2021年01月31日

通夜・葬儀について

副住職が、通夜・葬儀について改めてまとめて説明させて頂く機会があり、まとめさせて頂いておりますので、拙寺院にてお葬式をご依頼される際のご参照にして頂けましたら有り難くに存じます。

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以下のhasunohaでの問いの拙回答(副住職)に関して、次第・作法については、正式にどこまで調えるのが良いのか、あるいは、一日葬として省略しても可能なものは何か、ということで問い合わせを頂いた。

問い「初七日法要について」
https://hasunoha.jp/questions/50484

基本的には、正式に仏縁を結び、仏道を歩めるように調えるために、「授戒と引導」のこの大枠は外せないものとなります。

ですから、宗旨・宗派における次第・作法にももちろんよりますが、この二点が調っているのが最低限必要となります。(※授戒と引導を扱わない宗派もある)

そこで色々と細かく説明させて頂くと煩雑となるため、このブログに画像とその内容を載せておきますので、ご参照して頂ければと思います。ご関心のある方は続きをどうぞ。

拙生の場合は、以下のように、通夜式を授戒式として、葬儀式を引導式として調えさせて頂いております。

事前にお渡しする流れについて







そして、もしも一日葬がご希望となった場合は、一日で通夜式と葬儀式の次第を調えることになります。ですから、時間を前倒しして開式して頂くようにしています。省略しているのは、上記と比較して頂いて分かるように、入龕の部分だけになりますから、ほとんど省略はしていません。



問題は、炉前のみ、つまり、火葬場での火葬前葬(直葬)についてですが、この場合、時間が30分~60分頂けるのが前提となり、一日葬形式で行うところとなります。時間が30分以内となれば、授戒・引導を扱うのはやはり不可能で、どうしても追善供養として、回忌供養に準ずるカタチとなってしまいます。ただ、火葬後にお勤めいたす機縁を頂戴できれば、追贈のカタチとして授戒と引導を改めて行うことはできます。

ちなみに拙生は、ポリシーとして、黒衣と共に、まだ椅子(曲彔)は使わず、全て立ってお勤めをさせて頂いております。マイクも使わず、あるいはあっても電源を切ってお勤めさせて頂いております。ただ、外に並んでいる方がおられるなど、大会場の場合は、法話では使わせて頂くことはあります。

追記・・実際の引導先についても聞かれました。臨済宗の場合、建て前は「見性成仏」となりますが、授戒・引導だけではさすがに「成仏」(成仏、つまり、仏陀・如来になるためには、仏道修行、特に智慧と福徳の二資糧の十分な集積が欠かせないものとなります)は無理であり、引導先の実際は、「阿弥陀如来様の極楽浄土」となります。この引導先に関しては、葬儀の回向内にも極楽世界への言及、阿弥陀仏の称名も出て参りますし、往生呪は、まさに極楽往生のための陀羅尼となります。


では、なぜ、本来の臨済宗のご本尊である釈迦如来様に頼るのではなく、極楽浄土、阿弥陀如来様であるのかは、お釈迦様の涅槃後に係わる「授記と見仏」という仏道を前へと進めるための重要な内容が関連してくるところとなります。このお話は更に難しくなりますので、また機会があれば改めて。

追記・・同じ禅宗で曹洞宗の場合の引導はどうでしょうか、ということですが、曹洞宗の場合の引導は、臨済宗の「極楽浄土」とは異なります。

曹洞宗と臨済宗、葬儀においてはほとんどよく似た回向になりますが、「山頭念誦回向」の内容が決定的に違うからです。臨済宗の場合では、阿弥陀如来様の称名三回が入り、霊位の資助(往生)を阿弥陀如来様にお願いする文言が入ります。

また、引導における陀羅尼も、臨済宗の「往生呪」(抜一切業障根本得生浄土陀羅尼)は無く、曹洞宗では「大宝楼閣善住秘密根本陀羅尼」が読まれることになります。

曹洞宗の場合では、通夜式における回向の一節、「唯願わくは人間生死の根身を透脱して速やかに如来宝明の空海に入らんことを」の「如来宝明の空海」がヒントになりますが、具体的にどこへであるとは示されるものは全体的にはないかと思われます。

そういう点では見性的な側面が強くあると言えるかもしれないですね。

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一日葬の場合、通夜式にて行わせて頂きます式次第内容を葬儀式に組み入れなければならないことになるため、葬儀式全体で、60分ほどのお時間を頂かなければならないこととなります。そのため、実際の開式時間を25分ほど前倒しして行わせて頂くのが望ましいことになります。(例えば、9時30分開式の場合は、9時05分開式として)宜しくお願い申し上げます。

一日葬・お葬儀式の流れ概略 

・法話
・開経偈
・剃髪・授戒願文・奉請・懺悔
・三帰戒・禁網経偈
・戒名授与
・大悲咒・亡者授戒回向
・龕前念誦・十仏名・大悲咒・龕前念誦回向
・大悲咒・鎖龕回向
・起龕念誦・十仏名・大悲咒・起龕回向
・往生咒
・山頭念誦
・下炬・引導(秉炬佛事)
・観音経(ご焼香)・四弘誓願
・退出~出棺~御送り~斎場(大悲咒・荼毘回向)
・収骨後、安骨法要・初七日法要・法話

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実際に司会者に渡す次第





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お葬式の流れについて 式次第とその解説

岩瀧山往生院六萬寺・副住職・川口英俊

枕経 

故人様が臨終に際して、仏の教え(お経)を聞くことにより、死に際しての心の安定を図って頂いて、安心して仏の世界へと入って頂けるように調えるために行われる。

・開経偈・観音経(妙法蓮華経・観世音菩薩普門品第二十五・世尊偈)・大悲咒(千手千眼観自在菩薩広大円満無礙大悲心陀羅尼)・舎利礼文・四弘誓願(悟りへと向けた決意の誓願)・普回向「願わくは此の功徳を以て、普く一切に及ぼし、我等と衆生と、皆共に仏道を成ぜんことを」

・お打ち合わせ

俗名・行年(歳・数え年)・没年月日・生前戒名の確認・生前のご来歴等のご確認。お葬式に関する諸資料のお渡し、お葬式の流れ、留意事項のご説明等。

お通夜式の次第
 
・前法話(五分・お通夜とお葬儀の役割とその意義について)

・開経偈(枕経にお伺いができていない場合には、続いて・舎利礼文・普回向)

・剃髪・授戒願文・奉請・懺悔・三帰戒・五戒・三聚浄戒(さんじゅじょうかい)

・十重禁戒・禁網経偈

(剃髪から禁網経偈・・授戒準備。仏の世界へと正式に入るための準備)

禁網経偈・・「衆生、仏戒を受くれば、即ち諸仏の位に入る。位大覚(くらいだいがく)に同じゅうし巳(おわ)る。真に是れ諸仏の子(みこ)なり。」

・戒名授与・大悲咒・亡者授戒回向(仏の正式な弟子となるためのお名前授与)

「夫(そ)れ新帰元( 戒名 )、法号を授与す。伏して願わくは、今より以後、仏を称して師となし、深く禅定に入って十方の仏に見(まみ)えんことを」

・大悲咒・入龕(にゅうがん)回向 (龕とは、遺体を納める棺のこと)
(棺に入る際における供養・・実際は既に入棺されている)

・観音経(ご焼香)・十仏名・往生咒・四弘誓願
(仏の世界へと安心して向かって頂くための供養)

・後法話 十分~十五分
(必要に応じて自作のフリップやカードを用いて、仏教について、供養について、丁寧に分かりやすく、お話しをさせて頂きます。)

 お葬式の次第 

・法話(葬儀の意義内容について)

・開経偈(法要の始まりに際して読まれるお経)

・龕前念誦・十仏名・大悲咒・龕前念誦回向(棺を閉じる際に行う供養)

・大悲咒・鎖龕回向(棺を閉じるために行う供養)

・起龕念誦・十仏名・大悲咒・起龕回向(出棺へ向けて行う供養)

・往生咒(仏の世界へと向けたお見送りのための陀羅尼)

・山頭念誦(いよいよ引導により仏の世界を目指すことを祈願する)

・下炬・引導 (秉炬佛事 ひんこぶつじ)

仏の世界へと導くための引導を行う。下炬(あこ)・秉炬とは、たいまつで火葬のために火をつけること。実際には、その場で火をつけることはしないが、現在ではたいまつに模したものにより、疑似的に行う。下炬の後、払子を振り、引導法語を唱える。引導法語は、仏道の精進・成就へ向けた誘(いざな)いのための重要な意味内容(主には仏教の説く真理、また、智慧と功徳について)が表されます。臨済宗の場合、引導法語の最後は、渾身の「一喝」(宗旨により異なる・曹洞宗では露・咦など)により締めくくられることになります。

・観音経(ご焼香)・四弘誓願
(仏の世界へと送り出すための供養・皆様によるご焼香)

・導師退出~お別れ~出棺(引磬先導・往生呪)~お見送り

・斎場荼毘(大悲咒・荼毘回向 火葬・荼毘(だび)に付すための供養)

・収骨後、安骨法要・初七日法要のお勤めと最後に少しの法話

以上の式事を恙無く、ご遺族、会葬者の皆様と共に真摯、厳粛に執り行うこと により、故人様の仏の世界へとお送り頂くためのお手伝いをお勤めさせて頂きたいと存じております。また、各お経、各回向、各供養の更に詳しい内容をお知りになられたい方は、別途、ご説明もさせて頂きますので、お気軽にご質問下さいませ。

お葬式に関することについての確認・補足事項 

この度のお葬式に関しましては、下記の内容も併せてご確認の程をどうか宜しくお願い申し上げます。

お通夜式の流れ概略 
・前法話
・開経偈(枕経にお伺いできていない場合には続いて・舎利礼文・普回向)
・剃髪・授戒願文・奉請・懺悔
・三帰戒・五戒・三聚浄戒・十重禁戒・禁網経偈
・戒名授与・大悲咒・授戒回向・大悲咒・入龕回向
・観音経(ご焼香)・十仏名・往生咒・四弘誓願
・後法話

 お葬儀式の流れ概略 
・法話
・開経偈
・龕前念誦・十仏名・大悲咒・龕前念誦回向
・大悲咒・鎖龕回向
・起龕念誦・十仏名・大悲咒・起龕回向
・往生咒
・山頭念誦
・下炬・引導(秉炬佛事)
・観音経(ご焼香)・四弘誓願
・退出~出棺~御送り~斎場(大悲咒・荼毘回向)
・収骨後、安骨法要・初七日法要・法話

※ 現・副住職・川口英俊が導師の場合 
威儀(法要の際の僧侶の衣や袈裟)に関しまして、袈裟につきましては、故人様へのご敬意から色袈裟を拝着させて頂きますが、袈裟の下に着る私自身の衣は、緋・紫・黄色・青などの色衣(しきえ)ではなくて、墨染衣(黒衣)を着衣させて頂いております。拙寺は、単立寺院であり、僧階なども特に規定もないため、緋・紫・黄色などの色衣を自由にいつでも拝着できるのはできますが、一生、修行の身であると慢心を起こさないための私の現在のポリシーとして、まだ今のところ平素の法要でも葬儀の導師であっても、墨染衣(黒衣)で通させて頂いております。この点、どうかご了承の程を宜しくお願い申し上げます。


司会用

家 お通夜式 式次第

令和  年  月  日   時   分  開式

※カミソリの準備

:0 導師入場・焼香・三拝(三宝礼)

※ 司会開式の案内

・前法話 五分 通夜葬儀の概要について
・開経偈
・(枕経にお伺いできていない場合は、続いて舎利礼文・普回向)
・剃髪
・授戒願文
・奉請
・懺悔
・三帰戒・五戒・三聚浄戒・十重禁戒・禁網経偈
・戒名授与
・大悲咒
・授戒回向

:25 ・大悲咒・入龕回向

※ この入龕回向後、焼香案内へ向けた司会への合図

次のお経である「観音経が始まり次第に司会は焼香の案内を開始する。

・観音経世尊偈・十仏名・往生咒
※ 焼香が終わり次第、スタッフは終わりを知らせて下さい。

:45 ・四弘誓願
・後法話(※ 十分~十五分)

:60 ・退出


司会用

家  お葬儀式 式次第

令和  年  月  日   時   分  開式

※ 法炬・松明一本準備

:00 導師入場・焼香三拝(三宝礼)

※ 司会開式の案内

・法話(三分ほど・葬儀の意義内容について)
・開経偈
・龕前念誦・十仏名・大悲咒・龕前念誦回向
・大悲咒・鎖龕回向
・起龕念誦・十仏名・大悲咒・起龕回向
・往生咒
・山頭念誦

:30 ・下炬・引導(秉炬佛事)

※ 引導を終えてから、司会は電報紹介。

※ 電報紹介後、次のお経である「観音経世尊偈」が始まり次第に司会は焼香の案内を開始する。

・観音経世尊偈・四弘誓願

※ 焼香が終わり次第、スタッフは終わりを知らせて下さい。

:50 ・退出~出棺~御送り

  ・斎場荼毘(大悲咒・荼毘回向)

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問い「初七日法要について」
https://hasunoha.jp/questions/50484

葬儀の作法や順序

kitty-masterさま

昨今は、このように業者やお寺の事情(自己都合)等により、葬儀が簡略化されてしまうことがあります。

これは非常にいただけないことであります。

特に葬儀の作法や順序には全て理由があり、次第・作法を省略できないもの、順序を変えてはいけないものもございます。

そもそも通夜、葬儀と本来は丸々2日間(または3日間)は掛かるものなのであります。

本来、2日間(3日間)、48時間(72時間)掛かるものを通夜式1時間、葬儀式1時間の2時間で終わらせようとすること自体にもともと問題があるのでもあります。

ましてや、通夜式を省略しての1日葬とかも、本来はあり得ないのであります。

また、例えば、省略できないのに、この時間までと火葬の時間に間に合わせてお勤めしなければならない場合もあります。

拙生の場合は、通夜と葬儀の意義上、絶対に省略できない次第・作法があることを伝えて、必ず前倒しで30分なり1時間なり早めて行う等して、儀軌をできる限り正式に調えられるようにしています。

また式中初七日も本来は考えられないものであります。

7日毎の供養というものも、実はそれぞれに行う内容・意義があります。

初七日をして次は四十九日・満中陰の二回だけというのも本来はいけないものであり、追善供養を行うのであれば、やはり七日毎に行うのが正式なものとなります。

もちろん、そうはできない現代的な事情もあるため、省略して行う、もしくはしないというのも仕方のない面はありますが、僧侶としてはできるだけ供養の気持ちにお答えするのが当然の責務となります。

拙生の場合では、初七日と満中陰の間はどうしても家に来てもらうのは無理であるが、供養をされたいという場合、供養済みの塔婆をその日ごとに立てて供養をして頂くといったようにさせて頂いています。

どうしてもできないこと、やむを得ない事情もありますが、供養に最善を尽くして参りたいものでございます。

川口英俊 合掌

また、下記内容もどうかご参照下さいませ。

『葬儀と供養の意義について』
平成29年8月・お盆施餓鬼法要配布資料
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/d2c3793b56451efdff407f7090851dc1

岩瀧山・往生院六萬寺 副住職 川口英俊

「縁なき衆生は度(ど)し難(がた)し」と仏教において、よく引用されて使われる言葉がございます。その意味は、「仏様、また、仏様の教えとのご縁が無ければ、どのような者であろうとも、仏様、仏様の教えにおいて、救うこと、あるいは救われることは難しい」といった内容となり、この場合の「縁」とは、悟り・涅槃へと至るための因縁(原因と条件)のことで、「悟り・涅槃へと至るための因縁が無くては、その結果としての悟り・涅槃を得ることはありえない」ということになります。

私たちのこの世界においては、全て「因果の法」に則って、モノ・コトが成り立っています。何も因縁(原因と条件)が無いのに、突然に、何かが生じる、あるいは、何かが滅するということは、絶対にあり得ないことでございます。

それは、つまり、今、このように存在できている皆、一人一人にも、そのように存在できているための因縁があって、今の状態という結果があることになります。そして、また、それら今の結果も、次の結果への因縁となったりもしながら、更に色々な因縁が複雑に絡んでいく中において、次の結果、また次の結果へと繋がっていくのであります。

お釈迦様は、お悟りを開かれて、この複雑な因縁と結果の流れを見極められて、悪い流れを絶ち、善い流れへと変えることで、善い結果へと向かっていくためにとして、「善巧方便」(ぜんぎょうほうべん)・「対機説法」(人それぞれの迷い苦しみ、あるいは、人それぞれの理解・実践できる能力に応じて)にて仏教を説示なされました。その善き流れに乗るための教えとの「縁」を持つことができなければ、いつまでも悪い輪廻(りんね)という流れにおいて迷い苦しみ続けてしまうことになってしまいかねないのでございます。

ですから、仏教においては、まず仏様、そして、その教えとの「縁」、つまり、「仏縁」を持つことを何よりも重視して、大切としなければならないことになるのであります。

その「仏縁」を正式に結ぶために行われるのが、特に、受戒、得度により正式な「仏弟子」となることでございます。そして、できるだけ生前の早い段階においてなされておかれることをお勧め申し上げたい次第でございます。

また、もしも、生前においては、何らかの理由にて、その「仏縁」がほとんど無かったとしても、その最後の機会として、葬儀を執行することにより、正式な仏縁を結ぶことによって、後生の大事、安楽へと向けて、その仏縁を繋げて頂きたいものとなります。

正式な仏縁は、お釈迦様以来の正式な仏法の流れを拠り所として、仏様、仏法、そして正式な仏法の流れを受け継いできている僧侶たちの三宝への深い帰依信心と共に、守るべき戒律を守り、智慧と福徳という二つの資糧の修行をしっかりと進めていくことによって、悟り・涅槃へと向かうための善い流れに確実に乗りたいものとなります。

私事となりますが、私の場合、これまでにも有り難く尊いご仏縁が色々とございました中において、特には、自分の「生前葬儀」であると覚悟して平成28年の秋に参加させて頂きましたダライ・ラマ14世法王猊下様ご導師によりますチベット密教・無上瑜伽タントラ(四つあるタントラの分類の最上位のタントラ)の一つである「チッタマニターラー尊灌頂」が、私にとっての最重要なご仏縁になったものであるとして、その後の仏教修習も、ダライ・ラマ法王様を根本上師に、チベット密教の教えに基づいた実践を主としながら、灌頂の成就法にも日々努めさせて頂いております。

実は、密教灌頂も、葬儀と同様に、受戒と引導が扱われるものとなります(但し、浄土真宗では受戒・引導を扱いません)。例えば、三宝への帰依は当然として、悪業の懺悔と浄化や、悟りを目指す決意としての菩提心の生起、守るべき菩薩戒・密教(三昧耶)戒などの受戒、そして、曼荼羅の仏世界・仏境地への導引、これからの修行内容についての詳細な指示などがございます。それらも、悟り・涅槃へと向かうための善き流れ、更に密教の場合では、悟り・涅槃へと向けての速い流れに乗るための内容となっており、それらの確かなる実践を、とにかく今生においてもしっかりとできる限りに取り組むことで、来世、来来世へもその善き流れを途切れさせることなく加速させて繋げて参りたいものとなります。

とにかく、まずは、仏様、仏様の教えとの「仏縁」を正式に強く結ばなければ、何も始まらないのであります。もしも、亡くなった故人の生前の行いがどれほど悪くても、あるいは、仏縁、仏心のかけら一つも無い人生であったとしても、何とか最後において葬儀を執行してあげられることができれば、善き流れの最終列車へと、無理矢理にでも乗せてあげることができると、一応は言えるのでございます。

もちろん、生前において、正式な受戒や得度、または、密教灌頂を済ませていれば、それはそれで、改めて葬儀の執行は必要のないことになりますが、しかし、受戒・引導は、一度だけではなく、何度も受けることによって、よりその仏縁を強固とすることができるものとなります。実際に灌頂も何度でも受けることができ、その度ごとに仏縁が強く増すものであるとされています。

また、何よりも、葬儀は、亡くなった故人のためだけに執行するものではなく、施主・遺族・参列者たち、または、葬儀を執行する僧侶たちにとっても「功徳となる利他行」であり、それぞれ自分自身の悟り・涅槃へと向かうための仏縁、善い流れにも繋がるものになるとして、「自利行」にもなり得るのでございます。つまり、葬儀は、亡くなった故人のみならず、施主・遺族・参列者たち、僧侶たちの「自利利他」を成すための絶好の機会でもあるのです。

それが、最近では、形骸化、簡素化、省略化が著しく進んでしまったことにより、葬儀が正式に執行されなくなっている事態は、亡き故人の為とならないどころか、残された私たちにとっての仏縁を頂くための有り難く尊い機会をも失わせてしまっていると言えるのでございます。

できれば、今一度、葬儀の意義、仏縁を結ぶあり方について、それぞれがしっかりと考えることにより、どのように故人の葬儀を行うべきか、また、自分の葬儀もどのようにしてほしいのか、更には、どのような僧侶(導師の資質を確かに有する者)に執行を託すべきであるのか、などについて見直す一つのきっかけとして頂けましたら有り難くに存じます。

とにかく、葬儀の執行は、亡き故人はもちろん、自分の後生の大事にも係わってくることになります。軽々しく適当にしてしまっては、それこそ無駄、徒労となりかねません。また、その執行を司る僧侶の資質についての見極め、判断も、慎重に行うべきことになります。しっかりと導師たる役目を果たせる者にこそ、葬儀の執行を依頼したいものでございます。

皆様とお寺、僧侶との信頼関係が希薄化するにつれて、檀家制度が崩壊してしまっている昨今、お寺、僧侶も皆様から取捨選択される時代となっています。私自身も、浅学非才の未熟者ではございますが、葬儀を司るに値する資質があるのかどうか、常に自らに問いつつ、これからも仏教修習にできる限りの精進に努めて、ご期待にお応えできますように調えて参りたいと僭越ながらにも存じております。

次に、「供養」についてとなりますが、例えば、このお盆や彼岸における「施餓鬼」という供養は、地獄や餓鬼に落ちている者たち、または、もしかすると地獄や餓鬼に落ちてしまっているかもしれないご先祖様を救う目的において営まれると考えるのが妥当となりますものの、「亡くなられた故人は、生前の仏縁や功徳、あるいは葬儀の執行による引導(浄土真宗の場合では即得往生)、追善供養などによって、極楽、浄土にて仏様のところで修行に励んでいるものであると思うのですが・・」と中には疑問に思われる方もいらっしゃることでしょう。

もちろん、それはそう考えて頂いても妥当であるかとは存じます。ただ、それでも、施餓鬼供養のみならず、様々な供養を行う意義とは、やはり上記の葬儀の際にも述べさせて頂きました悟り・涅槃へと向かうための「自利利他」の行いということに尽きるのではないだろうかと考えております。

供養においては、極楽・浄土など仏様の下で精進なさられておられる方々へは、成仏へと向けての応援、励ましとなるための功徳となり、また、迷い苦しみにある者たちを救うためとなる功徳は、迷い・苦しみにある者たちを救うための功徳になると共に、自ら自身における悟り・涅槃へと向かうための功徳にもなるということでございます。

そして、葬儀と同様に、供養においても重要となるのは、もちろん「仏縁」であり、それを供養の対象と共に、自らも頂ける大切な機会としなければならないのであります。

とにかく、葬儀、供養も「自利利他行」として調えることにより、皆が、悟り・涅槃へと向けた善き流れに乗れるようにとして努めることが必要となる次第でございます。

何より、この生の後にも続いていく心相続においては、「仏縁」を決して途切れさせないようにしないといけません。「仏縁」さえ完全に切れなければ、紆余曲折はあろうとも、いずれ悟り・涅槃へと導いて頂けることができるということでございます。

さて、施餓鬼供養の目的の一つとして、悪い輪廻にある者たちを救うという内容を同様に持つインド中後期密教経典の中に、「一切悪趣清浄タントラ」という経典がございますが、このお経が説かれた由来の教説の中において、帝釈天(天界の神様)が、天界で共に親しくあった天子無垢宝光という者が死んだ後のことを心配されて、世尊仏陀(ヴィルシャナ)に尋ねられるくだりが出て参ります。

その際、世尊は、天子無垢宝光のことについてお答えになられますが、そのお答えを要約すると、天子無垢宝光は、死後、地獄に落ちてしまっており、その後も六道輪廻の中を苦しみ彷徨い続けるとおっしゃられます。そして、帝釈天たちは恐れおののき、天子無垢宝光、また、帝釈天たちはもとより、悪い輪廻に落ちている者たちが、悪い輪廻から解脱して、悟りへ至るための方法をお示し下さいと懇願されて、世尊が、その具体的な方法を説示されておられるのが、このお経の全体的な内容となっています。

その説示されました方法の一つを、帝釈天たちが、天子無垢宝光のために実践することにより、天子無垢宝光は、何とか地獄、悪趣輪廻から逃れて、善き流れに乗ることができるようになるのですが、実は、天子無垢宝光が、帝釈天たちによって、そのように供養を行ってもらえたのは、天子無垢宝光には、その過去世における強い仏縁があったことによっての功徳を積んでいたが所以であると、補足して説明されます。

つまり、確かなる仏縁や功徳が、過去世、現世のどこかにおいてあったのであれば、その後の輪廻転生の中において、多少の紆余曲折があっても、必ずやその仏縁、功徳による果報により、仏の道を外れずに、善き流れを進められる場合があると考えることができます。(例えば、顕教の修行では、成仏するのに三阿僧祇劫(さんあそうぎごう)というとてつもない膨大な時間が掛かってしまうことになりますが、有り難く尊い仏縁となる密教の無上瑜伽タントラの灌頂を受けて、戒律・律義を守り、生起次第と究竟(くきょう)次第の二次第の修行を確実に進めれば、早くて今生の内に即身成仏できることもあれば、例え、二次第の修行が何らかの理由にてあまりできなくても、戒律・律義さえしっかりと守っていれば、7回、もしくは、16回転生する中において、必ず成仏できるとされています。つまり、無上瑜伽タントラの灌頂・修行とは、それだけ早く成仏できる強い仏縁となるものであると言えるでしょう。だからと言って、今生において油断して戒律を守らずに怠惰となってしまえば、当然に成仏が遠のいてしまうことになるのは言うまでもありません。)

とにかく、自他共に、悟り・涅槃へと向けた善き流れに乗るための仏縁を、どう強く結び、修行、功徳に励んでいくべきであるのか、それをしっかりと考えて、様々な供養においても、できる限りに、その意義を理解した上において努めて参りたいものでございます。

川口英俊 合掌 平成29年7月28日


「お葬式について」 岩瀧山往生院六萬寺 副住職 川口英俊
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/0816eb5e788bf5ecfc8eed8e901b1a76
平成26年8月・お盆施餓鬼法要・配布資料

はじめに・・

ここ十数年の間に、日本の葬式事情の多様化が急速に進む一方、本来の葬式・葬儀の意義について鑑みることが薄れつつある中で、「葬式仏教」との批判と共 に、葬式・戒名無用論もある現状下において、仏教徒であるのであれば、今一度、なぜ葬式・葬儀を行わなければならないのかということをしっかりと考えるこ とが必要な時期に差し掛かっているのではないかと存じております。

この度は、お葬式に関しての拙考を改めてまとめさせて頂くことと致しましたので、少しくでもご参照にして下さいませ。また、内容に関しまして、忌憚なくにご叱正、ご批正の程も賜われましたら有り難くに存じます。どうか宜しくお願い申し上げます。


当寺のお葬式の方針について

当寺では、長年、お葬式・葬儀における導師のお受けを積極的には行っておりません。理由としては、当寺では檀信徒制度を緩やかなものとしており、ご縁を頂 いてる皆様に当寺から強制的な寄付や護持会費の徴収をしないために、あるいはご無理なご負担をお掛けしないようにするためにということと、墓苑においてご 縁を頂いている皆様に関する法務・寺務、墓苑管理などを優先させて頂いているためにということでございます。

もちろん、葬式・葬儀のお受けを全くしないということではなくて、当寺とご縁があって、どうしても(菩提寺等が無く、あても無いなど)という特別な事情に おいて、当寺をご指名頂きました際に、葬送に関する留意事項について色々と事前にご確認、ご納得をして頂きまして、当寺の優先すべき寺務・法務の都合等も 鑑みさせて頂いて、お受けできるかどうかを最終的に判断させて頂くこととなります。当寺の事情にてお受けできない場合があることにつきましても、どうか事 前に十分ご了承を頂きたいと存じております。


私のお葬式についての基本的な考え方について

さて、各宗派においても葬儀の意義がそれぞれに異なっていることもありますが、おおよそ、授戒式(正式な仏弟子・僧侶となるための儀式)と引導式(成仏へ と向けて、あるいは浄土・仏国土へと導くための儀式)の二つを主要な要素としていると捉えることができます。(但し、浄土真宗の場合は、授戒・引導という 形式は用いません。)

いずれにしても、仏教の目的である悟り・涅槃を目指して頂くために(あるいは浄土真宗の場合は浄土へと往生したことへの報謝のために)行われる大切な儀式 であり、導師はもちろんながら、喪主・遺族・会葬者の皆様におかれましても、真摯に、厳粛に扱って執り行って頂くことが求められるものとなります。

以下に、これまでの拙生自身におけるお葬式に関しての考え方のまとめを簡単ながらにも挙げさせて頂きます。

・お葬式・葬儀は、仏縁(仏様とのご縁)・法縁(仏法とのご縁)を結ぶための一つの大切で重要な機会であると捉えております。

・宗旨宗派によってお葬式・葬儀の法式・作法・儀礼などが異なっているのは、それぞれにおける仏縁・法縁を結ぶための方法・手段の相違であって、読誦され るお経などの相違も、それぞれが依拠する仏典の相違によるものと考えており、(やがて悟りへと至るための)仏縁・法縁を結ぶためという基本的な目的につい ては、あまり大差なく変わらないものであるかと存じております。

・生死や肉体の有無に拘らず、確かなる仏縁・法縁を結ぶことを基として、各々の心の連続体(心相続)に、菩提心と慈悲心を滋養させていくことにより、悪行 を成さずに、善行に精進して、功徳を積むことが求められるものであるかと考えております。お葬式・葬儀もあくまでそのための仏縁、法縁の一つの大切な機会 として捉えさせて頂いております。

・むしろ、できれば今の生きているうち、今生にも、できる限りにおいて仏縁、法縁を結ぶ機会を何度も何度もあずかり頂いて、菩提心と慈悲心を繰り返し繰り返し修習させ続けていくことが望ましいものであるかと考えております。

・尚、更に望ましいのは、確かなる仏縁、法縁を結ぶことを通じて、智慧(空性の了解)と福徳(善徳・慈悲・利他行)の二資糧を円満に積むことに精進努力し て励みて、特に悟りの妨げとなっている煩悩障と所知障を断滅させていけるように調えていくことが必要であるかと存じております。

・お葬式・葬儀における導師の役割には、確かなる仏縁・法縁を結ばせることができるだけの力量、器量、資格、責任が問われることになるため、慎重にその役 割が担えるに足るのかどうか、適切であるのかどうかが判断されなければならないものであるかと存じております。また、仏典はもとより、諸師方、喪主様、ご 遺族、会葬者の皆様方、あるいは必要となれば第三者からも常に厳しく評価検証されていくべきものであると考えています。

・よくあるご批判として、「まともに戒律も守れていない者(特に妻帯や様々な俗人的な行いの数々など)が、戒師や導師を務めるのはいかがなものか」とのご指摘は至極その通りであり、常に猛省致すところが大でございます。

・お葬式・葬儀に限らずに、常日頃における仏事、法事など仏法を扱わせて頂くことについても、真にその扱わせて頂くべき力量、器量、資格があるのかどうかが厳しく問われるべきことであるかと存じております。

・以上のようなことを鑑みさせて頂いて、まだまだのこの浅学菲才の未熟者と致しましては、常に反省と自戒を致すことが多々であり、しっかりと己自身の菩提 心、慈悲心の滋養へと向けての修習と研鑽を致しつつ、智慧と福徳の二資糧を積むことに精進努力して取り組んでいかなければならないと考えております。その ため、なかなか積極的にはお葬式・葬儀をお受けさせて頂けるような立場には全く至っておりませんことにつきましては、誠に申し訳なくにも存じております が、もしも、ご指名がございまして、導師のお勤めさせて頂くこととなりましたら、真摯に、真剣に精一杯取り組ませて頂きたいと存じております。どうかご理 解とご容赦を賜われましたら有り難くに存じております。何卒にも宜しくお願い申し上げます。


各宗派における葬儀の要諦について

天台宗・・顕教・密教の併用形式。儀礼・・法華懺法(ほっけせんぽう)(法華経を読誦し、無明・煩悩・悪業を滅するための法)と例時作法(阿弥陀経を読誦 し、極楽浄土への往生のための法)と光明供(光明真言を読誦し、浄土への引導・成仏のための法)。印契、密教法具も用いられる。授戒では円頓戒(大乗菩薩 戒)が授けられる。

真言宗・・密教。儀礼・・灌頂形式。理趣経・真言・陀羅尼等が読誦され、印契、密教法具が用いられる。三密加持(御仏の身・口・意の行いと私たちの身・ 口・意の行いの一体化を図る)による速やかなる即身成仏・仏位を目指すための儀式。弥勒菩薩の兜率天(とそつてん)、あるいは大日如来の密厳浄土への引導 を行う。

浄土宗・・阿弥陀如来の極楽浄土へと向けた往生式。儀礼・・序分(諸仏をお迎えする儀式)・正宗分(引導式)・流通分(諸仏・故人を見送る儀式)の三部構成。主には阿弥陀経・無量寿経・念仏が読誦される。

浄土真宗・・阿弥陀如来への仏徳讃嘆・仏恩報謝(ぶっとんほうしゃ)の儀式。授戒・引導を扱わない。故人は臨終後即座に極楽浄土へと往生したもの(即得往 生・往生即成仏)とみなされるため、故人へと向けた供養・回向は扱わず、あくまでも阿弥陀如来を対象とした儀礼となる。正信偈・念仏・和讃が読誦される。 持戒すべき戒律を扱わないため、授戒式は無い。そのため、仏弟子としての帰依者に与えられる名前も「戒名」とは言わずに「法名」と称される。

曹洞宗・臨済宗・・もともと禅宗における修行途中に亡くなった僧侶への葬儀法が、在家葬送のためにも援用され、「没後作僧」(もつごさそう)として各宗派 の葬儀法へも影響を与えていくことになった。没後作僧とは、死後に授戒し、正式な仏弟子(僧侶)とならせて、仏の助けを得て、成仏させるという考え方。授 戒においては、仏法継承・正伝の流れとしての「血脈」(けちみゃく)を扱います。どちらも本来の自己(仏性)への覚醒による成仏を目指します(見性成 仏)。また、授戒と共に仏位同等としての成仏を扱います。成仏へ向けた引導においては、引導法語にて一語一語重要な意味内容が表されます。大悲心陀羅尼・ 観音経・修証義(曹洞宗の場合)・舎利礼文などが読誦されます。

日蓮宗・・久遠実成釈迦如来の霊山(りょうぜん)浄土への往詣(おうけい)のための儀式。法華経・題目などが読誦される。日蓮宗では、法華経に帰依信心す ること、そのことが持戒そのもの(妙戒)であると考えられているため、授戒式は無く、そのため、仏弟子としての帰依者に与えられる名前も「戒名」とは言わ ずに「法号」と称されている。


「葬式即成仏」への疑念について

正直に、拙生がお葬式の導師を積極的にはお受けを致したくはない理由が、実はもう一つございます。それは、「葬式即成仏」に対して十分な責任が持てないと いうことでございます・・自らが導師足るべき資格云々ももちろんございますが、本当にこれで故人が浄土へと赴けたのか、成仏できたのかということについ て、明らかな確信が持てない、確かに証明・論証することができないからであります。もとより、拙生自身、まだまだ悟り・涅槃・成仏には程遠い凡夫なる存在 であり、到底分からないこともあって、それを仏典には一応こう書かれているから、先師がそのように解釈して述べられているから、昔からそのような慣習とし てあるから、などでは全く納得できないところもあり、もしも「葬式即成仏」であるならば、生前においても同様にその儀礼を執行することで成仏が可能になる はずでございます。しかし、残念ながら正直そのようなことはあり得ないのも事実です。生きている間は無理だけれど、死んでからならば可能になるいうのもや はり疑念甚だしい限りとなります・・

また、「葬式即成仏」であるならば、例え今世において、どんな悪い罪を犯そうが、心が汚れてしまっていようが、無明・煩悩・悪業の多寡にも関係なく「成 仏」できることにもなりかねず、それでは、極論として、形式だけでもただ葬式さえすれば良いことにもなり、仏教の基本としてある、心を浄らかにして、悪い 行いを慎み、善い行いに努め励むということや三宝への帰依、様々な教義についての学びや仏道修行も否定されてしまい、やがて仏教不要論へと繋がることにも なりかねないと存じております。

まだ、「葬式即成仏」ではなくて、「葬式は、これからの本格的な仏道修行へと入るための正式な仏弟子となる儀式、仏縁・法縁をあずかり頂いて仏道修行を本 格的に進めていくための儀式」と捉える方が拙生的には納得のできるものであり、そのように考えている次第でございます。どうかこの点もご理解の程を宜しく お願い申し上げます。

昨今の葬式仏教批判、あるいは、葬式簡略化、葬式・戒名無用論というのは、葬儀を執行する導師たるべき僧侶に対する信頼低下という面も少なからず影響があ るかとは存じますが、それよりも僧侶も含めて、仏教徒であるものの、葬式・葬儀を行う本来的意義について真剣に問わない、考えない姿勢こそが根本的な問題 ではないかと存じております。どうかこれを機会に、なぜ、お葬式をしなければならないのかについて改めて考えて頂く一つのきっかけとなりましたら幸いに存 じております。最後に、やがて一切衆生が悉く仏道を成就して、悟り・涅槃へと到れることを心から祈念申し上げます。

川口英俊 合掌九拜