2008年09月27日

秋といえば祭だ!

秋といったら、祭。久美浜の祭は、神谷太刀の宮の祭礼。

今年は、10月12日(日)。久美浜駅のすぐ近くに神谷太刀の宮はあります。

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「日本書紀」によると10代崇神天皇は、丹波平定に丹波道主命(たにはのみちぬしのみこと)をつかわしたとのこと。

丹波道主命は丹後平定に際し、出雲の国より八千矛(やちほこ)の神を迎えて神殿を創建。これが神谷神社の創始だそうです。

丹後平定後、丹波道主命は丹後に留まり、豪族川上摩須の娘を娶り、一男五女をもうけた。丹波道主命の死後、その恩徳をしのび、社殿を造営、その宝剣「国見の剣」を神の御魂として奉ったことから「太刀の宮」といわれるようになったといわれています。久美浜の地名はこの「国見の剣」から起こったとも。いわれています。

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現在の本殿は、天明元年(一七八一)八月六日棟上の神事、同年九月七日に運営祭が斎行。大工棟梁は、久美浜町本町、谷口長兵衛他八人、彫物師は京の長谷川勘佐、金物は京の錺屋藤兵衛らが担当。
本殿は、桁行二間、梁行三間、入母屋造、檜皮茸の妻入で、一間の向拝を付け、円柱上に台輪をのせ尾垂木付三手先組物で丸桁を受けて、柱間中備にかえる股を置いた。
二重垂木の軒を支え、向拝上は連三斗を三段に組んで桁を受けるという独特の手法を用い、軒唐破風を付属させており、「太刀宮造」と称されて、この地方では類例のない神社建築であるとのこと。
本殿のつくりは、出雲地方に多い大社造りの系統を引き・四周に縁をまわすのも大社造りの特徴。

意識的に見ましても、向拝の竜彫刻、各種の動物の丸彫の木鼻の精巧な彫物群が、虹梁や海老虹染に彫られ本殿内部は格天井を張り、一枡一枡に絵様が施され精縺繖な組物と相俟ってすばらしい効果を上げています。
昭和六十年五月府の文化財に指定されています。

「神谷神社」と「太刀の宮」はまったく別の社でありましたが神谷神社が大破するに及び、太刀の宮に合祀し、神谷太刀の宮と呼ぶようになったといわれています。

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otyasan1955 at 19:55コメント(1)トラックバック(0)地域の話題 |  

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1. Posted by 婚活 大阪   2011年03月19日 10:53
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