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入院時は、色んな恐怖やストレスと戦って、
いとも簡単に、心がダークサイドに堕ちてしまいます。


私が入院した医院は、半個室で、壁で区切られていたんですが、
ドアの代わりに「カーテン」だし、壁の上部は吹き抜けになっていたので、
物音や声が筒抜けでした。

すすり泣きが聞こえたり、消灯後も電話の声がしたり、
看護婦さんに文句を言っている声、痛みや容態の急変を訴える声、
色んな情報も筒抜けで、それも結構ストレスになったものです。

「世の中、色んな人がいるもんだなあ…(゜_゜)」と、
普段接しないタイプの人々の生活風景に、改めてそう思いました。


私は、就寝時は「耳栓」を活用し、
昼間は本・マンガ・ゲームで自分の世界にふけり、
色々なシャットアウト法を試みました。

また、「自分に甘く」するのも、この際必要なことだと割り切って、
本来、人に甘えるのが苦手な自分ですが、
「コレ持って来て、アレ買ってきて」と、
頑張って自分の欲求を反映させて、ストレスを軽減させようとしました。

あと、自分の辛さや痛み、不安は、
「他人と完全にはシェアできないんだ」と言い聞かせ、
なるべく、親族などの無神経な発言や態度をスルーするように心がけました。

人によって、「良かれ」と思っていることは違います。
お見舞いに連日行くことが、愛情や献身だと思っている人がいます。
「叱咤激励がその人の為になる」と、顔色も伺わずに繰り返す人もいます。
逆に、「なんてことないよ」「寝てるだけだからいいね」なんて、
点滴の痛みや、起き上がれない苦しみを全く汲んでくれず、笑いに持っていかれたり、
「産まれたらあーでこーで」と、「無事に産まれること前提」でフィーバーしている人もいます。

「なんで、ナーバスになっていることをわかってくれないんだ。
放っておいてくれないんだ」
と、何度思ったことでしょう。

でも、意外な事に、
周囲の切迫入院患者さんの物音を聴くと、

●電話をかけまくることで、自分の気持ちを発散させている
●お見舞いを心待ちにしている
●看護婦さんに、文句を言いまくる
●独り言を言い、泣きまくる

・・・こんな事で、ストレスを発散するタイプの人もいたのです。
なんだか不思議な体験でした。
内に内に、こもっていく自分と真逆で、面白いうというか。
(私が高齢なんで、パワーがないだけかもしれませんが(笑))


「人には色んな発散方法がある」と考えたうえで、
私に合った発散方法・考え方は、こんな感じです。
●入院を良い機会だととらえて、この際読んでみたかった本・マンガ、
やってみたかったゲームを買う。
(Amazonの欲しいものリストが一掃されました)
●見舞い客に、要望は伝える。
(見舞い日数を減らしてほしい、このお菓子・ジュースが飲みたい、図書館で本を借りてきてほしい)
●自分のつらさは自分しかわからないと割り切る。
(軽い愚痴ならいいが、真に深い部分は晒さない。
反論や見当違いのアドバイスに、余計なストレスが溜まる)
●発散方法として、日記を書いてみる


…なんて地味な人間だろう(笑)(●´ω`●)

とにかく、日々淡々と過ごすのみです。
「自分は今、保育器なのだ」と念じ、横になって出来ることを楽しむのみです。

・・まあこれは、私みたいに「地味な性格の人」向けですが(^^;



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