こもれび号は今日も行く

施設での看取りに思うこと

施設で看取るケースも増えているが、まだまだ難しい点も多い。
家族と施設スタッフの信頼関係が最も重要で、
日頃から「スタッフが入居している患者さんをよく看てくれている」
と家族が感じている必要がある。
施設側・患者側どちらが良いとか悪いは別にして、
入居中にトラブルがあるなら最期までは難しい。
施設で看取るときには医師から患者への説明ばかりでなく、
施設側も同意書を準備するようになってきた。
施設の体制としては、看護師とヘルパーの連携がとれていることも大事である。
できればヘルパーにも看取りの経験があるといいが、これからの現場での課題で、
1つ1つのケースが実践になるだろう。

夜間は多くの入居者を一人で介護士が診ることが多く、
看取りの人にずっと付いていられないことを患者家族にも理解していただきたい。
病院のように心電図のモニターもない。
家族が付き添ってくれると有り難いが、
もともと在宅介護が難しいから施設に入っているのだから
付き添えないこともよくある。
夜間のスタッフに「どれくらいの間隔で何を確認しておけば良いのか」
という指示が必要となる。
施設によっては検温・血圧測定などを求める場合もあるが、私は単純に、
30分から1時間で見回り、呼吸状態と顔色だけを確認してもらうことにしている。

老衰の場合、点滴は極力ひかえているが、家族の要望にこたえる場合もある。
四肢の浮腫が目立つようになると余分な水分は肺の浮腫につながり、
痰の量が多くなのでしない方がいい。
家族の希望があっても静脈の確保が難しくなったら中止する。
体温は下げる方向で坐薬を使用する。
呼吸が努力様になってきたら、側臥位から半側臥位で対応する。
踵や大腿部に褥創ができないように注意するが、
終末期では褥創ができても呼吸が楽な姿勢を優先する。
最期の呼吸停止の時を家族が大切にしているなら、状態を見極めるが、
付き添ってもらうタイミングを決めるのは難しい。
医療従事者でも最期の一呼吸を確認することは在宅療養では難しい。

終末期にまつわる課題はこれからいろいろ議論されることと思うが、
医療的な処置よりも排泄ケア・口腔ケアが大切だ。
亡くなっても「有り難うございました。」と家族に言われることで
それまでの苦労が癒やされる医療・介護従事者は多いのではないかと思う。

oshiro_komorebioshiro_komorebi  at 21:58  | コメント(0)  |  この記事をクリップ! 往診  

めまい感

大型連休前から状態が不安定な患者様がいる上に、往診が重なって忙しい。
外来患者さんは落着いていて診察に忙殺するようなことはないので、
診察の合間に休憩している状態だ。
ブログを書くのを休んでいると半月が経過した。

今週になって蒸し暑くなり、梅雨も近づいてきた。
木の芽時期になると、めまいで受診する人が多い。
立ちくらみがする、グルグル回る、ふわふわする、気持ちがわるい、
肩から首にかけて凝るなど様々な訴えがある。
血圧の変動がないか、頭痛、手足のしびれや麻痺がないか、
耳の聞こえ方や耳鳴りなどについて問診してみる。
重大な疾患を見落とさないようにしないといけない。
この一週間は中年女性から高齢者、脳血管障害で療養中の人など、
似たような症状を訴える様々な人を診察した。

そうこうしていると、連休明けから自分も歩いている時にふわっとする感覚があり、
診察中も目の移動に伴って嫌な感じがあり、パソコンのスクロールも気持ちが悪い。
血圧も問題なく、睡眠不足も解消したはずなのにすっきりしない。
不安になるとちょっとしたことで、転倒しないかなど心配になる。
心配していても仕方がないと思って、昨日小学校の健診の前に
近医で頭部のMRIを撮ってもらった。
画像的には問題なく、血管病変もなく、一安心だった。
腰痛と肩から首にかけての凝りもあるので、
COCOROでしっかりマッサージも受けてきた。
首をほぐしてもらってよくなったと思ったが、今日もなんとなく頭重感がある。

めまい感とは嫌なものだと改めて思う。
患者さんの気持ちがわかる気がする。


oshiro_komorebioshiro_komorebi  at 19:42  | コメント(0)  |  この記事をクリップ! 診療  

Tさん(2)

最後は点滴で体を維持していたが、施設で看取ることになった。
発語こそ少なく目を閉じていることが多くなったが、暖かくなった3月下旬に、
近所にある神社に車椅子で出かけた。
自宅まで車椅子で行くのは難しいので、施設の責任者と担当看護師の付添いで、
介護タクシーで帰りたかった自宅や石手川の土手の桜を観に行き、
通っていたデイサービスのスタッフにも会いに行くことができた。
そのときの動画を見せてもらったが、いい顔をしていた。

徐々に衰弱しつつあったある日、夜、訪問して
「息だけ確認しておいてね」とスタッフに告げたが、その翌朝に息をひきとった。
この連休には息子さんたちが松山に帰ってくる予定だったが、間に合わなかった。
部屋には沢山の俳句が印刷して貼ってあった。
勿論、亡くなった奥様の写真も飾られていた。

自宅から施設に移って4年近くなるが、家のように過ごしていたところで最期を迎え、
今頃奥さんのもとにたどり着いているのだと信じたい。
外来通院していたTさんの奥様の笑顔もふと思い起こすことがある。

oshiro_komorebioshiro_komorebi  at 18:13  | コメント(0)  |  この記事をクリップ! 往診  

Tさん(1)

84歳のTさんは約7年にパ−キンソン病と向き合い、先日施設で最期を迎えた。
私が2000年に松山に帰って町内会の御神輿について回った時に、
中学生神輿の指揮をとっていた元気なTさんを思い出す。

開院してしばらくして、奥様の病気のことで相談をうけた。
神経難病のALSだった。
徐々に手足の麻痺がでるなかで、自宅で介護した。
最期は病院だったが、連日通院して看病した。
奥さんを亡くして独居生活をつづけた。
外来通院していたのでよく話もしたが、自身も歩行が不安定になったため、
神経内科に紹介したところ、パーキンソン病の診断。
身の回りのことはできるだけ自分でして独居生活をつづけた。
その後、自宅で転倒することが多くなり、訪問看護を導入し、
ヘルパー支援を受けながら生活。
もう限界というところで、サービス付高齢者住宅に入所した。
4年近く前になる。

それまで通っていたデイサービスに通い、
自分の部屋ではパソコンで俳句を作っていた。
時々知り合いのタクシー運転手に頼んで自宅に帰ることもあった。
2年後、不整脈でペースメーカーを挿入し、
その翌年には嚥下障害で首から栄養チューブを挿入した。
奥さんの神経難病の経過をみていただけに、
「胃ろうはしない」という希望だったが、
薬剤が注入できると飲み込める可能性もあること、
自身がもっと生きていたいという気持ちを尊重した。
県外にすむ息子さんたちも集合してケアカンファレンスも開催した。
その後、経管栄養を続けていたが、唾液や胃内容物の逆流のため、
注入量を減らすことになり、徐々に体は痩せていった。

oshiro_komorebioshiro_komorebi  at 18:07  | コメント(0)  |  この記事をクリップ! 往診  

麻しんのニュース

8ヶ月の妊婦さんが麻しんの抗体価を調べてほしいと受診した。
風しんはチェックされていた。
沖縄での麻疹のニュースを聞いて、先日60歳代の人も受診した。
私よりも年配なので、心配はないと伝えた。

MRワクチンを接種するようになったが、
抗体価が十分に上昇していない人がいるようで、最近、
就職や就学時に抗体価を確認する証明を提出させるところもある。
このまま落着いてくれることを願う。

oshiro_komorebioshiro_komorebi  at 18:58  | コメント(0)  |  この記事をクリップ! 診療