当方ブログをライブドアから
オリジナルブログへと移行することになりました
ixa.othe.co.jp
こちらで今後、気まぐれで記事を投下したいと思います
自分で作っているので
まだコーディング中で、穴だらけなところがありますが
もう少しで完成します
また、IXA記事だけではなく、戦国史の事や
我が家のわんこのことなども記事にしたいかなあと思っています
今後とも宜しくお願い致します
33-36鯖、徳川でプレイしている、おせやんの気まぐれ日記
永禄4年(1561年)、鈴木重秀の長男として生まれたとされるが、重意(佐大夫)の子という説もあり、詳細は不明である。
石山戦争では父や弟らと共に本願寺顕如に協力して織田信長と戦うが[1]、天正13年(1585年)に羽柴秀吉(豊臣秀吉)による紀伊征伐で雑賀衆が滅亡すると、秀吉の家臣として仕え、1万石を与えられた。以後、天正18年(1590年)の小田原征伐に従軍し、朝鮮出兵では肥前名護屋城の在番を務めた。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは、西軍本隊に属して伏見城攻防戦の先鋒となって一番乗りを果たし、伏見城に籠もる鳥居元忠を討ち取った(伏見城の戦い)。戦後は浪人の後に伊達政宗に仕え、後に政宗の仲介により慶長11年(1606年)に徳川家康に直臣として3000石で召抱えられ、しばらくして水戸徳川家の徳川頼房の旗本として付けられた。
跡を継いだ子の重次は水戸藩主・頼房の十一男を養子・鈴木重義として迎えたため、鈴木家は水戸藩の重臣として続き、子孫は「雑賀」の姓に改めた。また、歴代の当主は「孫一」を通称とした。なお、雑賀党の首領は代々「雑賀孫一」を名乗ることが慣例となっていた。孫一は「孫市」とも書かれることもあり、さらに孫市と孫一は全くの別人だったとする説もある。また、鈴木氏は重朝・重秀ら優秀な人物が石山戦争で活躍していたため、兄の重秀を「孫一」とし、弟の重朝を「孫市」とする説もある。実際、重朝の跡を継いだ子の重次は、雑賀孫「市」と名乗っている。
以上wikiより抜粋
さてこのカード
砲攻素材として優秀なカードです
ちなみにS2は剛勇無双です
B・C・S1狙いで全部砲攻っていう分かりやすいカードです
付けたいカードに鉄砲隊剛撃付けておけば
ハズレなしってことになります
ただ、
詭謀の宴でLV10で50-15
馬上砲術でLV10で60-15 という火力が物足らない点が悔やまれますね
軍師付けて上乗せ25%として
詭謀の宴・75-15で期待値11.25
馬上砲術・85-15で期待値12.75
鉄砲隊剛撃で55-20で期待値11.0
砲撃羅刹で50-25で期待値12.5
3コス極とかに付けるのであれば
烈火を付けるよりは、期待値的には上回ります
発動85%とかだと、常に報告書に載ると思うので
見た目的には嬉しいですねえ
ということで私は
今回、主の祈りに対応した黒田のおかげで
息を吹き返した小西さんに
剛撃・烈火を削除して、火力の安定の為に付け直しました
報告書には馬上が常に発動している感じでいいですよん
羅刹、甲州流兵学の方が期待値としては高くなりますけど
甲州流の小幡さんは、堅陣斉射が狙えるので
素材としては高くなるかと
火力時代のなかで
オリジナリティがあって、私は好きです
次回、おせやん日記
ブログを新しくオープン
こうご期待
オセロ