拓殖大学井上ゼミ −インドネシア研究−

このブログは、インドネシア研究に取り組む拓殖大学政経学部井上ゼミの学生および卒業生の情報交換の場として設けられました。

2005年08月

 今年8月15日から17日にかけて、中スラウェシ州のパルとポソを訪れた。かなり田舎だろうと予想はしていたが、実際、中スラウェシ州はインドネシアの中でもっとも開発の遅れた州のひとつといってよいだろう。州都パルでさえ最高級ホテルで三ツ星クラスが一軒あるだけである。いわんやポソである。
 州都パルからポソまでは車で東方へ5時間余。ポソのメインストリートは、中央市場前のせいぜい20−30軒からなる商店街と、県知事庁舎や県議会議事堂のあるいわば官庁通りの2本だけである。ほかには何もない。宿屋もホテルと呼ぶほどのものはなく、安宿が2−3軒あるだけである。
 こんな田舎町でなぜ世界が注目するほどの宗教紛争が起こったのであろうか。パイが小さければ小さいほど、その奪い合いも激化するということなのであろうか。
 ポソでイスラム教徒とキリスト教徒の間の宗教紛争が勃発したのは1998年12月のことである。もともとは若者同士のささいな喧嘩がきっかけだった。それがキリスト教会への放火、イスラム寺院への報復とエスカレートし、遂には1000人以上が死亡、2万人以上が避難民となる宗教紛争へと発展していったのである。
 ただ、現地で聞いた限りでは、もともとイスラム教徒とキリスト教徒の間に宗教的な対立感情はほとんどなかった。ただ、土着の住民であるキリスト教徒と移住してきたイスラム教徒らとの経済格差という問題は、潜在的に抱えていたようだ。インドネシア政府はジャワ島やバリ島などの人口過密地域から開発の遅れた地域への国内移住政策を古くから進めているが、ポソも80年代頃から移住者が急速に増加した。移住者の多くが従事したのは、商業かカカオ生産などの輸出用作物の栽培であった。そうした中で起こったのが、97年のアジア通貨危機である。インドネシアの通貨ルピアは暴落し、物価が高騰した。それだけでも不満が高まるのに、その頃、ポソの市場はすでにイスラム商人たちによって支配されていた。さらにカカオなど輸出用作物を栽培していた移住者たちも、ルピアの暴落によってにわか成金となり、土着のキリスト教徒から妬まれていった。こうしたことが紛争の遠因と考えられる。
 だが、イスラム教徒とキリスト教徒という対立軸を移住者と土着民に変えたところで、この紛争を説明しきれるわけではない。この対立軸は複雑に絡み合っている。たとえば、この紛争は移住してきたイスラム教徒との戦いであると土着のキリスト教徒たちを扇動して陣頭指揮をとったのは、実は同様に移住者であるフローレス島出身のキリスト教徒であった。土着のキリスト教徒たちは、移住してきたキリスト教徒に踊らされたともいえる。
 実際、ポソ紛争は工作あるいは扇動による可能性がかなり高い。その理由は次の通りである。一つは、紛争の初期においては異教徒宅や宗教施設への放火などが中心であったが、次第に銃が出回りはじめたことである。しかもそれらの銃は陸軍兵器工場(PT Pindad)で作られたものである。現地で聞いた話では、小銃が500万ルピア(約5万5000円)程度で手に入るそうだ。私服を肥やすためか、あるいは意図的に紛争を拡大させるためか、治安当局の一部が武器の横流しを行っていたようである。二つ目は、住民間の紛争は2004年以降起こっていないにもかかわらず、2004年に2回さらに今年になって6回も爆破事件が起こっていることである。住民たちはすでに争いに疲れ、扇動に乗せられることもなくなった。しかしながらいまだに意図的に治安を悪化させようとしている勢力がいるということであろう。インドネシア共和国警察は、これを外部から潜入した者の犯行とみている。そのためポソ県内には沿道に何ヶ所も警察機動隊の検問所が設けられている。
 ところで、ポソ紛争の初期においては、イスラム急進派のラスカル・ジハードの部隊がイスラム教徒支援のために潜入し紛争を煽ったようだが、意外にもキリスト教徒の側は、ラスカル・ジハードをあまり恨んではいない。「ラスカル・ジハードには、子供や老人を傷つけてはならないという掟がある」というのが、その理由である。つまり、子供や老人を巻き添えにした残虐な犯行はラスカル・ジハードによるものではない、というのが一般認識のようだ。また、中スラウェシ州の地方紙ラダル・スルテン(Radar Sulteng)は8月16日、インドネシア共和国警察がフィリピンの諜報機関から得た情報として、フィリピンのミンダナオ島で軍事訓練を終えたイスラム・テロ組織ジャマ・イスラミヤ(JI)のメンバー20人がインドネシアに極秘に帰国し、その一部がポソに潜入を計画と報じたが、この記事に関しても、ポソからの避難民が不安がる様子はみられなかった。むしろ信じていないといったほうが正確であろう。もっともこの記事によると、このJIのメンバーの最大の標的は、ポソではなくカリマンタンのバリクパパンだそうである。
 では、毎年発生する爆破事件はどのような勢力によって引き起こされているのであろうか。これについて安易な推測はできないが、この紛争が工作あるいは扇動と思われる三つ目の理由として、紛争で得をするのは誰かを明らかにしておきたい。紛争解決のためには巨額な政府予算が組まれる。たとえば治安対策予算である。ポソには2002年1月以来、約3500人の治安部隊が特別配備されているが、そのために数十億ルピア規模の予算が半年ごとに組まれてきた。いまだにその特別配備が解かれないのは、特別配備の延長が検討される時期になると爆破事件が発生するからである。また、避難民の生活保護費や住宅再建費などの援助予算もすでに約1600億ルピア(約18億円)が拠出されている。ところがインドネシアのNGOタナ・ムルデカ協会(Yayasan Tanah Merdeka)のアリアント・サンガジ会長によると、このうち約1000億ルピアが役人や地元有力者の手元で消え、避難民に渡ってはいない。実際、現地の人々は自腹で家を直していると聞いた。中スラウェシ州警察もすでに汚職解明に動き出した。これまでに、2004年8月から11月の間に拠出された避難民への援助金21億ルピアのうち17億ルピアを着服した疑いで、ポソ社会福祉局長ら地元有力者6人が逮捕されている。さらに今後はポソ警察署長やポソ県知事にも捜査の手を広げるというが、はたしてどこまで解明されるであろうか。いずれにせよポソ紛争は地元の役人や有力者に金をもたらしたのである。
 紛争が金になることは、実は地元のNGOも変わらない。2004年11月には、ポソからの避難民の数を水増しして援助金を請求していたNGO活動家が、これに気づいた村長を口封じのために殺害するという悲惨な事件も発生した。紛争解決資金というパイが、何もない町ポソの紛争を長引かせる結果をもたらしたのかもしれない。(井上治)

 北スラウェシ州の州都マナドから車で3時間ほど行ったラタトト(Ratatotok)郡に、アメリカのデンバーに本部を置く鉱山開発会社ニューモントの現地法人ニューモント・ミナハサ・ラヤ社(以下、NMR社)がある。同社はここラタトトで1999年から2004年8月までの5年間、大規模な金鉱開発を行った。現在はすでに操業を終え、採掘前の森林の復元作業に取り掛かっている。2010年までにはこの作業も終了し、完全閉鎖する予定である。
 とはいえ、このわずか5年のうちに、鉱山から1キロほど離れた排水溝周辺の沿岸部に住む住民は、大変な生活不安に脅かされた。すなわち水俣病にも似た奇病の大量発生である。その患者数は、50人前後に及ぶ。ただ、NMR社が海底80メートルに排出し続けてきた鉱山からの汚水と奇病との因果関係は、必ずしも解明されているわけではない。昨年7月に記者会見を開き、「患者たちの症状は水俣病に酷似しており、鉱山から排出された重金属が原因である可能性が高い。」と指摘したサムラトゥランギ大学教員で現地のNGO北スラウェシ運営協会(Yayasan Kelola Sulawesi Utara)会長のリグノルダ・ジャマルディン博士は、逆にNMR社から名誉毀損で訴えられた。今年8月2日に下されたマナド地裁の判決では、因果関係は不明という理由でNMR社側が勝訴。リグノルダ博士に75万米ドルの損害賠償の支払いと、民放テレビ局RCTIでの1週間の謝罪広告、さらに全国紙のコンパス紙とスアラプンバルアン紙および地元紙の一面の4分の1を使った謝罪広告の掲載が命じられた。判決の行方を見守っていた患者らリグノルダ博士の支援者たちは、裁判官がNMR社に買収されたものと疑い、裁判官を追い回して卵や空き缶を投げつけるなど、一時事態は騒然となった。
 私自身は医者でも化学者でもないので、この判決が不当と断言する自信はない。ただ、判決直後の現地における聞き取りから、この問題をめぐっては、NMR社、地元住民さらにインドネシアの中央政府や北スラウェシ州政府ともに、対応に問題があることを強く感じた。
 まず、NMR社の対応についてである。奇病の発生原因として排水溝周辺の住民がNMR社に疑いの目を向け始めた頃、同社は露骨な踏み絵を住民たちに強いた。この地域は電気もない貧しい村であったが、NMR社は公害問題を騒がない住民つまり同社支持を明確にした家庭にだけ配電サービスを行ったのである。こうして村は、反NMR社と親NMR社に二分された。奇病に罹った人々の家族は、もちろん反NMR社を貫き、その後も電気のない貧しい生活を続けざるをえなかった。
 次に地元住民の対応である。NMR社の進出がラタトト郡の住民に大きな経済的恩恵をもたらしたことは間違いがない。多くの人が雇用の場を得たし、マナドからの幹線道路の舗装費用を拠出したのもNMR社である。そればかりではない。奇病に罹った患者の診断を行った診療所も、地元の警察署も、すべてNMR社の資金援助で建てられたものである。つまり町そのものがNMR社の町と化してしまったのである。これでは、NMR社からの汚水と奇病との因果関係について、地元の諸機関が客観的に分析、判断することは、とても困難であろう。
 地元住民をめぐる問題は、そればかりではない。実は、ラタトトの鉱山はNMR社が独占しているわけではない。その一部は住民鉱山(tambang rakyat)として地元住民に自由な採掘権が与えられているのである。NMR社が採掘を停止した現在でも、住民鉱山では地元住民がさまざまな化学薬品や手法によって、採掘を続けている。これはまったくの私見だが、NMR社よりもはるかに監視のゆるやかな住民鉱山から人体に有害な化学物質や重金属が排出されている可能性も否定はできない。多くの奇病患者が発生しているにもかかわらず、地元住民の公害認識はまだまだ低いといわざるをえない。
 最後に政府の対応についてである。中央政府は問題を穏便に片付けるためか、患者ら反NMR社の住民対策予算を設定し、その執行権限を北スラウェシ州政府に与えた。州政府は、生活環境に不安を持つ反NMR社の住民に、数百キロ離れたゴロンタロ州との州境に代替地を用意した。希望者の転居期限は8月5日であった。最終的に、反NMR社の住民のすべてがこの移住に応じた。こうして鉱山周辺には、NMR社を批判する住民は皆無となったのである。だが、政府のこうした対応は、言うまでもなく住民たちの口を封じ、公害問題にただふたをしただけにすぎない。
 さらに気がかりなのは、移住に応じた66世帯の住民に対しても、政府は当初約束していたような医薬品、救急車、清潔な飲料水そして住宅の提供などをきちんと行っていないことである。移住者たちは暫定措置として、わずか9平方メートルのバラックでの生活を強いられている。
 80億ルピア(約1億円)の予算が組まれたにもかかわらず、多くの患者を含む移住者たちがこのような状況に置かれているのは、州政府の汚職が原因であると、Mer-C、Jatam、Walhiなどインドネシアの7つのNGO団体も連名で政府の責任ある対応を強く求めている。(井上治)
 
 

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こんばんは、高瀬です
先ずは、
井上ゼミブログ開設おめでとうございます、万歳ー♪

そして報告です
ただいまたかせは就活でインドネシアに来ております。
来年の4月からダルマプルサダ大学で日本語教員として
働くことが決まりましたわーい
でも給料は少なくて、その中で生活費もやりくりしなきゃなのです

ホームステイ以外では下宿という形で住むのが一番経済的なのね
井上先生と相談した結果大学から近いところで探してきました
JAKARTAの都市部からちょっと離れた所に大学があるから、ちょっぴり
安めかな家にもよるけど綺麗なところで一ヶ月Rp500,000で
日本円にすると6,000円いかないくらいでした。
(今は1円=89ルピアくらいなのだ)
それでインドネシアに滞在する残りの日(10日間くらい)を使って
実際どんな感じなのか体験してみることにしたよー
ちなみにぼくが借りる下宿先はRp350,000(紹介料50,000)で大学まで
徒歩3分、かなりゴージャスなのでした
近くにプールとジムがあってマッチョになったらどうしましょ

ではでは今日はこのくらいで失礼いたします


井上ゼミの皆さん、突然ですがゼミ生用のブログを開設しましたこれからは私もこのブログを通じていろいろな情報提供や事務的な伝達をしますので、毎日とは言いませんが、週に何回かは必ず確認してください
また、皆さん自身も積極的に投稿し、インドネシアに関する知識をお互いに高めあうよう努めてくださいね
投稿回数やコメント回数もゼミの成績に反映させます
後輩のための就活状況の投稿も歓迎します

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