July 10, 2006
引用はどうなのだろう?
リンクの多い記事はたしかによみにくい。まなめはうすのまなめさんがそこからあげたことは
の3つです。1はCSSいじってしまえばなんとでもなるんですよね。たしかにリンクの青時は色がついている分通常よりも目立ってる。それは目に付くし、目ざといものです。そして、3については同意です。突然リンク先が消えてしまえばそれで終りですから。内容がわからなくなってしまったら記事として成り立ちません。
ここで考えたい問題は2つめのある事に関してだ。
前半部分はたしかにそのとおりなんですけど、後半の先に読んで欲しい場合は、引用すればいいじゃないの部分が若干どうかと思う。効果的に引用使えるならいいけど、実際引用しにくい記事ってたくさんあるんです。
引用すればいいって簡単にいうなよ…。引用がへたな人間だってたくさんいるんだぞ。
■引用の難しさ
たしかに、引用することは大事だとは思います。突然のリンク先の閉鎖でリンク切れになり、そのためどういう記事に言及しているのかがわからなくなってしまい、へたをするとその記事自体が意味をなさなくなってしまうかもしれません。ニュースサイトなんかでは仕方のないことでしょうけど、テキストサイトには致命的です。
だからといって、引用ばかりの記事ってのも考えものだと思います。引用ばかりで中身のまったくない記事はほおっておくとして、ここでいいたいのは引用ばかりにせざるをえないとき、または元記事自体が実によくまとめられていて、そう簡単に省くところがないときである。
引用部分だけでは意味がわからないからその周りも引用していく、そうしているうちに長くなりすぎることはなくはないはずです。国語力のある人なら、的確に抜き出せるのでしょうけど、やはり難しいものですし、ない人にとっては至難の業です。長くなれば見にくくなる、短くなるとわからなくなる、まさに本末転倒でしょう。
また、引用ばかりの記事は引用元を読んだ事のある人からすれば、うざったいだけだろう。無駄に長くなる記事は読んでる途中で飽きてくる。引用はそれに拍車をかけているときがある。少なくともそういうとき俺は引用記事を見てない。
■簡潔に、まとめるとそれは引用か?
じゃあ自分の言葉で簡潔にまとめてしまえばいいじゃないか、そう思ったことが僕にもありました。でも、そうすることに俺は若干のためらいがある。そもそも誰かが書いた記事を勝手にまとめて載せてしまっていいのだろうかと。
少なくとも自分の言葉でまとめた以上、それは引用ではない。よく国語の試験とかである内容を100字程度で簡潔にまとめなさいみたいなものだ。そういえば小学生のころあれが苦手だったな…。
まとめるのがへたな人間がそういうことをやるといまいち伝わりにくかったり、いいたい内容が摩り替わってたりとまた大変なことになってしまう。できるなら、そうしてもいいのであればそうするべきなのだろう。引用とは言えないかもしれないが、リンクを読まなくても伝わるようにできるいだろうし、少なく書けば見にくくもないはずだ。
書こう書こうとは思ってたのだが、時間がなくて書く暇なかったんだよね…。当分テストとレポート三昧の生活だし。しかもそんな状態でカラオケオールしてるし。何かんがえてるんだろうな俺。
引用元:リンクの多い記事(304 Not Modified)
1.見栄えが良くない 2.文中リンクは、リンクを先に読んで欲しいの? 3.リンク先を読まなくても理解できる記事を |
の3つです。1はCSSいじってしまえばなんとでもなるんですよね。たしかにリンクの青時は色がついている分通常よりも目立ってる。それは目に付くし、目ざといものです。そして、3については同意です。突然リンク先が消えてしまえばそれで終りですから。内容がわからなくなってしまったら記事として成り立ちません。
ここで考えたい問題は2つめのある事に関してだ。
「○○でも書きましたが」とか、「○○で言われているとおり」とか、「詳細は○○で」といった感じでリンクされている場合、リンク先は先に読んで欲しいのでしょうか?書いている側って、多分補足程度だと思うのです。だったら、注意書きつけて記事の最後にリンクを挙げればいいと思うのです。先に読んで欲しい場合は、引用すればいいじゃないですか。 |
前半部分はたしかにそのとおりなんですけど、後半の先に読んで欲しい場合は、引用すればいいじゃないの部分が若干どうかと思う。効果的に引用使えるならいいけど、実際引用しにくい記事ってたくさんあるんです。
引用すればいいって簡単にいうなよ…。引用がへたな人間だってたくさんいるんだぞ。
■引用の難しさ
たしかに、引用することは大事だとは思います。突然のリンク先の閉鎖でリンク切れになり、そのためどういう記事に言及しているのかがわからなくなってしまい、へたをするとその記事自体が意味をなさなくなってしまうかもしれません。ニュースサイトなんかでは仕方のないことでしょうけど、テキストサイトには致命的です。
だからといって、引用ばかりの記事ってのも考えものだと思います。引用ばかりで中身のまったくない記事はほおっておくとして、ここでいいたいのは引用ばかりにせざるをえないとき、または元記事自体が実によくまとめられていて、そう簡単に省くところがないときである。
引用部分だけでは意味がわからないからその周りも引用していく、そうしているうちに長くなりすぎることはなくはないはずです。国語力のある人なら、的確に抜き出せるのでしょうけど、やはり難しいものですし、ない人にとっては至難の業です。長くなれば見にくくなる、短くなるとわからなくなる、まさに本末転倒でしょう。
また、引用ばかりの記事は引用元を読んだ事のある人からすれば、うざったいだけだろう。無駄に長くなる記事は読んでる途中で飽きてくる。引用はそれに拍車をかけているときがある。少なくともそういうとき俺は引用記事を見てない。
■簡潔に、まとめるとそれは引用か?
じゃあ自分の言葉で簡潔にまとめてしまえばいいじゃないか、そう思ったことが僕にもありました。でも、そうすることに俺は若干のためらいがある。そもそも誰かが書いた記事を勝手にまとめて載せてしまっていいのだろうかと。
少なくとも自分の言葉でまとめた以上、それは引用ではない。よく国語の試験とかである内容を100字程度で簡潔にまとめなさいみたいなものだ。そういえば小学生のころあれが苦手だったな…。
まとめるのがへたな人間がそういうことをやるといまいち伝わりにくかったり、いいたい内容が摩り替わってたりとまた大変なことになってしまう。できるなら、そうしてもいいのであればそうするべきなのだろう。引用とは言えないかもしれないが、リンクを読まなくても伝わるようにできるいだろうし、少なく書けば見にくくもないはずだ。
書こう書こうとは思ってたのだが、時間がなくて書く暇なかったんだよね…。当分テストとレポート三昧の生活だし。しかもそんな状態でカラオケオールしてるし。何かんがえてるんだろうな俺。
引用元:リンクの多い記事(304 Not Modified)