2007年01月12日

今、甦った平将門の祟り!

11db6b8a.jpg新年早々、「東京魔界案内三善里沙子・知恵の森文庫)」を読んだのだが、冒頭に平将門の「祟り」の話が書かれていた。大手町にある将門の首塚にかかわる話で、まあ、将門将軍を軽んじた人々に大きな厄災が降りかかる話で、「祟り」の内容をここに書くと危険なので、詳細は差し控えておく。

さて、平将門は平安中期の関東の武将で、関東を中心に勢力を伸ばし、常陸の国、岩井(現茨城県坂東市)に本拠を置き、「新皇」を名乗ったところで、京都の朝廷から「賊軍」のレッテルを貼られる。首に懸賞金(公家への身分格上げ権)が付き、結局、西南の役の西郷隆盛のように、最後は征伐され、首を斬り取られた上、その首ははるばる京都に運ばれ、京都七条河原に晒される。しかし、その首は、いつまでも腐敗せず目を開いたままで、ある時、自分の胴を求めて、東方に向かって飛び去ったとされている。

そして、飛来した首が落下した場所が現在の大手町の首塚のあたりとされている。なぜ、首が大手町に落下したのかはよくわからない。現在、胴塚は本拠とした茨城県坂東市にある。


ところで、三善さんは、東京でうごめく様々な魔性について、二つの継流をあげている。
 Aグループ 平将門 江戸氏 徳川幕府
 Bグループ 朝廷 太田道灌 明治政府

例えば、太田道灌が江戸を制圧した過程で、将門の末裔の江戸氏を滅ぼしている。道灌は神奈川県伊勢原で謀殺された時、「当方滅亡」と叫んだとされるが、当方とは東方将軍将門のことではないかとの説もある。たとえば、上野の森の彰義隊や西郷どんはAグループで靖国神社関係はBグループかもしれない。青島幸男はAで慎太郎はBとか・・

また、江戸、東京を通じ、大火災、大地震、空襲、橋脚転落、地下鉄サリン事件など、「祟り」としか思えないような都市大災害は、異常に多い。


そして、将門の「祟り」としか思えない事件が続発している。「バラバラ殺人」。一件目は、渋谷の富ヶ谷(NHKの裏)の外資系証券マンが妻にバラされた件(高額ボーナスで有名なモルガン・スタンレーのようだ。ボーナス取得後に殺されたのだろうか)。もう一件は、そう遠くない幡ヶ谷の歯科医の兄妹間の事件。幡ヶ谷の事件では体を14個に切り分けていたそうだ。バラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラ。14個に切り分けたというのは、13回斬ったということだ。切断箇所数は個数−1回(植木算ならぬバラバラ算?)。手首、肘、肩、足首、膝、足の付け根の6ヶ所の関節が左右で12、あとは首で13箇所だろうか。書いているだけで気味が悪い。

そして、富ヶ谷の方は、首、上半身、下半身、手首×2となったのだろうか?(あまり詳細は報道されていない)。しかし、その運搬方法が凄まじい。新宿駅のそば、山手線沿いの路傍には旅行用のスーツケースに「上半身」を詰め、タクシーで運送(スーツケースはどうなったのだろうか)。渋谷近くの空き地には、そのまま「下半身」を台車で押していったとのこと。さらに「手首×2」は家庭ごみとして・・。手首が見つからないと成仏できないではないだろうか。かわいそうに。

そして極めつけは、「首」。なんと、電車を使い、郊外の町田市原町田4丁目の公園に運び、スコップで埋めたのだが、発見されてしまう。そして、事件はこれでほぼ全容が明らかになるのだろうが、気になることがあった。渋谷から町田まで電車で「首」を運んだ、ということは、ほぼ毎日、私が乗っている東急田園都市線を使ったのだろうか・・・

まず、町田市原町田4丁目の公園を探すと、そこは町田の駅からかなり近くである。まさか、児童公園の砂場に埋めたのではないだろうから、大きな公園はないだろうか、と探すと、駅から800メートルほどのところに、芹ケ谷公園という大公園がある。そこには「町田市立国際版画美術館という有名な美術館があるではないか。おそらく、その公園なのだろう。となれば、最寄り駅は「町田駅」。そこには2本の鉄道がある。小田急線とJR横浜線である。どちらの線も、直接に渋谷と町田が結ばれているわけではない。なぜ、乗換えが必要な場所に行ったかというのは、過去にそこに行ったことがあるからなのだろうか。

yahoo!の路線検索を使うと、渋谷から山手線で新宿に行ってから、小田急に乗る方法と、渋谷から田園都市線で長津田まで行き、JR横浜線に乗り換える方法。さらに京王井の頭線で下北沢乗換えなどがある。気分としては、山手線の人混みは避けたいのではないか(といっても、彼女のシチュエーションを想像することは難しいのだが)。下北沢での乗換えパターンの感じがする。田園都市線ではないことにしておきたい。


ところで、この国際版画美術館は、市立美術館でありながら、さまざまな企画で有名である。

参考までに、企画展のこれからのスケジュールを調べてみたら驚いた。

まず、本日1月12日から2月18日までは「町田市公立小中学校作品展」。予定通り開催されるのだろうか。どう考えても、こども向きでない警察の立ち入り禁止の黄色いテープが張られているわけだ。

そして、極めつけは、その次の企画だ。3月10日から4月1日までの展示は、・・・
シャガールの銅版画 死せる魂


そしてさらに、極めつけの上に極め付きの情報が登場した。1月11日18時57分配信 読売新聞

川の土手にビニール袋に入った人体の一部…茨城

11日午後2時20分ごろ、茨城県坂東市矢作の矢作川の土手で、「黒色のビニール袋の中に人肌のようなものが見える」と、近くの男性会社員(49)から茨城県警境署に通報があった。

署員が調べたところ、袋の中から背中とみられる人体の一部が見つかった。同署は死体遺棄事件として捜査を始めた。遺体の性別や年齢、身元などは分かっていない。


背中の部分が発見された場所を見てほしい。「茨城県坂東市」だ。そこは将門の本拠地であり、胴塚がある。いつまで待っても帰ってこない自分の首の帰着を、首を長くして待っているのであるのだろうか。

追記1:町田市の公園は、やはり芹ケ谷公園。美術館に行ったことがあるからということではなく、どうも近隣の町田第二小学校と関係があるようなないような・・

追記2:町田に行くための経路は、小田急代々木八幡駅からではないかと報道されている。(初詣で有名な神社がすぐそばにあるのだが、畏れ多いと思ったか・・)

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桔梗伝説というのがある。 話は平安時代、場所は関東。平将門が新皇と称し、その地に新しい国家を創ろうとした時のことである。 中央から見れば、それは明らかに反逆だ。京の貴族達...
靖国問題は将門の桔梗への怨念が起しているの(かも)【一本気新聞 www.ippongi.com】at 2009年03月15日 23:21
この記事へのコメント
こんにちは。
私は坂東市で起きた事件に関するブログを開設していますが、ここは昔から殺人等の事件が続発しています。やはり「将門の祟り」でしょうかね。

ところで町田までの経路の件ですが、容疑者宅から小田急線の代々木八幡駅は近いので、小田急線だけで町田まで行ったのではないでしょうか?
Posted by 祝十一郎 at 2007年01月11日 23:18
久しぶりです。
もしかして、新年初めての書き込み?でしょうか。
明けましておめでとうございます。

ええっと・・・
ブログを読んでいてぞくぞくしました。
私は中央から離れた辺境の地にいますが、実は平将門のファンかもしれません。
・・・ちょっと違うか・・・。

東京に行くと必ず首塚か神田神社に行きます。
神田明神が将門の別名?であることを知ってからは特に。
初めはオオナムチを拝みに行っていたのです。
神田神社の起こりは、出雲からオオナムチの分け御霊を奉じた一族が芝崎界隈に移り住んだことから始まる、と聞き及んでいます。その後、平将門が合祀され、ついでに?少彦名の命も神田神社に合祀されたようです。
首塚は、夏でもひんやりとしていますよね。
あそこに行く(結界に足を踏み入れる)ためには、ちょっと精神統一が(1分ぐらい)必要です。
Posted by まいと at 2007年01月12日 00:24
祝十一郎さま
もしや、祝さまの苗字は、地元の旧名「岩井」の僭称?
さらに十一郎の十一は「士(さむらい)」の僭称では?
となれば、将門将軍ご本人さま?

やはりご説の通り、代々木八幡駅利用の線が強そうですね。近くにある初詣のメッカは避けたようですね。

そういえば、小田急線も色々と魔界に関係が・・
渋谷というのも、「渋谷某」という名の強盗を成敗した武士が、相手方の苗字までを奪ったという故事があるようですね。
Posted by おおた葉一郎 at 2007年01月12日 10:39
まいとさま、
神田明神も、もともと大手町だったようです。だから神社と首塚が別の場所。
一方、太田道灌の銅像は移転したままらしいです。
道灌が滅ぼした江戸氏は将門の末裔らしいのですが、3井不動産の元大社長は「江戸」という苗字だったのですが、関係があるのかなあ。
Posted by おおた葉一郎 at 2007年01月12日 10:44
江戸城を建てる時に、江戸の守りにするために、神田神社は現在の場所になったのではなかったでしょうか。
江戸城を中心点として、神田神社の反対側に日枝神社があるんだったかしら?
つまり、江戸城の鬼門と裏鬼門に要を作っておいたようですよ。
う〜ん。
江戸の地理が良くわかりません。
もしかして、江戸城と神田神社を結んだ先に、平将門の胴体が埋められた場所がありませんか?
Posted by まいと at 2007年01月13日 23:37
まいとさま、
そういう説もあるのですが(この本の著者もそう書く)、一概に言い切れないのは、証拠が無いのと、個人的には町割りをした藤堂高虎は気にしない性質ではないかと・・
江戸城というのは超巨大なので、中心をどこに見るかで方角も変るかもしれないかな。
幕府は神社より寺院(特に禅宗)を大事にしているように思います。寛永寺と増上寺に交互に将軍が眠るというルールからみてもです。
過去に首塚を改めた学者がいたそうですが、痕跡はなかったようです。
むしろ、開催中の江戸城展で将門将軍や江戸氏の評価が冷たいことに怒ったのではないでしょうか。
Posted by おおた葉一郎 at 2007年01月14日 17:26
ああ・・・
長い文章を書いていましたが、祟りでしょうか、
消えてしまいました。
今夜は書くのをやめます。
Posted by まいと at 2007年01月14日 23:33