2017年03月28日

やはり『忖度』の意味が変わってしまった。

弊ブログ2017年3月13日『忖度(そんたく)の意味が・・』で書いた通り、本来、良い内容で使われるはずの「忖度」が、悪い意味のコトバに分類されることになったようだ。もっとも松井代表は「良い忖度と悪い忖度がある」と意味不明のことを言い出したが、これはさらに方向違いだろう。森友祭りの中心に近いところで踊りたいのだろう。

前も書いたが、「忖度」は「相手の心の中を推し量る」ということで、何を考えているか「心理分析をする」という中立的な意味だろう。いや、むしろ「何か相手が言い出しにくい事情を察する」ことと考えればやや肯定的なコトバに近いだろう。

問題は、「相手の考えを推し量ったうえ、気に入ってもらえるように実行してしまうこと」の行為の部分なのだが、おそらくこういう思考(行動)方法には二つのパターンがあると思う。

1. 意を汲んで、積極的に実行することで、良い評判を受けることができるだろう、というプラス思考

2. ぐずぐずしていると、何か抵抗しているように思われて、悪い評価を受けてしまうのではないかというネガティブ思考

実際には、2の考え方の人だけでは、超特急にはならないはずだ。一方、1の考えにしてもお手柄は最初に動いた一人だけのはずだ。最初に動いた人はだれか。いや、もしかしたら最初から強く否定している人ではないかと思わないでもない。


ところで、松下村塾を目指していたとの話だが、昨年、元長州藩にある松下村塾に行った時に感じたのだが、かなり人家の乏しき寂しい場所にあり、建屋も住居仕様ではなく倉庫風。江戸や京都といった都会でもないし外国の情報などもほとんどわからないような場所だからこそ尊王攘夷論が力を得ていったのだろうと感じた。森友学園は長州も薩摩もいっしょくたのようだし、儒教も神道もいっしょくたなので論評しがたいのだが、本来、松下村塾を作るのなら、都会の新築校舎ではなく、あえて人口減少地区で閉校していく小学校の学舎を下取りするとかすればよかったのではないだろうか。

ところで、自分とはかなり考え方の違う人の思考を想像するのは難しいが、「愛国主義」と「軍国主義」は別物、という籠池氏の考え方には、ほんの一分の真実があるようにも感じる。


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この記事へのコメント
おもてなしが日本人の得意技のようですが、忖度せずにはおもてなしはできず、日本人は誰でも、特に官僚それも女性とくれば忖度は2倍の得意技じゃないかと…
Posted by さなえ at 2017年03月28日 05:53
さなえさま、
ということは、忖度特急便の始発点はタニーということですか。
Posted by おおた葉一郎 at 2017年03月28日 22:31