2025年10月09日

本堂のご神鏡について

当寺のご本堂内にて、天皇家、九條家、鷹司家、楠木家の古い位牌を祀っている中央にご神鏡があります。

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長年、曇り具合が気になっていたものの、畏れ多いと、簡単に触ってはいけないものとの認識から、ずっと放置してしまっていましたが、やはり綺麗にいたさねばと思い立ち、断ってから台から外して磨くことにしました。

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まず中性洗剤、クレンザーでやってみたものの、長年というか、恐らくは、祀られた当初から50年近くそのままになっていたと思われ、やはり細かい錆は取れずとなっており、更にピカールにて綺麗に磨きたいと思っています。

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磨く前・・




ピカール後・・




ピカールでも磨きましたが、内部の点々と無数にあるサビのようなものはとても到達できずにて、恐らくは2ミリほどスライスしないと無理な感じであり、残念ながらここまでとなりました。


いずれにせよ、これからは年に1回、正月前には必ず磨くようにしたいと思います。


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ご神鏡は、神の依り代(よりしろ)であり、仏教における本堂、仏壇の本尊と同様に、開眼することによって勧請した神が宿るものとなります。
他に依り代には、木の神籬(ひもろぎ)、岩、石の磐座(いわくら)などもあります。
さて、このご神鏡の依り代の神は、いったいどなたになるのか、寺史を調べてみましたが、そのあたりの記述を見つけることはできませんでした・・
先代の頃、50年ほど前に本堂新築に伴い新調されていると思われるのですが・・
寺内の神社は、稲荷社と十二社権現の二社あるため、このいずれかと推測することもできます。
ならば、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)か、熊野三山の神である熊野権現(天神七代と地神五代)かとなりますが、両社は社にてそれぞれにお祀りをしています。
また、村の鎮守社となると、梶無神社か、池島神社かとなります。
梶無神社となれば、邇邇芸尊、木花咲耶姫命、摂社の桜井神社の大己貴命、八幡神社の応神天皇、十二社権現社の十二社権現のいずれかが考えられることになります。

池島神社であれば、日吉神社・八坂神社の祭神である
大山咋神、素戔嗚尊なども考えられることになります。
この中で、本堂でも祀られるとしたら、十二社権現が最も有力となり、楠木家にゆかりも深く、江戸時代から正行公墓所すぐ隣にも十二社権現が祀られていることから、可能性としては最も高いでしょう。
先代のことですから、一切の神祇として開眼をされている可能性ももちろんあります。
ただ、岩瀧山、磐座の解明、桜井寺の解明が進んできている昨今は、古墳・飛鳥時代、桜井田部連氏が創建した桜井寺とともに、既に祖神を祀るために創祀されていた桜井神社と、神功天皇に仕えることになり創祀された八幡神社に倣い、本来、お祀りすべき主祭神は、大己貴命と応神天皇、更に、事代主命と神功天皇を祀るのが正解となると言えるでしょう。
もしも、新たに祭壇を組んで本堂に祀るとするならば、大己貴命のご神鏡、応神天皇のご神鏡も祀るのが望ましいということになります。
一連の見直しを進めている往生院六萬寺の歴史における論考を進める上でも極めて大事なことであると考えています。

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河内ふるさと文化誌「若楠(わかくす)」88号(記念号)が発行されました。

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今号では、住職が「民具歳時記」に、副住職が、シリーズ5回目「南朝と往生院について 前編」と巻頭「岩瀧山の一本杉」に寄稿させて頂いています。

シリーズの今回は、楠木正行公と往生院の関係について詳しく述べています。

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購読希望は、ハガキか、手紙で、申込先まで。

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購読会員は1年2000円で、年2回、新しい若楠が届くことになります。

支援、協力を頂ける賛助会員・協賛会員も募集しています。

次回(来年4月)は後編となります。

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また、次次回(来年10月)から、「西ノ山古墳と三種の神器ダイヤモンド結界」の研究考察シリーズへと入りたいと考えています。

その初回は、「岩瀧山の磐座霊畤について」を予定しています。

このシリーズは文量からも分けて5回以上は確実で、2029年4月までかかるかもしれません。

隼別(桜井)天皇の即位と西ノ山古墳陵墓の証明も含めて、2030年までには決着をつけたいですね。

もちろん、神功皇后の岩瀧山での大嘗祭による天皇即位の証明も。

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あとは、奈良帝塚山古墳(奈良市学園中)の孝元天皇陵墓証明、桜井宗像古墳(桜井市外山)の古墳証明、築山古墳(大和高田市)の宇摩志麻遅命墳墓証明も関連して論考していければと考えています。

更には、桜井茶臼山古墳の大田田根子命墳墓証明、ダンノダイラ磐座の天日方奇日方命の磐座証明もできれば。富雄丸山古墳造出被葬者、細姫命証明も。

これらがひと段落したら、後南朝小倉宮家・高仁天皇の即位証明に取り掛かりたいと考えています。

江戸時代に再興された往生院の開基となった松平信平も、後水尾天皇から高仁天皇への譲位に何らか絡んでいたのは確実ではないかと見ています。

南帝擁立。紀州藩松平家、尾張藩松平家も高仁天皇の後見にあったのであります。

これに対して、家光は、譲位の橋渡し役であった美作藩主・森忠政を暗殺し、30万もの兵を動員、上洛して明正天皇即位を強行しています。

これらの論考、若楠で発表していけば、2035年ぐらいまで掛かってしまうことになるでしょうか・・

とにかく次の号の原稿は既に書き終わっているので、入稿して、新しい原稿に早速に取り掛かりたいと思います。(既に入稿済みとなっています)

往生院六萬寺
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日々の考察・・先行メモ書き程度のものです
https://ameblo.jp/iwatakiiwakurareiji/


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