2019年01月15日

高校の先輩のご逝去

在籍した高校の大先輩にあたる市原悦子(1936年‐2019年)さんが亡くなられた。82歳。ご冥福をお祈りいたします。

自分は彼女よりもはるかに年下なのだが、在校中に言われていた有名卒業生としては、市原さんと同業の宇津井健氏(1931年‐2014年)。こちらも82歳。お二人とも高校の時から演劇部に在籍し、どちらも早稲田の文学部へ進み、そのまま俳優になった。

年齢がだいぶ違うので、お二人が演劇部にいた当時のことはわからないが、演劇部を指導していた方は、ゴーリキー劇(代表作、「どん底」。剛力彩芽の芸名の由来、というのは都市伝説。)に傾倒していた記憶がある。その方の家は、自分の家のごく近隣だったので、演劇部に入るのは、恥ずかし過ぎて敬遠した。演劇部の打ち上げ会があった時に飛び入りで参加したのだが。実はコメディ系が好きだったし距離感を感じた。中学の時には脚本書いたこともあったので、今思えば人生の方向を誤った一瞬だったかもしれない。(その後も、常に誤っているし。)

ところで、自分が在校しているときに、当校卒業の有名人として、伝えられていたのは、上記のお二人の他、石井菊次郎という元外務大臣。石井=ランシング協定という有名な取り決めを結んでいる。日米が歩み寄った一瞬だったのだが、内容は、日本は米国が中国の権益に進出することを認め、米国は日本が満州に進出するのを認めようという中国に対して失礼な協定だった。


そして、封印されていた有名卒業生がいた。二人とも軍人である。

一人は、海軍中将の大田実。海軍の陸戦指導者として有名で、1945年の沖縄守備戦で最後まで戦う一方、沖縄の住民の困難な状況を書き綴っていた。1945年6月13日に戦死。

もう一人は、陸軍軍医で中将の石井四郎。大田実中将より1歳年上。陸軍731部隊を率いていた。通称石井部隊である。おそらく陸軍中将の卒業の記憶を封印したため海軍中将の記憶も封印したのだろうと推測できる。

これらの3人の戦前の卒業生は旧制中学時代の卒業生だったのだが、現在、高校が中高一貫を打ち出し、戦前と同じ名前の中学校が復活している。