2020年09月20日

バンクシー展で観た次の展望

先週日曜に引き続きバンクシー展のこと。バンクシーのことを単なる壁塗りアーティストと思っている人もいるだろうが、前回も書いたが、れっきとした芸術家だ。絵もうまいし、壁に描くだけではない。

さらに、昨今は壁に描こうにもすぐに警察に見つかるようだ。さらに監視カメラが街中にある。そもそもテロリスト対策だったはずだ。壁の絵がテロを起こすわけない。さらに、反バンクシーといった人たちがいて、バンクシーが書き終わるとすぐに消しに来るらしい。

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それが理由かどうかはわからないが、近年の作品の一つが、2015年8月から9月にかけて母国英国のブリストル市の近郊で開かれたのが、『ディズマランド(Dismaland)』。

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明らかにディズニーの裏返しだ。テーマは、悪夢と絶望。廃墟のような城や、転覆したカボチャの馬車から転がり落ちた姫を撮影するパパラッチ。シンデレラ城の回りの池には、難民船が浮かぶ。

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とはいえ、バンクシーは「ディズニーランドを否定するものではない」と言っているそうだ。ディズニーの裏返しのような悪夢と絶望のような世界が存在することを描きたかったということのようだ。このディズマランドだが、大盛況だったそうだ。

ところで、横浜市は市の北部の米軍返還地をテーマパークにしようと候補先を選定している。浦安にディズニーランドがあるのだから、東京を挟んで反対側にディズマランドがあってもいいのではないだろうか。


さらに2017年には、パレスチナにあるベツレヘム市にザ・ウォールド・オフ・ホテルを開業している。直訳すると、壁で塞がれたホテルということでホテルの隣にはイスラエルが入植地を作って、壁を立てたということで「世界一眺めの悪いホテル」として有名だ。

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ドアボーイはチンパンジーらしい。

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各部屋はバンクシーが意匠を決めたそうだ。

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横浜の奥地にディズマランドを誘致し、オフィシャルホテルとしてバンクシーホテルを建てればいいだろう。もっとも壁は不要だろう。


なお、バンクシー展は横浜の後、大阪に行き、さらに香港ということだそうだ。香港では一悶着あること間違いないだろう。
  

2020年09月19日

将棋ペンクラブ大賞の不思議感

将棋ペンクラブの機関誌である『将棋ペン倶楽部2020年秋』号が届く。メインの記事は32回ペンクラブ大賞(昨年度発表作)の決定。すでに将棋ペンクラブのホームページで発表されているのだが、

観戦記部門:大賞  諏訪景子「77期名人戦第三局/佐藤天彦−豊島将之」(朝日新聞)
      優秀賞 椎名龍一「77期名人戦第三局/佐藤天彦−豊島将之」(毎日新聞)

文芸部門 :大賞  北野新太「木村の二十一秒 不撓の河を渉れ」(将棋世界)
      優秀賞 新井政彦「時空棋士」(マイナビ出版)

技術部門 :大賞  若島正「盤上のフロンティア」(河出書房新社)
      優秀賞 佐藤慎一「1手ずつ解説!将棋の筋がよくなる棋譜並べ上達法」(マイナビ出版)

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まず、特記事項だが観戦記部門の大賞と優秀賞が同じ対局の観戦記。つまり朝日・毎日共催の結果だから。タイトル戦はたくさんあったのに、どうなのだろう。候補作には6作あったのだが。

技術部門大賞の「盤上のフロンティア(若島正著)」。私も少し解いて多くは並べてみたが、斬新的である一方でわずかに筆に自己満足感が含まれているように感じたが、それよりも将棋ペン倶楽部誌に通常は詰将棋関係は一文字も登場しないし、詰将棋の問題もないので、少し唐突感がある(1999年に「看寿賞作品集」、2011年に「月下推敲」が特別賞を受賞)。

特筆すべきは、今や絶頂の藤井聡太二冠関係がゼロである。一昨年は観戦記部門の大賞(藤井×増田)と文芸部門大賞に師匠の杉本八段の「弟子・藤井聡太の学び方」。昨年(2018年対象)は文系部門大賞に野沢亘伸著「師弟(表紙が藤井聡太氏)」と技術部門は杉本八段の「入玉の極意」だったのだが、今年度(2019年度対象)は、まったく脱藤井である。なんとなく棋界内では春風から秋風に変わりつつあるということなのだろうか。棋界に流れ込む新しいおカネは棋界関係者各位への配分が不均等なのだろう。


そして、重要なことに気が付いたのだ。

今回の受賞の大賞になった昨年の名人戦は豊島名人誕生となったが、一年後には失冠。文芸部門の「木村の二十一秒」の題材となった初タイトルの王位だが、一年後に失冠。

念のため、1年前の受賞作は、
観戦記部門大賞 「叡王戦決勝第一局(高見−金井)」、同優秀賞 「棋聖戦5番勝負第五局(羽生−豊島)」、文芸部門優秀賞 「最終局(王座戦:中村−斉藤)」

昨年受賞作の名人戦の勝者は豊島、王位戦の勝者は木村、一昨年の受賞作の叡王戦は高見、棋聖戦勝者が羽生、王座戦勝者は斉藤といずれもタイトルが移動しているのだが、その五人とも、翌年にはタイトルを失っている。

つまり・・・・・・・・・・・・・



さて、9月5日出題作の解答。

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途中の▲4五角が中心なのだが、その角も移動する。飛車と金を見捨てて頭金の平行移動で詰ませる。最後の3手がもっと美しければいいので改作を検討すると思う。

動く将棋盤は、こちら。(flash版、edgeは不可)

gif版。
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今週の問題。

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軽薄問題で失礼、といったところかな。

手数のヒントは、上記の本日の記事の中の最終行に含まれています。


わかったと思われた方は、コメント欄に最終手と総手数とご意見を頂ければ、正誤判定します。


  
Posted by ota416 at 00:00Comments(1)しょうぎ

2020年09月18日

セスジスズメってどんな雀?

狭い庭の鉄柵に大きな枯葉が絡まっていたので、無意識に手を伸ばし取り除こうとしたのだが、あと0.1ミリのところで、気が付いた。

枯葉ではなかった。みるからに枯葉の擬態なのだが、これが三角翼の戦闘機型の生物だ。

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名前はもちろん知らないが、蛾の一種であることに違いはない。

ゆっくりと調べると、スズメガの一種でセスジスズメというそうだ。スズメガの仲間は1200種類ほどいるようで、セスジスズメは日本では最もポピュラーの種のようだ。

スズメの語源だが、まず大きいことと、アゲハチョウのように飛ぶのではなくスズメのように羽根を動かし続けて、成虫になると空中に体を浮かせたまま、花の蜜を吸ったりするようだ。幼虫の時は、いわゆる黒色の芋虫で、かなり不気味な姿だ。大食漢で、植物を選ばず葉をムシャムシャと音を立てて食べる。食べ続けると、いくらでも大きくなるそうで、その結果、成虫になっても大きい。

成長が早く、芋虫が増殖を始めると、畑一枚が一夜で食い尽くされることもあるそうで、農家には大敵で、見つけ次第駆除しないと、一家壊滅となる。

大きな昆虫なので、農薬で駆除しようとすると植物を傷めることになるので、葉の裏側を確認しながら卵、幼虫、さなぎなどを鉄箸で取り除き、ビニール袋に入れて捨てるということになる。

一方、スズメガの一種は色鮮やかだし、基本的には触っても無害なので、手に載せたり愛玩することができるそうだ。

大きな声では言えないが、食用にしてもクリーミーだそうで、鉄箸で駆除しながら、幼虫をビニール袋に入れるのではなく胃袋に入れてもいいらしい。

箸を取りに室内に入り、戻ってみると、既に姿をくらましていたのである。
  
Posted by ota416 at 00:00Comments(0)市民A

2020年09月17日

カットスロートアイランド(1995年 映画)

海賊映画である。さらにパイレーツ・オブ・カリビアンとは異なり、徹底的にアナログ撮影にこだわり、港町や大型の海賊船(何隻も)などを作って、それを大砲でぶち壊してしまったり、大砲の前に、監督が、「気に入らない」といって、撮影の前に作り直しになったりしたようだ。

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そのためか、あることでギネス記録になっている。

赤字額の新記録、だそうだ。製作費が9800万ドルで収入が1000万ドルということらしい。そのために制作スタジオは、公開前に倒産してしまう。

映画自体は、爽快だ。何もかも破壊する。主演はジーナ・デイヴィス。海賊王の娘で宝島の地図の三枚のうち一枚を親から譲り受ける。三枚の地図を合体させると宝島があきらかになるはずだが、二枚でも行けてしまう。さらに尾行していたグループは地図がなくてもお宝を発見し、横取りしようとするわけだ。

しかも、女海賊は強すぎる。女子レスリングで金メダル3個獲得した女性のように強い。殴る蹴るの大暴れだ。さらに、この映画の監督は、この主演女優の夫だった。堅苦しいことを言わないで大砲の打ち合いとか派手なリアルなセットだからこそ楽しめる。

そもそも海賊映画って、こども向けの題材ではないだろうか。海賊の宝物というのは、要するに略奪品のわけだ。秘匿していた宝が発見されたところで、本来の所有者に返すべきではないだろうか。

ところで、妻が主演女優、夫が監督というのは伊丹十三、宮本信子もそうだった。悲劇的な結果となったが、作品はそこそこ上手くいっていた。本作の夫妻は数年後離婚した。映画の失敗と関係があるのだろうか。
  
Posted by ota416 at 00:00Comments(0)映画・演劇・Video

2020年09月16日

ドコモ銀行騒動

本人確認を意図的におろそかにして、口座数を増やそうとしたドコモ銀行の発想は、1980年台のようだ。当時は、マル優とかあって、一人300万円の非課税枠を、一口300万円と読み替えて、銀行主導で架空名義口座を作っていた。愛犬ポチの預金口座とかあったらしい。

危ない口座と知りながら、ドコモ口座と無審査で連携していた銀行(地銀だけでもない)の方も無責任としか思えない。本人がドコモ口座を開設していると、原則的には本人名義の口座が作りにくいようだが、例外もあるようだ。事件の手口が明解になっていないため、各人が確認するしかないが、きょうが安全でも明日被害に遭うかもしれない。PCR検査のような話だ。

一方、自分の口座Aから同じく自分の口座Bに振り込む(移動)必要があり、メガバンクMのネットバンキングを使うことがあった(ところで、3つのメガバンクは、すべてMで始まるというかMiで始まることに気付く)。

本件を受けてだろうが、手順がいつもと違っていた。

今までは、自分の口座から振込先口座に振り込む金額を所定の操作で指定すると、ワンタイムパスワード(あるいはパスワードカードが示す数字)を入力すればよかったのだが、今回は、登録している電話番号に、電話がかかってくる。自動音声で、今、振込み行為が行われようとしていることが通知され、指定番号ボタンを押すと、振込みが実行される。(私の場合は、一回の振込上限額を備忘価格にしてあるので、振込の前後に上限額を上げたり下げたりしているのでさらに手間がかかる)

そして、通帳のないネットバンク口座は入出金を確認し、さらに通帳のある銀行は久しぶりにATMで記帳することにした。

で、ゆうちょ銀行なのだが、何か月分も印字することになり、結局6月の途中まで印刷した時にページが一杯になる。他の銀行は自動的に新通帳が出てくるのに、窓口で交換することになり、窓口に行くと、20人位が待っている。結局、あきらめて後日、町の郵便局に行って発行してもらったが、デジタル印鑑にしたいので、さらに後日、印鑑持ってきて下さい、と言われた。

ところで、銀行の窓口の人数を減らすためにATMを大量に設置したのに、今度はATMを減らしたり、通帳を廃止しようとしているのだが、無理な感じが漂う。
  
Posted by ota416 at 00:00Comments(0)市民A

2020年09月15日

これから貧乏神が活躍する予感、すえずえ(畠中恵著)

しゃばけシリーズの13作目は『すえずえ』。実は、本作の中で、大活躍する妖(あやかし)が、貧乏神。もちろん困った神様で、現代風にいうと経済犯。力が半端じゃない。普段は気に食わない金持ちを破産させるぐらいだが、時には大活躍して街中を大不況にして社会は冷え冷えとした風景に変わる。

今回の自民党総裁選の三頭の出走馬だが、全員が貧乏神ではないかと、感じている。一頭は増税、二頭目はドケチ。三頭目は負け馬感。

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さて、『すえずえ』とは、「末々」ということで、主人公の長崎屋一太郎の後々の運命を暗示する一作となっている。いいかえれば、毎年のように続く「しゃばけシリーズ」が、この先、「島耕作シリーズ」のように末永く続くのか、ある時点で「あしたのジョー」のように終わるのか、そういうことでもある。

本作は、短編五作からなっていて、通常なら五作は連作のはずだが、一作目の「栄吉の来年」は、直接に以下の四作にはつながっていないようだが、後で考えると、残り四作の序曲のような関係のように思える。一太郎の親友の栄吉(菓子作りが下手な菓子店の跡取り。他店で修業中)に突然に縁談が舞い込むのだが、お相手の女性の借金がらみの三角関係に巻き込まれていくわけだ。皇室的だ。一太郎は終始傍観者的対応であるのだが、事態は少しずつ糸がほぐれてきて、三角関係も借金も解消し、栄吉は相手の女性の妹(まだ適齢期には遠い)と将来の縁組を約束する。

2作目は「寛朝の明日」は、一転して小田原に僧を二人も食い殺した妖怪が現れたということで、妖封じの達人僧が小田原に向かうのだが、一太郎は病弱のため、代理人として少し前の巻から登場した場久(実は夢の中に住む獏)を同行させ、自分の夢を場久にリンクさせながら状況を把握する(新技登場だ)。事件の背後には、年老いて翼の折れた天狗の存在があった。もはや天狗の国に帰れない天狗は説得されて寺で妖怪退治の飛べないエンジェルをめざし修業にはげむことになる。

3作目は「おたえの、とこしえ」。大坂の米相場で失敗し破綻した上方の相場師がニセの証文で長崎屋の乗っ取りをはかる。解決のため、一太郎が団長になり、貧乏神の金次と大黒天はじめ福の神の三神が長崎屋の快速船で大坂に行き、相場を上げたり下げたりして、ほとんどの相場師を破産させてしまう。福の神たちは大儲けする。

4作目の「仁吉と佐助の千年」が、本シリーズの将来にかかわる。そもそも一太郎の祖母が年齢二千歳の大妖で、このため、一太郎の母も、そして一太郎も人間ながら妖(あやかし)たちの姿を見ることができる。一太郎の住む長崎屋の離れは、使用人兼一太郎のボディガードの仁吉や佐助だけでなく多くの妖怪や鳴家(やなり)が集まって、妖怪天国を極めている。

一方で、一太郎は長崎屋の跡取り息子であり、二十歳を過ぎれば嫁取りということになるが、普通の人間あれば妖怪は見えないが、妖怪の話声は人に聞こえてしまう。つまり、嫁と妖怪は相容れない存在のわけで、妖怪天国は消滅し、しゃばけシリーズは終了ということになる。

ということで、次々に縁談が舞い込み大混乱の中で、一太郎の選択は?

何巻か前に登場した同類の少女がいた。一太郎と同じ半人半妖。材木屋の娘だ。たぶん年の差10年以上かな。そのまま無理やり屋敷に連れ込んでコトに及べば、江戸時代の話といえどもシリーズ終了、著者は新潮社出入禁止になるだろうが、これも一作目の栄吉と同じように、婚姻時期はずっと将来のXデーということになる。つまりしゃばけシリーズの延長が決まったわけだ。

本巻の中で何回か妖怪側の語り口を使って著者が述べているが、妖怪は千年の単位で物を考えるが、人間は生まれたと思ったら、すぐに結婚して子供をつくって、しばらくして消え去っていくはかない存在だそうだ。

5作目は「妖達の来月」。上方の米相場で大儲けした福の神たちは、儲けを一太郎にプレゼントする。金持ちがさらに金持ちになり、一戸建てを建てて、妖怪たちに住まわせることにする。しかし、家に住むということは近所もあるので、ずっと人間の姿に化けていないといけないわけだ。本作ではそういう江戸という都会に住む妖怪と、山童(やまわらし)という山に住む妖怪のカルチャーギャップがテーマだ。山に帰ってしまったが、再登場するのかな


今まで、はっきりとした主張を隠していたかのように、本作では著者である畠中恵氏の主張が感じられるような気がする。人間ははかない存在で、それが故に愚かでもあるが、美しい、といったところだろうか。妖は千年の単位で守っている「何か」があるというように感じる。ただ、「何か」が何かはまだ読み解けないでいる。
  
Posted by ota416 at 00:00Comments(0)書評

2020年09月14日

花終る闇(開高健著 小説)

輝ける闇(1968年)、夏の闇(1972年)と本作を合わせて『闇三部作』というそうだが、本作が発表されたのは1990年。全二作とは大きく離れた時期のように思えるが、実は本作は突然終わっている。そして末尾には(未完)と記されている。

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開高健は1989年に亡くなっている。本作は死後公開されたのだが、いつ未完状態になったのかははっきりしないが、小説の最後半に登場する加奈子という女性は、『夏の闇』では中心人物として書かれた女性で、小説の通りのモデルがいて、開高健の愛人だった。しかし不運にも1970年に世田谷区内の自動車事故で37歳で死去している。

本作の冒頭で、主人公の小説家(開高自身といっていいだろう)は、まったく筆が進まないと言いながら、バンコクの街で愛人と戯れている。怠惰な生活の中にベトナム戦争に従軍した時の記憶がフラッシュバックしていく。別の場所では別の女性が現れ、やはり同じような展開だ。

本作品に書かれている様々な事象だが、その順番が時間軸に沿ったものと考えるべきではないのかもしれない。ベトナム戦争で米軍が南ベトナムを見捨てて引き揚げてしまったのは1973年。「夏の闇」の中では休戦が破綻して、再度戦闘が激しくなって、主人公はいてもたってもいられなくなりベトナムに向かうが、本作もほとんど同じ時期に書かれたのではないかとも思えてしまう。

50年近く経ってから批判するのもなんだが、開高健はベトナムに行って、精神的には孤独な戦争捕虜になってしまったように感じる。戦闘の各局面には戦略ではなく戦術しかなく、それは凄惨なものだったはずだ。比較的寡作だったこともその結果だったのだろうと思う。一応、三部作を読了。
  
Posted by ota416 at 00:00Comments(0)書評

2020年09月13日

バンクシー展(横浜アソビル)

久しく大型の美術展に行かなかったが、ついに出動を始める。手始めに横浜駅の近くのアソビルでコロナ禍の中、急に客集めを始めたバンクシー展。TVCMも流している。バンクシーも本望じゃないだろうけど、大赤字ともなれば主義主張は後回しだろうか。来月からは大阪巡業になる。

はじめに会場のアソビルだが、昨年改装オープンになり、少し気になっていたビル。遊び感覚のスポットが詰まっていたはずだが、おあいにくさま、ということになっている。近くで見ると、相当のボロビルだ。横浜中央郵便局の付属の倉庫だったという噂もある。そこにバンクシー展で、突然にごった返しになっている。事前予約制というのに、順に観覧者を入れていくので、長蛇になっている。スマートグラスでの解説もあったはずで、シーズン中全時間帯予約済みとなっていたのだが、誰一人、スマートグラス着用者はみない。たぶん混雑が激しく、やっていられなくなったのだろう。思う通りにならないものは賀茂川の流量とサイコロの目だけではないわけだ。

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そして、バンクシーの作品だが、異常に多い。今までの観た美術展の中で、一番作品が多いのではないだろうか。さらにほとんどの作品は撮影自由だ。もっとも屋外の壁に描くのだから屋内で展示する時に撮影禁止にするのもおかしい。

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気が付いたのだが、絵が上手い。当たり前のようにも思えるが、壁に絵を描くというのは、ペンキ屋仕事になりがちだ。ペンキ屋はタッチで描いたり、色の数を増やしてはいけないし、細かな絵を描くのは難しい。壁だけに描いているわけではないので、基本的には予想以上に絵画の基本ができている。

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仕事場の写真が公開されている。黒い服で椅子に座っているのがバンクシー。相当使い込んだ部屋だ。

絵画の内容だが、細かく考えると、『風刺』グループと『主張』グループに分かれているように思える。

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世界の中でも英語圏を中心に先進国で壁を塗っている。作成中に地元の警察とトラブルになった時に英語で言い訳できる場所ということだろうか。壁塗りの途中で警察が出てくると、作品が完成しなくなるのだが、展示の中で、「警察関係者には大目に見てほしい」というような作品もある。

しかも最近は、街中に監視カメラがあって、バンクシーにしてみれば、壁塗りに時間をかけるわけにいかなくなって、新機軸を始めているような気がする。その辺は、来週に。
  

2020年09月12日

今頃ながら6月の支部ニュース

将棋連盟(本当は『公益社団法人日本将棋連盟』と書かなければならないらしい。類似した名称の団体に看板を盗まれるおそれがある、というのだろうか)の支部会員なので、会報の支部ニュースが届くのだが、地味な会報で、アマチュア将棋大会の結果や棋譜などが掲載されている。記事をあまり読まずに積んでいたのだが、最後に書く事情で、急に読み直してみた。

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確かにコロナ禍で、将棋大会が開かれていないので、「プレイバック2004」なんて記事が登場している。2004年の小学生名人戦で菅井×佐々木勇が決勝となっている。よく見ると伊藤沙恵さんが準決勝で佐々木君に負けている。伊藤さんは東日本大会では永瀬拓矢君には勝っている。

それと特別段級位認定問題が掲載されていて、最高六段までの推薦状がもらえる(あくまでも、もらえるのは無料の推薦状であり、免状そのものがもらえるわけではない)。推薦状をもらうために、第三者に謝礼を払う必要はないということだろう。囲碁界では謝礼は大変高額という話を聞いたことがあるが、真偽不明だ。企業経営者が経費で落として社長室に免状を飾るのかな。あるいはゴルフの法人会員権のようなものなのかな。

記事が集まらないなら、全国の支部会員に、一人50文字で支部ニュース用に近況を連絡くださいと公募すればよかったような気がする。

うっかり書き忘れるところだったが、私の入っていた支部だが、少し前に解散したらしい。そういう急ぎの時には会員には連絡がないのが普通なのだろうね。別の人からの話で知って、調べたら事実だった。知らないうちに総理大臣になりそうな人もいるのに逆の話だ。

そういえば、その総理大臣候補は神奈川県の支部連合会の名誉会長だった気がする。HPで確認すると、理事名簿に045で始まる電話番号も記載されているが、自宅には帰らない主義だからいいのかな。所属が衆議院議員となっているが、これからどうなるのかな。間違ってはいないけど。


さて、8月29日出題作の解答。

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初型図から飛車と角の位置がぐるっと変わっていく。余詰め対策に苦心した。

なお、玉側の4四香だが、4四歩と弱体化すると、詰まないのだが、気が付く人はいないだろう。

動く将棋盤は、こちら。(flash版、edgeは不可)

gif版。
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今週の問題。

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手数は11手だが解きやすいのかどうかは今一つはっきりしない。なにしろ作者は解答を知っているため、簡単に見えてしまうわけだ。

わかったと思われた方は、コメント欄に最終手と総手数とご意見を頂ければ、正誤判定します。
  
Posted by ota416 at 00:00Comments(2)しょうぎ

2020年09月11日

横浜の名古屋めしの大関は

横浜駅近くに行く用があり、昼飯を探していると、和食店で、サンマ定食1800円に×をつけ、900円と店頭に貼ってある店もあったが、もしかしたら冷凍かもしれないし、価格が半額ということは、半身だけかもしれないと、疑念がグルグルと回り始めたので、近くの名古屋めしに行く。いつも長蛇の列がある店だが、昨今は行列がないようだ。

店名に訳あり感があり、「横浜なかや 大関本店」と意味がわからない。味を自慢するなら大関ではなく横綱ではないかということと、メニューに並んだ料理は、きしめん、手羽先、味噌煮込みうどん、味噌カツ、ひつまぶしと名古屋めしばかりなのに、なぜ横浜なかやなのだろう。

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考えてもわからないので、気にしないで、すぐに注文する。きしめんと味噌カツ丼のミニサイズのセットにする。しばし待つと、料理が運ばれてくる。

もっとも感心したのは、メニューの写真とほとんど一緒の料理が現れた。当たり前なのだが、実物がグレードダウンしている店も多い。文句をつける客がいなくても羊頭狗肉行為はいけない。

そして、肝心のきしめん、味噌カツの味だが、いままで名古屋圏以外で食べた中で一番うまい名古屋めしだ。

しかし、複雑な店名の理由だが、各種名古屋めしをやっているのは、元々は、横浜にあった味噌煮込み店『大関』から姉妹店が別れ、都心で「横浜なかや」という名古屋めし店がオープンしたのだが、平成28年に閉店。一方、「大関」はジョイナス地下街に新装オープン。ということで、姉妹店にわかれた東京の「横浜なかや」と、改装前の「大関」が合体したので、この複雑な「横浜なかや大関本店」という店名になったらしい。

各種名古屋めしのオールスターのように思えるが、「あんかけスパゲッティ」と「トンテキ」が足りない。その二品が足りないことが、横綱になれない大関の理由ではないかと思っていたが、違うようだ。そういえば昨今、スパゲッティ専門店は、「パスタ店」と呼ばれるようになった。スパゲッティの名称は、「あんかけスパゲッティ」にのみ生き残るかもしれない。
  
Posted by ota416 at 00:00Comments(0)あじ

2020年09月10日

日本産だった『NEW DIAMOND』

スリランカ沖で発生したタンカー火災の件、いわゆるVLCC(very large crude carrier)。30万トン級である。経歴を調べると2000年の11月に三井造船千葉造船所で竣工している。つまり船齢約20年の老朽船。

当時の船名は、IKOMASAN。海運会社は商船三井。商船三井は船舶に「山」をつけることが多い。「川」を付ける会社もある。本当は「生駒山丸」にしたいのだろうが、いくつかの理由で日本船籍では成り立たないのでパナマ船籍になっている。

もっとも商船三井といえば、モーリシャスの事故もあるが、スリランカの事故にはまったく責任はない。2013年に海外売船している。その時についた船名がDIAMOND WARRIOR。さらに一年後には今のNEW DIAMONDという平凡な船名に変わっている。現在の所有者はギリシアの船主。インドの船会社が用船していて、インド国営石油会社の原油を運んでいる。一説によれば7月からのようだ。

8月23日にクウェイトで原油を約27万トン積込み、インドの製油所に9月5日に到着予定だったそうで、火災は9月3日に起きている。

出火場所は船尾にある機関室(エンジンルーム)内ということだが、VLCCのエンジンルームはすごく大きい。小学校の体育館クラスだ。その中に、様々な装置があるので原因特定はまだ先になるのではないだろうか。報道では燃料のディーゼル油が一部流出と言われているが、公開されている画像を見ると、出火当時に比べ、わずかに傾いているようで、船内に海水が入ったのか、あるいは消火剤の重みで傾いているのかもしれない。

船の燃料といっても様々で、この船には3種類の燃料タンクがあるようで、海洋航行用の重油なのか、出入港する港内用の重油なのか、発電用の燃料なのかも不明。多くて1000トン位ではないだろうか。沖合で流出しても、しばらくして蒸発する可能性がある。

もっとも完全に鎮火していないと原油に引火する危険はある。原油は精製前なので、ガスも多いしガソリンに近い留分も入っている。積込み量は27万トンなので、モーリシャスの270倍にもなる。

被害は、船舶はただに近い。もともと20年経つとスクラップ代になるといわれる。鋼材は4万トンぐらいで、最近の日本でのスクラップ相場はトン12,000円なので、4億8000万円だが、解体費、輸送費が差し引かれるだろう。


原油の値段だが、日本円で90億円弱となるが船は沈んでないので、別のタンカーに積み替えるだろう

気になるのが、鎮火のための国際協力。スリランカとインドの合同チームにたまたまスリランカにいたロシア海軍の軍艦2隻が協力している。報道通りとすればロシアはスリランカと合同軍事演習していたことになる。油断のならない国だ。

ところで、
2000年の竣工当時につけられた「IKOMASAN」だが、「生駒山丸」という実在した船(3000トン級)もいた。大正5年に竣工し、25年後の昭和16年に日本軍に徴用され、輸送船として使われていたが昭和18年に台湾出航後台湾北西にある馬祖島付近で米軍の潜水艦攻撃を受け、意図的に座礁したものの航空機による攻撃を浴び、船体全部が破壊された。

この馬祖島だが中国大陸のすぐ傍にあるのに台湾が実効支配している。金門島も同じように大陸の目の前にあるが台湾が実効支配している。要するに台湾海峡は自由主義国家側にあるわけだ。
  
Posted by ota416 at 00:00Comments(0)災害

2020年09月09日

津軽海峡の秘密

モーリシャス海岸バルカー船座礁事故のことを少しdeepに調べている間に、今回の事故とはまったく関係のない二つの事実に気が付いたので、本日は、その一つの話。題して『津軽海峡の秘密』。

何の話かと言うと、領海と領海内の航行の自由の問題。

まず、領海のルール。簡単に言うと陸地から12海里。1994年に国連の海洋法条約で定められた。その外に接続水域が12海里あり、排他的経済水域が200海里ある。領海は基本的に領土と同じで国内法が適用になる。接続水域は、具体的規定がなく曖昧で、諸説あるが、重大な逃亡犯とかの逮捕権はあると言われるが、ないという説もある。そして排他的経済水域は漁業とか地下資源とか潮流や風力による発電とかの権利があるということ。

*1海里とはどれだけの距離かというと、1.852kmである。これは赤道上の1分の距離なのだが、ミニ解説すると、地球の円周はほぼ、40,000kmである。なぜキリがいいかというと、北極と赤道の距離を10,000kmとして1千万分の1を1mとしたからだ。地球は奇妙にもほとんど球体なので北極と南極の距離の4倍が(球の円周)赤道の長さとなる。
そして、東経+西経の合計は360度と決められていて、さらに1度=60分、1分=60秒と時計のような決め方になっていて、この1分の距離が1海里(sea mile)である。40000÷360÷60≒1.852。座礁したWAKASHIOは11ノットの速さで航行していたが1ノットは1時間に1海里の速さなので、11ノットは時速20km(11×1.852)だったことになる。

それでは津軽海峡の話。20年ほど前に函館の立待岬に行ったことがある。外国人観光客に推薦したいほどの絶景スポットで、眼下には津軽海峡、その先には下北半島が視界に入る。江戸時代末期には外国船を打ち払おうと岬に大砲が据えられたそうだ。青森側から津軽海峡を見に行くのは大変に困難なので、普通に見に行くなら函館側に限る。

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そして、しばらく海峡を眺めていると、かなりの巨大貨物船が津軽海峡を通過していく。20万トンクラスだったはず。日本には日本海側に、それだけの船が着桟する港はないので、中国大陸北側(たとえば大連)から北米に向かう船が通過するのだろうと感じたのだが、国際海峡になっているのかな?と思っていた。しかし、海峡の幅は北海道側と本州側からそれぞれ12海里の線を引けば隙間がなくなる(=領海)わけなので、なんとなくもやもやしていた。海峡の中央部は12海里以上離れているが、海峡の西側と東側の入り口は19km程度なので、事実上の領海化は可能。

一方、領海内であっても商船(非軍艦)が第三国から第三国へ向かう途中に領海内を通過することは、一般的に認められていて『無害通航』と言われる。あくまでも沿岸国に無害でなければならず、ゴミや油を流したり、密輸船に積み替えたりしてはならない。本によっては「無害通航権」と書かれる場合もあるが、それは間違いで、権利ではなく慣習。「無害なら、通過を認めよう」といったものだ。では、津軽海峡は領海扱いで無害通航を認めているのか、あるいは国際海峡として「通過通航権」を認めているのだろうか。国際海峡の場合、戦闘準備を完了した軍艦でも無条件に通航させることになっている。(もっとも津軽海峡を通過して武装した軍艦がハワイ襲撃しようと思うかどうかは疑問だが)

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国交省のHPで確認すると、領海でもなく国際海峡でもなく「特定海域」なる用語が使われている。日本の5か所(津軽海峡、宗谷海峡、対馬東水道、対馬西水道、大隅海峡)について特定海域を設定していて、津軽海峡では領海を両岸から3海里とし中央部を「特定海域」にしている。「特定海域」という曖昧な単語は何を意味するのか、よくわからないが、「例外」ということなのだろう。外国船は、この特定海域を通航しているが、時々はみ出す。

通過通航権を認めた国際海峡では軍艦が通過通航権を行使して通過することになるので、それは認めないとしても、領海にして、軍艦を通さなければいいではないかと言いたいところなのだが、領海にできない理由は思いもつかないことらしい。つまり、非核三原則。

米軍に配慮しているわけだ。津軽海峡全域を日本の領海とすれば、有事に核兵器を搭載した米軍の艦船の通過ができなくなる。だから、あいまいにしないと矛盾が生じる。


もっとも、全国地図で鳥瞰すると、津軽海峡が通れないと、中国北部の港は大変不便になる。北の宗谷海峡を通ってもオホーツク海で、まだ北太平洋には出られない。ロシアが実効支配している国後島と択捉島の間にある国後水道を抜けなければならない。中国南部の方は鹿児島の南の大隅海峡を通ることになる。尖閣諸島の近くも通過しにくい。まったくじゃまな国だ、と思っているのだろう。
  
Posted by ota416 at 04:36Comments(0)市民A

2020年09月08日

紙の月(2014年 映画)

宮沢りえが演じる銀行の契約社員が、夫の海外赴任中に愛人の大学生の学費を払ったり、一泊100万円のホテルに泊まったりした費用を埋めるために、顧客回りして、預金や保険や国債などを老人に売りまくり横領。その他、次々に浪費生活をはじめ、3000万円ほどになった頃に、発覚。

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銀行の会議室で追及されている時に、窓を椅子でぶち破って、そのまま逃走。海外(タイ)に高跳びしてしまう。

映画はバンコクで終わるのだが、おそらく発覚を恐れた銀行(あるいは当該支店)は、うやむやにするのだろうか。次の支店長への裏引き継ぎ書か。

だいぶ前に、角田光代の原作を読んでいたのだが、ちょっと違うような気がして確認すると、ちょっと違っていた。小説では、発覚寸前に高跳びするも滞在期限が刻々と近づいてくる。また、小説(特に角田光代作)は細かな描写や会話を重ねて、状況を表現していくことが多いが、映画には一般的な尺があるわけで、いくつかのシーンをバランスよく配分する必要があるので、どんどん事態がスピーディに進んでいく。

そうなると主演女優の腕が問題で、あっという間に犯罪のレベルを上げるというか、犯罪に染まっていく抵抗感が低くなるように演じなければならない。案外、難しい演技で、宮沢りえ以外ではキャスティングできなかったのかもしれない。(そもそもエンディングのバンコクのロケが最初に行われたらしいし)

犯罪映画の立場で言うと、不倫と横領という複数の隠し事を長期で続けるというのは、結構発覚しやすい。また、同じようなことをねらっている同僚女子行員には、案外、見破られるようで口止め料が必要になったりする。というか、誰も気が付かず、カネを取られた独居老人が成仏されてしまうと、完全犯罪成立で、映画にならない。

原作は、同様の事件が多発しているのを角田光代氏が参考にして書き上げたようだ。ともかく、実話が多すぎる。外資系の支店長の事件もあったし、私宅の近くの大手支店の女子行員もやっていたし、顧客回りで預金を集めるというビジネスモデルは、危険すぎる。

一方で、大銀行が始めようとしている「通帳廃止」なんて、無理なんじゃないかな。通帳記帳は、銀行員に預けたカネが、自分の名義で実在することを確認する最も確実な方法だ。(通帳廃止は、横領防止が最大の目的ではないかとウスウス疑っている。あるいは銀行自体が横領する気かもしれない。)
  
Posted by ota416 at 00:00Comments(0)映画・演劇・Video

2020年09月07日

天地に燦たり(川越宗一著)

直木賞を「熱源」で受賞した川越宗一氏のデビュー作。というかこの作品で松本清張賞を受賞して、次で直木賞というスピードぶりだ。本作は時代小説。秀吉の朝鮮出兵を舞台として描いているが、普通に書くなら、日本側からか朝鮮あるいは明側から書くのが常道だろうが、本作の視点はまったく別角度の3人による。

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島津藩の重臣である樺山久高、琉球国の密偵である真市、朝鮮の最下層・白丁で靴職人の明鐘。それぞれが自らの人生の目的として「仕えるべき王」を探し求めている。

薩摩藩は九州平定直前に秀吉から攻められ、圧倒的兵力差により、軍門に下るしかなく、藩内はいざこざが絶えない。武術においては群を抜いた藩であったが、天下に出るのが遅かった。

琉球国は、日本(あるいは島津藩)の圧力を受け、独立を守るためには、中国(明)の属国として日中間の二枚舌外交を取るしかなかったが、金欠が深刻な状態になっていた。

朝鮮国は身分階級による差別が甚だしく、さらに役人の品位低下により国内に不満が充満していた。

一方、秀吉は既に耄碌していて、事前調査も不十分に明国に侵攻する計画を立て、なぜか朝鮮半島の南側から小西・加藤を中心とした部隊で北上していった。おそらく、朝鮮は明に支配されているのが厭だろうから、日本軍と合流して友軍になるだろうと考えたのだろう。日清戦争後に中国による朝鮮支配を終結させた大日本帝国と同じ間違えだ。

この小説のもう一つの流れが儒学。その中でも「礼」である。礼なき人間は禽獣だそうだ。儒学が本格的に日本に根を張ったのは江戸時代なので、朝鮮侵攻時は中国と朝鮮と琉球は儒教先進国で、日本は禽獣国だった。

ただ、儒学まで持ち出したのが小説として成功だったのかどうかは疑問のような気がする。明国は、対日防衛費のため疲弊し清国に滅ぼされる。朝鮮も日本も琉球も鎖国を国策として東アジアは閉塞の時代に入っていく。三か国について儒教が重要なのは、実は今のような気がする。  
Posted by ota416 at 00:00Comments(0)書評

2020年09月06日

市ヶ尾彫刻プロムナード『イチガオ・スウィング』

市ヶ尾彫刻プロムナード第10回は、『イチガオ・スウィング』。市ヶ尾第三公園内にある。

黒川晃彦氏の作。平成3年に、この公園の一角に設置された。コロナ禍の中でも、隣に座ってもOKだ。たぶんうつらないだろう。サックスを代わりに吹いたりしたらいけない。

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お題は「イチガオ・スウィング」だが、ジャズメンの感じが今一つなのは、座っているからだろう。立ち上がって、両足を踏ん張り、少しガニまたにして頬を膨らませた方がいいかもしれない。ディメリットは、立像にすると、台風でも倒れないように大きな台座が必要になり、必然的に高い場所で見下ろすようなことになる。「伝説のサックス奏者Xの像」になってしまう。そうでなくても貧富の差が大きな町なので・・


そう、一見して貧者のジャズマンといった感じだ。体型はでっぷりだが「金持ちにデブなし」という格言がある。肌の色はよくわからないが、白くはなさそうだ。といって、ホームレスのような服装だと、以前の大阪市の駅のようにベンチが彼らの公認ベッドになってしまう。

カメラのアングルで大公園のように見えるかもしれないが、小さな公園で周りはマンションが群立している。平成3年の頃はのんびりした公園だったのだろうと推測。


そして黒川氏の経歴は歴とした野外彫刻の大家で特に野外音楽家の像を中心課題とされている。横浜市内にもいくつかの像が立っているようだ。箱根の彫刻の森美術館など多数の美術館に収蔵(おそらくは展示)されている。

作品とは直接関係ないかもしれないが、略歴を読んでいて、ちょっと気が付いたことだが1946年生まれで芸大卒業後、美大の先生を続けているようなのだが、創形美大非常勤講師→多摩美大非常勤講師→トキワ松女子短大非常勤講師→多摩美大客員教授→多摩美大教授ということだが、美術界では、非常勤講師→客員教授→教授というようなこともあるのだろうかと思った。
  

2020年09月05日

将棋教室再開でわかった意外なこと

9月になって、市長の異常なる熱意で、市の関係の施設でのカルチャーとかスポーツ教室が再開になった。

将棋教室も2月までの1/4の人数で再開。一か所は体育会系中心のスクールだが、先に始まっていた体育系の先生たちの最大の不安は、「自分がうつされること」のようだ。

なにしろ、こどもにうつさないような話ばかりで、フェースシールドとかマウスシールドを勧められているのだが、あれはうつされないように自分をまもる効果は非常に少ない。息が楽と言うことは、呼吸の妨げにはならないということ。マスクとフェースシールドをしたら声が通らない。

しかも当市の感染状況の公表は、まったく具体性を伴わないので、結局は口コミ情報になる。どこの病院に何人入院しているとか、どこの学校で陽性者が出たとか、特に小中高での陽性にスクールの先生方は敏感だ。カルチャーの先生たちも、マスクかフェース(マウス)シールドのどちらかを使うことになっていたが、みんなビビっていてマスクにフェースシールドの二重装備で教えている。結局、大声を出さないといけない。

将棋の話だが、休会中の6か月間のことを聞いたところ、自宅でネットやゲームソフトやアプリで練習していた子が多かった。それと、父親に勝てるようになったという子ばかりだ。といっても、自分が強いのか、父親が弱いのか、父親がわざと負けたのかよくわからない。これが母親だと、絶対にわざと負けたりはしないようだ。

そして、意外だったのは、指で駒を正しく扱えない子が多いわけだ。特に駒を取る時の手順が悪く自分の駒を取るべき駒の上に重ねてから取るようなことになる。テレビドラマでタイトル戦で下手な役者が一本指タイプみたいな指し方をするのと同じだ。まあ、駒も盤もなくても将棋は強くなるということだろうか。詰将棋もそうだが。

そういえば藤井聡太二冠(現在)も、駒が成る時に時計回りで駒を回すという特技を使っているのだが、どうしてなのだろう。すごく難しい技だ。


さて、8月22日出題作の解答。

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筋っぽいのは2二に銀を捨て、4四角成という展開だが、正解は、▲3一角成△同玉と捨て▲5一飛成から、3二にも飛を置き、上部に玉を追い出して、最後はソッポ銀という趣向。

動く将棋盤は、こちら(flash版)。

gif版。
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今週の問題。

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5手目に方針を決定する重要な手がある。

わかったと思われた方は、コメント欄に最終手と総手数とご意見をいただければ正誤判定します。
  
Posted by ota416 at 00:00Comments(2)しょうぎ

2020年09月04日

UMAMI BURGERの味は

LAで生まれた『UMAMI BURGER』。UMAMIは「うま味」のこと。通常のハンバーガーよりだいぶ大きい。体積で言うと2倍かな。見た目は本格的なハンバーグのように見える。

近年、日本に上陸して、都内と神奈川に集中出店しているようだ。行ったのは、南町田のグランベリーパークの中の店舗。町田と言えば、東京の先に川崎があって、その先に横浜があって、その先に東京(町田)があるという不思議なマチダ。

バーガーの話の前に、南町田グランベリーパークだが、コロナ禍の中、改装オープンしていたので、改装後、初めて行ったわけだ。以前は、小さなアウトレットモールという感じだったが、かなり本格的なモールに変貌していた。ただ、出店はほとんどが海外ブランド店でスポーツ用品でもミズノもないし、改装前にはあったアシックスも見当たらない。アシックスも好調だった時に、「オニヅカタイガー」という復古主義ブランドを立ち上げ、バラバラになってしまった。


それで、UMAMI BURGERに戻って、注文の列に並ぶ。列に並んでから食べ始めるまでは約30分かな。

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メニューの写真とは違い、少ししんなりしている。店内の定員オーバーなので、店外のベンチを探すあいだに、紙ボックスの中で蒸されたようだ。たいした問題じゃない。

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一応、最初なのでベーシックメニューとして、「UMAMI BURGER」を食べる。ビーフパテの他にトマトとチーズとシイタケ・オニオンなどがバンズに挟まれている。たしかに濃厚な味ではあるが・・・すべての食材の味が同じ方向に向いているという感じがあって、手作り感はないが量はたっぷりある。価格は1000円を少し上回るが、いまどき驚くほどのことはない。ついでにポテトを注文したが、多すぎる感じだ。もしかしたらUSAサイズなのだろうか。

なんとなく思うのだが、マックのように、代わり映えしないメニューでも何度も何度も来店するというようなことがあるのだろうかと、思った。

後日、味の秘密を調べると、「グルタミン酸」だそうだ。だから「UMAMI」という単純な話らしい。ケチャップにもチーズにもシイタケにもトマトにもオニオンにまでグルタミン酸が大量に含まれているそうだ。つまり、味の素の味だ。中国は、今や味の素の大量投与が当たり前だが、日本では「味の素大量投与」は過去の話になっていて、現在は素材の固有の味を活かすことをもって上としている。

もっとも、知人の中には偏食家もいて、揚物ばかり好んで食べていて、友達に敬遠されている感じだが、彼なら大好物なのではないかと思う。(しばらく循環器系の治療で入院していたけど)
  
Posted by ota416 at 00:00Comments(0)あじ

2020年09月03日

地獄の逃避行(1973年 映画)

原題は『Badlands』。後半の逃走シーンで、道のない荒れ地をキャディラックで疾走するイメージを題名に選んだのだろう。変な邦題の方の理由だが、元々、日本では映画館での上映は行われていない、主演のキットを演じるのが、マーティン・シーンで1979年に『地獄の黙示録』で戦争映画の金字塔を立てたため、日本人の誰かが、同じ俳優の未公開映画をテレビで放送しようと思いつき、「地獄」という単語を使った。もともと地獄とは宗教的な言葉であり、無暗に使っていいわけではないが、映画の題名には「天国」とか「地獄」とか無節操に貼り付けられる。その後、ビデオとなって、「地獄」が存続した。

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映画の方だが、舞台は米国の南部州。労働者階級の青年(キット)が中流家庭のホリー(演:シシー・スぺイセク)と恋に落ちるのだが、ホリーの父親は、身分違いとして大反対する。といっても父親の職業は看板屋だし、妻が亡くなってからは仕事に熱意はないようだ。

そして、二人で家出をしようとしたところを見つかり、キットは父親を射殺。そして「家出」ではなく「逃走」となる。そして、森の中を含め、あちこちに潜伏中に見つかりかけては銃で射殺を繰り返し凶悪犯として全米の賞金付きお尋ね者となる。

そして、結局、荒地を走行中にヘリコプターに発見され、カーチェイスの末、逃げ切れそうになった時に、ついにホリーの足が止まってしまう。

こんな恐ろしいストーリーも実話があったというのだからアメリカは怖い。

監督はテレンス・マリック。初めて撮った映画だった。その後、寡作ながら大作主義を続け、時に興行的大失敗となり映画会社をつぶしたりしたらしい。

さて、この映画、そんなに悪い映画ではないと思うし、連続殺人というテーマではあるが、ある程度落ち着いた気持ちでみていられるのは、「どこかに既視感が感じられる」からだと思う。

具体的には、「俺たちに明日はない(1967年)」と「明日に向かって撃て(1969年)」とジェームズ・ディーンの「理由なき反抗(1955年)」を足して3で割ったような感じがあるわけだ。

銃を撃ちながらの逃走は、「俺たちに・・」、「明日に向かって・・」の主役の名前はキッド、そして劇中で主人公は、あえてジェームズ・ディーンに自らを似せようとしている。

三作とも有名過ぎるわけで、どうしても「既視感」につながっていくような気がして、不朽の名作にはなれないような気がする。
  
Posted by ota416 at 00:00Comments(0)映画・演劇・Video

2020年09月02日

「WAKASHIO号」モーリシャス海岸座礁の件

WAKASHIO号座礁の件については、8月14日「モーリシャス座礁船(いくつかの観点)」の中で、いくつかの怪しい問題点と、本船が燃料油による油濁防止のための二重底(二重殻)構造になっていなかったこと、さらに座礁した後、何日もタンクから燃料を抜き取らず放置したことを指摘した。

その後、乗組員や船長の話として、コロナ禍で何か月も船から降りていないので、乗組員家族との通信手段としてWifi接続できるモーリシャスの沿岸に近づこうとして岩礁に乗り上げたという、話が聞こえてきた。さらに、乗組員の誕生パーティで、ブリッジ(船橋)での見張りを怠りパーティに全員が参加したというとんでもない話も聞こえていた。

そして、船は二つに折れてしまい、船首部分は3000mの海底に沈められてしまった。

山ほど問題はあるが、まず船長と一等航海士が地元の警察に話した内容自体が明らかにならないので、乗組員が外部でしゃべっている内容が正しいのかすら、わからない。船は密室なのだ。すべて後々の裁判で有利になるような口裏合わせしているはずだ。フランス語話せる船員はいないようだし。


1.船体の半分を海に沈めたこと
まず、事故の話の前に気が付くことだが、船体の前半分を海に沈めた件。領海ギリギリの距離の場所なので、自国領海内ではないかと推測できるが、その鉄の塊は誰のものかというと岡山県の大船主であるN汽船のパナマ法人のはず。N汽船(の海外法人)が主体なのか、モーリシャス政府が買い取って自国の費用で沈めたのか。

壊れた船は、鉄塊扱いなのか、ゴミ扱いなのか。いずれにしても、海洋法では領海の内外を問わず、ゴミ投棄は禁止のはず。深さ3000mだからいいというような問題ではないはず。


全体責任としては壊れた船体の所有者に責があると思われるが、会社はパナマ法人。通常は1隻ごとに別会社にすることが多い。日本政府が出ているが、本来はパナマに登記料を払っているのだから、パナマにうまい汁を吸わせる手はないはず。


2.船主、乗組員の件
船主の件だが、N汽船の単独所有なのか、日本の地銀が中心になってプロジェクトファイナンスをしているのか。その場合、分割所有となりN汽船は代表船主ということになる(真相は不明)

N汽船のHPを見ると大型の貨物船やタンカーを各種合わせて11隻所有していることになっていて、内外の海運会社に船を貸していることがわかる。そのうちの一社が商船三井ということ。N汽船の発表では、11隻中、この『WAKASHIO』だけが自社による船員配乗となっている。

では残り10隻はどうなっているかというと、船体だけを商船三井といった海運会社(オペレーター)に貸し出して、オペレーターは自分の息のかかっている船員配乗会社に任せてしまうことになる。船主は船だけを貸すので、ベアボートチャーター(裸用船)という形態だ。本船は船主の船員という意味は、船主が直接に船員配乗会社から安い船員を派遣してもらって船員と船体を一緒にしてオペレーターに貸す場合で、本件はそういうことなのだろう。中間型もあるが。船員配乗会社(マンニング会社)は、韓国やシンガポールにある。日本にもあるが、あまり使われない。

そうなると、なぜ1隻だけが船主が配乗した乗組員だったのか。二つ考えられる。一つは、精神論に近いが、銀行の融資とくっついて保険会社やオペレーターの言うなりになって、社員もほとんど不要で何も考えずに各種契約書にポンポンとハンコを押すだけで、海運会社と言えるか!という気持ちで、一隻だけは伝統的船会社の面影を残しているケース。もう一つは、せこい話だが、オペレーター(商船三井)から受け取る必要人数分の妥当な船員費見合いの金額から、安い単価と人数の削減により、さらに利益を上げようとしたかというケース。当事者しか事情は分からない。

船員数は20名と報道されていたが、きちんとやろうとすると23名必要ということが多い。(その数から合理的に省力化装置により数人減らすことは可能なので、必ずしも20が悪いとは言い切れない)
通常は、船長1、通信員1、航海士6、甲板員6、機関士6、司厨員(コック)3の合計23人。
基本的に3の倍数なのは、三班に分かれて、4時間ずつ交代勤務して1日2回8時間働くわけだ。残り時間は休憩時間。つまり1日8時間労働だが、土日の休みがない。そのため、3ヶ月ほど乗船したら1ヶ月ほど自宅で休むというのが通例なのだが、問題は、ほとんどが派遣型社員なので、船主の方は乗組員が休みを取っているかどうか、よくわからないわけだ。

本船の場合は、2名だけが継続して乗っていて、あとは初めてこの船に乗ったともいわれている。自動車と違って、船は一隻ずつが注文生産なので、計器や操船法も違うのだが。

3、インド洋での航跡
大型船は常にGPSで位置情報を把握し、自船の位置情報を発信している。それによる位置情報をイスラエルの会社が解析して、日本の報道にも登場している。その図を拝借すると、わずかに不思議なことがある。前回のブログでも書いたが、マラッカ・シンガポール海峡を抜けて喜望峰まで行くのだから二点間の直線を引けばいいだけだ。しかし5日間、やや南寄りに進んだ後、微妙に航路を北方向に修正している。これはなんだろう。

そもそも、見張りをしているのは航海士なのだから、5日間、針路を変えないというのも考えにくい。最短コースではないと時間がかかり、燃料を多く使うことになるので、予定針路からずれれば、つど修正していく。またwifiのため陸地に近づいたような人為的なコース変動が見当たらない。

コースについてはN汽船も商船三井も、コース逸脱ならすぐに修正するように船長に言うはずだ。

合理的に考えると、もともと途中で変針してモーリシャスに近づこうと思っていたのではないだろうか。近づいてからの方向転換は目立ちすぎる。各所から叱責される。一旦、予定コースより南に下がり、変針時にモーリシャスに最接近しようと方向を変えたのではないだろうか。

座礁の直前には自動操舵にしたまま全員が見張りをやめてパーティに出たというのはとんでもない話だ。この航路は最短コースなので、西に向かう時も東に向かう時も同じコースなのだから正面衝突のリスクがある。さらに、見張りの基本は現在地の確認なのだから、

4.商船三井の責任は
道義的責任は別にして、商船三井は、各船舶に対して毎日定時「noon report」の報告を求めている。最大ポイントは適切な航路(目的地に遅れるのは最悪)や燃料消費量。刻々と座礁に近づいていたことを知る余地はあったはず。(派遣社員がnoon reportをまとめているらしい。)漫然としていたというか、座礁後も適切な指示を出したのだろうか。

さらに、流出した燃料だが所有権は商船三井にある。

5.私見的まとめ
今までに出ている情報から推察すると、

本船はインド洋に入った段階から9日後にモーリシャスでwifi接続をしようと船長が画策。一旦、やや南寄りの航路をとったあと5日後にやや北寄りに変針し、そのまま直進を続け、陸地に近付き過ぎていた。

しかも、通常なら見張の航海士が現在位置と海図を照らし合わせて、危険を察知できたものの、乗組員の誕生パーティのため、あろうことか見張不在の時間をつくってしまい、そのまま岩礁に乗り上げた。

しかもその後何日も、離礁を期待して何も行動を起こさなかっため、ついに燃料タンクから燃料用の重油が流出してしまった。

さらに、本船は燃料タンク周辺の漏油防止のための二重殻構造が義務付けされる直前に竣工しているので、漏油を防ぐ手段はなかった。

背景には、世界的なコロナ禍の影響で、主にブラジルと中国とを往復している本船では乗組員の陸上への下船もままならない状況で私用での家族との連絡方法がなかったことがあるが、そういう問題は、船主あるいは商船三井へ要望すべきだった。
  
Posted by ota416 at 00:00Comments(0)災害

2020年09月01日

屋根にのぼれば、吠えたくなって(永倉万治著)

既に他界した作家のことを書くのは、ある意味気は楽だが、永倉万治の場合は格別に気が重い。1948年生まれで、東京キッドブラザーズの団員を経て、フリーランスの文筆業をはじめたのが1984年36歳の時。その後、ライト感覚の小説と気の利いたエッセイを主戦場としてコラムを書いたりして、固定的な読者を得ていた。

当時、「永倉万治っていいね」という話を友人たちとしていたことを思い出す。

1980年台というと、エッセイの時代だった。戦後、様々な小説家が登場したが、ちょうど大江健三郎で一段落という状況だった。そしてエッセイが読まれ始める。伊丹十三とか椎名誠とか。その後、村上龍、春樹、吉本ばなな、山田詠美といった俊英が登場し、小説は復活したのだが、エッセイ全盛時代の騎士の一人が永倉万治だった(小説も書いているが)。

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本作『屋根にのぼれば、吠えたくなって』は1988年に単行本が出版され、その後、1992年に文庫化した。実はこの3年の間に著者は運命的な重大な岐路を迎える。

1989年に、四ツ谷駅で脳出血で倒れる。九死に一生を得るが、右半身がマヒしてしまう。その後、懸命なリハビリにより、執筆を再開できるようになる。文庫化したのはその頃で、実は買ったもののページを開かなかった。エッセイを読むのに疲れたこともあるし、エッセイストだった椎名誠が『銀座のカラス』以降、小説を書き始めたこともある。やはりエッセイは読むものではなく書くものだ、と気づいた?

そして、10年後、2000年に再び脳出血が再発し、不帰の人となった。52歳。それからまもなく20年。ついにページを開くと、控えめながら軽快な万治節を楽しむことができる。時代なのか本人にまだ自信がなかったのか、政治的な話題を避けたり、独善的な論理を読者に無理強いする強引さは避けたりしているが、善人は長く生きられないということなのだろうか。
  
Posted by ota416 at 00:00Comments(0)書評

2020年08月31日

自民党総裁候補者のグループ分け

総裁選については、その決め方すら厳密なルールがないということらしい。もっとも党員ではないので、いずれにしても関係ないので、誰がなるのか注視することぐらいしかできることはない。(ほとんどの国民もそうだろう)

振り返ると2012年の安倍内閣(2nd)誕生の時は5人の立候補者がいて、第一次投票の一番は石破氏、二番が安倍氏、三番が石原氏、4位町村氏、5位林氏。事前の安倍石原合意で2位3位連合が決まっていて、石原票が安倍支持に回り安倍内閣が誕生した。つまり、一回目の投票の2位争いが重要だったわけだ。今回も、場合によっては候補乱立の結果、思いもかけない力学が働くかもしれないし、結果として新党誕生に発展するかもしれない。


さて、とりあえず、巷間言われる広義の総裁候補について、ある法則で二分割してみた。政治記者ではないので、無責任な分割に、安易にWIKIPEDIA情報を利用したので、文句はそちらの方に。

グループA(敬称略・順不同)
 麻生・下村・西村・菅・加藤・岸田・石破・稲田・野田

グループB(敬称略・順不同)
 河野・小泉・石原

グループA・Bに分けた理由は二つある。

1.日本会議国会議員連盟に入っている(A)か、いない(B)か

2.父親が、存命の大政治家(B)か、そうではない(A)か

理屈としては、

いかなる形での選挙も行われずに、「現総理大臣職務続行不能につき、序列一位の麻生副総理が就任すべきところ、事前に副総理を辞職していたので、繰り上がり1位の菅官房長官が自動的に総理大臣になります!」という手もあるわけだ。
  
Posted by ota416 at 00:00Comments(0)市民A

2020年08月30日

市ヶ尾彫刻プロムナード『きら星からにばる』

市ヶ尾彫刻プロムナード第9回は、『きら星からにばる(ASTRAL CARNIVAL)』。市ヶ尾第三公園内にある。中野滋作。中野氏は、青葉区総合庁舎敷地内のプロムナード第5回『緑の朝』という女性裸像も手掛けている。『緑の朝』は、このプロムナード作品中、最も古く昭和61年に近くの場所に置かれたが、この『きら星からにばる』は平成3年に設置されている。

きらぼしからにバル2


少年が馬にまたがって手放し乗馬で楽器を演奏しながら上を向いているように見える。

よく見ると馬ではない。耳が垂れている。さらに額に角が生えている。では何という動物だろう。一角獣ならユニコーンだ。これを動物主体の視線で見ると、どうみても馬のように見える。馬の写真でもモデルに一角獣を創ったのかもしれない。想像の動物だから、何に似ていても非難はされないはずだ。馬、いや一角獣の表情は、迷惑そうな顔だ。いつも同じ曲を聴いていて飽き飽きなのだろうか。

きらぼしからにばる3


そして少年は、上空をながめて星の光に合わせて天体ショーを楽しむのだが、この公園の周囲はマンションが林立している。少年の視線の先にはマンションのある一室がある。そこの家の子かもしれない。「早く家に戻りなさい」と怒られているような表情だ。

ところで、ネット上で調べていると、1995年9月から1年間、東京の中央区にある日清製油(当時の社名)の本社ビルの前庭に「きら星からにばる」が置かれていたようだ。市ヶ尾に設置されたのは平成3年(1991年)なので、二つ目の「きら星からにばる」があることになる。ブロンズ像にはよくある話だ。今、どこにあるのだろうか。
  

2020年08月29日

「未解決の女」に「捜査一課」が混線

一昨日、テレ朝午後9時からの「未解決の女」と午後8時からの「警視庁捜査一課長」が混線した。「捜査一課長」に「未解決の女」主役である文書捜査官の波留刑事が登場し、「未解決の女」に捜査一課の内藤剛志課長が出演。

期待の若手棋士が殺人事件を起こす。動機は何か?盤上か盤外か。またその凶器は。そしてもう一人の若手棋士も殺される。

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もしかしたらタイトル戦で、相手の棋士に助言した者がいて、敗退したことを根に持ったのだろうか。

凶器は、駒師が使う彫刻刀?あるいは将棋盤を炸裂させたか。駒に炭疽菌でも塗りつけた?あるいは?勝負メシに一服?

実は、ここまではドラマを見る前に書いているわけだ。

そして、実際にはかなり陳腐なシナリオだった。いわゆる800問題だ。

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ただ、「最年少天才棋士の殺人事件」なんて趣向は、やめてほしいな。原作が書かれた時には、架空の設定だったのだろうが、小説を上回るような実在棋士が現れてしまったからだ。強すぎて、800問題を仕組もうにもレートが決められないはず。


さて、8月15日出題作の解答。

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冒頭に中合いを入れて、その後は銀と香で下に追い詰めていく。

動く将棋盤は、こちら(flash版)。

gif版。

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今週の問題。

出題図に余詰め発生!。差し替えます。同じ筋です。

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余詰め発生図。
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ヒントは『大転回』

わかったと思われた方は、コメント欄に最終手と総手数とご意見をいただければ正誤判定します。
  
Posted by ota416 at 00:00Comments(2)しょうぎ

2020年08月28日

女子ーズ(2014年 映画)

『女子ーズ』は、「ジョシーズ」と読む。「女子イチズ」ではない。女子5人のグループである。何のためのグループかというと、怪人退治。地球侵略を狙う宇宙から来た怪人たちと戦う。実際は、被り物の怪物と戦うのだが、製作費が極小だったようで、被り物の人間を5人の女子が痛めつけるようなリアル感になってしまっている。

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5人は5色のコスチュームを着るのだが、赤、青、黄、緑、紺の五色に合わせるため、赤木とか紺野とか苗字に色の入った5人が無作為に選ばれてしまった。

リーダーの赤木直子は建設会社の営業課員。その他、アパレルショップ店員、工事現場のアルバイター、劇団員(大根役者)、財閥令嬢。

それぞれ、仕事や恋愛で多忙で、5人そろわないことが多い。5人揃うと女子トルネードという必殺技ができるのだが、足りないと、なぐったり蹴ったりという古典的ヒーロー方式で戦うことになる。

で、リーダー赤木が怒り出して、胴元から出動特別手当を貰うことになったのだが、今度はリーダーが出動できなくなる。


簡単なストーリーとセットで、たぶん短期間で撮影したと思われるのだが、キャストが大物たちだ。桐谷美玲、藤井美菜、高畑充希、有村架純、山本美月。デビューしたてではなく、すでに地位を得た後に、出演。

ただ、公開直前のトークの記事を読むと、「1年以上前に撮影したままになっていたので、お蔵入りになったかと思っていた」というようなことが書かれていた。真相はわからない。


製作費の話だが、怪人は8人登場するが、8人が怪人の中に入っていたのではないだろう。場合によっては一人かもしれない。怪人が現れて戦いになる場所はいつも同じで、手入れされていないようなベアグラウンド。これも円谷監督のような監督の手で10億円でもかければ、もっと怖い本格的な映画になったかもしれない。

ところで、被り物に入るのは、体力的に男子と思われるだろうが、人数の問題で時には女子になることもあるそうだ。役者の卵とか。もちろん、その後、大女優になったりすると、過去のことは固く口を閉ざしてしまうのだろう。
  
Posted by ota416 at 00:00Comments(0)映画・演劇・Video

2020年08月27日

空蝉のことなど(2/2)

そもそもセミの研究が難しいのは想像の通りだ。ほとんど土の中にいて、突然地上に現れるのだから観察も難しい。

とはいえ、わかっていることも多く、「むなしい一生」のイメージとは少し事情が違っている。

まず、蝉の寿命だが、平均的には10年ぐらい(種により3〜17年)。そもそもセミは土の中に産卵するわけじゃない。それでは海亀みたいだ。樹木の凹みとか樹皮の裏とかそういうところに産卵する。つまり地上だ。そして卵が孵化すると小さな白い幼虫になり、大急ぎで地面の中に自力で潜る。つまり地上で生まれ、地下で育つわけだ。

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さらに多くの人が誤解していると思うが、10年も動かないで熊のように冬眠しているわけではない。植物じゃないので根がついて徐々に大きくなったりはしない。地中で動いて餌を見つけて食べなければならない。つまりずっと眠っているわけじゃない。土の中で餌を食べて成長するのがセミの日常なのだ。

とはいえ、平和の時代はいつか終わるわけで、段々、体が硬くなり、殻が小さくなってきて、嫌々ながらまぶしい地上の光の中に登場して、枝にしがみ付いて脱皮するしかない。ぐずぐずしていると鳥の餌食になるから空を飛び回ってパートナーを見つけて、交尾して産卵。地上には7日しか生きていられないというのは、誇張が過ぎて、1ヶ月ぐらいは生きている。

そして、地上の生活はまったく忙しいにもかかわらず、自然の摂理により、産卵後はオスもメスも足の力がなくなり樹木などにつかることができず、地上に落下する。だいたいは腹を上にして地上でバタバタしてそのまま動かなくなる。以前は命を失う寸前のセミを見つけると腹を下に戻してやっていたのだが、今思えば、力尽きた時のセミの複眼に最後に残る映像が空のほうがいいのか地面の方がいいのか、蝉の立場になって、もっと考えた方が良かったと思う。

セミの気持ちになるなら、一生を土の中で過ごしたかったと思うのだろうが、それでは子孫を残すことができないわけだ。

人間でいえば、母体内にいる10ヶ月が、蝉でいえば地中生活期間の10年。セミは生殖が終わるまでが1ヶ月でそのあと力尽きるが、人間は長く生殖活動期間があり、そのあと力尽きそうになってからも、ばたっとはいかない。欲の塊か肉の塊になるのが通例だ。
  
Posted by ota416 at 00:00Comments(0)市民A

2020年08月26日

空蝉のことなど(1/2)

夏の出口を探す季節になっているが、宅地内にある樹木の近くのツツジにセミの抜け殻が多数残されている。セミの抜け殻のことを、気の利いた言い方で『空蝉』という。読み方は「うつせみ」。転じて、性根尽き果て、魂が抜けたような人間のことを空蝉状態という。

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平安時代中期の源氏物語には「空蝉」という帖があり、登場する姫のことは「空蝉」と言われている。おおむね現在と同じ意味で使われている。(ただし、紫式部は造語の名手であり源氏の研究者は彼女が初めて使った言葉がたくさんあると指摘している)

ところがそれから250年前の万葉集では、まったく異なる意味であった。万葉集にはかなりの数の用例があるが、「うつせみ=空蝉、または虚蝉」と表現していたが、それは文字の上の表現で、万葉集はかな文字の文学なのだ。

万葉集の代表的歌人である大友家持(おおとものやかもち)は次の一首を詠んでいる。

虚蝉之 代者無常跡 知物乎 秋風寒 思努妣都流可聞

うつせみの、世は常なしと、知るものを、秋風寒(さむ)み、偲(おも)ひつるかも

この世ははかないものと知ってはいますが、秋風が寒く(妻のことを)思い出します。

妻が亡くなって1ヶ月後に詠んでいる。うつせみは、この世のことである。表意的に書くと、現せ身。また人ということばの枕詞にもなっている。言い換えると「現代」である。そもそもセミとは関係ないコトバだった。それに表音として空蝉(虚蝉)という文字をあてはめたため、とんでもない意味になった。「現代」ではなく「あの世」感が漂う言葉になった。

おそらく、1000年前の紫式部や藤原道長の時代から現代まで、蝉の生態について多くの人が誤解しているはずだ。だからこそ、何年も土の中にいて、突然に地中から這い出して脱皮までして、やっと大空に飛び立ったと思ったら1週間ぐらいで、命を失う。なんてはかないのだろう。というイマジネーションの中にあったわけだ。
  
Posted by ota416 at 00:00Comments(0)市民A

2020年08月25日

色ざんげ(宇野千代著 小説)

以前、岩国に行った際、有名な錦帯橋と岩国城の観光のついでに文字通り足を伸ばして訪ねたのが作家宇野千代の記念館。作家活動は東京ではあったが、没後に生地である岩国に記念館が生まれた。そして館員(館長?)の女性の方から丁寧な説明を受けたので、是非、作品を読もうと思って、少し時間が経ってしまった。

彼女の名前は、実はその前に別方向から知っていた。洋画家の東郷青児の事実上のパートナーだった時期があった。自宅に押し掛けてそのまま同居したとザックリ書かれていた。そんなことがあるのかとは思ったが、東郷青児のことを調べていて、実家が遠く戦国時代の薩摩の豪である東郷家で、島津家と融和して有力家臣となり、幕末までにいくつかの家に分家し、その一つが海軍大将の東郷平八郎で、別の一家が東郷青児というような話であり、宇野千代を調べていたわけではなかったので深掘りしなかった 。

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実は、1年ほど前にある雑誌で、宇野千代の一番面白い小説として紹介されていたのが、『色ざんげ』。てっきり東郷青児との愛欲生活を書いた、あるいは彼を含めた自らの数多くの男性遍歴を綴ったのだろうと予測していたのだが、何しろ1ページ目から予測は粉砕された。

主人公は一人称で書くのだが、「ぼく」である。「ぼく」が妻子を棚に上げて、何人もの女性と交際を重ねるわけだ。そしてすぐにわかるのが「ぼく=湯浅譲二」はパリから帰国したばかりの洋画家である。つまり「ぼく」のモデルは東郷青児なのだ。宇野千代の小説設計図ってすごいな!と思わせるわけだ。

この本は、実際のページ数よりも読みごたえがある。20〜30ページごとに章はかわるのだが、章の中に段落がない。さらにいうと行変えもない。句読点はある。ページが文字で埋まっている。しかも、書かれている内容は濃密な恋愛で、そこには愛情もあれば打算もあり、夜行列車を使って東京から広島まで往復したりする。正妻と同居しているのに、愛人から電報が届いたりする。

また、一人の女性との関係が終わって次の女性に移るという源氏物語的進行ではない。一人目のストーカー的女性(高尾)は、わりとあっさりと表舞台から消えるが、二人目の女性(つゆ子)とは粘着的関係が続き、女性が姿を消してから三人目(とも子)が現われ、この三人目には慶応大学の医学生という恋人がいるのに洋画家と結婚式を挙げるのだが(実は本妻との離婚手続きは金銭的にまとまっていない)、一方でいなくなった二人目が再登場して、結局、この二人目と心中を決行。メスで頸動脈を切ろうとしたが、両人とも失敗。そして小説はほどなく閉幕。

宇野千代は東郷と同棲中に彼の帰国から宇野と会うまでの経緯を詳しく聞いていたらしく、東郷と離別後に本作を書き上げた。同棲に至った経緯は、たまたま宇野が書いていた小説に、主人公が喉を切って自殺する場面を書きたいと言って、編集者の仲介で、東郷の自宅近くの飲食店で取材をしたそうだ。退院後、まだ2か月で包帯を首に巻いているというのに、まったく無神経だ。そして、さらに編集者が先に帰ったあと、東郷の自宅を訪れ、そのまま居ついたそうだ。わたくしは猫である、か。

実は、宇野と別れた東郷は、そのあと小説中の二番目の女性(つまり心中失敗の相手)と一緒になった。まあ、芸術家や小説家は戦前でもこれぐらいは許されたわけだ。
  
Posted by ota416 at 00:00Comments(0)書評

2020年08月24日

キックスに試乗

日産のディーラーで、新発売されたキックスに試乗。新発売と書いたが実は、昔々、三菱のパジェロミニの姉妹車にニッサンマークとキックスという車名をつけて売っていたそうだ。記憶にないけど。

今回のキックスは区分としてはSUVで、国内ではX−トレイルの子分の位置付け。海外を含めてみると、X−トレイルより僅かに小さな「キャッシュカイ・ローグ・デュアリスの3姉妹」より小さいクラスになる。というかX−トレイルは、世界標準を少し大きくした車ということになる。大中小の大だけを日本は売っていて、世界的には中と小を売っていたわけで、今後日本は大と小を売ることになる。小といっても、小型車ではない。大き過ぎるクルマは、そもそも売れないということを知らなかったようだ。

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そして、最も注目すべきは、e-Power というシステム。エンジンを発電機として使い、バッテリーを介してモーターでタイヤを回す。要するにガソリンを燃料にして小型の発電所を車に載せているということ。船の世界では特に客船がこのシステムを使う。潜水艦もこれが多い。

ガソリンを使うのでエコではない、と勘違いする人が多いが、圧倒的に燃費がいい。充電式の電気自動車は電力会社で発電した電力を送電して車にチャージするのだが、発電には石炭を使おうとしている。ずっとましだ。

そしてe-Powerの特徴として、ペダル1本でアクセルとブレーキを共用できる。ゴーカートと同じ仕組みだ。さらにプロパイロットが搭載されているのでアクセルや場合によってはハンドルを離しての自動運転もできる(赤信号は読み取れない)。

e-Powerは何回か試乗したことがあるので、運転的には驚くことは何もない。天井にSOSボタンがついているのが斬新ともいえる。

ディーラーの方の話では、注文してもいつ納車できるかわからないとのことで、「コロナで工場が・・・」とコロナのせいにしたのだが、コロナ対策先進国のタイの工場で生産されているはずなので、いくつかの事実誤認があるのだろう。

なお、ブランドマークは今のハンバーガー型で、新日産ロゴは次作の「アリア」からになるそうだ。アリアは完全な電気自動車で、キックスとX−トレイルの間の大きさになる。

ゴルフクラブは横向きには入らないので、後席を倒すか、ドライバーだけバッグから抜き出しておくことを推奨された。

ところで、最大の問題は、この会社に永続性があるかどうかだろう。
  
Posted by ota416 at 00:00Comments(2)マーケティング

2020年08月23日

嵯峨本をOCRで

「嵯峨本」というものを知っているだろうか。

江戸時代初期に京都で始まった印刷法で、木製の活字を使った活版印刷術だ。そもそも角倉家という富豪が日本の古典文学を世間に流通させようということで、それまでの写本という生産性が低い方法から西洋で始まっていた活版印刷へと熱意を注いだわけだ。

写本とは、元の本を一字一句写すのだから、1→2→4というように増えていく。細菌の増殖法と同じだ。ウイルスは、1→たくさん→もっとたくさんと増殖して体内で一兆個以上に増える。余計な話だが。

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ところで、画像は伊勢物語の冒頭だが、筆で書いたように見える。実際には活字は一文字ずつではなく3文字程度ずつ(単語別)束ねられていて組み合わせて使われていた。1ページに同じことばが何回か現れると複数の活字が必要になる。

何文字かつなげた活字といえば戦前は、「天皇陛下」という言葉を活字にするときに「天皇階下」と間違えやすいということで、四文字で一組の活字があったそうだ(戦後でも使われていたかも)。

ところが、実際には江戸時代中期になると、嵯峨本方式は廃れてしまい、木版画方式に戻ってしまった。理由はいろいろとあるのだろうが、活字作りが大変だったのかもしれない。また、活字体という書体がなかったからかもしれない。

そして、印刷の大手であるトッパンが開発した技術が古文書解読OCR。日本各地に残る古文書の多くが解読されないまま眠っているそうだ。それを解読する技術を使うと、とりあえず活字である嵯峨本は解読できるようになったとのことである。

おそらく今後の道のりは、一つは解読できる範囲を木版、そして手書きにまで広げること。もう一つは、現代語訳だろう。どちらも簡単ではないと思う。

そして、気になるのが、日本では絶滅危惧種の古文書解読家。高校の同級生でこの解読をやっている人物がいて、それなりに仕事があるようだ。解読&翻訳OCRが完成すると、失業するかもしれない。それよりこわいのは、自らの過去の仕事が間違えだらけだったことが明るみに出ることかもしれない。  

2020年08月22日

座布団ずらしのなぜ?から見えること

竜王戦の挑戦者決定三番勝負の第一局、羽生九段×丸山九段戦は、丸山九段が勝利。過去竜王位に3回挑戦しているが、いずれも渡辺竜王に敗れている。記憶に新しいのは、例の三浦九段冤罪事件で、無実の被疑者に変わって次点者として登場。まったくやりたくない仕事だっただろうが3勝4敗と惜敗した。今回挑戦できれば、最近不調気味の豊島竜王に対し、自信を持っているだろう。竜王位を獲得すれば、棋士一覧表の一番上に名前が掲載される。

一方、羽生九段も2001年には挑決一回戦で必勝局面を一手詰で負けるという棋士人生最大の失敗にもかかわらず、2連勝で挑戦した上、竜王位を得ている。

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ところで、羽生九段の対局を画像でみると、気になることが二つある。一つは座布団を後ろにずらし、膝や足首は畳の上だ。もう一つは、痩せていること。年齢と言っても年を重ねて痩せるのは少なくても70歳以上だろう。50歳前後は太る心配の方が多いはずだ。

邪推かもしれないが、少し前から言われている足首の変形による痛みがあるのではないだろうか。座布団ずらしは体の前傾時の圧力の緩和であり、体重減は意図的に足への負担を減らすことを目的としているように思える。

本来なら、座敷対局から椅子対局へ変更してしまえばいいのだろう。特例を作る理由はいくらでも見つかるのだろうが、おそらく本人が拒んでいるのだろう。仮に、足の問題で引退してしまい、タイトル数が100ではなく99で終わったとしても彼の最強棋士としての名誉が失われることはないだろうが、自分のための特例を作ったりした方が後世の名折れになると考えているのだろう。

手術とリハビリで1年間ほど休場した方がいいのかもしれないが、休んでいるうちにあの神童が無敵の大悪魔のように強くなってしまうかもしれないので、のんびりできないのかもしれない。


さて8月8日出題作の解答。

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馬が小刻みに動いて、飛車を呼び込んで利用する。

動く将棋盤はこちら。(flash版・Edge非対応)

gif版。
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今週の問題。

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最終的には銀で仕留めるのだが、紛らわしいヒントかもしれない。

わかったと思われた方はコメント欄に最終手と総手数とご意見をいただければ正誤判定します。

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Posted by ota416 at 00:00Comments(2)しょうぎ

2020年08月21日

白い肌の異常な夜(1971年 映画)

原題は『THE BEGUILED』。同名の小説の映画化である。Beguile は誘惑するという動詞で、実は2017年にソフィア・コッポラ監督により同じ小説から同名の映画が製作された。こちらの邦題は、『ベガイルド 誘惑のめざめ』。これもいまいちだ。原作の題名もイマイチかもしれない。

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『白い肌の異常な夜(1971年)』は男性中心主義、『誘惑のめざめ(2017年)』は女性中心主義だそうだ。監督の男女差もあるだろう。1971年は主役は伍長役のイーストウッド。2017年版の主役は学園長役のニコール・キッドマン。2017年版は見ていないので関連話は終わりにして、1971年版の方。舞台は南北戦争時の南部での戦闘で、北軍のマクバニー伍長が負傷し、森で倒れているところを近くの寄宿制女学校のエイミーに助けられる。エイミーは日本なら小学校低学年。

運び込まれた女学校には学園長、女性教師、17歳から幼児まで女生徒が6人。南部であったことから、捕虜として南軍に引き渡すことになっていたが、重症なので刑務所で死ぬのは確実だった。実は保護された当初から女性たちはそれぞれ彼に対して、思惑を持ち始めた。

そして、女性学園長も女性教師も17歳も小学生女子も、彼の愛情を独り占めしようと思い始める。そのため、ケガが治れば南軍に引き渡されるはずだった伍長の滞在日数はどんどん長くなり、女性たちの争いが始まるわけだ。

ある時は南軍に突き出されそうになったりしたが、ついに17歳の屋根裏部屋に潜入してベッド体操しているところを他の女性たちに見つけられ、階段から突き落とされ、片足を壊死しそうと言い渡され、のこぎりで切り落とされる。

一方で、戦局は北軍に有利に展開され、学校は北軍支配下に入る。そうなると、女性たちの奴隷状態だったクリント伍長は、突然豹変し、暴君になり、俺の足を返せとか言い始める。

最終的に、彼を待っていたのは大好物だったキノコ料理のゴチソウだったわけだ。


初上映が1971年といえばベトナム戦争が泥沼化していた年で、翌年、パリ会議で米国の足抜けが始まる。勝てない戦争からは、さっさと手を引いて、残された南ベトナムは野となれ山となれ。現代で言うと、(日+米)×(中+ロ)戦争が始まり、途中で米軍が撤退したようなものと想像すればいい。その時代に南北戦争物とは、おそらく何か意味があったのだろう。基本は社会問題がテーマということで始まり、途中で心理映画に変わり、最後は悲劇なのか喜劇なのか判別できない。

出演者はみな好演なのだが、個人的には冒頭の方で、南軍に捕まって瀕死状態で血まみれのまま地面を引きずられて護送馬車に放り込まれた無名の北軍兵士の役をやった無名の男優に星5つをあげたい。
  
Posted by ota416 at 00:00Comments(0)映画・演劇・Video

2020年08月20日

本日、武装解除セヨ!

横浜の田舎に住んでいるのだが、タウン誌に終戦直後の米軍による銃刀狩りの思い出が載せられていた。

地元の有力者の寄稿だ。

戦後まもなく駐留軍が銃刀を回収することになり、指定された小学校の校庭に銃器を持ってくるように学校から生徒に通知があった(親ではなく生徒への指示というのは、まだ帰還兵が戻ってくる途中の時代だからだろう)。ただし、銃をもってウロウロしていると米軍に見つかると撃たれるといわれ、夜間に闇に紛れて小学校に急ぐと、途中でヘッドライトを照らした自動車が走ってきた。

自動車といえば米軍に決まっているので、土手下に飛び込み、やっと学校に銃を届けたそうだ。学校では巡査が銃を集めていて、三八式歩兵銃5挺と本土決戦にそなえて軍から配られた2挺の新型歩兵銃だけを供出して、残りは事態の急変にそなえ、隠すことにしたそうだ。

(軍が配った2挺とは、現内閣のマスクのように各戸2挺ではないだろう。学校ごとに2挺の歩兵銃を配ってどうするつもりだったのだろう。)

そして銃、防具、剣、薬莢、背嚢をある寺の縁の下に隠したそうだ。しかし数ヶ月後に確認したところ、そこには何もなかったそうで、関係者のだれも行方を知らなかったそうだ。(もちろん誰かは知っているだろう。少なくても寺の住職は知っているだろう。)


今はニュータウンが広がり、多くの旧家の解体が進んでいるのだが、時々、床下や蔵の奥から出てくるらしい。(軍刀は全国から多数発見されるので、無価値だ。)


そういえば数十年前、知人の知人の父親の趣味が、『ピストルの分解手入れ』という話を聞いたのだが、こういう戦後話の延長線上だったのだろうか。
  
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2020年08月19日

パレード(吉田修一著 小説)

純文学とエンタメの間で、反復横跳びしながら小説を量産中の吉田修一氏の2002年作。男女4人の共同生活がリアルに描かれ、山本周五郎賞を受賞した作品。同年には「パークライフ」で芥川賞を受賞し、現在は芥川賞の選考委員。

本作には著者の傾向が著しく反映されている。

結構有名な小説で、読んだ人(あるいは映画で観た人)は、筋を忘れることはないような過激な展開が最後に起こる。

parade


東京の2LDKに住む男女4人。それぞれが自分の本性を隠し、うわべだけで生活をしているが、なんとなくそれぞれの心理的バリアに気が付いている。なにかが起こるわけではないが、何かが不安定に感じさせる男女の生活。そこにふとしたことから不思議な男子が加わり5人になる。

読者(というより、私)は、ところどころに伏線のように記述される大小の怪しいできごとの解釈に苦しみながら、たんたんと平凡に続く5人それぞれの視点でモノローグのように書かれる文字を追いながら、読み進むしかない。これがミステリーなら、バラまいた種は刈り取らないといけないということになる(ミステリーでなくても最後に回収されないと困る)。

そして、最後に突然、目が覚めるような事態が発生する。

この小説を純文学というカテゴリーで考えた場合、「現役殺人鬼」が主役として登場したレア本ということになる。国内文学ではあまり記憶にない。海外文学ならドス氏の「罪と罰」とかカミュ氏の「異邦人」という有名なのがあるが、どちらも最初に殺人があり、後半で理解不能な意味付けが語られる。本書のように最後に犯行があって、同居人が卑怯にも見て見ぬふり、つまり無関心を装うというのは、ある意味では映画『万引家族』(実はニセ家族)に通じるところもあるかな。

読後、未回収のエピソードが二つ残り、ネタバレ読者サイトを調べ回ったが、解明されなかった。

事件にどのように落とし前をつけたのか、続篇を期待してしまう。
  
Posted by ota416 at 00:00Comments(0)書評

2020年08月18日

漢字(白川静著)

漢字を使っている国は、表向きは日本と中国。あと、韓国では漢字は日本に占領されていた時代を象徴するといって禁止してしまった。最近は読めない書けない人が多いそうだ。文字を禁止するというのは戦前の日本の英語禁止と同類の政策だ。大韓民国という国名も大日本帝国というのに似ている。もっとも中国でも漢字は簡略化され、大いに心配だ。

kanji

この本の内容だが、一口で言うと「漢字の歴史」。そもそも漢字(中国語)のルーツはよくわかっていない。象形文字は、古くは世界の各地に存在していたが、現在は漢字以外は使われていない。奇抜な学説にはメソポタミアから中国に伝わったというのもある。はっきりしているのは。元々は祭礼に使われるコトバということ。

いくつか気になった漢字がある。

まず、『京』。京都の雅を想像するだろう。あるいは近江京や長岡京のように首都機能そのものにも付けられる。

実際は、都市の入り口にある門のことを指す言葉だ。しかもその場所には敵との戦争により殺した敵兵の首を使った門にしなければならなかった。地面に埋めるのか大量の頭部を使って門の形の造形物を作るのかはよくわからないが、要するに辺境の野蛮人が攻めてこないように、その種族のいる方角に門を作って祈るわけだ。家の鬼門に鬼の像を置くのと同じだ。

結局、漢字の歴史を調べると、血まみれな歴史を紐解くことになる。辺境の辺というのは簡略化された文字で、旧字は刀の部分がもっと複雑になっている。「渡辺」という姓の辺という字はかなりたくさん種類があるが、その中で多いのが、「渡邊」。この『邊』だが、右側は上から『自』『H』『方』となっている。まず、『自』はシャレコウベの鼻をあらわす。『H』は台座を意味する。『方』は文化の低い異民族を表すそうだ。つまり文化の低い異民族の首を台にのせてさらすことになる。

日本でも江戸時代の処刑場は、江戸では西は鈴ヶ森、北は小塚原、西は八王子の大和田にあって、五街道の江戸への入口にあった。

『邊』の文字に戻って、本書から離れて、ある言い伝えを思い出した。節分会の時の豆まきだが、「渡辺姓」の人は豆をまかなくとも鬼が逃げていくといわれ、その起源は平安時代初期に鬼退治をした渡辺綱という豪の者によるとされている。その現場にも行ってみたのだが、渡辺綱そのものも『邊』の文字に守られていたのかもしれない。

そういう話が次々に続き、一冊読んだ後に、実は殺人鬼を意味していた自分の名前を改名したくなる人もいるかもしれない。
  
Posted by ota416 at 00:00Comments(0)書評

2020年08月17日

ドルツのジェットウォッシャーを使う

先日、ジェットウォッシャーを入手。ジェットウォッシャーといっても、石垣の汚れとか洗車に使うような大型のものはドイツ製(ケルヒャー)を持っている(あまりにも大きな音が出る)。

購入したのは歯磨きの仕上げに使うもの。パナソニックのドルツ(Doltz)というブランドだ。電動歯ブラシもドルツというブランドがあるが、個人的にはオムロンを使っている。どうも歯の間のゴミを吹き飛ばし、歯周ポケットの中をきれいにして、歯石も吹き飛ばすような効能があるとされる。

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ただし、使うにはコツがあるらしく、最初はバスルームで鏡を見ながら使うべきだそうだ。ジェットの強さは5段階だ。

説明書を見ないで使い始めたので、最初はバスルームで口を鏡に向かって開き、口の外側から水を10センチほど離して歯茎に命中させようとして、顔中が水(温水)だらけになり、ほとんどは口に入らず顔に命中し、さらに口の中でも喉に当ったりして歯茎に命中したのは1%位だ。その夜、急に顔に異変があり、チック症状が出た。ストレスがたまると身体の不調が起きる典型的な症状なのだが、ストレスの原因が思い浮かばない(本当は、思い浮かびすぎるのだが)。

チックは治りにくい症状で、もと漫才師で有名映画監督になっているT氏もなかなか治っていない。治らないと困るなと思いながら熟睡し、朝になったら喉の中が全部痛い。使い方が大間違いだったことを確認し、修正した結果、チックは治った。


ところで、ドルツ(Doltz)というのは、きっとドイツ製だろうと思っていた。髭剃りとか歯ブラシにはドイツ製(ブラウン、フィリップス)が多いので、ドイツメーカーのブランドをパナソニックが買ったのだろうと思っていた。例えばライカのデジカメは日本でパナが作っている。(ドイツの工場ではスマホ用のカメラを作って、ファーウェーのスマホに搭載している。)

それで調べたら、ドイツとは関係ないようだ。パナソニックによれば、

Do Lasting Total-oral care with Zest. の略だそうだ。

with zest の意味が問題だ。zestには大きく三つの意味があるようだ。

1. 熱意:用例 youthful zest=若者のような熱意
2. 風趣、妙味:用例 Humor added a zest to his speech.ユーモアは彼のスピーチに趣を与えた
3. レモンやオレンジの一片。料理のつまだろうか。

食事の後に歯に挟まったレモンの皮を取り除くという意味だろうか。
  
Posted by ota416 at 00:00Comments(0)市民A

2020年08月16日

鷹の爪じゃなく、鉄の爪

先週、江戸末期、明珍清春の手になる『自在鷹置物』を解説したが、そういえば自宅にも鷹がいたような気がして、探し出した。『自在鷹』は数多くの部品を組み合わせて、動く鷹になるのだが、箱から取り出して組み立てた鷹は、動かない。

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一方で、『自在鷹』より粗暴で重そうな置物である。

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眼つきはかなり悪い。人間でこの眼つきなら、眼つきだけで逮捕されるだろう。

さらに、爪が鋭い。文字通り、『鉄の爪』だ。アイアン・クロー。プロレスの技で、元祖はフリッツ・フォン・エリック。長身で手が大きく握力があって爪を伸ばしていて、顔または胃袋を怪力でつかむと相手は苦痛にのたうちまわることになる。プロレスはショーだとしても、この技を掛けられると、本当に激痛だろう。ジャイアント馬場を取り巻く(盛り上げる)何人かの敵の一人だ。

名前は、どうみてもドイツ人だが、テキサス生まれで本名はジャック・バートン・アドキッソン。アンカーマンのような名前だ。テレビに出演するのは同じだが。ドイツ人と日本人は要するに、『敵』という立場だったのだろう。実際は平和主義者だった。

鷹に話を戻すと、製作は、ある鉄工所だ。いわゆる鋳物だが、手が込んでいる部分もある。

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一応確認した上、再度分解して箱に収納する。パーツを並べると、実際に鳥を解体したような状態になり、落ち着かない気分になる。
  

2020年08月15日

第40期名人戦第10局終局前後

叡王戦が実質的に第8局で、叡王の3勝2敗2持将棋1千日手。総手数1232手ということで、決着はついていないものの今までの番将棋の長手数記録1230手を超えた。仮に次局以降、対局者のどちらか、あるいは両者ともに何らかの原因で長期入院した上、スポンサーがシリーズ終了&来年度の契約を解消と宣言しても、現段階で新記録は確定した。たぶん、スポンサーがテレビ局に変わるのではないかと勝手に憶測している。(もっぱらの話題は長手数ではなく、両者とも秒読み時間切れ後に指したかどうか、ということのようだ。ゴルフ番組で打つまえにボールが動いたのを見たというようなものだろう。)

ところで、今までの記録は第40期名人戦。中原誠名人に加藤一二三十段が挑戦し、全10局行われ、持中加中加千加中千と死闘が続いた。9局目の千日手は8手一組の千日手だ。そして最終局は将棋会館で行われたのだが、その同時解説会がスポンサーの毎日新聞の本社がある竹橋のパレスサイドビルのホールで行われていて、友人と一緒に観戦していた。解説は石田和雄八段(当時)だった。この年の挑戦者決定リーグ(現在のA級リーグ)では加藤一二三十段は8勝1敗で挑戦者になった一方で、石田八段は0勝9敗と屈辱的な成績で陥落していた。

この一局、最終盤で加藤十段が即詰を見つけた時に奇声を上げたと言われるが、解説会場には何手かずつ電話で連絡が来るということで、実は奇声を上げたのは石田八段だったのだが、本局は矢倉戦で46手目から中原名人が攻撃をはじめ、加藤十段の一方的な守備が82手目まで続いたわけだ。そして一手の余裕を得た挑戦者が敵陣に飛車を打ち、矢倉囲いに横から圧力をかけたところから、なぜが解説会場への棋譜の到着が遅れ、突然まとめて棋譜が会場に届けられ、「突然、詰んだようです」と石田八段が驚きの声を出したわけだ。誰しも中原勝利と思っただろうが、大盤に並べられたのは逆の結果だった。

その時の石田八段の驚き方こそ、棋史に残したいのだが、そういうことにはならないだろう。その場にいた将棋ファンの個人的棋史に残るのだろう(半分ぐらいの方の棋史は煙になっているでしょうが)。

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掲載図は、ここから即詰めにした図で、▲3二銀成に△1二玉と逃げた後の手を秒読みの中で見つけたそうで、中原名人は既に気付いていたそうだが奇声には気が付かなかったそうだ。敗戦の弁を考えていたのかもしれない。後手が端歩を突いていれば詰まないのだが、先手が3七銀の形で、1六歩を突いたのが35手目。これに応じると先手が得意の棒銀になるので、名人は端を受けずに一手の価値を中央の総攻撃にかけ、そのため3七銀は▲4六銀と方向を変えざるを得なくなり、名人の作戦が大成功になったと思われたのだが。棒銀の威嚇に負けて端を受けなかったというべきなのだろうか。


さて、8月1日出題作の解答。

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初手の飛成の誘惑と角の成り捨てがテーマ。

動く将棋盤はこちら。(flash版・Edge非対応)

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今週の問題。

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不動駒が多いが、使用枚数より手数の方が長い。

わかったと思われた方はコメント欄に最終手と総手数とご意見をいただければ正誤判定します。
  
Posted by ota416 at 00:00Comments(2)しょうぎ

2020年08月14日

モーリシャス座礁船(いくつかの観点)

WAKASHIO号(20万トン)がモーリシャス島の南東0.9海里(約1700m)で座礁したのが7月25日。その後、8月6日に燃料タンクから重油が漏れ出して海洋汚染が始まったと言われる。流出量は約1000KLと言われる。(町中を走るローリーは20KL積みなので50台分)船の所有者は岡山の個人船主のパナマの会社。運航会社はMOLと言われる商船三井(あるいは)海外法人。

座礁してから燃料が流出するまで12日もあるのに、なぜ燃料を抜き取らなかったのだろうか、とか疑問だらけだ。

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まず、なぜモーリシャスかと言うと、本船は中国からブラジルに向かう途中だった。画像から見ると鉱石、つまり鉄鉱石を積むように思える。また、座礁時は空船なので、船底は浅く、かなり座礁しにくい。Google Earthで確認すると、マラッカシンガポール海峡の出口と喜望峰を結んだ直線上にモーリシャスがある。ところが、本船は全長が300mもある大型船にもかかわらず、領海(12海里)を大きく下回る0.9海里で座礁したとは異常だ。通過船については、軍艦以外は領海内の通過は世界中で認め合っているが、それにしても近過ぎだ。

座礁といっても現象的には、暗礁といわれる海面下で見えないことがほとんどで、基本的には海図に書かれているが、位置から言って陸に近過ぎる。座礁するに決まっている。

可能性としては、自動操舵で進行方向だけ決めておいて、時々修正するような航法を取っていて、その間に汐の流れや風によって針路が北側に流されていた可能性がある。もう一つは、何かの原因で発電機が故障して機器が動かなくなって汐まかせに漂流していたという可能性。偶発的に座礁したのではなく、島に直接乗り上げないように、意図的に座礁させて船を止めた、ということも考えられる。

船員の件。船長はインド人でクルーはインド、スリランカ、フィリピンの混乗。ごく普通だ。日本人船員が乗っていないという非難の声もあるが、基本的に船員の給与は普通の陸上会社員よりは高いし、勤務時間も1年通して考えれば陸上社員と同じなのだが、どうしても希望者が少なく、どこの国でも自国民より給料の安い国の船員が働くのが普通だ。インド・フィリピンは英語も得意だし。

実は気が付いたことがあるのだが、本船の竣工時期。2007年5月30日にユニバーサル造船の津造船所で船主に渡されている。この前年の2006年3月に世界中の国が加盟している海洋環境保護委員会の第54回会議で貨物船の燃料タンクの二重構造化(ダブルハル)が議決され、2007年8月1日から発効されることになった。タンカーでは以前から実施されていたのだが、貨物船でも大型船は4000KLほど燃料を積むので、燃料タンクの回りには空間が必要になり、座礁しても海にこぼれないようになる。本船の竣工はその期限の2か月前。違法ではないが、なにか割り切れない。

今後の油濁除去費用等。まず船主の入っているPI保険(損害賠償)を使うことになる。油濁の場合、その付保額(驚くほど少ないという説あり)を超えることがあり、その時は、各国が拠出している世界的な基金が負担するのだが、加盟の程度によって、もらえる金額が変わる。モーリシャスがどういう負担をしているのか不明。

油濁の影響について、現地では20年〜30年と言われているが、たぶんそうだろう。ナホトカ号の重油の痕跡は、まだ東尋坊の海岸に残っている。被害額が確定するまでにも長い時間が必要だろう。

追加情報
8月14日朝の情報では、
1. 事故のあった25日夜には直前に乗組員の誕生パーティが行われていた。
2. Wi-Fi接続のために陸地に近づいた。
と警察に話しているようだ。

1については、パーティ中だったのではないかとの疑念を感じる。船の操船は、最も高い位置(ブリッジ)で行うのだが、画像的には5〜6階のように見える。食堂は下の階にあるだろうから、全員が食堂に集まって、船は設定方向に自動的に航行していたのではないだろうかという疑念だ。当日の月齢は4.6齢ということで三日月より少し明るい。岩礁が海面より上なのか海面下の暗礁だったのかは確認できない。陸の近くと言うことは見張要員がいれば見えたはず。

また、地図でわかるとおり、このコースは合理的な最短コースなので、そもそも前や後ろから船が近づいてくる危険は常にあるはずだ。

2については、そもそも事務所との連絡ラインはあったはず。衛星か無線か。Wi-Fi探しは何かの私用のためと思われるが、1と関係あるかもしれない。単にスタバから漏れ出すWi-Fiを店外で無線利用する金欠の若者と同じリクツなのだろうか。確かにまったく陸地のない海の航路で、2014年に起きたマレーシア航空の自殺機長の墜落機も唯一の手掛かりである破損機体の一部が漂着したのは、モーリシャスのすぐ近くにあるフランス領の島だった。

しかし、もっともまずいのは、座礁してから沈没が始まるまでの長い期間中に燃料油を放置したことだろう。
  
Posted by ota416 at 00:00Comments(0)災害

2020年08月13日

たぶんねこ(畠中恵著)

しゃばけシリーズ第12巻が『たぶんねこ』。このシリーズ、一冊が長編の時もあるが、多くは短編5編の連作になっている。次々に江戸の長崎屋の跡継ぎ一太郎の回りに5つの事件が起きて、一太郎が回りの妖(あやかし)と協力して事件を解決するという筋立て。

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本作も同様だ。そして1年に一作という感じだ。著者は別のシリーズの執筆を掛け持ちしている。赤川次郎みたいな感じだ。

このシリーズが毎年自動更新されていく秘訣の一つが「新規登場者」だ。何かの縁で人間ではない何かが登場して、一太郎グループに加わってまた次作に登場したりする。前作「ひなこまち」では、落語家に扮する獏が登場。人の夢を食べるとされる動物で、他人の悪夢を食っているうちに、つい口外したくなり、狐狸に教わった変身術を使い落語家に扮して、悪夢の原因を創作落語にしてしまう。

この獏も、動物のはずが、すっかり人間らしくなって『たぶんねこ』に再登場する。そして、本作で登場するのは、気の弱い月丸という幽霊。江戸に生まれて、何か一流になろうと職を転々と変えたが、どれも大成できずに、病に倒れ、なくなってしまう。何のための人生だったのかと成仏できずに彷徨っていて、神の庭というところにいたのだが、幽霊としての体力も落ち、影が徐々に薄くなるにつれ、もう一度江戸の街に戻りたいということで、一太郎の前に現れる。

『たぶんねこ』という表題は、月丸幽霊は一流ではないので、何につけ上手くできない。猫に化けようとして、虎のようになってしまうわけだ。このシリーズ、主人公の一太郎も病弱だし、怠け者の貧乏神や金欠の妖怪僧や菓子の作れない菓子屋の跡継ぎとか、弱みだらけの人間が多数出演する。

長くファンが離れないのは、そういうところが愛されているからだろう。
  
Posted by ota416 at 00:00Comments(0)書評

2020年08月12日

しゃべれどもしゃべれども(2007年 映画)

1997年の佐藤多佳子の同名のベストセラー小説の映画化。題名の由来だが、「落語小説」というか「落語家小説」。

真打をめざし、古典落語にこだわる二つ目の落語家、今昔亭三つ葉(演:国分太一)が始めた、落語教室に三人が集まる。無口な美女(演:香里奈)、クラスになじめない小学生(演:森永悠希)、口下手な野球解説者(演・松重豊)の三人だ。

一方で、三つ葉も師匠の今昔亭小三文(演:伊東四朗)から下手!とダメ出しされている。

そして、それぞれが古典落語にのめり込んでいき、『火炎太鼓』派と『まんじゅうこわい』派に分かれる。

国分太一の演技だが、「下手な落語」と思っていたが、最後に急に上手くなる。ようするに、上手くなるように落語の稽古をしたうえで、前半は、わざと下手に演技したのだろう。

落語界としては、この映画で落語人気を支えようと思ったのかもしれないが、素人でも少し練習すれば、すぐに落語家のように話せるようになると思われたのかもしれない。

古典落語は「笑点」というテレビ番組で、とどめを刺されたようにも思えるが、将来、運よく老人ホームに入った場合の楽しみとして円生をはじめとする古典落語のDVDとか集めておくべきかな。既にシェークスピア映画全集を揃えたり、何度も観たい映画のDVDをコツコツと集めている。
  
Posted by ota416 at 00:00Comments(0)映画・演劇・Video