2026年09月09日

天河大弁財天社(天河神社)(吉野郡天川村)公式参拝


 

 

天河大弁財天社(天河神社)(吉野郡天川村)

 

 

開山、創建は、役行者とされており、元々は修験道の行場とされた寺院色の方が強くあった可能性がありますが、それよりも昔に、出雲族により、「弥山(みせん)」を奥宮として、そちらを遥拝する「上之社」としての創祀で、奥宮の磐座、上之社の磐座という形式であったことが見受けられます。

 

その上之社の磐座の上に後に社殿が建立されたようです。

 

祭神、市杵島姫命(弁財天)

 

配神、熊野坐大神(熊野権現)、吉野坐大神(蔵王権現)、南朝四代天皇御霊、神代天之御中主神より百柱の神

 

吉野に宮を置かれた南朝天皇が祀られているのは、境内地の南朝黒木御所跡(御所の坊跡)が行宮の一つであったことに由来します。(来迎院というお寺もあったようです。)

 

現在、跡地には「南朝北朝和解供養宝篋印塔」が建てられています。

 

 

柿坂神酒之祐大宮司さま、柿坂匡孝宮司さまと、主に南朝のことについて、お話をさせて頂きました。

 

 

色々と貴重な時間となり、大変に有り難いことでございました。

 

 

天河弁財天社さまより貴重な御本を賜りました。しっかりと精読させて頂きます。

 

当方よりは、「往生院六萬寺史・南北朝編」をお渡しさせて頂いております。

 

本当にありがとうございました。

 

 

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「天河大弁財天社」(天河神社)の奥宮は「弥山(みせん)」。

 

そして、出雲大社摂社・出雲井社(東出雲王家の本社の一つ、もう一社は熊野大社)の奥宮も実は、「弥山(みせん)」なのです。

 

吉野の「弥山」も、間違いなく摂津、河内、大和から吉野へと入った出雲族の創祀の奥宮であることがこれで窺えます。

 

当初には、「サイノカミ三大神」が祀られてあったと推定することができるわけです。

 

後に役行者が、「弥山」の奥宮とその遥拝のための「上之社」となる「天河神社」の磐座を非常に重視したのも当然のことになります。

 

この度の参拝は、まさに出雲の「出雲井社」の後ろに鎮座する磐座に祀られている「久那斗大神」(サイノカミ三大神)によるお導きであったのでしょう。

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安芸の宮島の山も「弥山」(みせん)であります。

 

山頂付近には磐座群があり、古代から祭祀が行われていた遺跡も確認されています。

 

現在は、宗像三女神を祀る厳島神社の奥宮である「御山神社」があります。

 

この御山神社は、江戸時代までは「三鬼堂」と呼称され、三鬼神が祀られてあったのですが、明治時代の神仏分離令により、宗像三女神が祀られて、「厳島神社」の奥宮となったようです。

 

つまり、三鬼神が祀られる前は、不明であり、古代に出雲族により創祀され、「サイノカミ三大神」が祀られてあった可能性も考えられるのであります。

 

留意しておきたいと思います。

 

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如意輪寺・後醍醐天皇陵墓(塔尾陵・とうのおのみささぎ)、世泰親王(よやすしんのう)(長慶天皇の皇子)陵墓にて、勤行諷経御供養。

 

 

 

 

 

 

 

後醍醐帝に南朝、後南朝の慰霊のあり方についてお伺いをさせて頂きました。

 

また良いご報告ができればと存じます。ちなみに後醍醐天皇陵墓は京都に向け、北面して造営されています。

 

世泰親王御陵