和尚の言葉

先師・先哲の言葉を現代に伝えるという高邁な理想を掲げつつ、日々徒然なる時の浪費を繰り返す凡愚の毎日を反省する。

2016年12月

ながらく和尚をやっていると、仏宝僧の三宝といわれ、尊ばれるべき佛教が今は何も大切にされていないと感じております。一部過激な意見を書き込む事がありますが、問題を配慮して(プライベート記事として)公開する事があります。プライベート記事にはパスワードを発行しますのでコメント等にてご連絡下さい。

四性計と互具説との比較



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四性計(ししょうけい)
釈尊以前のインド哲学 四大学派を図示したもの
日蓮聖人御遺文講義 137ページ左端より

(本文)
外道(げどう)に三人あり。
一には仏法外(ぶつぽうがい)の外道〈九十五種の外道〉
・二には学仏法成(がくぶつぼうじよう)の外道〈小乗〉
・三には附仏法(ふぶつぽう)の外道〈妙法を知らざる大乗の外道なり〉。

(現代語)
外道に三種がある。
第一は仏法外の外道(仏教以外の教え)で九十五種ある。
第二は学仏法成の外道(仏教ではあるが小乗の教えにとどまっている)で小乗仏教がこれである。
第三は附仏法の外道(大乗仏教ではあるが方便権教(ごんきよう)にとどまっている)で妙法を知らない権大乗の外道である。



 

比叡山の伝教大師について

(原文)日本の伝教大師比叡山建立の時
根本中堂(こんぽんちゆうどう)の地を引き給いし時、
地中(ちちゆう)より舌八つある鑰(かぎ)を引き出(いだ)したりき。
この鑰を以て入唐(につとう)の時に
天台大師より第七代妙楽大師の御弟子道允和尚(みでしどうずいわじよう)に値(あ)い奉りて
天台の法門を伝えし時、
天機秀発(てんきしゆうはつ)の人たりし間、
道允和尚悦(よろこ)んで天台の造り給える十五の経蔵を開き見せしめ給いしに、
十四を開いて一の蔵を開かず。
その時伝教大師云く、師この一蔵を開き給えと請い給いしに、
允和尚云く「この一蔵は開くべき鑰無し。天台大師自(みずか)ら出世して開き給うべし」と云云。
その時伝教大師日本より随身(ずいしん)の鑰を以て開き給いしに、
この経蔵開きたりしかば、経蔵の内より光室(しつ)に満ちたりき。
その光の本(もと)を尋ぬればこの一念三千の文(もん)より光を放ちたりしなり。
ありがたかりし事なり。
その時允和尚は返つて伝教大師を礼拝し給いき。
天台大師の後身(ごしん)と云云。
依つて天台の経蔵の所釈は遺り無く日本に亘(わた)りしなり。
天台大師の御自筆(ごじひつ)の観音経、
章安大師の自筆の止観、
今比叡山の根本中堂に収めたり。

(現代語)日本の伝教大師が比叡山を建立し
根本中堂の地引(じびき)をされた時、
地面の中から舌の八つある鍵を掘り出された。
その後、唐へ渡る時この鍵を持参された。
唐では、天台大師から第七代目にあたり妙楽大師の御弟子である道允和尚に会って天台の法門を伝授された。
伝教大師は天性の秀才利発の人であったので、道允和尚は悦んで天台大師の造られた十五の経蔵を開いて伝教大師に見せられた。
ところが十四の経蔵は開いたけれども残りの一つは開かなかった。
そこで伝教大師は「和尚、この経蔵を開いてください」と懇請(こんじよう)した。
道允和尚は、「この経蔵だけは開く鍵がない。天台大師が再び世に出現されて御自分で開かれるであろう」と答えられた。
その時、伝教大師が日本から身につけてきた鍵をとり出し、
この経蔵を開かれると、経蔵のなかから光が発して室内を明るく照らした。
その光のもとを捜し見ると摩訶止観第五巻の一念三千の文から光が放たれていた。
ありがたく不思議なことである。
この時道允和尚は相伝の師でありながら反対に伝教大師を礼拝(らいはい)され、
「天台大師の再来である」と言われた。
このようにして、経蔵に納められていた天台大師の書物は残らず日本に将来されたのである。
天台大師御自筆の観音経、
章安大師自筆の摩訶止観が、
現在、比叡山の根本中堂に収められている。 

一念三千の法門

(原文)問うて曰く、妙法を一念三千と云う事如何。
答う、天台大師この法門を覚り給うて後、
玄義十巻・
文句(もんぐ)十巻・
覚意三昧(かくいざんまい)・
小止観(しようしかん)・
浄名疏(じようみようしよ)・
四念処(しねんじよ)・
次第禅門(しだいぜんもん)等の多くの法門を説き給いしかども、
この一念三千をば談義し給はず。
ただ十界百界千如の法門ばかりにておはしまししなり。
御年(おんとし)五十七の夏四月の比(ころ)、謁州(けいしゆう)の玉泉寺(ぎよくせんじ)と申す処(ところ)にて、御弟子章安大師と申す人に説ききかせ給いし止観十巻あり。
上(かみ)の四帖(じよう)になおをしみ給いてただ六即(ろくそく)・四種三昧(ししゆざんまい)等ばかりの法門にてありしに、
五の巻より十境十乗(じつきようじゆうじよう)を立てて一念三千の法門を書し給へり。
これを妙楽大師末代の人に勧進して言く
「並に三千を以て指南となす○請うらくは尋ね読まん者心に異縁(いえん)無かれ」文。
六十巻三千丁の多くの法門も由(よし)無し。ただこの初の二三行を意得(こころう)べきなり。

止観の五に云く
「それ一心に十法界(じつぽうかい)を具す、一法界にまた十法界を具すれば百法界なり。一界に三十種の世間(せけん)を具すれば百法界にはすなわち三千種の世間を具す。この三千一念の心に在り」文。

妙楽承(う)け釈して云く「まさに知るべし身土(しんど)一念三千なり。ゆえに成道の時この本理に称(かな)うて一身一念法界に気(あま)ねし」文。

(現代語)答えて言う。天台大師はこの一念三千の法門を証得されてから後、
法華玄義十巻・法華文句十巻・覚意三昧・小止観・浄名疏(維摩経疏)・四念処・次第禅門などの多くの法門を説かれたが、この一念三千については説かれなかった。
ただ十界・百界・千如の法門ばかりであった。ところが、御年五十七歳の夏四月頃、謁州の玉泉寺という所で、御弟子(みでし)の章安大師と言う人に説かれた摩訶止観十巻がある。
その書の初めの四巻は六即や四種三昧などの法門ばかりで一念三千については説かれなかったが、
第五巻から十境十乗を論じて初めて一念三千の法門を書き記された。
これを妙楽大師は末代の人びとに勧めて、
「天台大師の観心(かんじん)法門は一念三千をもって教授相伝の基本とする。(略)教えを求める者はこれ以外に天台大師の究極の法門があると思ってはならない」(摩訶止観輔行伝弘決)と言われている。
天台大師の法華仏教を網羅した六十巻三千丁にわたる書物(天台大師の法華玄義十巻・法華文句十巻・摩訶止観十巻・妙楽大師の法華玄義釈籤十巻・法華文句記十巻・摩訶止観輔行伝弘決十巻、の合計六十巻)に説かれた多くの法門も天台大師の御本懐(ごほんがい)を知るには充分ではない。
ただ摩訶止観第五巻の初めの二、三行(一念三千の法門)を体得することが大切である。

大切な文は摩訶止観第五巻に「一心に十法界を具え、その一法界にそれぞれ十法界を具えているので百法界である。。百法界のうちの一法界にそれぞれ三十種の世間(三世間は十如であることから相乗して三十種世間となる)を具えるので、百法界は三千種の世間を具したものとなる。この三千の世間が一念の心に在る」と説かれている。

妙楽大師はこの文(もん)を解釈して、「まさに知るべきである。正報(しようほう)(有情界)も依報(えほう)(非情界)もことごとく一心に具わった三千の諸法である。したがって成仏する時はこの本理(本具の妙理)のとおり一身一念が法界に遍満する」(摩訶止観輔行伝弘決)と記されている。 

合掌
いよいよ難しい一念三千の法門です。
しっかり勉強してまいりましょう。 

成仏論について

一代大意122-123
一代大意抄 122-123ページ

(原文)問うて云く
諸経にも悪人が仏に成る。華厳経の調達(ちようだつ)の授記、
普超経(ふちようきよう)の闍王(じやおう)の授記、
大集経(だいしつきよう)の婆籔天子(ばそてんじ)の授記。
また女人(によにん)が仏に成る。胎経(たいきよう)の釈女(しやくによ)の成仏。
畜生が仏に成る。阿含経の鴿雀(こうじやく)の授記。
二乗が仏に成る。方等(ほうどう)だらに経・首楞厳経(しゆりようごんきよう)等なり。
菩薩の成仏は華厳経等。
具縛(ぐばく)の凡夫の往生は観経(かんぎよう)の下品下生(げぼんげしよう)等。
女人(によにん)の女身(によしん)を転ずるは双観経の四十八願の中の三十五の願。
これ等は法華経の二乗・竜女(りゆうによ)・提婆・菩薩の授記に何(いか)なるかわりめかある。また設(たと)いかわりめはありとも諸経にても成仏はうたがひなし、如何。

答う、
予の習い伝うる処の法門、この答に顕(あらわ)るべし。この答に法華経の諸経に超過(ちようか)し、また諸経の成仏を許し許さぬは聞(きこ)うべし。秘蔵のゆえに顕露(あらわ)に書(しる)さず。

(現代語)問うて言う。
法華経以外の諸経にも悪人が仏に成ると説かれている。
華厳経には調達(提婆達多)などの五百の悪人が未来に成仏すると説かれ、
普超三昧経には悪人の阿闍世王が未来に成仏すると説かれ、
大集経(正しくは方等(ほうどう)陀羅尼経)には不善を行った波籔天子(毘瑟紐天(びしちゆうてん))が未来に成仏すると説かれている。
また女性が仏に成ることについては、菩薩処胎経に女人の成仏が説かれている。
畜生が仏に成ることについては、阿含経に鴿雀(いえばと)が未来に成仏すると説かれている。
二乗が仏に成ることについては、方等陀羅尼経や首楞厳経などに説かれている。
菩薩の成仏については、華厳経などに説かれている。
煩悩に縛られた凡夫の往生については、観無量寿経に下品下生を明かして罪悪深重(じんじゆう)の凡夫も弥陀の浄土に往生できると説かれている。
女性が女人の身を転ずる(変える)ことは大無量寿経の四十八願のなかの第三十五願に、弥陀の名号を称(とな)えると女人の身を転じて男子(なんし)となり、浄土に往生すると説かれている。
これら諸経に説き明かされている成仏・往生は法華経の二乗(二乗作仏(さぶつ))・竜女(女性の変成(へんじよう)男子の成仏)・提婆達多(悪人成仏)・菩薩の未来成仏とどのような違いがあるのか。また、たとえ法華経以外の諸経と法華経とに違いがあるとしても、諸経においても成仏することは疑いがない。どうであろうか。

答えて言う。
私が習い伝え受けた法門によればこの答えは明確である。
この答えを聞けば、法華経が諸経より勝れ、また諸経において成仏ができるかどうかも明瞭になる。
しかし、これは仏の内証(ないしよう)を説いた秘蔵の法門であるので顕(あらわ)に書き記すことはできない。

合掌


仏教全体の理想とは何か?
成仏を究極の理想としているのは間違いない。
真の成仏は法華経以外に見いだせない。という
論点でこの書は綴られているべきであろうが、
意外な事に、法華経は秘蔵といい
詳細を書くことをこの文章では
ためらわれている。
大変不思議な事である。
悪人成仏、女人成仏は法華経の専売特許のように
習った記憶があるが
このように法華経以前の経典に書かれているとは
まことに驚きました。

あえて
「予の習い伝えるところの法門、この答えに顕らはるべし。
この答に法華経の諸経に超過(ちようか)し、また諸経の成仏を許し許さぬは聞(きこ)うべし。
秘蔵のゆえに顕露(あらわ)に書(しる)さず。」

一体何をもったいつけているの?と感じてしまう凡夫のわたくしです。

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