もうひとつの小樽運河保存運動

血も涙もある無責任と花も実もある自己顕示! 地域に生きる蕎麦屋親爺の、もうひとつのまちづくり市民運動

記憶違いは、その人間の心理の奥底にある欲望が現れたものだ。
その記憶の仕方の中に、本人の欲望が現れているものだ。

25_01. ポスト小樽運河百人委員会  1984(昭和59)年8月18日、横路知事が五者会談に出席し、   「埋立・保存両派の合意が得られず、埋立工事を続行する。    小樽運河と港湾地区の再開発について考える小樽市活性化委員会の設置を提唱する。」と締めくく ...

小樽運河百人委員会事務所 1984(昭和59)年 24_01. 何故、最高揚を迎えながら敗北せざるをえなかったのか  概して、その運動を担ったものほどその運動が何であったのかを真正面から捉えなおそうとは、したがらない。  とりわけ、町並み保存運動や「まちづくり」市民運 ...

23_01.小樽運河保存の最後の手だてのリコールは迷走する・・・  反峯山・リコール急進派が、リコール受任者用紙を印刷発注していた。    *受任者用紙:市長の解職を請求する代表者から署名集めを委任された人を受任者と呼び、          それは選挙管理委員 ...

22_01.第一回五者会談開催される。 第一回五者会談が、5月24日午前9時半、小樽市市民会館会議室で始まった。 TVや報道人約50人。 出席者は、 北海道:横路北海道知事と新谷昌明公営企業管理者 埋立派:志村常雄・小樽市長、早坂昭光・市土木部長、自民党小樽支 ...

1983年昭和54年3月31日 朝日新聞1984年昭和59年 4月 3日 横路道知事、記者会見で事態打開のため埋立・保存両派が共同のテーブルにつき話       し合い解決の糸口づくりに知事も動くと記者会見。       小樽運河を守る会幹事会、藤森茂男氏、       ...

1984年1月29日北海道新聞20_01_01. 運動の主導権を巡って、むき出しの党派性が持ち込まれるという、辛く切ない話をしなければならない。  この11年間の小樽運河保存運動の経緯の中で、自分にとって「一番せつなく辛い」ところまで、とうとう書き連ねてきてしまった。  ...

19_01. 水面下の政治戦に・・・1983年昭和58年  11月12日 運河部分の杭打工事に着手 11月19日 11/19、百人委員会が市に九万八千の署名を携え市長面談を求める。      市役所、再考の余地なしの対応に終止し、小樽運河百人委員会は、       『やむにやまれ ...

18_01. 小樽市発行「広報おたる号外」の内容の欺瞞性1983小樽市広報おたる号外 小樽市は10月15日「広報おたる号外」を全戸配布、小樽運河百人委員会アピールに対抗してきた。  タイトルは、  「道々小樽臨港線代替えルートは不可能ー小樽運河百人委員会アピールに ...

17_01. 道路建設見直し小樽運河百人委員会結成1983年昭和58年  8月28日 小樽商工会議所川合一成会頭,正式に「埋め立ての見直しを」声明  9月   「小樽商工会議所にかってに連帯する会」を準備する花園銀座商店街の装飾品店経      営・村上勝利社長・関建 ...

 小樽運河を守る会発行フライヤー・ドーンデザイン研究所16_01. 小樽商工会議所正副会頭たちの周到な準備  1981年昭和56年、その前半は表面的には小樽運河保存運動は、深く静かに進行していた。 西武グループの小樽運河エリア再開発をめぐって、小樽商工会議所会 ...

作:金子誠治15_01. 西武の小樽運河エリア再開発計画が、小樽を根底から揺るがす。 1982年(昭和57年)はこうして明けたが、年初は、全勢力が深く水面下での動きを続ける政治戦になってきていた。  一方、そのような「政治戦」に突入した中、小樽運河を守る会の若者は仲間 ...

↑北大大学院生グループによる道々小樽臨港線代替えルート案と大運河公園プラン 14_01. 運河保存大爆発の予兆の前の切なさ このポートフェスティバルというまちづくりイベントを登場させることに成功した、小樽運河保存運動は新たな領域に突入していった。 地元の  小樽 ...

13. 全国町並みゼミ開催と保存運動内の路線論争の萌芽↑ 全国町並みゼミリーフレット:タイトルロゴは私が書いた13_01. 全国町並みゼミの開催 1980年(昭和55年)、全国町並み保存連盟は  「あたらしい町自慢の創造を」と題する「第3回全国町並みゼミ」を小樽と函 ...

 冬の北運河12_01.贔屓の引き倒し  1979年(昭和54年)11月13日。 小樽市市・都市計画審議会は、市が発注した北大工学部飯田助教授による「運河公園化構想」を「主要道々小樽臨港線計画」に組み込む「変更素案」を質疑打ち切りにした。 翌14日、市議会総務 ...

 飯田勝幸北大助教授による「小樽運河とその周辺地区環境整備構想」 11_01.小樽運河保存派の攻勢は続いた・・ 小樽夢街とポートフェスティバルの攻勢は続いた。 駅前国際ホテルの2階フロアー広場で、ポートフェスティバルで大好評だった素人出店の通年バージョン、「夢街 ...

だがの乃10.『運河保存』を敢えて言わず、『うるかす』作戦の始動道々小樽臨港線完成前の冬の小樽運河 第二期小樽運河保存運動の扉をこじ開けたポートフェスティバルは、  「小樽運河保存」をうるかし(漬けものを漬け、蓋をし、放っておくことから転じ、物事を決めないで ...

 ポートフェスティバル・メーンステージの大観衆9.「第二期」小樽運河保存運動 9_01 「第一期」小樽運河保存運動の終焉と「第二期」の開始  「第二期小樽運河保存運動」が、いよいよ始まった。 1973年(昭和48年)冬に、「小樽運河を守る会」が結成されて五年を経 ...

小樽夢の街づくり実行委員会発行ミニコミタウン誌・”ふぃぇすた小樽”8_01.ふぃえすた小樽発刊し、夢街バザールを開催し、『まち』に打って出る  ホームページやブログなどない時代だった。   夢街は、自分の言葉で自分の『まち』を語り、自らの小樽の新しいイメージを ...

↑ 小樽夢の街づくり実行委員会の印半纏。 上の画像は、私がデザインをまかされた小樽・夢の街づくり実行委員会の会員用印半纏。 江戸の火消し半纏のデザインを貰い、しかし意味合いは逆に、沈滞した小樽に「火をつけよう」とした 「夢」という字が決まらず、何度も新聞紙 ...

小樽運河の1本港側の「市道港線」を埋める出店と市民の人並み写真;志佐公道 06_01. 1978年7月7日 ついにその日が来た。 第一回ポートフェスティバル。   あれほど準備しても初回は初回! 電気配線工事は遅れ、素人出店(でみせ)の地割りも遅れ、全部が遅れているの ...

小樽運河・石造倉庫扉05.最初にイマジネーション・・・が、あった。05_01.運河埋立「反対運動」ではなく、「対案提起型」市民運動  そんなポートフェスティバル開催に怒濤のように向かう喧噪をよそに、  「小樽運河保存運動は、どのような小樽という街の新しい都市像を求 ...

小樽の『まち』の底流で若者たちが蠢き初めていた。04_01. 小樽の『まち』の底流で、若者たちが蠢き初めていた。 帰省し三年目。 蕎麦屋の息子は、失ってはならないものをつくってしまった。 第二の「栄光への脱出=エクソダス」構想は、完全に破綻した。 失ってはなら ...

旧有幌石造倉庫群・昭和40年代後半・小樽博物館蔵  帰ってきた実家・蕎麦屋・籔半も、小樽運河も街も呻いていた。03_01.帰ってきた街・斜陽小樽で籔半も呻いていた 1974年(昭和49年)秋に帰省した。 帰省して喜んだのは両親以上に、三人兄弟の弟二人だった。 とり ...

1961年昭和36年の小樽花園銀座商店街。現在の函館本線ガード下が、SLが走る踏切だった。市内の商店主の誰もがこのエリアに店を出したがったほど、人出で賑わっていた。 02. 01. ここではない何処かへ、ここ以外ならどこでも!  小樽脱出という思いが、人工衛星のように ...

第2回ポートフェスティバル(1979年(s54)の私と佐々木一夫・小樽夢の街づくり実行委員会会長 (右) 01_01. はじめに     「 一人の人間をみるときは、私は階段をのぼって行って屋上に出、     その上からあらためてのぞきこんでその人をみる。     同じ ...

 2014(平成26)年5月31日 北海道新聞は後志・小樽版で「小樽運河100年・水路の記憶」(志村直記者)を全四部シリーズで連載した。 1914(大正3)年、現在の小樽運河の造成工事が開始され、そこから100年を経たということで、小樽運河の成り立ちから今日の観光小樽の現 ...

 1984(昭和59)年、小樽運河保存運動が終焉した。 その2年後の1986(昭和61)年、小樽運河を埋め立てる道々小樽臨港線工事が竣工し、小樽運河水辺に沿った遊歩道とガス灯が完備した。 その1986年から20年を経て、北海道新聞小樽支社に赴任した本田良一記者が、2006(H ...

 1984(昭和59)年10月09日から、朝日新聞小樽版で開始された  「運河問題《十年の歩み》第三部保存への壁 全81回」である。 1985(昭和60)年3月20日まで半年間、全81回も継続された進地三雄記者の労作である。 スキャンした原稿もコピーされたものであり、そのコピ ...

 1973(昭和48)年から十一年の小樽運河保存運動では、実の多くの優秀な新聞記者TV記者が多くの記事を新聞紙上に掲載した。 情報公開の「じ」の字もない時代だった。 それほど小樽運河保存問題での記事掲載が、小樽運河保存運動への市民意識を揺り動かしたかわから ...

 観光まちづくりとテロワールと・・・ 昨年末の「本保観光庁長官更迭」事件を取り上げてから、そのテーマは前回で20本目となった。(^^) 21本目の本記事のタイトルは、 「観光まちづくりとテロワールと・・」だ。 いくらあぶないもう一人の蕎麦屋親爺だからといって、勿 ...

 年度初めで商売と観光まちづくりの多忙さに加え、関西方面に所用で行くということもあって、ちょっとリズムが乱れてしまった。 が、私のリズム以上にお国の方も相変わらず乱れている。 国交省大臣・前原さんも大変だ。 記憶に新しいが、昨年12月、本年度予算編成の最 ...

 これがわが国の2010観光プロモーションなのか? この英語版やヨーロッパ各国版として世界各国の国際空港で流れているのか? さて、エリマキトカゲというキテレツなトカゲが大ブームになったのを覚えている人は、今もたくさんいるだろう。 1984年、三菱自動車のミラージ ...

  溝畑宏さんの観光庁長官選任の理由を、記者会見で  「・・・こういった時に民間の、大分フットボールクラブというのは大分トリ  ニータでございますが、初めは大分という地方都市でスポンサーもなかなか無  いという全くのゼロの状況からスポンサーを自らかき集め ...

 ツルの恩返しならぬ「溝」の恩返しに関して前記事で記した。 今回の「溝の恩返し」編を書いたのは、溝畑新観光庁長官の  「恩返し」という言葉にこそ、最も彼の行動原理がよく表れていると思ったからです。 それは西日本新聞の、以下の記事からでした。 「長所生かせ ...

観光は恩返しであるか? 溝畑観光庁長官が、この1ケ月、精力的に全国を東奔西走しています。 ←とある会議で、見せて頂いた、 「溝畑」新観光長官のお名刺です。 大変エネルギッシュに全国を飛び回り、セールスマンのように名刺をくばられております。 その様子を書かれ ...

観光庁Web_Toppage オザワの参議院選前の去就で大賑わいの新聞報道です。 が、そんな政局に惑わされず、政権交代・政治主導というのだから、自らが携わる分野で、政治主導の中身こそを真摯にチェックし、逆提言してあげなければなりません。 それにしても、(官僚主導か ...

溝畑観光庁長官 2月22日夜、お客様が引けたので店仕舞をスタッフに任せ居間にあがり、TVのスイッチをONに。 チャンネルを何となく巡らしていると、ン! 最近見知ったご尊顔が。 BSフジの「プライムニュース」~鳩山政権の新成長戦略「観光立国」への課題...に、 ...

 当然なのだが、やっとだ。 大分合同新聞:大分FC、減資を検討 債務超過の解消策  西日本新聞「経営悪化の責任明確に」トリニータ前社長の責任調査へ 5月にも公表 読売新聞トリニータ前社長の責任調査へ...県議会で青野社長 やっと大分県議会が大分トリニータ問題で ...

衆議院予算委員会22.02.09 河野太郎衆議院議員が、2/9国会予算委員会で新・観光庁長官人事で前原国交省大臣を追求した。 予算委員会ビデオにアクセスし、左のサイドコラムのカレンダーの2/9をクリックすると、予算委員会のページにいきます。 その質疑者リストの河野議 ...

 量から質へ・・中国観光大爆発と観光庁「新」長官就任挨拶と インバウンドや中国人訪日観光をどう考えているのか、と仲間から言われかねないくらい小樽にも中国からの観光客が押し寄せる時代になった。 「現状の小樽は海外訪日客の来樽によって支えられている」 「その ...

 これまで何回か、本保観光庁長官の更迭問題で書いてきた。  それが、蕎麦屋親父だけの憤慨と理解されてしまうのも残念だし、同じ小樽出身というレベルで理解されるのも悔しい。  ということで、この間の事態を冷静にネット関係の記事を検証しながら、整理してみ ...

 松がとれたので、昨年末からの本保観光庁長官更迭問題の継続を. かつては水商売と蔑まれ、又ぞろ、きな臭い長官就任で日本観光は貶められるのか?という思いで年をこした. と、嬉しいことに拙ブログに,コメントを頂いた.   ・・・ありえない話に涙すら出ません。 観 ...

満腔の怒り 本保観光庁長官の更迭事件を追います。 日本全国の観光現場で苦闘する者達をなめてかかっている国交省・前原誠司大臣の所業を黙って見過ごすわけにはいかないからです。 年末、大晦日、年越しという当方の商売では年最大のイベントがあり、板場を空けられず、 ...

怒りがおさまらない。政府が発表してしまった人事がくつがえることはない、と友人がいう。馬鹿な! 例え、覆っても、覆水盆に返らず、なのだ。新聞にも記事がでたので、はっきり書かせてもらう。前記事での、長官とは観光庁長官・本保芳明氏。大臣とは、前原誠司国土交通省 ...

 2009.12.26 Saturday 一体ナンダという報道が。  お国の観光庁長官が、国交省大臣に更迭された。  政権交代なって大臣・副大臣・政務官体制を引くとなり、政務官になったのがUFJ総研出身の議員。 国交省大臣は、その議員を使って前年比四倍増の予算をブラフで計上さ ...

 ついに、後志エリアの広域観光事業を展開する、自立した地域法人、有限責任中間法人・しりべしツーリズムサポートが誕生します。 10.01、倶知安法務局に設立届けを提出いたしました。 事務所も後志エリアの真ん中、倶知安町のJR倶知安駅構内の空店舗を借りてスタートし ...

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