和尚の言葉

先師・先哲の言葉を現代に伝えるという高邁な理想を掲げつつ、日々徒然なる時の浪費を繰り返す凡愚の毎日を反省する。

ながらく和尚をやっていると、仏宝僧の三宝といわれ、尊ばれるべき佛教が今は何も大切にされていないと感じております。一部過激な意見を書き込む事がありますが、問題を配慮して(プライベート記事として)公開する事があります。プライベート記事にはパスワードを発行しますのでコメント等にてご連絡下さい。

NHK大河ドラマでの、お経の読み方について

国時代を描いているドラマであるのだから、
色んな殺害シーンが出てきて当然である。
それにしても最近のドラマは汚れ、きたなさまでが
とてもリアルに描かれている。

その残虐なシーンの中で僧侶が読経する場面が
いくつかあったように思う。

主人公の尼公さまが、抑揚をつけて歌うように読経するシーンがあった。

普門品だったか。
お経に節をつけて読むことは、本来厳しく戒められているものだが、
作品の演出上なのかどうだったのだろうか。

それにしても、耳慣れた法華経がドラマの一部分で
読まれた事に一種の安堵を感じたものの
世間の一般視聴者には何のお経かも理解されないのであろう。
合掌


木絵二像開眼之事 拝読(5)

(原文)
人死すれば魂(たましい)去り、その身に鬼神入替て〔子孫を亡(ほろぼ)す〕。
餓鬼(がき)といふは我をくらふといふこれなり。
智者(ちしや)あつて法華経を讃歎(さんだん)して骨の魂となせば、
死人の身は人身、心は法身(ほつしん)。生身得忍(しようしんとくにん)といへる法門これなり。

(現代語訳)
人が死んだら魂がぬけ去り、その身に鬼神が入りこんで、子孫を滅亡させてしまう。
餓鬼というのは我が身を食うといわれているがまさにこのことである。
智者があって法華経を讃歎し、骨に魂を入れたならば、
死者の身体は人身であるが心は法身となる。生身得忍という法門はこのことを指していうのである。

(原文)
華厳(けごん)・方等(ほうとう)・般若(はんにや)の円(えん)をさとれる智者は死人の骨を生身得忍と成す。
涅槃経(ねはんぎよう)に〔身は人身なりといえども、心は仏心に同すと〕いへるこれなり。
生身得忍の現証は純陀(じゆんだ)なり。
法華を悟れる智者、死骨(しこつ)を供養せば生身すなわち法身。これを即身(そくしん)といふ。
さりぬる魂を取り返して死骨に入れて、かの魂を変(かえ)て仏意と成す。成仏これなり。

(現代語訳)
華厳・方等・般若の円教を悟った智者は、死人の骨を生身得忍とすることができる。
涅槃経に「身は人間であるといえども心は仏心である」と説かれているのはこのことである。
生身得忍の現実の証拠は仏弟子の純陀である。
法華を悟った智者が死後の骨を供養したならば生身即法身となる。これを即身という。
去って行った魂を取り戻して死骨の中に入れて、彼の魂を変え仏意となすことができる。これを成仏という。

(原文)
即身の二字は色法、成仏の二字は心法。
死人の色心を変じて無始(むし)の妙境妙智(みようきようみようち)と成す。これすなわち即身成仏なり。
ゆへに法華経にいはく、「所謂諸法如是相(しよいしよほうによぜそう)〈死人ノ身〉如是性(によぜしよう)〈同ク心〉如是体(によぜたい)〈同ク色心等〉」云云。
またいはく、〔「深く罪福(ざいふく)の相(そう)を達して気(あまね)く十方を照したまふ、微妙(みみよう)の浄(きよ)き法身相を具(ぐ)せること三十二」〕等云云。
上(かみ)の二句は生身得忍。下(しも)の二句は即身成仏。
即身成仏の手本は竜女(りゆうによ)これなり。
生身得忍の手本は純陀これなり。

(現代語訳)
即身の二字は色法をさし、成仏の二字は心法をさす。
したがって死人の色心を変じて、始まりなき無限の過去より永久に存在する悟りの境地となすことができる。これがすなわち「即身成仏」ということである。
このゆえに法華経の方便品には、「いわゆる諸法の、かくのごときの相〈死人の身〉、かくのごとき性〈同じく心〉、かくのごときの体〈同じく色心等〉」とある。
また提婆達多品には「深く罪を滅して福の相に到達し、あまねく十方の世界を照らすことができた。その浄らかな法身の相を備えていること三十二である」等とある。
この上の二句は生身得忍を現わし、下の二句は即身成仏を示したものである。
即身成仏のお手本は提婆品の竜女であり、
生身得忍のお手本は仏弟子の純陀である。

 
 
 

木絵二像開眼之事 拝読(4)

(原文)
法華経を心法とさだめて、三十一相の木絵の像に印(いん)すれば、木絵二像の全体生身の仏なり。
草木成仏(そうもくじようぶつ)といへるはこれなり。 
ゆへに、天台は「一色一香無非中道(いつしきいつこうむひちゆうどう)」と云云。
妙楽(みようらく)これをうけて釈するに、
〔「しかるに、またともに色香中道を許せども、無情仏性(むじようぶつしよう)は耳を惑(まど)はし心を驚かす」〕云云。 

(現代語訳)
法華経を心法であると定めて、三十一相の木絵の二像に添えて安置したならば、その木絵二像の全体は生身の仏である。
草木の成仏とはこのことである。
このゆえにまた天台は「一色一香(あらゆるもの)はみな中道でないものはない」と言い、
妙楽もこの文を受けて
「しかしながらまた色香はともに中道であると言っているが、無情にも仏性ありとする説は、無情に仏性なしとする者にとって、耳を惑わし心を驚かせるものである」と言っている。 

(原文)
華厳(けごん)の澄観(ちようかん)が天台の一念三千をぬす(盗ん)で華厳にさしいれ、
法華・華厳ともに一念三千なり。
ただ華厳は頓頓(とんとん)さきなれば、法華は漸頓(ぜんとん)のちなれば、
華厳は根本さき(魁)をしぬれば、法華は枝葉等といふて、
我(わ)れ理をえたりとおもへる意(こころ)〔山のごとし。
しかりといえども〕、一念三千の肝心(かんじん)、草木成仏を〔知らざる事を〕妙楽のわらひ給へる事なり。 

(現代語訳)
これは華厳宗の澄観が天台の一念三千の法門を盗んで、華厳の教えの中に入れてしまい、
法華も華厳もともに一念三千の法門が説かれているとし、
ただ華厳の場合は一番先にただちに説かれたものであり、法華は次第に説かれたあとからの教えであるので、
華厳が根本であり先がけの教えである。法華はあとから説かれた枝葉の教えであると言って、
我が方が理に叶っていると思う心が山ほどもあると思い込んでしまっているのである。
このように一念三千の肝心と草木成仏の本当のことを知らないでいるのを妙楽は笑って言われたことなのである。

(原文)
今の天台の学者等、我(わ)れ一念三千を得たりと思ふ。
〔しかりといえども〕法華をもて、あるいは華厳に同じ、あるいは大日経(だいにちきよう)に同ず。その義を論ずるに、〔澄観の見(けん)を出(いで)ず。善無畏(ぜんむい)・不空(ふくう)に同す。
詮(せん)をもってこれをいわば〕、今の〔木絵二像を真言師(しんごんし)をもってこれを供養すれば、実仏(じつぶつ)に非ずして権仏(ごんぶつ)なり。権仏にも非ず〕。形は〔仏に似れども〕意は本(もと)の非情(ひじよう)の草木なり。
〔また、本の非情の草木にも非ず〕。魔(ま)なり。鬼(き)なり。
真言師が邪義(じやぎ)、印真言(いんしんごん)と成て木絵二像の意と成れるゆへに。
例せば人の思ひ変じて石と成る。倶留(くる)と黄夫石(こうふせき)がごとし。

(現代語訳)
現代の天台宗の学者たちは、「我は一念三千の法門を会得した」と思い込んでいるが、
しかし法華をもって華厳と同等であると思ってみたり、あるいは大日経と同じであると思っており、その教義について論ずる時も、先の澄観のような見方しかしていない。または中国真言宗の善無畏や不空といった人たちと同じ考え方しかしていない。
結局のところ、今の木絵二像の本尊を、真言の人師によって供養したならば、これは実仏ではなく権仏である。もっといえば権仏でもなく、形は仏に似ているが、意(こころ)はもとの非情の草木にすぎない。
いやむしろもとの草木でもなく、魔であり鬼である。
真言の人師らの邪義が印と真言となって木絵二像の意となってしまっているからである。
例えば人の思いが変じて石となるようなものだ。インドの倶留という外道と中国の黄夫石という老人が石と化したようなものである。 

(原文)
法華を心得たる人木絵二像を開眼(かいげん)供養せざれば、
家に主(あるじ)のなきに盗人(ぬすびと)が入り、人の死するにその身に鬼神(きじん)入るがごとし。
〔今真言をもって〕日本の仏を供養すれば、鬼入て人の命(いの)ちをうばふ。鬼をば奪命者(だつみようしや)といふ。
魔入て功徳(くどく)をうばふ。魔をば奪功徳者(だつくどくしや)といふ。
鬼をあがむるゆへに、今生(こんじよう)には国をほろぼす。魔をたとむゆへに、後生(ごしよう)には〔無間地獄(むげんぢごく)に堕(だ)す〕。

(現代語訳)
法華を心得た人が木絵二像の開眼供養をしなかったならば、
例えると家の中に主人が留守中盗人が入って荒らし去って行ったごとくであり、人が死んだあとその身に鬼神が入って、その亡者を狂わせてしまうようなものである。
今、真言でもって日本の仏を供養したならば、すなわち鬼が入って人の命を奪ってしまうことになる。鬼のことを「命を奪う者」ともいうからである。
また魔が入って功徳を奪ってしまう。魔のことを「功徳を奪う者」ともいっているからである。
つまり鬼をあがめるために、今生では国をほろぼし、魔を尊ぶゆえに、のちの世には無間地獄に落ちる。 
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