OTAPHYSICABLOG

エフヤマダのオタク雑記

2009年09月

画質狂時代

 ここ数年の私のアニメ視聴環境は最悪であった。愚妹が引っ越したときに置いていった廃品級の十四インチのテレビデオ(当然アナログ、ビデオ部分は壊れている)と、これまた年季の入ったノートパソコンの狭い液晶画面、これらしかなかったのだ。しかし、慣れというのは恐ろしいもので、一度「こういうものだ」と思ってしまうと、人間、劣悪な状況もたいして気にならなくなってしまうのである。実は自分は酷い状態にある、ということに気づいたのはほんのちょっと前、この夏休みに実家にちょっと顔を出したさいに、液晶の大きいテレビでデジタル放送された『咲-Saki-』を観たときだ。俺の嫁やら愛人やら娘やらはこんなに綺麗だったのか、と愕然としたね。アニメ視聴はプライベートな体験なので、自分の視聴環境を相対化しそこなうことがときにあるようだ。しかし、視聴環境の差異は、視聴体験そのものにかなり深刻な影響を与えうるのであるな。久しぶりにまとまった額の生きた金を使うことになりそうである。
 

素敵なお寿司屋さん

 プロフェッショナルの仕事に感嘆することがある。たとえば、『侍戦隊シンケンジャー』シンケンゴールドは凄いと思うのだ。海老と烏賊を従えた寿司屋が喋る提灯を掲げつつ秋刀魚を振り回して悪を倒す、なんて、要素だけを並べればどう考えても馬鹿にしているとしか思えないだろう。しかし、実際に形になったシンケンゴールドのかっこよさといったら!かっこよさげな要素を揃えてかっこいいヒーローを造形する、なんていうのは、素人の妄想でもできることだ。それでは客から金は貰えない。ありえない要素から痺れるようなかっこよさをつくってしまうのがプロの技なんだなあ、と唸った私であった。

大正野球娘。

 『大正野球娘。』はあと一試合欲しかったように思う。なにかの目的のためにする試合ではなく、ただ試合がしたいからする試合が。「なにかの目的のためにする試合」は、「その目的を達成したいのであれば、別のより合理的な方策もあったのでは」という含みをどこかに残してしまう。スポーツを含めたゲームもの一般に言えることなのだが、そういう余地をなくすためにも、やはり最後は「別に理由なんかいらない、楽しくてたまらないからやるのだ」というようなゲームの純粋な楽しさまで描いてほしいのである。この作品が、よくできているんだけれどもちょっと物足りない、と感じさせてしまうのは、そのための一試合が足りなかったからではないか。
 (2009年、全十二話)

鯖缶へのめざめ

 十数年ぶりに鯖の缶詰を食べたのだが、思ったより美味いな。昔の缶詰がもっと不味かったのか、幼かった私の味覚が未熟だったのか、ずっと鯖缶は苦手と思い込んでいたのだが、どうも食わず嫌いだったようだ。
 もちろん『ラブプラス』の影響である。

語りの温度差

 エヴァンゲリオンが苦手なのであるが、それは他の人たちと語りの歩調を合わせることができないから、ということが大きい。たとえば『エヴァ破』を見終わった直後などは、「面白いなあ、あれ、私も結構エヴァ好きなんじゃないかなあ」とか思ったりするのだが、その後、リアルやらネットやらで他のみんなのアツい語りっぷりに触れると、自分との温度の違いにちょっと引いてしまうのだ。私にとってはどこまでいっても「数あるロボットアニメ群のうちの一つ」以上でも以下でもないので、これでどうこう言うのがなんだか申し訳ない気持ちになるのである。同じ感じで富野由悠季も苦手だったりする。

ゲームウォッチ世代が遠い目をしている

 ニンテンドーDSiを買った。携帯ゲーム機文化にまったく目配りしないでウン十年生きてきた老人は技術の進歩に震えたね。DSiの前に触った携帯ゲーム機が小学校時代のオトモダチがもっていたゲームウォッチだったからなあ。四半世紀ほどの時間を隔てるとアレがコウなるのか。
 まあだいたい時期的に見当がつくかと思うのだが、仕事帰りの発売日に某家電量販店に寄って「DSiと『ラブプラス』をおくれ」と言って入手したわけである。でも『ラブプラス』はそこそこで止まっていて、現在はその後買った『逆転裁判』シリーズをちょこちょこ進めていたりする。普通のおっさんが言うような面白くもなんともない感想で恥ずかしいのであるが、携帯ゲーム機というヤツは手軽でいいね。

なににカチンとくるかはその人次第

 結局私は『けいおん!』にそれほど動かされることはなかった。どうしてなんだろう、と自己分析するに、原因の一つはやはり「そこにロックがあり、お前には才能があるのに、なぜちゃんと練習しないんだ」と思ってしまったところにある。「そういうアニメじゃない」ということはわかっている。重々わかっているにもかかわらず、「思ってしまった」のである。それほどまで自分がロックに思い入れがあったとは、それほどまで自分の音楽の才能のなさを残念に思っていたとは、自覚していなかったなあ。
 同じ感じで過剰に拒否反応が出てしまうのが、「素人がしばらく特訓しただけで格闘技の試合で経験者に勝ってしまう話」である。この手の展開、「才能ないのに好きで続けている人」の神経を酷く逆撫でするのである。
 ちなみに私は野球にはあまり思いいれがない。野球が好きであり、かつ、才能があまりなかった人は、『大正野球娘。』にやはりカチンときたりするのだろうか。全部許せてしまう私には、このへん、よくわからない。
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