三連休、成人式な日々でした。
実家のある十勝は、今年に限って8月成人式だと昨年のうちから決まっていたとか。
今年に限ってじゃなくて、今年からにすれば良いのにな。
どう考えたって、その方が特に山村地帯は帰省しやすいと思うのです。

私の場合は、当時、関西で暮らしていたので、成人式は参加しませんでした。
一応、親にも聞いたのです。
「高い学費払ってるのに、その上、振り袖着たいってかい!」と。確かに。
高校までは公立で、親元から通っていたのに。というのは建前で
七五三に何かした訳もなく、写真もなかったので、あまり興味もなかったと思います。

幼なじみに「親は興味なさそうだからいいんだけどさ。札幌で暮らしている(母方の)祖父母がねぇ。ナンか節目にした方が良いんだろうか。」と相談したところ
「そうだね。自分の稼いだお金で写真館で撮って送ったらどう。別に振り袖じゃなくって、きょうやんが正装だと思う服装で。記念になるし、自分のけじめになるし、じいちゃんばあちゃんも喜ぶと思うよ。」

アルバイトのお金で写真館で、生まれて初めて撮影しました。ひとりだったけれど、緊張したし、写真館で撮影する緊張感や楽しさを知りました。当時の成人の日(1月15日)に届くように送り、札幌の祖母から電話がかかってきて。「こんなに大きくなって。良い写真ね。(ばあちゃんの)宝物よ。」と、泣きながら喜んでいました。祖父母だけ送ると角が立つので、ついでに両親にも送りましたが。ばあちゃんが、あんなに喜んだのだから、良かったなと。

その2日後の1月17日早朝。何かあったかは、当時、関西地区に住んでいた人は一生忘れられないことが起こりました。真っ先に、祖父母の家に電話をかけ、NHKのテレビをつけてもらいました。高速道路が倒れた画像が出てきて、祖母が絶句していました。とにかく無事であることを伝え、次に実家にかけようとしたら、電話がつながらず、3日間つながらないままでした。その日の朝から高熱で、病院へ行くと「インフルエンザやろ。」と診断を受けました。

が、当時の医療事情なのかナンなのか。治療らしき物資が何もなく「若いんやから、りんご買っとき。りんごをすったの食べれば良うなるで。ほな。」と言われ、もらえるはずの薬もなく、ナンのために必死に這うおもいで、病院にいったのだ〜。と。少し良くなってから、FMラジオ、当時の赤坂DJの番組に関西弁で、この話を面白おかしくFAXで投稿したところ、赤坂DJに読み上げてもらい、大笑いされ、散々だけど良いこともあるのだなと、当時思いました。2週間ぐらいしてから学校へ行くと、同級生や先生達から「良かった!良かった!心配したんやで。これで皆、無事やった。」と熱烈歓迎され。「インフルエンザにかかったから、まだ治ってなくて、うつるかもしれないから、近づかない方が良いよ。」と言っても誰も聞かず。学生が、メールアドレスも携帯電話も持てない時代。それが個人的な成人式でした。

前置きが長くなりましたが、成人式。帰省した夏、出席した別の幼なじみから写真を見せてもらいました。「どうだった?」「いやぁ〜〜。どうだったって、(写真みながら)見ての通りさ。親の金だか何だかしんないけれど、着飾って。皆テンション高くってさ。粋がって、式も出ないで酔っ払ってるし、式も出ないで外でタバコ吸いながら話してるし。カッコつけて大人ぶって何なのさね。きょうやんみたいに行かないで知らないのが、賢いんでないの?本当、大人になったからって、あんなの許すのってナンなのさね。何か履き違えているんでないかい!」と、怒っていました。

でも、この歳になって改めて思います。そう言った幼なじみも含め、写っていた大部分が、地元に残り、または地元に戻って、親の仕事を継いだり、新たに自営業を始めたり、公務員になったり。医療や介護の関係者になっていたり、良いお母さんになっていたり。良い形で地元に関わっているんです。私のように、成人式に出席していないのは、地元を離れていたり、北海道も離れちゃってます。成人式って、賛否両論あると思いますが、歳を重ねると、そういうものだったりします。またそういう目で見ると、また違った見方もできるのではないでしょうか。

私事ですが・・・年明け早々。1月8日に義父が入院してしまいました。昨年8月に続き、2度目の誤嚥性肺炎です。誤嚥性肺炎というものは、繰り返すものなのです。在宅の時、私が介護保険で足りない部分、義父が食べたいものを作っていて、誤嚥性肺炎になったと聞かされ、打ちのめされた気持ちになりました。介護している人たちに牙をむく、あの憎き誤嚥性肺炎です。6日から熱発を繰り返していて、土曜に熱が下がって安心したのですが、また今日熱が上がってしまったようです。抗生物質も効かなくなり、明日、再検査をするそうです。夫は自分の親なので、入院後かなり厳しい決断をする場面もありましたが、そのせいか、前向きな話題に敏感で、なんかそういう話で元気が出るというか。そんな状態です。

熱が上がる前日の5日に、私がダブレット端末で面会をしました。
車椅子に普通に座っていて、お正月の話をしました。駅伝を見てとても楽しかったこと、お正月らしいものを食べたこと。食べたものを中々言わないので「酒かい?餅かい?」と聞いたら、しばらくしてから「ちっせぇ餅だ。」と。「そりゃぁ良かった。美味しかったかい?」と聞くと、小さくて味がわからん。と言いながら、とても嬉しそうな笑顔でした。施設のSNSを見ると、小さい餅のように見える介護食のようなもので、彩りがお正月らしいので、白内障の手術をして、よく見えるようになった義父からすると、嬉しい出来事だったと思います。

今年の道の駅は元旦だけ休みなんだよ。だから正月も大晦日も、たくさんお義父さんの名前で野菜を出したよ。というと「まだ俺の名前で出しているのか。」と言うので「お義父さんが元気になって、家に戻ってきたら、スグに色々世話できるようにね。毎日、出せるようにね。全部、お義父さんの名前で出しているからね。」と言うと「そうか。」「ここからな。家が見えるんだ。」と、とっても嬉しそうな笑顔で言っていました。「あまり無理するんでねぇ。」とも言い。

色々話をして、8分ぐらい経ったので(面会時間は10分間)「お義父さん、また来るからね。」と、いつものように手を振ると「手を振るんでねぇ」と、いつもと違ったことを言い。「また来るからさ。来週来るよ。」と言っても、何か話したそうにしていましたが、私も色々予定があったので「じゃあねぇ〜!」と、タブレット端末を切ってしまいました。

1月8日の午前中、洗濯物を置きに行ったときは、義父の体調も変化なく落ち着いていて私も髪の毛も切れたのですが、髪の毛を切って施設に洗濯物を取りに行くと体調が急変しており、血圧も上が62まで下がり、酸素濃度も命に関わる値まで下がりました。

年齢と肺炎を起こしていることで(誤嚥性ですが)2つの病院(救急当番の医療機関。コロナ陽性者受け入れの医療機関でもあります。)に受け入れ拒否をされ、3つめの病院(老健に入所前、誤嚥性肺炎で入院していた医療機関)で、PCR検査を受けることを条件に受け入れ可能に。急変で私が施設に到着してから、救急車で医療機関へ到着するまで2時間強かかりました。 県内で現状では、コロナ陽性者が非常に少ない田舎です。それでも、あらゆることを想定し、受け入れに慎重にならざるを得ないご時世であることを経験しました。


施設で痰の吸引などの医療行為ができ、老健の相談員さんの受け入れ先を探す声かけ、入院後の医師・看護師と医療関係者の懸命な治療で命をつないでいますが、今も容態が安定しないので、もうちょっと話したそうにしていたことを、聞いておけば良かったなと思ってます。いつもとちょっと違うなってことは、案外、後から思い出すものですね。病院に到着した後、一通りの検査と痰の吸引が終わって酸素テントの中にいる義父と対面しました。一番良い状態ですと言われましたが、夫が必死に呼びかけるだけで、私は見ているだけで胸がいっぱいになり、何も言えずじまいの体調でした。

話題を変えます!
昨日ついに家のコタツが壊れました!!夫が「貧乏、貧乏」と、悲しそうに言ってストーブの前を占領するので、せめて心が温かくなるよう、この曲をかけています。


その他にも色々ありますが、ストーブの灯油も切れ、寒くなったので今日はこの辺で!