高野街道・西高野街道

2019年01月04日

西高野街道の面白さ

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2019年1月2日のGPS記録地図画像
歩行距離は引き返した部分も含めて約20km


★ 西高野街道の面白さ
◆ 里程石がきちんと並んでいる
◆ 2車線に満たない細道が多い
◆ くねくねと曲がった道が続く
◆ 分かれ道があって寄り道したくなる


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堺市から河内長野市までにある 5基の里程石
江戸時代に造られた石碑は書体も見事です



それでは西高野街道の要点をどうぞ!

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南海・堺駅の南にある 南蛮橋
西高野街道は、ほぼ南蛮人像が眺めている方向でしょう


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西高野街道の起点
大小路筋と紀州街道との交点
昨年の元旦はここから竹内街道を歩き始めた 


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堺駅南口交差点にある道標
歩道橋が撤去されたので見えやすくなった


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榎本町で街道が分岐する
左は竹内街道 右は西高野街道
写真右にあるのは 高野山女人堂十三里石 で、ここから 高野町神谷一里石 まで13本が欠けずに現存していて、 西高野街道の行程約19km の間では、その内の5本を見ることができます。


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榎橋歩道橋を渡る
仁徳天皇陵 ( ? ) の見える場所.
“ 西高野街道 ” 案内あり


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西高野街道を示す新しい道標
堺市内には多数建てられている


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百舌鳥のくす
西高野街道沿いにあるのを初めて知った。
9月8日に行われた 「 大阪府下有数の楠を訪ねる 」 といイベントウォークで見た時には幹が折れ落ちた状態のままだったので、その後の様子を見に立ち寄ったのですが折れた幹に直撃された建物には特に壊れた箇所は見当たらなかった。


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白鷺公園
凧あげ を眺めながら昼食休憩


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白鷺公園の クロガネモチ
年賀状用に撮ったのですが
実際に使ったのは尾張坂下にあったものです


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十二里石のある風景


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魅惑の分かれ道
ここにも古い道標が建っている。
右 かうや 大みね 
左  たきだに 金剛山


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ナンテン
年賀状に使うにはまとまりが悪かった


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ここも 魅惑の分かれ道


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こんな道がずっと続いている


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十一里石がある風景
矢印が進行方向なのでふり返って撮影


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岩室歩道橋の先へと街道は続く


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天野街道との分岐点
右への天野街道も魅力ある街道です。
分岐点に建つ道標もすばらしい


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おわり坂 ( 尾張坂 ) を下る
年賀状には坂の下にあったクロガネモチを使った


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ピラカンサもなかなか良い


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十里石のある風景


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中高野街道との合流点
矢印が進行方向なのでふり返って撮影


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ムードの良い道が続く


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巡礼道との交差点にある道標2基
自然石道標なので意識しながらでないと見逃しそう


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九里石のある風景
河内長野駅までは近い


★ 今回の西高野街道歩きには
大阪府/歴史街道ウォーキングマップ ――

http://www.pref.osaka.lg.jp/doroseibi/kakusyusesaku/rekishikaidou.html
―― からダウンロードしたものを使用しました。
しかし、その地図には何故かこの九里石のある道は通らない1本北の道が図示されています。なのでいったん河内長野駅そばまで行ってから引き返して撮影しています。


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東と西の高野街道合流地点にある石碑
左端に見える階段は河内長野駅へのもの


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高野街道の合流点を表す石碑
西高野街道に中高野街道が合流 したのち、河内長野駅付近で 西高野街道と東高野街道が合わさって高野街道 となって紀見峠を越えて和歌山へと道は続く



osakawalker at 11:51|PermalinkComments(0)

2010年01月18日

高野街道の六里石から十三里石までの行程地図

cc07e39a.jpg画像:1月17日の行程地図
☆1里ごとに里程石がある街道☆
 以前に堺東駅側から西高野街道〜高野街道へと歩いた事があったので、昨日の17日は紀見峠から堺方面へと逆向きに歩いてみました。
 1度歩いただけということもありますが、逆向きだと何度か進行方向が分からなくなって、3ヶ所で道を間違えました。
1番のミスは、国道371から三日市町駅へと入る旧道に気付かなかったので、「八里石」を見つけられずに通り過ぎてしまったことです。
時間に余裕がなかったので詳しくは探さず先へ…
目標の「十三里石」にたどり着いたのが17時16分で、その後じきに暗くなったので一応先を急いだ判断は正しかったといえますが、少し残念。

前回も感じたことですが、西高野街道は不思議とゆったりとしたムードがあって気持ちのいい街道歩きができました。

以下、17日の行程記録です。
紀見峠駅…………………………………9:00
六里石(紀見峠)………………………9:30
七里石……………………………………10:31
国道を進んでしまって八里石見落とし
三日市町駅………………………………11:54
河内長野市立郷土資料館………………12:07
河内長野駅着……………………………12:58
駅前ビルで昼食約30分
九里石……………………………………13:39
十里石……………………………………14:27
天野街道分岐……………………………15:12
十一里石…………………………………15:20
十二里石…………………………………16:16
十三里石…………………………………17:16
堺東駅(終点)…………………………17:30

※詳しい高野街道、西高野街道の案内地図は、
「大阪府 歴史街道ウォーキングマップ」
http://www.pref.osaka.jp/doroseibi/kakusyusesaku/rekishikaidou.html
からダウンロードできますのでご参考にどうぞ!
※天美駅から美加の台駅までの高野街道(国道371号)は歩道の無い部分が多いので、川の対岸を通る遊歩道を歩きました。


osakawalker at 23:17|PermalinkComments(2)TrackBack(0)

2010年01月17日

南海紀見峠駅から堺東駅まで歩く

0efbba47.jpg写真:1月17日12時7分
場所:河内長野市日東町16-17
☆河内長野市立郷土資料館前の道標☆
 今日は南海紀見峠駅から歩き始めて高野街道を北へと向かい、河内長野駅からは西高野街道を堺方面へと歩いてきました。
 紀見峠に「高野山女人堂江六里」と刻まれた道標があって、そこから堺東駅近くの「高野山女人堂江十三里」道標までの7里(約27.5km)を中心に、上写真の市立資料館への寄り道(約2km)や道間違いなどを加えて30km以上歩いただろうと思います。
かなりしんどかった。
歩き始めの紀見峠の上り下りは、日陰に残った雪や霜やらで、キーンと空気が冷え込んで、ほとんど一気に歩き続けても汗が出てこないほど…
これまでなら、山道を10分も登り続けると汗ばんだんですけどね〜。
霜が降りるとさすがに冷える。

それでも今日はほとんど1日中晴れていたので、日中には平地を歩いていても、陽射しを浴びると背中の方が汗ばみました。
上着を脱ぐとクシャミが出て、本当に今の時期は体温の維持が難しいです。

上写真には道標は4基ですが資料館前には全部で5基ありあます。
興味のある方は、何かの折にどうぞ。
三日市駅前にも2基あります。

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2009年06月04日

西高野街道/竹内街道・街道分岐点

add5122a.jpg写真:5月31日14時1分
場所:堺市堺区榎本町4
―主要三街道が通る場所―
 大小路は堺東駅前を通る堺中央線(30号線)との出合までですが、竹内街道は南向きに進路を変えジョルノビルを過ぎて2つ目の信号のある新町交差点で左折、大通り(30号線)からそれて静かな住宅街へと入って行きます。南海高野線の踏み切りを渡り、道なりにしばらく進んだ所で出合うのが上写真の街道分岐点。
左へ進めば竹内街道、右は西高野街道…それぞれの街道案内が分岐点にある石版に刻まれてあります。
実はここは熊野街道も通っていて、ここに至る少し手前で竹内街道に合流した熊野街道は西高野街道と同じ方向(右)へと300mばかり重なりながら仁徳天皇陵まで進んで西高野街道は左、熊野街道は右へと分岐します。
その街道毎の道筋は、大阪府 都市整備部 交通道路室のHPからダウンロードできますので興味のある方はご覧になって下さい。
アドレスは以下の通りです:
http://www.pref.osaka.jp/kotsudoro/kaidoumap/index.htm
※上写真、右隅にある道標は“西高野街道”の里程を表していて、その文字:「是より/高野山女人堂江十三里」とあるとおり一里ごとに置かれていて、河内長野市で東高野街道と合流して“高野街道”となってからも、そのまま一里ごとに欠けることなく残されているのは稀な事だと思います。
※分岐点にある「竹内街道」道標は新しいもので、明治三十八年(1905)に建てられた旧道標は現在、堺市埋蔵文化財センターで保管されているそうで、電話予約すれば見せてもらえるとのことですが、手続きがヤヤコしそうなのと交通の便が悪いのとでまだ見に行っていません。
「竹内街道」名を刻む道標としては唯一のものだそうです。

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2007年05月08日

高野街道_八里・七里・六里石

821d6fda.jpg写真:5月4日
大阪府発行の
“街道ウォーキングマップ”
「高野街道・西高野街道」編には、以下の様に記されています。
**********
◎ 高野山女人堂への出発点・堺から歩く:
 堺の大小路と大道筋の交差点を起点として、東に少し進んだ竹内街道との分岐に「是より高野山女人堂江十三里」と刻された里程石があります。この里程石は、街道沿いの河内くみのき村(現狭山市)の農民小左衛門と五兵衛が発起人となり、堺市榎元町の十三里石から高野町神谷の一里石までの13本を安政4年(1857)2月から9月にかけて建立した道標と言われています。
*******************************************
連休を利用して、5月3日に“西高野街道”、連日の5月4日に“高野街道”を、2日合わせて約30km程歩いたので、これまで以上に何となく“歩く旅人気分”になれました。
歩く次の予定は“東高野街道”。
この道は6ページの地図案内になっていて、
京阪本線・八幡市駅〜京阪交野線・群津駅--------12km
京阪交野線・群津駅〜JR学研都市線・野崎駅------9km
JR学研都市線・野崎駅〜近鉄奈良線・瓢箪山駅----8km
近鉄奈良線・瓢箪山駅〜近鉄大阪線・安堂駅------9km
近鉄大阪線・安堂駅〜近鉄長野線・富田林駅------10km
近鉄長野線・富田林駅〜近鉄長野線・河内長野駅--8km
合計56kmという、大阪府下では最長の街道だそうで、これを歩ききれば、次から歩く街道は、ずっと歩きやすく感じられるのではないかと思います。
街道ウォーキングマップの入手は、以下のアドレスからどうぞ
http://www.pref.osaka.jp/kotsudoro/kaidoumap/index.html
(■大阪府 都市整備部交通道路室 道路整備交通計画グループ)

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2007年05月04日

紀見峠

140bfde0.jpg写真:5月4日17時11分
12時半に河内長野駅から歩き始めて、少し暗くなり始めるころになって、やっと大阪と和歌山との県境に辿り着いた。
さすがに県境の峠だけあって、各種標識や、青い“歴史街道”オブジェ、ハイキング道標等が多数設置されていますが、坂を上った所にも、「高野山女人堂6里道標」や「岡潔生誕地の碑」等が並んでいます。
昨日歩いた“西高野街道”は河内長野で“東高野街道”と合流して“高野街道”と名称が変わり、写真の紀見峠を越えて高野山へと続いてゆくのですが、私osakawalkerの行動範囲は、一応のところ大阪府内ということにさせて頂いておりますので、この県境までで予定終了と言う訳なんです。
昨日の写真の13里〜9里の続きの道標が、河内長野以降も建立されていて、当然それを撮影しながらだったので、今日もかなり苦労させられました。

苦労その1:「女人堂へ7里」の道標付近の車の交通が多すぎて危険を感じた。

苦労その2:毎度の事ながら地図を何度も見間違えた。

苦労その3:上写真を撮った後、南海・紀見峠駅へと下っているつもりが、駅とは反対側へと下ってしまい、だんだん暗くなるわ、全く方向が分からなくなるわで、何人もの方に道を尋ねて、最後の最後まで必死の全速歩きの連続で、どうにか駅に辿り着けました。

紀見峠は標高400mと、さほどに高くはない、とは言え、山裾に丘が多いので道が非常に曲がりくねっていて、なかなか行きたい駅の方向へと進めませんでした。
教訓:山の中での道間違いは恐ろしい。

osakawalker at 23:18|PermalinkComments(2)TrackBack(0)

2007年05月03日

西高野街道

e08377b7.jpg写真:5月3日
西高野街道のほぼ全行程、“南海・堺東駅から河内長野駅まで”の約18kmを歩いてきました。
連休中ということもあってか、車の通行も少なく、街道ムードの残っている場所も多く、晴れの1日、非常にのんびりと楽しく過ごしてまいりました。
たまたまこのコースは1里ごとに道標が建てられていて、それが全て残っているので、どの位まで歩いたのかが実感でき、ペース配分が容易になって気分的に非常に楽でした。
道路の様子はと言うと、堺市内では一部で広い道路になっている個所があるものの、一番歩きにくい“2車線歩道無し道路”は無かったように記憶しています。
2車線道路になると、車は途端にスピードアップして走るので、歩行者はスレスレに車が通る気がして、常にハラハラさせられてしまうのですが、今日のコースは、ほとんどが1車線道路だったので、車もゆっくりめに通り、それもあって非常に気分的に楽だったと言う訳です。
写真は5個所の道標を貼り合わせたもので、
左の“これより女人堂へ13里”から右の“これより女人堂へ9里”までを順に並べてみました。

osakawalker at 23:41|PermalinkComments(0)TrackBack(0)
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