2008年05月06日

証明 : 表現規制派は、『子供の人権など“どうでもいい”と思っている』

GW休みも今日で終了、連日更新も今回が最後となります。

前回の内容について改めて読み返してみると少々強い主張を行なっていますが、今回の内容はその証明となりますので更に強い主張となります。
ようやく取れた連休中にどうにか“ここまで辿り着きたかった”のですが、何とかなって善哉、といった感があります。

次回にもう一回、この件についての解説を行なったうえで、その後は多少趣を変える予定です。ご興味のある方は今しばらくお付き合いいだけると幸いです。


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表現規制を行なおうとする人々は、ほぼ確実に『子供の為である』と強弁します。

自由主義・民主主義国家である我が国では“言論・表現の自由”とは当の“自由主義・民主主義”を根底から支える最も重要な人権の一つであり、基本的にその侵害は“絶対に行なってはいけない”ことに属します。まぁ、憲法に規定されている訳ですから当然ですね。

よって『表現の自由』という絶対的なまでに社会法益性の強い権限に対しては、『個人の人権』そのものである個人法益でしか対抗できず、それですら議論では勝算が無いが故に“感情論に持ち込み易い”“小さな子供に仮託する”しかない方法論が無い訳です。

それでは、どうして表現規制が“子供のため”になるのでしょうか?。表現規制派による“子供のため”の具体的な内容はおおよそ以下の3つに大別されます。


1. 影響説  犯罪や性行為の描写を見るとそれに“影響”され、同じ事を行なうことになる。それを防ぐためである
2. 保護説  “悪意的”な人物により子供が害されることを防ぐためである
3. 倫理説  反社会的な描写自体が犯罪的であり、“倫理”に反する


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ここでそれぞれの説について解説と反論を行なうとなると、あまりにも長くなるので今回は割愛。いずれ時間をみて具体的に記載したいところではあります。

簡単に説明すると、1.は学術的に否定されており、2.は個別の法案で対応済み3.に至っては個人の倫理観に基づくものであって論外。つまり、根本的にどれをとってもexcuseが成り立たない事になります。

・・・表現規制派が徹底して論戦から逃げる道理です(苦笑。


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一方で昭和30年代のいわゆる“犯罪暗黒時代”をピークに“児童よる犯罪”も“児童が対象となる犯罪”も激減傾向が続いており、“犯罪者率”で当時に比べ殺人で約四分の一、強姦に至っては十分の一以下となっています。一般的な犯罪も(窃盗を除けば)ほぼ同様の傾向であり、現在の日本は戦前戦後を通じ最も平和な時代となっています。
その間、いわゆるマンガ・アニメ・ゲーム・小説・各種報道と、性情報・犯罪情報・暴力情報等々の自由度は上昇しており、特にゲームは1980年代以降に花開いた若い文化であることもあって、爆発的に普及しました。

つまり、一般に表現規制派が“規制すべきである”と主張する情報の流通量・自由度と、犯罪の間には大まかに負の相関関係があることになります。


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よって、以下の様な“事実”が成り立つことになります。


a. 表現規制を行なうための、明確な科学的・統計的根拠は一切存在しない。

b. 表現の自由度・流通量と犯罪の発生率には大まかに負の相関関係がある。



a.により、そもそも論として表現規制の理由が存在しません。それでも「1.が証明されていない」「2.のためである」と虚偽の主張を行って表現規制を行なおうとする表現規制派は後を絶ちません。
ところがその主張は、今度はb.によって否定されます。

即ち、仮に情報に表現規制派が主張する類の“影響力”があるのであれば、“犯罪を減少させる効果”を意味し、その制限は犯罪の増加を求める主張となる訳です。


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暴力やエロや犯罪の情報が大量に、しかも規制が少なくなればなるほど、子供に関連した犯罪は減少を続けていることが事実として存在する。

一方でその事実を知りながら、表現規制派は一切の合理的根拠無しに表現の規制を主張し続けている

ゆえに、表現規制派にとって“子供の人権”とは自分たちの求める“表現規制”とは比べ物にならない、取るに足らない問題であることを意味するのです。


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とまぁ、以上が骨子の部分ですしこれで終わってしまっても良いんですが、これを証明する実例がポロポロと出てきてしまっていますので、それをご紹介しておきたいと思います。



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まず、判りやすいのがこの事例です。

マイクロソフトやヤフーら5社、“青少年ネット規制法案”に反対表明 (2008/04/23) INTERNET Watch より

》子供を守るという視点では、法案でも「子供を守るため」としているが、実際の法案の検討ではPTAなど保護者からの意見聴取は後回しにされるなど、保護者の意見が十分に反映されていないと指摘。
》「保護者が自分でやれないから、国が代わりに画一的な基準を決めるという姿勢であるならば、保護者の子供の教育に関する決定権を奪うことになる」として、保護者の意思を重視するよう求めた。



お題目通り“子供のため”であるならば、子供の保護者が中心であるPTAとの協議がまず最初であるはずです。
しかし、警察庁≒(ECPAT/ストップ子ども買春の会・以下ECPAT東京と略)による表現規制案である、いわゆる“高市法案”を推進する人々は、PTAに対する意見聴取だの現状確認を一切行なっていないことが暴露されています。

一方で表現規制内容や手法については極めて具体的に決定しており、表現規制派にとって“何が大切で何が不要なのか”が最も端的に出てしまった好例でしょう。


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次に、ちょうど問題のECPAT東京が児童に対して児童ポルノの閲覧をさせていたという、ろくでもない事実の暴露があります。少々長くなるのですが、示唆的な内容に富んでいるため長文引用いたします。


児童ポルノを撲滅しようと画策している団体は、内部で児童にポルノを鑑賞させている。 (2008-03-14) 王様を欲しがったカエル より

(前略)
》じゃあ、反対活動に希望が全然無いかといえば、そんなことはない。前述のように、日本ではキリスト教徒を徹底的に叩いた過去があるので、多くの日本人はキリスト教的倫理観、この場合はマスターベーションを禁止するという倫理観には染まっておらず、国民の大多数もキリスト教的な倫理観を受け入れるつもりが無い。

》しかも、こちらに好都合なことに、キリスト教的な倫理観、この場合は神→人間という上下関係は、一部の小児性愛者の考える大人→子供という性的な上下関係と酷似しているので、実はキリスト教徒の方が小児性愛になじみやすい。

》エクパットもこの例外ではなく、児童にポルノを見せるというイタズラまがいのことをしっかりやっている。『ECPAT/ストップ子ども買春の会』には、かつてSTOPユースαという未成年を中心とした下部組織があり、このメンバーの未成年者がECPATの成人メンバー公認の元に公然の場でポルノを所持・鑑賞していた事実があるんだな、これが。

》具体的な日時は2003年3月29日。ストップユースα主催で行われた「世代別・男が語る!なぜ起こるのか?子ども買春・子どもポルノ」というイベントで、このイベントにパネリストとして登場したAという高校生(当時)が、公然の場で成人のメンバーの許可を得て、ポルノを鑑賞していたのだ。

》今からちょうど5年も前の話だから、知らない人も忘れている人も沢山いるだろうけど、エクパットという団体がどれだけ狂っているか、この一事でお分かりいただけると思う。児童ポルノをさも危険物のように主張しながら、自分たちの意見に同意した子供達には閲覧させていたんだから、開いた口がふさがらない。

》また、こういう団体と警察、インターネットホットラインセンター、ユニセフ、日本ユニセフ協会、そして公明党がつるんで表現規制を推進しているという事実は、もう少し世間に広まった方がいい。特に行政機関である警察とエクパットとの癒着は問題だ。ポルノを未成年者に閲覧させるような組織と、本来であればそうした組織を取り締まるべき警察がくっついているのはどうなんでしょ? この事実がマスコミに流れたらマズイのでは?



ちなみにこの事件については私も以前から耳にしており、こちらによると山口弁護士からの情報とのことで信憑性も高く、しかもこの情報がこれだけ世に流れてもECPAT東京がなんのアクションも起こさない、という段階で間違いなく事実でしょう。


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ここでECPAT東京は典型的な表現規制団体であり、1.〜3.の全てを主張しています。

1.の理屈では“子供にポルノ鑑賞させている”時点で子供を色情狂にしようとしていることになります。

2.の意味でも(2003年当時は既に児ポ法が施行されていますから)閲覧させている段階で犯罪行為に加担させていることになります。

3.の倫理的な意味では・・・普通に 論 外 ですね(苦笑。


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一方、上述のような“特殊な”事例は“たまたま”だろう、といった意見も稀に耳にするのですが、実は私個人も全く同じ目にあっています。それも、5年前どころつい先日、なんですね。表現規制派は時間を経てもまるで変わっていない、という証左の様なものです(苦笑。

具体的には、2008/03/14に文部省の研究会“ネット安全安心全国推進会議”主催の「ネット安全安心全国推進フォーラム−ネット社会、子どもを守るは大人の責任−」というフォーラムが開催され、一般参加も募集していたので時間をやりくりして参加してみました。

その際、パネルディスカッションにてパネラーの一人である『全国少年警察ボランティア協会サイバーボランティア / 神奈川県松田少年補導員連絡会 会長』なる肩書きを持つ、松浦眞紀子なる人物によって“中高生と思しき少年少女のヌード”が会場に大写しで公開されるという、ろくでもない事態が起こっています。
この際、『会場に居る人に特別に』といった前置きをした上で公開しており、完全に事故ではなく故意であり、いわば“事件”と言えます。

顔にも性器にもボカシひとつ入れず、少年のヌードに至っては局部も大写し、という有様です。もちろん、完全に児童ポルノ法違反ですね(苦笑。
しかも、このフォーラムについては(どういう訳か)ほとんど報道がされておらず、この警察庁ボランティア・少年補導員による“児童ポルノ大写し事件”もまるで世に出てきていません。

表現規制を主張する側がこういった言語道断の対応を行なっているのですから、まずマスコミが指摘すべき事柄なのですが・・・。
ともあれ、このフォーラムについては良くも悪くも色々と興味深い内容が発せられていましたので、おいおいレポート予定です。


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他にもいくらでも同様の事例は存在するのですが、きりがないので割愛。

もちろん中には例外的な人物も居ることでしょう。しかし、2008年現在、自民・公明を中心とし、児童をexucuseとした警察庁/ECPAT東京を筆頭とする表現規制団体の多くは、a.もb.も知りぬいたうえで、それでも表現規制を強く主張し続けています。

それは明らかに“子供などどうでもいい、とにかく表現規制を行なうべきである”という、極めて強い意志表示となるのです。


ota_24_589 at 23:59コメント(4)トラックバック(0)資料 | 規制派の嘘 

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コメント一覧

1. Posted by 高崎   2008年07月05日 20:03
理路整然としてとてもいい記事でした。
結局の所、規制することにより利益を享受する人間が
いることが問題なんでしょうね。
サブカル関係の企業が天下り先だったり、
左翼の資金源だったら何にも問題なかったでしょうねきっと。
人権擁護法案、外国人参政権、児童ポルノ。
規制派の面々を見れば一目瞭然です。腐った匂いがプンプンします。
表現の自由を行使することだけが我々に許された唯一の武器なのに、それの足枷となる法が成立するのは、丸腰で戦うのに等しい事だと思います。


2. Posted by 管理人   2008年07月08日 00:59
>高崎さま
拙文ご覧いただきありがとうございます。

仰るとおり、表現規制を行うことで利益を得る人間が居ることが元凶なのですが、その“利益”が見かけ上は金銭と直結しないことが問題をややこしくしています。

ここ数年の表現規制騒動に関してはほとんどキリスト教矯風会が黒幕と見られますが、彼女ら・彼らにしてみれば表現規制することそれ自体が目的化していますから、一見するとどこにも利益が見えず、善意でやっているように見えてしまうんですね。
そこに『善意なら何をやってもいいんだ』といった類の近視眼的な行動原理を持った第三者が加わるとさらに面倒になるわけです(苦笑。

最も日本ユニセフ協会やホットラインセンターに見られるように、ここ最近は組織の肥大化に伴って金銭的な利益とも積極的に関わってきていますから、そういった意味では叩きやすくなってきていますね。
3. Posted by ニーチェは死んだ・・   2011年12月19日 07:39
モラルパニックってやつですね・・

韓国なんかでは「韓国青年への〔有害な日本的歴史観の影響がマンガには有る!〕日本コンテツの規制は当然である」「若者は日本のコンテツに抵抗がないようだ!!」
イスラムや途上国、欧米でも
新しく外から入ってきた物に今までの自分たちの社会問題を当てつけて
最近の事の用な物に扱うのが常套手段ですが
スケープゴートとしては日本の「現代春画」は絶好なんですよ。
もちろん国内にもそうゆう人たちの手が延びてきます。


石原はキリストの・・
4. Posted by 表現は抑えて   2013年01月11日 15:35
エロシーンをはじめとする「露骨に性に媚びた」サービスシーンはなくなってもいいと思う。これから創作物を作る人々はキャラクターの服の露出度を減らすべき。このままいくと後の時代に何も残らない。あとさすがに「すべてを無くせ」というような意見はおかしいと思うがこればかりは法を通してみなければわからない。反対派は不安から勝手に規制範囲を自分らの頭の中で大きくしているだけだと思う。

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