってしまいました。
Aさんの家では料理教室だけでなく、その団体の仲間の方たちといろいろな活動をしていて、次から次へと誘われるのでもう断らなければと思っている時に、Aさんが、
「今度私の知り合いで占いをしてくれる方が来るからぜひ見てもらって。とにかくすごいから。」
と言われて、断るのはその方に会って占いをしてもらってからにしようと思いました。

Aさんの家で占いをしてくれるというSさんに初めてお会いした時、
「私は霊的なことに興味があるんです。どうやったら学べますか?」と聞くと、
「お見受けしたところ、あなたは霊能力の世界に関わる強さはないと思うわ。せいぜい育児を一生懸命することね。」
と言われて少しショックを受けたものの、確かに私には霊能力の世界は無理だろうなと思いました。
Sさんは50代後半ぐらいの女性の方で、自分にとっての神(日本の神々)を求めて生きていて、占いは人々のために少しでもお役に立ちたいから行っているということでした。

その次にSさんにお会いした時、四柱推命で占ってくれて、
「私は何を求めていけばいいのか迷っています。今は、霊的なことを知りたいのでスピリチュアルの方に行けばいいのか、それとも今までやってきた仏教にこだわって修験道の方に行けばいいのか迷っています。私はどちらを選べばいいですか?」
と聞いてみたところ、
「あなたは宗教を求めているわね。修験道の方に行きなさい。そうすれば恐らくしばらく経ってから、必ずあなたがやりたいと思っていたことが見つかります。あー私はこれがやりたかったんだと、心から思えるものに必ず出会えます。あなたに合うのはスピリチュアルではありません。」
と言われました。
その頃このまま何も見つからなければどうしようと不安になっていたので、私はそれを聞いてとても嬉しくなりました。
そして、「私は宗教のことを人に言えるようになりたいんです。宗教は人生で大切だから、宗教を学ばないといけないと人に言いたいんです。」と言うと、Sさんは、
「誰もあなたの学んできた宗教の小難しい詰まらない話なんて聞きたいと思っていないわ。人に言いたいというのはあなたのエゴよ。そうではなく、自分が宗教を学んでよかったと思ったことや、感動したことを人に伝えるようにしなさい。人と宗教をつなぐ橋渡しをすると思えばいいのよ。橋渡しならできるはずだし、勇気を持って思い切ってやっていけばどうかしら。」
とにこやかに答えて下さいました。
10 四柱推命の占い師さんに見てもらって

それからしばらくして、占いが好きだというママ友を誘ってSさんのご自宅に遊びに行きました。
私の家族やママ友の家族を四柱推命で見てもらった後、Sさんのこれまでの人生のお話などを聞きました。
Sさんは若い頃仕事で成功したことや、今は子供さんも成人しご主人とも離れて暮らしていることなど話してくれて、
「50才になるまでは世俗的なことを精一杯やって、50才になったらそういうものから自由になって、神を求めて生きようと決めていたのよ。」という言葉が心に残りました。
占いや信仰的なお話しもしてくれて、私はそんなSさんの元で信仰のことを学びたい気持ちになりましたが、Sさんはお弟子さんは取らないということでした。

そして、それからはAさんの家にはSさんが来る時だけ行くようにしました。
そんなある時、Aさんから電話がありました。
「最近あまり来なくなったわね。どうしたの?」と聞かれたので、
「ごめんね。私はあなたがやっているところに入る気はないの。でも、Sさんの来る日だけお話を聞きに行きたいと思ってるんだけど。」と返事をすると、
「あ、そうなの。なら来ないで。入る気がないんだったら、もううちには来なくていいわ!」
と強い口調で言われて、私は内心ホッとしながら、「わかりました。」とだけ答えたのでした。

それからしばらくして今度はSさんからメールがありました。
「最近お見かけしないけどどうしたの?体調でも悪いの?」
と心配してくれていたので、Aさんとのやり取りを書いたメールを送ったところ、
「そうだったのね。何かあったらいつでも私の事務所に連絡してね。お元気でね。」
とSさんから返事がありました。
結局SさんはAさんの入っている団体のOGのような存在で、私もAさんのところに行かなくなるとSさんと関わることはできないことはわかっていたので、お世話になったことのお礼のメールを送って、Sさんとお別れしたのでした。


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9.スピリチュアルが好きな方に見てもらって

とうとう仏教の世界から離れてしまってこれからどうしようかと思ったのですが、何だか自由になったような気もして、とにかく自分なりに納得できるものを探したいと、少し信仰や修行などの宗教的なことから離れたくなってスピリチュアル関係の本を読むようになりました。

仏教に比べて明るくて軽いという印象があって、どれを読んでも新鮮でした。
少しの間ですが、“ありがとうが大切”と書かれた本にはまってしまって、ありがとうという文字が入ったグッズも買って、家族から呆れられたことがありました。

そんなある時、息子の幼稚園で知り合った保護者の方と公園で子供を遊ばせながら話していた時に、突然彼女が自分は霊能力を持っていると話し出しました。
話している途中に彼女が、「ちょっと待って、聞いて見るから。」と斜め上を向いて誰かと話している様子になって、その話した内容を教えてくれたりして、誰と話してるんだろう、それは本当だろうかと少し疑問に思いました。
でも彼女から、幼い頃から霊感があって今は人にヒーリングをしていると聞いて、ヒーリングってどんなものだろうかと以前から興味があったので、彼女のヒーリングを受けてみることにしました。

彼女の家に行って、彼女や私の子供は彼女と同居している実のお母さんが見てくれるということで預けて、彼女の”仕事部屋”に案内されました。
彼女の右手の上に私の左手をのせて、
「さあ、どうぞ。何でも聞いて。」
と言われたので、やっぱり家族のことを聞くのがいいかなと思って、主人のことや3人の子供のこと、実家の母のことなどを次々聞いていきました。
普通の占い師さんのように生年月日を聞くわけではないのに、彼女は私の家の様子や家族に関することを次々と言い当てていき、こんなに霊能力っていろいろなことがわかるものなのか…と本当に驚きました。
時々彼女の側にいるという見えない存在に私の質問の答えを聞いていて、私は相変わらず彼女は誰と話しているのだろうかと思いながら、彼女の様子を見ていました。
9 スプリチュアルが好きな方に見てもらって

でも、私が10代の頃心がとても苦しかったのはどうしてかという一番知りたいことを聞いた時、しばらく考えた様子をした後、
「先祖の浄霊をする必要があるように感じるのでやってみるわね。」
と、数分間目を瞑って何か祈っている様子になりました。
「はい、終わったわ。もういいわよ。」
と言われたのですが、その時、そんなに浄霊って簡単にできるものなのだろうか、何だかおかしい…と、とても疑問に思いました。

実は修験道の先生から、修行をしていない霊能力者は偽物で、本当は霊的なものは見えてはいけないと何度も聞かされていました。
私もそれまで何人か霊能力があるという方に出会ったことがあるので、本当にその通りだと納得していたつもりでした。
でもその時は修験道の先生から離れていて、霊能力があるという方の霊能力が本当はどんなものなのか確かめてみたいという気持ちもあって、彼女に見てもらったのでした。

彼女は自分のことをスピリチュアルヒーラーと言っていて、私は彼女から、
「ご主人も子供さんもあなたの愛が少ないから寂しがっているわ。もっと愛情を持って接してあげて。」
というアドバイスをもらいました。
そしてヒーリングが終わってから、母親の愛情の大切さがわかるという本を勧められて、その本を買って帰宅したのでした。

彼女のヒーリングを受けて、やっぱり私は愛が少ないのね…と反省して、帰宅してからさっそくその本を読み始めました。
途中読んでいて、「おねしょは母親の愛情不足が原因で起こる。母親が子供を抱きしめてあげれば、おねしょはすぐに治る。」と書かれたところに違和感を持ちました。
ちょうどその頃私の仲の良いママ友から、小学生の子供さんがまだおねしょが治らなくて悩んでいると聞いたばかりで、私はそのママ友がとても愛情不足に思えなかったので、何でも母親の愛情不足のせいにしているこの本はおかしいと思って読むのをやめました。

それにその日のヒーリングの内容を振り返ってみると、確かにいろいろなことを言い当てる彼女の霊能力はすごいと思いましたが、家族がどうとか家の中の様子がどうとか参考にはなったものの、何だかどうでもいいことのように思いました。
そして、そんなことしか言い当てることができない霊能力者ではなく、もっと人生のことについて本当のことを教えてくれる大霊能力者のような方がどこかにいないだろうか、もしそんな大霊能力者のような方に出会えたら私はその方についていこう、と強く思ったのでした。

その後、彼女に会うことがあっても、何となく彼女のことを避けるようになりました。
結局は彼女のアドバイスが”愛”に偏っていてついていけない気がしたこと、何となく彼女に自分の弱みを握られてしまったように感じたこと、何よりも彼女と話しをすると心が重くなることに気付いたからでした。
後日幼稚園の保護者の方の中で、私と同じようにヒーリングしてもらった方から、
「身近なことを言い当てられて、ちょっと怖くなった。」
と聞いて共感したり、別の方から、
「彼女って何か霊能力があるんでしょう。その霊能力でいろいろ見てくれるって聞いたけど、私は自分の醜い心を見られるのがイヤだから彼女に見てもらうのは遠慮するわ。」
と明るく言われて、霊能力と聞いて飛び付いた私と比べてそんな風に言えるってすごいし、それが霊能力を持つという方に対する態度として正解なのかもしれないなと思ったりしたのでした。

この出来事の5ヶ月後に私は霊魂学に出会いました。
そしてその数カ月後に、自称ヒーラーの彼女と対立する出来事が起こりました。
その時のことは、次の「霊魂学に出会って」の中で書きたいと思います。


文章:こすず、絵:しずく
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8.真言宗のお寺に通って

すっかり新興宗教に懲りた私は、やっぱり真面目に信仰を教えてくれそうな伝統宗教に戻った方がいいのではないかと思いました。
ちょうどその頃お寺の大きな行事がある時期で、近所の真言宗のお寺で行われていた大きな護摩供にこっそり行ってみました。
護摩行の大太鼓の音や不動明王のご真言を聞いて嬉しくなり、護摩行が終わって参拝者が帰った後、僧侶の方が御本尊の前で静かに読経する姿や、御本尊に向かって真摯に礼拝する姿に感動して、私もご本尊の前に座って仏教に戻ろうと反省しました。

そして、以前から修験道の先生から紹介されてお世話になっていたそのお寺の僧侶の方に相談に行きました。
「私は修行と信仰の世界が好きなんです。でも、これから修行や信仰を学ぶためにどうしていったらいいのかよくわからないんです。」と言うと、
「瞑想をやってみなさい。そうすれば、今までやってきたことが一つにつながって、見えてくるものがあるでしょう。」と答えて下さいました。
その時僧侶の方は、瞑想が一番大切な修行であると教えてくれました。
8 真言宗のお寺に通って

そのお寺では毎月一回瞑想行が行なわれていました。
読経から始まり、瞑想、僧侶の方の法話などがあって、私は瞑想そのものは相変わらず雑念ばかりでよくわからなかったのですが、いつも参加するのがとても楽しみでした。
瞑想行に参加していたのはそのお寺によく来ている年配の方がほとんどでしたが、時々30代や40代ぐらいの男性の方が来ていることがありました。
その方たちは、瞑想に興味があって、ネットで「瞑想」と調べて参加したということで、中には、瞑想行は朝早くから始まるのにもかかわらず、遠方から車で数時間かけて参加したという方もいて驚きました。
そういう方たちを見ていて私は、宗教は嫌われているというけれど、やはり若い方の中にも宗教を求める方がいるのだと嬉しくなり、みんなそれぞれ自分が納得できる宗教を見つけることができたらいいなと思いました。

またそのお寺では、瞑想行の他にも護摩行や写経など一般の方々が参加できるいろいろな行事が行われていました。
私が一番好きだったのは護摩行で、護摩行の太鼓の音に合わせて他の参加者の方々と一緒にお経をあげる時間はとても楽しかったです。
多分他の人から見たら私はとても熱心な信者に見えたと思うのですが、私はその延長上に何かわかることがあるかもしれないという思いがあって、その頃下の子が幼稚園に通うようになって時間の余裕ができたので一生懸命参加していたのでした。

そんなある時、私と同じ年代の女性の方がその僧侶の方を慕ってお寺に来るようになりました。
彼女はご主人のことで悩んでいるということでしたが、私にとっては話し相手もできて、それからは時々ですが一緒にお寺に行くようになって、お寺の大きな行事がある時にお手伝いをする奉仕行にも参加するようになりました。
奉仕行は主に行事の前に行なう準備や清掃でしたが、行事の裏方の仕事もできるようになって嬉しかったです。

そして、お寺に通うようになってちょうど一年が経った時の大きな行事の護摩行では、その行事の裏方のスタッフとして参加しました。
前日の準備のお手伝いから当日の諸々のお手伝いまで張り切って行ない、行事が終わった後の反省会にも参加させていただき、そこまで深くお寺の行事に関われたことをとても嬉しく思いました。
でも反省会が終わって帰宅しようとお寺の境内を歩いていた時に、自分でもよくわからなかったのですが、何となくふと自分の中でやり切ったような、仏教はもういいのではないかという気持ちになっていました。
そして、それを最後にお寺に足が向かなくなってしまったのでした。

それからしばらくして、お寺で親しくなった方から電話がありました。
「どうしたの?急にばったり来なくなったから、みんな心配しているわよ。」
と言われて、私は返答に困って、「またそのうち行くわね。」とだけ答えました。
その後、修験道の先生のところに通っていた昔の職場の友人からも電話がありました。
「どうして先生のところに来なくなってしまったの?」と聞かれて、
「先生のところだけではなくて、お寺に行くこともやめたわ。何か仏教っていろいろ難しい教義があってとても深い教えのように感じるけれど、結局最後は先生もお寺さんも愛や感謝の心を持ちなさいとお説教をするだけで、もしかしたら得るものが何もないんじゃないかと疑問に思ってしまって…。」と答えました。
「ふーん、何だか厳しいことを言うのね。よくわからないけど仕方がないわね。でも、私は仏教をやめる気はないかな…。」
という会話をしたのでした。

お寺から離れた理由はいろいろありましたが、大きな理由としては昔の職場の友人に話したことの他に、信仰や修行のことを深く学びたいと思って行事に参加しても、行事の目的が先祖供養で毎年同じことを繰り返すだけのように思ったことや、修行といっても僧侶の方が行なうことを見ているだけで神仏の存在を感じることができないように思ったことなどでした。


文章:こすず、絵:しずく
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7.新興宗教に入会して

修験道の先生の元を離れる少し前から、仏教の世界にしんどさや重苦しさを感じるようになっていました。
人には因縁とか罪業というものがあり、それを解消するために先祖供養を行なったり、先祖に感謝したりすることが本当に正しいのかどうかとても疑問でした。
それに霊魂についてもわからなくて、人生の不幸の霊的な原因が本当に先祖の霊障によるものなのか、先祖だけではなく悪霊という存在もいるのではないか、もし悪霊がいるとしたらどんな存在なのか、ということも知りたいと思いました。
そして、以前から気になっていた霊的なことも教えてくれそうな神道系の新興宗教にお話を聞きに行きました。

その新興宗教に電話して一番近いところの集会所を紹介されて行ったのが、大きな街の中のマンションの一室でした。
私より少し年上そうな男女の方が応対してくれて、その宗教についていろいろ説明してくれました。
その中で一番心に残ったのは、神道の世界はとても素晴らしく、とにかく仏教は神道よりも低い宗教だということでした。
仏教を学ぶことに疲れを感じていた私にとって、その言葉はすごく明るくて救いがあるように感じて、新興宗教はお金がかかるのではないかという不安があったのですが、説明してくれた方から年会費は安いと強調されてとりあえず入会しました。

新興宗教に入会したのは、信仰や修行や霊的なことを学びたかったからですが、もう一つ理由があって、それは修行仲間がほしいという気持ちがあったからでした。
修験道の先生のところには私以外にも何人か来ていて、その中には私が紹介した昔の職場の友人もいたのですが、いつも別々に先生のところに行っていたので、一緒に何かするということはほとんどありませんでした。
だから、先生のところに行くのはいつも一人でしたし、お寺の護摩行などに行くのもずっと一人でした。
それぞれ抱えている問題や求めるものが違うのでそんなものだとずっと思っていたのですが、ある時、いつものようにお寺の護摩行に参加した帰り道、なぜか急に寂しくなって、信仰や修行のことを話せる仲間がほしいと心から思ったことがありました。
その頃時々街で新興宗教らしき方々が連れ立って普及活動をしているのを見て、うらやましいと感じるようにもなって、宗教団体に入ることに興味と憧れを持っていたのでした。

そして、週末に主人に子供を任せて、そのマンションに通うことにしました。
初めて行った時は、神さまに祈ることやそのための簡単な作法も教えてくれて、信仰にも熱心な雰囲気を感じてとても新鮮でした。
でも、帰る時になるといつも必ず何かの行事があると言われてお布施をしなければならず、また大きな行事がある度に、かなり高額のお布施をしなければならないこともわかってきて、すぐに疑問を持つようになりました。
何より信仰について、言っていることとやっていることに大きな矛盾を感じました。
仏教が低いと言いながら、行事の時は仏教のやり方で先祖供養をしているように思えて、その時私は初めて先祖供養は宗教の資金源になるということに気付いて少しショックを受けました。

その他にもいろいろおかしいと思うことがあって、結局数回行っただけでやめる決心をしました。
そして、電話で、「やめます。」と私を担当してくれていた女性に伝えました。
「どうして?」と聞かれたので、一番引き止めることができない理由ではないかと思って、「やっぱり仏教を勉強したいからです。」と答えました。
私が電話を切ろうとすると、
「あ~、因縁に引っ張られる~。」と少し叫ぶような感じで言われて、心の中でそれも仏教の言葉だけど…と思いながら、
「かまわないです。私は仏教が忘れられないんです。」
と仏教を強調して電話を切ったのでした。
本当は、お金の面でとてもついていけないと思ったのが正直な気持ちでした。
7 新興宗教に入会して

文章:こすず、絵:しずく
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