2015年09月13日

蘇我の竜巻

蘇我という字は日本史の「蘇我氏」で知っている人が多いだろうが、地名の由来はさらに古い。ヤマトタケルノミコトが大和朝廷の拡大政策で西側の豪族を制圧した後、今度は東へ行こうということで、神奈川から東京湾を海路横断して千葉県に向かったところ、大嵐になる。

沈みそうな状況になった時に、人柱としてヤマトタケルは妻の中の一人を海に流したわけだ。殺人事件。その結果、海は収まるのだが、数日後、妻は千葉市の海岸に流れ着き、「我(われ)、蘇る(よみがえる)」と宣言したことから、蘇我という名前になったと言われる。もっとも、もっと南の木更津には、櫛が流れ着いたとされ、「吾妻神社」とされたという話もある。

同じ殺人事件から二つの伝承ができたということは、事件が実際に起きたことだろうと思えるし、そうなると、蘇我に竜巻が現れたことも不思議ではない。

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で、今回の竜巻の話は、電車の窓を破壊し、80軒以上をなぎ倒し、駅の構内にいた少女が転んだという騒ぎになったのだが、数日後に全国的に大洪水が発生し、首都圏では地震発生ということで、たちまち霞んでしまった。

といっても洪水現場にはいけないので、「事故学専門家」をめざしている上は、現場に行かなければならない、ではないが、すぐ近くに宴会があったので、寄り道する。

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で、現場付近には、かなりたくさんブルーシートの家がある。ただ、報道のトーンは、住宅が根元から吹き飛んで、ゴジラに踏みつぶされた街、というイメージなのだが、そういうことではない。大部分は、屋根が破れたということのようだ。それも、破れてない方が多いわけだ。瓦の軽い屋根がやられたようだ。

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しかし、蘇我にも、長期の空き家のような古い家もあるのだが、空き家の頑丈な瓦は残り、新築でもローコスト住宅の屋根が飛んでいたりして、現代の様相が窺われるところだ。要するに、報道は、ちょっと大げさだったのではないかと思うわけだ。


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