2019年01月02日

とにかくうちに帰ります(津村記久子著 小説)

最近、色々な作家の本を読むことにした。ここ十年ばかり多忙にかまけて文芸書の読書量が減っていたのだが、その間に30代、40代の筆力の充実した作家が増殖していたのは知っていた。一方、大作家たちは長年の疲れが出ているのか、あるいは超長編に取り組んでいるのか(宮本輝氏とか)、第一線から一歩引いているようにも思えていた。

ということで、しばらくは無方向読書をしてみることにした。といってもシリーズ物も読むつもり(沢木耕太郎の『深夜特急』など)。

さて、津村記久子の評判が良いらしい。芥川賞受賞者の中では一歩先を行っているとも聞こえてきた(あまり根拠の薄い筋だが)。

tonikaku


というところで、『とにかくうちに帰ります』を読む。短編3編を収録。

『職場の作法』。中規模企業の社内の、ちょっと変わった(いや常識の範囲だが)社員たちの普段の日常を観察眼鋭く分析している。ちょっとした仕草や言葉の端々からの類推や分析が半端じゃない。ただ、小説には殺人事件が不可欠だ、など考える人には刺激が少ないかも。

『バリローチェのファン・カルロス・モリーナ』。こちらは、一読した時には、「エッセイ」か、と思った。というか、いかにも会社のどこにでもいるような人物が登場して、色々と詳しい会社の同僚女子と女同士で海外の今一つのサッカー選手やフィギュアスケーターの話をするわけだ。ほとんどの読者には、何の関係もない話なので、一体、何を書いているのだろうかと気になってしまう。「そうか、これは著者の体験したことをエッセイにしたのだろう」と確信するのだが、一冊の本の中に小説とエッセイが一緒にまとめられるなんて例がないと思っていたので、ちょっと驚く。本当はどうなのだろう。こういう緩いのが好きな読者にはこたえられないだろう。

ここまでの二編は、「退屈と快感は紙一重」という格言にまとめてみたい。

そして、メーン作品の『とにかくうちに帰ります』。題名から察すると、「不倫」がばれた夫か妻が、あちこちを逃げ回ったあげく観念して、「やっぱり家に帰るか」というようなことかと想像したのだが、とんでもない方向違いだった。

場所は特定されていないが、東京の某所。本土から少し離れた場所に人工島があって、そこで働いたり、学校に通う人たちは、その間の橋をバスで往復して本土側の駅から鉄道で通勤している。

ところが、悪天候の日があり、夕方になってバスがなくなってしまう。島のほとんどの人は午後の早い時間に帰宅したのに、なぜか、間に合わなかった4人がいた。(正確には二人ずつ二組)。当日の夜や翌日の早朝に用事があって、どうしても今日中に島から脱出しなければならない。ということで、4人は二組になって僅かな時間差で通行できる橋をさがして豪雨の中を歩き始める。

一組目は会社帰りのOLと後輩の体力派の男子社員。会社の社員のゴシップなどをネタに話し続けるのだが、あまりの難業に言葉も少なくなる。

二組目は別の会社の係長の男と小学校5年の男児。係長は離婚して子供と会える日が翌朝なのだ。プレゼントは自宅にある。一方、小学生の両親も離婚していているのだが、係長は、うっかりして禁断の共通テーマを、口から滑らせてしまう。その他、係長は無責任に口を滑らせ続けて、小学生にたしなめられる。そして力尽きて、豪雨の中、心臓や脳みその中まで冷凍人間になりそうになったのは、この係長なのだが、一組目にベンチの上で冷凍中のところを発見され、解凍され一命をとりとめる。

この小説には、なんらかの寓意が隠されているはずだが、「危険があるときは、家に帰らないで会社に泊まる」という災害時の鉄則を確認したかったわけではないだろう。(実際、内一人は、会社に戻ったのだが、緊急時宿泊用に使えるはずの会議室内で一組の男女若手社員が秘め事を始めていたため、雨の中の行軍を余儀なくされたわけだ。

二組の難業中の会話が秀逸で、特に5年生男児の冷めた言い草がいい。