1: 名無しさんとはSoundHeaven 2025/01/19(日) 07:09:22.55 ID:I2nX+eX49
1/18 デイリー新潮
https://news.yahoo.co.jp/articles/3fcd9b991fd081ce5bcc37067855dd2d403a52e6
「ドラマティック・レイン」や「クリスマスキャロルの頃には」などのヒット曲で知られるシンガーの稲垣潤一(71)。ドラムを叩きながら歌うのは、音楽を始めた当初から貫くスタイルだ。強い影響を受けたのは、ザ・ビートルズの存在だったという。
■父が好きだった「ナット・キング・コール」 必然的にラジオから聞こえてきた洋楽
宮城県仙台市に生まれ、両親ともに音楽好きという家庭で育った。特に父は洋楽を好み、ナット・キング・コールなどを好んで聴いていたという。ラジオからはさまざまな曲が流れていた。UKチャートやビルボードチャートに入る曲が多かった中でも、ザ・ビートルズは別格だった。
「1960年代のポップス・ロックをカッコいいと感じる中で、やはりビートルズの存在は大きかった。とにかく曲がカッコよかった。当時は、この曲はポール作曲、こっちはジョン作曲などとは知らずにいましたが、他のバンドとは聴こえ方が違っていた。とがったサウンドをしていたんでしょうね。特にジョンの声質や歌い方に憧れました」
中学の頃にはグループサウンズ(GS)ブームに。アイ高野(ザ・カーナビーツなど)や植田芳暁(ザ・ワイルドワンズ)らがドラムを叩きながら歌っていた。そうした姿に憧れていたわけではないというが、ドラムセットに興味があった。
■母が買ってくれたエレキギターに続き、12弦のアコギも購入
中学3年時にバンドを結成した。当時は貸しスタジオもほとんどなく、メンバーの自宅をスタジオ代わりに集まって練習していたという。そのメンバーは先輩ともバンドを組んでおり、彼らは自宅に楽器を置いていった。そこにドラムセットがあった。
「キクチ君という同級生のメンバーでしたが、彼が8ビートを叩いてくれたんです。カッコいいな、と思って自分でも8ビートを叩いてみたら、すぐにできるようになった。ドラムセットというもののビジュアルのカッコよさも感じていましたし、『ドラムがつくり出すビート感と音ってすげぇなあ』と思って。それでドラムスをやりたい、と。それにリードボーカルもやりたかったんで、このスタイルになったんです」
今もライブなどではドラムを叩きながら歌う「叩き語り」をこなすが、何十年とそのスタイルを重ねてきても、なお難しさがあるという。
「ドラムに納得できても、歌がちょっと納得できなかったりすることは今でもある。それはオーディエンスには届かない部分かもしれませんけど。 歌とドラムがカチッとハマる瞬間やゾーンがあるんですが、常にそういういいゾーンに入ってプレイできるわけでもなくて。自分の中で何かがちょっとずれていることもあるので、その意味では非常に難しい。体幹がぶれないようにしないと歌もぶれてしまいます。今でもドラムを叩くことはトレーニングになっている面もありますね」
■高卒後、「ハコバン」として地元・仙台の店と専属契約
高校卒業後、同級生が組んでいたバンドに誘われ、ドラムを務めることとなった。時は1970年代。当時、ディスコや水商売系の店と契約して演奏するバンドは「ハコバン」と呼ばれていた。「ハコ」(店)の「バンド」という意味だ。
「当時はハコバン文化の隆盛期でね。お店と専属契約をして1日に何回かの演奏をこなすという形。仙台にもそういう店がたくさんあって、40?50店ぐらいはあったのかな? 東北の他の地域から、出稼ぎじゃないけど、仙台に集まるミュージシャンもいましたね」
バンドはツインギターにベース、ドラムという形態。ベースがリードボーカルを担っていたため、稲垣が時折歌うことはあったものの、基本はドラマーだった。
一時は東京で1年ほど、別のメンバーとハコバンをやっていた時期もあった。仙台に戻ってから、最後の3年間は伝説の名店「スコッチバンク」で、毎ステージ3?4曲はボーカルを務めた。その評判を聞きつけて東京からテレビ局のスタッフがやってきた。
「カセットに吹き込んだデモテープを持ち歩いていたので、それがデビューにつながったんです。スコッチバンクでは、基本は洋楽曲のコピーが中心で、女性ボーカルとデュエットしたり、自身がボーカルを取ったりしていました」
稲垣の特徴ある声が届いたという証拠だろう。話す際には、比較的低めの声でとつとつと喋るが、歌うとなれば高さも通り方もほぼ真逆。他に類するもののない唯一無二の声と言っても過言ではない。
(※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。)
https://news.yahoo.co.jp/articles/3fcd9b991fd081ce5bcc37067855dd2d403a52e6
「ドラマティック・レイン」や「クリスマスキャロルの頃には」などのヒット曲で知られるシンガーの稲垣潤一(71)。ドラムを叩きながら歌うのは、音楽を始めた当初から貫くスタイルだ。強い影響を受けたのは、ザ・ビートルズの存在だったという。
■父が好きだった「ナット・キング・コール」 必然的にラジオから聞こえてきた洋楽
宮城県仙台市に生まれ、両親ともに音楽好きという家庭で育った。特に父は洋楽を好み、ナット・キング・コールなどを好んで聴いていたという。ラジオからはさまざまな曲が流れていた。UKチャートやビルボードチャートに入る曲が多かった中でも、ザ・ビートルズは別格だった。
「1960年代のポップス・ロックをカッコいいと感じる中で、やはりビートルズの存在は大きかった。とにかく曲がカッコよかった。当時は、この曲はポール作曲、こっちはジョン作曲などとは知らずにいましたが、他のバンドとは聴こえ方が違っていた。とがったサウンドをしていたんでしょうね。特にジョンの声質や歌い方に憧れました」
中学の頃にはグループサウンズ(GS)ブームに。アイ高野(ザ・カーナビーツなど)や植田芳暁(ザ・ワイルドワンズ)らがドラムを叩きながら歌っていた。そうした姿に憧れていたわけではないというが、ドラムセットに興味があった。
■母が買ってくれたエレキギターに続き、12弦のアコギも購入
中学3年時にバンドを結成した。当時は貸しスタジオもほとんどなく、メンバーの自宅をスタジオ代わりに集まって練習していたという。そのメンバーは先輩ともバンドを組んでおり、彼らは自宅に楽器を置いていった。そこにドラムセットがあった。
「キクチ君という同級生のメンバーでしたが、彼が8ビートを叩いてくれたんです。カッコいいな、と思って自分でも8ビートを叩いてみたら、すぐにできるようになった。ドラムセットというもののビジュアルのカッコよさも感じていましたし、『ドラムがつくり出すビート感と音ってすげぇなあ』と思って。それでドラムスをやりたい、と。それにリードボーカルもやりたかったんで、このスタイルになったんです」
今もライブなどではドラムを叩きながら歌う「叩き語り」をこなすが、何十年とそのスタイルを重ねてきても、なお難しさがあるという。
「ドラムに納得できても、歌がちょっと納得できなかったりすることは今でもある。それはオーディエンスには届かない部分かもしれませんけど。 歌とドラムがカチッとハマる瞬間やゾーンがあるんですが、常にそういういいゾーンに入ってプレイできるわけでもなくて。自分の中で何かがちょっとずれていることもあるので、その意味では非常に難しい。体幹がぶれないようにしないと歌もぶれてしまいます。今でもドラムを叩くことはトレーニングになっている面もありますね」
■高卒後、「ハコバン」として地元・仙台の店と専属契約
高校卒業後、同級生が組んでいたバンドに誘われ、ドラムを務めることとなった。時は1970年代。当時、ディスコや水商売系の店と契約して演奏するバンドは「ハコバン」と呼ばれていた。「ハコ」(店)の「バンド」という意味だ。
「当時はハコバン文化の隆盛期でね。お店と専属契約をして1日に何回かの演奏をこなすという形。仙台にもそういう店がたくさんあって、40?50店ぐらいはあったのかな? 東北の他の地域から、出稼ぎじゃないけど、仙台に集まるミュージシャンもいましたね」
バンドはツインギターにベース、ドラムという形態。ベースがリードボーカルを担っていたため、稲垣が時折歌うことはあったものの、基本はドラマーだった。
一時は東京で1年ほど、別のメンバーとハコバンをやっていた時期もあった。仙台に戻ってから、最後の3年間は伝説の名店「スコッチバンク」で、毎ステージ3?4曲はボーカルを務めた。その評判を聞きつけて東京からテレビ局のスタッフがやってきた。
「カセットに吹き込んだデモテープを持ち歩いていたので、それがデビューにつながったんです。スコッチバンクでは、基本は洋楽曲のコピーが中心で、女性ボーカルとデュエットしたり、自身がボーカルを取ったりしていました」
稲垣の特徴ある声が届いたという証拠だろう。話す際には、比較的低めの声でとつとつと喋るが、歌うとなれば高さも通り方もほぼ真逆。他に類するもののない唯一無二の声と言っても過言ではない。
(※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。)
>>1
怪談やってる人…?
怪談やってる人…?
3: 名無しさんとはSoundHeaven 2025/01/19(日) 07:23:10.61 ID:K8WfXdvC0
昭和28年生まれ
稲垣潤一
甲斐よしひろ
円広志
松平健
古谷徹
落合博満
真弓明信
梨田昌孝
若菜嘉晴
定岡智秋
吹石徳一
岡義朗
クロマティ
Mr.オクレ
稲垣潤一
甲斐よしひろ
円広志
松平健
古谷徹
落合博満
真弓明信
梨田昌孝
若菜嘉晴
定岡智秋
吹石徳一
岡義朗
クロマティ
Mr.オクレ
15: 名無しさんとはSoundHeaven 2025/01/19(日) 08:06:33.03 ID:4e5cjbu40
>>3
山下達郎
竹下景子
小林幸子
山下達郎
竹下景子
小林幸子
7: 名無しさんとはSoundHeaven 2025/01/19(日) 07:52:36.78 ID:QSg8bASY0
作詞作曲編曲プロデュースを全部自分でやってないからシンガーなんだよな
尚極度の酒乱
尚極度の酒乱
10: 名無しさんとはSoundHeaven 2025/01/19(日) 07:57:17.64 ID:5T5184iz0
いい年こいたクソジジイだけど、稲垣潤一がドラム叩いてるなんて今まで知らなかった
13: 名無しさんとはSoundHeaven 2025/01/19(日) 08:03:53.78 ID:DAVuFB1i0
カレンは同時にはやってなかったっけ
歌もドラムもすげーけど
歌もドラムもすげーけど
17: 名無しさんとはSoundHeaven 2025/01/19(日) 08:23:05.75 ID:6QpOPnJJ0
>>13
カーペンターズ初期は叩き語りやってた
カーペンターズ初期は叩き語りやってた
21: 名無しさんとはSoundHeaven 2025/01/19(日) 09:48:26.38 ID:751L5puv0
YMOのユキヒロさんもDay Tripperとか
複雑なビート叩きながら歌ってたなw
だがやっぱり解散ライブは
ボーカルに専念したいということで
ドラムは助っ人ドラマーに任せていた。
複雑なビート叩きながら歌ってたなw
だがやっぱり解散ライブは
ボーカルに専念したいということで
ドラムは助っ人ドラマーに任せていた。
32: 名無しさんとはSoundHeaven 2025/01/19(日) 11:15:27.76 ID:LLd/Dwh20
ドラム叩きながら歌ってわりと歌いやすいと思うけどな
もちろんギター(コードだけ)は除くけど
もちろんギター(コードだけ)は除くけど
40: 名無しさんとはSoundHeaven 2025/01/19(日) 14:29:09.46 ID:9l0Lpepl0
>>32
両手両足別な事やってるのに
ボーカルまでやんのはきついだろ
メタル系ツーバス絶叫ボーカルだとライブでボロボロ
ボトムを支えるベースもブチギレる
両手両足別な事やってるのに
ボーカルまでやんのはきついだろ
メタル系ツーバス絶叫ボーカルだとライブでボロボロ
ボトムを支えるベースもブチギレる
35: 名無しさんとはSoundHeaven 2025/01/19(日) 12:29:57.80 ID:5zXZGKgp0
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