理事長朝礼原稿

皇室の歴史  ―南北朝の抗争と『太平記』の世界―

 

 今日は歴史の話です。それも今から7百年位前の南北朝時代の皇室についてです。天皇家が南北2つに分裂した時代だから南北朝時代というのです。

 9月の連休に奈良県南部の吉野町(よしのちょう)五條市(ごじょうし)に行きました。南北朝時代の史跡を訪れるためです。

吉野山は、奈良時代に役行者(えんのぎょうじゃ)修験(しゅげん)道場(どうじょう)として開いたといわれます。それ以前の飛鳥時代には、近江からこの地に来ていた大海人(おおあまの)皇子(みこ)(後の天武(てんむ)天皇)が挙兵したといわれています。大和政権の本拠地であった飛鳥地方に近かったからでしょうか。

吉野山は昔から桜の名所として知られています。桜の季節には、下千本(しもせんぼん)(なか)千本・(かみ)千本はもとより、(おく)千本と呼ばれる奥山まで山桜が咲き誇ります。
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画面は吉野山の全景と修験道場の本山(きん)峯山寺蔵王堂(ぷせんじざおうどう)です。桜の名所なので歌にも多く詠まれていますが、「歌書(かしょ)よりも 軍書(ぐんしょ)(かな)吉野山(よしのやま)」といわれるごとく、争乱の土地としても知られています。特に、鎌倉時代末期から、日本の皇室が二つに分かれて争った場所なのです。

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民家とも思われる家の玄関に「皇居」と書かれています。幕末の尊皇攘夷派の人が書いたもののレプリカだそうです。本物は近くにある歴史民族資料館に展示してありました。皇居とは天皇が住まわれるところですが、現在の五條市賀名生(あのう)、7百年前には西吉野と呼ばれた村にこのような皇居があったことが想像できますか。事実は小説よりも奇なりです。

 鎌倉時代末期に、天皇家の相続争いの結果、京都の大覚寺(だいかくじ)におられる天皇と持明院(じみょういん)におられるご兄弟の系統が交互に天皇の位に就くことになりました。1318年に持明院系の花園(はなぞの)天皇が大覚寺系の()醍醐(だいご)天皇に譲位されましたが、後醍醐天皇は次の皇太子として自分の子を指名したのです。約束が違うということになります。この頃から鎌倉幕府が天皇の継承に干渉するようになったので、後醍醐天皇は鎌倉幕府を倒す決意をしました。正中(しょうちゅう)元年(1324年)の「正中(しょうちゅう)(へん)」と呼ばれる倒幕計画の後、元弘(げんこう)元年(1331年)8月に後醍醐天皇は、深夜、三種(さんしゅ)神器(じんぎ)を携えて御所を脱出しました。「元弘(げんこう)の変」と呼ばれます。しかし、後醍醐天皇は捕らえられて隠岐島(おきのしま)配流(はいる)となりました。これを機に鎌倉幕府は光厳(こうごん)天皇を次の天皇に指名しました。北朝第一代の天皇です。その後、隠岐島から戻られた後醍醐天皇側についた足利尊(あしかがたかし)()らにより鎌倉幕府が倒されると、後醍醐天皇は「建武(けんむ)新政(しんせい)(あるいは建武の中興(ちゅうこう))」と呼ばれる天皇自らが政治を行う政府を作りましたが、足利尊氏は北朝側に移り、日本中が南朝と北朝に分かれて戦うことになりました。南北朝の抗争は一進一退を繰り返しました。皆さんご存知の新田(にった)義貞(よしさだ)もこの時代の人です。新田義貞は南朝の命令で越前に来て、挽回を計りました。同じく南朝側だった楠木(くすのき)正成(まさしげ)湊川(みなとがわ)で戦死しました。

この頃のことが書かれたのが古典の『太平記』です。はっきりした作者は分かりません。写本が残っています。

解説書として、井沢(いざわ)元彦(もとひこ)『逆説の日本史 太平記と南北朝の謎』(小学館文庫)
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安藤
(あんどう)
英男(ひでお)
『南北朝の動乱』(新人物往来社)などがあります。
南北朝時代の歴史は小説にもなり、吉川(よしかわ)英治(えいじ)『私本 太平記』(講談社 吉川英治歴史時代文庫)

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や ⑤山岡(やまおか)荘八(そうはち)『新太平記』(講談社 山岡荘八歴史文庫)
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は面白い読み物です。

足利尊氏率いる北朝に押された後醍醐天皇は吉野に逃れ、やがてこの地で亡くなりました。画面は、当時住まわれた行宮(あんぐう)如意(にょい)輪寺(りんじ)(そば)にある後醍醐天皇陵です。その後、南朝は吉野から更に奥地へと逃れ、西吉野の賀名生(あのう)に皇居を移しました。はじめに出した皇居は後醍醐天皇の子である後村(ごむら)(かみ)天皇の住んでいたところです。この辺りの面白い読み物として童門(どうもん)冬二(ふゆじ)『西吉野朝太平記』(奈良新聞社)
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があります。裏話も書かれており、この時代に興味は尽きません。

 南朝と北朝に60年近くも分かれていましたが、元中9年(1392年)に足利(あしかが)義満(よしみつ)の仲介で、南朝の後亀山(ごかめやま)天皇から北朝の()小松(こまつ)天皇に三種の神器が渡され、南北朝分立に幕が下りました。日本の皇室において、南朝と北朝のいずれが正統であるのか、この後も問題となりました。北畠親房(きたばたけちかふさ)は、後村上天皇のために『神皇(じんのう)正統記(しょうとうき)』を書き、南朝の正統性を述べましたが、南朝が正統であると実際に認められたのは明治になってからでした。先程の皇居跡の近くに北畠親房の墓があります。
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 さて、後醍醐天皇は波瀾に満ちた一生でしたが、北朝の光厳(こうごん)天皇も不幸な一生でした。北条氏や足利氏から天皇の位に就けられたり、廃位させられたりしたわけです。1364年に隠棲先の京都の常照皇寺(じょうしょうこうじ)で亡くなりました。この寺に光厳天皇の御陵(ごりょう)があります。私はこの寺の雰囲気が好きで、3回訪れています。


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 最後に面白い話をします。日本が太平洋戦争に負けて、皇室の存続が問題となった時期がありました。この時、南朝の後亀山天皇の子孫であるという人々が何人も名乗りを上げたのです。その一人が「熊沢天皇」と呼ばれた人でした。

山地(やまじ)(ゆう)一郎(いちろう)後南朝(ごなんちょう)再発掘』(叢文社)は、熊沢天皇を扱った内容です。皆さんは「熊沢天皇」という言葉を聞いたことがありますか。

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 手当たり次第でも本を読むと、思いがけずに面白い本だったりして、楽しいものですよ。

                                                (2010.11.1

 

悪人とは誰か ―映画『悪人』を観て―

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先週は『歎異抄(たんにしょう)を紹介して、「悪人」でも救われるという話をしました。「悪人」とはどんな人をいうのでしょうかという私の問いに対して、皆さんからあまりはっきりした答えはもらえませんでした。

 2年程前に朝日新聞に吉田(よしだ)修一(しゅういち)さんの『悪人』が連載されていましたが、昨年、書籍として出版されました。更に李相日(リサンイル)監督によって映画化され、この9月11日に公開されました。

映画の主演は妻夫(つまぶ)木聡(きさとし)さんと深津絵(ふかつえ)(り)さんで、二人とも日本アカデミー賞を受賞したことのある実力派です。今回の『悪人』で深津さんはモントリオール世界映画祭で最優秀女優賞を受賞して、話題となりましたね。

小説『悪人』のストーリーの概略は、主人公の土木作業員清水祐一(ゆういち)(妻夫木聡)は、出会い系サイトで知り合った女性を殺害してしまいます。その後また、出会い系サイトで知り合った馬込光代(まごめみつよ)(深津絵理)と知り合い、深い関係となります。祐一は警察に自首しようとするのですが、光代がそれを引き止めたため、共に逃げることになり、最後は灯台の管理小屋で警察に逮捕されるというものです。

私は原作を読んだ時から(ひ)かれるものがありましたが、今回、映画を観て、「悪人」とは誰だろうと改めて考えました。人を「善」と「悪」で分けるのは実に難しいことです。主人公の祐一は、被害者からすれば鬼畜にも等しい人間でしょうが、決して生まれながらの悪人ではないと思われます。では、悪を承知で祐一と一緒に逃げる道を選んだ光代は善人でしょうか、悪人でしょうか。人はいつどんな時でも善人であることはできません。実際に盗みをはたらいたり、人をだましたり、人を殺したりしないまでも、憎しみや嫉妬心を抱くことがあります。そんな自分に気が付いて、「自分は悪人かも知れない」と思った時、反省をし、悪人と善人を意識するのです。どんな人でも「悪人」と「善人」の両面を持っています。そしてそれは当然であるのです。その前提で、自分の納得できる生き方をしていって欲しいと思います。小説『悪人』を読み、映画『悪人』を観て、「悪人とは」「善人とは」「人とは」を考えて欲しいと思います。

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③最後に紹介する
貴志(きし)祐介(ゆうすけ)『悪の教典』上下(文藝春秋)は、今年7月の出版で、高校を舞台にした大量殺人の話です。この犯人の怖さは、他人の痛みが分からない人間であることです。良心の呵責(かしゃく)や罪の意識がない人間をどう扱ったらよいでしょう。若い世代の人が読むと面白いと思います。

過ごしやすい季節になりました。秋の夜長に読書をして、内面を磨いて下さい。

 

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追加

上京した折、書店で面白い本を見つけました。中島(なかじま)義道(よしみち)『善人ほど悪い奴はいない』(角川oneテーマ)という本です。皆さんは、悪人は嫌だ自分は善人になりたい、また善人こそ褒められるものとおもっているのでしょうが、この本は哲学的にみて善人を鋭く批判をしています。善人は自分の弱さを正当化し、また同情されたいと思っているとも述べています。もう一度、善人とは何か、悪人とは何かを考えさせられる内容です。本を読んでよく考えることは意味があることで、自身の内面を深めることになります。又、読書の薦めとなりました。

                       (2010.10.4

悪人は救われるのか  ―親鸞の教えと『歎異抄』―


今日は仏教の話をします。

 私を含めて皆さんのほとんどが浄土真宗の門徒です。これまでにも浄土真宗の宗祖親鸞の教えとは何かという話をしています。来年は親鸞聖人の750(き)なのでいろんなイベントがあり、1030日からは福井市郷土歴史博物館で特別展「親鸞の生涯と教え」が開かれます。 

これから、親鸞聖人についての復習とその弟子唯円(ゆいえん)の書いた『歎異抄』について解説します。

 親鸞聖人は承安(しょうあん)3年(1173年)に京都市郊外の日野(ひの)で生まれ、9歳の時に出家して、その後20年間、比叡山で修行をしました。比叡山での修行に疑問を感じて下山し、「専修(せんじゅ)念仏(ねんぶつ)」を唱える法然上人の弟子となりました。建永(けんえい)元年(1206年)に「承元(じょうげん)法難(ほうなん)」といわれる浄土教への弾圧によって、越後の国に流されました。その後、建保(けんぽう)2年(1214年)に関東地方の常陸(ひたち)の国へ(おもむ)き、ここで20年間に亘って布教と著述に励みました。その著述が6巻にまとめられた『教行信証』といわれものです。阿弥陀如来に救いを求めれば、煩悩(ぼんのう)具足(ぐそく)凡夫(ぼんぷ)でも必ず極楽往生ができるという内容です。煩悩具足の凡夫とは、心を煩わせ、身を悩ませる欲望がある人、つまり私たち凡人のことです。

『教行信証』については、矢田(やた)了章(りょうしょう)『『教行信証』入門』(大法輪閣)がありますが、入門書といってもやはり難解です。

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山折
(
やまおり)哲雄(てつお)
『『教行信証』を読む』(岩波新書)は、先月出版されました。同じく山折哲雄『親鸞をよむ』(岩波新書)は3年前の出版ですが、この2冊は比較的分り易い内容なので、読んでみて下さい。



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佐々木正
(
ささきただし)
『親鸞再考』(法蔵館)も今年出版されたものですが、親鸞上人が法然上人から受け継いだ「善人なおもつて往生をとぐ。いわんや悪人をや」の真実はどこにあるのかという本質論を展開しており、私にはとても興味のある内容でした。この「善人なおもて往生をとぐ。いわんや悪人をや」という言葉ですが、善人が極楽往生できるという考えは理解できます。ではなぜ悪人こそ救われるといえるのでしょうか。この親鸞の言葉に対して、親鸞の生存中から論議がされてきました。『教行信証』の序文ですでに、観無量寿経のインド・マガダ国のアジャセ王子とビンビサラ王とイダイケ王妃の悲劇を取り上げていますから、親鸞聖人の「教え」そのものといえます。佐々木さんの『親鸞再考』を私は何回も読み返しました。



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 さて、続いて『歎異抄』の話をします。『歎異抄』というのは、親鸞聖人の死後、およそ10年経って、弟子であった唯円が、親鸞の教えが曲げて解釈されていることを悲しんで、生存中に親鸞聖人と交わした対話や追想を主として書いたものです。浄土真宗の門徒の間でも明治以前まではあまり知られていなかったようですが、東本願寺派の清沢(きよざわ)満之(まんし)という人によって、広く知られるようになったようです。親鸞聖人の教えを理解したい人たちがそれぞれの解釈をしているので、『歎異抄』に関する本は何冊もあります。書店の「仏教コーナー」には必ず数冊かはあります。私の手元にある本を何冊か紹介します。

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山崎(やまさき)龍明(りゅうみょう)『始めての歎異抄』(NHK出版)は昨年(2009年)の出版です。親鸞と唯円との出会いや『歎異抄』が書かれた由来も書かれていて面白い本です。五木寛之『私訳 歎異抄』(東京書籍)は、はじめに彼の意訳が書かれ、終わりに原典を紹介していますから、初めての方にはこの本が適当かも知れません。

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(お)方正(がたしょう)(りん)『歎異抄を読む』(本願寺出版社)は、京都女子高校校長である著者が、高校生向けに書いたと思われ、原典と現代語訳を同時に載せています。

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 これらの本の他に、更に解説を加えた本も多数あります。その一部を紹介します。

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ひろさちや『わたしの歎異抄』(すずき出版)、梅原(うめはら)(たけし)『梅原猛の『歎異抄』入門』(PHP新書)、五木寛之『歎異抄の謎』(祥伝社新書)、高史明(こうしめい)『現代によみがえる歎異抄』(NHKライブラリー)、三國連(みくにれん)太郎(たろう)『親鸞に至る道』(光文社文庫)、佐々木正『いまを生きるための歎異抄入門』(平凡社新書)などです。五木さんや佐々木さんの解説を読み比べるのも面白いと思います。

 『歎異抄』で私が一番感銘を受けるところは、第3章の有名な「悪人正機」のくだりです。少し長くなりますが、原文を読みます。

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 善人
(
ぜんにん)
なおもて往生(おうじょう)をとぐ。いはんや悪人(あくにん)をや。しかるを(よ)(ひと)つねにいはく、「悪人なほ往生す。いかにいはんや善人をや」。この(じょう)一旦(いったん)そのいはれあるに(に)たれども、本願(ほんがん)他力(たりき)意趣(いしゅ)にそむけり。そのゆゑは、自力(じりき)作善(さぜん)の人は、ひとへに他力をたのむこころ(か)けたるあひだ、弥陀(みだ)の本願にあらず。しかれども、自力のこころをひるがへして、他力をたのみたてまつれば、真実報土(しんじつほうど)の往生をとぐるなり。煩悩(ぼんのう)具足(ぐそく)のわれらは、いづれの(ぎょう)にても生死(せいし)をはなるることあるべからざるを、あはれみたまひて(がん)をおこしたまふ本意(ほんい)悪人(あくにん)成仏(じょうぶつ)のためなれば、他力をたのみたてまつる悪人、もっとも往生の正因(しょういん)なり。よって善人だにこそ往生すれ、まして悪人はと、(おお)(そうら)ひき。

 

 少し難しいかも知れませんが、先程紹介した本には必ずこの意味が説明してあります。

 さて最後に、私が親鸞の教えに興味をもつきっかけになった本を紹介します。今から百年位前の大正時代に倉田(くらた)百三(ももぞう)26歳の時に書いた『出家とその弟子』という戯曲です。

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 親鸞と唯円、親鸞の子の善鸞(ぜんらん)も登場して、交わす言葉には考えさせられるものがあります。このロングセラーを読むと皆さんも感銘を受けることは間違いないと思います。是非『歎異抄』に関する本を手にして下さい。

来週は映画「悪人」の話をします。                       (2010.9.27





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