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2021年03月
2021/3/3122:0
2021/3/3120:0
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2021/3/3117:0
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2021/3/3112:0
2021/3/3020:0
1: 名無しさんとはSoundHeaven 2021/03/27(土) 10:57:56.73 ID:U+3eZ62ir
茨城県で地域活性活動をする写真家やデザイナーなどで構成するクリエーター団体「rain coat studio(レインコートスタジオ)」が現在、サブスクリプション(定額制)でのギターレンタルサービス「ギタシェア(仮)」での起業を目指し、準備を進めている。
サービス名は「ギタシェア(仮)」。現在、楽器のメンテナンスから修理まで一貫して同団体で行う月額980円~の楽器レンタルサービス開始を目指し、クラウドファンディングで支援を呼び掛けている。
https://mito.keizai.biz/headline/1802/
サービス名は「ギタシェア(仮)」。現在、楽器のメンテナンスから修理まで一貫して同団体で行う月額980円~の楽器レンタルサービス開始を目指し、クラウドファンディングで支援を呼び掛けている。
https://mito.keizai.biz/headline/1802/
2021/3/3017:0
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2021/3/3012:0
1: 名無しさんとはSoundHeaven 2021/03/18(木) 05:56:37.54 ID:CAP_USER9
草野マサムネ、Mr.Childrenのドラマー鈴木英哉の魅力語る!「櫻井くんの歌に寄り添う…」
投稿日:2021/03/15 15:28 COCONUTS
https://coconutsjapan.com/entertainment/spitz-kusanomasamune-mrchildren/55577/
スピッツのボーカルである草野マサムネさんがパーソナリティを務めるラジオ番組『SPITZ 草野マサムネのロック大陸漫遊記』(TOKYO FMほか)。3月14日の放送では、草野さんがMr.Childrenのドラマー鈴木英哉さんについて語る場面がありました。
■草野マサムネ、スピッツドラム崎山龍男との出会いを回顧「ビートバンクの世界では天下とったな」
今回は【好きなドラマーリクエスト・その1で漫遊記】と題し、リスナーからのリクエストを元にドラマーがフィーチャーされたロックナンバーが紹介されていきました。
まずはスピッツの曲からということで「スピッツ結成当時、まだハードなバンドを目指していた頃に、サキちゃんと最初に音合わせしたとき、理想のドラマーに出会ったと思ったんですけれども『もう、ビートバンクの世界では天下とったな』みたいな」と﨑山龍男さんと出会った当時の心境を回顧する草野さん。
そして、その時の雰囲気を思い出す曲として『1987→』を流しました。
■草野マサムネ、Mr.Childrenのドラマー鈴木英哉の魅力語る!「櫻井くんの歌に寄り添う…」
Mr.Children『Documentary film』がリクエストされると、"JEN(ジェン)"の愛称で知られるMr.Childrenのドラマー鈴木英哉さんについて「Mr.Childrenのヒットの要因として、結構デカイピース」と表現し「ステージ映えのするあのアクションももちろん素敵なのですが、実は櫻井くんの歌に寄り添う繊細なドラムだなぁとも感じています」と語ります。
また「あとキャラがねぇ最高なんだよ、JENは」と言うと、2018年に発売された椎名林檎さんのトリビュート・アルバム『アダムとイヴの林檎』で、鈴木さんがドラマー、草野さんがボーカルとして参加したスペシャルバンド、theウラシマ‘sを振り返り「JENが一緒ですごい楽しくって、ムードメーカーっつうか、とっても可愛いキャラクターのドラマーだと思います」とコメント。技術はもちろん鈴木さんの魅力的である人柄も絶賛しました。
■草野マサムネ、ドラマーは「野球で言うとこのキャッチャー」
そして、マスコットキャラクター・ふなっしーがボーカルを担当するご当地キャラメタルバンド「CHARAMEL(キャラメル)」のドラマーにゃんごすたーについては、リクエストが大変多かったことをリスナーに報告する場面も。
番組エンディングで草野さんは「ドラマーが変わるとサウンド雰囲気がガラッと変わることもあるし…ドラムというのは土台だもんね、バンドのね」としみじみ語り「野球で言うところのキャッチャーだね」と締め括りつつ「野球で例えるの『おじさんっぽい』って言われても、これは変わりません」とお茶目に付け加え、番組を終えていました。
今回の放送にネット上では「﨑ちゃんと初めて音合わせした時のことを思い出す1987→ わーーステキ」「Mr.Childrenが流れるとは」などと、﨑山さんと出会った頃を思い出すという話や、Mr.Childrenの楽曲が流れたこと対して、感動の声が。
(※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。)
(文:ジョブリナ)
投稿日:2021/03/15 15:28 COCONUTS
https://coconutsjapan.com/entertainment/spitz-kusanomasamune-mrchildren/55577/
スピッツのボーカルである草野マサムネさんがパーソナリティを務めるラジオ番組『SPITZ 草野マサムネのロック大陸漫遊記』(TOKYO FMほか)。3月14日の放送では、草野さんがMr.Childrenのドラマー鈴木英哉さんについて語る場面がありました。
■草野マサムネ、スピッツドラム崎山龍男との出会いを回顧「ビートバンクの世界では天下とったな」
今回は【好きなドラマーリクエスト・その1で漫遊記】と題し、リスナーからのリクエストを元にドラマーがフィーチャーされたロックナンバーが紹介されていきました。
まずはスピッツの曲からということで「スピッツ結成当時、まだハードなバンドを目指していた頃に、サキちゃんと最初に音合わせしたとき、理想のドラマーに出会ったと思ったんですけれども『もう、ビートバンクの世界では天下とったな』みたいな」と﨑山龍男さんと出会った当時の心境を回顧する草野さん。
そして、その時の雰囲気を思い出す曲として『1987→』を流しました。
■草野マサムネ、Mr.Childrenのドラマー鈴木英哉の魅力語る!「櫻井くんの歌に寄り添う…」
Mr.Children『Documentary film』がリクエストされると、"JEN(ジェン)"の愛称で知られるMr.Childrenのドラマー鈴木英哉さんについて「Mr.Childrenのヒットの要因として、結構デカイピース」と表現し「ステージ映えのするあのアクションももちろん素敵なのですが、実は櫻井くんの歌に寄り添う繊細なドラムだなぁとも感じています」と語ります。
また「あとキャラがねぇ最高なんだよ、JENは」と言うと、2018年に発売された椎名林檎さんのトリビュート・アルバム『アダムとイヴの林檎』で、鈴木さんがドラマー、草野さんがボーカルとして参加したスペシャルバンド、theウラシマ‘sを振り返り「JENが一緒ですごい楽しくって、ムードメーカーっつうか、とっても可愛いキャラクターのドラマーだと思います」とコメント。技術はもちろん鈴木さんの魅力的である人柄も絶賛しました。
■草野マサムネ、ドラマーは「野球で言うとこのキャッチャー」
そして、マスコットキャラクター・ふなっしーがボーカルを担当するご当地キャラメタルバンド「CHARAMEL(キャラメル)」のドラマーにゃんごすたーについては、リクエストが大変多かったことをリスナーに報告する場面も。
番組エンディングで草野さんは「ドラマーが変わるとサウンド雰囲気がガラッと変わることもあるし…ドラムというのは土台だもんね、バンドのね」としみじみ語り「野球で言うところのキャッチャーだね」と締め括りつつ「野球で例えるの『おじさんっぽい』って言われても、これは変わりません」とお茶目に付け加え、番組を終えていました。
今回の放送にネット上では「﨑ちゃんと初めて音合わせした時のことを思い出す1987→ わーーステキ」「Mr.Childrenが流れるとは」などと、﨑山さんと出会った頃を思い出すという話や、Mr.Childrenの楽曲が流れたこと対して、感動の声が。
(※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。)
(文:ジョブリナ)
2021/3/2922:0
1: 名無しさんとはSoundHeaven 2021/03/28(日) 07:01:32.14 ID:CAP_USER9
音響はイマイチなのに日本武道館が「ライブの聖地」になったワケ
3/27(土) 7:30 アーバン ライフ メトロ
https://news.yahoo.co.jp/articles/921dc257b40d15533789179a5dafe7bde61fe7d8
日本武道館(画像:写真AC)

正式名称は「にっぽんぶどうかん」
コロナ禍で会場に1年以上足を運べない現在、「ライブ・コンサートを思いきり楽しみたい」と考える人が多いようです。
数十人規模のライブ・ハウスから数万人が集まるスタジアムまで、ライブ会場と言ってもさまざま。ただ、日本における「ライブの聖地」として、何十年も絶対的な存在感を放ち続けているのが日本武道館(千代田区北の丸公園)です。
日本武道館の正式名称は「にっぽんぶどうかん」で、かつての江戸城、現在の皇居の内堀内にあります。
1964(昭和39)年の東京オリンピック開催に際し、柔道会場として建設に尽力したのは正力松太郎(1885~1969年)。読売新聞社社長としてその発展に尽くし、日本テレビを、そして読売ジャイアンツを創設した大物でした。
最初のポップス公演はビートルズ
日本武道館ではいかなる催しであれ、天井から日本の国旗が掲げられます。毎年8月15日に行われる全国戦没者追悼式を始め、国家的行事の開催も多く、神聖で特別な場所というイメージは今も根強いでしょう。
しかし、開館の翌年にはオーケストラのコンサートが開かれ、2年後の1966年にはポップ・ミュージックのアーティストとして、ビートルズが最初のライブを行っています。
ビートルズの武道館ライブは唯一の来日公演となりました。前座には内田裕也や、当時は音楽バンドだった、いかりや長介率いるザ・ドリフターズらが出演。アリーナに席はなく、観客がいるのはスタンド席だけでしたが、それでも数万人がこのライブを目撃。
そのなかには加山雄三や美空ひばり、沢田研二、宇崎竜童、財津和夫、ドリフターズ加入前の志村けんなど、ミュージシャンや著名人も多くいました。
70年代には早くも日本一のライブ会場に
ビートルズの武道館ライブには、「外国人が日本武道の聖地でロックのライブをやるなんて!」という反対の声も少なからずありました。しかしこの歴史的なイベントが無事に開催されたことで、日本武道館の「ライブの聖地」としての歩みが始まります。
翌1967年には、ビートルズに影響を受けた若者たちが始めたグループ・サウンズの一大ブームが起き、沢田研二や岸部シローのいたザ・タイガース、かまやつひろし、堺正章、井上順を擁したスパイダースらが合同で、日本のポップ・ミュージシャンとして初のライブを主催。
ビートルズに続いた来日組は1968年のウォーカー・ブラザーズ、モンキーズで、1971年にはシカゴ、レッド・ツェッペリンが上陸。「ソウル・ファンクの帝王」であるジェームス・ブラウンが初来日公演を行った1973年からは、多くのライブが毎年開催されるようになりました。
アリーナにも観客を入れるようになると、日本武道館は1万人前後を収容するライブ会場となります。今でこそ数万人が集まるライブも少なくありませんが、70~80年代は1万人を集められるアーティストはごくひと握り。加えて、海外の大物アーティストの主要ライブ会場となったことで、ミュージシャンの多くが目指すステージとなり、日本一のライブ会場だと捉えられていきます。
「Live at Budokan」が世界中でステータスに
日本のソロ・シンガーで初めて武道館ライブを行ったのは、西城秀樹です。初登場した1975年から11年連続でソロ公演を開催。1976年のステージは録音され、ライブ・アルバムとしても発売されました。
ここでの公演を収めたライブ・アルバムが非常に多く存在することも、日本武道館の存在感を際立たせている要因のひとつです。
それには理由があって、チープ・トリックが1978年に発売したライブ・アルバム『Cheap Trick at Budokan』が大ヒットとなり、彼らは武道館ライブによって、まさに世界中でブレークしたからです。
そうして、国内外のさらに多くのアーティストが武道館でライブをやりたいと、次第に考えるようになりました。
(※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。)
小渕晃(音楽ライター、bmr元編集長)
3/27(土) 7:30 アーバン ライフ メトロ
https://news.yahoo.co.jp/articles/921dc257b40d15533789179a5dafe7bde61fe7d8
日本武道館(画像:写真AC)

正式名称は「にっぽんぶどうかん」
コロナ禍で会場に1年以上足を運べない現在、「ライブ・コンサートを思いきり楽しみたい」と考える人が多いようです。
数十人規模のライブ・ハウスから数万人が集まるスタジアムまで、ライブ会場と言ってもさまざま。ただ、日本における「ライブの聖地」として、何十年も絶対的な存在感を放ち続けているのが日本武道館(千代田区北の丸公園)です。
日本武道館の正式名称は「にっぽんぶどうかん」で、かつての江戸城、現在の皇居の内堀内にあります。
1964(昭和39)年の東京オリンピック開催に際し、柔道会場として建設に尽力したのは正力松太郎(1885~1969年)。読売新聞社社長としてその発展に尽くし、日本テレビを、そして読売ジャイアンツを創設した大物でした。
最初のポップス公演はビートルズ
日本武道館ではいかなる催しであれ、天井から日本の国旗が掲げられます。毎年8月15日に行われる全国戦没者追悼式を始め、国家的行事の開催も多く、神聖で特別な場所というイメージは今も根強いでしょう。
しかし、開館の翌年にはオーケストラのコンサートが開かれ、2年後の1966年にはポップ・ミュージックのアーティストとして、ビートルズが最初のライブを行っています。
ビートルズの武道館ライブは唯一の来日公演となりました。前座には内田裕也や、当時は音楽バンドだった、いかりや長介率いるザ・ドリフターズらが出演。アリーナに席はなく、観客がいるのはスタンド席だけでしたが、それでも数万人がこのライブを目撃。
そのなかには加山雄三や美空ひばり、沢田研二、宇崎竜童、財津和夫、ドリフターズ加入前の志村けんなど、ミュージシャンや著名人も多くいました。
70年代には早くも日本一のライブ会場に
ビートルズの武道館ライブには、「外国人が日本武道の聖地でロックのライブをやるなんて!」という反対の声も少なからずありました。しかしこの歴史的なイベントが無事に開催されたことで、日本武道館の「ライブの聖地」としての歩みが始まります。
翌1967年には、ビートルズに影響を受けた若者たちが始めたグループ・サウンズの一大ブームが起き、沢田研二や岸部シローのいたザ・タイガース、かまやつひろし、堺正章、井上順を擁したスパイダースらが合同で、日本のポップ・ミュージシャンとして初のライブを主催。
ビートルズに続いた来日組は1968年のウォーカー・ブラザーズ、モンキーズで、1971年にはシカゴ、レッド・ツェッペリンが上陸。「ソウル・ファンクの帝王」であるジェームス・ブラウンが初来日公演を行った1973年からは、多くのライブが毎年開催されるようになりました。
アリーナにも観客を入れるようになると、日本武道館は1万人前後を収容するライブ会場となります。今でこそ数万人が集まるライブも少なくありませんが、70~80年代は1万人を集められるアーティストはごくひと握り。加えて、海外の大物アーティストの主要ライブ会場となったことで、ミュージシャンの多くが目指すステージとなり、日本一のライブ会場だと捉えられていきます。
「Live at Budokan」が世界中でステータスに
日本のソロ・シンガーで初めて武道館ライブを行ったのは、西城秀樹です。初登場した1975年から11年連続でソロ公演を開催。1976年のステージは録音され、ライブ・アルバムとしても発売されました。
ここでの公演を収めたライブ・アルバムが非常に多く存在することも、日本武道館の存在感を際立たせている要因のひとつです。
それには理由があって、チープ・トリックが1978年に発売したライブ・アルバム『Cheap Trick at Budokan』が大ヒットとなり、彼らは武道館ライブによって、まさに世界中でブレークしたからです。
そうして、国内外のさらに多くのアーティストが武道館でライブをやりたいと、次第に考えるようになりました。
(※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。)
小渕晃(音楽ライター、bmr元編集長)
2021/3/2920:0
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