2017年03月28日

やはり『忖度』の意味が変わってしまった。

弊ブログ2017年3月13日『忖度(そんたく)の意味が・・』で書いた通り、本来、良い内容で使われるはずの「忖度」が、悪い意味のコトバに分類されることになったようだ。もっとも松井代表は「良い忖度と悪い忖度がある」と意味不明のことを言い出したが、これはさらに方向違いだろう。森友祭りの中心に近いところで踊りたいのだろう。

前も書いたが、「忖度」は「相手の心の中を推し量る」ということで、何を考えているか「心理分析をする」という中立的な意味だろう。いや、むしろ「何か相手が言い出しにくい事情を察する」ことと考えればやや肯定的なコトバに近いだろう。

問題は、「相手の考えを推し量ったうえ、気に入ってもらえるように実行してしまうこと」の行為の部分なのだが、おそらくこういう思考(行動)方法には二つのパターンがあると思う。

1. 意を汲んで、積極的に実行することで、良い評判を受けることができるだろう、というプラス思考

2. ぐずぐずしていると、何か抵抗しているように思われて、悪い評価を受けてしまうのではないかというネガティブ思考

実際には、2の考え方の人だけでは、超特急にはならないはずだ。一方、1の考えにしてもお手柄は最初に動いた一人だけのはずだ。最初に動いた人はだれか。いや、もしかしたら最初から強く否定している人ではないかと思わないでもない。


ところで、松下村塾を目指していたとの話だが、昨年、元長州藩にある松下村塾に行った時に感じたのだが、かなり人家の乏しき寂しい場所にあり、建屋も住居仕様ではなく倉庫風。江戸や京都といった都会でもないし外国の情報などもほとんどわからないような場所だからこそ尊王攘夷論が力を得ていったのだろうと感じた。森友学園は長州も薩摩もいっしょくたのようだし、儒教も神道もいっしょくたなので論評しがたいのだが、本来、松下村塾を作るのなら、都会の新築校舎ではなく、あえて人口減少地区で閉校していく小学校の学舎を下取りするとかすればよかったのではないだろうか。

ところで、自分とはかなり考え方の違う人の思考を想像するのは難しいが、「愛国主義」と「軍国主義」は別物、という籠池氏の考え方には、ほんの一分の真実があるようにも感じる。
  
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2017年03月27日

The 有頂天ホテル(2006年 映画)

脚本家三谷幸喜氏の監督としての三作目。ある意味1作目の「ラヂオの時間」とよく似ている。ホテルで起こるある1日のできごとを映画にするのはグランドホテル方式というらしいが、本作はさらに大晦日から新年を迎えるニューイヤーパーティという特別な夜で、時間の進行に押されながら、さまざまなドラマが進行していく。

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なんといっても国会議員武藤田氏が大企業からもらった賄賂が発覚寸前で、このホテルに潜んでいるところをマスコミに発見され、証人喚問の瀬戸際になる。さらに愛人騒動を引き起こす男女が何組もあらわれる。ホテルとはそういう場所なのだろうか。

主役は副支配人で役所広司が演じるが、劇中の役は、役者を目指して挫折してホテルマンに転身したのだが、役所広司は役所の仕事をやめて役者になったという倒立型だ。ドアボーイは香取慎吾が演じて、歌手をあきらめホテルに勤めているのだが、実生活では、ごく最近まで歌手だった。松たか子は室内係なのに、客の金持ち娘(富豪の愛人)の衣装を着てみたところを人違いで手切れ金(こんにゃく)を渡されそうになり、断ると、レンガが登場。

驚いたのは、劇中にそれほど重要ではないもののアヒルの逃走劇があり、アヒルは時々ホテル内に現れ、ガアガア泣くのだが、このガアガア泣く部分を声優が担当している。台本を見たときに、さぞ驚いただろう。

コメディとすれば有限な時間の中に、ずいぶん詰め込んだものだと感心するが、リアリティの面からいうと、あり得ないできごとが多いように感じられ、そこがわずかに興ざめする部分だろう。
  

2017年03月26日

大塚・歳勝土遺跡:弥生時代の遺跡

今、居住している横浜の都筑区は昭和40年代までは辺鄙な場所だったようで、日本のチベットと言われていた。チベットの人たちは今でも自治権を制限され困窮しているので、こういう言い方は慎まなければならないのだろうが、要するに居住には不便な場所だった。

しかし、港北ニュータウン開発が始まって都市化が進む中で、様々な古代遺跡が発掘されることになる。(同様の例は岡山県の山陽団地にも見られ、やはり開発が進む過程で、そこが弥生時代には大都市であったことがわかってきた。古代都市の上に住むということ。)

都筑区の遺跡の特徴は、古代の各年代について少しずつ離れた場所に遺跡があるということで、これが何を意味するのかは、よくわからない。

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今回は、横浜市歴史博物館の裏山にあたる大塚遺跡とそこに住んでいた人の墓地に当たる歳勝土遺跡へ。山の一部は削られ、6車線道路になっているということは、遺跡の一部は、もう存在しないということになるのだが、ここには弥生式建造物が立ち並ぶ。柱の土台から推測すると100人位の集落だったのだろう。

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復元された建物をよく観察すると、かなり本格的だ。かなりの建築技術が使われている(というか復元したのだから現在の技術なのだが)。現代人の素人が作れるかと言えば無理なので、弥生時代にも家を建てるプロがいたということだろう。当時は穀物を栽培していたのだから、火の管理は必要だっただろうから家の中に火のスペースがあったのだろうか。あるいは火鉢のような火種を保管していたか。

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穀物は高床の倉庫に保管されていたようで、柱にはネズミ返しの板が取り付けられていたのだろう。ネコはまだ日本には到着していなかったはずだ。

墓地は立派であるが、この集落の人が、何らかの宗教を持っていたかどうかは不明のようだ。邪馬台国はシャーマニズムが統治の根源にあったようだが、関東ではどうだったのだろう。


ところで、同じ都筑区内には、最古の文明である石器時代の最初の頃の遺跡もあるようで、大体の場所はわかっているのだが、もう少し調べてから出かけようと思っている。
  
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2017年03月25日

ゴキゲン中飛車のコツ(大平武洋著)

ここ数年、棋界を席巻している戦法の一つが、ゴキゲン中飛車とその対策。どうも居飛車が低く構えては、手詰まりになった時の打開策がとぼしく、わざと危険な手を指して逆転しようというような卑怯な対策しか知らないので、勉強してみる。

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筆者は大平武洋氏。順位戦であやうく降級点を取るところだった。

一方で、将棋連盟の中で携帯電話、スマホ等持込禁止のルールを決めるにあたって、委員になっていて、将棋ファンからの意見を求めているようだ。罰則については、持込発覚だけなら犯行未遂ということで違反者は1年間の対局禁止とかになるのだろう。また、実際にカンニングが発覚した場合は、グッバイではないだろうか。

もちろん大平氏の担当外だろうが、プロ棋士はソフトよりも弱いということが明白になった現在の「棋士の目的」というものを考え直して(再定義)から、様々な課題を考え直す必要はあるのだと思う。

また、新四段になっても、1年間は社会勉強させた方がいいのではないだろうか。被災地や病院とか刑務所とかの慰問とか・・

話を中飛車に戻すと、ゴキゲン中飛車の肝である「後手5五歩位取り」を、伸びすぎととらえ、位の奪還を目指すのが▲3七銀戦法であり、争点を変える方法が▲6七金からの居飛車穴熊なのだろうと何となく理解。

最新戦法に対する対応が分からず職団戦を欠場しているが、次々に新型が現れるのでなかなか復帰できそうもない。誰が次々に新戦法を考え出すのかと思っていたら、先日、森下九段がある若い棋士の名前を紹介していた。彼が種まきをして、誰かが鉢に植え替えて温室で育てて、研究会で有名棋士にプレゼントし、公式戦で外来危険植物のように撒き散らされるようだ。


さて、3月11日出題作の解答。

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動く将棋盤は、こちら


今週の問題。

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収束は、披露したことがあるような気もするが、よく覚えていない。記憶力はある方ではないが、友人たちと話していると、病的に劣っているのかもしれないと自分の能力を疑っている。

わかったと思われた方は、コメント欄に最終手と総手数を記していただければ、正誤判定します。
  
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2017年03月24日

赤味噌ソフトクリーム

中京地区に行ってきたので、主にお城を拝見する予定だったのだが、寄り道というか八丁味噌(赤味噌)工場の見学をした折に食べてみた。クリームには若干の味噌が混ぜ込まれていて、さらにトッピングは味噌の粉、そしてスプーンの代わりが小判型の味噌入りのクッキー。

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たぶん、この製品に至るまで多くの試作品があったのだろう。味噌とクリームの配合が滑らかでどちらが勝っているとも言えない。とりあえず、今年食べた食品の1位ということにしておく(なかなか比べるのが難しいものだが)。

この八丁味噌だが、以前聞いた俗説では「名古屋人はケチだから、味の濃い味噌汁を飲んで、おかずを一品減らすのだ」というのがあったが、それはまったくの間違いだろう。何しろ完成するまで3年かかるわけで、単価も高い。製造業者は原料の仕入れから製品の販売までの3年間の資金を持っていなければ破産してしまう。(もっとも2社しか正統なる八丁味噌を作るものはいない)

城から八丁(約900m)離れた場所で作られるから八丁味噌という、のは知っていたが名古屋城からの距離かと思っていたら、岡崎城からの距離だった。岡崎城と言えば徳川家康の生誕の地であり、赤味噌が彼の健康の源とよく言われるが、これは怪しい。まず、岡崎城にはそれほど長くいたわけじゃない。人質で今川家に預けられていたり、浜松城を本拠にしていたり、もちろん江戸城にもいたし、最後は駿府城で隠居生活という影の実力者だった。

それに、健康の秘密は、自分自身が漢方薬の調合を行っていたことにあるのだろう。もっとも自分で飲むだけじゃなく、新たな配合比率で試作した薬を部下に無理やり飲ませて、腹がいたくなるのを楽しんでいたようだ。が、気に入らない部下を暗殺したことはないようだ。
  
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2017年03月23日

角久の八丁味噌工場、天保の樽あり

八丁味噌といえば岡崎城から八丁(900m)のところで作られるということで知られるが、わざわざ八丁離したということではなく、商店街が八丁続き、その先に味噌屋があったということ。八丁味噌を作るのは2社しかない。「角久」と「まるや」。どちらも屋号が図案化されている(たぶん図柄が屋号になったのだろうか)。

そして、この二社は並んでいるように見えるが、少し離れていて、そこが東海道だった。岡崎は城下町であると同時に宿場町だった。

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工場見学は両社とも行っている。同じ時間帯であるが、できれば両方行きたかったのだが時間が許さず、角久だけになった。平成18年にNHKの朝ドラで宮崎あおいが出演した『純情きらり』のロケ現場でもある。

まず、素材が豆と豆麹と塩ということで、余計なものは使わない。蒸した豆と豆麹を混ぜ、足で踏みつぶし発酵させたものを丸めて玉にする。それを沢山樽に入れた後、石を乗せて3年間熟成。

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巨大な樽は、味噌3トン、石2トンの計5トンにもなるのだが、樽の手入れを入念に行っていた結果、天保時代からの杉板の樽をまだ使っているそうだ。

倉庫内は醸造の過程で発生する熱気が漂い、まだ外は寒いのに初夏のようだ。盛夏には温度と匂いが充満するそうだが。本物の工場見学ファンはその季節の方がいいだろう。Tシャツを通して肌の奥まで八丁味噌の香りが浸み込むはずだ。

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売店には、多くの製品が並んでいて、いくつかを購入。味噌と関連商品。高級味噌は北海道産の大豆と沖縄の海塩を用いるそうだが、最近は復刻版の三河産の大豆によるものが発売されたようだ。当時は知多の塩だったらしいが、それは無理というものらしい。

帰宅後、ビデオレンタル店で「純情きらり」を探したが、1本あたり180分で全13本。総時間39時間ということで、へこたれる。
  
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2017年03月22日

岡崎城は、あまり家康に好意がないのかな

家康にとって岡崎城は生家であるのだが、実は今川家への人質プレゼントにされてしまい、実際、今川義元にしてみれば、織田信長を一潰しにして、次に三河一帯を占領すれば徳川なんか不要ゴミのはずで、腹でも切らせてしまおうと思っていたはずだ。信長が今川家を叩いた結果、混乱に乗じて家に帰れた。

そして、また織田信長が天下統一を図ろうという話になり、選択肢なしで同盟を結び、浜松城で、東の要として武田勢と戦うのだが、大敗するも生き残りしぶとく次のラウンドに進む。

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そういったかなり必然の中で、岡崎城に戻ることはなかったから、あまり地元は家康公に肩入れしないのだろうか。確かに江戸時代以来、「家康公の生誕の地」という特別扱いを受けて、城下町であり宿場町という扱いを受け、賑わっていたのだが、それだけのことなのかもしれない。5万石にしては、城内は広く立派で、元の天守閣は明治6年に解体されたが、運よく写真が残っていて、ほぼ江戸時代初期の外観の通り復元(鉄筋コンクリート)されている。

余談になるが、竹千代(家康)を人質にした今川家だが、桶狭間の戦いで義元がまさかの討死となったあと、家を継いだ氏真だが、能力も人望もなく家は衰え、ついに信玄と家康の両者より駿河から追放されるのだが、奥様の実家の北条家に厄介となる。その後、恥さらしにも人質にしていた家康の家臣となり、その結果、江戸時代は高家旗本となる。天皇家の饗宴係。吉良上野介や織田家の子孫などとも同列の身分である。

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さて、城内には家康公の銅像も立つ。元首相佐藤栄作氏に似ている。駿府城にも銅像はあるが、顔つきは似ていない。が、いずれも寝業師の顔と言える。

ところで、名鉄の岡崎公園駅から歩いたのだが、見事に道に迷ってしまった。ほぼ、城への案内看板はない。城の防備のためなのだろう。
  
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2017年03月21日

マザー牧場で、お散歩

暖かくなってきたので、犬のお散歩に千葉県にあるマザー牧場に行った。千葉県出身なのだが、たぶん学校の遠足に行って以来かな。こどもの頃はバスに乗ると乗り物酔いをしていたので、遠足自体、いい思い出がないというか、思い出すら薄い。

館山自動車道という安心できない自動車専用道路を下りるとやはり山道。運転しないと車酔いしやすいという症状は、完全自動走行車が完成した場合、解消されるのだろうか。車酔いしないため、やはり運転するということになったら、壮大な無駄研究ということだ。もっとも、自宅から好きなところまで自分で運転しないで行けるということは、タクシーに乗るのと同じことだから、それこそ超大な無駄研究ともいえる。

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そして、こどもの遠足の時の薄い記憶はまったく不正確で、ドッグランエリアまでかなり歩くことになる。ゆっくり歩けばいいかな、と思っていたら急に空がかき曇り、黒っぽい雲が遠くに現れる。超低いといっても山岳地帯には違いなく、雨の降る前に目的を果たさなければと足を速める。

もう十歳を超え、老犬の仲間なのだが、人間界でも老人の年齢が引きあがるようで、犬だって、成犬と老犬の間に中犬とか初老とかできるかもしれないが、時々新しいパターンで脳を活性化させるべきは、人間と同じだろう。

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といっても、急に広いところに行っても何をしたらいいのかよくわからないということは人間と同じかもしれない。地方から東京にきて最初の年には会社と駅と最寄りのコンビニしかいかないとか。

そして、馬や豚や羊など見ながら、一っ走りして、売店でミルク饅頭を食べているうちにポツポツと降り始め、大急ぎで駐車場に戻り、大雨の中を逃げるように走り去る。いくら走っても日本から逃れることはできない。海ほたるで定番のあさり饅頭を食べるが、前に食べたときより、あさりが少ないような気がしたが気のせいだろう。
  
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2017年03月20日

「食の安全」より「職の安全」が心配。特に「過去の」

豊洲市場の地下水モニタリングの10回目の調査が行われ、異常値とされた9回目とほぼ同値となり、9回目が異常値ではなく正常値となった。ということは第1回から第8回が異常値ということになる。というのも、揮発性の高いベンゼンの濃度を検査するのに、採水から1日以上おいて検査をしていたということで、この検査方法自体、何らかの作為を感じてしまう。

問題は、ベンゼンとシアンということなのだが、食の安全という観点で言えば、ベンゼンは、問題ないと思われるわけだ。水1Lあたり0.1mgというのは100万分の1である。それに、ベンゼンが問題となるのは、ガスを継続的、あるいは短期でも大量に吸い込んだ場合の発ガン性(白血病)があるからで、現在のガソリンでも1%(100分の1)以下の基準だし、20年前は5%が基準だった(有害性が言われていなかった)。スタンド従業員やスタンドの隣地の住民に影響があったという事例はない。

しかし、シアン化合物の濃度もベンゼンと同濃度というのは、多すぎると言わざるを得ない。化学兵器にもなる猛毒だ。


一方、「食の安全」とは別の「職の安全」の問題だが、このような数値が出てくるということには何らかの理由があるのだろうということで、昨年10月28日の「専門家会議」に提出された資料に、ベンゼンとシアンの由来が記されているので、読んでみる。

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昭和31年から昭和51年の20年間、石炭からガスを生成していたとしている。石炭を乾留(蒸し焼き)すると、コークス以外に水素、メタン、一酸化炭素が発生(この三種混合が都市ガスだった)し、主に硫黄を脱硫して、気体としてガスをタンクに貯めこむというのが主たる工程で、付随して各精製過程でベンゼンとシアンが発生する。それらはタールや排水として取り出し、ベンゼンは大部分が副産品となり、シアンは汚泥として外部へ搬出されている。

ベンゼンは基本的には気体であり、シアンは基本的には水溶性なので、ベンゼンが空中放出される問題がありそうだが、飛んで行ったベンゼンは地下水とは無関係であるため、土壌は汚染されない。

しかし、土壌が汚染されていたということを考えると、外には明かされていないだろう(そしてその必要もなかったのだろう)が、おそらく工場内で、ベンゼンについてはタンクの底板が腐食等の理由で欠損し、大量に漏洩したことがあるというようにも窺えるわけだ。

そしてシアンについては排水処理によって処分が行われているため、例えば大雨とか場内の配管トラブルなどで、大量漏水した可能性があるのではないかとも窺えるわけだ。そういうことは記録に残りにくい性質もあって、30年以上も経過したあとでは当事者である東京ガスでもわからないのではないだろうか。

さらに、もしそういうことであれば、盛土という対策が有効なのかという疑問がある。液体が地面に漏れた場合、とりあえず、どんどん地下に浸み込んでいくわけだ。その後、ベンゼンの場合は気体になるのだから土の隙間から地表に少しずつ蒸発する。盛土をしても、蒸発するのが遅くなるだけだ。一方、シアン化合物の場合、水溶性があるため、太陽熱によって温まり水と混ざった形で地表に向かって上昇していく。ところが水と溶けあっているだけなので最終的に水分だけが空中に飛んで、シアンだけが地表近くに残留する。砂漠の土が塩辛いのと同じ現象だ。

いずれにしても盛土は何の役にも立たない、あるいは時間稼ぎに過ぎないということが言えるのではないだろうか(政治的には2、3年問題がなければ大衆は忘れてしまうということだろうか)。

一方、築地も汚染されているとされ、実のところよくわからない。米軍のクリーニング工場だったのは、相当以前だし、使っていた溶剤も本当はよくわからない。軍の調達物資というのは、闇市的怪しさがある。いわゆるソルベント系ならほぼ無害だが、そうではないらしい。

また、某知事が言っているように「コンクリートやアスファルトで覆われているから安心」というのは大間違いで、「コンクリートなら安心だがアスファルトなら安心できない」というべきだ。アスファルトは砂利と混ぜ合わされて使うのだが、通気性、浸透性から言えばスキマだらけだ。

ここまで色々と書いてみたが、これらはもっぱら食の安全というよりも、従業者の安全という意味で問題があるわけで、最も問題は、昭和31年から昭和51年の間に豊洲の工場で働いていた方々のその後の健康ではないだろうか。特に、ベンゼンを吸い続けてきた結果、白血病に至った方がいないかの統計的データを確認しなければならないのではないかと思うのだが、おそらく企業も調べていると思うし、あまりここに批判的に書き過ぎて、ガスの供給を止められると困るので、この辺までにする。
  
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2017年03月19日

赤穂城を訪れる

先日、「忠臣蔵」の研究書を読んで、少し考えることがあった。よく言われているように、第一の事件として浅野内匠頭による「殿、城内でござる」という刃傷事件があって、将軍綱吉が烈火のごとく怒り(天皇の使者を接待する役目を無視して凶行に及んだ)、切腹&お家取り潰し=赤穂城明け渡しと藩士全員の失業を決定。

その後、第二の事件として敵討につながっていく。

失業した藩士から見れば、いかにバカ殿でも敵討でもしなければ人生の意味が見つからないということもあったのだろう。一方で、敵討に喝采を送ったのは江戸市内の町人で、喝采の意味の中には綱吉政治への批判が含まれている。一般に綱吉は犬殿とかチビ殿とか言われ、不人気将軍だったのだが、人道主義的な善政の部分もあるわけで、さらにややこしい。関ケ原から100年経って、武士の世から町人の世に変わる中で綱吉は城内の闇討ちや敵討など大嫌いだったのだろう。

そこで、私が気になっていたのは、そもそも忠臣蔵騒動について地元の赤穂ではどう取られているのだろうという点。


ということで、やや行くには不便な場所なのだが、播州赤穂へ行った。

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播州赤穂駅からまっすぐ南に1キロ歩くと水堀と櫓が見えてくる。戦国時代末期には、城の先がすぐ海で、海水を堀に引き入れていたはずだ。

そして、今立っている建物は、いずれも新しく白壁も美しい。しかし、広大な空地が広がっていて、庭園の工事などが少しずつ続けられているようだ。また、天守閣を建てるための天守台と言われる石垣が修復されている。江戸城と同じで、石垣を組んだ段階で天守閣は作らなかったようだ。

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城に隣接して「歴史博物館」があり、入館して展示を見ている間に確信したことがある。

地元では、内匠頭の愚行を認めていないのだろう、と思えるわけだ。

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博物館の一階で最も大きなコーナーは「赤穂の塩」といわれる製塩業の発達のこと。要するに浅野家は製塩業を重要産業と位置付け、技術開発をはじめとして近代的工業化をしたわけだ。そして、内匠頭の先代の時代に日本一の生産地になっていた。その結果、各地に塩が販売され、藩はやっと五万石の対面を保つだけの資産を得ることになり城内の整備も行い、次の事業の財源にもなった。

それは上水道システムで、神田上水らと並ぶ日本有数の水道網を作っていた町中どこでもきれいな川の水が飲めたわけだ。

ところが「殿ご乱心」のあと、結局浅野5万石が森2万石になってしまう。要するに領地が少なくなった。したがって貧乏になったわけだ。


忠臣蔵コーナーは2階にあるのだが、記載事項は歯切れが悪い。観光地化するためには重要な史跡だが、実際は嬉しくもない話だ、ということなのかもしれない。
  
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2017年03月18日

A級順位戦最終局

Abematvで中継を見た。10人の総当たりリーグ戦だが、訳あって4対局しか行われない。中継の画面上では4局だときちんとはまるが5局だと困るかもしれない。来年は11人で戦うので、全10回戦となる。いつも一人が空き番だ。もしこの順位戦の後行われる名人戦の前に、誰かが「カンニング疑惑」を言い出して、次の冤罪棋士が3ヵ月の対局禁止を命じられた後に疑いが晴れると、きちんと10人で最終局が迎えられるかもしれない。

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5面では一か所にスキマがあくので、6面目として、持ち時間各30分でスペシャル対局コーナーでも作ったらどうだろう。「スキマ名人戦」と題して引退棋士8名の早指しトーナメントとか。


さて、3月4日出題作の解答。

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盤の中央に飛車が移動。5五の玉を詰めるのが都詰だが、5五に飛車が移動して詰めるというのは、首都奪取ということだ。

初手に金打ちではなく金移動でもいいのだが、ちょっと悩ましい。

動く将棋盤はこちら


今週の問題。

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嫌われ者の入玉問題。といっても11手詰なので、許してほしい。入玉型なのに桂が二枚もあるが、すぐに使わないこと。

わかったと思われた方は、コメント欄に最終手と総手数とご意見をいただければ正誤判定します。

  
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2017年03月17日

「日本でいちばん行きにくい場所にある超人気のラーメン屋」が来た

「日本でいちばん行きにくい場所にある超人気のラーメン屋」というのを知っているだろうか。結構、全国的に有名なのだが、北海道の利尻島にある『味楽』である。まず開店時間が11時30分から14時までの2時間半。しかも、なぜか木曜日が定休日。

東京から行く場合、まず羽田空港に行き、稚内行きの飛行機に乗る。11時発12時50分着。そして、到着後、すぐにフェリーに乗っても開店時間には間に合わない。よって一泊する必要がある。そして稚内から朝一(07時30分)のフェリーに乗ると、海象が穏やかな場合09時10分に利尻島に着くが、『味楽』は島の反対側の港にあるのでバスに乗ると10時過ぎに到着するが、まだ開店前だ。そして、ラーメンを食べてから急いでフェリー乗り場に向かって、稚内に戻っても、東京行きの便は終わっている。

また一泊が必要だ。都合、二泊三日だ。宗谷岬にある「日本最北端の碑」を見学に行くしかない。日本が再び「樺太を返してほしい」とは絶対に言わないという宣言を、暗喩的に示した石碑である。

『味楽』ラーメンのだしは、昆布。つまり利尻昆布が安く大量に手に入る。たぶん業務用には形の悪い昆布とか使うのだろう。そして、味付けは、こがし醤油。

と、いくら知っていても行くことはないだろうと思っていたが、突如、新横浜にあるラーメン博物館(ラー博)に出店が決まった。3月から2週間、利尻島の店を閉店し、ラー博店に注力するそうで、2週間の間にスタッフに秘伝を教え、その後はスタッフが運営するということ。(この2週間に利尻島に行かれた方にはまことにお気の毒としか言えないが)

ラー博までは車で20分。バスと電車でも40分だ。2泊3日とは大違いだ。


それで、店頭20分待ちではあったが、その秘伝の「こがし醤油ラーメン」を食べる。

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素朴だ!

横浜のラーメンは「家系(いえけい)」と言われるこってり味が多いのだが、まったくの素朴味で、塩辛い。ビールに合う味だと思ったら、カウンターの臨席の客はビールを飲んでいる。クルマで行ったのでそういうわけにはいかない。こがし醤油というのは醤油をこがすということなので、醤油が濃厚になるのだろう。新規開店ということで、まだ昆布だしが濃厚というようには感じられなかった。

開店間もないという問題なのか、利尻の本店のように2時間半の営業で残り時間を仕込みとして使うのではなく、一日フルタイム営業であることの影響なのかはよくわからない。あるいは、開店情報がラーメン通にいきわたり、客数が予想を超えていて、後手を踏んでいるということなのかもしれない。

今後の展開が心配なような期待したいような。色々と複雑。
  
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2017年03月16日

バビロン再訪(フィッツジェラルド著)

Francis Scott Key Fitzgerald という長い名前を持つフィッツジェラルドの代表作は言うまでもなく『偉大なギャッツビー(グレートギャッツビー)』であるだろう。映画でも観たし、1920年代という大戦の合間の米国にとって資本集積が進んだ繁栄の時代だった。その時代の寵児ともいうべきフィッツジェラルドは長編小説こそ自分の書くべき仕事と思っていたらしいが、それほど多くはない。『夜はやさし』は成功作なのだろうか。賛否両論。

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未完の長編『ラスト・タイクーン』は未完部分のプロットを読めば、書き切っていれば名作になったとも言われる。書き始めた時には、第二次大戦が勃発していて、もはや美しく強い国は泥まみれになりはじめていた。

どうも、夫妻(夫人はゼルダ)ともに浪費癖があり、もらったおカネはすぐに使う主義であったため、長編小説では印税が遅れてしまうため、短編小説を書きまくって金策を回していたようだ。そして、徐々にネタが切れてきて読者は離れていき、ついにどこの出版社も原稿を買ってくれなくなるのである。

本書「バビロン再訪」は表題作と「メイ・デー」、「富豪青年」の三作を収録している。いわゆる「古き良きアメリカ」。トランプ政権の目標とする世界だ。当時は米国民は3グループに分れていた。「成功者」「普通の白人」「貧乏な黒人」。本書には実は、黒人は登場しないといっていい。第一グループと第二グループのみ。

現代は、白人と黒人だけではなく、ヒスパニックAとB(不法入国)、ITの得意なインドや中東系、大統領になってしまうアフリカ系とか、相変わらず仲間内だけで閉鎖的に生きる日系、韓国系、中国系とか、入り混じってしまい、人種や国籍をテーマとして小説を書くことは困難を極めることになっている。

「メイ・デー」はいわゆるメーデーの日に左翼系新聞社が酔っぱらった帰還兵の襲撃を受けるが、逆に帰還兵1名が窓から落ちてなくなる事件を描いている。

残り二作は、白人青年たちの成功者と敗残者の悲哀がテーマで、まさに今日的とは言えるのだが、米国はこの小説が発表された少し後に大恐慌に襲われ、成功者の大半が敗残組に編成替えになった。
  
Posted by ota416 at 00:00Comments(0)TrackBack(0)書評

2017年03月15日

梅田スカイビルと「希望の壁」

梅田スカイビルは日本を代表する「世界の名建造物」ということになっている。確かに建物のデザインや空中庭園、長いエスカレーターなど斬新の一言。もっとも日本を代表するかどうかはわからない。大阪を代表するといえば間違いない。といっても大阪市には北側の「梅田スカイ」と南側の「あべのハルカス」と名所が二本。東京は「都庁×六本木ヒルズ」「東京タワー×スカイツリー」ということか。大阪の方が魅力的だ。タワーと言えば通天閣もあるし。

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そして、内外の多くの観光客が、この梅田スカイビルを目指すのだが、かなりの者が途中で道を間違え、登頂断念ということになっているそうだ。大阪駅や梅田駅から徒歩8分とか書いてあるのに、あれだけの大きなビルにたどり着けないのはなぜか?

理由はいくつかある。

まず、ビルは大きいのだが、その他にもビルが多く、途中で見失うことになる。さらに奇抜なフォルムは南北方向からの視点で、大阪・梅田からは西向きに歩くため、ビルを横から見るので、ただの四角いビルにしか見えない。その上、途中に線路があり、歩道は地下道が一本なのだが、この入口にたどり着かないといけないのだが、これが目立たない。そして根源的な問題でもあるが、梅田の地下街は魔界なのだ。その魔界を抜けて、一か所しかない歩行者用の地下トンネルの入口を見つけなければならない。

ということで、通常8分のところを15分かけて最短ルートを発見。たしかに近づくと迫力あるビルだ。エスカレーターとエレベーターのどちらも使って空中庭園にたどり着く。

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あいにく、雨と曇り。空中庭園は外気に直接触れる場所なので、出ると濡れることになったり、濡れなかったり。外と中を出入りする。

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そして、夜に近づき、一階に降りて庭園を歩くと、妙な壁が建つ。「希望の壁」と言われるそうだが、希望と壁はどう両立するのかといえば、壁に穴が開いている。つまり穴の開いた壁は密入国するメキシコ人のための「希望の壁」と言えるわけだ。安藤忠雄氏設計。
  
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2017年03月14日

大阪天満宮と大塩の乱と東芝

南森町駅から大阪造幣局に向かう道は、国道一号線である。東海道なのだろう。大阪天満宮があり、大塩の乱槐跡がある。

まず、大阪天満宮だが右大臣だった菅原道真が藤原氏の謀略により太宰府に左遷された際、道中無事をこの地で祈ったとされる。大将軍社という社があったそうだ。京都を出て、大阪で早くも祈らなければならなかったのだろうか。

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そして太宰府で道真公はあっけなく2年で亡くなってしまう。京都よりも福岡の方が健康的で住みやすいはずなのだが、なにか怪しい感じもある。そして、道真公が亡くなった後、雷をはじめとする天災が多発し、疫病が蔓延し、藤原家の多くが感染して亡くなる。

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そして、50年近く経ってから、この大将軍社の前に松の木が生えてきたそうで、天皇家では菅原道真の悪霊を慰めるためにここを天満宮として定めたそうだ。当時は学問の神様ではなく、復讐に燃える悪霊だった。

そして、さらに東に向かうと造幣局の塀の前に石碑が建っている。

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大塩の乱 槐(えんじゅ)跡となっている。1837年2月19日に発生した大塩平八郎の乱では大阪の町の20%が灰燼になる。大阪天満宮も全焼。ばちあたりだ。そして、この造幣局の前にあった樹齢200年の槐(えんじゅ)の木に大塩軍の砲弾が命中し、樹木が倒れたそうだ。相当の威力があったのだろう。

そして、この大塩平八郎の乱と東芝にはわずかな関係がある。

東芝の創業者である田中久重は幕末ドラマの中で最も長老だ。1799年生まれ。幕末には60代後半になっている。実は大塩平八郎も1793年生まれなので、6歳違いに過ぎない。

実は、田中の実家は久留米のべっ甲細工であり、若い時から大阪に出ていて大塩の乱の時は37歳。すぐれた細工師だったが、焼け出されてしまう。というか大樹が二つに折れるというような砲弾の威力をまざまざと見たのだろう。その後、佐賀に戻り、鍋島家とともに武器の製造を始める。大塩の乱がなければ、田中は単なるべっ甲細工師で平和な人生を終えただろう。

この田中が海外の武器をマネして作ったと言われるのがアームストロング砲。鉄砲伝来の時と同様に日本人が模造品を作り始める。そして討幕運動の際に活躍。上野の山を吹き飛ばすほど強力攻撃で彰義隊を破る。田中はきっと大塩の使った大砲よりも射程距離が長く正確な大砲を目指したのだろう。

そして、上野の山で木っ端みじんにされた江戸幕府方の数々の怨念がついに東芝を粉砕することになりそうだ。
  
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2017年03月13日

忖度(そんたく)の意味が・・

首相夫人が校長である小学校の開設認可を遅らせたり認めなかったら、自分が痛い目に合うのだろうと、多くの役人が忖度したので、どんどん話が進んでいったのではないか。

というように使われる。

そして、「忖度した」とか「忖度していない」とか、すっかり「忖度」という言葉が悪いコトバになってしまった。

まあ、難しいコトバの意味が変わったところでどうということもないのだが、本来「忖度」は「相手の心の中を推測すること」で、それ以上でも以下でもない。

本来、「忖度した結果、断ると自分が痛い目にあいそうなので、たいして問題も起こらないだろうから、相手の言うとおりにした」ということなら、後段の、「断ると自分が痛い目にあいそうなので、たいして問題も起こらないだろうから、相手の言うとおりにした」という部分が問題なんだろう。

使用例:「国民の大声を忖度し、大統領を罷免した」


ところで、日本会議だが、主義に本質的に賛同するメンバーもいるが、単に補助金のために主義に賛同するふりをする人もいるということなのだろう。
  
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2017年03月12日

4・4・4の造幣局

大阪の造幣局を見学に行くことにした。事前に申し込む必要がある。造幣局はコインを作る場所で、最大でも500円玉なのだが、それでも現金であるため、怪しい人間は見学することができないのだろう。

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まず誤解のないように書くと、お札(日銀券)を作っているのは財務省印刷局で東京が本局。コインを作るのが造幣局で大阪が本局。

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大阪造幣局が開所したのは明治4年4月4日。「444」と揃っている。造幣局がなぜ大阪にあったのかは現在でははっきりしないのだが、当時、首都は東京(江戸)ではなく大阪になるとも言われていたそうで、造幣局の工場は建設に時間がかかるため、首都大阪説にしたがって作り始めてしまったのかもしれない。圧印機は当時香港で休眠していたフランス製を中古で購入したそうだ。

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薄い金属板を作り、円形にくり抜き、洗浄、乾燥したあと、圧印するそうだ。そして検品し、数を数えて袋詰めして出荷となる。従業員は仕事の前と後に金属探知機で検査するようだ。プレミアムフライデーだからといって未完成の仕事を家に持ち帰ったりすることは許されない。

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合わせて、造幣局の敷地内にある造幣博物館も見学。日銀(東京)や旧東海銀行(名古屋)の貨幣博物館よりも良品が置かれている。大判小判が並ぶ展示は圧巻だ。また前の東京五輪や長野、札幌の金メダルもここで作ったそうだ。次の東京五輪の金メダルは携帯電話の中の微量な金を集めて作ろうとはしゃいでいる人がいるのだが、そもそも今までの五輪の金メダルは、銀メダルに金メッキしたものなのだが、知らないのだろうか。
  

2017年03月11日

3月11日

きょうは3月11日、6年前のきょう、午後2時46分に東日本大震災が発生している。昨年末に仙台に親戚の法事で行った際、ご僧正様より、来年(つまり今年)は七回忌にあたるのであるが、僧侶の数が足りない、という切実な問題を教えていただいたのだが、ニュースにはなっていないようで、なんとかなっているのだろうか。

きょうが何をやるべきなのか考えてもなかなか答えは見つからないのだが、今、担当している将棋教室の今年度の最終回がきょうなので、年度の終わりの将棋大会を開くことにしている。駒落ちハンディ付のランダム対局で、勝点は、勝ち5、負け2、引分け3、なので、負けそうになるとすぐに投了して次の対局が始まる。大会の終了時刻が2時45分なので、震災の1分前である。来年の小学1年生は震災を知らないこどもだ。

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表彰式の後、こどもたちに何かを話そうにも、自分の心の中で、何もまとまっていないことに、いたく気付いてしまう。何年たっても「今できることを精いっぱいやろう」というところから一歩も進めない。


さて、2月25日出題作の解答。

長いので、途中図を入れてみたが棋譜と図面をどのように配置すべきかよくわからないので我慢してほしい。

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途中図1

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途中図2

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途中図3

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途中図4

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詰上図

初手の紛れを乗り越えると龍追いになる。途中で盤上の銀を動かして回転方向を確定する。一回目の角移動で打開した後、左上に王を追い詰めると、持駒の一歩が登場し、角が戻ってくる。この8二に打つ歩を最初から持ち駒にするか、途中で入手するかだが、最初から持駒になっていると、いつでも歩を打つ変化が幻影のようにちらついてしまうという嫌な問題になっている。

動く将棋盤はこちら

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なお、さわやか風太郎様よりアイディアを頂き、左辺で一枚減らすことができたので、改作図としたい(手順は同じ)。


今週の問題。
(迂回手順があったので、1一飛を追加。)

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いたってシンプル。物足りなかったら、近くの豚骨ラーメン店にでもいって、チャーシュー麺(大)でも食べてくだされ。

わかったと思われた方は、コメント欄に最終手と総手数とご意見をいただければ正誤判定します。
  
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2017年03月10日

黒門市場も外国人街に

大阪の中心にある黒門市場だが、外国人が多いと聞いていたのだが、築地の観光客だって8割が外国人なのだから・・と甘い気持ちで地下鉄の日本橋(大阪の)で降りる。築地市場の外国人比率より少ないように感じたのだが、そうはいかなかった。

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やはり中国人観光客が札びらを切っていた。フグや神戸牛などの数千円の料理を食べまくっている。全国どこでもこういう光景が広がっている。

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私も、乏しい財源で食い散らしへ参戦。まず、ミニマグロ丼。これは絶品。そして、焼鳥を何本か食べながら次の店をさがす。そしてバーベキュー店で神戸でも山形でもない牛肉の串焼きを注文。

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肉を焼いたり、テーブルで焼き上がりを待つ手順について、お店のスタッフが説明してくれるのだが、話しかけられたのが最初は中国語なのだが、聞いていてよくわからない。中国語はまったく知らない。そして、・・・。次に話しかけられるのが日本語ではなく英語。


そう見えるのだろうか。

たぶんスタッフの方は、英語と中国語しか話せないのだろう。

事実は小説より奇なり。
  
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2017年03月09日

教授たちからのサウンドメッセージ

十日ほど前に、洗足学園音楽大学の前田ホールで教授の演奏会があった。場所は溝の口。地元では「ノクチ」と言っている。(*東急では『溝の口』と表記し、JRでは『武蔵溝ノ口』と『の』と『ノ』の違いがある)

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初めて洗足学園に近づくと、かなり斬新な建物が現れる。ドームと赤い箱ビル。あまり音楽大学には見えない。美術大学的だ。

大学構内の奥の方に創始者の名前を冠した前田ホールがある。こちらは重厚な感じがある。いわゆるシューボックス型といわれる直方体型のコンサートホールだ。

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内装は白を基調とし、大型のパイプオルガン付き。なんとなくオペラシティに似ているというか、オペラシティの方が似ているというべきなのだろう。

本日の演奏家は、ヴァイオリンでは「世界のミズノ」と呼ばれる水野佐知香教授と、電子オルガンでは「世界のアカツカ」と呼ばれる赤塚博美教授、マリンバでは「世界のカミヤ」と呼ばれる神谷百子教授。3人とも洗足の女性教授。そして作曲では「世界のワタナベ」と呼ばれる渡辺俊幸教授。

電子オルガンとかマリンバとか、普段あまり登場しない楽器のスゴ技が炸裂する。

しかし、普通に3つの楽器で協奏曲を演じようかと思っても、マリンバとヴァイオリンと電子オルガンの3種を選ぶとは、まったく予想外だ。電子ピアノの達人が、フィルハーモニー楽団一個師団分の働きをするわけだ。

そして、毎年3月11日が近づくと、どうしてもその日を意識した曲が演奏されるようだ。愛とか祈りとか希望とか。プログラムは、『シャコンヌ』に始まり、初演曲 『Prayer to the future world』 で終わる。
  

2017年03月08日

トランプ大統領分析講演

出張で岡山に行く日程とちょうど無駄なく繋がる時刻にエコノミスト岡田晃氏の講演があった。この講演に出席する正規メンバーなのだが、どうも地方都市だと参加率が悪かったようで、同友会や商工会議所に出席者を求めたうえ、さらに新聞広告まで出したらしい。

講演の題名は、まさに旬の話題なのだが、わたしも3年間仕事をしていたので感じているのだが、県民性なのだろうが、外に拡がる視点を持つ人が少なく、逆に事業が上手くいかないと他人のせいにする人が多いような気がする。

そして、演題は、「トランプ大統領の衝撃」から「日本への影響」となり「日本の底力に自信を持とう!」という方向に進んでいく。

冷静に考えて、トランプ政権が選択する政策は、支持層である白人労働者のための政策になるだろうが、すべてがうまくはいかないだろう、ということ。(よく言われている通り)

特に、失業率の問題で言えば、米国も日本も失業率は極めて低いのに大統領が「雇用!雇用!」というのは、白人労働者が現在の雇用の中心であるサービス業を差別意識で見ているからだそうだ。チップに頼るサービス業なんてやってられるか、自動車の組み立ての方が正しい仕事だ、という考え方。(とはいえ、今やNYのレストランのチップは18〜20%だそうだし、サービス業の人が減って工場労働者になると、さらにサービス業の給料があがるのだろう)

一方、日本経済は緩やかに上り坂を這い上がっていく流れが続いていて、経済的環境は変わらないだろうということだそうだ。

最後に、岡山県を含む中国地方には訪れる外国人観光客がきわめて少ないという事実をあげて、外国人観光客の付帯効果は極めて大きいので努力してほしい、ということであったのだが、私見ではあるが、英語の看板を増やすことの前に国内観光客に対しても同様なのだが「おもてなしの心」の教育が先なのではないだろうか。「一見客から巻き上げる」という態度ではね。

そして、「日本経済への自信を持とう」という激励を受けた後のQ&Aの時間になると「メキシコへの自動車部品の輸出は・・・」とゴチョゴチョ言い始める人がいたので、途中退席して、仕事先(宴会場)へ向かう。
  
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2017年03月07日

愛と誠(2012年版 映画)

『愛と誠』は梶原一騎原作、ながやす巧作画の劇画をもとに、原作とほぼ同時進行で1974年に映画化されている。

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W主演は大場誠(西城英樹)、早乙女愛(早乙女愛)。愛と誠は一般名詞ではなく固有名詞だ。早乙女愛役は一般公募で初出演となり、役の名前が芸名になった。もちろん、出演作品によっていつも芸名が変わったりはしない。第一作のせいか美貌にもかかわらずアクション映画に多数出演することになる。渡米してからかなり経ち、2010年に訃報が届く。享年51歳。

そして、その直後に2012年に再度映画化。今回はミュージカル風でもある。音楽は昭和歌謡である。1974年の頃からアナクロ感が漂っていたが、2012年になると、昭和臭さが目立つようになる。今回は誠(妻夫木聡)、愛(武井咲)。本来原作に漂う「人間の宿命」とか「運命に逆らえない諦念観」などの真剣なテーマが、コミックに転じ過ぎてしまっているのではないかと懸念を覚えることもある。

ところで、全編を通じて血と暴力で塗り固められたような場面が続くが、不思議に殺される者が出てこないので、今夜は悪夢を見ないで済むな、と思っていたのに、一名が殺られた。人前で恥をかかされた執念深い体育会系教師による計画的殺人だ。浅野内匠頭の「殿ご乱心事件」と同様だ。
  

2017年03月06日

失われた鉄道を求めて(宮脇俊三著)

1985年から89年の間に鉄道マニアの宮脇俊三氏が主に戦前に存在して、その後なくなった鉄道(主に私鉄)の痕跡をさがす旅に出る。同行は文春の編集部の加藤保栄氏。加藤氏は後に中村彰彦とペンネームで時代小説を書き始め、会津藩ご用達作家となる。

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では失われた鉄道とはどこかといえば、

沖縄県営鉄道、耶馬渓鉄道、歌登村営鉄道、草軽鉄道、出雲鉄道、サイパン・ティニアンの砂糖鉄道、日本硫黄沼尻鉄道

戦争で木っ端みじんになった沖縄鉄道であるが、橋台とか犬釘とかなんとか探し出すことができる。戦後の物かそれ以前の物かを見分けるには銃弾跡をみればいいらしい。隠れる場所もない平らな島を縦断して沖縄戦が行われた。

同様にサイパンでも日本の信託統治の間に砂糖産業がはじまり、完成した砂糖を船積みするための港ができ、産地から港までトロッコのようなミニ鉄道が走っていた。

その他の地区は、経済的合理性から再三立ち行かず、事業継続が困難だった。

何かエッセイストであったはずだった著者が、自らの意見や感情を封じながら第三者的に筆を走らせるのだが、その常識的な視点が少し面白くなく感じさせるのだろうか。
  
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2017年03月05日

「漂流ものがたり」は本当に悲しい

国立公文書館で開催中(〜3/11)の『漂流ものがたり』を観に行く。公文書館だから、数多くの江戸時代の漂流事案について、幕府や各藩に残る記録を集めて、少しだけ解説がつけられている。ある程度の知識があれば、ああ、あの事件はこういうことだったのかとさらに面白くなるのだが、漂流した人たちからすれば、命がけの苦労を楽しむな!といいたいところだろう。

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ただ、歴史上の記録に残るということは、ある意味幸福なことではあるし、何しろ大部分の漂流者はネバーリターンになっているわけだ。何しろ大部分は太平洋側の沿岸を航海中に嵐になり、転覆しないように荷物を捨て、帆柱を切り倒してしまうしかなく、そうなると、潮に流されるだけで、運よく島に着くか北太平洋永久巡回の旅になるかだ。もちろん島に行き当たる可能性はきわめて少ない。

実際に、多くが助かった例で小説にもなったものは、ジョン万次郎とかアメリカ彦蔵、そしてモスクワまで旅をした大黒屋光太夫が有名だが、その大黒屋の漂流の11年後にやはり若宮丸という船がアリューシャンに漂着。彼らは大黒屋と同じように大陸を陸路モスクワに向かうが、やはりイルクーツクで現地に住み着いた漂流民が通訳に当たる。つまりさらにもう一隻も漂着していたわけだ。生き残った津田夫他はマゼラン海峡経由でハワイ、カムチャッカ経由で長崎にたどり着く。

また、おぞましいのが鳥島。ここは無人島だった。運よくたどり着いたとしても何もない。雨水を貯め、アホウドリを捕まえて食べるしかない。そして数十年に1隻のパターンで漂着すると、前の漂流組の生存者が一人残っていたりする。そして、全員で船を再建し、脱出を図り、かなり成功したわけだが、失敗した人の記録は残らないから成功率は計算できない。

そして、本展で明らかになったある種の漂流者が悲惨だ。日本に漂着した漂流者、それも女性が二人だ。


うつろ舟の女 第一号

1698年、浅野内匠頭の殿中ご乱心の3年前、今の豊橋(三河)の海岸に「ウツホ舟」が漂着。へさきに男の首がさらされていて、舟の中には女が一人。言葉も通じず、長崎へ送還した。幕府の記録に残っているが、本展ではそれ以上の資料がないため、よくわからない。

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うつろ舟の女 第二号

1803年茨城県神栖(常陸)に香合のような船が漂着。上がガラス障子で、底は鉄板だそうだ。図も残っていて、これではUFOの円盤というか川から流れてきた桃の実といった形で、中には水と食糧と女性が一人、そして四角い箱が一つ。

地元の古老の話により「蛮国の王の娘で、嫁ぎ先で密通の罪を犯し、流されたのだろう。昔も同様の例があり、箱の中には男の首が入っているのだろう」とのことになる。

そして、幕府に届け出ると、長崎まで送れ!ということになり藩の費用がかかるため、再び女を舟に乗せ、沖へ引き出したということだそうだ。舟に書かれた文字から、この蛮女はイギリスかオランダかアメリカの王の娘ではないかと推測していたようだ。

地元の古老の耳に、前述の105年前の豊橋の話が届いていたのか、あるいはその前にもUFOが流れてきたことがあったのだろうか。

一回目も二回目も事実の全貌はわからないままなのだが、特に二回目の方のお姫様の漂流旅行がアリューシャン列島のどこかの島で終わっていたことを祈りたいものだ。
  

2017年03月04日

理事解任、そして前会長に新たな追い打ち

2月27日の臨時棋士総会で5人の理事の解任が審議され、3人が解任になった。すでに会長含め二人が辞任し、二人が新任され、今回3人が解任になった。

順番に計算すると、
 7−2+2−3=4、ということになる。

思うに、7人全員がいったん辞任し、続けたい人は新たに立候補すればよかっただけの話ではなかったのだろうか。普通はそうやるものだろう。

将棋棋士のすべてが世間から遊離していると見るべきか、世間から遊離している人の方が実力が上で、結果として理事を務めていると見るべきかよくわからない。

また、わたしも以前、支部の支部長をしていたことがあって県連にも出ていたが、そういう場所も世間から遊離している人が多いなあと感じていたことが多く、観戦記者というのもそういうのが多く、どうしてもこんなことになりやすいのだろうか。


ところで、前会長の谷川浩司氏だが、またや新たな厄介に巻き込まれそうである。

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例の森友騒動の中で、首相夫人の昭恵さんが、学園で講演した際、講演料や報酬を「受け取っていないと聞いている」と首相が国会で答弁したようだが、一方で平成27年度のPTAの収支決算書の中に、社会教育費400,000円とあり、姫路城、京都御所への遠足費の他、教育講座として「7/11谷川浩司先生、9/5首相夫人安部昭恵先生」と記載されている。いずれにしても、姫路城+京都御所+谷川前会長+首相夫人=ジャスト40万円となっているわけで、これでは誰しも谷川前会長に「受け取ったかどうか」を確認したくなるのではないだろうか。またもハムレットか。

もっとも、出向いてしゃべった以上、無報酬という方が肩入れしているようにも見えるわけで、交通費と合わせていくら受け取ったかを公開してもいいような気がするのだが、あまり安いと今後の講演の時に不利になるという判断が必要かもしれない。(もちろん、確定申告をしていればの話だが)


さて、2月18日出題作の解答。

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なお、6手目に△3六玉と逃げると、▲3七金で変化同手数詰のように見えるが、△3六玉には▲6六飛で歩余りで詰むので6手目を△5五玉に限定している。つまり都詰ということになる。なぜ、中央で詰むと都詰というかだが、首都は国の中央の方になければならないということだろうか。アメリカも英国もロシアもそうはなっていない。

動く将棋盤は、こちら


今週の問題。

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糸口をどこに求めるかが問題。

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2017年03月03日

安藤忠雄氏のコロッケ

タイトルを短くし過ぎたかもしれない。正確に書くと、『世界的な建築家の安藤忠雄氏が今までに設計した最も小さな建物であるCROQUETTE店で食べた黒毛和牛のビーフコロッケと青森県産帆立とエビのカツの味は?』ということになる。

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場所は神戸元町通2丁目である。事前にプリントした地図を持って、目的地に近づくとそこは、神戸南京街だった。で、店の前を何回か行ったり来たりして発見する。周りが全部中華料理店の中に、コロッケ(Croquette)店がある。全国展開しているコロッケ店で本社は神戸だ。

そして、五輪スタジアムではケチをつけられたものの、安藤忠雄氏の右に立つ建築家は日本にはいないだろう。特に神戸には多数の建築物があるのだが、2010年に竣工した、このコロッケ店の建物は、彼の最も小さな作品だそうだ。

敷地面積7坪。

これ以上小さなものを今後建てるとしたら、何らかの不始末で建築士免状を没収された場合に、新たな展開として犬小屋の設計を始めるときだろう。

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そして、やはりそれ位の小ささだと、腕を発揮できないのではないだろうか。店頭でコロッケを食べながら観察しても、ピンとこない。エビと帆立のフライを食べても安藤忠雄風のものは発見できなかった。

コロッケは、素朴な味で、逆に甘味はなくホクホク感がある。

エビホタテカツとコロッケとはコロモの色が異なるので、別の油で揚げているのだろうか。かなり濃厚な味だ。

3つ食べると夕食は要らなくなるだろう。が、二つ食べる。
  
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2017年03月02日

朝日生命体操クラブで金メダリストの話を聞く

メセナという概念で企業が活動をすることが多かった時代がある。しかし、企業の収益が下がったり、様々な理由で企業合併が行われたりした結果、純粋な形でのメセナではなく、企業イメージの向上、つまり売上を増やすためのPR活動に限りなく近づいている。マラソンや駅伝で所属会社のゼッケンをつけて、後のことは考えずにテレビに映る先頭集団の中で何回カメラに映るかを勝負したりする。

そういうことからいえば、先週、内部公開していただいた朝日生命の体操クラブはほぼ純粋な形でのメセナ活動だろう。サッカーや野球と異なり、きわめて社会露出が少ない。たとえば内村航平選手は今まではコナミ所属(今回、プロとして独立)だが学生の頃は朝日体操クラブに所属していたのだが、知る人は少ないだろう。

そういった活動の実態を説明していただいたのが、総監督の塚原光男氏。ミュンヘン五輪の金メダリスト。跳馬の「ツカハラ跳び」とか鉄棒の「月面宙返り(ムーンサルト)」の実演者だ。発表後、特許を取らなかったせいで、今では高校女子が塚原氏の目の前で軽々と成功させていた。

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体育館は、体操用としては日本最大ということで、いかに朝日生命が力を入れているかがわかる。こども用の体操教室も併設されているが、体操は好きな子と嫌いな子がはっきりわかれ、要するにいかにも危険に見える体操が好きな子だけが、一流選手になるまでの10年間続けることができるそうだ。

リオ五輪女子チームの一員だった杉原愛子さんが段違い平行棒の練習中だったが、重力のある地球上ではできるとは思えない技を練習中だった。女子が大変だったのはリオで団体4位だったため、東京ではどうしてもメダルが目標になるということらしい。米国、ロシア、韓国、中国は国家ぐるみの強化体制だが、日本では企業が行うため、限界があるそうだ。ゼロ金利政策で最も苦境に陥っているのは生保業界ではないかとの声もあるが、朝日生命にはなんとか支援をお願いしたい。

最近、知った謎で、1964年の東京五輪の時には東京体育館で体操競技が行われたのに、なぜ今回はそこではなく有明の仮設体育館なのかということを聞いたのだが、塚原総監督は質問に対して、

1. 東京には体育館が少なすぎて、東京体育館は卓球で使うことになっている。
2. 五輪のルールの中で、あえて仮設競技場を作って、とりこわして緑地にする数値目標があり、それが体操競技になってしまった。
3. ただし、仮設といっても10年は壊さなくていいらしく、金メダルがとれれば、レガシーという話が出てくるのではないかと関係者は存続に期待している。

とのことだそうだ。

ところで、高校女子が跳馬を跳ぶため近くを走っていたのだが、距離25mを全力で走るときの足音は、馬のようにしか聞こえなかった。
  
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2017年03月01日

「おとなの楽集」の無神経さ

メンタルヘルスマネジメントの資格を受験するため、「ユーキャン」の通信教育を受講したのだが、それ以降、DMが頻繁に送られてくる。実際に買ったのは「合格鉛筆セット(鉛筆3本、消しゴム2個と鉛筆削り付き)」だけだ。


今回は、「おとなの楽習セット」。全30冊のセットが、お得価格の、38,880円。

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おとなの勉強と言えば、18歳未満禁止の内容が30冊もあるのかと期待するのだが、全然方向違い。

数学のおさらい、理科のおさらい、日本史のおさらい、英語のおさらい・・・・・といったところだ。

そして、レベルは「中学生」ということで愕然とする。

・中学生のレベルがわかれば、社会ではなんの問題もない。
・勉強が簡単でないと楽しくない。
・かつて中学生だったあなたは、ページをめくるたび懐かしい友と再会したように感じるだろう。

と理由が説明されている。

簡単に言えば「中学校の時にわからなかったことをおさらいしよう」ということなのだろうが、せめて嘘でも「高校のおさらい」と言ってほしかった。全科目セットということは、全科目ともすっかり忘れてしまっただろうと断言されているようで、大変、悔しい。文字も目の悪くなった人のために、かなり大きな活字サイズが使われているようだ。

もっとも知りたいのは、このセットを買った人が何人いるのかということかな。(すでに買った人がいたら、ごめん)
  

2017年02月28日

青インクの東京地図(安西水丸著)

東京を舞台にしたエッセイ。エッセイとひとことで言い切るのは難しい。色々なパターンがある。本著は、ある意味、東京のガイドブックになっているといってもいい。

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登場する町は、
深川、赤坂、戸越、新橋、巣鴨、歌舞伎町、青戸、八王子千人町、錦糸町、九段、上野、銀座、分倍河原、三ノ輪、町屋と脈略がなさそうな15か所。

実は、脈略はちゃんとあって、それはそのすべての町に著者である安西水丸氏のかかわりがあること。自分の散歩コースだったり、少年時代の思い出があったり、知人がいたり、愛人もどきがいたり。そういうメモリアルプレースに歴史的な土地の成り立ちを加えて、著者なりの感情を移入していく。

少なくても、著者のメモリーの部分に共感できるかどうかは別にして、この町にはこんな風情があって歴史があったのだ、と頭に入れてから都内を歩いてみたらどうだろう。

私もそれらの場所のいくつかには個人的メモリーもあるのだが、さすがに東京育ちの人にはかなわないなあと思ったのだが、冷静に考えれば彼は千葉県の一番南の端の千倉で育ったはずだ。私も千葉県民だったのだが、もっと東京に近かった。

やはり、タウンボーイを装えるのは、学校が東京(九段の私立・医者の息子が多いとこかな)で、勤めが電通だったからなのだろうか。電通を辞めたのは、勤務状況がブラックだったからなのだろうか?
  
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2017年02月27日

オール・ザット・ジャズ(1979年 映画)

アメリカのミュージカル(キャバレー他)の監督で振付師でもあるボブ・フォッシーが自らの死期が近づいていることを知り(勘違い?)、時間に追われ、何もかもギリギリ状態の映画監督を主役とする自伝的ミュージカル風映画にした作品だ。実際には映画完成から実際にサヨナラするまで8年もかかった。

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自伝的作品といえばフェリーニで生涯何作も自伝的映画(仕事に行き詰った監督が主役)を撮っている(「8 1/2」とか「アマルコルド」とか)。フェリーニの場合は病気とは何の関係もない。

主役の監督役(ギデオン)を演じるのは、ロイ・シャイダー。女優陣はたくさん登場し、監督を愛しているのか、単に自分勝手なのかよくわからない。たぶん両方なのだろう。また制作会社の役員は、芸術性より商業性に重きをおく人間たちとして描かれ、監督が過労で入院すると、そのまま死んでくれた方が保険で儲かると算盤をはじいたりする。

いずれにしろ、四六時中、酒とタバコと精神安定剤を飲み続ければ、ボロボロになるわけで、わかっていても止められずに病院超特急になるわけだ。世界の禁煙率向上に貢献した映画なのかもしれない。

なお、監督のそばには、いつも死神がまとわりついているのだが、これが美女のわけだ。美女が死神になって、「こっちへおいでよ」というのを断るのは難しいような気がする。
  

2017年02月26日

ある明るい朝に(新井卓氏 写真企画展)

あざみ野の「ギャラリーあざみ野」で開催中だった『ある明るい朝に(写真展)』に。

写真と言っても普通の紙焼きではなく、ダゲレオタイプという手法。要するに写真が登場した頃の1850年ごろの技術を使っている。二種類の化学物質で画像を浮かびださせる。よく幕末の人物が首を固定されたまま30分動かなかった方式だ。

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もちろん、人間を写すのは今時は困難なので被写体は異なる。広島、長崎、福島など。要するに核物質の寿命に比べれば首の固定などは一瞬の時間であって、その時間が止まった各地の被写体を写すのにこの手法を使ったということだろうか。(もちろん現代の技術では、首の固定器は要らない)

写真は技術じゃなく思想だという考え方はあるが、新井氏は技術と思想を組み合わせたのだろう。なかなか見る方も忍耐を要する。


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同じ会場では『写真 時間の位相』が同時開催で、その1850年ごろからの写真の進化がカメラの進化とともに展示されている。上記の首固定器も見られる。私なんかとても無理だ。動かないと体が硬直してしまう。米国新大統領もそうだろう。

初期の写真の一つの特徴として、再現性がないということがある。一枚の銀板に焼かれた写真は、オリジナルであるとともにコピーは存在しない。となると、本展に登場する例えば「ボストン郵便局の局長のポートレート」なる額縁入りの写真は、おそらく本人が所有していて、没後ある時点で不届きな子孫が金策のためオークションに売り出したものだろうか、と思わぬことを考えてしまう。
  

2017年02月25日

ちょっと驚いた話

三浦九段冤罪事件に関して、ニコ動の生放送で、ある九段が次のように語ったようだ。

三浦さん本人や家族、三浦さんに近い関係者に本当に申し訳ない。まさかと思いつつ、「魔が差してしまったのか」と思ってしまった。今となっては全くの誤解で、三浦さんは全くそんなことはしていなかった。自分自身も20年ぐらい前の対局中に、持ってきていた将棋の本を読んでしまおうかと思ったことがある。このような経験もあったため、色々な説明を受ける中で三浦さんを信用することができなくなってしまった。三浦さんや関係者の方はもちろん、たくさんの将棋ファンの方にご心配、ご迷惑をかけて本当に申し訳ない。


自分にも魔が差しそうなことがあったので、疑ってしまった、ということなのだが、「(定跡をちょっと忘れたので)カバンの中の本を見て確認しようと思った」というようなことをプロが考えるというのには驚く。

逆に、アマチュアはそこまで勝負にこだわらないのでカンニングをしないということなのだろうか。前回の職団戦の時に、同じチームの一人から「相手が自分の手番の時にいなくなり、しばらくして戻ってきて痛打を浴びた。それも2回も」と報告があったのだが、まったくあぶない話だ。

プロの年配者で昼食休憩の時に将棋連盟の売店で立ち読みしたという話を読んだ記憶があるが、今回の外出禁止令でも立ち読み禁止になっていないことに気付く。

外出禁止令に違反しても、対局続行の上、対局料半減ということなので、書籍立ち読みの罰則は、「立読み本を強制購入の上、本に書いていない手を指すこと」ということかな。


さて、2月11日出題作の解答。

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並べ詰みの改造作であり、最後の捨駒だけが詰将棋らしい手なのだが、実は12手目に玉方が△4一玉ではなく△4二玉だと同手数の並べ詰みになってしまう。修正はできそうもない。失礼。

動く将棋盤は、こちら


今週の問題。

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先週が短かったので、お返し。持ち駒の歩は、毒針を持った工作員で、盤上登場時間は限りなく短い。

わかったと思われた方は、コメント欄に最終手と総手数とご意見をいただければ、正誤判定します。

余詰め発生!4三歩を追加しました。
  
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2017年02月24日

ダンダダン酒場の肉汁餃子

この5年で急成長したチェーンの「ダンダダン酒場」だが、京王線沿線を制覇した後、都心にも進出中だ。メインディッシュが「餃子」というシンプルさで、どうなっているのだろう。

京王線の久我山に行く機会があって、ちょうどランチの時間ということで、駅から徒歩30秒の「ダンダダン酒場・久我山店」に寄る。

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あらかじめの情報としては、ランチは1種類だけ。「餃子ランチ(680円)」ごはん大盛は760円。

餃子と、キャベツの付け合わせ、温泉卵とスープとごはん。

問題は餃子で、熱い肉汁が飛び出す仕掛けになっている。餃子版小籠包。「味付け餃子なのでタレを付けなくても食べれます」と言われるが、醤油、酢、ラー油もテーブルに置かれている。

そのあたりは個人的味覚の問題だが、醤油単体を少し付けた方がいいかもしれない。酢とラー油は味の方向性が異なるような感じだ。

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そして、肉汁はうっかりすると飛び出すが、小籠包みたいな悲惨なことはない。皮はもちっとしていて、水餃子のような感触だ。

肉は特に素晴らしい味でもないが、安っぽい感じはない。よく練られていると感じる。

そして、通常の店は餃子を注文すると、餃子6個が朝の通勤電車のサラリーマンのように重なり合って出てくるのだが、ダンダダン餃子は1個ずつが分離されている。もっとも全部一体化していて、そこから肉汁が出るとしたら食べるのに大苦労だ。冷凍餃子をフライパンで焼くとバラバラになるのだが、餃子はカウンターの前の餃子専用の蓋つきタイマー付の器具で焼かれるので、冷凍品使用は一目瞭然で発覚する。

ただ、どうしてこんなにチェーンが野火のごとく急拡大しているのか、今一つわからない。やはり店名に「酒場」と付いている以上、夜専用の財布を持って行かないといけないのかもしれない。
  
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2017年02月23日

超古代の船の話から五輪の話にLターン(2/2)

ところで丸太船の見つかった検見川の東大グラウンドだが、近くに住んでいたことがある。前の東京オリンピックのクロスカントリーコースに使われたそうで、そのずっと後に通うことになった高校のマラソン大会の会場になっていて、このクロスカントリーコースを何回か(たぶん3回)走ったことがある。大変起伏が激しくて、時に坂に手をついて犬のように走りたくなるコースだった。


その伝説のようなクロスカントリーコースだが、2020年の五輪の時はどこで走るのかというと、あの海の森クロスカントリーコース。それを調べているうちに重大なことに気が付いた。

クロスカントリーといっても色々あるわけだ。

1. スキー
2. 陸上競技
3. 自転車(MTB)
4. 馬術

私は、自分が走っていたので、てっきり上記2の陸上競技として使われたのだと思っていたのだが、過去の資料を調べてみると、東大グラウンドで行われていたのは近代五種の中の馬のクロスカントリーだった。(普通の馬術は馬事公苑)

つまり自分で走っていて、急な坂は人間ではなく犬が走るようなコースだと感じたのは、無理からぬことだったようだ。そして、今回の海の森で走るのも、馬なのだ。周囲が海のコースで馬は驚かないだろうか。(源平合戦の時は、海の中に馬が入って戦ったのだから大丈夫だろう。新しい競技「馬泳ぎ」ができるかもしれない。)

ところで馬術競技といえば、知る人ぞ知る女性歌手の華原朋美さんが高校時代に国体で入賞していたそうで、色々と人生のイベントをこなした後、再び馬術競技を再開し、素晴らしい成績を続けて、五輪代表も狙えるところまできているそうだ。もっとも韓国で梨花女子大不正入学容疑を掛けられている女性のように調教と馬という2大要素を優遇してもらえることで成績は向上するらしいのだが、これから続く各種大会の結果が注目されていくのではないだろうか。
  
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2017年02月22日

超古代の船の話から五輪の話にLターン(1/2)

原日本人は歩いて列島にやってきたのか、あるいは船に乗ってきたのかという大きな謎があるのだが、本当は詳しくわかっていない。アフリカ大陸を何らかの理由で飛び出した先祖は、アラビア半島からすぐに二手に分かれて南回りでインドシナ半島までたどり着いた人たちと、いったん北上し、アフガニスタン辺りから右コースの蒙古シベリア方面と左コースの欧州方面に分かれ、欧州方面コースの人はネアンデルタール人と混血したというか淘汰してしまった。

日本には、南方経由の人が先に来て、そのうち大陸から何波にもわたって第2コースの人たちが渡来。ずっと昔(つまり石器時代)には一部大陸とつながっていたのだが、その頃には世界には丸太舟が存在していた。例えば陸地としては離れていた本州と北海道の間では、すでに石器用の石の流通(交易?)があったことはわかっている。陸路と海路と両方なのだろうか。

そのあたりの海路の可能性について、横浜歴史博物館(通称歴博)では「津々浦々百千舟」展で研究結果が公開されているが、何しろ日本の古代史、あるいは先史の研究には、大きな二つのハザードがある。一つ目はご存知の「邪馬台国論争」。どうもすべての学者は他人と異なる自説を唱えないと一人前と認めてもらえない。それが古代史の終わりの頃の弥生から古墳時代の話というから困る。

もう一つは石器時代。これは非常に大事な時期なのだが、「自家製石器ばらまき先生」がいて、この藤村氏(現在は別姓)が権威だった時代に盛り上がったブームが壊滅したため、石器時代の研究は遅れに遅れをとっている。

歴史の研究は、日本書紀と古事記の研究みたいになってしまうわけだ。

しかも古代の丸太舟というのはなかなか残っていない。理由は簡単で丸太舟の運命というのは、沈むか、老朽化して薪にされるかということだっただろう。2万年先の日本人のために粘土層に埋めておいてくれたりしない。

それでもおそらくは大きな不運と悲嘆とともに沈んだ舟が、偶然にも海底深くに流され、そして土に埋まった状態から地面が隆起して、そして戦後日本の土地開発ブームで運よくシャベルカーの爪に引っかかって陽の目を見ることになる。

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今のところ、日本最古ではないかといわれるのが千葉県の市原市で発見された丸太舟で、それはかなり朽ちていて原形の一部がわかっているだけらしいが、同じ千葉県の千葉市の検見川にある東京大学のグラウンドから発掘された舟が歴博に展示されていて、撮影フリーだった。レプリカとは書かれていなかったのだが、本物を運んでくるとも思えないが、どちらでもいい。おそらく遠洋ではなく、沿岸とか河川で使われていたのだろう。あるいは浅瀬で荷物を載せて人力で引っ張ったのか。

実際には、造船技術というのは必要に迫られて進歩するようで、大陸まで渡ろうというような船は遣隋使や遣唐使の時代になって急に発展したのだが、実はその後はたいして発展しない。江戸時代だって。遣唐使と同じような船に乗っている。

ペリーがきて一挙に変わった。

この後、話が急に方向転換するので、また明日。(余計な話が長くなりそうで、ゴメン)
  
Posted by ota416 at 00:00Comments(0)TrackBack(0)歴史

2017年02月21日

影(アンデルセン)

アンデルセンの「即興詩人」を読んでから、気になっていた本があった。「影」というシンプルな題名の本である。童話的ではまったくない寓話であり、あまり紹介されていない短編である。村上春樹氏が講演会で紹介したこともあり、日本でも少しずつ有名になっているし、春樹氏の小説にも「影を失った男」が登場する。本書を読んだ後、思いだすと「影に逃げられた」という意味だったのだろうか。

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本書の登場人物はきわめて少ない。学者、学者の影、王女。もちろんほとんどセリフのないその他の人物はいる。

まず、前半部の意味がよくわからない。学者は何かの用で寒い国から暑い国へ長期出張のような旅に出る。寒い国は北欧で、暑い国は南欧という感じだ。あまり暑いので外に出ないうちに学者はやせはじめて、影もやせてしまうのだが、ある日バルコニーに学者が立つと、道路の向こう側の家に伸びた影が、向こうの家の中に行ってしまう。

学者はその後、寒い国に戻ったが、学者生活に恵まれず寂しい生活をしていると、数年経ってある金回りの良さそうな男が来る。それが逃げ出した彼の影が人間に扮して成功者となった姿だった。

ここまでが、驚愕の第一部で、第二部は「影」が主体になる。「影」は自分に影がないことをいいことに知能の高い学者を自分の「影」にしようとするわけだ。そして言葉巧みに連れ出して、某国の王女に近づいていく。そして学者を利用したあげく、学者のプライドを傷つけ、学者が真実を告発しようと考えたところで、狂人扱いして牢屋に送り、そのまま死に至らしめてしまった。

この寓話にはさまざまな解釈があるのだが、アンデルセン自体が登場人物の「学者」のように地味な生活を送っていたようだから、盗作でもされたのかもしれないと俗なことを考えてしまうが、違うのだろう。

常識的にいえば、「影」とは心の中の「もう一つの自分」をあらわす象徴であって、心の中の二極の相克がテーマと読むべきなのだろうか。


ところで、私自身、日常生活で自らの影を感じる時は少ないのだが、カメラの接写の時に影が映りこまないようにするときとか、ゴルフのパットを打つ時にライン上に自分の影があると、確かに邪魔なのだが、決して自分の「影」に対して、「消えて失せろ!」と思ってはいけないわけだ。
  
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2017年02月20日

バレンタインにギミー・チョコレートの話をした歌手

先週、「NHKうたコン」の生放送にNHKホールに行った。券の余った人のお流れ頂戴。クラシック以外でNHKホールに行くのは初めてだが、会場には異様な感じが漂うのだが、醜い話は本題とは関係ないので省略。また、生放送だが、午後7時30分から8時15分までの放送なのに、その15分前から開演になり、15分後が終演。最初の15分は、拍手の練習他が行われる。カメラ映りが悪いということで、観客席でのマスク使用が禁止される。インフルエンザの人も花粉症の人もお構いなしだ。

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で、バレンタイン週間ということで、ステージ上にはピンクのハートがあちこちに飾られていて何か奇妙だ。観客2000人の平均年齢はどうみても60歳以上。おそらくテレビで視聴する人の年齢も同じぐらいだろう。

出演者は順不同に石川さゆり、石川ひとみ、森昌子、伊東ゆかり、伍代夏子、水森かおり、小柳ゆき、国生さゆり、Chayと、ほとんどが女性なのだが、女性ファンからは「だいちゃーん」と黄色い声がやかましいわけだ。お目当ては高音域に魅力のある川上大輔がいるようだ。

実は、直近に読んだドキュメンタリーで、ある地方出身の不幸な青年が、日勤作業員になっても森昌子の写真を持ち続けているというストーリーがあって、今回、生で見るのも奇妙な縁を感じていたのだが、57歳になっても歌は変わらないなあと思ってしまう一方、出演者のそれぞれには熱狂的なファンがついていることを実感。よく芸能人がストーカー被害に合う現実は、人気と紙一つの世界なのだろうと感じる。

で、一、二曲ずつ唄うのだが、その合間のトークタイムの時に、司会の谷原章介が女性歌手たちにバレンタインデーに関してチョコレートの思い出を聞くのだが、そもそも国生さゆりとか森昌子にとって困った話だろうし、やや迷惑的話になってしまう。水森かおりは手作りのチョコレートは全部自分で食べてしまうそうだし、盛り上がらないテーマは、伊東ゆかり(昭和22年生)の話でとどめを刺される。

私の中のチョコレートの思い出といえば、こどもの時、進駐軍の前で歌って、兵隊さんからたくさんチョコレートをもらっていたことですね。

当時の日本はなんでも米国からいただいていたわけだが、今や大統領が首相からのお土産を期待するようになってしまったわけだ。


ところで、女性ファンお目当ての川上大輔は、一曲も歌わないまま放送時間が終了してしまったし、水森かおりは他人の歌をなんとか歌っただけだし、どうしたことかと思っていたら、放送終了後、彼らが登場したわけだ。つまり、最後の15分の追加時間はNHKホールをいっぱいにするための特別ゲスト枠だったわけだ。

川上大輔の高音はとても微妙に揺れながら伸びていき、カラオケで歌いたいが歌えないもどかしさを感じて、帰宅後ネットで調べてみると、「誰も彼のようには歌えないからマネをしないように」という警告であふれていた。
  

2017年02月19日

ラスコー展(科学博物館)

20,000年前の洞窟壁画が実寸大で復元され、上野の科学博物館で公開されていた。洞窟を再現するというのはかなり難しいがなんとか部屋を明るくしたり暗くしたりという手法で、復元できている。

20,000年前のクロマニヨン人は、現代人と同じDNAを持っているといわれ、要するに現代人と同じわけだ。しかし、石器時代なのだから生活をするだけで手いっぱいだったはずで、これだけの巨大絵画を描く余裕があったとは驚きだ。

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しかし、どんな時代でも、苦しくても芸術の道を突き進む人間はいるのだから、この洞窟の主も同じような根性を持っていたのだろうか。ドイツではなくフランスなのだが。

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絵を描くといっても洞窟の中は真っ暗だ。残留物から推定すると、獣脂を燃やしながら灯りを取り、何種類もの絵の具で着色していったようだ。

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絵画の意味は、大部分は解明されているようだが、一つだけ「鳥人間」という絵があり、解釈できないそうだ。

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ところで、クロマニヨン人の夫婦を模型にしたものがあったが、よく見ると先の民主党大会の大統領候補のようにも見える。男はサンダース。眺めているのはホワイトハウスで。「いきたかったな」という表情だ。厳しい表情の女性は「ヒラリー」。指さしているのはクレムリン。「あんたのおかげで大統領になれなかった」とプーチンを指さしている。
  

2017年02月18日

将棋の子(大崎善生著)

だいぶ以前の書だが、未読だった。ある元奨励会員の半生を追ったドキュメンタリーなのだが、実際、追われる方としてはどういう気持ちなのかなと感じていたし、その元奨励会員だけが特異なのかとか、それほど遠い過去でもなく、本人が成功者と言えない状況で書いてしまうというのは、かなり違和感もあった。さらに同じような境遇の方も知っていたので、この書は遠ざけていたのだ。

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ところが、その知っている方から1月にいただいた変則的な年賀状の意味がよくわからず、知人に聞いたところ、その意味はわからないのだが、その方がこの本に登場する場面があるということで、あわてて図書館に行って読んでみることになった。

読んでみて、目的はかなわなかったが、奨励会も大変な世界だなあとあらためて感じる。


最近の将棋界の目を疑うような事件についてよく言われるのが棋士の社会性の欠如ということだが、本来社会性を身に付けなければならない十代の後半から二十代の前半を厳しい修行を続けるというのは、棋士の将棋力を高める一方で、社会性を損ねることになっているのだろう。

マクロ的に考えれば、囲碁界よりプロが少ないのが、狭き門の原因なのだろうが、それは外部の世界から入ってくる財源の差と言えるのだろうが、財源が少ないのは、将棋の質や内容の高度さではなく、棋士の社会活動や公共的な共感力が不足しているためであるのだから、もっと大局的に考えた方がいいだろうか。特にAIと力勝負しても勝てなくなったわけだが、そういう時代の将棋棋士の存在の目的を考え直した方がいいだろう。

ところで、本書は2001年の上梓だが、当時では考えもつかなかったインターネットやFacebookなどの普及で、行方が分からなくなってしまった人も、案外、足取りが復元できたりする。便利なような困ったような・・・


さて、2月4日出題作の解答。

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動く将棋盤は、こちら


今週の問題。

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4×5の中にあるのは四畳半問題というらしいが、四畳半を少し突き出している。床の間付きだ。部屋の中で完結する。

わかったと思われた方は、コメント欄に最終手と総手数とご意見をいただければ、正誤判定します。
  
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2017年02月17日

「珈琲あんぱん」と「生ずんだあんぱん」

鶴見は川崎の次の駅で横浜市である。ここは江戸時代には東海道の川崎宿と神奈川宿の間にあって、ちょうど江戸からの旅人がお昼の時間に通ることが多かった。

江戸時代の旅人は、宿を出るのが朝4時というのが相場で、かつ現代と異なり食事は朝夕の二回だった(古代ギリシアは一日一食だった)。

となると、お昼に立ち寄る茶店というのが休息と栄養補給という重要な役目を追うことになるのだが、鶴見はまさに茶店の街だった。当時の東海道は、ちょうど京急線の線路の隣になっていて、現代でも同じく饅頭を売っているのが清月という店で、今でも「よねまんじゅう」という商品を売っている(以前に紹介したことがある)。

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そして、当時、「覇王樹茶屋」というのがあった。読めるかな?サボテン茶屋と読むのだが1679年(延宝7年)に開店。300年以上続いているのだが、いつのことか茶店から洋菓子店に業態を変更。「エスプラン洋菓子店」というのだが、実は現在は洋菓子というよりもパン屋さんになっていると言った方がいい。というのも絶大なヒット商品を完成させた。

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第一弾:「珈琲あんぱん」

第二弾:「生ずんだあんぱん」

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店内は、ほとんどパン屋さんである。洋菓子の延長でコーヒーあんぱんを作ったら大うけしたのだろう。そして先祖返りでずんだもちをパンに入れてみたのだろう。

ただ、食べてみると、結構ヘビーである。さすがに朝4時に家を出て、鶴見に寄ってパンを二個食べて、さらに歩いて東京の会社まで行くのはお勧めできない(遅刻するから)が、東京から横浜に仕事で行くことがあるなら、途中下車して、江戸時代の旅人を体験してみたらどうだろうか。
  
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