2009年07月31日

オール・ワーグナー

何となく、だらだらと夏休み風になってきて、世間の8月は、選挙関係者以外は経済活動の大停滞状態になるのではないかと心配である。

さて、毎年恒例のサマーミューザの季節になる。川崎駅前のシンフォニーホールであるミューザ川崎で3週間にわたって行われるクラシックの祭典である。

shimonoその中で下野竜也指揮、読売日本交響楽団の演奏する「オール・ワーグナー」を聴く。

実は、ワーグナーは好きじゃない。食わず嫌いでもあるのだが、何となく成金趣味のところがね。まあ、嫌いになったのはずっと昔のことか、あるいは最初から刷り込まれていたのか、よくわからない。

ただ、世の中には「ワグネリアン」という単語があって、熱烈なワーグナーファンのことを指し、日本でも三島由紀夫、松本零士氏などがそうだったようだし、一般に開業医や弁護士、新聞記者のように「守られた金持ち」が好んでいるようだ。

そう考えると、ワーグナーを選んだというのは、読売日本(よみきょう)による大総統ナベツネ氏へのゴマ摺りではないのかと頭をかすめる。

そして、ミューザは通常とは異なるお祭りなので、プレトークの時間があり、いきなり指揮者である下野竜也氏は燕尾服ではなく甚平で登場するのだが、和装の略装というのは、体の線が出てしまうわけで、超メタボ体型だったのだ。これじゃ女性にモテナイ。

というのも、下野氏の解説によれば、ワーグナーというのは友達にしたくない代表の作曲家だそうで、嘘は平気だし、女性関係もでたらめだし、金にも名誉にもうるさいし、自分が天才だと自惚れているし、すぐに友人と仲違いするそうだ。(反対に友達にしたいのが、ロッシーニだそうで、料理を作るのが上手で、ロッシーニステーキに名前を残しているそうだ。ますますメタボになりそうだが)

さらに、従来の楽器に飽き足らず、ホルンとチューダを組み合わせたワーグナーチューダとかトロンボーンより低音のバス・トロンボーンとか妙な楽器を使うわけだ。楽団に余計な出費を強いるわけだ。

嫌われ作曲家の第二位はマーラーだそうで、こちらも多種多様大量の楽器を繰り出すので、楽団泣かせもいいとこである。

この日の演目は5曲。
『ニュルンベルグのマイスタージンガー』第3幕への前奏曲
『タンホイザー』序曲
ジークフリート牧歌
『神々の黄昏』よりジークフリートの死と葬送行進曲(ニ―ベルングの指輪)
『ニュルンベルグのマイスタージンガー』第1幕への前奏曲

1、2、5曲目が派手な大構成である。金管楽器と打楽器が大活躍。やはり、あまり好きになれないパターンである。

yomikyoそして、3曲目のシークフリート牧歌というのは、妻であるコジマ(リストの娘)の誕生日に、自宅の一階と二階の間の階段に楽団員を座らせて演奏させたという逸話が残っている。つまり、階段に座って演奏するには弦楽器は不向きであるのだが、こういう小品でもワーグナーは金管楽器が主旋律をリードするように作曲する。

ところで、この曲は妻の誕生日(12月25日)に演奏されたのだが、結婚したのはこの年だったそうだ。では、新婚パーティかというと、そういう新鮮さはまったくなく、既に二人の間にはこどもが二人できていた。俗に言うダブル不倫関係の清算に何年もかかったということらしい。

その二人のこどもの一人(男児)が、ジークフリートである。第4曲は、そのジークフリートが登場するが、勝手に楽曲の中でこどもを殺してしまい葬送行進曲を書いてしまう。『神々の黄昏』は「ニーベルングの指輪」という四日間もかけて演奏しなければならない超大歌劇の最終日に演じるべき部分であるが、それにしても自分のこどもが死ぬ場面を、実名入りで楽曲に利用するものだろうか。

まあ、そんなことで、ワーグナーはどうしても管楽器が中心になるため、ブラスバンド風に聞こえてしまい、ちょっと疲れた。

やはり好きになれなかったのは、氏育ちが町医者でも弁護士でも新聞記者でも貴族でもなかったからだろうか。

案外、中学校でブラスバンドをやった少年少女が、ワーグナー好きになるのかもしれない。

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この記事へのコメント
ワーグナーって、気力減退期に聞くといっそう奈落の底に落ち込むイメージがあるのですが、女でもなく、貧乏でもない、町医者や、弁護士や新聞記者の諸氏は奮い立つのかしら。
Posted by さなえˆ at 2009年07月30日 22:17
さなえさま
>町医者や、弁護士や新聞記者の諸氏は奮い立つのかしら
そういう人たちは、いつも奮い立っているのですね。

しかし、このワーグナーの音楽を利用したのがヒトラーと言われます。演説の前座にワーグナーです。

そして、その運命は・・
Posted by おおた葉一郎 at 2009年07月30日 22:32