2016年05月31日

汚れた赤を恋と呼ぶんだ(河野裕著)

「階段島」シリーズの三作目。一作目が「いなくなれ群青」、二作目が「その白さえ嘘だとしても」。書名としては二作目の続きのようなイメージだ。

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実は、読み始めてしばらくは、大いにとまどうことがあった。登場人物の名前は全二作と同じだが、そのキャラクターが異なる。ずいぶん人間的(変な表現だが)な人物が登場する。しかも時系列的に全二作よりも数年前に遡っているようにも感じる(自信はないが)。

全二作では「階段島」という社会から隔絶された空間で、「魔女」によって現実世界の人間が、嫌いな性格を抜き取ってしまい、その「嫌な性格の第二のわたし」達が集団生活をしているわけだ。だからこそ純粋性格の高校生たちの美しい物語が描かれる。

そして、ボケた頭にもやっと見えてくるのだが、第三作は、その現実社会の中で、自分の嫌な性格を魔女にどこかに持って行ってもらおうかどうかを悩む人たちや、失った性格の一部をもう一回取り戻そうと魔女を探す人たちの話のわけだ。

本来なら、こちらが表であちらが裏のはずが、転倒している。

だから、二作を読んだ人じゃないと、解読不能の書かもしれない。

そして、シリーズは、表と裏と今後別々に進んでいくのだろうか。よほど頭のいい人じゃないと振り切られるかもしれない。

まだまだ、シリーズの結末は先の方だろうし、現段階で評価をすることは控える。
  
Posted by ota416 at 00:00Comments(0)TrackBack(0)書評

2016年05月30日

逃げたらどうなっただろう

G7伊勢志摩サミットが終わり、街には安らぎが戻った感じだが、先週の始めに東京駅八重洲口から中央郵便局(KITTEビル)方面に行こうと、幅20メートルの横断歩道で信号待ちしていると、郵便局側に女性警官が10人ほど集まってきた。ちょうど9時の交代時間帯だったのだろうか。夜勤は男性がして、女性は朝からなのかな、とか考えながら、女性警官の先頭はモデルボクサーのような長身で筋肉質の遠目では美形に見えた。

となると、大きめのカバンを持っていたのだが、その中からデジカメを取りだそうとカバンに手を入れながら横断歩道の向こう側をみると、私の一件不審な行動をさっそく察知したらしく、すでに右手は腰の皮ケースにあてがわれているではないか。

お許しくだされ〜って感じだ。あわてて行為中断し、カバンを閉じる。

しかし、20メートルの距離で、水平撃ちして命中するのだろうか。女性警官乱射事件になってしまうのではないだろうか。

さらに、仮に爆弾持っていたら、そんなの銃撃していいのだろうか。

後で思ったのだが、慌てふためいて走って逃げたらどうなったのだろう。近くの私服警官に暴行を受けるのだろうか。私服である場合でも、抵抗すると公務執行妨害になるのだろうか。もっとも私服警官ってどうみても刑事だよね。  
Posted by ota416 at 00:00Comments(0)TrackBack(0)市民A

2016年05月29日

植田正治写真美術館

米子の南にあたる伯耆町にある「植田正治写真美術館」へ。地元出身の写真家を記念して美術館になっている。建物そのものがアートという趣向である。

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まず、地元のループバスもあるものの、目印の少ない道を運転すると、「カーナビがなければ来られない、あるいは途中で断念ということになるだろう」と確信する。カーナビすら信用できないほど曲がりくねった道を走る。

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そして、思っていた規模の5倍もの大きな美術館が登場する。個人の美術館としては破格の大きさだ。バルセロナのピカソ美術館より大きいかもだ。

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今回は、植田正治氏が70歳代(1980年代)になした作品を展示している。どうも60歳代に次々に実生活で不幸が続き、意気消沈していた彼を、まわりの人たちが支えて復活させた時代の作品だそうだ。(わたしの場合は意気消沈したら周囲の人たちは大喜びなのだろう。)

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そして、コンクリートの建物と雄大な農地と巨大な火山である大山(だいせん)。色々な角度で撮影を楽しめる。

ただし、あくまでも大山から噴煙が見えないあいだだけだ。大山は、一万年に一回ずつ巨大爆発を起こしていて、前回の爆発から一万年が経過している。日本には、爆発したらその規模や被害が想像できない火山というのがあり、その一つだ。火山灰は東日本まで届くだろう。  

2016年05月28日

鳥取じゃなく飛取で

5月14日出題作の解答。

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動く将棋盤は、こちら


今週の問題。

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鳥取シリーズにこだわっているのだが、将棋ネタにつながらないので、苦し紛れに鳥取ではなく鳥の親戚の[「飛取」にしてみた。「ひっとり」と読めばいい。おまけに名産の二十世紀梨に由来し、「持駒なし」。

わかったと思われた方は、コメント欄に最終手と総手数と酷評を記していただければ、正誤判断。  
Posted by ota416 at 00:00Comments(2)TrackBack(0)しょうぎ

2016年05月27日

「のどぐろ」一山

のどぐろは日本海を代表する高級魚で、なかなかメジャー優勝できないテニスプレーヤーが推奨したこともあり人気魚である(彼が推奨している衣料品会社の製品の方は高級品ではないもののイマイチだが)。

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そして大漁港の境港にある「境港おさかなセンター」に行くと、30センチ近い成魚だと3000円前後なのだが、その半分ほどの小さいものは、一夜干しで一山1000円程度で、いわば叩き売りといった感じだ。

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それなら、捕まえないで大きくしてから漁獲すればいいような気がするが、漁法的な問題があるのだろうか。あるいはもっと深い経済的合理性があるのだろうか。

といっても目の前にある一山4匹の方が、一本物よりも消費者的には合理性があるように思って、買ってしまう。干してあるとはいえ、生ものなので、以後二日間のおかずが同一メニューになる。

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そしてフライパンに「こげつかないシート」を広げて焼き始めると、脂が果てしなく溢れてくる。思うに、のどぐろの特徴は、味と匂いと両面がある。味を重視して匂いを抑えるように、十分に火を通してみた。

大きいのどぐろと変わらないと思う。食べる前に喉の中を確認したところ、やはり黒っぽかったのでニセモノではないだろう。  
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2016年05月26日

にぎわう『とっとり花回廊』

鳥取ツアーも後半だが、最も賑わっていたのが『とっとり花回廊』だった。地元の人と、中国、韓国からの観光客。

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「花を愛する」という行為は文化の高級化度合いを示すらしいが、実際には数値化が難しいのだが、確かにそうだろう。今、日本は水族館ブームだが、鳥取県民(交通警官は除く)は高級だ。

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中国や韓国には、こういったものが少ないのだろうか。となると、国家を含めた行政のレベルよりも人々の民度の方が高いことになる(というかそうなのだけど)。

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この回廊ということばだが、イメージ的に使われているのではなく、本当に回廊がある。敷地の中央に建物があって、そこから直角に四方に屋根付きの回廊があって、それぞれに建物がある。そしてその四つの建物が回廊でつながっている。上空から見ると、クルマのハンドル状に見えるわけだ。

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もちろん、ほとんどの花は、地上に「花畑」という形状に広がっていて、なんらかの温度コントロールが必要な植物が建物の中にある。

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そして、敷地の奥の方では、背景を大山(だいせん)とした、ポピー畑が美しい。カイバル峠を間近にするアフガニスタンのケシ畑を連想させる(行ったことはないが)。

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花の栽培でもしようかな、という考えが大脳のどこかから発生し、通常は、そういう思いつきは瞬時に消え失せるのだが、まだ脳内から駆除されていない感じだ・・  

2016年05月25日

皆生温泉のお風呂屋さん

皆生(かいけ)温泉といえば、『蟹』と『色街』で有名という位しか知識はなかったのだが、米子と境港の間にあるではないか、と地図を見て発見。夏の昼間に行くとなると『蟹』も『色』も堪能できないので、日帰り温泉に立ち寄るという方針で調べ始めると、意外なことに、湯質について、あまり好意的な表現が少ない。

どうも「海水の化石」とかひどい表現もあるし、塩分で体がべとべとになるようだし、源泉かけ流しではないところは、消毒のにおいがあるとか・・

なんとなくネット上は作為的なものを感じないでもない。

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といっても、もともと計画外なのだから、深く考えなくてもいいわけで、海は見えないものの格安のスーパー銭湯「OU(おーゆ)ランド」へ行ってみる。

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温泉内では撮影しないことにしているので、パンフ写真を紹介だが、大規模施設なので、清掃はしっかりしているので、大浴場(おー風呂)も露天風呂も問題はどこにもない。

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湯質だが、べとべとなどしないし、無色だ。東京都内の大型施設の湯の方が塩辛いし、茶色だ。もちろん、温泉毎に湯質は異なるので、好き好きについては単なる個人的問題だし、比較するほど温泉めぐりをしているわけではない。ついでにチャポン派だ。

パンフを読むと、「創業120年の温泉供給会社」となっている。温泉の井戸元をやっていたのだろうか。近隣の温泉旅館などに供給していたのだろう。そして、近年になって、自分でも格安施設を始めたということなのだろう。つまり、「産地直売」方式。こういう産業にまで「サプライチェーンマネジメント」が浸透しているということなのだろう。  
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2016年05月24日

妖怪都市、境港へ

米子から日本海に向かうと突き当りが境港(さかいみなと)。遠洋漁業の町が妖怪都市に変わったのは、この町の出身の水木しげる氏の「ゲゲゲの鬼太郎」のおかげだ。具体的には水木氏の実家が海運業者であり、ここを仕事の拠点にしていたからだ。水木しげるロードからほんの3分歩けば、日本有数の大漁港である。

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まず、足を向けたのが「妖怪神社」。妖怪パワーをいただける場所だ。1億円寄贈すると本物の妖怪の仲間に入れてもらえる。その場合、妖怪相互銀行の発行する1億円札が必要なので事前に用意しておく必要がある。近くに鳥取銀行の妖怪ATMもある。

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そして、テレビで知っていた鬼太郎が歩いていた。究極のご当地キャラというべきか。こどもサイズかと思っていたらジャイアントだった。ゲタなど飛ばさなくても格闘技が強そうだ。少女と一緒に被写体となっているが、この少女の素顔は、まさに猫娘と同じ顔だ。

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その他にも後姿がねずみ男と同じ服装の女性も歩いていたし、観光客の1割ぐらいは妖怪世界から実世界に送り込まれたスパイだ。妖怪神社でお賽銭を払わない人や観光地で財布を使わない人間には空からカラスが落し物を見舞うことになっている。

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水木しげる記念館は水木しげるロードのほぼ一番先にあり、相当立派である。彼の一生を俯瞰できるようになっていて、基本的に楽天的な人だったのだなあ、と感心する。「水木」は本名ではなく住んでいたアパート「水木荘」から無断借用したもので、「ゲゲゲ」の方はこどもの時の「あだ名」だそうだ。自分の名前である「しげる」がきちんと発音できずに「げげげ」と他人に聞こえたようで、いわゆるパワハラに近い。

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一番感心したのが、妖怪のキャラ作り。戦争で片手を失ったのは既知のとおりだが、それでも有名になり始めたころから、片手でバッグを転がし世界各地に妖怪探しの旅に出ている。その回数、数十回。単に旅行に行っても簡単に妖怪に会えるわけでもないし、そもそも文献で調べるなら密林や荒野を歩く必要はないし、風景画を描くわけでもなく、そこが常人と違うところなのだろう。

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近くに山陰線発祥の地の記念碑があるようだが、正確な場所が検索できなかったのでパス。発祥の地と言っても山陰線敷設のための鉄道資材を陸揚げするために境港が選ばれたということだそうだ。軍事用語では橋頭堡だ。ノルマンジー上陸作戦など。  
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2016年05月23日

絶景のはずの米子城が・・

鳥取シリーズは西部に移り、米子市周辺へ。


まず、米子城。鳥取県には、鳥取城と支城としての米子城がある。鳥取城は秀吉による飢え死に作戦にはまり日本史上最悪の落城となったことが有名になり過ぎているが、米子城についても、あまりいいことはない。

何しろ、金欠に泣き続けた城のわけだ。なにしろ天守閣を築き始めたのは吉川広家だが、完成前に関ケ原の合戦になる。実は広家は裏工作で大活躍して毛利家の存続には功績があるが、色々と板挟みになり、岩国城主ということに落ち着く。徳川にも毛利にも恨まれる。

ということで、米子城は城主を失い、豊臣家臣ながら東軍に寝返った中村氏が入城するが、これまたお家騒動とか色々あり、嫡男を得る前に病死し、お取りつぶしとなる。

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その後、加藤家を経て池田家が鳥取城主となり支城という扱いとなったのだが、実は米子城の方が大きいわけだ。しかも眺望は極めて美しい。そして明治維新となり、再び試練が訪れ、米子城はある家臣に数千円で払い下げられるも、維持困難となり、叩き売りとなる。叩き売り直前の古い写真が残っているが、結局、廃材扱いとして風呂屋の燃料となった。

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当時の城の残存物で唯一の物は、「はしご」。なぜ、はしごだけが残ったのかは不明だ。たきぎにするには、はしごの方が簡単な気がするが、おそらく、簡単にとりはずしして残せるものが一本のはしごだけだったのだろう。

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という財政的な不幸がつきまとう城だが、城の入口に到着したのは、夕方である。城まで車で行けるかと思ったが、地上から見上げた山の上に石垣が見えるが、どうも歩いて登るらしく、断念。翌朝のお仕事とする。

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一夜明け、最初に城攻めから始めるが、やはり駐車場は平地にあり、山道を歩く。たぶん、鳥取城のように「熊・猪・蜂」の三点セットだろう。散歩の人達から離れないように警戒しながら登るが、10年後には無理かもしれない。

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そして石垣を登り切ると眺望が開け、四方が望める。海と湖、山と人間の作った街。境港もかすんで見える。

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しかし、あまり絶景ではないわけだ。かなり黄色く霞んでいるが、これは鳥取砂丘のせいじゃない。前日の鳥取東部でもそうだが、空が黄色いのは、中国大陸からのプレゼントである「黄砂」の影響。気管支炎には悪影響だ。眼も痛い。

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そして、どうも米子城に天守閣を復元しようという計画があることを確認する。

前述の古写真が決め手になったのだろう。権威付けにはリアリティが必要で、架空の城では付加価値がない。たった一枚の写真で、その観光価値が高くなるのだ。しかし、財政的には不幸の連続の城なので、うまくいくことを願いたい。建設途中で、建設反対派の市長が当選して工事の長期塩漬けになったりして・・

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山を下り、境港に向かう。
  
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2016年05月22日

白兎神社(白兎海岸)

鳥取市街地から海岸沿いの道を米子方面にわずかに西に向かうと、白兎海岸がある。大国主命が、皮がはがれた白兎に親切にしたことで有名な場所だ。古事記に「因幡の白ウサギ」として、その逸話が記されている。

大国主命は、出雲の国の王様のこどもだったのだが、他の兄弟と競争してこの地に住む八上姫と結婚しようとやってきたわけだ。他の兄弟はウサギに対して海水浴をしてから甲羅干しすればいいと言ったのだが、もちろんそれでも治るのだろうが、痛い。逆に水で洗って蒲の葉の上に寝転べば治ると教える。

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実際には、ウサギは八上姫が放ったスパイだったそうで、大国主命が結婚相手として合格し、この土地は出雲勢力の配下となった。クレオパトラとシーザーの関係によく似ている。

来る前は出雲(島根)の国の話かと思っていたのだが、出雲からはかなり遠い。出雲勢力は大和勢力と大戦争の結果、滅びたのだが。やはり戦国時代のように各地の豪族の奪い合いとかあったのだろう。

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位置的に言うと、白兎海岸は鳥取市のそばであり、出雲勢力はここから兵庫県北部まで進出してもおかしくないが、そこはもうすぐ京都である。京都と奈良は同一回廊の中にあるともいえるので、大国主命の影響力が強くなったあたりで大戦争があったのかもしれない。

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砂浜は広いが、白兎がいない代わりに黒いウェットスーツの人間がたくさん海の中にいる。

これより鳥取県の西部に移動する。
  
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2016年05月21日

鳥取出身を隠した棋士

鳥取県シリースの中盤なので、鳥取出身の棋士のことでも書こうかと調べてみると、意外なことがわかった。

鳥取で生まれたのに、宮城県出身と偽る棋士がいた。

N原誠氏。そう、元名人。鳥取県で出生後、1カ月で引越し。といっても鳥取出身のような気がする。

鹿野町で生まれたそうで、名誉町民になっている。名誉を傷つけるような行為が発覚したあとで名誉町民認定とは、笑いそうになる。

なお、町内には、武士の鑑というべき山中鹿介の墓がある。


一方、一日も住んだことがないのに鳥取県民をアピールする棋士が山口恵梨子女流だ。

先祖が鳥取生まれだが、本人は大阪生まれの東京育ち。

先日は、ご先祖の住んでいた三朝町の将棋イベントに招待されているようだ。タイトル一つでも手に入れれば、名誉町民間違いないだろう。



さて、5月7日出題作の解答。

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動く将棋盤は、こちら


今週の問題。

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わかったと思われた方は、コメント欄に最終手と総手数を記していただければ正誤判断。
  
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2016年05月20日

少し怖い鳥取城へ

鳥取といえば「鳥取城」と言いたいが、少し口ごもることがある。1580年に秀吉に包囲されて落城した時に、20日分しか食糧がなく、それでも2ヶ月は耐え忍んでいたが、それ以降は、味方の死人を食べ、埋められた死者を掘り起こして食べ、逃げようとして秀吉軍から撃たれまだ息のある者を食べ、城主の吉川経家が切腹し開城。

せっかく解放されたのに秀吉が用意した炊き立ての粥を大食いし、ほとんどの兵士がショックで亡くなったといわれる。毒を盛ったのかもしれない。

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実際に立地を見ると、険しい山を背に石垣が組まれ、後背地からの攻撃は無理なのだろうが、だから兵糧の補給に困難が生じた。

歴史的いうと、秀吉はこの前に三木城を同じように兵糧責めにして落としている。さらに鳥取城の次は備中高松城を水責めにしている。軍師は黒田官兵衛。

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一説には鳥取城は心霊スポットと化し、夜は妖怪が飛び交うといわれている。

実際には、「妖怪注意」ではなく、「熊、猪、蜂注意」となっている。いずれも逃げても追ってくる。強そうに太った熊蜂に頭を狙われ追い回されたが、奇跡の生還を果たす。整髪料にフェロモン系の香料が使われていた可能性があるかもだ。


ところが鳥取城は工事中なのだ。どうも石垣工事を行っているようだが、さらに天守閣を作ろうということらしい。

なんとなくうまく行かないような気がする。さらに、修復中の石垣だが野面積。大きな石だけを重ねて小さな石を詰めていないので、構造的にアブナイ。まだ完成までは遠いのだが、今でも観光地だろうが、何も努力はされていないようにみえる。


ところが鳥取城は工事中なのだ。どうも石垣工事を行っているようだが、さらに天守閣を作ろうということらしい。

なんとなくうまく行かないような気がする。さらに、修復中の石垣だが野面積。大きな石だけを重ねているが構造的にアブナイ。まだ完成までは遠いのだが、今でも観光地だろうが、何も努力はしていないようにみえる。

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ところで、秀吉が卑怯な戦法を使った相手は、すべて毛利輝元の部下だ。輝元は動かず、すべて見殺し。結局、秀吉亡き後は五大老の筆頭に起用されたのだが、関ヶ原では加勢のタイミングを誤る。しょうがない奴だ。  
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2016年05月19日

河原城の意味

河原城(別名若鮎城)は秀吉が鳥取城に立て籠もる吉川経家を攻めるために、ベースキャンプとして急遽作られた城である。基本的に防御のためではなく攻撃のための城なので、天守閣はない。

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しかし、現在、城郭の復元と同時に天守閣ができてしまった。城域は狭いので不要の天守閣を作らず、いくつかの屋敷が建てられていたのだろう。まあ、城といえば天守閣ということで、観光用には必要なのだろうが、わからなくもないがどうしたものだろう。

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城内は郷土資料館といったところだろうか。人工的に作られた物なので、眺望もいい。まさに要所を選んだということだ。山々に囲まれているが川筋に開けたところを進軍していけば鳥取市街地に至る。

鳥取城にはこの後行くのだが、険しい山を背景に高石垣で正攻法には強い城なのだが、それが災いして、日本史の中でもことさら惨い落城となった。信長にしろ、秀吉にしろ、目的のためには手段を選ばすということだろう。河原城を基地とし、鳥取城の傍に陣を張り、包囲した。

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展示物の中に、鳥取地方に伝わる「麒麟獅子」の展示があった。獅子舞の上を行く麒麟獅子。あやつるのは一人ではなく二人一組だそうだ。若い男が二人で組むのだろうか、あるいは男女で組んでラブロマンスの始まりになったりするのだろうか。男は地元に残り、女は都会に出ていき、十年の歳月の末、祭りの夜に再開する。中上某のような作家なら書きそうだが、鳥取出身でもないし、今はいないし。
  
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2016年05月18日

浦富海岸で海鮮丼をいただく、プラスワン

浦富は「うらどめ」と読む。砂丘より北上。風光明媚の海岸として知られるが、陸上にいても良さがわからない。船で沖から陸をみれば美しさがわかるそうだ。といっても、そういうわけにはいかず陸上から海岸を眺めるが、当日は黄砂が多く、あまり美しく見えない。

海にはダイバーたちが遊んでいるが、こちらは昼食の時間だ。「シーサイドうらどめ」という宿泊もできる設備で、「海鮮丼」を注文。待つこと10分で、白っぽい海鮮丼が登場。高級品がずらっと並び、かなりの割安感を感じる。

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難を言えば醬油。関西風醬油だ。

この海鮮丼という食事だが、千差万別だ。あえてマグロに拘らないこちらの店の海鮮丼はとても感動的だ。

そして、プラスワンの話。

この店の駐車場の奥にも駐車場があって、あやまってそちらにクルマを入れてしまった。そうなると駐車場のはずれの方になるのだが、気がつくと、何台かのクルマの陰で人の気配ある。妙齢の女性ダイバーがウエットに着替え中だった。極小の黒ビキニ1枚だけになり、着替えの作業中だ。できれば、逆方向の着替えの方がうれしい。

一般論として、ダイビングスポットになっている海岸の近くの駐車場の一番奥が狙い目だが、各種犯罪行為は慎んでもらいたい。
  
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2016年05月17日

砂丘美術館は意外な構造

鳥取砂丘だけでは物足りないという人のために、砂丘美術館というのがある。やや、まぎらわしいネーミングで、砂丘を改造して美術化しているわけではなく、鳥取砂丘にあって、砂を原料として彫刻としての美術品を作るということになっている。

しかし、砂でできる芸術は「砂絵」ぐらいしか思いつかない人も多いが、砂に若干の水分を加え、こちこちの塊を作ってから、削っていくそうだ。コンクリート的な考え方だ。なんとなく札幌の雪まつりみたいに、そのうち暖かくなれば崩れていくようなことにはならない。

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テーマ別に展示替えが行われ、現在は南米特集。そのテーマは白人(スペイン人)による現地人への迫害と同化というようなことのようだ。そして、アマゾン。ワニとジャガーの戦いとか、私の嫌いなアナコンダも登場。

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たとえて言えば、体育館のような建物の中に、大型の砂製の彫刻があるということ。2階から鳥瞰的に眺めることもできる。色がないのが残念と言うところか。思うに、製作中に失敗すると、かなりまずいことになる。失敗作は砂の山としかいえない。

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鳥取砂丘への滞在時間が増えると、髪や顔面に砂の粒子が付着していく。合わせて当日は黄砂が飛び散る日で、治ったばかりの気管支炎がぶり返しそうになり、次へ・・
  
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2016年05月16日

鳥取砂丘に

鳥取シリーズの1回目。鳥取砂丘という言葉は知っているのだが、画像で見るだけではイメージが湧かない。アラビア半島のようなものなのか、九十九里浜のように長大な砂浜なのか、あるいは野生のラクダが生息しているのか、確かめに行こうと思い立ち1500CCの小型車で岡山を出発し高速道路も途中までしかなく、とある警察関係者との事件を乗り越えて砂丘の付近に到着。どうも巨大な駐車場が見えてきた。

基本となる砂丘の大きさがつかめていないため、判断しにくいのだが、駐車場に入り、近くの「鳥取砂丘ジオパークセンター」で地図を入手すると、どうも砂丘と言うのは海岸の砂浜に自然の砂の壁ができた状態であることがわかった。鳥取県の半分位あるのかと思ったら、歩いて30分ほどの区域だそうだ。

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そして、正面から真っすぐ海岸に向かうと「馬の背」と呼ばれる巨大な砂の壁が見えている。不謹慎ながら、サンドウェッジと言われるバンカー脱出用のゴルフクラブでチャレンジしたいような気がしたが、高さ47メートルだそうだ。前向きに47メートル飛ばすのは簡単至極であるのだが、高さはどうなのだろう。よく角度45度で打つのが限界と言われるので、高さ47メートルなら壁から47メートルの距離で打てばちょうど馬の背を超えて、距離90メートル(100ヤード)のところに着地しそうだ。もっともゴルフクラブは持込禁止になっている。

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そして、多くの人が砂丘の頂点をめざすので足跡で斜面は踏み固められているのだが、無意識に登っていて、かなり足が重いと思ったら、誰も歩いていないフカフカの砂の中で苦戦している私がいた。

多くの人が裸足で登っていて、ヒールのある靴では無理だが、そもそもそれで砂丘に来るのは無謀だろう。水虫がうつされそうなので、靴は脱がないことにした。

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頂点に立つとさすがにクラっとするが、海岸まで降りてしまうと、再び馬の背に登らないと帰れないので遭難しないように断念を英断する。

  
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2016年05月15日

森鴎外記念館で「私がわたしであること」

数多くの文学館を見てきているが、この鴎外記念館を見てびっくりしてしまった。美術館ではないのに、この立派すぎる建物はなんだろう。それも文京区である。マンションを建てれば相当の収益性があると言うのに、よりによって夏目漱石じゃなく人気のない森鴎外である。鴎という字だって本当はちょっと違う。

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安藤忠雄設計と見たが、そうではないのだがやはり建築関係の受賞作だそうだ。

だいたい文学館と言うのは作家の住宅を改造したものが多いのだが、この打ちっ放し感の漂う硬質な建物は、まさに鴎外文学の神髄を生かしたものなのかもしれない。

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ドイツ留学中に恋愛関係を清算しようとした「舞姫」や「高瀬舟」のような代表作でも、なんとなく理想と現実の間にウジウジと割り切れない人物を作りだして、それが不人気の理由なのだろうが、ある意味、人間としていかようにもならない不合理、不条理があるということを言いたいのではないだろうかとも思ってみた。

鴎外と言えば、医学者でもあり、翻訳家でもあり、小説家なのだが、晩年、医学や翻訳について、小説をもっと書くためには余計なことをしなければよかったと言わせているようだ。

翻訳で有名なのが、「即興詩人(アンデルセン)」。無人島にもっていくべき一冊として有名だが、鴎外は文語調で書いている。読みにくいからということで、同郷の安野光雄氏が口語に直しているので、さっそく購入。まだ無人島あるいは独房に入る予定はないため、その日のために積んでおく。

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さて、当日の鴎外記念館では「私がわたしであること」という展覧会を開いていた。鴎外の妹、妻、娘たちである小金井喜美子、森志げ、森茉莉、小堀杏奴。どうも周辺にいた女性たちの中から文学者が多いようだ。大正から昭和を通しての女性文学は彼女たちが支え、現代の女流文学者の礎になっているようなことだろう。

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小金井という姓で気付かれた方もいるだろうが、「星新一」も親類である。
  

2016年05月14日

板谷進詰将棋短編好局集のルーツ

7手から13手詰までの100題。遺品の中から探し出した作品を整理して世に出たわけだ。比較的実戦に出てくるような図が多く、通常の感覚ですらすら解けていく。易しいのがいいのか難しいのがいいのかよくわからないが、板谷先生はこれらの作品の素材を「稽古将棋の実戦」の中から取材したそうだ。

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稽古将棋の終盤が詰むか詰まざるやという状況になるというのは、アマチュア相手に少し手を緩めて、最後に派手なトン死で逆転勝ちするというようなことをやっていたのだろうか。私がこども教室で使う手と同じだ。

あるいは、詰まされていたのかな。


さて、4月30日出題作の解答。

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序盤のさばきがないと後半の栄養源がなくなってしまう。

動く将棋盤は、こちら


今週の問題。

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板谷先生に習い、簡素形を作ってみたが、自分で造ると、どうも気持ち悪い問題になってしまう。

わかったと思われた方は、コメント欄に最終手と総手順を記していただければ、正誤判断。
  
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2016年05月13日

松屋久兵衛、一升

GWから飲み始めた大吟醸「松屋久兵衛」、精米度35%ということで、一升もあると、飲み疲れしてしまった。

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酒の名前は、牛丼店と高級すし店を組み合わせたようなものだが、京都御所の近くで造り始めたのが最初らしい。天明元年(1781年)の創業らしい。

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一升ビンが芸術的である。念のために通販価格を調べると12,000円くらいだが4合瓶にすれば4800円ほど。個人的には、一升(1800ml)は多過ぎるような気がする。

今年のGWは4日間しか休みが取れず、なんとなくボケっとしていたが、原因はこれだろう。
  
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2016年05月12日

金座の話と大航海時代の水夫の話

先日、単なる所用で銀座一丁目の田中貴金属に行った。ついでに、金の延べ板を見せてもらったのだが、50g、100g、200g、300g、500g、1Kg と細かい種類がある。どうも200万円以上の板を換金する場合、マイナンバー提示が義務付けられたため、100gと200gに人気があるようだ。現在レートだと、500gでも230万円程度でマイナンバー提示が必要になっている。

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ところで、田中貴金属があるのは銀座で、地名の由来は、江戸時代、ここで銀貨を鋳造していたからだが、では金貨はどこで造っていたかというと、「金座」である。では金座はどこにあったかというと、日銀の場所だそうだ。まさにそのものの場所。将来、中央銀行がなくなった場合、金座の地名が復活するかもしれない。(トランプ候補は中央銀行不要論らしい)

ところで、金の魅力は不滅であり、大航海時代の水夫たちは、片耳の金のピアスをしていたそうだ。別に験かつぎではなく、航海中に不幸にして帰らない人となった場合、海にドボン!ではなく、ピアスを財源にしてキリスト教的な葬儀を行ってもらうためだったそうだ。もちろん、耳そぎされるだけでドボン!されることもあっただろうが、自己納得も必要だ。

現代日本でも金のネックレースをちゃらちゃらしていたサバ男のホームランバッターが注射器を手に持ったまま捕まったが、保釈金の財源だったのかもしれない。
  
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2016年05月11日

残っている話(宇野千代著)

最近、宇野千代のことを「元祖肉食女性」とタイトルを付けているようだ。個人的には「和泉式部」を忘れているような気がするが、あまり読んだことのない作家だったが、結構気になる存在だった。東郷青児のことや林芙美子のことなど調べていると、よく出てくる名前だったし、尾崎士郎や北原武夫とも関係があったというようなことも漠然と知っていて、それらの回想を書いた「残っている話」という文庫を、古書店で購入していた。

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読後、調べると、書物に書かれたこと以上に結婚歴があるとか、既婚中に他の男性宅に潜り込んだり、さらに三角関係と言うか四角関係というか五角関係と言うか・・

この本に書かれているのも、上記の人間たちのほかにも梶井基次郎の死の床に行く気がしなくなった話や、若い時にある地方都市で布団をともにした男からの不意の手紙の話とか。残っている話と言うのが、「書き残していた話」なのかと思ったが、そうではなく書の後半の日記風エッセイで、高齢になって自分の先祖(ルーツ)探しを必死に始めることを「残っている話」として書いている。

なにしろ82歳の時の話だが、岩国(山口県)の有名人として、地元の人たちから、ルーツを書いたらという要望に応じて墓や寺や古戦場を歩き回る。どうも自家製の小麦青葉をすりつぶして飲んでいたようで、元気いっぱいだ。享年は98歳だし。

先祖は毛利家に滅亡させられた小さな大名の部下だったようで、鞍掛合戦と言われる戦史に漏れることの多い大いくさ(戦死者1500〜2000名)で、兄弟の一人だけが農家として生き延びたらしい。

叙述はまさに歴史小説家といったところで、肉食の面影はない。若い時の男友達がすべて他界してしまったから枯れていったのだろうか。

とはいえ、東郷青児関連の記載は美術界の常識は、宇野が押しかけたことになっているが、宇野の書き方は逆になっている。もっとも竹久夢二の研究書によれば夢二の妻に青児が手を出そうとしたことになっていたり、ご都合主義だ。まあ、三人とも肉食家だったということだろうか。
  
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2016年05月10日

東大弥生門前の椿事

本日から、当ブログの新カテゴリーとして「おさんぽ」を新設。なんとなく、ちょっとした街歩きや、健康維持のための探索活動録みたいなもの。

「旅」といえば、何らかの交通機関により、目的地に到着し、あとは歩くのだが、こういう交通機関+歩きという行動については、「散歩」とはいわない。「旅」が正しいのだろう。

ところが、江戸時代以前に遡れば、マイ人生を「旅」と表現した松尾芭蕉をはじめ、旅とは歩くことだったわけだ。だから言い換えれば、松尾芭蕉は一生かけて散歩したとも言えるわけだ。

ということで、なんとなく歩き中心の場合は「おさんぽ」カテゴリーということなのだろうか。

第一回は、東大弥生門あたりを歩いていた時にでくわした椿事について。

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もともと東京メトロ根津駅から弥生美術館に行く途中には、弥生式土器の発掘跡がある。そして、美術館の向かいには道を挟んで東京大学の弥生門がある。そのあたりは、江戸時代は水戸徳川家の屋敷だった。

その門の前で60歳ぐらいの女性が歩道に座り込んで、大騒ぎをしている。近くにパトカーを駐車し、警官2名が、色々となだめている。女性が東大の門を指さして大声で叫んでいるので、遠くからでも何となくわかるのだが、どうも東大は、彼女の敷地の中に勝手に建物を建てたといっていて、証拠品を鞄の中から見せているらしい。

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そんな面白い話を聞かない手はないので、歩行者の多くは近寄らない、警官ともめている場所に首を突っ込んでみる。警官は、いかにも不愉快という態度だ。「あなた誰?」という感じだが、ひるまない。

どうも彼女が警官に見せているのは、彼女の実家の家紋だ。彼女がいうには、弥生門の紋は自分の家系の紋と同じだから、東大は自分の物だということらしい。まあ、真実の場合もあるだろう。

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「奥さん、ちょっと見せてくれますか」と割り込んで、見せてもらった家紋は、有名な「三ツ巴」。奥さんが指差す弥生門のマークは、日本のマークには見えない。似ている点といえば、全体が丸いこと位だ。

「奥さん、そういえば、そっくりですね。同じかな?」

と警官をますます困惑させるような、妄言を言い残し、風のように現場を立ち去る。
  
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2016年05月09日

谷崎潤一郎文学の着物&大正のかわいい展

文京区根津にある弥生美術館&竹久夢二美術館へ行く。この二つの美術館は隣同士で、現在は合体していて、入口は一ヶ所になっていて入場料を一回払えば2館見られることになっている。3階建の弥生美術館の2階から空中廊下で夢二美術館の2階に移動できる。ところが、2階の奥に入口があるため、見逃しやすいためか、欧米系外国人がウロウロ困惑していた。日本人も困惑すると言うのに外国人に教えてあげるというのは逆差別のような気もするが、親切心で話しかけると、彼はトイレを捜していただけだった。

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弥生美術館では、谷崎潤一郎の小説やその映画化の際に登場人物の女性が、どのような着物を着ていたかという再現なのだが、結構奇抜なデザインのものが多いが、後日考えてみると、小説というのは登場人物の行動をストーリーという時間のながれの中で表現するのだから、登場人物たちの着物のスタイルや柄について、ことさら詳細に書くわけにはいかない。登場人物の着物の表現について一枚ずつ図柄の説明したり、どこの着物店でいくらで買った物とか書き始めると小説の半分以上が着物のページになってしまう。

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基本的には、かなりラフに表現してしまうのだろうから、結局、読者や映画の監督が自分勝手に納得してしまうのだろう。だからこそ、派手な着物や風変りなスタイルな人物像になるのだろうか。しかし、最も風変りなのは女学校の制服。着物に短めの袴とハイソックスと短靴。谷崎の創作ではなく、現実の制服だった。まさに事実は小説より奇なり、である。

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そして、夢二館の方だが、展覧会のタイトル「大正のかわいい」。本当にかわいい少女を夢二は描く。現代から夢二の活躍した大正を振り返ると、なぜ、日本が世界の中で孤立して無謀な戦争を始めたのか、情けなくなる。いくつかの要因はあるのだが、だからといって最悪の方法を選んだのはなぜなのか、なぜ、夢二のような世界を失ってしまったのか。

逆説的だが、夢二のような美しい世界を日本人が探してみたものの、存在しなかったからなのかもしれない。夢のような世界観を求めて大陸に進出していったのだろうか。

ところが、館内で調べてみると、夢二の絵に登場する「かわゆい系女性」は、よく絵画を観察すると3人いるらしく、超美人かどうか、眼が非常に大きいかどうかということで見分けられるそうだ。

そして、その3人は実在の女性が存在するわけだ。

たまき。彦乃。お葉。

いずれ劣らぬ美人で、夢二のモデルをしているうちに順に結婚したり愛人になったりした。

夢二の郷土である岡山にはいくつかの美術館があるが、それらではそういった事実は展示されていない。自称教育県だからだろう。


ところで」、美術館のある根津だが、根津美術館とは何の関係もないので、間違えないように。
  

2016年05月08日

有馬温泉史にかかせない女性

有馬温泉といえば太閤秀吉の手厚い保護で有名であるが、その昔にも有名だった時期がある。平安中期の宮廷で有名になっていて、和泉式部は実際に湯につかり(997年)、清少納言は筆を走らせる。藤原道長も晩年(1024年)に訪れている。

和泉式部といえば、恋多い肉食女性として有名で、18歳で結婚し。20才で出産(小式部)。22歳で最初の愛人に走るも男が2年で亡くなる。ただちに弟に乗りかえ、出産。一方で和歌の腕前は当代随一。証拠はないが道長にも寵愛されていたようで、道長崩御の後は静かに歴史から姿を消す。

有馬温泉に現れたのは997年。第一子を出産した年だから、おそらくは出産した後、疲れを癒しに来たのだろう。育児は乳母の仕事。そして、このあと、彼女は愛人に狂っていく。あのあやしい赤色の「金の湯」につかったのだろうか。筋肉の奥の方から温める「金の湯」と表面から中に温める「銀の湯」がある。

藤原道長は和泉式部や紫式部よりは一回り年上で、文学的パトロンだったのだが、1020年頃には体調を崩していて、有馬温泉にいったものの、その病状が回復することはなかった。

やはり、何らかの効能があるということなのだろう。金の湯と銀の湯をハシゴをしても1000円もかからないのだから、もっと回数行こうかな。
  
Posted by ota416 at 00:00Comments(0)TrackBack(0)歴史

2016年05月07日

安きが残り、高きが消える

本日は、囲碁の用具の話。有馬温泉が栄えたのは最初が平安時代で西暦1000年の頃、次に秀吉の時代、そして現代。その秀吉の頃だが、有馬に大地震が起きる。慶長伏見大地震。1596年のこと。秀吉が造った御殿は崩れ、温泉は危険な高温の熱泉と化す。秀吉は有馬温泉の再建を決定、2年にわたる工事により、サウナ付の御殿が完成する。

その後、建物は建て直されたりして歴史の中に記憶として埋もれていくのだが、呼び覚ましたのが阪神淡路大震災。1995年。前の地震から399年後。現代の建物が倒壊し、地面の発掘により秀吉時代の遺構があらわれる。そして、当時の遺留物が発掘されたのだが、その中に碁石があった。

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驚くことに不定形である。天然の石なので、楕円形だったり、ひよこ型だったり。整形された丸い石になったのは明治以降のことなのだろうか。白石は現代と同様に蛤の貝殻をくり抜いていたようだが、石ではないので朽ち果ててしまったそうだ。現代の高級碁石は、ほとんどが白石の値段なのだが、歴史の長さの間に朽ち果てるのは白石の方なのだ。


さて、4月23日出題作の解答。重複出題とか不完全作掲載とかバタバタしてしまった。

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動く将棋盤は、こちら


今週の出題。

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駒繰りと最後に捨て駒。

わかったと思われた方は、コメント欄に最終手と総手数を記していただければ、正誤判断。  
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2016年05月06日

たたら十割とは

有馬温泉で食べるものは、神戸ビーフに決まっているらしいが、公衆温泉に入るぐらいのプアマンができる贅沢と言えば、高級そば位だ。地元で有名な、ある蕎麦店に。

蕎麦が1400円というのもすごいが、名物料理が、「たたら十割」。

十割と言うのは、蕎麦粉が100%で小麦粉がゼロ%ということ位は知っている。では「たたら」とは。

たたらというのは製鉄の古法であるのは、以前から知っていた。日本刀を砂鉄から造る第一歩である。しかし、日本刀と蕎麦の関係はなんだろう。

「たたら」とは地名なのだ。現在は、「タタール」と言われている。中国名は「韃靼(だったん)」。

タタール→だったん→たたら と変化。韃靼高原でとれるのが韃靼そばである。かなり日本の蕎麦粉とは異なっている。何しろ、タタールと日本の間には中国があり、中国人は、これだけ豊かになった現在もマグロや霜降りを食べても、蕎麦は食べない。だから直ぐには日本に紹介されなかったようだ。

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そして、待つこと10分で茹であがる。これは高級な食感であって、癖になりそうである。麺には日本蕎麦よりも味があり、食べやすい。色は若干、赤みが入り、黒くはない。

この味は、くせになりそうだが、簡単に手に(口に)入らないだろうと思われる。危険な薬物のようなものかもしれない。蕎麦も奥が深い。
  
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2016年05月05日

有馬温泉と秀吉

有馬温泉駅の近くに橋が二つあり、一つは太閤橋といい、もう一つはねね橋という。秀吉と正妻ねねを記念していて、銅像も二体ある。

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秀吉は生涯に9回、有馬温泉を訪れたと言われ、ねねも2回は同行しているようだ。また淀君も一回訪れているようだが、そちらは不人気で、記録を読まないとわからない。

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記録によれば秀吉の初訪問は、柴田勝家を打ち破り、信長の後継者の椅子に座ってからだそうで、1583年、84年、85年には2回も来ていて、85年には正妻ねねを同伴している。しかし、その後、5年間の空白がある。史書と照らし合わせると、淀君(茶々)と結婚して長男(鶴松)を得たことになっている。茶々はねねよりも22歳も年下なので、わからないでもないが、1590年には淀君を同伴している。鶴松はどうしたのだろう。

そして、誰かに呪われたのかもしれないが、翌年、鶴松が夭折。それを機に秀吉は、有馬通いを連発。1591年から4年間に5回も行っている。1593年には、再びねねを同伴。やはり温泉は、男女ともに中高年に向いているのだろうか。

このように温泉の歴史と秀吉の歴史を重ねると、いろいろと見えるものが変わっていく。

そして、運命の慶長伏見大地震が起きる。1596年である。秀吉、ねねの愛した温泉が大崩壊。しかも、温泉が高温化し、とても危険な状態だったそうだ。有史以来の大被害を救ったのが秀吉で、温泉の整備からはじめ、大御殿を建てたそうだ。1598年に完成した大御殿だが、訪問日に暴風雨があり、延期となったのだが、その後、体調をくずし、不帰の人となった。2年後に関ヶ原の戦いに続く。
  
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2016年05月04日

有馬温泉 外湯めぐり

神戸の屋根裏のような場所にある有馬温泉へ日帰りで散策。旅館形式の「内湯」と、入浴だけの「外湯」とわかれるが、日帰りなので公共施設である外湯、「金の湯」と「銀の湯」がお目当てだ。

日本三古湯ということで、道後、白浜と並ぶのが有馬だが、湯質についていえば、日本のどことも異なる湯質と言うことで学問的には解明されていない。最近読んだ本に「太平洋のかなり先の方からつながっている深層水」ではないかと書かれていたのが、足を伸ばした原因の一つ。

しかし、平面地図で見たのとは違って、駅前から、相当の急坂だ。山に登る感じだが、道は細く、曲がり、温泉だらけで、目的地に到着するまで、相当の体力ロスだ。表示がないのは、公営温泉なんて地元の旅館の敵みたいなものだから誰も看板を作ることに協力しないのだろう。

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やっと辿りついた「金の湯」と「銀の湯」はわずか徒歩5分ほどの近さなのだが、湯質はまったく違う。金の湯は金色とまでは言えないが、湯が赤く、さらに光っている。赤い湯というのは、あまりみないが、42度の湯につかると、確かに体の芯(筋肉の奥の方)まで効果が感じられる。これはやみつきになる。

体にいいのか悪いのかは不明だが、筋肉が活性化するようで、腰痛やゴルフの筋肉痛がなくなるし、豊臣秀吉が毎年のように入湯に訪れたのも体力維持だったのだろう。

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そして、銀の湯は、白い炭酸系の湯質とみたが、こちらは筋肉の外側の方に直に効いているような感じがある。個人的には、銀→金の順に入る方が効果があるように思えるが、なんとなく体が赤くなったままでは困るので、後で白い方に入ろうと思ったのだが、金の湯には、水道水をわかした普通の湯風呂もあるので、銀→金→水道というコースにすればいい。
  
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2016年05月03日

結婚式に出ると・・

部下が社内結婚するというので、ほぼ必然的に式&宴に出席。驚くことに、それぞれの両親とも同じ会社で社内結婚したそうで、4人(4は禁句1だ。)が全部同僚だったそうだ。原子力村みたいだ(これは、内容が禁句2だ)。

前にいた会社は平均年齢が50歳だったが、今の会社は35歳。冠婚葬祭費ははるかに○い(これも禁句3か)。

式から参列なので、キリスト式かと思ったら人前結婚式。結婚ごときを神に誓う必要まではないだろうが(内容が禁句4)、うそつきばかりの私の仲間たちに誓ったってしかたがないような気がするが。

「牧師さんには頼まないのです」といっていたが、牧師と神父の区別もしらないのだろう(禁句5)。

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それで、祝辞だが、3ヶ月も前からわかっていたのだから、きちんと書いて、すべて暗記していくべきなのだが、実は書き始めたのは当日の朝。本当はもう1日前には書くつもりだったのだが、二日酔いで・・(禁句6)

まあ、スピーチといってもありきたりの話をいかに複雑かつ新鮮風に話すかということで、今年になってから主に文春で発覚するような、場にふさわしくない危険なネタ(不倫、覚せい剤、野球とばく、バカラ、秘書の汚職、禁句7〜禁句11)や、人類の未来(22世紀の世界)を持ちだし、家庭の平和と子孫繁栄という2大テーマにまとめる。

そういえば、大学の財政学の教授は披露宴に出るつど、日本の財政と消費税について論じ、たくさん子供を作らないと年金が破綻して消費税を導入しなければならないと言っていたが、予言じゃなく現実だった。

今すぐ子供を産み始めると、どうせ16歳頃から選挙権と引き換えに年金支払義務が生じるのだろうから、私の老後の公的年金財源(国のサイフ)に間に合うだろうか。問題は自分の方かもしれない。
  
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2016年05月02日

スナック菓子、縦開きに抵抗

ちょっとつまらない話なのだけど、スナック菓子の袋って、袋の横ではなく上の方に切り口があって、縦に開くようになっている。

袋は、縦長なのだから縦に開いてしまうと、中身が全部こぼれてしまい、結局全部食べるしかなくなるのだが、たぶんどこかのメーカーかコンビニの陰謀なのだろう。案外、内紛で辞めたセブンイレブンの王様の発案かもしれないがよくわからない。

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そこまでして消費者から搾り取るのは止めてほしいな、と思い、ささやかな抵抗で、はさみで袋を横に切ってみた。

結果は、同じだったのだが。

ところで、どうも身近な人に市場調査を聞き取りで行ったところ、ほとんどの人が、ハサミで横切りにしているようだ。  
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2016年05月01日

篠山市立歴史美術館

篠山シリーズの最後は歴史美術館。元は、日本最古の木造裁判所として、明治24年(1891年)に地方裁判所として完成、昭和56年(1981)まで90年間にわたり使用された。使用後の建物を重要建造物として保存する際、建物を90度回転させるという曳家工法を用いている。頑丈じゃない建物だと、回転中にバラバラになるはずだから頑丈な作りだったのだろう。

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現在も法廷が残っていて、法定ゲームができるように、シナリオまで置かれている。一回練習していると、被告人になった時に落ち着いて対応できるようにという配慮かもしれない。法廷内の椅子の色は赤を基本とし、いかにも不気味であり、さほど広くないこの部屋で、「被告人を死刑と処す」とか宣告していたのかと思うと、まったく無罪の人間である私だって震え上がってしまう。美術館どころの話じゃない。

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もっとも椅子が赤いからといって斬首刑は、この裁判所が完成した10年前に廃止になっている。

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そして、美術館の中で、この部屋だけが撮影可となっているため、裁判長の側から被告人を見た場合と被告人サイドから裁判長を見た時の差を感じてみたのだが、やはり権力というのは、こういう威圧感になるのだろうと思う。裁判長の机の上には、言い渡す刑の合理性を書き連ねた紙が置かれるのだが、被告人にはそれが見えない。2メートル位身長があると、見えてしまうかもしれないが、被告人が知りたいのは、合理性ではなく結論だけだろう。

建物の中にあった美術品各種だが、最後に閉鎖的な法廷をみた興奮で、全部忘れてしまった。
  

2016年04月30日

大大象戯発見

大大象戯というのがある。大象戯ではない。大象戯は縦横15目、駒数百三十枚に対し、大大象戯は縦横17目、駒数百九十二枚。ちょっと想像を絶する。こうなると象戯というゲームがいつどこからきてどういうあらすじで現在に至ったのか知りたくなるが、依然としてよくわかっていない。

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巻物をみたのは、丹波篠山城のそばにある青山歴史村の土蔵の二階の展示だ。

土蔵の二階は屋根が低く、天井がなく梁が露出している。巻物の観察に没頭してしまい、梁に頭部を強打する。幸い、梁の損傷は免れた。

青山氏が城主になったのは江戸中期(1748年)なので、その頃、滅びゆくゲームとして記録にとどめたのだろうと推測。青山家では、軍事上の理由で将棋の勉強をしていたそうだが、それが実戦に役に立つとはとても思えないが、江戸時代の大半は東アジアは平和な時代だったから。幕末には将棋の勉強の効果を発揮することなく無抵抗主義で官軍に従属した。


さて、4月16日出題作の解答。

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動く将棋盤はこちら


本日の出題。

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GWの始まりに伴い、長めの問題だが、小駒が多い関係で、ちまちま感は漂うかも。わかったと思われた方はコメント欄に最終手と総手数と酷評を記していただければ、正誤判断。
  
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2016年04月29日

青山通りを遡ると

丹波篠山城を中心とした城下町を探索すると、青山歴史村という場所がある。青山というと青山学院大学とか青山墓地、青山通りといった東京都港区の高級住宅街をイメージするが、こちらの青山は、青山氏といって、丹波篠山城の城主である。

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「元々、青山氏の江戸屋敷があったから今の青山という地名が東京に残っている」という架空の話が本当なら面白いのだが、・・・。と思いながら念のため調べると、これが本当だった。自分ながら、すごい勘だ。

今の青山通りの北と南に屋敷がわかれていたようだ。手元に古地図がないが、後で調べてみよう。青山通りは国道246号になっているが、この道は、もともと伊勢原の大山神社に観光旅行に行く街道で、途中の三軒茶屋のところで二股に(つまりY字路)なっていて、そこに三軒のお茶屋があったことから名前が付いている。お茶を飲んでから再び歩きはじめる時に三叉路なので道を間違える人が多かったそうだ。高速道路逆走みたいな話だ。

そして、篠山では、青山氏の蔵を移転し、篠山城の近くに保存している。まあ、それほど大きな蔵ではない。大大名なら御殿並みの蔵だろうが、黒豆や栗が有名ということからして苦労の絶えない藩だったのだろう。

こういう歴史的物件というのも保存は大変で、ピカピカに磨くわけにもいかず、かといって雨風に朽ちるのを任せるわけにはいかない。

将棋好きの大名だったようで、将棋関係の資料が展示されていたが、展示品には掘り出し物は見つけられない。  
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2016年04月28日

m自動車

m自動車の主力工場が倉敷市水島にあるため、地元では大騒ぎかというと、そうでもない。過去には何度もの危機に陥り、なんとか立ち直ったものの、今回ばかりは、N自動車向けが7割、mマークが3割といったところで、もはや、OEMが続くとは考えられない状況で、工場が再稼働されると考えている人は少なく、あきらめの境地。

もともと同じ車なのに、営業車とし購入しようとカーディーラーから見積もりとっても値引きはないので、m自動車関連企業や関連社員が買い支えているのだろうと思っていた。

元々のエンジンの性能のこととか、地震を理由に雲隠れした話とか、生産部門(名古屋)と東京本社が一体化していないことなど具体的に下書きしてみたのだが、落ち目の人の足を引っ張るような書き方は好きじゃないので、全部削除したのだが、ここの工場には常勤6000名(うち半分強が自社の社員)ということで、家族を含めれば12,000人の生活に影響が出るということで、行政は支援を決めたものの、なんとなく不公平感が漂う。

今後、K国やC国やX国の会社の工場になりそうな予感が漂っている。
  
Posted by ota416 at 00:00Comments(0)TrackBack(0)企業抗争

2016年04月27日

丹波篠山大正ロマン館他

篠山城の城下町は、そのまま明治には町となり、町役場として大正12年に洋風造りとして完成。実にこの建物は70年間も役所であり続けた。

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平成5年に大正ロマン館としてリフレッシュ開業。なかなかの建物であるが、外観はよくみると傷んでいる。ペンキの厚さで勝負している。交差点のはす向かいが建物の撮影ポイントだが、電線がじゃまだ。

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ところで、丹波と言えば、「黒豆」と「栗」。大正ロマン館では、黒豆ソフトクリームを販売している。近くの商店では栗入りソフトも売っていて、そちらの方が美味そうだが、黒豆入りはしばらく食べられないだろうから、そちらを選ぶ。

黒豆は完全にすりつぶしているようだったが、後で画像を見ると、粒が残っている。黒豆が入っているせいかどうか、すぐにソフトは溶け始める。大慌てになる。

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そして、誓願寺楼門を観にいく。これも古そうだ。見るからに不安定で、地震が来れば必ず倒れるだろう。しかし、不思議なことに地震の時に寺院や神社の建物の下敷きになる人は意外に少ない。

やはり、神仏の御加護があるのだろうか。仮に軽傷であったら、仏陀さまの御加護があって軽傷ですんだ、と考えるだろう。また重傷を負った人は、御加護があって命だけは助かった、と考えるだろう。そして、不幸にも身仏の世界に行った人からは、文句は付かない。
  
Posted by ota416 at 00:00Comments(0)TrackBack(0)たび

2016年04月26日

篠山城大書院

篠山城が完成したのは、1609年。その当時からあったのが、巨大な大書院である。実に1944年1月に焼失するまで335年の間、使われ続けてきた。

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そのため、構造がわかっていて、2000年に再建されている。床面積は739m2ということで、かなり広い。

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部屋は正方形をタテヨコに9分割したような構造で、入口にあたるのが西側の虎の間。全体の9分の2の面積だ。設計した藤堂高虎の虎だろうか。孔雀の間、葡萄の間、源氏の間、手毬の間とかよくわからない。襖絵などの特徴なのだろうか。

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闇りの間(くらがりのま)。9分割の中心には、窓がない。城主が落城の時に切腹する場所だったのかもしれない。いずれにしても畳みに座るには体力がいる。暑いし寒いし、足はしびれる。トイレも風呂も付いていない。台所もないので、お茶を飲むにも大苦労だ。

戦前、古い建物は公会堂にも使われていたようだ。今回も手毬の間では手作り甲冑の展示が行われていた。盛大に将棋大会でも開いたらどうだろう。
  
Posted by ota416 at 00:00Comments(0)TrackBack(0)The 城

2016年04月25日

ちょっと微妙な篠山城

篠山城は「しのやま」ではなく「ささやま」と読む。読みの「ささやま」が先にあり、それに対する漢字が何通りかあって、一番間違いやすい「篠山」に落ち着いたようだ。

実は、以前から使っているガイドブックには、外堀と高石垣が残るとされ、古城址としての価値は日本有数と思っていた。残された石垣によじ登っての眺望は最高ということで、そういう服装ででかけたのだ。もともと二条城のように天守閣なしの大書院造りということで、油断していたのだが・・

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2000年の春に巨大な大書院が復元されていた。と同時に街が観光地に一変していた。もはや、400年前の武将の感慨を味わうことは困難だ。石垣は整備された一方、石垣の上に登ることなどまったく不可能になったわけだ。

で、簡単にこの城だが丹波の国という現代ではやや交通不便な場所にある。福知山線で西宮から内陸に入るか、新神戸から、あるいは京都からという方向だ。それこそがこの城の目的で、関ヶ原の合戦のあと、大坂城に残る豊臣家の殲滅作戦の一環として、ここに天下普請(つまり「指名された大名の現物出資」)の城を作った。

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ちょうど、京都と大阪と篠山の距離を見れば、ほぼ等距離。山の中で人口は少ない一方で平地であり、豊臣家に対する恐怖感を高めるために大急ぎで築城するには絶好のポジションであるわけだ。沖縄の米軍基地みたいなものだ。南沙諸島の人工島のようなものだ。そのため、建設時間のかかる天守閣は省略ということ。

といっても、防御は必要と言うことで石垣、外堀と城内に至る複雑な経路と櫓を中心に防御網は完璧で、思った通り藤堂高虎の縄張りだった。

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しかし、石垣を組むのに手間取り、結局、藤堂高虎本人と穴太衆(あのうぐみ・熊本城復旧でも話題になっている石垣業者)という滋賀県コンビが現場指揮して完成させている。

*余談だが、滋賀県(近江)グループとしては「甲良組(こうらぐみ)」という建築業者があり、江戸城の管理、整備を行っていた。おそらく築城で有名な藤堂高虎の背後には、この二つの業者がついていたのだろうと推測している。

しかし、古城址のままでは観光地にならないからだろうが、復元された大書院は、かなり立派で、とまどうばかりだ。
  
Posted by ota416 at 00:00Comments(0)TrackBack(0)The 城

2016年04月24日

武者小路実篤が描く日本の春(羽田美術館)

武者小路実篤といえば志賀直哉をはじめとする「白樺派」の中心人物である。文壇における「白樺派」の評価は、○もあれば×もある。○の部分としては、「自己の個性を生かすことが存在価値である」ということで、その裏返しとしての「自分勝手で独善的で、結局つまらない」というのが×の部分。

その白樺派に近かったのが細川護立氏で、実篤氏に屏風絵などを発注していたようだ。思えば、白樺派の美術館構想もあり、ゴッホのひまわりシリーズの中でも人気が高かった一枚を購入し芦屋の自宅の壁に飾っていて連合国軍の空襲で焼失させたのも白樺派のパトロンだった人だ。

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武者小路実篤は、年齢が進むにつれ小説から絵画に移っていったようで、野菜の図などを描くことが多い。

ところが、羽田美術館の展示品を見ても、実篤氏の作品はあまりなく、細川家のお宝が多いような気がした。

ところで、実篤と署名がある色紙は、無数にあるはずで、確かこの前、旧家にあったのを捨ててしまったような気がする。次に行ったときに再確認したい。
  

2016年04月23日

熊本県出身ではなかった棋士

熊本県出身の棋士を調べてみようと検索すると、WIKIPEDIAの熊本出身の有名人として、棋士として二代伊藤宗印となっていた。本人も五世名人だが、有名なのはその息子たちで、特に詰将棋界では高名な宗看、看寿の兄弟の父親である。

自身でも名人襲位の前に「将棋勇略」を献上。生前には刊行されなかった「将棋精妙」、別名「不成百番」を完成している。なぜ、没後刊行までにかなり長い期間がかかったのか、私の推測だが伊藤家の内部資料だったのではないだろうか。幕末に近づき伊藤家の財政難により刊行したのではないだろうか。

仮に、そういう仮説を立てると、宗看も看寿もそれを見ていたことになるし、伊藤家の秘伝となると宗看も看寿も生涯に百題しか作らなかったこともないだろうし、それらも伊藤家の秘伝になっていたのではないだろうか。と、推理してもそれ以上のことは思考停止だ。

ところで、伊藤宗印だが、将棋家に生まれたわけではなく、地方の英才だった。そして養子として伊藤家を継いでいる。しかし、WIKIPEDIAには、熊本県出身となっていながら肥前国唐津の出身となっている。これはおかしい。肥前は今の佐賀県だし、唐津も佐賀県の海岸だ。

一方、佐賀県出身の有名人には、そもそも棋士というカテゴリーがない。要するに存在感がない県なのだろう。佐賀駅を通るJRだって、JR長崎線と呼ばれている。

今、手元に日本将棋体系がないので、調べようがないが、WIKIPEDIAに書きこんだ人が、佐賀県の存在を知らなかったのだろう。福岡の次が熊本で鹿児島、そして沖縄。東側が大分と宮崎、横の方に長崎があって、とか覚えているのだろう。「佐賀県?あっ、朝鮮半島との間の島のこと・・」とかなのだろう。


さて、4月9日、出題作の解答。

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動く将棋盤はこちら


本日の出題。

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問題貼り替えました(重複出題のため)。


今度は、修正です。色々すみません。

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わかったと思われた方は、コメント欄に、最終手と総手数と酷評を記していただければ、正誤判断。  
Posted by ota416 at 00:00Comments(6)TrackBack(0)しょうぎ

2016年04月22日

カップ麺を探す

被災地に援助物資を送る依頼があり、まず輸送方法を確保したのだが、頼まれた食品で困る。

「ポカ○ス○ェッ○」24本×10箱
「カップ○ー○ル」20個×5箱
「ど○べい」12個×5箱

この中で、カップ麺10箱が、見つからない。問屋に聞いても売ってくれないし、近くの総合スーパー、ドラッグストアなどに電話しても、見つからない。

ついに、買いだし隊を出動させる。そして入手したのだが、意外にもホームセンターにあった。

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過剰在庫を抑えるため、大手のサプライチェーンでは少量在庫で運用しているのだろう。そして在庫の多くは生産者側に近いところにあり、ジャストインタイムで各店に送られるのだろう。

そして、こういう状況では、向け先が被災地用に変わるのだろう。カップ麺が店頭になくなって食べられなくなっても、被災地じゃなければ困る人はいないだろう。

というのも、カップ麺というのは比較的賞味期限が短いので、長期保存しておくわけにはいかないからだろう。長期保存するためには、麺の水分を少なくしなければならず、一方でスカスカの麺では、湯で戻しても味や舌触りが今一なのだろう。
  
Posted by ota416 at 00:00Comments(0)TrackBack(0)あじ