2016年12月10日

海老原辰夫 詰将棋手筋集

「海老原辰夫詰将棋手筋集掘廚鮠し前に手に入れていたのだが、難しそうなので、開かなかった。3手詰20題、5手詰30題、7手詰50題の計100題。5手7手といっても難解作は時間がかかるので警戒していたのだが、とりあえず3手詰、5手詰を解いて、勢いで7手も解いてみた。

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7手というのは、結構作るのに苦労するのは、好手妙手を2つは必要で3つ入れれば傑作ということなのだが、実際なかなか難しい。玉型の好手とか変化筋の好手とかも含めて3手が好手なら合格なのだろう。

しかし、6×6のマス制限の中では、なかなか新しい手筋を見いだせなくなっているのかもしれない。また7手詰めの持駒の上限は4枚なので、持駒の枚数から解答が類推できたりするわけだ。

軽い本なので、航空機で海外に行くときなどの機内睡眠薬代わりにはちょうどいいのだが、あいにく解き終わった後で、海外に行くことになった。


さて、11月26日出題作の解答。

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動く将棋盤は、こちら

今週の問題。

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端の方で、ごちゃごちゃやると詰む。

わかったと思われた方は、コメント欄に最終手と総手数とご意見を記入いただければ、正誤判定します。
  
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2016年12月09日

瓦型ではない瓦煎餅

瓦煎餅は、瓦の形をしていて、瓦ほどではないものの相当硬く焼き上げているものが普通だが。先日、高尾山に行った人のお土産が、高尾山名物の瓦せんべい(高尾せんべい)だった。

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形はもみじの葉であり、かなり大きい。掌サイズだ。表面にもみじの入れ墨(じゃなく、焼印)が押されている。そして、瓦のように硬いわけじゃなく、柔らかい。注意しないと割れてしまう。そして、軽い。

高尾山に行ったこともないし、今後、行きたいと思わないような気がするので、意見を述べる資格はないのだが、ずっと前から硬くなかったのか、最近、柔らかくなったのかはっきりしない。

もしかしたら、観光客は入歯の人ばかりになってしまったのだろうか。そういえば、京都名物の「八ツ橋」もいまや「おたべ」になってしまったし、先日、京都で買ったものは、ニッケの匂いはなかった。どんどん軟弱化しているようだ。
  
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2016年12月08日

生き方は星空が教えてくれる(木内鶴彦著)

多くの人が本書を座右の書にしているらしく、読むことにした。もう一つの理由は、著者が「彗星捜索家」として世界的な著名人で、彗星の名前にもなっているということ。私も今春に岡山県の美星町の本物の天文台で宇宙観測したあと、ちょっと星空に興味を持っていて、つい先日、星のきれいな場所に突撃した(来週あたり書こうかな)りして、星空の意味を人生にどう反映するのか興味があったからだ。

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そして本書は二つの構造からなっている。一つは著者が体験した臨死体験のこと。もう一つはこどもの頃からあこがれていた星空観察や彗星の発見のこと。

臨死体験のことからいうと、著者は難病に見舞われ、ほぼ死んだことがある。ところが、実際には生きていて、頭脳は働いていて魂が遊離した状態で、第一種の「臨死体験」をする。これは、他の方の経験でも共通するところで、自分の人生の過去が次々に思い出され、それらについて、このまま死んでしまっては残念だとか、その点については満足だとかさまざまな感情が入り乱れる。

そして、本書を書くまで著者が秘密にしていた第二種の「臨死体験」が登場する。第一種は、いわば過去の事象であるのだが、第二種は未来の体験だった。もっとも本人は、それが自分の未来に起きることという自覚はなく(何しろそのまま死にそうなのだから)、後年になって、その時に見えた光景がまったくそのまま再現されていき、あらためて未来予言だったと気付いたそうだ。

そして、地球の滅びていく未来を見たようだ。強欲な人間が増えすぎているからだそうだ。そして、環境破壊。本人は、山奥に入り、星空の研究を始める。彗星観測は、やみくもに探してもダメだそうで、科学的計算をして彗星が飛んでくる確率の高い方向を待ち構えていればいいということだそうだ。それは渓流釣りをしていて、魚の流れを見て発見したそうだ(なんでも発見するのが得意な方なのだ)。

そして、彼は、父親が他界するとき、父親からもらった一つの物を大事にすることにしたそうだ。

それは、「地球」。遺産と言っても定期預金や借地権付きの木造住宅ではないのだ。地球居住権の0.0000‥‥001%の権利だ。

ところで、岡山県美星町の天文台で観測をしているのがNEO(地球近接物体というのかな)。月より地球に近い距離を通過する彗星(小惑星のかけらとか)のこと。1908年にシベリアに落ちた60メートルの隕石が東京に落ちたら関東平野はすべて火の海だそうだ。直径500メートルの場合は地球上の核兵器の全量クラスの破壊力。一方で、発見できるのは直径1キロ位までだそうだ。地球壊滅クラス。かなり遠くで核兵器で方向を変えればなんとかなると考えられているが、かなり遠くに核兵器を飛ばす技術なんて開発されていない。今のところ見つけても困るのだが。

そして、隕石がたくさん飛んでくるには周期があって、3000万年周期だそうだ。危険は200年続くそうだ。といって安心することはできないわけだ。3000万年の安全期間は1996年に終了し、2196年までが危険時期だそうだ。現代に生まれたことを悲劇に思わないといけないのだろうか。

もう一つの危機は、織姫星として有名なベガ。太陽系とおなじように恒星ベガも惑星群を引き連れているのだが、太陽とベガは猛烈な勢いで近づいているそうだ。23万5千年後に最接近するそうだが、その時に二つの恒星がどういう状態になるのかはまだわからないそうだ。人類400万年の歴史からいうと、23万5千年後も人類の一部が生きている可能性が高い(希少動物飼育園で?)と思うのだが、心配は尽きない。
  
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2016年12月07日

北のカナリアたち(2012年 映画)

2012年に公開されると全国330スクリーンで上映されるということになり、またその後、日本アカデミー賞はじめ多くの賞を受賞することになるのだが、主演の吉永小百合の周りに有名女優、有名男優が1ダースぐらい登場する。特に満島ひかりや宮崎あおいが登場すると、自信たっぷりの演技で、誰が主役かわからなくなりそうで、ハラハラしてしまう。

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並の映画だったら、それぞれ主役級の方々が、六人の児童が成人してからの役になるのだから豪華だ。

吉永小百合が北海道の離島の小学校の教員だった時の生徒六人のうちの一人が殺人事件の容疑者として追われ、彼女は教え子を一人ずつ探し出し、彼のことを探り始めるのだが、一方で20年前に起きた、ある死亡事故のことが、それぞれの心の中に重くのしかかっていることが見えてくる。

本映画は、ほぼ全編が不幸物語の連続なのだが、過去をひも解いていくうちに、たがいに見えない心の内側が見えてくる。といっても、明るい話題は、一かけらもないようにも思えるし、あえて思えば、バラバラになっていた一教師と六人の元児童の気持ちが最後には一つになるということだろうか。

題名の中の「カナリア」は、童謡「歌を忘れたカナリア」に依ることがわかるのだが、それを作詞したのは、詩人西條八十であり、カナリアのモデル西條八十の弟子であり、夭折した女性詩人金子みすゞであろうと私は考えている。
  

2016年12月06日

関東大震災(吉村昭著)

今年は吉村昭を読んでいなかったので、年末に数冊読んでいる。この『関東大震災』は、著者にとって少し変わった書き方になっているといえる。

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著者は、ある特定の人物を中心に据え(男性のことが多い)、彼をとりまく時代の流れを通して、時代を描いていることが多い。時代の中でどうにも逃げられない人物の苦悩と諦念というものをあぶり出し、それが『時代』と読ませるわけだ。

ところが、本書には、基本的に主人公がいない。さらにいうと登場人物すらいないと言ってもいい。関東大震災について書かれた公式記録や私的な日記や、生存者のことばなどを収集している。

といって、手抜きとは言えない迫力があるのは、それらの膨大な記録の中で、あえて後世に伝えられないようなタブーの部分に力筆を込めているからだろう。

そして、本書に書かれたことが、直下型地震の真実なのだろうと思うと、そら恐ろしくなる。

本書のあらすじを書くことは、本意ではないので、都心で生き残りたい人は、各自文庫本を購入する価値は十分にあると思うが、いくつかは箇条書きに並べてみたいと思う。


大震災は大正12年9月1日に起きたのだが、その8年前に群発地震があった。その時の地震学の権威は東大の大森教授。そして弟子の今村教授との間で、直下型地震の予測について争いがあった。今村教授は、前回(安政の地震)から60年経っているので、すでに危険時期に入っている(50〜100年間隔)と主張したが、大森教授は根拠なしと否定。上司である大森教授の説の方が正論となった。

安政の地震及び、それに伴う火災の頃は、江戸市内には防火意識が徹底していて、それなりに給水網があったが、明治以降、すっかり忘れ去られていて、地震の怖さや避難のことなど公的機関も個人の側もまったく失念していた。江戸時代には厳しく禁止されていた火災時に荷物を大八車に乗せて逃げる行為の結果、道路に人があふれて、動けなくなった。

神奈川県では大きな列車事故が多発していて、170名を乗せた列車が根府川駅でホームごと崩れ40メートル下の海中に沈んでしまったり、トンネル内進行中にトンネルが崩れ埋没してしまった例もある。千葉の舘山では深さ2メートルの亀裂の中に測候所や旅館が吸い込まれている。

そして東京だが、初の高層建築物である浅草の凌雲閣(73メートル)が12階建ての8階で折れ、展望台の13名が落下。うち一人が途中の福助足袋の看板に引っかかり死を免れる。火事以外でもあちこちで圧死者が出ている。

そして本所被服廠跡の大惨事であるが、上空を覆いつくした熱旋風の中で生き残った人は数パーセントといわれるが、条件としては、1メートル四方に二人という過密状況の中でばたばたと人が倒れた瞬間には、他人の下敷きになって火を被らなかったことと、火がなくなった後にすばやく死体の山の中から立ち上がって、死体を踏みながら転ばないで逃げた人ということだそうだ。転ぶと上から踏まれて死ぬのだが、死体の足や手を踏むと、丸いので転んでしまうので、腹や背といった平らな部分を踏んで逃げたものだけが生き残る。

朝鮮人虐殺問題だが、当時、警察は必死に朝鮮人を守っていたのだが、横浜で何かの誤解から始まった流言が首都圏を飛び回り、警察やマスコミでさえ、情報網の断続で真実がわからない状況に追い込まれていったようだ。警察に保護していても、右翼集団が先導して警察署を焼き討ちしてまで朝鮮人を殺し、日本人や中国人まで被害は及んでいる。

また、混乱の中で社会主義者とその親族(大杉栄)を殺害した甘粕大佐に対する裁判も最初の頃は、世論が「許さない」という状況だったが、そのうちに大佐同情論もでてきて、懲役刑となり、そのうちに出獄。結局、彼は満州にわたり、終戦時に自殺する。

そして、地震は起きないと主張していた大森教授はオーストラリアの学会出席中に地震の報に接する。その前後から体力が衰えていく何らかの病状にあり、急遽帰国。本来は弾劾されるべきであったのかもしれないが、そのまま入院し、地震から二か月後に他界。
  
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2016年12月05日

敵討(吉村昭著)

吉村昭といえば、幕末から終戦までの間の史実をとりあげ、細部にわたり膨大に調査し、再構築する作家で、没後も着実に売れ続けているそうだ(奥様である津村節子氏の記載)。

本著、敵討については少し説明が必要だろう。幕末に起きた二件の殺人に基づき、二つの小説(『敵討』と『最後の仇討』)が収録されている。

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しかし、吉村昭氏は基本的には歴史の中で木の葉のように無力な個人を描くというのが基本スタンスであるのに、単純に個人の問題である「かたき討ち」を題材に選んだのはなぜかというと、その理由について著者自身があとがきで述べている。

まず、『敵討』だが、老中水野忠邦の懐刀だった鳥居耀蔵がライバルを消すために鳥居に取り入っていた不良武士に殺人を依頼。その不良武士が、知人の剣豪に報酬付きで殺人を持ちかけたのだが、これを拒否され、口封じのために斬り捨てる。その兄弟と子供による犯人捜しと敵討までの追跡行なのだが、やっと犯人の場所を特定するも、すでに幕府の囚人として、遠島になることになっていた。それでは敵討しようにもできないわけで、途方に暮れた頃に、江戸に大火が起こり、囚人は一旦、牢から切り放しになり、鎮火後、逃亡せず牢に戻ってくれば、罪一等軽くなるというルールがあり、運良くというべきか運悪くというべきか、島流しから、江戸所払いに変更。

江戸を追い出されるのを尾行し、そこで切り刻むことになる。


次の『最後の仇討ち』の方だが、幕末九州の秋月藩が佐幕と倒幕に藩内が二分され、討幕派の中心人物が暗殺される。実際には、すでに幕府は白旗上げていたので、今更佐幕ではなかったのだが、時代変換点によくある悲劇だ。

ところが、その後、明治時代になり、殺した方は過去を隠して新政府で出世。裁判官となる。そして、すでに敵討禁止法すら布告されているのに、被害者の息子が隠し持っていて短刀で丸腰の裁判官をブスブスと貫いたわけだ。結局、終身刑となるが、西南戦争終結の恩赦により10年で出所。


しかし、どちらの小説も、まず、犯人の調査と、逃亡したり隠遁中の犯人を捜すことから始まる。江戸市内なのか、地方なのか。今のようにネット検索で犯人に近づけたりはできない。日本を縦断して、探し回るわけだ。


そして第一の事件の首魁である鳥居耀蔵だが、丸亀藩に預けられ幽閉の身となるが、薬草作りを始める。その薬効のせいか長寿を誇り、幕府崩壊により釈放され、長寿をきわめることになる。悪運強しだ。許せない。
  
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2016年12月04日

朝井閑右衛門展−空想の饗宴

練馬図書館で行われていた朝井閑右衛門展に行った。作品の多くが画家の居住していた神奈川県の美術館に所蔵されているのに、横浜から練馬に観に行くには個人的な理由があったのだが、いずれにしても一堂に並べることにより、一枚一枚の価値がさらに高まり、観る側も新しい何かの発見につながっていくものだ。

第二次大戦をはさみ、彼の作風は大きく別人のように変わるのだが、戦争前の彼は、本展のサブタイトルにもあるように、心の中の空想をキャンバスに表現するような自由奔放さがある。ちょうど江戸時代の前半の奇想画家たちとリンクしてしまう。

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代表作である「丘の上」。

大作であり、新橋に今でも威容を誇る第一ホテルのロビーにあったものが進駐軍にホテルが徴用され、運よく画家に戻ってきたのだが、大き過ぎて保管に苦労したようだ。神奈川近代美術館が所蔵していて、本展の目玉になっているのだが、おそろしいことに絵画の表面にひび割れが無数に入っている。剥離しないうちに修復作業をした方がいいと思う。戦争前の物資の乏しい時期に、良質なテレピン油が手に入りにくかったためだ。

そして、戦争画を少し描いたあと、街中の電線を描き始めるのだ。電線は醜いので地中に埋めようという方向にあるのだが、中には逆に思う人もいるわけだ。(その心は本人にしかわからない。醜いから描こうとしたのかもしれないし。)

水墨画も一流で、多くの作品が展示されている。

特筆すべきかどうかは微妙だが、彼は躁鬱病に苦しんでいたのだが、通常の病態だと、躁状態の時に大量に仕事をして、鬱状態の時は無気力に落ち込むのだが、彼は、鬱状態の時に絵を描いたそうだ。ちょっと考えにくい。

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仕事場を鎌倉に求めたため、文士(小説家)との付き合いが多く、有名作家の肖像画を多く描いているが、空想画でもなく電線画でもない。似顔絵師に徹して描いている。意外にも多才だったのだろう。

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ところで、練馬美術館だが都内の駅前地なので大庭園を構える事情にはないのだろう。好演の広場には、キリンさんやゾウさんのアートがある。ただし遊んでいるのは子供ばかりだからね。
  

2016年12月03日

将軍家「将棋指南役」(増川宏一著)

本のタイトルがまったくおかしく、そういうことはほとんど書かれていない。将棋の家元である大橋家の記録、つまり大橋文書が発掘されたことにより、その本格的な内容の精査を増川氏が行い、その中の一部が本書にまとめられている。

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その発掘された原因というのが、偶然でたまたま棋士仲間で飲んでいたところ、そこの料理店の先祖が大橋家だったということで、急に酔いが覚めた棋士がいて、ルーツ探しが始まったわけだ。何しろ名人の家系であり、世が世なら実力名人は大橋家に婿養子に入って大橋善治とか大橋康晴とか名乗っていたかもしれないわけだ。いや終身名人制だった。木村義雄14世名人が亡くなった時の名人は中原誠氏で、まだ存命中なので、15世名人は今でも中原氏であり、大山氏は無冠の贈名人ということになる。中原氏がさようならの時に名人になっているのが天彦氏ならかれが16世となり羽生氏と森内氏は贈名人ということになるだろう。


で、大橋家の生活というのは、いわば江戸時代のこういう遊芸師たちの代表的なパターンであったわけで、増川氏も大橋文書を解読するにあたって、囲碁はもちろんのこと能や僧侶や医師たちとの比較などをしている。ご苦労様なことである。

以前より伊藤家の方は麻布十番付近に屋敷があることは知っていたのだが、大橋家は神田御徒町だった。幕府から120坪位の土地を拝領し、そこに長屋を作ってアパート経営をしていた。大橋家の方は、二軒隣に家を借りていたそうだ。要するに小分けにして貸す方がもうかるのだろうか。家守という住込みの管理人をコロコロと交代させていたようだ。

その借りていた場所には、現在は大橋歯科というのがあるが、まったく親戚ではないとのことだが、少し信じられないところもある。

大橋家は伊藤家と並び名人を出していた家であるので、大橋文書の中に献上詰将棋の原案のようなものがあるのではないかとも期待するが、そういった記述はない。献上詰将棋も大橋宗英の時に廃止になったので残ってないのかもしれない。

幕末になり、将棋がどんどん盛んになったのに、家元の道場には人が集まらなくなったというのは、良いことか悪いことかよくわからない。時代が権威主義から実力主義に代わっていって、ちょうどその頃黒船がきたということだろう。

明治になり大橋家の門下だった小野五平と関根金次郎が順に名人位を守り、実力名人の木村義雄につないだことを考えれば、消えたとはいえ大橋家の役割は大きかったと言えるのではないだろうか。


さて、11月19日出題作の解答。

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動く将棋盤はこちら


今週の問題。

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短編(一桁)である。

わかったと思われたかたはコメント欄に最終手と総手数とご意見をいただければ、正誤判定します。
  
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2016年12月02日

安土城を攻略(2/2)

途中で、信長の墓と天守方向に道は分かれるが、信長の墓がここにできたのは後世のことである。天守に向かうとさらに石段は険しくなるが、空が見えるようになり、そこが天守跡なのだ。

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山の上に台石がいくつも積まれているのだが、そこは、地下室なのだ。天守台と見える部分は単に地下一階の床であり、一階の大きさは縦も横もこの2倍、つまり面積は4倍にもなる。

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そして眼下にはお約束通り琵琶湖が望めるが、当時は山の下まで琵琶湖が広がっていた。

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安土城だが、高さは秀吉の建てた大坂城を超え、床面積は大坂城の方が大きい。後に江戸城天守閣を建てるときは、安土城より高く、大坂城より広くということになった。

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江戸城の再建や、名古屋城の建て替えが話題になっているが、筋からいえば安土城ほど美しい城はないのだから、この城は再建されないのだろうかと思われるかもしれない。

色々と制約が考えられるのは、まずこの土地は私有地であるということ。宛寺(そうけんじ)という寺院の所有物で、寺院の安全確保体制の中で、なんとか登ることができるわけだ。さらに登るのが、厳しすぎるわけだ。400段ものオリジナルの石段である。観光地にするにはロープウェーしかないだろうが、簡単にできる場所がないし、建設資材の搬入も困難だ。さらに安土市は近江八幡市に吸収合併されたので、安土城だけの開発ではなく近江八幡とセットの観光化が求められる。しかも東京や名古屋のような金満な都市じゃないわけだ。

そして下り階段は、曲がりくねって狭く、足を滑らすと滑落し、信長たちの仲間に入ることになるのだが、安全な場所では足を滑らすことが多い。ぬかるみの中に一本の材木が置かれ、平均台のように歩く必要な場所もある。とにかく、まったく油断できないわけだ。

歴史家ではないので、勝手なことを言うと、明智光秀の謀反(本能寺の変)だが、光秀は天下を制覇したかったのではなく、安土城が欲しかったのではないか、と感じたのだ。秀吉と利家の邸宅が組み込まれていた城には、すでに光秀の場所がないわけで、よほどの暗愚でなければ自分が粛清される運命だったことは見えていたのだろう。

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2016年12月01日

安土城を攻略(1/2)

安土城は織田信長が天下統一のため、琵琶湖に面する安土山の上に建てられた、史上最も美しい天守閣を含む軍事要塞だった。門は三門といって、将来、天皇を迎えるためともいう。残念なことに3年後に、信長は明智光秀の凶刃に倒れ、その後、秀吉による光秀の成敗が行われた山崎の戦の頃、原因不明の焼失をしてしまう。光秀の謀反も原因不明、安土城の焼失も原因不明である。残されたのは城址と安土桃山時代という文化史上の名誉である。最上階は南蛮造りで内装は金箔。

ということで、城を語るなら安土城に登るしかないだろうとは思いながら、実は過去2回にわたり安土駅を目指したのだが、いずれも雨で撤退。2回目は駅に降りた瞬間に雨が降ってきた。拒絶されたわけだ。事前にネットで調べると、雨では無理そうなのだ。

さらに、今年は熊が全国に出没するわけだ。特に冬眠前は必死に餌を探す。滋賀県では、昨年は三重県が捕獲した熊を、滋賀県で放すという事件まで起きている。慎重に調べると、琵琶湖西岸には熊はいるが、東岸にはいないことがわかった(安心はできないが)。

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しかし、安土城は決して観光地化されているとは言えない。なにしろ、大きすぎて整備するには巨費が必要だろうが、それほど人が呼べるとは思えないのかもしれない。それがお城ファンには好まれるという面もある。まず、安土山まで行く方法があまりないのだ。お勧めとされているのが、レンタサイクルである。荷物を預け、自転車に乗って15分。これで安土城大手道の入口に到着する(帰りは道を間違え40分かかったが)。

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そして、待ち構えるのは大石段である。豪快な石段で、一段が30センチ平均だろうか、登るのによろよろする。天然石なので一段一段の高さは不均一なので確認しないといけないし、蛇行しているので歩く場所も気を使う。中には仏像を横倒しにして転用している場所もあり、歩くときに仏様を踏みつけることになるが、信長は坊主が大嫌いだったから意に介しなかったのだろう

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下の方に前田利家の邸宅跡があり、少し行くとその3倍ほどの大きさの羽柴秀吉邸の跡がある。信長は一の部下を秀吉、二の部下を利家とすでに決めていたのだろう。そして石段は一層険しく、挑戦者を拒み続ける。

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続く
  
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2016年11月30日

120%クール

人気作家山田詠美氏が20年前に書いた短編集。9編からなる。力作というべきが、第一編の「唇から蝶」。唇が青虫の女性と結婚した男性の視線からみた男女関係、というべきか、あまりにも唇が本物の青虫という設定からくる妖気小説なのか。その他の多くは、風変わりなカップルを描く作が多いのだが、「ガリレオの餌」という作では、初老の男性作家が主人公になっている。

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ハードボイルド作家を演じていながら実生活は別で、締め切りに追われるという設定で、男女の差はあるが、実の作家が締め切りに追われながら、短編を書きまくった結果がこの短編集なのだろうか、と素直に思ってしまう。

たぶん、話はうまいのだが、長編でないとパワフルな作風とあわないのではないかと思わないでもない。
  
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2016年11月29日

帰化人(上田正昭著)

現代の帰化人の話ではない。古代の話である。半島や大陸から日本に何らかの理由で渡来し、そのまま日本に住むことになった人たちのことだが、といって日本人のルーツまで遡ることはない。大和国家が成立した後のことなのだが、正直言って、この本は難しい。

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実際には、帰化人のほとんどは朝鮮半島との関係の中で来日した人で、半島が3〜4の国に別れて抗争をしていた中で、それぞれの国が中国と日本とのバランスの中で合従連衡を繰り返しているうちに、渡来されたままになったわけで、いずれの政権からの人たちがいる。さらに日本の政権も、それらの渡来人を取り込んでいたわけで、帰化人同士も政権闘争をしていた。

そのうえ、仏教伝来により、天皇家も純粋に神道だけを信じる人たちと、仏教に傾いていく人たちの抗争が起こる。長い目で見れば、この神か仏かという争いは続いているともいえる(どちらも地に堕ちたという人もいるかもしれないが)。

さらに、日本が必要として来日を乞うた人たちもいれば、半島にいる場所を失った人たちがやってきて、地方に住んでもらったという場所も多い。

というようなことが克明に書かれていて、本質的には日本の歴史と朝鮮半島の歴史を研究すべきテーマではあるのだろう。が、韓国(と北朝鮮)は、李氏朝鮮より古い時代の歴史にはあまり興味がないようで、まったく不思議な国になっているのが今の状況なのだろう。

ところで、読んだのは昭和40年代に出版された中公新書なのだが、ネットで調べると現在価格は13,000円位になっている。こういうのは、復刻されると、即1円になることが多いのだが。
  
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2016年11月28日

手紙(2006年 映画)

東野圭吾原作の小説を映画化。殺人犯の兄を持つ弟が差別を受け続け、それは妻や娘にも及ぶことになる。弟と兄を結ぶのは「手紙」であり、また加害者と被害者の家族を結ぶのも「手紙」である。

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殺人といっても、ミステリーとかアクションとかの方向ではなくあくまでも社会派的に一編を通し、シリアスな霞が漂い続ける。「加害者の家族までもが差別を受けるという苦悩こそが受刑中の加害者への罰なのか」という命題が観客にも与えられる。

ところで、兄が入れられたのは千葉刑務所。明治以来の千葉監獄の建物がそのまま改造され使われているのだから居住環境は知れるだろう。遠い過去に、その近く(中ではない)に住んでいたことがあるのだが、記憶の中には脱獄事件があったことが残っている。住宅地の中にあることの問題点は脱獄のこと。脱獄者は逃げ回るためには衣類や金銭が必要なため、近くの家に押し入る可能性が高いわけだ。しかも命がけで行動するわけだ。

一方、その明治式の刑務所が街中にあって多くの人が目にすることで、「あそこに入れられたらこわいなあ」と思わせることで犯罪抑制効果を狙っているのだろうか。

主演は山田孝之。この映画から10年経ち、堅実な演技で堅実な俳優になっている。その妻を演じるのが沢尻エリカ。この映画の時は人気絶頂だったが、翌2007年に「別に・・事件」を起こし、さらに「エリカ様」となり、世間を甘く見て、役にありつけなくなったが、2012年から復活し、「新宿スワン」で再び大女優コースに戻るのだが、この時の共演が本作の主演である山田孝之。偶然ではあるのだろうが、人のリンクってよくあることのように思える。


映画の中で、刑務所への慰問のシーンがあった。こんな妙なところに書くのもなんだが、以前、私に将棋を教えてくれた平野さん(故人)というプロの六段の先生は、よく刑務所や長期療養病院の慰問に行って対局されていた。先生の師匠は業界内で事件を起こしたことがあり追放されたのだが、弟子として償いをしていたのかもしれないと、ふと、きょう思った。
  

2016年11月27日

南蛮文化館はたいしたものである

大阪にある南蛮文化館を訪れる。なにしろ年間で5月と11月の2ヶ月間だけ開館している。さらに10時から4時までが開館時間なので、実質的に3時過ぎまでに入館しないといけない。

場所は、阪急中津駅のすぐそば。中津駅は梅田駅の次の駅なのだから大都会大阪駅から歩いてもいけそうだが、やめた方がいい。地元の人しか歩けないだろう。魔界である。

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そして、中津駅自体も魔界駅だ。ホームがみたこともないほど狭い。つまり危険だ。黄色い線の内側よりも外側の方が広いのだ。それなのに、宝塚線と神戸線の二つのホームがある。そして、この駅は地面よりも高いところにあるようにも見えるし、そうでもないようにも思える。そして駅から出る方向を間違えると、二度と家に帰れなくなる。こっちの方であるわけはない、と思う方向が正解だ。

駅の近くのビルの上階に看板があって、やっとそこが目的地だ、と一安心だが、まだなのだ。そのビルに入ってエレベーターに乗ると別の地面である1階に降りるようになっていて、そこには何もないのだ。そして→の方向に進むと、道路の反対側に目的の南蛮文化館がある。

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そして、秋なのに大汗をかいて館内に入ると、2階建てである。1階は信じられないことにキリスト教の秘宝である。さらに言うと、日本でキリスト教が禁止された250年間の間に、いわゆる隠れキリシタンと言われた方々が守り抜いた大小の秘宝である。当然、親子間で何代もかけて引き継がれていたのだろう。全国各所で発見された物が、ここに収集されている。

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展示品についてはパンフレットに多く記載されているが、その画像を公開する気にはならないので、観たい人がUSJのついでにでものぞいてほしい。

2階は、非宗教的な南蛮文化の屏風や記念品など。オランダ貿易によるものも多い。こちらは欧州の文化が日本にどのような影響を与えたのかというテーマで観るといいだろうか。

設立者の北村さんの情熱に感謝したい。こういう人も大阪にはいるわけだ。

大阪駅に戻るには、逆コースで、例の中継ぎビルに戻るのだが、何階まで上がると別の地面に戻れるのか覚えていないので、ビルのエレベーターの中で行き詰ることになる。不審者に認定されるわけだ。
  

2016年11月26日

南禅寺の決戦の地

将棋界で南禅寺の決戦といえば昭和12年2月5日から7日間行われた阪田三吉と木村義雄戦を指す。指し盛りで名人位を目指す木村義雄が、古豪阪田三吉の夢を打ち砕いた一戦である。続けて第二戦が一か月後に天龍寺で行われた。阪田の相手は花田長太郎に変わるが、激闘の末、阪田は破れ、この二番を機に成績は衰えていった。

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天龍寺に行くなら南禅寺にも行こうと、京都の西側である嵐山から東山に行く。天候も少し異なっていた。こちらも名寺であるが、より禅宗に近いのだろうか。観光に特化しているようには見えない。

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特に山門からはオーラが感じられる。

実は、天龍寺で精進料理を食べていた時に疑問を感じていたのだが、7日間の対局期間中、ずっと精進料理を食べていたのだろうか。それこそ修行僧ではないか。頭脳を使うとカロリーを使うので糖分を中心に補給が必要なのだが・・と疑問を持ったままになった。

帰宅後、日本将棋体系の中の木村義雄の記譜解説を読む。南禅寺の決戦譜は大山康晴氏が書いていて、食事については、三食すべてが、有名な瓢亭からの取り寄せで、関係者は高級料理に飽きてしまったとなっている。ああよかった。


そして、その一局の棋譜を読んでいて、大いに驚いたのが木村義雄の指した19手目。▲5八金左である。大山名人も絶賛の一手である。

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しかし、ネット上で調べると、▲5八金右となっていることが多い。各種動画棋譜もこうなっている。その先、5八の金は4七に上がり、▲5九金という手があるので、そこで、図面は19手目が5八金左でも右でも同一になる。一体、どちらが正しいのかというのは当時の新聞を読めばわかるし、この両対局の観戦記が出版されているので読めばいいのだが、とりあえず簡単にはわからないわけだ。自宅の弱いソフトで調べると、Aソフトは5八金右や7八玉といった王の守り重視で、Bソフトは5九金左と2筋防衛を主眼にした手を推奨している。


さて、11月12日出題作の解答。

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動く将棋盤は、こちら


今週の問題。

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入玉だが難易度は低い。お正月向きかな。

わかったと思われた方は、コメント欄に最終手と総手数とご意見をいただければ正誤判定します。
  
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2016年11月25日

天龍寺で精進料理

天龍寺に行った目的の一つが、精進料理をいただくことだった。

実は、一ヶ月ほど前に、天龍寺で将棋竜王戦七番勝負の第一局が行われた。最近は寺院での対局がブームで、高野山でも開かれている。天龍寺、高野山に南禅寺を含めると、昭和初期の大勝負が行われた場所として有名で、1937年3月には天龍寺で、阪田三吉と花田長太郎戦の大激戦が行われた。当時は持ち時間30時間、対局は7日間という凄まじいシチュエーションだった。

今回は、思いもかけない挑戦者のスマホカンニング疑惑が持ち上がり、対局数日前に挑戦者変更という混乱状態の中で一局目が始まった(カンニングの方は、やはり疑惑が証明されない方向にも見え、この七番勝負自体の正統性が???状態になりそうではあるが)。

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で、対局者たちの食べ物であるが、特に昼食については、外出するわけにもいかず、天龍寺の中にある精進料理店「篩月」で供している精進料理を食べるように設定されていたようだ。ということで、中継ブログで見る限り、最低価格3000円の「雪」ではないかと思われるわけだ(画像は対局者ではなく、対局関係者のもので、対局者は極上定食「花」かもしれないが)。予約なしで行くと、この最低コース「雪」になるようだ。

ただ、ちょっと気がかりだったのは、一人で入店すると、4人掛けテーブルを独り占めするとか、相席とか、あるいは断られるとか、そういうことだったのだが。

まったくの勘違いだった。一人でも五人でも、サッカーチームの11人が来ても対応可能なのだ。なにしろ通されたのは畳敷きの座敷で、壁際に敷かれた緋毛氈(レッドカーペット)に端から順番に座って行く方式だからだ。そういう座敷がいくつかあるようだ。そして、目の前の畳の上に料理が置かれるわけだ。

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実際、食べにくいわけだ。外国人女性は胡坐をかいて食べているし、正座だと床と口の距離がなおさら遠くなる。結局、器を持って食べることになるのだが、引っ越し直後にまだ家具を並べていない状態で、床に置いたカップ麺を食べるようなことになる。

しかし、本来は健康食のはずなのだが、これだけ充実するととりあえず満腹になる。

ところで、突然、竜王戦挑戦者に突然格上げされた丸山九段だが、今までのタイトル戦の時には、「カツカレー二人分」とか食べていたそうだ。精進料理では力が入らなかったのか、第一局を失った。
  
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2016年11月24日

日本の美を集成した天龍寺庭園

よく日本庭園の特徴は「空間」と言われる。石庭の様式がまさに究極だ。しかし、有名な天龍寺の庭園に足を踏み入れると、ある意味、そこには空間はない。美を詰め込んだ庭園なのだ。

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あえて、空間の広がりを求めれば、池ということだが、池の中は鯉をはじめ、多くの生物が住処にしている。

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林の中の苔の群生も圧巻だ。苔寺とは異なり、地面に凹凸がある場所を苔が覆っている。

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まだ早いにしても緑、黄色、赤の3種類の葉が織りなす木々の下で木漏れ陽を浴びるとは最高ではないか。

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この贅沢な時間を500円定額で味わえると言いたいところだが、何しろ多くの人たちが押しかけていて、ゆっくり前に進むしかない。
  
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2016年11月23日

渡月橋付近で道を聞かれても

京都に行くことがあり、秋なので「紅葉」と安易な発想で嵐山に行く。

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しかし、まだ紅葉には早かった。赤い山と渡月橋という景色が美しいのだが、山は緑だし、渡月橋を歩いても渡月橋の写真は撮れない。しかも右も左も前も後ろも人ばかりだ。速度は遅いし、追い抜きも困難。立ち止まりも困難。これでは写すこともできないので橋桁や柵から身を乗り出し、カメラを突き出して撮影するが、カメラまたは自分の体が落下する危険が伴う。

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その後、天龍寺方面に向かうと、二回も外国人女性から道を聞かれた。最寄駅に行くにはどうすればいいかというのが一人目で、知らないので答えられない。二人目は「バンブー・フォレスト」にはどういくか、というもので、知らないので答えられない。だらだら歩いていると、竹林の中に入ってしまったのだが、さっきの女性を姿を見ることはできなかった。

外国人差別をされたとか、世界中にSNSで拡散されませんように・・
  
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2016年11月22日

大統領制を止めたらと思うポピュリズムの国

少し前にギリシアでは財政緊縮案をめぐって直接選挙を行ったものの、選挙の結果は何の効力も持たない惨めな結果に終わった。スコットランド独立運動や、英国のEU離脱、米国大統領選挙の醜さなどみて、最後のコミックが韓国の大統領おろしである。

特に、冷静さに欠ける国民が、もっと絶対的大問題を抱えながら、目先の問題で興奮しているのをみると、つくづく大統領制はやめた方がいい、と思ってしまう。

もっとも、以前は間接選挙で選ばれた議員が大統領を選んでいた時もあったが、国民が怒って、結局直接選挙になったのだが、そんなパーフェクトを望んでも、社会構造上、大人物が突然現れたりできないのだから、当分の間は、大統領を廃止してしまい、日本と同じように国会が首相を選ぶようにすれば、少しはましなのではないだろうか。

大統領の末路を調べると、亡命、刑務所、暗殺、自殺という事例が多発していて、やりたい人が枯渇するのではないだろうか。大統領になりうる地位に至るまでに、様々なコネや裏切りなどを続けることがマスト条件のようだし、それが問題というなら、やれなくなる。

だいたい、大統領を引きずり下ろして刑務所に入れるか外国に追い出したって、次を選ばばなければならないと思うのだが、いるのだろうか。
  
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2016年11月21日

万能鑑定士Q モナリザの瞳(映画 2014年)

小説を原作として、軽いミステリー作品になっている。事件の目的物は、名画モナリザ。これを日本で行われる展覧会場で贋作とすり替えようというのだから荒唐無稽だ。会場は国立東京美術館。奇妙なことに、そういう名前の美術館は存在しない。

そして、警察が出し抜かれ横浜港から本物のモナリザを貨物船に積み込み作業中に間に合った。東京港から出港していれば成功しただろう。それを推理して奪還するのは、万能鑑定士Qを名乗る綾瀬はるかにそっくりな女性鑑定士と松坂桃李そっくりな記者。

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女性鑑定士は高校生の頃はまったくの落ちこぼれだったのだが、離島から東京へ出て、物を覚えるときに、人間の五感や感情とものごとを重ね合わせて覚えるという方法で、真贋判断の達人になる。本来は鑑定団の番組に出演すべきところ、自営で眼を鍛えている。

一方の記者はまったくのウスノロで、新型うつ病になる寸前だったのだが、あるパーティの場で起きた犯罪を瞬時に見抜いた彼女の能力を見て、追っかけ取材する。そして、舞台はパリに。

で、窃盗団は1911年にイタリア人がルーブル美術館からモナリザを盗み出して故郷のイタリアに持って行った事件と関連させ、実行犯を洗脳し、ルーブルの展示物自体が偽物だと思い込ませる。

そして、本映画には、美女がもう一人登場するのだが、こちらは実行犯側。どうも綾瀬はるかは、悪役が似合わないタイプだ。いずれ悪役もやるのだろうか。

ところで、本映画はモナリザの真贋鑑定が大きな意味を持つのだが、500年前の作だし、途中に盗まれたり、物をぶつけられて修復したり、キャンバスではなく板に書かれているのだが台板がゆがんできたり、鑑定困難な事情が多い。

私だったら、絵画の一部を削って舐めてみれば、イタリア製かどうかはわかると思う。
  

2016年11月20日

青葉区民芸術祭(アートフォーラム)

横浜市の青葉区と都筑区の入り組んだ境界のあたりに住んでいて、都筑区側である。これが世田谷区田園調布と大田区田園調布との差という話なら高尚なのだが、青葉区は高級選民の街で都筑区は庶民系で大違いだ。

ということで、高級選民の多い青葉区民の芸術祭に顔を出す。横浜市も青葉区には大きな美術館(所蔵はなく展示用美術館)を建てている。もっとも、区民祭には有名ピアニストや有名小説家が友情出演ということはないので、格差を感じることは特にない。

絵画展については、ここに紹介するすべもないので、文芸展ということで、特に散文が展示されている。

短歌は、出展が少なく、重い作品については個人的に評価が苦手であるが。

遥かにも育児の日々は過ぎゆきてけふ我のむねみどりこのあり(R)


川柳で紹介したいのが

 さよならをするたび女磨かれる(W)

 ふり向けば孫が押してる車椅子(N)

 鍵掛けた箪笥怪しいゼロ金利(T)


実は、俳句の出展がゼロなのに、英語俳句の出展9点とはどういうことなのだろう。

 in the winter night sky
I’m glad to see you again
Cassiopea!

冬夜空 また会えたわね カシオペア(M)


そして詩や書道の部門で見つけたのが、次の二つ。それぞれ五行と一行。

すれ違った電車の中や
行ったことのない街に
あの日 別の選択をした
私が
幾人も暮らしている(M)

 宇宙の悪魔が笑っている(E)


そういえば、2016流行語大賞候補がノミネートされたけど、シュールさで目立つのは「保育園落ちた」だよね。健闘を祈ろう。
  

2016年11月19日

駒型クッキーは盛上駒だった

天童からの土産物第二弾は、駒形のクッキー。味は置いておいて、形状の話だが、駒の大きさが大駒と小駒と異なるように手が込んでいる。

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さらに文字であるが、クッキーに焼印を押したように凹んでいるわけではなく、逆に文字の部分が突起している。どうやって作るのか知りたいところだが、この文字が浮き出すというのは、将棋駒の中で最高とされる盛上駒と同じだ。

これを対局に使うと、長い時間考えていると空腹になり、時々、駒が減ってしまう。駒の裏には何も書かれていないので、何か定跡でも書いてカンニングに使ってもいいかもしれない。というか5枚目の金とか活用すればいい。


さて、11月5日出題作の解答。

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動く将棋盤は、こちら

なお10手目に△4四同香ではなく△3三歩等でも同手順で詰むので、キズがあったと言わざるを得ない。

今週の問題。

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わかったと思われた方は、コメント欄に、最終手と総手数とご意見を記していただければ、正誤判断。
  
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2016年11月18日

二刀流、岩国寿司に敗れる

二刀流といえば、今や大谷翔平のことを指し、投手と打者との二種類の達人を指すのだが、元の意味は二本の刀を両手に持って振り回す剣術のことで、代表的な剣士は宮本武蔵だ。

その宮本武蔵と下関の近くにある巌流島で戦い、船の櫂で頭を叩き割られたと言われるのが剣豪佐々木小次郎なのだが、ある場所でついに敵を討つことができた。


岩国で錦帯橋を渡り、吉香公園を通って岩国城を上ろうという時、正午を少し回っていた。「余は昼飯を所望するのじゃが・・」と小声でつぶやくと、「岩国寿司」と書かれたのぼりが目に入った。さっそく入店し、岩国寿司定食を注文。

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しばらくして登場した定食には、錦糸卵がのった押寿司である『岩国寿司』と、野菜の煮物である『大平』と魚介類のミンチをトンカツ状にフライにした『がんす』がセットになってでてきた。

太平は、見た感じの予想と同じ味だが、がんすは、食べたことがなかったこともあるが、超美味だった。早く首都圏デビューしてほしい料理だ。まちがってもB級グルメ路線に進んでは駄目だ。

そして気が付いたのは店名。『佐々木屋小次郎商店』。いかにも佐々木小次郎にあやかっている。その場知識だが、小次郎の秘伝の技である「燕返し」は、錦帯橋で練習して編み出したとされているそうだ。

そして、岩国寿司は押寿司であり、飯が圧縮されていて硬いわけだ。それを割り箸で食べようというのだから割り箸がしなるわけだ。「二本の割り箸は二刀流ということなのだから、これは武蔵と小次郎の戦いなのか」と思った瞬間に、箸が折れた。それも二本同時に箸が折れた音が店内に響き、気が付いた複数のお客様方からの失笑の気配を感じる。

二刀流敗れたり!


帰宅後、小次郎や燕返しのことを調べてみると、佐々木小次郎は1612年に武蔵に殺されたのだが、錦帯橋が完成したのは数十年後であり、全くの時代錯誤だ。それに橋の上で剣を振り回して練習できるはずがないだろう。吉川英治が書いた「宮本武蔵」が原因のようだ。時代小説家は事実に大きな想像を書き加えることが許されているのだが、時代の順番まで並べ変えるのはどうかと思う。なお吉川英治は「よしかわ」で、岩国藩主吉川は「きっかわ」と読む。
  
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2016年11月17日

岩国城の上下バラバラはなぜか?

錦帯橋を渡ると、吉香公園がある。岩国城はその公園の北側の横山の山上に築かれている。オリジナルの城は関ケ原の戦いの時に、毛利一門でありながら徳川に寝返った吉川広家が、戦後に毛利藩の存続に走り回った結果、皮肉なことに小大名になり下がった毛利家のさらに支藩というところに落ち着いたことに起因し、1608年に竣工。本丸と4重6階建ての天守閣が立った。

しかし、奇妙なところもあるのだが、徳川幕府による一国一城令によりわずか7年で城は破却され廃城となる。こんな山の上に築城する苦労からいえば、壮大な無駄だ。MOTTAINAI!ARIENAI!だ。さらに、周防の国にはこの城しかないのだから、壊す必要はなかったのではないだろうか。

(ただし、徳川幕府の威光は絶対的なものであり、少しでも謀反の嫌疑をかけられないために過剰サービスをしたのかもしれない。あの仙台伊達藩にしても、江戸城が建て直しになる際に、古い江戸城の材木一式を引き取り、仙台城の一部に再利用させていただきますとゴマすりし、廃材を仙台まで運んだうえ、ひそかに捨てたりしている。)

そして、現代人は、山の上まで歩ける人はほとんどいないため、ロープウェーに頼ることになる。ほとんどが外国人の中、山頂で降りると、そこから山道を10分歩く。もっと城に近いところに駅がほしい。山道の両側には大小さまざまな石垣崩れの岩が転がっていて、かなり大きな城が築かれていたことが想像される。

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そして、山頂の平地に到達すると、驚きの光景がある。

天守台が登場するのだが、下界から眺めたときは、石垣の上に天守閣が見えたのに、石垣だけだ。さらに目を凝らすと、その先に天守閣が見えた。つまり、上下別にあるわけだ。

天守台を観察すると、かなり古風な石の組み方で、芸術性も何もない、1570年頃の素朴な組み方であり、吉川広家が実用本位の人間だったということがわかる。そして、本物の天守があった場所と現代の復興天守の中間地点が、本丸があった場所だが、なんとトイレが建っている。

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そして、天守閣をみると、上層階が南蛮造りになっている。安土城とそっくりである。昭和37年に、昭和の名築城家である藤岡通夫氏の設計で再建されたのだが、藤岡氏の設計は熊本城や和歌山城といった、元の写真や証言が残ったものが多く、350年も前の城の設計には、多くの推論が含まれるものと思われる。吉川広家は安土城をみたことはないはずだし、残っていた絵図に信憑性があるのか、石垣の素朴さとか、幕府との関係からいって南蛮造りには違和感が残る。

そして、天守閣が立った後で、天守台の石垣の発掘作業が始まったそうだ。順序について、あまり納得できないが、これが上下バラバラになった理由らしい。

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とはいえ、天守閣を見晴らしのいい場所に移転したため、眼下には錦川や錦帯橋、遠く岩国の市街地がのぞめ、さらにその先にあるのは、米軍の岩国基地であって、そういえば冷戦時代には核兵器搭載の原潜が、核兵器を搭載しているかどうかを明らかにしないで寄港していたということを思い出すわけだ。
  
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2016年11月16日

錦帯橋を往復する

岩国市が錦帯橋をもって世界遺産に意欲を持っている。個人的には宮島のような古来からの霊的シンボルではないので、どうかなと思っているのだが、物体としての錦帯橋は人工物としてはすばらしい名勝である。

もちろん1673年に完成したのは観光用ではなく実用品としてだったのだが、紐を解くと関ケ原の戦いになるので、それは別稿として、橋に関係する部分だけにすると、江戸時代の最初に岩国の城主となったのが吉川家である。色々なごたごたの結果なので、吉川家では再び国内大戦争が始まるかもしれないという予感に基づき難攻不落の山城をこの橋の先にある山頂近くに建てる。橋の写真の上の方に、再建天守閣が見える。

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そこは山の上なので、武士の住む屋敷町は山の下になる。しかし、面積がとれないので、全面を流れる錦川の右岸と左岸に分かれて武家屋敷と町人の住む城下町がわかれ、さらに外側に農民が住むことになる。

必然的に、川を渡るたびに大不便状態になる。川幅は200メートル程度で流れも遅くない。そこで、橋を作ろうということになったのだが、技術的な困難があった。橋桁の数を減らすと強度に問題が出るからだ。そこで参考にしたのが中国の西湖にある五連のアーチ橋だ。

そして完成。長く補修を続けていたわけだが、城下の人々に対し、武家、町民、農民と問わず橋修理税を調達していたそうだ。しかし通行が許されたのは武士と出入り商人だけだった。(都民税でできたスポーツ設備に入れるのはアスリートだけ、という構造に近い)

そして、明治、大正、昭和と時は流れ、敗戦で無一文になった国家にダメ押しの台風が来た。1950年の台風で橋の大部分が流出してしまう。一説では、米軍基地となった岩国基地の舗装工事のため、橋のそばの砂を掘り出したからともいわれる。そして、復旧されたのが1953年。次の危機は人災だ。1998年に3人乗りの軽自動車が橋を渡ろうと突入。故意かうっかりかは不明だが破損した。2001年から3年で補修が行われたが、2005年の大雨で、橋桁が破損してしまう。

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ということで、補修計画を賄うためか、橋を渡るのは有料である。この橋を渡ると多くの人はロープウェーに乗り、岩国城まで行き、帰ってくる。この橋の往復とロープウェーの往復と、岩国城入場の5枚のチケットがセットで販売されている。うっかり行きの橋の上でチケットを風で吹き飛ばされると戻るときは、川の中を歩かなければならない。山の上の城でチケットを吹き飛ばされると、歩いて山を下りてこなければいけないうえ、さらに川の中を歩かなければならない。

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橋の表面構造だが、傾斜の急なところは階段になっている。つまり最初は階段を上り、次に階段を下りる。これを5回繰り返すのだから、5階建てのビルの階段を歩くようなものだ。

橋の上から河原まではかなり高さがある。河原では釣りをしている老人と、絵を描いている老人が多いが、釣れてもいないし、絵も下手だ。
  
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2016年11月15日

宇野千代生家(岩国)へ

広島から山口に入るとすぐに岩国だ。山口は東西に長い県で、岩国は中心ではないが、いわゆる城下町的でもある。そこに生まれたのが宇野千代である。父親は庄屋の息子で長男ではないため、基本的に遊んで暮らしていた。JRの川西という大変にローカルな駅から5分くらい細い道を歩くと到着する。

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ところで宇野千代は、いわゆる悪女である。次々と男を変え、結婚だけでも3回、その他東郷青児とは同棲。そしてそのうち、全員が亡くなっていき、最後は98歳で亡くなる。同時代の悪女は、瀬戸内寂聴、林芙美子だろうが、現実の悪女ぶりは宇野千代が一番だろう。基本的には、岩国以外ではあまり好まれていないのかもしれない。

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先日「残っている話」を読んだときに、生家の話が書かれていて、それで訪れたのだが、庭は手入れがよく、生家の管理をされている方も話好きで先生のご愛用の椅子にも腰かけさせていただいた。

ほとんどの作品は南青山の自宅で行っていたはずなのだが、生家でも書いていたようだ。

「欠点は、直すのではなく、利用する」というのが先生の口癖だったそうだが、普通の世界ではなかなかそうではないだろう。私は欠点だらけの人間なので、そのすべてが宝の山みたいなものと言えるのだろうか。よくわからないが、真に受けると危険な格言のような気もする。
  
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2016年11月14日

厳島神社のお手植えの松

広島からさらに西に進み、宮島口という駅で下車し、競艇場には見向きもせずJRフェリーに乗り込むと、10分強で対岸の宮島に到着する。厳島神社を含む島全体が世界遺産である。競艇場は本州に属するので、指定外だ。

厳島神社という大鳥居が有名で、フェリーの上から撮影する人が多いが、揺れるのでうまくいかない。下船後、もっと近付いてから撮影するのが賢明だ。

そして、着桟後、上陸すると、早くも鹿が歩いている。本来が神社の鹿だが、島中、勝手に歩いているだけではなく、泳いで本州側に脱走を図る鹿もいるそうだ。

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実は数十年前に広島在住の親戚に連れて行ってもらった記憶がある。1年前のことすらよく覚えていないこの頃だが、赤い海辺の回廊を歩いた記憶があり、実在の神社と記憶上の神社はどれくらい違うのだろうかと思っていたのだが、概ね大きな違いはなかった。記憶の中では海に向かって左から右に歩くことになっていたのだが、実際は右から左へと歩くことになる。

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海中の大鳥居だが、干潮になると、歩いて行ける。広島のあたりは干満の差が大きいことで知られ、結構、海運関係者泣かせなのだが、そういうわけでたまたま、引き潮の時間にあたったが、靴下が濡れるのは嫌なので、遠目に見るだけにする。

宝物館には、平家一門がそれぞれの個人的気持ちを書き記した古文書が残っていて、読んでいると、「国家安寧」を願う祈りのような言葉が並ぶ。日本では古来より平和な国家を求める人たちが多く、それでも結果は全く逆で、戦乱が続いたわけだ。

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また、平家や源氏を掌の上でもてあそんだ後白河法皇が境内にお手植えした松の古木が倒壊した後の幹の一部が残されていて、感慨深い。
  
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2016年11月13日

クリスチャン・ボルタンスキー展(庭園美術館)

東京都庭園美術館にクリスチャン・ボルタンスキー展を鑑賞に行く。さらに美術館自体が芸術作品である。1933年に竣工した、隅から隅までアールデコの館である。このアールデコと調和できる作品・アーティストでないと、まったく様にならないから、何でも展示すればいいということではない。そういう意味では、アールデコと調和するというのは、こういう現代美術なのだろう。

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展示会場の一部に異次元の空間をつくり、鑑賞者はその展示室で作品の中をさまようことできる。よくあるタイプと違うのは、歩きにくいところかな。

ところで、この美術館は旧朝香宮邸ということで1933年から1947年までは皇族だった朝香宮鳩彦王一家が居住していた。1947年に皇籍離脱ということで明け渡した。もともと欧州留学中に交通事故でフランスで長期療養することになり夫妻ともども3年間をパリで過ごし、アールデコに傾倒することになったようだ。

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竣工当初は大正天皇がよく訪れ、気に入らない樹木を切らせたりした。天皇には誰も文句を付けられなかったが、しばらくして物言う親戚は来られなくなったようだ。

これから女性皇族とか始まると、後続の住居問題が起きてしまうのだろうが、ここも返してほしいとかなるのだろうか。
  

2016年11月12日

天童からのお土産羊羹

羊羹をいただく。

「王将ようかん」と命名されている。『玉』ではなく『王』の方だ。天童のお土産ということ。実は、個人的には以前、悲しいことがあって天童には行かないことにしていたのだが、ようかんを食べてから考え直そうかと思って、さっそく開封。

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事前の予測では、金太郎飴のように王の文字が中を貫き、どこを切っても王将という造りではないかと想像したのだが、みごとにはずれる。

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味は栗ようかんにクルミ入りなので、良好だ。水っぽい感じもない。駒のように薄切りにしようかと思ったが、たくわんみたいになるので、厚切りでパクパクといただく。

王将ようかんの2倍の値段にして金箔入りの玉将ようかんを出したらいいかもしれない。

ちなみに天童の近くには有名な「山寺(立石寺)」があり、そこに芭蕉が訪れて、「閑さや 巖にしみ入る蝉の声」と詠んだ。「閑」「巖」「蝉」の字が読めない人は、漢検二級を受けるべし。


さて、10月29日出題作の解答。

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わざと最悪の手を指して逃がしているようで、最後には麻薬取調官がいて逮捕する。

動く将棋盤は、こちら


今週の問題。

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先週に続き、実戦風の問題。実際、こうやって詰めたことは一度もない。最近将棋が弱くなったので、これからはスマホでカンニング指しを始めて、詰めは逃さないつもりだ。

わかったと思われた方はコメント欄に、最終手と総手数とご意見をいただければ、正誤判定。
  
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2016年11月11日

予防接種で「お大事に」とは

インフルエンザの予防接種を近隣の医院で受けたのだが、注射が終わって診察室を出るときに、「お大事に」と言われ、代金を支払って医院から外に出るときにも「お大事に」と言われた。

医院に来るほとんどの人は、患者である。体調が回復した人は、自分で「治った!」と判断する。医者に来てお礼を述べたりしないのだから、結局、医院に来る人は、ほとんどが患者であると言える。精神科でも同じで、精神的問題を抱えているから精神科に行くのであって、正常か病態かわからないので判定してほしいというような人が来るわけないのだが、ゆっくり診断する時間もないほど患者が多いので、「まあ、正常でしょうね」と言ったりして問題を残すことになる。

話を戻して、予防接種を受けに来る人は、唯一、健常者と言っていい。病気だったら予防接種してはいけない。それなのに、病気の状態と同じように「お大事に」と言われると、大いに戸惑う。

よく考えると、予防接種を受ける人って、病弱な人が多いのだろうか。病気ばかりしているから予防接種を受けるのだから、いつでも「お大事に」と言っておけばいいということなのだろうか。あるいは、単に「職業的口ぐせ」で、看護師や医師の口から考える前に言葉が出て行ってしまうのだろうか。


ところで、同じような言葉で「ご安全に!」ということばがある。製造業では普通にあいさつ代わりに使われていて、こんにちは、とかお疲れさまでした、という場面に登場する。私は商業系の企業を出発点としていたので、あいさつは夕方でも「おはようございます」と芸能界みたいなパターンだったので、最初に「ご安全に!」を聞いた時、かなりの違和感があった。

ストレートに解釈すれば、「いつも事故ばかり起こしているのだから、事故を起こさないように」と言われているように感じたのだ。予想接種のお大事に、と同じ感じだ。

とはいえ、いつも安全に!なんて言うのは、しょっちゅう工場がトラブルで止まっている会社とか、次々に社員を病院送りにする大手広告代理店会社が対象であって、基本的にはほとんど事故を起こさない会社にとっては、言われれば不快なことばではないだろうか。

類似の話としては、新年の安全祈願で神社に行って「今年も安全操業できますように」なんて虫のいい祈りを捧げる行為なんて、受ける神様の方だって門前払いにしたいところだろう。あえて言うなら、「去年は一年間、事故を起こさないようにこれこれしかじかの努力をしましたので、神前に報告します。あとは神様のご随意に」というのが妥当な態度なのだろう。

とはいえ、日本では古来より戦争が始まる前には武将たちは神社に必勝を祈願し、結果として勝った場合は、味方のみならず敵の側の死亡者の霊を慰めるために、今度は寺院によってお経を上げる。後で慰霊するぐらいなら、最初から戦わなければいいのだが、まあ、しかたない。順番を変え、先に寺院に行って、これから起こる戦いの結果、敵味方双方で失われる人数について、先にお弔いをするというわけにはいかないだろう。
  
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2016年11月10日

おとむらい写真

父親の遺品を整理していたところ、グレーのカバーの装丁をされた記念写真がでてきた。不吉な感じがして開いてみると、お葬式の記念写真だ。すでに亡き母方の親戚の葬儀で、「おおた家」を代表して父親が広島の葬礼会場に出向いた折のものだろう。親族19人が列席している。19人の中で、父親が後列中央で写っているが、「写真の真ん中の人から先に亡くなる」という格言通りになり、遺品の整理をこどもが行うことになった。先日、ある学校の同窓会で記念撮影があり、うっかり真ん中に並んでしまい、やっとのことで、隣に立った女性を身代わりにすることができた。

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ところで、自分では、葬儀での記念撮影などしたことがなかったし、父親の時も葬儀屋からの確認もなかった。広島だけの風土なのだろうか。

それに、しまっておくにしろ、同種の写真がないため、しかもかさばるということもあり困ってしまう。といって、近くない親戚の葬儀写真だけとっておくのも変だが、焼却するにはお寺さんに頼むということになるのだが、そこまでと、思ってしまう。同じ形の写真、すなわち親戚の結婚記念写真はたくさんあるのだが、結局、それらと一緒にしてしまったのだ。弔事と慶事の一緒盛りでは縁起はよくないが、結婚記念写真をあらためると、その多くが途中下車しているようで、慶弔こだわることもないかなと妥協する。
  
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2016年11月09日

苗字の歴史(豊田武著)

苗字は、名字とも書かれるが、氏名という場合は「名」は名字ではなく名前の方になる。姓名という場合は「姓」で名字の「名」は名前だ、この疑問だらけ状態は、たぶんほとんどの人が感じていながら、「まあ、そういうことになっているから」と、なんとなく割り切っているだろうが、突き詰めればおかしな話だ。苗か名か姓か氏か。場合によっては「家」名を汚すというような使い方もある。先日横領発覚により捕まったMS銀行の某副支店長は、四文字のかなり構造の珍しい苗字であり、家名を守るため、自分だけ苗字を変えていた。(役所にいって理由を記載するときには、「逮捕予測」とは別の理由を書いたのだろうが)

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また、勘違いしている人も沢山いるかもしれないが、「一般の国民が苗字を付けてよくなったのは、明治政府のおかげだ」と思っている人は、何重にも間違っている。

そもそも今は世界のどこにもないほど桁違いに種類の多い苗字は、ルーツが何種類もあって、それぞれのルーツごとに専門研究者が必要なほど複雑なようだ。考えてみれば、日本列島に最初に来た人間は、一握りの数だったのに・・

ということで、本書の著者の豊田武さんも、そのルーツ探求家ではないので、日本の苗字のルーツの全貌をさらっと書くというスタイルである。

古い方から書くのがいいのだろうが、手っ取り早く明治政府の政策から。一つは帯刀禁止、もう一つは苗字の解禁。帯刀禁止は内乱防止と武士階級の壊滅のためで簡単な話だが、苗字には二つの意味があった。一つは武士階級の廃止で武士の特権(氏を名乗っていい)を撤廃するためで、もう一つは戸籍を作るためだった。なんのための戸籍かというと、帝国軍をつくるために徴兵制を導入するためだった。苗字も、明治5年には、「苗字を名乗っていい」だったのが明治8年には「名乗らなければならない」というようになる。

そして、もともと人口の8割は苗字のない農民だったはずなのに、大半の農民は苗字を持っていた(厳しく禁止していた藩もあり、そういう地域は明治になり名前探しに苦労し、珍名を付けることが多かったようだ)。それは、屋号であったり、氏を認められた庄屋と同じだったり、あるいは名乗ることを禁止される前の苗字であったりする。

苗字公称の禁止は、実は江戸時代の最初からではなく、江戸時代が始まってから100年後位に全国に拡がったようだ。だから基本的には各戸は、それぞれ親から子へと代々引き継いでいったのだろう。

そして、ずっとずっと前にさかのぼると、奈良時代の頃には、全国の土地は有力者に分割されていて、その領民は、○○氏の土地の○○さんということになっていて、奴隷制とは言えなくても土地の所有者に属する集団ということで、そのグループの名前がついていた。公家とか貴族とかだ。さらに帰化人も日中の中間的な苗字を選ぶ。

そのうち、武士の時代になり、所有地の支配者は武士になるのだが、源とか平というのが先にあるのだが、さらに一門の中に別の苗字が現れる。源頼朝は「みなもとのよりとも」、平清盛は「たいらのきよもり」というように、「の」が入るのは、苗字というより一門の名前だった。彼らの子孫は、それぞれ千葉とか足利とか領地の地名を選んだので。「の」はつけなくなった。

この段階で、また領民も貴族の名前を捨て、本格的な苗字を選んだり、屋号とか住んでいる川とか山とかにちなんだ苗字を選ぶ。

さらに平安末期から鎌倉初期には、東国武士が大移動をすることになり、あちこちに苗字を持っていき、かなり混じりあっていく。当時の武士、大名は一夫多妻制でなんとか自分と同じ苗字のこどもを沢山作ろうとしたので、家を継げない子供は、在野に拡がり、苗字が拡散することになる。

さらに江戸時代には偽系図が流行し、それらは子孫には本物として伝えられるだろうから、さらに複雑化した。

ということで、苗字には色々な種類があって、研究するのはきわめて根気がいる反面、一利なしと思われることもあり(差別の遠因でもある)、ややあいまいなまま現状に至るということのようだ。


紙頁は少ないが、夫婦別姓についても書かれていて、現代の感覚と異なる話は、平安時代までは、公家においては家というのは男系ではなく女系であり、女性の家に男が入婿することになっていたので、女性の家の姓が引き継がれる。一般的な現代の姓とは逆だ。

そして、日本では長い間、女性は結婚後、夫の姓を名乗らず、実家の姓を名乗ることが一般的だった。現代の中国はそうだ。それが変わったのは明治9年なのだが、これは明治政府が家長制に突き進んでいくためだった、ということではなかった。明治のかなり早い時期は帝国主義というよりも脱封建制という思想があり、「結婚しても旧家の所有物のように姓を変えられないのはおかしい」という論理だったそうだ。

そして、戦後は、夫妻のどちらの姓を名乗っても構わないが、同一にするように、という形になっているわけで、夫婦別姓もいかにも民主的なようで、一面、娘を実家の支配下にとどめるという封建的な側面もあるという観点にも考慮が必要なのだろう。
  
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2016年11月08日

体操会場は?

先週、将棋の団体戦があり、JR千駄ヶ谷駅の前にある東京体育館(東京都所有)に行った。少し早めに到着して時間があったので、ひと歩きして体育館の裏手に回ると広大な工事現場が広がっていた。あまりに広大で、スマホカメラでは半分しか写らない(後で思うとパノラマ撮影機能があることを失念していた)。

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これが、新国立競技場なのだが、明らかに競技場よりも遥かに広い面積を整地中だ。1周2キロのトラックかな?

そして、対局場になった東京体育館だが、屋根のカーブが斬新だ。少し前に改造したそうだ。1964年の旧東京五輪では体操競技を開催したそうで、観客席は常設6000席で、仮設4000席で合計10,000席。横浜アリーナはほとんどスポーツ会場には使われず、イベント会場と化しているのだが、こちらはほとんどイベント会場には使われずスポーツ中心のようだ。

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では、新東京五輪の体操競技はどこで開くのかというと、少し驚く。

有明体操競技場という場所だそうだ。座席は12000。ただし、この新体育館は仮設ということだそうで取り壊されることになる。

では、なぜ東京体育館を使わないかというと、よくわからない。あえていうとトイレの数かもしれないが、そのあたりは館外に仮設すればいいような気がする。体育館そのものを仮設するよりは、よほど安いだろう。また、JR千駄ヶ谷駅もプアでみどりの窓口もないが、今でも1万人の運用をしているのだから何とかなるだろう。

あるいは、バレーボールも一緒にして新体育館を新設して、千駄ヶ谷の土地建物は売却だろうか。いずれにしても五輪後の都財政の再建のために遊休地はどんどん売却されるだろう。また、選手村から遠いといっても、隣が新国立競技場なので理由にならないだろうし。
  
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2016年11月07日

公園で実戦訓練、失敗の原因は

町内会恒例の秋のゴミ拾いで1時間徘徊したあと、公園に集合してのアトラクションとして、新型の消火器具の実演が行われた。

室内用の小型消火器は15秒程度の噴射で終わり、それを過ぎると消防団が何名かで消火栓に消化ホースを接続して延焼防止をはかり、その後に消防車の到来を待つしかないが、その間に燃え広がらないように各戸の庭の水道の蛇口からホースで取水し、特殊なノズルを使って消火活動をしようというコンセプトだ。典型的なスキマ商品というかスキマ時間商品ということ。

商品名は、「街かど消化ハリアー」。

ハリアーといえば、トヨタ車とか垂直離発着可能の軍用機の名前になっている。なんとなく小型の消防車とか空からの消火活動のような大げさなネーミングだ。

そして、都内から製造元の方が横浜の奥の方の小さな公園まで実演にこられていた。

ノズルと、丈夫なホースのセットを大型のランドセルのようなバッグの中から取り出し、公園の水道の蛇口に手際よく接続。蛇口を全開し、ノズルの手元のストッパーを開くと、高さ10メートルほどの水幕ができるはずだったのだが、・・・

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どうも、力が足りない。JR浜松町駅ホームにある○○小僧の描く放物線よりずっと弱弱しい。老人物だ。高さ10メートルどころじゃなく、単に庭の芝生の水撒きといったところだ。

詳しい人の説では、市の公園なので、水があまり出ないように絞っているということだそうだ。

なんだか今一感を感じるうえ、放物線ではという気もするが、市が絞っているのが公園の水道だけで、消火栓の水圧の方はMAXに設定されていることを祈るしかない。
  

2016年11月06日

市川市東山魁夷記念館は雰囲気で楽しむのかな

下総中山という市川市の駅から、小型バスに乗って5分ほどで、市川市東山魁夷記念館に着く。東京近郊の街でこれだけの広さの敷地とさらに大型駐車場まである。生涯の大部分を過ごした自宅が美術館(記念館)になったそうだ。

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絵画を描いていた親戚が、一度、訪問したことがあるという話を聞いたことがあったが、塀が立派で、中の建物に入るのに立派な門から入ったつもりだったら、そこは単なる通用門だったということだったのだが、そういうものではまったくない。建物の竣工が平成17年ということなので、平成11年の没後、すべて作り直したのだろうか。少なくても、塀はどこにもない。

建物は2階建てで、建物自体は、きわめて大きいが展示エリアは大きいとは言えない。開かずの扉が沢山あるのだが、絵画を収納しているのだろうかと頭に浮かぶがよくわからない。

実は、東山魁夷の美術館は、他にも長野県と香川県にある。岡山にいたときに、香川県坂出市にある香川県立東山魁夷せとうち美術館に行ったのだが、きわめて豪華で多くの名作と画家の生涯の歴史も詳しく展示されていたのだが、それに比べると、かなり質的に低いのではないかと感じた。筆に艶がないというか古びた写真のような違和感があった。

他の人の書き込みなど調べると、私だけではなく同じように感じた人は何人かいたようで、「有名な絵は他の美術館にあり、さらに展示は原画ではない」という内容のものがあった。ちょっと信じられないが、逆に考えると、生前または没後、本人やご家族が、積極的に各地の美術館に寄贈されていたそうだ。

ところで、建物の入り口にはプレートに文字が書かれていて、

歩み入るものにやすらぎを
去りゆく人にしあわせを
         魁夷


となっている。この建物を前提とした言葉のように聞こえるが、没後6年で建物ができあがっているのだから、ちょっと変だ。わかりにくいことばかりだ。


  

2016年11月05日

NHKテキスト(将棋講座)

NHK将棋講座の11月号のテキストを読む。実は、その番組を通常では見ないので、従ってテキストを読むことはなかったのだが、例の福田首相×2人と親戚であることが明らかになった三浦九段と、彼の不正確率が1億パーセントと断じた橋本八段の一戦が、放送されることになり、対局を観る。確か以前は、テレビ中継なのに中座する棋士もいたように覚えていたが、現在では持ち時間が10分ということになっていて、事実上座布団の上から動くことができない。足枷をはめられた奴隷状態。NHKに先見の明があったのだろうか。

ということで、図書館で調べ物のついでにテキストを開くと、意外にも面白いことが書かれている。それに対局棋譜と解説があるので、テレビを観なくてもいい。主にテレビに登場する棋士に関してインタビュー他があるし、講座の内容も充実している。2時間番組を月4回観ると8時間必要だが、テキストは約1時間(たぶん丹念に読んでも2時間かな)で済む。

木村一基八段に、稲葉八段から「どうやって将棋の勉強をしたのか」という質問があって、「ひたすら対局。詰将棋は、難しい問題があって解けないと大変なことになる。」と答えていて、詰将棋派としてはガッカリだ。どんどん負けるかカンニング発覚かで、早く引退してもらいたいものだ。

佐藤天彦名人は、「中原永世棋聖の棋譜を並べた」そうだ。速攻で20世名人を狙っている感じだ。

あえて言うと詰将棋に力を入れていない感じだが、そもそも将棋とは違う競技(競泳と飛び込みというようなもの)なので、2時間とは言わないものの、毎週別枠で番組作ってほしいものだ。


さて、10月22日出題作の解答。

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1105kk


まあ、かなりの軽作。

動く将棋盤は、こちら


今週の出題は、いかにも実戦的な矢倉崩し。

1105m


なぜ、持ち駒に、歩が二枚ではなく香が二枚なのかというのは、作者の大苦心なのだが、考えてもらえるとうれしい。

わかったと思われた方はコメント欄に、最終手と総手数とご意見をいただければ、正誤判定。  
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2016年11月04日

秋深しこれが最後の安納芋ソフト

ミニストップはイオンの子会社だというのに、イオン王国岡山県にいたときには、県内に一軒もなく、すなわちイオン銀行のCDも数が少なく迷惑していた。というか、コンビニ事業に興味を示さないというのももったいない話だなあと株主の一人として思っていた。

何しろ、コンビニ王手の中でお弁当類の味は1位セヴン、2位ファミマ、3位ミニストップ、4位、5位該当者なしで、6位ローソン、7位サークルKという感じだ。7位は味より量だったから比較しにくいが。これで、ファミマとサークルKが合併したらどういうことになるのか恐ろしいのだが、今度は、ローソンとミニストップの合併話が進展しているとの噂がある。もともとミニストップはロッピーを入れているので近い関係とはいえるが、ミニストップの売りはイートインコーナーと、季節のデザート。

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そして、去年も一回食べたのだが、「安納芋ソフト」の季節がやってきた。となると、今年で最後のデザートとなるかもしれないのだ。ローソンじゃ、絶対続けないだろう。何しろ店員がレジの操作に追われ、次々に本部が立てる企画を覚えるのがやっとという状況なので、バックヤードで手の込んだデザート作ったりできないはずだ。

ということで、ソフトの中に安納芋(焼き芋)が練り込まれているだけじゃないのだ。もっと接近してみると、ソフトとコーンの触れる部分にモンブランのような感じで芋だけがグルグル巻きになっている。

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ソフトと焼き芋を足して2で割ったような想像しやすい味だ。そして、視覚的に嬉しい気持ちになる(嬉しいことは何もないのだが)。記憶の中に残そうとできるだけゆっくりと食べてみる。冬なので、溶けないから10分は大丈夫だ。そして、ついにお別れの時が来た。
  
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2016年11月03日

シベリア鉄道9400キロ(宮脇俊三著)

シベリア鉄道について少しだけ興味がでてきた。一つは、先日、ユダヤ系の人たちが、杉原千畝氏の発行した日本通過ビザをもってリトアニアからモスクア、ウラジオストックを経由し敦賀、神戸、横浜経由で米国または上海に脱出した実話を読んだこと、そしてもう一つは、12月の日露首脳会談の日本のおみやげの一つがシベリア横断鉄道の日本延伸ということ。それで、ずいぶん前に読んだまま書棚の奥に隠れていた本書を探し出して読み直す。

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本書は文庫版で1985年の刊行だが、「野生時代」で1982年の9月から連載が始まるのだが、ブレジネフが亡くなったのが1982年11月なので、生前にシベリア鉄道に乗ったのだろう。冷戦の陰もあちこちに散りばめられている。ゴルバチョフが登場したのは1985年の秋だ。

ということで、純粋シベリア横断鉄道の終点のウラジオストックは軍事都市なので入れず、支線であるナホトカからの出発になり、横浜からナホトカまでの客船が旅の起点になる。

それから7日間の汽車旅になるのだが、時速100キロ以下で大型車両が走る。線路の幅は新幹線より広く、まったく別サイズ。最初の関門はアムール川を渡ること。

ここの記述が、現代では理解しにくいのだが、鉄橋には1本しかレールがなく、単線なので特急「ロシア号」が通貨したあと、他の列車がまとめて渡っていくというようになっている。道路工事の時の片側交互通行みたいな書き方になっているのだが、別途調べると、アムール川の川底には、当時でもトンネルがあり、モスクワ行きはトンネル、ウラジオ行きは鉄橋らしい。書かれているのはモスクワ行きで鉄橋を渡っているのだがよくわからない。著者が、川底トンネルのことを知らなかったことは間違いない。川の底にトンネルなんて、日本では考えられないから。

そして途中には二つの重要支線があり、まず東清鉄道。ロシアが清国を脅かして満州権益を得たときに敷設。満州を経て北京に向かう。次にモンゴル鉄道。ウランバートルを経由して北京に向かう。

そして、バイカル湖。南北に長い湖なので、南を通るのか北を通るのかが問題だ。シベリア横断鉄道は南岸を通るのだが、北岸を通るのが第二シベリア鉄道(BAM鉄道・バイカルアムール鉄道)1985年に開通。

で、問題は日露首脳会談の話だが稚内から樺太までの45キロを橋またはトンネルで結び、サハリンの南から北までの鉄道を整備し、サハリンの北端近くから大陸までの間宮海峡は7キロしかないのでトンネルでつなげるということらしいが、その先はBAM鉄道の終点よりもさらに北なのだ。で、その鉄道をつなげるのがBAMの方なのかシベリア鉄道なのかは大問題。

なにしろ、BAM鉄道はバイカル湖よりも西側、つまりシベリア鉄道の半分くらいのところから分岐するので、人のいる方は南側なのだが、そうなると間宮海峡からウラジオストックまでさらに敷くことになるが、まず札幌と間宮海峡の距離は東京と札幌よりも長いわけだ。そこまでウラジオまで戻るというのは青森までまた戻るような距離のわけだ。これだけで札幌から鹿児島までの距離になる。そして、南北に移動しただけで、まだシベリア大陸の内側には1メートルも進んでないことになる。さらにモスクワは9400キロ先だ。

で、もし仮にシベリア鉄道に乗りたいとか思うかもしれないので最新事情を調べてみると、それほどはっきりはわからないのだが、ブレジネフの時代とあまり変わらないようなものらしいのだが。
  
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2016年11月02日

猟奇的な彼女(2001年 映画)

韓国で現在進行形の政治コメディが「大統領を操る女、チェ・スンシル」事件。有名女子大に娘を裏口入学については、日本的にいえば巧妙に仕組まれたセーフ案件だと思うが、財団をトンネルにして私財蓄財も、うまくやっているのだろうし、大統領の政治的指南役というのも、大統領が本気で相談できる人間が他にいない、ということだろうし、まあ、相談したい気持ちもわからなくもない。

なんとなく、最近、韓国で登場する怖い女性たちのことを考えると、それでは「猟奇的な彼女(2001年)を観なければ」と思い立つ。

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もともと、実話なのか虚話なのかよくわからない(電車男風)ネット小説を映画化し、韓国国内でメガヒットした恋愛作品で、感想としては、韓国であるということを超越して普遍的な若者の心理を追求したすばらしい映画だと思う(シナリオにヒネリが少ないが)。最後の締めの部分は、小説にはない部分で、ハッピーエンドに向かうストーリーが人々の好みそうな作りになっている。

猟奇的というコトバは韓国語から日本語に翻訳するときに苦労した結果の苦心作で、近いのは「大阪のおばさん(けったい)」という感じだろうが、それとも違うようだ(大阪のおばさん的な彼女)。日本で猟奇というと、包丁でバラバラという感じだが、そっち方向にはいかない。どっちかというとゲロゲロかも。

主演は、チョン・ジヒョンで、去年「暗殺」という反日映画の主演女優で史上空前の動員数を得ている。助演男優はチャ・テヒョン。二人の重要度比率は9:1か8:2ぐらい。続編の「猟奇的な彼女2」は女優が代わり男優はそのままで、赤字の山となった。

本作の中に登場する文学作品が1953年に発表された黄順元作「夕立」。韓国の教科書にも掲載され、知らぬ人はいないような名作で、「これを読めば、○○でも韓国人のことがわかる」というほどだそうだが、少し調べると日本語訳がないことがわかった。韓国語で書かれた絵本が入手可能だそうで、お手上げなのだが、韓国語での原文を入手したので、翻訳ソフトを使ってみようと思っている。日本語と韓国語はかなり近い翻訳ができるらしい。

パッヘルベルのカノンが何回か流れるのだが、有名すぎるメロディにつき、さまざまな編曲があるそうで、現在調査中。

そして、韓国のコメディについてだが、彼女たちのことを叩くのは簡単だが、日本とは異なる種類の男尊女卑社会の中で、一流になるためには、思い切って猟奇的に戦わなければならないのだろうと思うし、許してあげたい気持ちになる。

一方、世界一怒りっぽい国の座を南北で争うのはいいのだが、巻き添え被害国にはなりたくないな。
  

2016年11月01日

ジパング伝説

田中貴金属からの情報誌に「金で巡る日本の歴史」という記事があり、日本史に残るべき金の話題として、3つあげられている。

新しい方からいうと、1601年の慶長小判。幕府が全国の金山を直轄地にし、金貨を通貨として管理し始める。同時にこの年から佐渡金山の開発が始まる。各藩には独自の通貨があり、この後も使われるのだが、国内の基軸通貨が金本位制になった。

kinka


もちろん慶長小判は通貨としては現在使えない。田中金属が独自に作った金貨とならべてみたが、本物っぽく墨で文字が書かれている方が偽物だ。通貨ではないので通貨偽造にはあたらないが。これを何枚も購入してhひそかに子孫に残そうとすると相続税法に触れる。


次に、1397年に建立された金閣寺だが、無暗に足利将軍が建てたわけじゃない。それに金無垢ではなく金箔だから。1370年代に伊豆の土肥に金山が見つかる。金価格が下がっていったのかもしれない。この頃、各地で鉱山開発が進み、地方豪族が金持ちになり室町幕府の弱体化がはじまっていく。

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土肥は西伊豆にあるが、金山の面影は感じられない。西伊豆は交通手段がきわめて不便で沼津から船に乗ったり、伊豆半島の東側から天城越えするか新幹線+バスの旅。作家が小説を書くために籠るのだが、西伊豆まで逃避すると、長編小説を編集者に期待されてしまう。西側が海なので露天温泉に浸かりながら、海に沈む夕陽を鑑賞できる。(観光案内になってしまう)


そして、主題である平泉の中尊寺金色堂。1124年に奥州藤原氏の初代清衡が建てる。国宝第一号である。金は地元の砂金が原料だった。実は、金閣寺とは異なり、東北地方を平定した藤原清衡が戦乱の中で亡くなった敵味方の霊を慰めるためだった。味方しか祀らないのは靖国神社だが、東北平定といえば、先住民族との戦いでもあったわけで現代的に考えれば評価は難しい。

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そして、一方、中国大陸は、その後、蒙古軍に蹂躙される。元が勃興。戦争を続けていながら元は交易を重視していて、西欧人やイスラム圏の人は往来していた。その中の一人がマルコ・ポーロ(1254~1324)。有名な『東方見聞録』の中で、日本のことを『ジパング』と書き、『黄金の島』とする。

私は、日本との交易の通貨として金が使われていたとか、金そのものが日本から中国へ輸出されていて、そこからの推測記事ではないかと思っていたのだが、最近になり、この金色堂がモデルだったのではないかという説が強いらしい。日本のことを知るイスラム教徒から「日本には金でできた建物が多い」と聞いたのではないかということで、その代表が金色堂だったらしい。中国から2000キロ東の島にマルコ・ポーロが行っていれば(来ていれば)、そんな話が世界中に拡散することはなかったのだろうが、西洋の海洋冒険家たちの脳内に記憶されてしまった。

とはいうものの、コロンブス他、みんなインドを目指していくのだがジパングに行こうという者はいなかった。ポルトガル人が漂着したのは偶然だが、日本の近世が動き出す(黒船と同じだ)。

イスラム教徒や中国のキリスト教徒がジパングのことを誤解していたにも関わらず、占領しようと考えなかったというのも、東方見聞録に原因があるのかもしれない。

ジパング人の特徴として挙げられているのは、

1. 金の家に住む

だけではない。

2. 敵を捕まえて身代金が払われなければ、パーティを開き、殺して食ってしまう。
3. 元が軍を2回送ったが、暴風雨のせいで負けた。
とも書かれている。

負けず嫌いの蒙古人が台風のせいにするぐらい強いうえに、人食い。(何か違う島のことではないかと思うが、おおさかふけいのおまわりさんではないので、深く考えないことにする)
  
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