2008年09月28日
参考館について
同じ、神谷太刀の宮の境内に参考館があります。
この参考館は、慶応四年(明治元年)五月(131年前)に設置された旧久美浜県の県庁舎の一部分で、久美浜の明治初年の歴史を語る建造物です。
慶応四年正月、京都のの鳥羽、伏見で薩摩、長州連合軍と幕府軍の戦い(戊辰の役)が行われる中で、山陰、伊王野治郎左衛門(烏取藩士)県判事、松本麟太郎(松本藩士)他四十名余が赴任、旧久美浜代官所、生野代官所支配地その他社寺領など丹後、丹波、但馬・播磨・美作の五国を管轄しました。(管轄地約二十三万石余。)
棟礼銘文によると、旧代宮所は手狭かつ荒慶し、翌明治二年秋、管内の救窮も兼ねて新庁舎の造営工事が始まり代官所跡地を広め約七千坪の敷地に、三方に溝川を流し、丹後国与謝郡大原村(現岩滝町)大工棟梁高岡豊助義為、木工棟梁久美浜田辺屋又平らの職人により、江戸時代武家屋敷様式そのままを受継いだ木造丹瓦屋根の庁舎で、正面に総ケヤキ造りの「薬医門」と言う種類の正門(豊岡市文化財に指定)県舎、官邸、馬舎など「御役所」「御玄関」「御台所」の三棟の建物が渡り廊下で接続される総建物面積約四百坪余の雄大な構えを見せる県舎が明治三年五月五目に完成。
明治四年十一月、久美浜県廃県、豊岡県設置にともない新築されたばかりの庁舎一切そっくり移築されるることになりました。
明治9年八月二十一日、豊岡県廃県、管轄地は兵庫県、京都府に分割。
建物は城崎、美含郡役所として使用、大正十二年、郡役所が鉄筋コンクリート造りに新築されることになり、久美浜町有志、特に当時神谷神社宮司佐治正章氏(大正十二年発刊の熊野郡誌主任)により、県庁舎玄関棟の一部を神谷神社(太刀宮)の隣接する地に再移築、太刀宮社務所兼、当時は丹後、但馬の唯一資料屋示室であったが、戦後、新設された久美浜簡易裁判所庁舎として使用。
資料屋示室を廃館、裁判所が新庁舎に移転と共に太刀宮の祈祷殿として使用されているが、外観、特に正面式台付近のたたづまいは旧久美浜県庁舎のおもかげをよく伝えており、それにしても雨露と歴史に耐えて、よく残り、明治初年における武家屋敷の流れを引く役所建築は全国的に少なく遺構として貴重です。
昭和六十年五月に府の文化財に指定されている。
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コメント一覧
そうですね、いたみがひどいので、なんとかならないものかと思いますが…