2017年06月25日

シセイドウ アート エッグ

銀座資生堂は、資生堂グループのHPによれば、現存する日本最古の画廊ということだそうだ。1919年にオープンということで、もうすぐ100年だが、もっと古い画廊は残ってないのだろうかと気になる。資生堂という会社が抱えているからなのだろうか。個人の画廊なら100年というのは、親子孫ひ孫の四代が引き継がないと続かないが、だいたい三代目あたりで崩壊するのだろうか。

銀座の資生堂は何か所かに建物があったのだが、再編成されて、ギャラリーは資生堂ビルの地下に広い空間が確保された。

現在開催中の「アートエッグ」という企画は若手のアーティストを応援する目的だそうで、今回は3名の方が対象で、第一弾が吉田志穂さん。1992年の生まれというから相当若いが、この方のホームプレースは「写真」。

実は、写真というのは19世紀の後半に登場してきて、最初は報道、個人の肖像などに使われ、その後、戦争用(上空からの写真とかスパイの盗撮とか)に使われ、ドイツを米国が凌ぎを削った結果、カメラはドイツ、フィルムは米国という奇妙な結果になった。

いずれにしても、対象物を正確に捉えることが優先課題だったために、どうしても芸術の世界に持ち込むと堅苦しいことになっていた。表現の自由度が絵画に比べて少ないと思われる。現実を抽象的に写すことまでは可能だが、抽象的な概念を写真で表すことは簡単ではないだろう。

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そういうところを打破するということに挑戦した作品群が並んでいる。平面ではなく、壁のコーナーみたいなところを使うというのは、どういうものだろうか。

初夏だというのに、会場はきわめて涼しく快適そのもの。明るさも抑えられて目の保養という古い比喩がピントピタリという感じだ。

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個々の作品の批評などはとてもできないが、確か「砂の下のクジラ」というタイトルだったと思う。氏の故郷の海村に打ち上げられた迷いクジラを骨格標本として保存するために、海岸の砂の中に埋めたそうだ。1日、1日と生物から無機物へと変化していく鯨を思った作品のようだ。

アートには関係ないが、海に戻れないのはかわいそうな気がする。予算の関係とかで、やはりそのままにしておこうということになると、海でもなく陸でもない砂浜というところに骨を埋めることになる鯨。

ところで、ケースの中の砂浜状の物体は、本当は指を入れて砂の中を確認したかったのだが、撮影自由の会場内でも、指で触ることが許されるわけではなく、係員の視線を確認したものの思いとどまる。

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なお、よく展示会場で登場するスライドの自動映写だが、その装置が露出していた。数十枚のスライドが自動的にある秒数でひとこまずつ回転するようだ。これでエンドレスに映写できるわけだ。あまりにアナログなので、ちょっと驚く。(たぶんデジタルアルバムみたいなのが普通なのだろうか)
  

2017年06月24日

詰将棋をめぐる棋士の戦い

連勝中学生藤井四段の連勝がどこまで続くのか。27勝目が6月17日の藤岡アマ戦、28勝目が21日の王将戦の澤田六段戦。ついに史上最高連勝タイ記録になる。そして26日に竜王戦の増田康弘四段戦がある。決勝トーナメント1回戦で藤井四段の対局料は46万円。世間では29連勝がかかっていると大騒ぎになるのだろうが、・・・


実は藤井四段と増田四段とは「詰将棋」に関して考え方が正反対なのだ。

藤井四段:「詰将棋で強くなった」

増田四段:「詰将棋は解かない」

言い換えれば、将棋を定跡の研究など前から考える方がいいのか、あるいは詰将棋というような最終盤から考えた方がいいのか、という戦いなのだと思う。

将棋に限らず、考え方には「演繹法と帰納法」とか「左脳型と右脳型」というように前から考えるか後ろから考えるかというのがあってゴルフでも応用が利く。


本ブログの読者は詰将棋肯定派の方が圧倒的に多いと思うわけで、是非、藤井四段の勝利を応援したいと思うわけだ。

しかし、私的には「詰将棋を創る派」であるわけで、細かな希望としては、「詰将棋を解く人が増えるとともに、詰将棋を創る人が減少する」ことを期待してしまうのだが、ちょっとゆがんでいるのだろうか。


さて、6月10日出題作の解答。

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▲5八金 △同と ▲5九銀 △同と ▲3九銀 △4九玉 ▲4七飛まで7手詰。

動く将棋盤は、こちら

なお、ヒントの三次方程式を解いた方の答え合わせに因数分解法だけを文末に掲示します。カルダーノの公式はご自分で答え合わせをお願いします。方程式の解は3つあります。


今週の問題。

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ヒント1は、「持駒は終局図には存在しません」

ヒント2は、総手数と総駒数の差の三乗からカミナリ数(56)を引いた数字は総手数と盤上駒数と持駒数の積と等しい。

kisuu


解けた!と思われた方は、コメント欄に最終徒と総手数とご意見をいただければ、正誤判定します。

3ji

  
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2017年06月23日

ミニトマトの収穫始まる

ミニトマトが結実して大分経ってから気付いたことがある。いつまでも実が真っ赤にならず、オレンジ色のままだったのだが、オレンジ色になる品種だったということだ。

minitomato


品種名が実はよくわからなかったのだが、「高カロテンミニトマト」というらしい。カロテンが通常の3倍だそうだ。

慌てて収穫し、ポリポリと食べている。擬音がポリポリではおかしいようだが、案外に果皮が硬いので、ポリポリ感があり、トマトとしては水っぽくなくしっかりと硬い。水やりをサボったからではなく、甘くするために水を与え過ぎないようにしたら枯れそうになり、そのために甘くなく硬くなったのかもしれない。

非常に私的には好ましい味になっている。

一方、実が増えた一方で、葉は下の方からどんどんと黄色く枯れていき、風通りを確保するために枝をはずしていくのだが、葉が少なくなっても大丈夫なのだろうか。当面は根が水分と栄養を吸い上げているが、上場廃止の瀬戸際の電機会社のように、葉がなくなるといずれ枯れてしまうような気がするが、いずれにしてもいつかは枯れてしまうのだから、運命は自身にまかせないといけないのかもしれない。(電機会社の話じゃなくトマトの運命の話)

miditomato


ミディトマトの方は、収穫量はまったくの不作だが、一個だけ朱色になってきた。

 路地トマト 一雨ごとの 朱さかな (葉)  
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2017年06月22日

ピケティ理論から始まった投資セミナー

先週の日曜日に横浜のパシフィコで開かれたマネックス証券の全国投資セミナーへ行った。松本社長の挨拶のあとチーフ・ストラテジストの広木さんの講義は、思わぬ方向から始まった。

トマ・ピケティ『21世紀の資本』の中心的テーマである資本家と労働者の貧富の差の拡大についての解説である。マネックスの顧客は、本なんか読まずに目先の損得しか見てないから教えてやろうという親切心なのだろう。

要するに資本主義は利益を再投資に回して拡大していくわけで、西暦ゼロ年から21世紀までの平均で、経済成長率が概ね2%に対し、資本収益率が4〜5%ということで、経済成長率に比例して給料が増える労働者に対して、資本家の方の所得が多くなり続けるということである。それが貧富の差の拡大になったということ。

実は、この話が、その後、どこに繋がるのか後で考えてもよくわからないのだが、その後の話が、株価とは純資産≒自己資本であるという話になったところを考えると、要するに銀行預金とか米国債とかに投資しないで株を買うのが金持ち(=資本家)の第一歩である、ということを言いたかったのだろう。

それで、突然、現在のマーケットで「極まったもの(煮詰まったもの)」として、米国長期金利(2.6%)の壁、米国失業率(4.4%)、VIX指数、インデックスファンドへの資金流入があげられるとのことだった。しかし、資本主義の場合、ある数値に収斂して極まることなどありえないわけで、逆に言うと今が最も危険というようにも思える。

しかも私の寿命はそんな長いわけではないのだから、2000年後の大資本家を目指すわけにはいかないわけだ。早い話が手っ取り早い目先の利益を追うのはしかたないことなのではないだろうか。

1時間ごとに講師が代わり、結局3本もボールペンをいただくことになった。
  
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2017年06月21日

果たして、「築地」はブランドなのか

ついに中央市場が豊洲に移転することが決まった。といっても築地ブランドを守るために築地を再開発するが、詳細は未定ということになった。

問題を片付けたら次の問題が発生するという構造だ。

都民じゃないので、まるで客観的に考えるのだが、基本的に「築地」はブランドなのだろうか。

ブランドの価値というのは、基本的にブランドによる付加価値とその付加価値を維持向上させる努力が必要になる。単に市場があったから築地という名前であるだけなら、一番簡単なのは、豊洲の新市場の場所である台東区豊洲6丁目を築地とか築地市場とか改名すればいいだけだ。さいわい豊洲は6丁目までで7丁目はないので、6丁目がなくなっても誰も困らない。

古すぎる話だが、江戸幕府公認の売春タウンだった吉原が火事で焼けたあと、現在の吉原に移った時は、最初は新吉原と呼ばれていたが、いつの間に吉原となった。

つまりブランドを守るなら、移った以上はそこでベストを尽くせばいいだけだ。築地にいるだけで「築地○○」と名乗っている店舗も多いが、これらは築地にあるというだけで名称ただ乗り型ではないだろうか。もっとも築地場外の店舗は、おそらく豊洲に行くか廃業するかなのだろうが、移ったところで「築地」を出発点にしているなら、築地を名乗ればいいのだろう。むしろ差別化できるのはこれからではないだろうか。神戸の会社なのに丸亀製麺といううどんチェーンすらある時代だ。

ただ、十歩くらい譲って、観光市場というのがある。また庶民が直接買える市場という考え方もある。が、残念ながら築地にしても都民の普通の生活エリアからはかなり遠いわけで、あとは、観光市場ということになる。といっても現状の客は外国人ばかりなのだから、生魚を買って都内のホテルに持ち帰るとか、氷詰めして中国の内陸の自宅に送ったりするわけではなく、マグロの解体をみたり、海鮮丼を食べたりということ。札幌、函館、京都、金沢などはまさしく観光用の市場と、普通の中央市場があるが、築地の場合は外国人ばかりというのが制約だろう。

あとは築地を小型、あるいは特殊市場にするという考え方がある。たとえば下関には、「唐戸市場」という有名な市場があるが、一方、フグだけは唐戸の支所である「南風泊(はえどまり)」という離れた場所で取引される。

同じように築地に小市場を作って、「江戸前高級魚介」だけを扱うということは原理的には考えられるのだが、そもそも豊洲一ヶ所だって十分にできそうなものを高級魚と低級魚に分けて付加価値確保を図ることが果たして公営施設のあるべき姿なのかというところに突き当たる。そもそも市場というのは物流機能を集約させて輸送費を抑えるために発展したもので、庶民に低廉な物価を保証するためにある。

むしろ差別化するなら私設の市場として、高級で、市場使用料もある程度の額に設定し、その対価として豊洲よりも大きな満足を創出できる人たちだけのマーケットにすればいいのかもしれない。
  

2017年06月20日

東名バス事故の感想

6月10日朝、新城市の東名高速で発生した観光バスと対向車との衝突についていくつか思いついたことをランダムに書いてみる。

まず、車線を飛び出した医師のクルマ。修理中の代車であることは報道されているが、車種はマツダのデミオ。予想外のクルマだった。マツダのベーシックカーでエンジンは1300CCと1500CCがあるようだ。高速道路を毎日通勤するにはふさわしくない車種である。

デミオを代車にするということは、元々はたとえばマツダのCX-5とか大きな車に乗っていたのだろうか。ベーシックカーでも130キロ出すことは可能だが、実際には100キロぐらいでエンジン音が大きくなって、いかにも不安だし、そもそも代車のコンディションについて医師が自信を持っていたことはないだろうから、速度はほぼ制限速度の100キロ前後だったのだろう。ハンドルの遊びとか車の使用ユーザーによって異なるだろうが、60歳代のドライバーなら、数十年前の安全装置があまりなかった時代から運転しているだろうから、無茶なハンドル操作が癖になっていたとも思えない。

(個人的には、偶然かもしれないが修理の代車として今までに使った車は、ほとんど整備不良だった。同じく偶然だろうが、レンタカーで旧型デミオに乗ったことがあったが、その時は直進性が大問題だった。)

テレビで画像を確認したところ、左側からの合流地点から先がやや右に曲がるのだが、側道と走行車線の間の合流地点の点線の白色塗装が薄くなって見えにくくなっているように感じた、曲がらずに直進したのだろうか。ただ、毎日走っている道なので考えにくい。まず左側のガードレールにぶつかったところが、説明しにくい。合流地点は、最も神経を使う場所なのだから、居眠りしていたとも思えない。(合流車両とぶつかりそうになり、アクセルを踏んで先に行こうとしていた場合は、観光バス側からの撮影映像や高速道路上のNシステムで車両が特定されるだろう。)


次にバス側だが、車種は報道されていないが、いすゞのGALAという車種で、様々な安全装置が付いていて、後で思えばこの車種であったから被害が抑えられたということなのだろう。

まず、言われているボディのフレーム構造だが、これは衝突というよりも横転した時につぶれないようにという設計だそうだ。次に、運転席とフロントガラスの間に生存空間があり、エアバッグだけではなくハンドルは衝撃吸収材でできていたり、緊急補助ブレーキが作動する場合は、後続車に点滅ランプで知らせるようになっていて追突防止に配慮されている。

シートベルトは補助席まで含め全席とも腰の周りだけではなく乗用車と同じように上半身も守れるタイプになっている。

その他にもレーダーを使った衝突軽減装置(自動ブレーキ)が装備されているが、本件で作動したかどうかは不明。

運行会社が、早期に画像公開したのは、マスコミから運転手の居眠りの嫌疑をかけられたからだそうで、公開したことを警察から注意されたということまで公開している。多くの運送会社は警察やマスコミに不信を感じているのだろう。警察からすれば、事故のストーリーを書く上で、公開画像と矛盾できなくなったということが不愉快なのだろう。

そして、画像から見えることは、運転士が緊急ブレーキを左手で作動させ、わずかに左にハンドルを切って、フロントガラスではなく窓枠のフレームでクルマの衝撃を受けたのが見える。偶然か故意かはよくわからないが、バスを救って、乗用車が破壊された。

こういう緊急時の運転まではマニュアルがないのだろうが、以前、海運会社にいたときに聞いた話を思い出す。

海上衝突予防法といって、船舶同士の衝突回避にはルールがあり、向かい合わせになったときは、両船とも右に舵を切ってすれ違うことになっている。また斜めや直角になっている場合は相手を右手に見る船舶が右に舵を切り、もう一方は直進保持する。

事態がこれで済めば問題ないが、実際には、衝突時の位置関係とか複雑になる。そういう場合は、(逆に)左に切ってもいいとなっている。

右に舵を切ったら、相手も法令とは逆に同じ方に曲がることがある。2隻だけでなく3隻目が右側を並走していると、右に曲がれない場合もある。そういう事態にならないようにあらかじめ注意しなければならないが、実際、そういう時にはなんとかしなければならないわけだ。

そして、特にタンカーのように危険物搭載船には、もっと重要なことがある。無防備な側面に、相手船が突っ込むと、大惨事になる。爆発炎上と海上汚染、たぶん沈没。そのため、多くの船員は裏マニュアルを知っている。先輩船員が後輩に伝承しているのだろうが、こういうこと。

横腹に突っ込まれないように、船首(あたまの部分)で相手船の船首にぶつかれ、ということ。実際に、両船の船首がつぶれてしまうこともあるが、被害は最小限に食い止められるわけだ。船首の部分は、浮力を得るために倉庫とかに使われていて、通常は船員もいないし、貨物槽(石油タンク)もないので、派手に壊れるものの被害が少ない。

もちろん、安全航海が基本なので、「衝突の仕方」などが明文化されることはないのだが、知る人は知り、知らない人は知らないということになる。暗黙知が形式知になりえない部分とも言える。
  
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2017年06月19日

追い越しきれなかった?

17日01時30分頃に発生した石廊崎沖での海難事故は、当初は米軍イージス艦右舷と日本郵船用船のコンテナ船左舷の衝突ということで、軍艦独特の事故(回避義務無視)かとも言われていたが、その後の情報で、後ろから航行していたコンテナ船がイージス艦を追い越すときに右側から追い越し切っていないのに航路を左にとって衝突したというようになってきた。

もっとも、イージス艦の航跡、速力の変化がわからないので、微妙な関係は知ることができない。(たとえば、追い抜けるはずだったのに急にイージス艦が速力を上げるとか、右に寄ってきたとかあれば)

となると、

1.なぜコンテナ船が追い抜くことになったか
2.お互いを認識していたか
3.なぜ両船が衝突したのか(進路が重なったのか)

ということになる。

まず、追い抜きだが、基本的に目的地への到着予定時間に合わせて速力を調整していたのだろう。コンテナ船は東京港へ直行を予定していたと思われる(商船の入港時間は事前申請が必要なので、明かになるだろう)。イージス艦は横須賀基地に向かっているのだから、戦時ではないので、例えば9時入港とか都合の良い時間に合わせて速度を落としていたのだろうか。その結果、追い抜きが必要になったと考えられる。

次に、お互いの認識だが、

「イージス型駆逐艦」はレーダーに捉えられるのだろうか。フィッツジェラルドはステルス機能を持っていると言われる。レーダーは電波の反射を利用するため、艦船に平らな鉄板を張ったり、プラスティックの板を取り付けたりする。鉄板の効果は、反射する電波の方向を変えて発信源に届かないようにすることで、プラスティック盤は、電波を反射させないためだ。

しかも、レーダーによる照準調整能力付きの地対艦ミサイルの試射をしている国が近くにいるわけだ。

ただすぐそばにいるなら、電波の反射もあるだろうから、まったく感知できないことはないようにも思える。

もしそうなると、コンテナ船からイージス艦は見えず、イージス艦からコンテナ船は見えるという非対称状態になる。(もっとも片方が見えていれば衝突しないのが普通だが。)また、レーダーの範囲を広範囲が見えるように設定すると、あまりに近づいていると自船と同一に見えてしまったのかもしれない(よく見ればわかるはずだが)。

ただ、戦争しているわけでもなく、単に横須賀に向かっているだけなら、通常航行では危険なので、わざわざ反射板を取り付けておくことが多いようだ。当日のことはわからない。

また、商船同士だと、AIS(自動識別システム)があり、相手船の情報が瞬時にわかるので、最悪でも電話をかければ、誤解による衝突リスクは下がるが、もちろん軍艦はシステム外だ。

では、最終的になぜ両船は衝突したのか。

両船が平行関係であれば、当たらないわけで、右側の船が左に寄ったのか、その逆か、あるいはかなり交差する航路にあったかということだろう。また、要素として考えられるのが、「第三の船舶」「イージス艦を認識していなかった」の可能性。

たとえばコンテナ船がイージス艦を右側から追い抜こうとした際、前方右側から別の船舶が近づいてきた場合だ。クルマで言うと一車線道路で追い抜こうとしたところ対向車が来たようなもの。最悪だ。もっともその場合は、さらに対抗船の前を横切って大きく右転する必要がある。考えようによれば第三の船舶だけでなく第四の船舶がいる場合もある。コンテナ船かイージス艦が、別の船を避けるために動いた結果という可能性もある。このあたりは、他船の航跡を確認すればわかるはず。(危険な場所では右側航行が勧められていて、そうであれば、危なければ右に出していけば衝突は回避できるのだが、この場所では義務にはなっていない)

もう一つの小さな可能性は、追い抜きなのか横切り(航路がクロス)なのかの判断が相互に違っていたケース。イージス艦からは、後ろから来たコンテナ船に衝突回避義務があると思っていた一方で、コンテナ船からはクロスする場合は右舷側に相手船を見る方に回避義務があるので、イージス艦に回避義務があると思っていたかもしれない。

本来は、聞けばわかるはずだが、捜査権は及ばない。


画像で見たところ、イージス艦のダメージは相当ある。コンテナ船も凹んではいるが、壊れたところを作り直して溶接するだけだろうか。昨年、横須賀で聞いた話ではイージス艦の建造費は1500〜2000億円程度だそうだ。コンテナ船の建造費は数十億円程度だろう。しかし損害賠償は車の事故と同じで責任の比率に応じて払うことになるわけで、保険会社としては、事故の責任をはっきり特定できなければ支払えないということになるのだろう。(が、確証は全くないが、日本の保険会社が賠償保険を受けているのではないかと感じる。英国系ではなく日米系のグループの方。忖度?)
  
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2017年06月18日

外国人が選ぶ名所ナンバー1

外国人が選ぶ日本の名所ナンバー1を3年連続で獲得しているのが、京都の伏見稲荷だそうだ。(TripAdvisor Gallery)

ちなみに、2位が広島の平和記念資料館、3位が厳島神社、4位が東大寺、5位が京都のサムライ剣舞シアター、6位が新宿御苑、7位が奈良公園、8位が金閣寺、9位がアキバフクロウ、10位が清水寺。以下、箱根彫刻の森美術館、高野山奥之院、禅林寺永観堂、三十三間堂、栗林公園、白谷雲水峡、成田山新勝寺、浅草と続く。

別に、外国人の趣味を調べるためではないが、伏見稲荷に行ったことがないことを思い出し、速攻で攻めることにした。JRの駅前だし。

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それに、自分はかねがね日本人だと思っていたのだが、最近、日本人の考え方がどんどん妙な方向に変わっていて、いつの間に平均的な日本人ではなくなったように感じていたので外国人風情を感じてみようかと思っていたのだが、思った通り、伏見稲荷は東京の築地場外と同じように外国人街になっていた。

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この赤を統一カラーとしたのが受けるのだろう。過密都市伏見という感じだ。千本鳥居が有名だが、鳥居のトンネルに入ったら最後、歩き続けるよりない。自動車専用道路のように、行と帰が別のトンネルの場所もあるし、同じ鳥居の中をすれ違う場合もあるし、自撮りする人が非常に多いので、中は大渋滞だ。写すと言っても腕を伸ばさないとトンネルの先が展望できない。

ここに来なくても、東京赤坂の日枝神社にも同様のロケーションがあって、深夜でも通り抜けできることを知らないのだろうか。

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そして、この神社を特異な雰囲気にしているのが、「狐」だ。犬のようにも見えるが日本の犬はもっと太いのが多い。

しかし6割方は中華圏の方々が、この鳥居を果てしなく歩いて丘を登るのだが、何を祈るのだろうか。果たして概念的な事象について祈る文化があるのだろうか。

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参考のため、絵馬ならぬ絵狐を拝見すると、漢字、英語、ハングル、その他見たことのない言語が溢れていて、ほとんど意味不明だ。ただ、見慣れぬコトバ、一つ一つの単語の意味はなんとかわかっても、単語の羅列を組み合わせても、祈りの内容はほぼわからない。人間の寿命なんてわずか数十年なのに、それぞれがまったく異なる夢を追い続けて生きていることだけが、なんとなく感じられ、背中が、すーっと寒くなる。狐さまって・・・
  
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2017年06月17日

霊光寺には行かず

京都で将棋に関することといえば、霊光寺だろうか。京都生まれの初代名人の大橋宗桂と棋聖と言われる天野宗歩の碑が深草にある霊光寺にある。

ところが、かすかな記憶で、墓参には事前予約が必要だったような気がしてきた。徒歩圏内にはいたのだが、夕方ではあったし、境内入場料とかお布施とか必要になっても(手元流動性に乏しく、困るので、次の機会にする。それに、強くなるわけでもない。


さて、6月3日出題作の解答。

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逃げられそうで、逃げられない構造になっている。序の3手が見えると前に進める。

動く将棋盤は、こちら


今週の問題。

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京都にちなんで、詰め上りが「京」の字ならいいのだが、無理そうなので、「都詰め」を出題。

ヒントを出しにくい問題だが、コツコツと形を変えていくしかない。

分かったと思われた方は、コメント欄に最終手と総手数とご意見を記していただければ、正誤判定します。
  
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2017年06月16日

にしんそば(元祖店ではないが)

にしんそばは京都を代表する食べ物だが、平安時代からの食べ物ではない。明治時代からのようだ。それでも元祖の松葉で初めて供されたのは135年前である。京都の歴史の十分の一の長さだ。

この松葉というのは、四条にある南座(劇場)にあるそうで、芝居の幕間とかに食べたのだろうか。今回は四条方面には行かなかったので、京都駅の近くにある「近鉄みやこみち」という飲食店街の中に二店舗ある蕎麦店のうち一店。


注文して、待つことしばしで、登場。

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基本的ににしんそばは身欠き鰊の甘露煮を蕎麦の上に乗せ、あとは九条ネギの刻みである。汁は薄口の醤油に昆布だしが用いられる。

この店のにしんそばに対し、元祖の松葉の方は、ネット上で見る限り、もっと汁が透明に近く、しかしネギは使われていない。値段は100円高い。

思うに、身欠き鰊はかなり味が濃い。うす口醤油の汁ではアクセントがないからちょうどいい選択だったのだろうか。しかし、関西ではきつねうどんのきつねだって薄口である。どうもにしんそばは関西風ではないような味と思うが、本当に京都で生まれたのかは個人的には信じ切ってはいない。

ところで、鰊だが、生だと骨が多い。骨は細く、また緻密なので喉にかかりやすい。一夜干しにして塩焼きにすると独特の味がたまらないが、小骨は硬くなり、場合によってのどに刺さるとけがをする。一方、身欠き鰊は骨まで長時間煮るので、もはや敵ではない。

南座で身欠き鰊が蕎麦のトッピングに選ばれたのは、役者や観客が骨を喉に刺して舞台を台無しにすることがないようにという配慮だったのだろう。


ところで、鰊の英語は herring (へリング)という。これに骨(bone)を合体させたherringbone はヘリンボンといってスーツなどの生地の織り方で、最高級の服地である。日本語ではにしん織とはいわず杉綾織と呼ばれる。(にしん織が転用して西陣織になった、ということはないから)
  
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2017年06月15日

京都御所の右近の橘を見て愕然

京都御所が今年になって、いつでも一般公開されることになった。しかも1日4回は職員の方による無料ガイド付きである。かなり暑い日だったのだが、午後の見学ツアーに参加。一緒に回った知人は、体力の限界で途中離脱。

まず、京都の事はよく知らなかったのだが、数年前に東寺に行った時に妙な疑問を感じていた。京都の入口にある羅生門の東に東寺、西に西寺(現存しない)があり朱雀通りを北に進めば御所のはずなのに、東寺はかなり西の方にあって、さらに西に羅生門址がある。北に行ったって御所と場所が離れている。御所じゃなく誤所ではないか。

今回、聞いた話では、平安時代の御所は確かに今の御所の西南西にあったということで、東寺は動かず御所が動いたということだそうだ。位置が変わると、源平時代の歴史上のできごとなども意味が変わってくる。今の位置になったのは1331年。後醍醐天皇(1回目)が失脚し、光厳天皇の代である(しかし、この天皇は歴代にカウントされないことになっている)。

そして地下鉄今出川駅から5分のところに御所に入る門がある。清所門といって、身分の低い人の入口だ。私にお似合いだ。さらに御所というのは二重構造になっていて、大きな御所の中に、さらに御所というエリアがある。ここに入るのが解禁になったわけだ。その大きな御所エリアの中には、この正式な御所のほかに、大宮御所とか仙洞御所とかある。そういうその他の御所は、主として皇后さまや、皇后ではない女御のための建物だったようだ。単に女御といっても古い時代は、天皇のベッドパートナーで、その中で男子を産んだり天皇の寵愛を得たものが皇后になったようだ。

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仙洞御所は生前退位した上皇の住まいに使われたりもしていた。

古くは、江戸幕府の祖である徳川家康は、天皇の退位を画策し、先に隠居用の御殿を作ってから天皇を退位させようとしていた。なかなかの策士だが、天皇制を廃止にはしなかった。織田信長は安土城の中に天皇の屋敷を作って、京都から拉致しようとしていたのだから、こちらも相当だ。

そして、内側の御所の方だが宜秋門という身分の高い人の門を内側から確認するとやはり立派だ。こちらは、今でも国賓がいらっしゃる時には開かれるそうだ。

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そして、現代の京都御所の中心的建物が、紫宸殿である。平安時代には大極殿が使われてたが壊れてしまい、さらに鎌倉時代には紫宸殿も焼失。なにしろ小さな建物を作っても儀式の時には困っていたのだが、ついに幕末になって大きな紫宸殿が完成した。1855年。孝明天皇の代であり攘夷論が吹き荒れていた時だ。そして孝明天皇が謎の急死をしたあと、孝明天皇の女御だった中山慶子の子供が、対外的には皇后の子ということになり明治天皇ということになった。そして明治時代になると、天皇は江戸(東京)に行ってしまったわけだ。

つまり、十数年しか公務には使われなかった建物ということになる。その後も大正天皇、昭和天皇も即位の礼はここで行われたそうだ。

そして、紫宸殿をこちらから見て右側には桜が植えられていて、左側には橘(みかん)が植えられている。左近の桜、右近の桜とは逆ではないかと思っていたら、ガイドの方が、「右左は、殿中の天皇から見たときの方向なので、庶民の目線とは逆だ」ということが説明された。

実は、つい最近、横浜の自宅のエントランスロードの右側の木が枯れていた(昨年、蜂退治をしたときに、巣のあった場所全部に薬を噴射して枯れてしまった)。このため、右側だから橘=ミカン類と勝手に解釈して植えてしまったわけだ。もっとも私は天皇ではないので、左右にこだわる必要もないと思うし、庭に桜なんか植えたら、十年後には大変なことになってしまうだろう。

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紫宸殿を大きく回って裏側には小御所がある。小御所といっても大きい。ちょうど蹴鞠の競技スペースがあり、説明を聞けば肩や膝を使ってはいけないということ。球は楕円球らしい。忍耐の重要な競技なのだろう。

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2017年06月14日

同志社大学周辺散策

まず、同志社大学。京都御所の北側にある。市内の一等地にこれだけの土地を得て大学を作るというのも明治時代だからできたのだろうか。あるいは、今治の山中に獣医学部を新設するようなコネがあったのだろうか。ちょっと前の記録すら残らない国なのだから、明治の初めのことがわかるわけもないが、同志社の場所は薩摩藩の藩邸だったそうだ。薩摩藩は江戸にも沢山の屋敷を持っていたようで、京都や大阪にも出張所があったわけだ。

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明治になって、藩邸など要らなくなったわけだ。さらに帝国政府の中心に旧薩摩藩士がいたわけだ。しかし、薩摩藩邸の土地は、誰のものだったのだろう。政府か、島津家か。


toraya


次は、「とらや」。東京のとらやは、京都から江戸に支店をつくったことになっている。つまり東京支店ということ。京都の茶寮に入ったり、羊羹を買って、東西羊羹食べ比べでもしようかともよぎったが、時間がないので、今回はパス。

muromati


室町幕府。現在の京都御所の北西に「花の御所」といわれる足利幕府の建物があった。石碑が一本立ち、『従是東北 足利将軍室町第址』と書かれている。今は何も残っていない。夢のあとである。

しかし、この大正四年に建てられた石碑だが、根元から10センチのところで折れた形跡(修繕箇所)がある。交差点の角に立つので車が当たったのだろう。歴史上影の薄い室町時代の存在証明にふさわしいともいえる。


mitamajinja


次は御霊神社。本来はこの神社に祀られている天皇のことを書くべきだろうが、それよりも歴史上の事実を書けば、この神社の前で応仁の乱が始まった。11年にわたる内戦の始まりでもある。とかく歴史小説では室町、鎌倉時代は嫌われるのだが、最近はよく書かれているようだ。どうして戦うことになったか、説明するのが難しくストーリーが始まる前に読みつかれそうだ。


sarutahiko


猿田彦神社。最近は猿田彦珈琲が有名だが、特に関係ないらしい。京都にある猿田彦神社はかなり小型である。無人方式かな。どうも旅の神らしい。伊勢に大きい社があるそうだ。当日の京都ミニ旅が無事に終了することだけを祈る。
  
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2017年06月13日

戻れなくなった戻り橋(一条戻橋)

晴明神社の近くに一条戻橋(通称:戻り橋)がある。観光地としては些かマイナーだが、故事来歴は一流だ。

まず、この場所は現在の京都御所の西にあたるのだが、平安時代の御所からは北に位置する。京都は御所から南に向かって一条、二条・・・九条なので、一番端の方だ。そこにある橋をなぜ戻り橋というかというと、いくつかの出来事が起きたからだ。

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延喜18年(918年)、文章博士だった三善清行が亡くなった。その息子「浄蔵」は紀州熊野の僧であり、やっとの思いで京都についた時に、すでに葬儀が終わり、埋葬の列がこの橋の上を通っていた。しかし、息子が仏に祈願したところ、父が一時蘇生して、何か父子で物語を語らったということだそうだ。遺産相続とか愛人の後片付けとか話したのだろうか。つまり、死んだ者が蘇ったり、生きている者が死んだりする境界線だったのだろう。

次の例は、近くに住んでいたスーパー陰陽師の安部晴明。こちらも父の保名が、この橋の付近で殺害されたのだが、かけつけた晴明が呪術をもって父を蘇生させた。

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さらに、平安中期の武士である渡辺綱(わたなべのつな)が、この橋のそばで、容姿端麗の女子から「暗いので怖いから家まで送ってほしい」と頼まれ、下心があったかどうか不明だが、馬に乗せて進み始めたら、女はたちまち鬼と化したそうだ。そして、綱は頭に血が上り、刀を振り回して鬼の腕を切り落としたそうだ。切り落とされた腕が戻ってきた話はない。この太平記の記述より、渡辺姓の家庭では「豆撒き不要」ということになっているそうだ。鬼が渡辺一門を恐れているという仮定だ。むしろ鬼は復讐に燃えているかもしれない。

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ところが、この橋だが、下を流れる川や、その土手と一緒に平成7年に新築されている。古い橋は細く、かつ長さが短い。


ところが。この戻り橋だが、画像を確認したら、一方通行の標識が見える。行ったら戻ってこられない。が、うっかり行ってしまった。
  
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2017年06月12日

晴明神社でパワー補充

西陣会館の隣にある晴明神社は平安時代の陰陽師、安倍晴明を祀る神社である。彼の自宅があった場所とされる。さらに時代は大きく下がり千利休が茶を立てるときに用いる水はここの境内の井戸からくみ上げた(つまり利休の家も近い)。京都の歴史というのは時間を超えながら、同じ場所でさまざまな事件が起きるわけだ。

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何日か先に書くが平安時代の京都御所は現在の御所よりもっと西(二条城の北側)にあり、その位置から見ると晴明の自宅は御所の北側ということになる。

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境内には安倍晴明の座像も立ち、思っていた悪魔のような顔ではなく温和な表情である。これが天文学者であり、また魔法使いの実像なのだろうか。

実は晴明は公家の出身ではなく、大阪出身の天才少年だった。大陸から伝わった天文学を最高レベルで理解し、さらに未来を占う力を持っていた。その上、死にそうな人にパワーを吹き込んだりしている。空想の世界では、彼は時空の河を行き来していたといわれるが、さすがにその根拠はない。貴族の出でないことから出世は遅れたそうだが、老年になり彼のスーパーパワーにすがる人たちが毎日門前に列をなしたのだろう。

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日本でも有数なパワースポットであることは間違いなく、ここに来る人は間違いなく、何らかの問題を抱えた人と思われる。私もスマホの充填時間ほどはいないが数十分充電して、お守りを購入する。本来は魔除けを入手すべきものだろうが、すでにパワーストーンとか八方除とか持っているので、『営業力・学力 向上守』にする。今更、何を目指すのだろうか、自分でもわからない。向上心には、土(黄色)の粘りと火(赤)の勢いが肝要だそうだ。
  
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2017年06月11日

樂美術館の侘

知人と会うため京都へ行くことがあり、京都御所・同志社大学周辺を中心に散策。第一弾は『樂美術館』。つい最近まで東京の近代美術館で、楽焼(=田中吉左衛門の歴史)展を拝観し、特に家祖、初代、二代、三代の作に感動(=感心)したこともあり、本家本元の京都樂美術館に突撃しようという気持ちになった。

しかし、冷静に考えれば、「メイン作品は東京に行っているのだから、樂美術館にいっても何もないのではないか」ということかもしれない。反対に、「メイン作品が東京に行っている間は、普段は蔵の中にある準メイン作品が展示されているのだから、根こそぎ見るには今ではないか」という考え方もある。

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そして、かなり暑い日であったが樂美術館に歩いていくと、土壁と焼杉と立派な瓦屋根の建物が見えてくるのだが、これは樂美術館の隣にある田中吉左衛門邸である。ここに家があるというのは、おそらく千利休の仕事場の一つがこの近くだったからだろうか。茶道という日本にしかない総合カルチャーの一角をなすのが茶碗作りであり、利休の思想を具現化したのが家祖の田中宗慶であり初代吉左衛門の長次郎だった。

美術館の方は、ややこじんまりした造りであり、やはり懸念したように常時展示されていたと思われる名品は出張中で、代わりに、『茶碗の結ぶ「縁」』というミニ展が行われていた。田中家の友人たち(表千家○○代家元とか裏千家○○代家元とか)が余技として楽焼を焼いた作品などが展示されていた。いささか残念。中には萩焼家元十五代坂倉新兵衛の萩焼茶碗、楽焼茶碗も出展されていた。一樂二萩三唐津と言われる1位と2位は友達だったようだ。

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まあ、茶道の極意は無とか虚であるのだろうから、美術館の中にお目当ての茶碗がないからといって残念がることもないのだろう。茶道の別名は「侘茶(わびちゃ)」である。

なお、田中家の始まりのあたりの不思議な家系図について。二代目以降現代の十五代まで一子相伝で田中吉左衛門を名乗るのに、この二代目の父である田中宗慶は、初代ではなく家祖と呼ばれ、初代は長次郎という人であるのだが、おそらく焼物事業を宗慶と長次郎が共同で始めたのではないだろうか。現代的にいうと、会社の所有は宗慶が行い、運営(お雇い社長)が長次郎だったのではないだろうか。そして、諸般の理由で、家祖は長次郎の跡継ぎを自分のこどもにしたのではないだろうか。
  

2017年06月10日

藤井憲郎詰将棋作品集

最近、将棋界で「藤井」というと、連勝中学生のことになる。少し前なら藤井システムという画期的な戦法の発明者が有名だった。将棋の定跡に特許権が認められるなら、相当の富を得ただろう。

連勝中学生は詰将棋も第一人者で、解くだけでなく作る方も難解作が好きなようだ。

fujii


ということで、ついに第三の藤井と言われる藤井憲郎氏による7手詰以下100題がまとめられた。新幹線で関西に行くときにちょうどいい長さだ。

詰将棋の短編というのも解いていて奇妙なのは、何題か答えが見えない問題もある。つい、「ミスプリント」ではないかと疑ってしまう。悪い癖だ。時々ミスプリントで詰まないことがあるため、どうしても問題のせいにしてしまいがちになる。

今回も1問、解けないので翌朝に持ち越した問題があったが、二日目に見ると難なく解けてしまう。やはり人間の脳というのは、欠陥があるのだろうか。


さて、5月27日出題作の解答。

0610k


0610kk


邪魔駒移動法である。上部脱出防止のために打った2三金が邪魔になるわけだ。

動く将棋盤はこちら


今週の問題。

0610m


入玉図。一手一手はたいした手ではない。それぞれの駒の最低限の能力を利用する。

総手数のヒントだが、
「総手数と盤上駒数の積は、総手数から持駒数を引いた差の三乗からさらにストロベリー数(和名)を引いたものに等しい」

7x

ただし、正の奇数である。

三次方程式の解を得るには1545年に発表された有名な数学者「カルダノの公式」がある。その10年前に別の数学者タルターリアから「マル秘」で聞いたものを、本人の許諾なしに自著で公開したとも言われている。タルターリアからの抗議と数学決闘を挑戦され、カルダノは自分の代わりに優秀な弟子フェラーリをタルターリアと数学決闘で戦わせ、フェラーリは四次元方程式の解法まで公開してしまう。なんてひどい人間たちだろう。ちなみに3人ともイタリア人だ。
  
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2017年06月09日

Yakult製品を急に飲み始める

ヤクルトといえば、おばさんと球団を思い起こすだろう。そして小さな容器のヤクルト。

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ちょっと都合があって、ヤクルト商品を色々と試飲&試食している。ドリンクの他にもヨーグルト、お茶、黒酢ドリンク、調整豆乳、青汁、さらにタフマン。どういう都合かというと、今はちょっと書けないので、はっきりした後で、書くかもしれない(書かないかもしれない)。

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そして飲料とヨーグルトには基本的に創業者の名前が付いた「乳酸菌 シロタ株」が使われているのだが、どうも基本的なヤクルトの味は、シロタ株とは関係ないようだ。ヨーグルトも味付けは他社のヨーグルトを参考にしているようだ。

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ところで、もっと驚いたことは、ヤクルトという株式会社の決算。昨年の数字は不明だが、平成27年度は、3900億円の売上で、営業利益が400億円ほどで、経常利益は500億円。毎年、営業利益より経常利益は60〜100億円多い。なぜ、いつも経常利益が多いのかという謎が気になる。

その辺が明らかになればいいのだが。単にスモール経営なのかもしれない。
  
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2017年06月08日

クロネコもびっくり

株主総会のシーズンなので色々な資料がやってくる。特に、過去分残業代を従業員に払ったため大幅減益になったヤマト運輸の決算を読んでみると、かなりびっくりする内容だが、28年度の営業収益(≒売上高)が前年度比+3.6%の1兆4668億円だが経常利益は前年度比マイナス50%の349億円ということ。

別の報道では、過去2年分の残業代が190億円ということなので、残り150億円のマイナスは過去分ではなく28年度分の正規に計算した残業代ということなのだろう。過去分については2年が時効で、残業代未払いの証明を社員がする必要があるようだ。さらに、3月末の段階では、まだ払っていないようで、引当金にしているということなのだろう。

そして、こうさらっと書いている。

また、グループ全体の「働き方改革」を推進する上で行った社員の労働時間の実態調査を踏まえ、新たに認識した労働時間に対する一時金を計上しました。

ずいぶん、簡単にすませているが、友達に総理大臣でもいるのだろうか。株主総会は狭い会場でやるようだが心配だ。「糾弾総会」など聞きたくないので行かない。

そして、ヤマト運輸は5事業(+その他)を展開しているそうだが、売上の82%、社員の90%、車両の90%を占めるのが中核事業の「デリバリー」部門。宅急便は昨年比+7.9%増の18億6700万個、DM便は+0.4%の15億4200万個。つまり年間34億個を運んでいるわけだ。

そして、デリバリー部門の売り上げが1兆1510億円でプラス3.5%ということ。早い話が通販A社の荷物が増えた、ということなのだろう。DMの単価は宅急便よりかなり安いだろうから、考えてみれば、追加の荷物量がプラス7.9%で売上がプラス3.5%ということは、追加分の単価は平均の半分くらいと推測される。つまりA社の単価は他の利用者の半分ではないだろうかとも推測される。
  
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2017年06月07日

湾岸のいじめっ子論理

サウジ、UAE、エジプト、イエメン、バーレンの5ヵ国がカタールとの国交を断絶し、大使館が閉鎖になった。国交断絶というのは、これから戦争を始めようという準備でもあるわけで、にわかに複雑になった。5ヵ国がカタールを気に入らないのは、イランと仲がいいからということで、かなりムチャな論理だ。

わかりやすくいうといじめっ子の論理といってもいい。サウジからすれば、イランをいじめようと仲間をあつめていたところ、政治的優等生のカタールが、「いじめはよくない」といったら「お前も、イランの仲間だろう」と言って、二人まとめていじめようとしているわけだ。

イスラム諸国の政権が一向に正常化しないのは、考え方として右側の過激派と左側の過激派しかいないからで、中道というのがない。カタールは右にも左にも偏らない政権だったがために、巻き添えを食った格好だ。

昨年までだったら、学校の先生に当たるアメリカが、色々と話を聞いて、学校崩壊にならないように右往左往していたのだが、今の政権は、武器を輸出したいがため、サウジを応援した。担任の先生までいじめに加わったわけだ。

もっとも、裏側には世界の混流に流れるエネルギー事情の変化もあるのだろう。古い資源経済学では原油の持つポリティカルパワーを強調し、サウジ、UAEの力の源泉を原油と見ていたのだが、いささか古すぎる。カタールは原油もある程度産出するのだが、それよりも天然ガスの大産地である。OPECは原油生産量の国別生産量を決めるが、原油周辺資源(天然ガス、コンデンセート、NGL(軽質油))については感知しない。サウジはほとんど原油だけだが、カタールは天然ガスが多い。

さらにペルシア湾(アラビア湾ともいう)の出入り口はカタールとイランであり、その間には上記の軽質原料油の油田が横たわっていて、2国で生産をしている。これは原油の中の売れない重油分が入っていないため、収益性が高く価格も高い。

つまりカタールは、優等生で金持ちのわけだ。嫌われるわけだ。

しかし困ったことに、日本だけでもないが、多くの国はサウジから原油を買い、カタールからは天然ガス(LNG)を買い、こっそり軽質原料油を買う国もあるということ。

原油を買える国は他にもあるのだが、天然ガスを買える国は少ない。米国もシェールガスの輸出を始めるようだが、現政権では安定的に買えるかどうか疑問がある。

欧州がカタールを支持し、米国がサウジを支持し揉めそうな感じがある。
  
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2017年06月06日

武士の献立(2013年 映画)

加賀は日本を代表する郷土料理を生んだ藩である。映画の話ではないが、世界三大料理とは中国、フランス、タイを指すそうで、いずれも王国であり裕福だった。フランス料理の元になるロシア料理も同様。インドも料理はうまい。

日本料理は多様性では負けないが、多くは加工度が低いのが特徴で、韓国では「日本が料理のまねをした」と批判すら行う。事実誤認だが。

料理が上手いというのは、経済的に余裕があることと、封建制が確立していることが必須だ。英国のように民主主義の国では料理はまずい。なにしろ主婦が料理を作るのでは、次々に一の膳、二の膳、三の膳というように順番に出てくることはない。専門のコックがいるからキング(大名)に御馳走を届ける必要があり、そのために料理が発達する。

そして加賀料理という絢爛豪華で時に金箔まで使われるという独特の味が生まれた。

bushikon


その加賀藩の料理番のことを「包丁侍」と揶揄して読んでいた時代のこと。西田敏行演じる老包丁侍ができの悪い跡継ぎ息子(高良健吾)の妻に料理上手の出戻り娘(上戸彩)を選んだ。

どうも高良健吾が出演する役は、ブチ切れることが多く、本作でも藩主(前田家)暗殺計画に加わろうとするのだが、上戸彩が二本差しを隠したため、襲撃に遅刻(しかも木刀持参)したため、発覚を免れる。(共謀罪上はどうなるのだろう。襲撃に遅刻して何もできずにすごすごと逃げ帰る場合)

しかし、そういうごたごたについて幕府は加賀藩の弱体化(あるいは取り潰し)を考えるが、幕府からの使者などを含む大宴会を開くことで幕府の嫌疑は晴れる。

その大宴会の素材をさがしに夫妻は奥能登地方を散策するのだが、そこがまたいい。

能登は加賀藩にとっては奥座敷のようなもので、開発されないままの素朴な海陸が存在していた。海岸のシーンは、なんとも美しい。(奥能登いきたし)

そして、西田敏行と高良健吾はその後、加賀藩の公式料理だけではなく町人のレシピまで集約した加賀料理全集を書き上げる。それがあるからこそ加賀料理が輝いているのかもしれない。

原作がないのに、古い資料を探して脚本を書いた方々に感謝。


同じように、安定していた藩には、それなりに大なり小なりのストーリーがあるのだろう。発掘してみたらどうだろう。古文書解読班、郷土史研究班、歴史小説作成班とか。問題は、郷土史研究班の頑固さかな。誰も顧みたことがないような小ストーリーの発掘がいいのかもしれない。

  

2017年06月05日

高熱隧道(吉村昭著)

1967年に吉村昭が戦前(1936年から4年間の工期)に完成した黒部第三ダムの工事を題材にドキュメンタリー小説として書いた。奇しくも発行から50年。

黒部川のダムといえば黒四と言われる第四ダムが有名で、石原裕次郎主演の映画にもなっているが、黒四工事での死者は171名とされるが、第三ダムでは300人より多い。それも、谷底に滑落したり、雪崩で亡くなったり、岩盤が高熱を帯び、ダイナマイトの自然発火も起こっている。

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どうして、そんなところに発電所が必要かというと、中国大陸で戦争が起きそうだったこと。実際には、ダム完成の前に戦火が広がっていった。そのため、国家総動員令にしたがって、通常の日当の10倍も使って冬の工事を行ったりしている。

富山県は危険すぎる工事として、中止を求めるが、国家事業として政府からは工事続行の意思が伝えられる。

吉村昭らしく、悲劇の場面でも淡々と犠牲者のご遺体のことなど書いてあるのだが、国家権力の横暴が浮かびだすようになっている。

しかし、温泉地でもある地域でトンネルを掘ると、岩盤の温度はどんどん上がっていき、160度以上にもなっていく。

一つ気になったのは、朝鮮人工の存在。何一つ本書には書かれていないのだが、現場にはいたはずだし、犠牲者の中にも含まれている。


それほど高熱ならば、地熱発電所に最適なのだろうか。
  
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2017年06月04日

アンデルセン展(川崎市市民ミュージアム)

川崎市の等々力緑地にある市民ミュージアムで開催中のアンデルセン展に行った、思っていたよりも充実した展示だった。行きにくい場所で、これだけの資料を展示するとは、力が入っている。

最近、「吟遊詩人」と「影」という問題作を続けて読んだこともあり、著者の実像を知りたかった。

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アンデルセンはデンマーク生まれで、1805年にオーデンセというデンマークで2番目の市(といっても人口は6千人)で生まれる。父や母に愛されて育ったが、父はアンデルセン11歳の時に他界してしまう。軍隊から戻ってから間もなくのことだったようだ。日本の幕末の志士たちは1830年頃に生まれた者が多いのだが、アンデルセンは70歳まで生きたので、ほぼ明治維新の頃の人物と考えればいい。

当時の街並みが会場に復元されていたが、なにしろデンマークは貧乏な国だった。国のピークは出生の300~400年前だったのだろうか。デンマーク人の祖先のノルウェーを戦争で失ってから貧しくなったらしい。残されたのは幾つかの島々とグリーンランド。欧州では一流国と二流国というのは世界チャンピオンになったことがある国かどうかということで、ポルトガル、スペイン、オランダ、英国、フランス(ナポレオン)、ドイツ(ヒトラー)がよきにせよ悪しきにせよ、世界チャンピオンになった国で、それ以外の国は二流感覚が漂う。

さて、会場で色々とアンデルセンの事情が判るのだが、まず驚いたのは、アンデルセンの巨体ぶり。185センチということで、当時の標準身長の160センチよりも25センチも高い。現存する写真などを見ると、一つの問題があることが判る。写真は彼が50歳頃から一般的になったのだろうが、顔つきが写真によってかなり異なっている。それは、彼が自分のことを「醜い男」と認識していてカメラの前に立つと、さまざまな顔を演じていたからだそうだ。どうも本物の顔は森友学園の籠池元理事長に似ているようだ。

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なぜ、色々な表情ができるのかというのは、彼が20歳頃、劇団に入っていたからなのだろうか。冒頭で書いたように父親が11歳で亡くなってから、早くから自分の将来を決めなくてはならなくなり、劇団の門を叩いたわけだ。彼自身、目標としていたのが、シェークスピアだったわけだ。約250年前に活躍していた劇作家。

そして幸か不幸か、運命の通告を劇団から言い渡される。

クビ!

一人だけ体が大きすぎて、劇に出せないから役者は無理と言われる。まあ、合理的な話だ。妖怪とか洞窟の怪奇人とか未知の動物役が毎回必要なわけじゃないだろう。

彼の童話に、身体的ハンディキャップを背負った人間や動物が多く登場するというのは、この時の経験が作用しているのではないだろうか。

ともかく、彼は役者をあきらめ、創作の道に進むために大学に行き始める。ということは、色々なプロットのネタは大脳の中に醸成されつつあったのだろう。書く技術が必要だった。

しかし、彼が並の人間ではなかったのは、大学は勉強するために行くもので卒業するために行くものではないことを知っていたことだ(もちろん入学した時にすでに23歳だったので、現代風に言えば5浪ということかな)。20代の後半には、カバン一つ持って海外旅行(放浪)を始める。行き先は30ヵ国以上らしい(詳細は未調査)。

時の総理大臣も60ヵ国以上外遊しているが、本人が行きたいのか夫人Aが行きたがるのか定かではないが、アンデルセンは生涯独身だったので間違いなく自分の中から湧き出す旅立ち衝動があったのだろう。その時に彼が持ち歩いた皮製のスーツケースの実物が今回の展示品の目玉の一つだが、7泊8日用のサイズ位だが、キャスターはない。手に持って運ぶしかない。大男だからこそ可能だった旅かもしれない。皮はまだ光沢を残し、バッグの外側には様々なものを取り付けることができるように何枚もタブがついていて、象の耳のように見えることから、本人は、バッグを「象(のデンマーク語)」と名付けていた。

そして30歳の時に、永遠の名作「即興詩人」を書き、その後、創作童話を量産することになった。グリム童話は欧州の内陸の森の中に残る怖い民話を下敷きにしていることが多いのに対し、アンデルセン童話は欧州に住みながら貧しい生活者の心の叫びを表出させるところに人類の普遍的共感を表現していると言えるのかもしれない。

ということで、今更ながらアンデルセンをこつこつと読んでみようかとか、船橋市にあるアンデルセン公園に行ってみようかと思ってみるものの。当面、保留しようかな。同名の店舗で古くからパンは買っているし。
  

2017年06月03日

重箱の中身は・・

5月21日(日)に将棋連盟4階で行われた将棋ペンクラブの関東交流会の際、4階の階段ホールに、出前の容器置き場があった。有名な冤罪事件の後、カンニングは無罪だったのにもかかわらず、再発防止のため、対局中の棋士の外出が禁止になった(違反者は注意されるようだ)。

そのため、昼食(場合によっては夕食)を食べに行くことが事実上禁止になり、棋士は出前を注文することになった。その結果、どんぶりなどは、奨励会員が、所定の場所に片付けて置き、業者が持っていくことになったようだ。段の一番下が「みろく庵」、二段目が「ほそ鳥や」、そして一番上が「その他」ということになっている。

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そして、その一番上には、立派な重箱(吸い物椀付き)と、うどん風のどんぶりが残されていた。

この立派な重箱は誰が何を注文したのか知りたくなる。一二三九段のうな重?いや、対局はないはずだ。また、新人棋士でもないだろう。遠慮があるだろう。対局相手がキツネそばとか注文するのに数千円の昼食を頼むのも不自然だ。食べ物に遠慮する必要なんてまったくないのだが、まあ、昼食で恨まれるのも得策じゃない。それに最強棋士(ソフト)はメシを食わないのだから、高い食事をすればするだけむなしい気持ちになるだろう。

ということで、前日の対局を調べると、女流王座戦の予選の一斉対局だが、将棋連盟は使われていない。つまり前日は対局がなかった。その前の19日は王位戦リーグ丸山×菅井、棋王戦予選遠山×及川、王将戦予選山崎×豊川、新人王戦甲斐×佐々木、女流藤花石高×真田の5局。

この中で1局だけ昼食を確認できたのが、丸山×菅井戦。丸山九段はヒレカツ定食赤だし付き(ふじもと)、菅井五段は五目焼きそば(紫金飯店)だそうだ。つまり、他のメンバーを見ても重箱の中身が丸山九段のヒレカツだったことは疑いがないだろう。「カツ」で縁起をかついだのだろうか。対戦結果は焼きそばの勝ちだった。

ところで、左側の張り紙だが、喫煙スペースについて、5Fまたは1F駐車場脇と書かれている。駐車場脇というのは、建物の外ではないのだろうか。


さて、5月20日出題作の解答。

0603k


0603kk


最終手は金右(直)を期待。完成した図は、市松模様の中でも「流れ市松」という文様。

nagareichimatsu


動く将棋盤は、こちら


今週の問題。

0603m


ごく常識的にいうと、少し泳がせてから釣り糸を巻き上げる。

分かったと思われた方は、コメント欄に最終手と総手数とご意見を記していただければ正誤判定します。
  
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2017年06月02日

明石焼きの食べ方(不安)

明石に行って食べるなら名物の蛸を使った「明石焼き」しかないだろう。

駅の近くにある「まるまる」という店に入る。「まるまる」はれっきとした店名である。匿名にするために「〇〇」と書いているわけではない。

しかし、そもそも明石焼きというのを正確に知っているわけじゃない。たこ焼きといえば、たこ焼きに色々とトッピングされ甘いソースが塗られている「ぼてじゅう」式しか想像していない。本場明石なのだから、蛸が二切れとかかな、とか方向違いの推測をしていた。

で、メニューには「たまご焼き(明石焼き)」と奇妙な書き方になっている。洞察するに、いわゆる明石焼きは、地元ではたまご焼きと呼ばれているのだろう。もちろん関東では、卵焼きとは、卵を何らかの方法で、直接フライパン等で焼くことを意味する。

さらに、一人分が15個と多い。確か普通は、パックに8個とか10個ではなかっただろうか。15個とは奇数だし。

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で、しばらくすると、予想外の物体が現れる。たこ焼き15個と出汁(だし)だそうだ。それとテーブルに常備されているのは、ソースと唐辛子の粉。

はっきり言って、見当がつかない。周りの客をみると、ほとんどが食べ終わったところで、お水を飲んだり、財布を持って立ち上がっていく人、ビールとおつまみの人などだ。

ということで、困ったときはスマホ頼り。(といっても数日前にスマホ新替に追い込まれたばかりで、操作に手間取る)

数分調べたところ、出汁で食べてもいいし、ソースで食べてもいいし、味が物足りなかったらソースをつけてから出汁で食べてもいいらしい。何もつけないケースも含めると4通りだ。唐辛子の使用、不使用を組み合わせると、8通りの食べ方があるが、唐辛子のせいで激しい腹痛を起こしたりすると厄介が起こる。このあと、仕事に行くついでに明石にいるのに、まだ仕事は1秒間すら始まってもいないからだ。

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ということで、いくつかトライした結局、一番味が濃いソース+出汁という選択に至ったのだが、単に普通のたこ焼きに近い味にしているだけという保守的選択をしていただけ、とも言える。

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食べ終わりに近づいた時に、別の二人連れの観光客のテーブルに15個が届き、こちらのテーブルの様子をうかがっていることに気付いたので、唐辛子を山のように振りかけたふりをして、さらに箸ではなく指でつまんで食べ始めてみた。
  
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2017年06月01日

明石市立天文科学館

まず、明石の街は複雑だ。明石城から見えるところにある明石市立天文科学館に行こうと歩いていくと、道は細かったり太かったりするが、交差点があって、右に行く道は行き止まりと書かれているため天文館に向かう道(左)を少し歩くと、こちらも行き止まりだった。

といって、迷路状でもなく、五角形型の道でもなく、若干かぎ型に歩いたりする必要もある。

城下町の特徴である攻防上の問題だけではなく、山陽路の宿場町という性格も必要で、それで中途半端になったのだろうと推測。

そして本題。

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明石市は子午線の街として知られる。東経135度線が市内を通っている。日本標準時が東経135度に決まったのは明治21年1月1日。当時は樺太千島交換条約(明治8年)によって北千島の占守島(東経156度)から与那国島(東経123度)までがカバーすべき時間帯だったのだが、足して2で割ると東経140度となりちょうど東京のあたりなのだが、国際標準時(GMT)の起点のロンドンから1時間ずつの刻みをつくると、15度(360度/24時間)となり、選択できるのは明石(135度)の次は150度のウルップ島(択捉の次)ということになる。

明石の天文科学館は、当然ながら子午線の上に立っているし、市内にも子午線上をあらわす表示が何か所かある、国道2号線にある表示は20年ほど前に、レンタカーで走った時に一瞬見たものだが、今回確認すると、郵便局の前にあり郵便局は子午線郵便局と呼ばれているし、南の方には子午線交番もある。

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一方、子午線は南北に存在するのだから、明石以外の町は、どういうことになっているのか調べると、まず南側は淡路島の一部を縦断したあと、紀伊水道になり、四国にも本州にも触れることなくインドネシア、オーストラリア、そして南極である。ただし、北側には「丹波市」があり、さらに京都府「久美浜町」で日本海になる。早い話が山ばかりなのだが、実は天文台にとっては、最適立地は光やゴミの少ない山中の方が良いわけだ。もっとも天文台と子午線はほとんど関係ないので「丹波黒豆天文台」などできるわけはないだろう。

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そして、本来、天文台の目的とは関係のない「明石大橋の絶景ポイント」がこの天文台であるということが、よくわかった。


そして、人心を惑わすようなことを書きたくはないが、少し興味を持っていることがある。南海トラフを震源とする大地震とその津波が太平洋側を襲った場合の影響だが、大阪湾には大量の太平洋からの海水が押し寄せることになっている。その時に、瀬戸内海と大阪湾の間にある淡路島の北側の明石海峡と南側の鳴門海峡が、その突然の海流にどのように影響があるかということ。

狭い海峡は瀬戸内海への津波の流入を阻害する効果があるのか、あるいは逆に海峡が超高層の津波を発生させるのか。天文台を残して町がすべて海に沈むということにならないことを祈るばかりだ。
  
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2017年05月31日

明石原人の謎(明石市立文化博物館)

明石城に隣接して明石市立文化博物館がある。明石は古来より交通の要所であり、歴史上の財産は多くあるのだろうが、幸か不幸かもっと重大な物件が発見されたことで有名になっている。

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それは、明石原人と呼ばれる人類の腰骨なのである。

考古学上有名でありまた残念で謎に包まれたこの骨については松本清張も小説にしているほどミステリアスである。

発見されたのは1931年。アマチュアの考古学ファンである直良信夫が明石市の西八木海岸の崩れかけた崖から、発掘したものである。直良は、同地で発見されている動物化石や石器などからして後期石器時代(5万年前〜10万年前あたり)の原人と主張。しかし、調査した東京帝国大学を頂点とする考古学会は、直良説を無視し、この骨を直良に返却。石膏型だけが東大に残り、化石は直良の東京の自宅に保管されていた。

そして、昭和20年に米軍機による空襲によって、明石原人の化石は直良の自宅ごと焼失してしまった。

ところが、焼失の2年後、東大に放置されていた石膏型を東大の某教授が発見し、この腰骨の研究をしたところ、古い人類のものと主張されることになり、元に戻って西八木海岸の発掘が行われたのだが、巨費を投じたにもかかわらず、東大と直良の感情がもつれたまま、別の場所を掘ってしまう。ナッシングだった。

さらに、事情は複雑で、古い人類の特徴があると思われていたが、逆に現代人よりも未来人(腰骨が縦長)に近いということになり、旧人否定論も登場。そもそも最初の化石が、骨なのか石なのかということがわからなくなる。化石化する過程で骨が変形することもあるのだが、石膏型をみてもわからない。

当時は、日本には石器時代人はいなくて、縄文時代に南方から、弥生時代に中国方面から人類が日本に来た、と考えられていたため、いかにも邪論のように思われたようだ。

しかし、現在は旧石器時代人が日本にいたのは確実と思われているのだが、実は少し前に手製のニセ石器をバラマク考古学者が現れて、石器時代の考古学研究は完全に破壊されてしまったわけだ。
  

2017年05月30日

明石城は交通の要所だったが

明石という地名は源氏物語にも登場するほど古くから有名であり、おそらく現在の明石駅付近だけを指すのではなく、もっと広い範囲を指す言葉だったのだろう。

山陽道の要所であり、内陸へ入るのもまた淡路島に向かうにも、また瀬戸内海の入口(北が明石海峡、南が鳴門海峡)でもあり、海上交通、商業、軍事的にも重要な場所であり、江戸時代の初めには、大阪と姫路の間の守備の要と思われていた。

ところが、実際には江戸幕府の権力が強すぎて、反抗する大名などいなかったこともあり、どうも6万石から10万石規模ということもあり、様々な親藩大名が次から次へと城主になり、大部分は、明石を去ったあと、落ち目になっている。出世城ではなく没落城だったのだろうか。

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場内は四つの隅にあった櫓のうち二つと天守閣予定地の天守台が残るが、天守台は前面にある櫓にかなり隣接していて、まったく不自然だ。現地から帰ってしばらくして思いついたのだが、山陽路から見る参勤交代の大名たちが、徳川親藩の力を過剰に意識するように、天守閣がより大きく見えるように道に近い場所に設計したのではないだろうか。

実際には天守台の上には天守閣は作られなかった。江戸城の天守閣が、早い時期に再建されなかったことも原因の一つだろう。

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石垣は、しっかりしているように見えるが、石と石の間がすいている場所が多い。阪神淡路大震災のあと、崩れた石を積みなおしたそうだが、たくさん石垣を見ている目で言うと、少し不安を感じる。

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水堀にはたくさんのミドリガメ(アマゾンアカミミガメ)が生息していて、一部は堀をよじのぼり、天守台のそばで観光客の残したオニギリを食べていた。
  
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2017年05月29日

イン・ザ・ヒーロー(2014年 映画)

スーツアクターという仕事がある。怪獣とか仮面ライダーとか「かぶりもの」を使って主に格闘をする。格闘をしなくてもいいというのは、ご当地キャラだが、格闘するとなるとさらに体力と忍耐が必要だ。悪役に慣れなければならない。5人登場とすると、最後に勝つのは1人で、残り4人は殴り殺さる役だ。4人で1人を殴るということにはならない。

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本映画では、このスーツアクターになるのは、いわゆるスタンドマン(スタンドバイ)と言われる人たちで、アクション映画だけではやっていけないから「かぶりもの」もやる、という設定になっている。

実際には、そういう簡単な話じゃなくて、「かぶる」方は専門の人がいたり、役者の卵が数合わせで動員されたりするはずだ。そういう人たちからの批判があったらしい。

そして、下落合ヒーローアクションクラブの経営者で自らも25年のスーツアクター経験がある男を演じるのが唐沢寿明。実際に、そういう仕事をしていた過去を持つそうだ。

妻とは離婚したものの娘を介してしょっちゅう会っている。本当はいつか自分の名前と自分の顔をスクリーンに映したいと願い続けている。

そして、唐沢の前に現れたのはハリウッドスターを夢見る生意気タレント。映画に出演するため、アクションを覚えようとするが、簡単にはいかない。福士蒼汰が演じる。

ここからは、唐沢と福士がぶつかるという定番コースに入るが、よくある展開で、二人の将来の夢が同じ方向であることが明らかになっていく。

そして、簡単に言うと、福士がやっとつかんだハリウッドへの道に大きな障害が現れる。フィナーレで白覆面の忍者が登場して、山盛り人数の黒忍者を切り殺すシーンの冒頭の二階から落下するところが危険すぎるとして予定されていた俳優が香港に逃げ帰ってしまったわけだ。

そして、ワイヤーとかCGで対応しようという話になり、それなら、そもそも物価の高い日本ではなくソウルで撮影したらどうだろうなどということになるのが、監督が同意せず、そのシーンのために撮影前に4か月特訓していた唐沢の出番になるわけだ。

本映画は、映画のストーリーにはまりこまないと、なかなか共感しにくいところがある。二人の男の夢というのに同意するのが前提だし、なんとなく暗い影を感じるところがある。

といっても、暗い影がなければ、単なる喜劇かアクションになってしまうような気もするし、ちょっと浮いているが唐沢の娘を演じる杉咲花が場違いに明るいというところが勘違い的ユーモアを添えていると言えるかも。
  

2017年05月28日

「動物集合」展

近代美術館別館で開催されていた『動物集合』について。

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収蔵品からの展示ということで、ほとんどが国内の作者の手になる工芸品である。和服の柄もあるし陶芸に描かれるものもあるし、多いのは彫像だろうか。

そして、意外なことに犬の作品は少なく、猫が多い。さらに狐が多い。お稲荷さまの狐は有名だ。

犬についていえば「犬将軍」がいた国なのだから歴史的に多いのかなと思うが、あまり聞かない。ただ、西郷隆盛のお付きの散歩犬が有名だ。ネコは穀物倉庫の番人として実用動物だった。

狐が多い理由だが、人の住んでいる村や町と狐のすんでいる森が接しているところに出会いがある。西欧ではいつも戦争をしているので、街を城壁で囲って、立て籠りながら戦争を行っていた。だから、意外に森の狐は住宅地にはこない。

日本では、熊も先住動物の一つで戦闘的だが、あまり工芸品にはなっていない。熊と人間の生活圏がかぶりはじめたのは、つい最近の事だからだろう。

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もっとも北海道(蝦夷)では、人間とヒグマの距離は近い。恐れるものなのか親しいものなのか微妙な関係をあらわすことばとして「おやじ」という言い方がある。

近代美術館の所蔵には選ばれなかった一品を、埃をかぶったコレクションの中から探し出してみた。
  

2017年05月27日

王手角取りで失ったもの

前の日曜に将棋連盟4Fで開催された将棋ペンクラブの関東交流会に出席。

会員を中心に数十人の出席で、プロは上野さんと井道さんが多面指しを行っていた。井道女流は石川県の珠洲市の出身ということで、将棋情報誌で紹介されていた銘酒を昨年のふるさと納税で手に入れたのだが、いわゆる秘酒という感じだった。一番教えてもらおうかとも思ったが、負けても勝っても嫌なものなので、通常コースのフリー対局ということで、3時間程度指した。

先日の職団戦ではボロボロだったのだが、その後、各種戦法とその対策を研究していたため、まあなんとか白星先行ということであったが、最終戦で相手の飛車を追い詰めた結果、よく見たら私の王と角の間に相手の飛車がいるわけだ。つまり王手角取り。

今までずいぶん指してきたが、こんなに悪い手を指したことはないだろう。サッカーで言えばバックスが相手のフォワードのドリブルを取り囲んで、ある方向に追い詰めたものの、そのままゴールに入ってしまったようなものだろう。

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ということで、色紙先取り権の順位が下がり、井道さんの色紙ではなく、森内元名人の『深思高飛』の色紙をいただく。「深く考えた結果、高飛びした」という意味だろうか。


さて、5月13日の出題作の解答。

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初手に駒取りというのは、めったにない。というか、やや邪道感があるが、個人的には、まったく気にしていない。

動く将棋盤は、こちら


今週の問題。

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少しだけ技巧的なところがある。たいして難しくはない。

わかったと思われた方は、コメント欄に最終手と総手数とご意見をいただければ正誤判定します。
  
Posted by ota416 at 00:00Comments(4)TrackBack(0)しょうぎ

2017年05月26日

トマト生育状況

ミニトマトは、かなり威勢よく伸びてきて、青い小粒のトマトが大きくなってきた。気になるのは少しボロボロと落下していること。本来はミニトマトは脇芽をとらなくてもいいようだが、モサモサしてきたので指でつまんでいる。プランターの形状に合わないのが問題かな。

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問題はミディサイズのトマトの方だが、地植えしたのがいけなかったのかな。大きくならないのに一つ大きめの実がなってきた。なんとなく最初で最後の一つになりそうな嫌な予感がある。早めに諦めて、朝顔かヒマワリと植え替えようかなと、農家でもないのに弱気になる。

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両者ともに、蛎殻を焼いて粉砕した石灰を少しだけ肥料にする。
  
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2017年05月25日

史談 行く人来る人(綱淵謙錠)

いわゆる歴史一口話集とでもいうべきかな。全327ページの中に52話が詰め込まれている。

著者のすべての作品を読んだわけではないので(少なくても1冊は読んでいたが)、本書の話が全てそれぞれ展開して一編の時代小説として完成したかどうかはわからないが、少なくても先日読んだ短編集『刑』の中のほとんどの作は、本書に調査報告書のようにまとめられている。

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しかし、気になったのは「カニバリズム」のこと。経営学では、自社の新形態のビジネスが自社の旧形態のビジネスとかぶっていて、新ビジネスの売上げや利益が増えた一方で旧ビジネスの売上や利益が減ってしまい「お疲れさま状態」になることをいうのだが、元の意味は「食人」。つまり人類の共食いである。

42ページ、7話を人肉を食うことにあてている。世界の食人史を書こうとしたのかもしれないが、なんとなく、知っていた話が多く、愉快な気持ちにはならなかった。

というのも7話の冒頭を飾るのが、「悲しい美食」という話で、例の佐川君のこと。佐川君のことはWikipediaでも調べられるが、本書ではもっともっと具体的な食人の部分にフォーカスしている。

そして、知らなかったことだが、妖刀「村正」と家康の関係。徳川幕府は「村正」を毛嫌いし、できうる限りで村正の排除を行っていたが、従来、その理由としては3点が挙げられていて、

1. 家康の長男である信康が織田信長の命により切腹させられて時の介錯に使われた。
2. 家康の祖父である清康が、様々な思い違いから横殺された時に使われた。
3. 家康本人が幼少の頃、村正の短刀で誤って手傷を負ったこと。

が挙げられているのだが、著者は4つ目の理由として、

4. 家康の父親である広忠が暗殺された時に使われたのも村正であった

ということを探り出している。さらに2の事件と4の事件も(つまり、祖父と父の殺害)、徳川家の家来である植村新六郎氏明が犯人を討ち取っている。一件目は15歳、二件目は29歳の時のこと。見事というべきか、そもそも殿の警固が甘かったというべきか。残念ながら氏明は32歳の時に徳川×織田の合戦で討死。

植村家は江戸時代初頭は旗本であったが、その後、25,000石の高取藩の藩主(つまり大名)となるが、そのプロセスは不明。幕末は無抵抗主義で幕府側から薩長側に宗旨替えした。
  
Posted by ota416 at 00:00Comments(0)TrackBack(0)歴史

2017年05月24日

景気討論会で聞いた話

日経新聞と日本経済研究センターの共催で、先週、大手町で行われた景気討論会を聞きに行く。

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パネリストは、企業側から旭化成と丸紅の社長と日本総研の副理事長、日本経済研究センターの理事長。司会進行が日経新聞の専務の5人。

まず、現在、日本経済は戦後3番目に長い景気回復を続けているそうだ。その実感が誰にもない理由は、あまりにもなだらかな微増であることと、給料が上がらないため内需に力強さが足りないからということ。

現今、もっとも重要な問題は言うまでもなく半島情勢だが、当日の討論では、その話はなかったこととして進むことになった。それでいいのかというような気もする。

その給料問題の前に、雇用情勢が大変ということで、現在の人出不足は続くのかという点について討論があった。裏側にはAIとIOTといった技術革新で不足労働力が確保できるのか、あるいは逆に人間が余るのかということ。どちらかというと企業人の方は、将来は大幅に人が要らなくなる(余る)だろうと考えていること。

もっとも人が要らないということになると、需要面では大きなマイナスだ。

この問題にかかわらず討論はまとまらないことばかり。そもそも内需型企業の人を呼ばないのはなぜだろう。

意見が一致したのは、世界経済にさしあたってのリスク。トランプリスクらしい。もっとも彼らしい政策は何一つできていない。

そして中国に負けているのが、AI戦略。日本は何一つ前に進まないが、中国はやってみてから判断するということ。

やはり特区を作って単一ビジネスではなく、地域経済全体に点火すべきなのだろう。獣医学部設立のために特区を認定したとしたら大問題である。北海道全部とか四国全域とか大単位取り組んでもらいたいところである。
  
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2017年05月23日

森友問題、いつまでも触れられない論点

森友問題も燃料が燃え尽きたようで、加計問題に移っている。

私も岡山に3年強住んでいたし、先祖は岡山なので、この学園のことは幾つか知っている。例えば、倉敷の駅近くにあるESG倉敷こども園は、もともと倉敷芸術科学大学の看板の出ている建物の一階に数年前に開設されたが、驚くことに隣の建物は大型のラブホテル。幼稚園の隣にホテルを建てることは認められないが、ホテルの隣に幼稚園を建てるのは合法らしい。(そのホテルの隣のマンションに住んでいた)

また倉敷郊外の山中にあるのがヘルスピア倉敷で、スケートリンクが中心で高橋大輔さんが練習していたことで有名だが、元々は年金施設で大赤字のため売却先を探し、格安で加計グループが入手。

表向きの話については倉敷美観地区内にある加計美術館の2階に加計一族の輝かしい歴史が展示されている。一階は傘下の芸術大学の学生の作品展示が多い。

で、話を書きたいのは加計の件ではなく、森友問題の中の一角を占める「国有地格安売却」の件。

9億の土地を8億値引いて1億で売ったというのが、手続き的に正当なのかどうかはさらに調査が続くのだろうが、そういう観点ではなく、9億の評価の土地が1億になったということ。もちろん近畿財務局は、他の土地は処分していてこの土地だけ売れ残っていたので、なんとか売ろうという基本的なスタンスだったのだろう。

一方で、国有地というものの効果を考えてみると、これが1000兆円を超えると言われる国債残高の担保になっていること。つまり借金の裏側に資産があるかどうかという点だ。

残念ながら、国有地だけで国債を担保できていない。だいたい100兆円と言われている。実際には土地以外にも建物や借地権などもあるだろう。例えば国会議事堂の建物とか。ただ、数は知れているだろうから無視してしまうと、1000兆円=国有地100兆円+日本国の信用900兆円ということになる。

8億円の値引きは少なくても国債の担保が8億円分目減りするということである。もちろん実売価格が帳簿価格より高いなら、資産として持つよりも換金した方がいいのだろうが、単に傷物だからといって評価を下げてから売るような意味はないわけだ。

さらに言うと、例えば不動産王トランプなら、安く買った土地の付加価値を高めてから第三者に売却することにより、利益を生んでいくだろう。いいか悪いかは別として、安売りすれば自ら価値を下げて同時に担保価値を失っているわけだ。
  
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2017年05月22日

A Tail of Magic(ミュージカル/麻布演劇市)

劇団あまみゅ☆カンパニー第6回公演のミュージカル。六本木の小さなシアターで。数年前に同劇団で公演したもののリメイクということだそうだ。

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某王国の王様が病気に伏し、放蕩息子が王冠を継ぐことになる。国民が困窮して食べ物も乏しいというのに、本人はスイーツや肉をがつがつと食い、肥満体になっている。さらに忠告した料理長は粛清されてしまう。

となると、日本近郊の某国を連想してしまう。リメイクとなったのはそういう事情かもしれない。

王子はちょっとした理由で城を出て街中を歩き回る。暴れん坊将軍みたいだが、市井で自分の悪評をさんざん聞くことになる。そして、身分を隠したまま、反政府活動に加わり共謀罪で捕まりかけてしまう。

そういった、王族対民衆の対立とは別に、この国の支配権をめぐり、人間対魔女というテーマがある。魔女は時に怒り王国を滅ぼそうとしたり、気まぐれに許したりする。北風政策と太陽政策というわけだ。

ということで、二つの対立軸が劇中で交錯するので、案外複雑なのだ。隣の席に座っていた全くの他人の小学生女子は、栄養失調で亡くなってしまった女性の娘がくさりかけたリンゴを、遺体を演じる母親の口に詰め込む場面で泣き出してしまった。笑っている人が多い場面だったのだが。

で、劇中では、魔女(米国?)が若い新国王を殺してしまうのだが、思い直してまた復活させてしまう。その必要エネルギーは最大級で、魔女は力をかなり失ってしまう。


全5回公演の千秋楽であって、役者数を数えたところ27名ということで、かなりの迫力であったが、演劇ってその無形性が演劇たるところではあるものの、千秋楽の幕が下りるまでの累積エネルギーって莫大だよね。
  

2017年05月21日

茶碗の中の宇宙

近代美術館で開催中の『茶碗の中の宇宙』へ行く。ミクロコスモス イン ティーカップか。

別の名前を考えると、『樂家の人々』となる。

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茶碗がなければ、たぶん茶道は始まらない。もっとも利休なら紙コップでも一席作れるだろう。何もなくても掌二枚でもエア茶道とかやるだろう。何しろ始祖なのだから。

そしてもう一人の始祖が長次郎。茶碗師なる職業と呼んでいいのだろう。もっとも一子相伝という他には能楽の世界か天皇家(天皇家は養子相続禁止だからもっと条件は厳しい)のような世界なので、初代から15代目の当主まで樂家の人たちのうち13人が吉左衛門と名乗っている。

それでは不都合なので、本名がある。初代長次郎は吉左衛門を名乗らなかった。利休の時代だ。ろくろを使わずすべて手で成形し、土の色そのものを表現してしまう。中段に横一線のわずかなくぼみが特徴。当時の品としてはかなり多くの作品が残っているが、似て非なるということばはまさにそれらの作品群で、数十メートル離れた場所からは同じようにみえても近づけば一つとして似ていない。装飾度を数字でしめせば10段階の1か2。しかし、なんとしても欲しくなる。

展示品を欲しくなるという気持ちには、なかなかなるものではないが、もとより茶碗は手に持つものだからそういう犯罪的な気持ちになるのだろうか。

二代目は常慶。父の背中を見て育ったという典型で、初代より茶碗が大きくなる。あるいは茶碗を回し飲みすることが一般化して大きいものが求められたのだろうか。初代と二代目は好みの問題だろう。

三代は道入。三代目は何にしても重要だ。政治の世界、経営の世界も同じで祖父が首相とかね。二代目をボン、三代目をボンボンと呼ぶのだろうが、樂家の三代目は、樂焼を茶碗界随一の座に輝かせた大功績者だ。茶碗に赤や黄色をうっすらとのせてみたのだ。また、素朴から可憐、あるいは男性的から女性的というか、ますらおからたおやめというか。

茶道が都会の町人の中に溶け込んでいった時代に新感覚作品を世に問うたわけだ。

個人的にはもっとも好きな人物。とても17世紀の人とは思えない。茶碗界では、この後一樂二萩三唐津といわれる。樂は茶碗に主義を持ち込み、萩は人生のはかなさを軽みで表現し、唐津はあくまでも完成美にこだわる。三者三様。

そして、徳川宗家のように樂家もその後、後継に苦闘していき養子に頼るようになる。そして江戸末期から昭和初期まで、茶道会は低空飛行を余儀なくされる。文化は後回しの時代だ。復活は昭和40年頃からの景気回復によるのだが、現在の15代目は、まったく過去とは断絶することを決意したようだ。イタリアで学び、色鮮やかできらびやかな宇宙を茶碗の中だけではなく外側まで放出していく。装飾度10。

別に批評することではないが、イタリア(ムラーノ島)にガラス工房までもっていたガラス工芸家藤田喬平氏の後を追うのだろうか。この15代目の作品が大量に出展されているのだが、初代とはまるで逆で、なんとなく異なる意匠ではあっても、それぞれが似ているような感覚を覚えてしまう。
  

2017年05月20日

未成年でも個人営業

藤井新四段はまだ14歳で中学生である。つまり義務教育中。このまま勝ち続けると中学の卒業すら心配してしまう。順位戦では、よほど早指しで大差で勝たないと、当日帰れなくなる。今でも岡崎に住んでいるなら将棋連盟のある千駄ヶ谷駅で21時ではアウトである。20時半までに終わらせて「感想戦は無駄だからやめましょう」とか言って失礼するしかない。

考えてみれば、彼は個人営業なのだから、使用者ではないわけで、労基法他の対象外。こどもタレントとは違って何時間働いても違法行為にならない。しかも職業柄、マネージャーが必要ということでもなく、対局予定をチェックして場所を間違えずに盤の前に座るだけで、ギャラは自分の口座に振り込まれるのだろう。

連勝中ではあるが、まあ勝ち進めば超強豪が対戦することになり勝率は8割位にはなるのだろうか。そうなると、中学生でありながら学校を欠席して口座にどんどんおカネがたまるということになる。

しかも未成年なので、フェラーリを買ったり軽井沢に別荘を買ったりという契約は親の同意がないとできないし、たぶん同意されないだろう。

現在、彼にとって最も重要なことは、「近づいてくる銀行員と女流棋士に騙されないこと」なのだろう。


さて、5月6日出題作の解答。

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初手は知っていれば簡単だが、知らないと手こずる。龍を2枚で縦と横で使うと、ぴったり詰む(ように創ってある)。

動く将棋盤は、こちら


今週の問題。

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先週に続いて、造形シリーズ。

最終手は、2種類あるが、できれば「直(右)」と指してほしい。また、やはり打った駒が邪魔になる。

わかったと思われた方は、コメント欄に最終手と総手数とご意見をいただければ正誤判定します。
  
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2017年05月19日

わさびはどうしよう

竹橋方面に行ったので、某寿司店のランチをいただく(いただくといっても食べ物をいただき、対価を支払うという意味)。


づけあなご丼。

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具は、マグロのづけ、アナゴ(白ごま付き)、卵焼き、イクラ、キウリ、海苔少々、しょうが、わさび以上。

最大の問題は、この中のわさび。醤油に少し溶かしたものの、何につければいいのだろうか。

マグロとアナゴはタレに漬けたりタレで焼いたり。卵焼きとは味の方向性が違うし、イクラも味付けである。

まさかショウガではあるまい。

少し悩んだ結果、二枚のキウリをわさび味でいただくことにする。

実際、寿司店ではわさびとキウリとは至近距離に存在することが多いのだが、わざわざキウリをわさびで食べることはないだろう。

結構、いける味だ。今度、夕食に来て、キウリとわさびだけ注文しようかな。
  
Posted by ota416 at 00:00Comments(0)TrackBack(0)あじ

2017年05月18日

侵入しようとしたのは誰?

ブログとは異なった名前で通っているあるSNSに先週、不審者が訪れたようだ。パスワードを解読できなかったようで、乗っ取られないで済んだのだが、まだWIN7を使っている人物が長野県の某所からアクセスを試したようだ。

そして、その前の日には私のフリーメールアドレスを利用しようとして、こちらもパスワード入力の段階で失敗した人間がいたようだ(こちらは、自分の入力ミスという可能性は捨てきれないが)。

そういえば、数か月前だがgoogleの余計なサービスで、搭乗予定の飛行機離陸の数時間前に、頼みもしないのにスマホに通知がくるというのがあって、日本にいるのに「アメリカン航空の○○○便で米国のどこかの空港(覚えてない)からもうすぐ離陸です」というような通知が2週続けてきていた。犯罪の匂いもあるので、どこに連絡すべきかその時に調べたが全然わからないので、放置。クレジットカード利用痕跡もないし。その後おとさたなし。

なりすまし冤罪にされないために、予防的に、あったことをいくつか書いてみた。
  
Posted by ota416 at 00:00Comments(0)TrackBack(0)市民A

2017年05月17日

追突寸前!

先週、突然に2日続けてゴルフに行くことになり、2日目は横浜市の都筑(つづき)インターから、千葉県の茂原(もばら)北インターまで自動車専用道路を使うことになった。

今年3月末に開通した横浜北線から湾岸道路、そしてアクアラインで木更津から圏央道で千葉県の中部を北上という予定だった。横浜北線も圏央道(木更津東より先)も走ったことがなく、なんとなく不安もあった。

横浜北線は新横浜から横浜市街地を長い地下トンネルで通り抜け、湾岸道路までまっすぐつながるので大助かりである。地元では長いトンネルの話で盛り上がっているが、その先、アクアライン方向に行く人には、なんの感激もない。長いトンネルだと思ったら、次にもっと長いトンネルがあったという、どこかの電機会社のような話だ。

そして、千葉県に渡ると、一気に通行量が減って、無法国家なら180キロでも走れそうな状況があるのだが、そこは千葉県警のドル箱路線であるわけで、通るたびに覆面パトカーに無作為に捕獲された獲物が路肩でさらされている。

そうなると、ゴルフには間に合わない上、いつまで経っても、青免許から金免許に復帰できない。

ということで、片側2車線の左側をおおむね制限速度(大部分が80キロ)で走ることになる。右側の追い越し車線は、110キロ位のクルマがほとんどだ。免許の色にこだわらない人が多いのだろう。

で、問題の場所が、木更津ジャンクション。南北に走る館山道路と東西に走る圏央道が交差する地点で、そこで向きを変える人は、車線左側から連絡道に入って、標識に従って次の目的地に向かえばいい。もちろん他の方法はない。

ところが、私の150メートルほど先にいたクルマは、いったん左の連絡道に入ったものの、急に本線の方に戻ってきたわけだ。通行禁止の斜線が塗ってあるところを通るのだから、それ自体が危ない。

後ろで見ていたので、「間違えて、あわてて戻ってきたのだろう。あぶないなあ・・」と思い、背後に車がいないことを確認し、さらに減速した。まあ、前のクルマは再び加速していくのだろうとは思ったのだが、事態は思わぬ方向に進んでいく。

前の車は、そこでブレーキをかけスピードを落としたのだ。ほとんど止まりそうに見えたわけだ。一瞬でわかったのだが、やはり真っすぐ走ってはいけなくて、左側の連絡道に入らなければならなかっただろう。いわゆる行き過ぎだ。といっても止まって良いわけはないし、勝手に止まるなら路肩があいているのだから、危険ではあるがそちらで止めなければいけないでしょう。

となると、追突の危機ということ。右後方を確認すると、追い越し車線を110キロでクルマが次々に通過しているので、すでにこちらもスピードダウン始めている以上、車線変更は最も危険だ。

しかたなく急ブレーキを踏み、間に合わなければ左側の路肩に潜り込むという基本作戦を瞬速で立てる。80キロなら80メートルの車間距離が必要だったことを不正確に思い出す。また追突防止機能があったことや、横滑り防止機能も付いていたことも思い出す。

そして追突防止機能が作動するギリギリで、前の車のドライバーが我に返ったのか、またゆっくり走り出したわけだ。

その後、追い越してからドライバーの顔を確認したところ、銀髪の妙齢の貴婦人であった。日本に高速道路が完成する前(註)に運転免許を取得されたのだろう。停まったり、バックして後ろのインターに戻ってはいけないことを知らないのかもしれない。

しかし、その数分後、彼女は猛スピードで私を追い越し、次のインターに向かって爆走していったのだが、大丈夫なのだろうか。なんとなく明治維新の後の大日本帝国を連想する。

(註:日本最初の高速道路は名神高速で1963年に一部開業。東名高速は1969年に開業し、同年国鉄が東名ハイウェーバスを走らせることになる)

ところで、圏央道だが、未完成道路風である。片側1車線の対面になったり2車線になったりする。途中の高滝湖PAで喉を潤そうとするが、トイレ以外の施設はゼロ。無人のPAで、自販機も一台もない。何を考えているのだろう。
  
Posted by ota416 at 00:00Comments(2)TrackBack(0)市民A