2008年05月12日

証明 : 表現規制派の“目的”をPDCAサイクルで表現する。 (表現規制派は、『子供の人権など“どうでもいい”と思っている』その2) 4

前回は現象論的に“表現規制は『子供などどうでもいい、とにかく規制しろ』と思っている”事について説明しました。

今回は行動原理的な視点から改めて、その証明を行ってみます。


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まず前提として、人は自分の“目的”について、それが“自分にとって重要”であればあるほど“成果を求めたい”と願うものです。

前述のとおり表現規制派は基本的に『子供のために表現を規制する』と強弁します。

けれど実際には『表現規制は子供のためには何の意味もなさない』ことは前回証明した通りです。それであるにも関わらず、彼らがその類の主張を継続しているのは何故でしょうか。


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ここで“目的”のための行動、つまり“手段”に一生懸命になってしまい、いつの間にか『“手段”が“目的”になってしまう』といった現象が稀に起こるとされています。

表現規制派の行動について調査を始めた当初、私は以下のように考えていました。


『表現規制派の行動がいくら無茶苦茶でも、“子供の人権”より“自分たちの嫌いな表現の規制”を優先させることは無いだろう』

『表現規制派がそれでも“子供を蔑ろにして表現規制を優先する”のは、自らの行動を理解していないが故に“目的”と“手段”を混同しているのではないか?』



さすがにECPAT/ストップ子ども買春の会(=日本キリスト教婦人矯風会・以下ECPAT東京と略)および、ECPAT東京と関連する各種団体に関しては過去の(余りにも明白な)“前科”の数々がすぐに確認できました。
よって弁解の余地無く『子供の人権など“どうでもいい”と思っている』ことを、かなりの初期段階から確信していましたが・・・困ったものです(苦笑。

一方で、警察庁を筆頭とする“お役所”や“政治家”は単に『自分の行動の意味を理解していないのではないか?』『目的と手段を履き違えているのではないか?』と想定していた訳です。

けれど、調べれば調べるほどその想定が余りにも“性善説に偏った人の良い見解”であることを、思い知らされるばかりでした。


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少し長くなりますが、目的と手段に関する実例を挙げてみましょう。

もう15年ほど前の話ですが、私の旧い友人が太りすぎて彼女に叱られ、それが原因でダイエットを始めたことがありました。

ところが、彼はやがて“体を鍛えること”自体の楽しさにハマってしまい、“脂肪を減らして体重を落とす”ことよりも、多少体重が増えても“筋肉をつける”ことが優先となり、本末転倒に至ります。
これは、典型的な“手段”のために“目的”を忘れる事例に見えます。


彼は結果として“体重を増やして”しまいましたが、彼女がそれに怒ったかといえばさに非ず、二人はその後数年の紆余曲折を経て、めでたくゴールインしてたりします。

ここで、彼の“目的”も彼女の“目的”も完全にズレてしまっているのですが、双方ともそれに納得しているので問題とならない訳です。


この現象は“見かけ上の目的”が“真に求めている目的”では無いことから発生しています。

彼にとっての本当の“目的”とは“体重を減らすこと”ではなく、“彼女との関係を良好に保つこと”であり、そのためのダイエットでしか有りません。

一方、彼女がダイエットを求めた理由は“彼に健康体でいて欲しい”ことであり、結果として彼の体重が増加しても“健康体であればそれで良い”ことを意味します。

つまり、彼・彼女双方にとって“真に求めている目的”は全くブレておらず、“見かけ上の目的”とは実際にはそれ自体が“手段”でしかありません。


“真の目的”が満たされるなら『“そこに至る手段”=“見かけ上の目的”はいくら変化しても構わない』のは当たり前の道理なのです。


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表現規制派の話に戻りましょう。

表現規制派にとって真の目的が“子供のため”とすれば、それは“子供のためになるのであれば、その為の手段はいくら変化して構わない”ことになります。

けれど、“表現規制派”という表現そのものが示すように、彼らの行動には全くのブレがなく、常に表現の規制を“絶対の手段”として要求します。

前述のように、それが実際には“子供のため”とは関係が無いことを証明されていても、その行動には全く変化がありません。
・・・もう、この段階で証明が終わっている様な気もします(苦笑。


気を取り直して続けます。

ここで2008年5月現在、『実際に規制してみた』表現が二つほど存在します。一つがいわゆる“猥褻物”であり、もう一つが“児童ポルノ”です。

一番最初に記したとおり、人間は自分が“真に求める目的”について、常に成果を求めます。実際に表現規制派がどんな“成果”を求めて行動しているのか、検証してみましょう。


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実際に“成果が得られているか否か?”を確認するための手段の一つとして、“PDCAサイクル”という概念が存在します。

経済学を学んだ人や、何らかの形で業務管理を行っている人であれば、必ず知っているはずの極めて初歩的な概念です。

(実際の運用ではもっと手の込んだ概念で運用されますが)ISOの基準にも取り入れられているほど単純かつ基本的であり、PDCAサイクルを使えば『成果が如何に求められるか』について容易に確認できます。

簡単に以下の様な段階を経る仕組みとなります。


1. Plan
文字通り“計画”です。この段階で“現状の確認”を行い、目的のための“行動”について、そのエビデンスを求めたり実際の行動計画について策定します。

2. Do
計画の“実行”です。計画さえきちんとできていれば、最も問題のない段階です。

3. Check
実行した計画について、その結果を“評価”します。計画通りの“成果”が得られているか、そうでない場合は何故か、といったことの確認を行います。

4. Action
評価に基づく“改善”です。評価によって得られた情報を元に、次の計画のための対応法を考慮し、エビデンスが明白な対応の場合はその場で対処します。


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それでは、ようやく本題です。

まず猥褻物規制については、何しろ成立する当時の資料が少なすぎて検証が困難なため、ここでは割愛します。
よって児童ポルノについて、実際にPDCAプランに基づいて表現規制派の活動を確認してみましょう。


1. Plan
子供を守るため、その原因となっているものを取り除きます。この場合は“児童ポルノ”となりますが、その科学的・統計学的エビデンスは存在しません

2. Do
児童ポルノを規制します。実際に規制するのは監督官庁ですが何故か厚生省ではなく、規制そのものが目的の警察庁の管轄とします。

3. Check
児童ポルノを規制したことで、“子供が救われているか”を評価します。この活動の痕跡は一切確認できません
>実際には、あろうことか児童ポルノ法施行後に児童に対する強姦が微増したことすら確認できます。(全体としては横ばい傾向です)

4. Action
結果として“子供が救われた数”が減少しなかったことについて、対策とエビデンスの確認を行います。この活動も痕跡が確認できません
・実際の行動としては、更なる規制強化を求めています。


つまり、PDCAサイクルから見ると、不完全な“P”と、それに基づく“D”だけが存在し、それ以外の活動を一切行っていないことが判ります。

もちろん、世に出ていないだけで実際には“C”も“A”も行っている可能性はあるのですが、それを証明するのはまさに悪魔の証明となります。
表現規制派が“C”と“A”の活動内容について公表していない以上、“存在しないもの”として扱うしかありません。

以上により、表現規制派は自らの目的であると主張する“子供のため”である内容について、全く成果の検証を行っていないと断定できます。


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一方、表現規制派の“目的”を、その名のとおり“表現の規制”そのものである、と仮定した場合のPDCAサイクルは以下のようになります。


1. Plan
自らに都合の悪い表現を規制します。
通常の手法では表現規制は憲法違反であり、法的な規制は望めません。よって、被害者児童の存在する“児童ポルノ”の規制である、と主張することで、とりあえず規制の実施を行います。

2. Do
児童ポルノを規制します。
規制される“児童”の範囲を上限ギリギリの18歳とし、猥褻物としての概念とは別に“児童ポルノ”の概念を幅広く設定します。
・当初は創作物もこの範囲に入れようとするも、反対が強く失敗します。

3. Check
店頭やネット上での綿密な検証を行い、実際に規制が実行されているかどうかを評価します。

4. Action
評価の結果により規制がある程度行われたことが確認されます。
実行できなかった規制について確認し、次回以降に実施するための理由を検証します。
・ネット上では一律な評価が困難なため、警察庁に働きかけ『インターネット・ホットラインセンター』を作り、評価と規制を継続します。
 ↓
 2-1. Plan2
 規制する内容に創作物規制を盛り込み、所持するだけで違法となる様に運用を強化します。
 ・前回の失敗を踏まえ、世論を煽ることを優先します。
 ↓
 2-2. Do2
 より名前の知られた存在であり、国連の機関との錯誤も期待できる“日本ユニセフ協会”を中心として活動を行います。
 ↓
 2-3 Check3
 ・・・・・・


以上の様に、見事にPDCAサイクルが輪となっています。しかも次のサイクルへと繋がっており、これはPDCAサイクルとして完成形であることを意味します。

上述の“子供のため”と称した場合と比べれば、どちらがより“成果を求めている”結果であるのか。それこそ子供でも判る道理でしょう。


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実際には表現規制派の行動には一貫性や実効性、そして何よりも論理性が徹底的に欠如しています。
よって、こういった管理サイクルを活用した戦略的な行動指針の策定は(PDCAサイクルの様なごく単純なものですら)“行っていない”可能性が極めて高いと推測されます。

けれど、上述のようにPDCAサイクルは極めて基本的な概念であり、“目的”に対して“成果”を求めようと活動すれば、自動的に実行されることになります。

それが意味するところは全くの自明であり、故に表現規制派は『子供の人権など“どうでもいい”と思って』おり、その目的は表現規制そのものである、と断定できるのです。


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もちろん、児童ポルノ法自体は“被害児童の人権”の回復、すなわち個人法益保護の観点において必要なものであることは明白です。
よって児童ポルノ法に“個人法益の保護のみ”を求める団体や個人には、上記証明はあてはまりません

また、現状の児童ポルノ法にも個人法益の点から見てすら、多くの不備があるとして指摘されています。その修正を求める場合も同様に当てはまらないことになります。

しかし、表現規制派がそういった個人法益の保護ではなく『自らの理想とする社会法益の観点においてのみ、表現規制を強く要求している』という事実は、上記の行動原理の証明からも明らかとなるのです。


ota_24_589 at 02:25コメント(0)トラックバック(0)資料 | 規制派の嘘 

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