施餓鬼供養について
2024年06月19日
8/11-8/15・お盆「おせがき」供養のご案内
供養は、悟りへの仏道を歩む者たちにとって、まるで炎天下の一陣の風に似た癒やし、そして、前へと進むための活力となる有り難いものでございます。本年も卒塔婆をご用意してお待ち申し上げます。
お早めにお申し込みを宜しくお願い申し上げます。合掌
初めてご供養ご検討の方は下記をご参照下さいませ。
一、お布施 1件・7千円(施餓鬼塔婆・経木塔婆各ご先祖さまご霊位ご供養)
一、任 意 無縁法界萬霊位供養・水子各霊位供養 お布施・別途各1千円
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2023年07月26日
「 焼香の意義について 」岩瀧山 往生院六萬寺 令和5年8月・お盆施餓鬼法要 配布資料
「 焼香の意義について 」岩瀧山 往生院六萬寺
令和5年8月・お盆施餓鬼法要 配布資料
岩瀧山 往生院六萬寺 令和5年8月・お盆施餓鬼法要 配布資料
「 焼香の意義について 」
現代における仏教の供養、祭祀儀礼において、実際に自らの行為として行うものとなると、その一番の代表として、「焼香」を挙げることができます。
昔は、共に読経をしたり、お遍路のような講巡り、写経の納経等、後生や故人・先祖への追善のためとして、実際に、様々な仏事、供養、功徳に取り組むことが多くあったものの、今では、そのほとんどが成されることが少なくなりつつあり、焼香(線香)のお供えが、主となって残っているのが現実的なあり方となっています。
特に、葬儀においては、喪家、会葬者共に実際に、自らの行為として具体的に行う主な供養も、焼香となっている次第であります。また、寺院の御本尊へのお参りやお墓へのお参り、お仏壇での供養においても、焼香(線香)、または灯明のお供えがその主なものとなっています。
では、実際に「焼香」の供養とは何か、と聞かれても、あまり理解している方も少ないのではないかと思い、今回、私見も交えながら、いくつかその由来について考えてみたいと思います。
一、場と自分の清め
おおよそ、世間一般、仏教一般としての「焼香」の用例としては、まず「清め」ということのためとなります。どうして焼香で清めとするのかということは、仏教の始まりとなるお釈迦様の時代に、その由来が遡ることになります。
お釈迦様の時代のインドは、当然に日本よりか南に位置しているところ(緯度的に主に活動された王舎城付近は台湾のあたりとなりますでしょうか)にありますから、気候は高温多湿であり、そのような中での生活では、様々な「臭い」もある程度、きつくあったことが想像できます。
そのような中、説法会においては、大勢の人が集まって、お釈迦様の説法を聴くことになります。当然に、人もひしめき合い、色々な「臭い」が更にきつくなるわけです。わざわざ精舎からお出まし頂いて、尊い法をお説き下さるお釈迦様には大変に失礼なことになると考えるわけです。
そこで、その場のきつい「臭い」を和らげて、心地よい香りにて、お迎えし、説法を有り難く頂戴するということで、良い香りを焚き、その場を「清める」ものとして、ある意味で、尊い、高貴な方を迎える作法、習慣として「焼香」が始まったと言えるのであります。
そして、良い香りは、人の心を落ち着かせるという、ある種のアロマテラピー的な効果もあります。普段の煩雑な生活の中で、乱れてある心を落ち着かせて、有り難く尊い教えを頂く前に、煩悩を鎮める「心の清め」としても大切なことになったと考えることができます。
以上のように、神聖となる場の清めと、清らかで尊い教えを頂くための自分の清めとして、「焼香」が習慣化していく中で、定着した供養になったのだと思われるのであります。
また、やがては、香を焚き始めるだけで、お釈迦様がそれを神通力にてお知りになられて、お迎えも来ない早々の内にお出かけになられるようになります。そのことから、焼香すると、お釈迦様にご来迎頂けるということで、如来をお迎えする、現代では、如来の教えである仏法をお迎えするというために、法要の際、読経の前にて、まず焼香を行うということになったのだと考えられます。
ですから、通夜や葬儀、法事においては、まず導師は、三拝しての焼香から作法に入ることになるのでもあります。
二、香食(こうじき)
次に、香食のために行う場合を挙げることができます。
香食とは、そのままで、「香を食べる」ということですが、誰が食べるためかと言うと、亡くなられた方の、次の世界へと生まれるまでの間の存在となります。
人は、亡くなって、肉体の機能を失うと、次の輪廻、次の生まれへと向かう意識が肉体から離れることになります(しばらくは肉体に留まることもあります)。
それは、微細な輪廻を繋ぐ意識となりますが、その意識は普段の意識、肉体に左右されるような意識とは異なっており、死と次の生を繋ぐ意識と考えると良いかとは思います。少し、私たちの概念としてある魂、霊魂とは違うのですが、まあ、似たようなものではあります。
そして、その微細な輪廻を繋ぐ意識も、実は身体を持ちます。意成身、意生身と言われるものです。その身体も7日ごとに死を迎えるとされる不安定なものですが、肉体のように目に見えるものではなく、ある種、影のようなもので、普通、私たちが捉えられるようなものではありません。それは私たちが霊、幽霊と言っているものとは、やや異なるのではありますが、おおよそ似ているとは思います。
その意成身、意生身の状態において食べれるものが、霞(かすみ)、烟(けむり)、香となるのであります。その中で、やはり美味しいものが、良い香木を燃やしての香りである「焼香」となるのであります。
意成身、意生身は、非常に不安定な存在です。その意識も大抵の場合は混乱、混濁して不安定なものとなります。この意識下において、しっかりとその先への悟り、成仏へと向かう仏道が照らされてある功徳、智慧が、今世、過去世で集積されてあるならば、自ずと次の仏道、極楽などの浄土へと安定して向かうものとなりますが、そうでなければ、やはり、不安定な状態としての中有(ちゅうう)、中陰(ちゅういん)となるのであります。
この中有・中陰の状態は、どんなに長くても49日間が最長となります。早ければ、死後すぐにでも次の往生へと向かう場合も、もちろんあります。この中有・中陰においての意成身、意生身の意識・心を安定させて、次の往生へと向けて、落ち着いて向かって頂くために、その餞として召し上がってもらうために行うのが、特に逮夜・通夜での焼香となるのであります。
もちろん、実際に歩いたり、走ったりして、次の世界、浄土へと行くわけではありませんが、お腹が減っては、集中もできず、やる気も、元気も無くなるのは、私たち生身の人間も、意成身、意生身も同じことであります。元気に次へと向かって行って頂くために、そして、清めの時と同じように、アロマテラピー的に心を落ち着けて、これから通夜、葬儀と仏の教えを聴いて、仏弟子となりて、仏道をしっかり歩めていけるように調えて頂くためにも、香を薫じるということになるのであります。通夜・葬儀における「焼香」の意義は、場の清め、自分の清めと共に、香食の意味合いも大切になるということであります。
近年、一般の方は、葬儀会館の備え付けの抹香で焼香することがほとんどとなっていますが、会館によっては、大量に消費するため、安価であったり、化学配合の多い抹香を使用している場合もあることは否めません。
故人への香食、餞別のためとして、個々人で、良い香りのする香木を持参して、焼香するのも良いのではないかと存じます。ある方は、故人が大変に愛でていた木の皮を、焼香にてお供えしたということも。きっと、さぞかし故人は喜ばれたのではないかと存じます。
このように焼香には、香食としてのお供えのあり方があるということも知って頂ければと思います。
三、雲程(うんてい)
さて、次に、焼香における大切な意味合いとして、「雲程」という考え方もあります。
雲程とは、空の一番高いところにある、青く清らかな雲、青雲を「悟り」と例えて、そこへと至る雲の道のりという言葉となります。
雲は、霞、烟と同じようなものとなります。つまり、亡くなった方を悟り、浄土へと送り、導く雲のお供えということであります。立ち上る焼香の烟が、瞬く間に悟り、浄土へと至る雲となるようにとして、清らかな真心の気持ちにてお供えするわけです。
葬儀の際における秉炬(ひんこ)佛事の前に、「山頭念誦(さんとうねんじゅ)」を読みますが、その最後の一節には、「茶、三奠(てん)を傾(かたむ)け、香、一炉に熱※(た)いて、雲程に送り奉りて、聖衆(せいしゅ)を和南(わなん)す」とあります。(※ 熱は、草かんむりがつく)
お茶を三点献じて、香を焚く、というのは、亡くなった方へ惜別の真心を表す場合と、お迎えの聖衆、つまり、来迎の如来、菩薩方へと献じるという場合の二通りが考えられますが、そのあとに「雲程に送り奉りて」とあるように、雲程へと送られる故人を送るのは、導師、喪家、会葬者となるため、亡くなった方へと向けて、お茶と香をお供えするというのが正解となるのではないかと考えます。
ちなみに、お茶を三杯献じるというのは、相手に真心の誠意を示すという意味があり、その昔に、近江・長浜で鷹狩をしていた豊臣秀吉が、休憩の際に寄った寺にて、お茶を所望した際、後の石田三成となる小姓が、一杯目に大きな茶碗にぬるま湯の茶を、二杯目には、ややそれよりも小さな茶碗に少し熱い湯の茶を、そして三杯目には、更に小さな茶碗に熱い湯の茶を出し、そのことに感心した秀吉が、その小姓を召し抱えたというエピソードがあります。石田三成はおそらく、この三杯のことを仏教の故事で学んでいたのであろうと思われるのであります。
そして、香の烟に乗って、雲程(悟り・浄土)へと至れるようにとして、「香、一炉に熱いて」は、私たちが真心、誠意にて故人を送り出すための焼香と考えることができるわけであります。
ここで、最後の「和南(わなん)す」とは、如来・菩薩方を、恭(うやうや)しく称名(念仏)して、敬礼(きょうらい)する、という意味となります。つまり、故人の悟り・浄土への導きを深くお願い申し上げるということであります。
この場面を考えると、つまり、ご来迎で、故人をお迎えに来て下さった如来、菩薩方のお姿が想像できるわけです。ご来迎で乗って来られるのは、もちろん、「雲」となります。つまり、「香、一炉に熱いて、雲程に送り奉りて」とは、故人を浄土へと送り出す「雲」を、まさに私たちの焼香の烟にてお作り申し上げて、故人を送り出すということを示すわけでもあります。
以上のように、「焼香」にはおおよそ三つの大きな意義があると考えることができるのであります。今後の焼香の際の参考になさって頂ければと存じます。合掌
2023年06月15日
8/11-8/15・お盆「おせがき」供養のご案内
初めてご供養ご検討の方は下記をご参照下さいませ。
一、お布施 1件・7千円(施餓鬼塔婆・経木塔婆各ご先祖さまご霊位ご供養)
一、任 意 無縁法界萬霊位供養・水子各霊位供養 お布施・別途各1千円
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本年度の法話は「焼香について」を予定しています。
2023年01月06日
3/18-3/24・春彼岸「おせがき」供養・3/21・彼岸中日「日想観」法要のご案内
「報恩の供養」・・供養が、恩に報いることになるのは、追善(功徳を届ける)によって、亡くなられた方々の安楽な善き境地(悟り)へと向けたお手伝いになるからであります。
施餓鬼供養のお経の中には、「この施餓鬼というお勤めによる善い功徳を、恩恵ある父母(先祖)に感謝、報恩して向ければ(回向すれば)、父母(先祖)が生きているならば、福、楽を得られて、寿命も延びるであろう。父母(先祖)が亡くなっているのであれば、苦しみの輪廻を離れられる安養、安楽な浄土へと生まれることができるであろう・・」と一節にございます。
※ もし期間中にご来山できなくてもお寺の方にて責任をもって塔婆供養をお勤めいたします。
その場合は、必ず、供養されたい方の戒名(法名)とお勤めのお施主の方のお名前を事前にメールやFAXでお知らせ下さい。お塔婆をご用意いたします。
実際に事前にご用意する塔婆に関しましては下記をご参照下さいませ。
施餓鬼供養・塔婆について(春彼岸・夏お盆の年2回法会開催)
http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/85052585.html
一、日時 3月18日~24日・午前8時~午後4時
(※最終日は、午後3時まで)
一、お布施 7千円(施餓鬼塔婆・経木塔婆ご先祖さま各霊位)
一、任 意 水子供養・無縁供養 お布施・各追加1千円
(どうしても供養に恵まれない方々への供養にもなります)
※もし期間中にご来山できなくてもお寺の方にて責任をもって塔婆供養をお勤めいたしますので、お申し込みの際にその旨お書き添え下さい。その場合のお支払いはお振込みか、後日ご来山の際でも構いません。
彼岸中日「日想観・極楽誓願」法要について
http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/72883056.html
・3月21日(祝)
・午後5時半から日没・表階段上台地にて
どなたでも参加できます(雨天中止)
往生院六萬寺サイト
http://oujyouin.com/
2022年08月17日
9.20-26 秋彼岸「墓前回向廻り」/ 9.23 彼岸中日「日想観・極楽誓願法要」
往生院六萬寺・秋彼岸・墓前回向廻り
9/20~26 1週間
午前8時から午後4時
回向料 2千円
当日寺務所申し込み
※期間中に来れない方はこちらで回向に廻らせて頂きます。事前にメールなどにてご連絡をくださいませ。
・・
彼岸中日・往生院「日想観・極楽誓願法要」
9/23・彼岸中日・夕刻(雨天中止)
午後5時30分から日没まで
往生院表階段上台地にて
http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/72883056.html
往生院六萬寺サイト
http://oujyouin.com/
2022年06月12日
「施餓鬼会(施食会・水陸会)と放生会について」 令和4年8月・お盆施餓鬼法要 配布資料
令和4年8月・お盆施餓鬼法要 配布資料
「施餓鬼会(施食会・水陸会)と放生会について」
もともと、施餓鬼(せがき)会(施食会・水陸会)が中国、日本で盛んとなる前には、僧俗共における仏教行事の中でも、特に主な行事となっていたのが、「放生(ほうじょう)会」となります。
「放生」は、仏教における第一の戒律である不殺生戒の実践、慈悲行の実践として、全ての生類、衆生の命を大切にするということの一環として、特に食用、ペット用として売られてある生き物を助けて、野に解き放って、自然へと返してあげるという考えを基に行われることになります。
そして、「放生」により積んだ功徳を、一切衆生の悟りへと向けて回向したり、自分のご先祖さまや供養をしたい者への追善供養としたり、あるいは、自分の後生のための功徳とするなどして、各々の仏道の成就へと向けた資糧とするものであります。
また、生きていく上においては、やむなく奪ってしまう命(食べる命)や悪意、故意や過失なく殺してしまった命等、私たちは、たくさんの犠牲の元で生存させて頂いていることへの懺悔、慚愧ということから、「放生」による功徳で滅罪を図る、悪業浄化を図るという目的もあります。
この思想における仏典の典拠としては、主には金光明経や梵網経に由来するところになります。
しかし、この放生会は、やがて中国、日本においても衰退していくことになり、その代わりとして施餓鬼会(施食会・水陸会)の方がより中心的に営まれていくことになります。
この要因としては、やがて仏教における在家・信徒による要請として大きくなる先祖供養が主なものとなっていく中で、その役割を果たすことが鮮明化される施餓鬼会(施食会・水陸会)の方が、需要が高まることになっていったからであると推測されます。
もちろん、施餓鬼会(施食会・水陸会)も一切衆生の悟りへと向けた功徳を主目的として儀軌が調えられるものとなりますが、その趣旨は、餓鬼への施しを通じた先祖供養のための功徳という点が強調されるところになり、寺院行事の中心的なものとなっていくことになりました。
施餓鬼供養で読むお経「開甘露門」(かいかんろもん)についての解説は下記をご参照下さい。
開甘露門(施餓鬼のお経について)
http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/85151234.html
しかし、拙考においては、「放生会」(不殺生行)による功徳と「施食会」(布施行)による功徳では、その差はかなり大きなものがあり、功徳の差を考えるならば、「放生」の方がより推奨されるべきではないだろうかと考えるところであります。
いや、むしろ、「放生会」と「施餓鬼会(施食会・水陸会)」は、両方を一緒に行うことで、よりその功徳の意義を高めることができるものとなるのではないだろうかと考えます。
「水陸放生施食会」として、儀軌を調えて行うことを提案したいところとなります。
ただ、近年、実際の放生で問題となっているのが、環境、生態系へと悪影響を及ぼしてしまう恐れがあることや、放生としての動物を売買する商用化、または、魚介類を放生した下流では転売目的で漁師が待ち構えて放生した魚介類を捕らえてしまうなどの反道徳・反倫理的な行為へと逆に繫がってしまうなどの懸念もあり、せっかくの善行、功徳を台無しにしてしまうことも多々見受けられるところとなっています。
そこで、大量の魚や鳥を放つ、それもわざわざ放生用としての動物を買い取って放つなど、そのように仰々しいことをしなくても、身近な生き物を大事にすることで、その功徳を積むことは十分にできるものとなります。
例えば、放生会の日(あるいはその前後、彼岸期間であれば一週間)は、できる限り肉、魚を食べることを控える、歩く際には、地面にできる限り注意を払って小さな虫を踏まないようにする、または、他人に踏まれそうな虫がいれば、草陰へと持っていってやる、水瓶等の水たまりで溺れている虫がいれば助けてあげる、家の中に出た虫を殺さずに外へと逃してあげる、蚊取り線香やゴキブリホイホイ、アリの巣コロリ等の殺虫剤の使用を控えるなど、実際に身近でできることはたくさんあります。
そのように放生の功徳を実践した上で、寺院・僧侶による放生会の法要に参加して、積んだ功徳を回向することが大切なことになります。
では、その法要の儀軌はどのようなものが望まれるのかということですが、主には施餓鬼会(施食会・水陸会)に準拠するものとして、回向において「放生の功徳を一切衆生へと回向する」ことを文言として整理して加えると良いでしょう。
「水陸放生施食会」法要の儀軌の例としては、観音菩薩の関連するお経を中心としての読誦、回向として、
開経偈・般若心経・大悲心陀羅尼(大悲呪)・開甘露門・観音経世尊偈・放生会回向並び施食会回向・四弘誓願として調えると良いのではないだろうかと思われます。
また、儀軌への補足としての称名念仏、真言や陀羅尼としては、開甘露門の七如来や五如来の称名や十仏名の称名、あるいはそれら如来の各真言、陀羅尼としては、光明真言や宝楼閣真言、宝篋印陀羅尼、阿弥陀如来根本陀羅尼、抜一切業障根本得生浄土陀羅尼、仏頂尊勝陀羅尼などを加えると尚良いのではないだろうかと存じます。
更には、放生としての不殺生の実践と共に、施食としての布施の実践としては、実際の餓鬼や地獄の衆生たちへと向けた食べ物等をお供えすること(実際は寺院へと納める供養料としての金品に代わってしまいますが、本来は、米等の供物が望まれるでしょう)も必要なことになります。
(※米が望まれるのは、米を万倍の乳粥へと陀羅尼により変化させて餓鬼へと提供し、その空腹を満たしてもらうため。炊いた米を皆で食べる前に少しだけ集めて、動物たちへと施す「生飯」(さば)の由来も施餓鬼であります。)
上記のように、これからの主な寺院行事の一つとして、「放生会」と「施餓鬼会(施食会・水陸会)」を一緒に行うようにしていくことをお勧めする次第でございます。
当寺院でも、これまでの施餓鬼の内容を見直して、「放生」の要素も加えてお勤めをさせて頂くことにしたいと考えています。
そのため、特に施餓鬼供養の彼岸の期間の一週間においては、普段はなかなか意識して取り組むことが難しくある功徳の実践をする期間として、できる限り生き物の命を大切にすることもその一つとして、それぞれで取り組みを頂けましたら有り難くに存じます。
合掌
参考・・放生儀軌(現在の中国・台湾基本法式)
1、大聲稱念佛號(称名念仏)
南無本師釋迦牟尼佛(三回)
南無寶髻如來(三回)(所有的動物,就在捨報後馬上升天,永不墮入三惡道!)
南無寶勝如來(三回)(可助永不墜三惡道)
2、持経咒(誦経)
楊枝淨水讚:楊枝淨水遍灑三千 性空八德利人天 福慧廣增延 滅罪消愆 火燄化紅蓮
南無清涼地菩薩摩訶薩(三回)
南無大悲觀世音菩薩(三回)
大悲咒(三回)
般若波羅蜜多心經(一回)
3、懺悔
現前諸眾生,念汝多生業重,墮在畜生,今代為汝等,對三寶前發露罪愆,汝當至誠隨我懺悔。
往昔所造諸惡業 皆由無始貪瞋癡 從身語意之所生 一切罪障皆懺悔(三回)
4、三帰依
諸佛子等!汝等不聞三寶,不知皈依,所以輪迴三有,墮畜生身。我今為汝,授與三皈依法。汝今諦聽!
諸佛子等:
皈依佛、皈依法、皈依僧(三遍)
皈依佛兩足尊、皈依法離欲尊、皈依僧眾中尊(三遍)
皈依佛不墮地獄、皈依法不墮餓鬼、皈依僧不墮畜生(三遍)
皈依佛竟、皈依法竟、皈依僧竟(三遍)
5、発願(四弘誓願)
諸佛子等!再為汝等宣說四弘誓願,令汝得聞,依法發願,依願修行,汝今諦聽。
眾生無邊誓願度 煩惱無盡誓頤斷 法門無量誓願學 佛道無上誓願成(三回)
6、念仏
南無西方極樂世界大慈大悲阿彌陀佛
南無阿彌陀佛(十回)(可助往生極樂世界)
(轉念四字佛號)...阿彌陀佛...(此時一邊唸佛一邊放生)
7、放生会回向
放生功德殊勝行 無邊勝福皆回向 普願沉溺諸眾生 速往無量光佛剎
十方三世一切佛 一切菩薩摩訶薩 摩訶般若波羅蜜
http://oujyouin.com/
2022年05月02日
「施餓鬼会(施食会・水陸会)と放生会について」
「施餓鬼会(施食会・水陸会)と放生会について」
もともと、施餓鬼会(施食会・水陸会)が中国、日本で盛んとなる前には、僧俗共における仏教行事の中でも特に主な行事となっていたのが、「放生(ほうじょう)会」となります。
「放生」は、仏教における第一の戒律である不殺生戒の実践、慈悲行の実践として、全ての生類、衆生の命を大切にするということの一環として、特に食用、ペット用として売られてある生き物を助けて、野に解き放って、自然へと返してあげるという考えを基に行われるところとなります。
そして、「放生」により積んだ功徳を、一切衆生の悟りへと向けて回向したり、自分のご先祖さまや供養をしたい者への追善供養としたり、あるいは、自分の後生のための功徳とするなどして、各々の仏道の成就へと向けた資糧とするものであります。
また、生きていく上において、やむなく奪ってしまう命(食べる命)や悪意、故意や過失なく殺してしまった命等、私たちは、たくさんの犠牲の元で生存させて頂いていることへの懺悔、慚愧ということから、「放生」による功徳で滅罪を図る、悪業浄化を図るというために行うということもあります。
この思想における仏典の典拠としては、主には金光明経や梵網経に由来するところになります。
しかし、この放生会は、やがて中国、日本においても衰退していくことになり、その代わりとして施餓鬼会(施食会・水陸会)の方がより中心的に営まれていくことになります。
この要因としては、やがて仏教における目的の一つとなる先祖供養が主なものとなっていく中で、その役割を果たすことが鮮明化される施餓鬼会(施食会・水陸会)の方が、在家においての需要が高まることになっていったからであると推測されます。
もちろん、施餓鬼会(施食会・水陸会)も一切衆生の悟りへと向けた功徳を主目的として儀軌が調えられるものとなりますが、その趣旨は、餓鬼への施しを通じた先祖供養のための功徳という点が強調されるところになり、寺院行事の中心的なものとなっていくことになりました。
施餓鬼供養で読むお経「開甘露門」(かいかんろもん)についての解説は下記を参照下さい。
開甘露門(施餓鬼のお経について)
http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/85151234.html
しかし、拙考においては、「放生会」(不殺生行)による功徳と「施食会」(布施行)による功徳では、その差はかなり大きなものがあり、功徳の差を考えるならば、「放生」の方がより推奨されるべきではないだろうかと考えるところであります。
いや、むしろ、「放生会」と「施餓鬼会(施食会・水陸会)」は両方を一緒に行うことで、よりその功徳の意義を高めることができるものとなるのではないだろうかと考えています。
「水陸放生施食会」として、儀軌を調えて行うことを提案したいところとなります。
ただ、近年、実際の放生で問題となっているのが、環境、生態系へ悪影響を及ぼしてしまう場合や、放生としての動物を売買する商用化、または、魚介類を放生した下流では転売目的で漁師が待ち構えて放生した魚を捕らえてしまうなどの反道徳・反倫理的な行為へと逆に繫がってしまうなどの懸念もあり、せっかくの善行、功徳を台無しにしてしまうことも多々見受けられるところとなっています。
そこで、大量の魚や鳥を放つ、それもわざわざ放生用としての動物を買い取って放つなど、そのように仰々しいことをしなくても、身近な生き物を大事にすることで、その功徳を積むことは十分にできるものとなります。
例えば、放生会の日(あるいはその前後、彼岸期間であれば一週間)は、できる限り肉、魚を食べることを控える、歩く際には、地面にできる限り注意を払って小さな虫を踏まないようにする、または、他人に踏まれそうな虫がいれば、草陰へと持っていってやる、水瓶等の水たまりで溺れている虫がいれば助けてあげる、家の中に出た虫を殺さずに外へと逃してあげる、蚊取り線香やゴキブリホイホイ、アリの巣コロリ等の殺虫剤の使用を控えるなど、実際に身近でできることはたくさんあります。
そのように放生の功徳を実践した上で、寺院・僧侶による放生会の法要に参加して、積んだ功徳を回向することが大切なことになります。
では、その法要の儀軌はどのようなものが望まれるのかということですが、主には施餓鬼会(施食会・水陸会)に準拠するものとして、回向において「放生の功徳を一切衆生へと回向する」ことを文言として整理して加えると良いでしょう。
「水陸放生施食会」法要の儀軌の例としては、観音菩薩の関連するお経を中心としての読誦、回向として、
開経偈・般若心経・大悲心陀羅尼(大悲呪)・開甘露門・観音経世尊偈・放生会回向並び施食会回向・四弘誓願として調えると良いのではないだろうかと思われます。
また、儀軌への補足としての称名念仏、真言や陀羅尼としては、開甘露門の七如来や五如来の称名や十仏名の称名、あるいはそれら如来の各真言、陀羅尼としては、光明真言や宝楼閣真言、宝篋印陀羅尼、阿弥陀如来根本陀羅尼、仏頂尊勝陀羅尼などを加えると尚良いのではないだろうかと存じます。
更には、放生としての不殺生の実践と共に、施食としての布施の実践としては、実際の餓鬼や地獄の衆生たちへと向けた食べ物等をお供えすること(実際は寺院へと納める供養料としての金品に代わってしまいますが、本来は、米等が望まれるでしょう)も必要なことになります。(※米が望まれるのは、米を万倍の乳粥へと陀羅尼により変化させて餓鬼へと提供し、その空腹を満たしてもらうため。米を少し動物たちへと施す「生飯」(さば)の由来も施餓鬼であります)
上記のように、これからの主な寺院行事の一つとして、「放生会」と「施餓鬼会(施食会・水陸会)」を一緒に行うようにしていくことをお勧めする次第でございます。
令和4年5月 合掌
2022年01月15日
3/18-3/24・春彼岸「おせがき」供養・3/21・彼岸中日「日想観」法要のご案内
「今日彼岸 菩提の種を 蒔く日かな」
(伝・松尾芭蕉・作)
「菩提」とは、「悟り」という意味で、彼岸の期間は、ご先祖様の供養を通じて、仏教の最終的な目的となる「悟り」へと向けて精進していくための有り難いご仏縁としたいものでございます。
悟りという「花」を咲かせるためには、何よりもまずその「種」を蒔かなければ始まりません。施餓鬼供養もその種を蒔くための大切なご仏縁となります。
その場合は、必ず、供養されたい方の戒名(法名)とお勤めのお施主の方のお名前を事前にメールやFAXでお知らせ下さい。お塔婆をご用意いたします。
実際に事前にご用意する塔婆に関しましては下記をご参照下さいませ。
施餓鬼供養・塔婆について(春彼岸・夏お盆の年2回法会開催)
http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/85052585.html
一、日時 3月18日~24日・午前8時~午後4時
(※最終日は、午後3時まで)
一、お布施 7千円(施餓鬼塔婆・経木塔婆ご先祖さま各霊位)
一、任 意 水子供養・無縁供養 お布施・各追加1千円
(どうしても供養に恵まれない方々への供養にもなります)
※もし期間中にご来山できなくてもお寺の方にて責任をもって塔婆供養をお勤めいたしますので、お申し込みの際にその旨お書き添え下さい。その場合のお支払いはお振込みか、後日ご来山の際でも構いません。
『正しいお通夜とお葬式へ向けて』令和4年3月 春彼岸施餓鬼法要 配布資料
http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/87851117.html
彼岸中日「日想観・極楽誓願」法要について
http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/72883056.html
・3月21日(祝)
・午後5時半から日没・表階段上台地にて
どなたでも参加できます(雨天中止)
往生院六萬寺サイト
http://oujyouin.com/
2021年06月10日
お盆「おせがき」供養のご案内 ~ 心のワクチン ~ 8/11-8/15
全国どなたでもお申込みして頂けます。要事前申し込み(8/5までに)
令和3年8月11日~15日
コロナ禍はまだ収まらない状況下ではございますが、感染症予防対策を行い、本年のお盆も施餓鬼供養をお勤めさせて頂きます。コロナ禍にてご来山をご遠慮なさられる場合でも、お寺の方で責任をもってお勤めさせて頂きます。
コロナ禍で生活が一変してしまいましたが、亡くなられた方のことを偲び、悼み、弔う想いは何にも変えられないものでございます。ワクチン接種は進んでいますが、心は、御仏の教えを受けるというワクチン摂取で「安心」の免疫を手に入れたいものでございます。
令和3年8月11日~8月15日(5日間)
午前8時~午後4時(※最終日は、午後3時まで)
ご本堂にて
お布施 7千円(施餓鬼塔婆・経木塔婆ご先祖さま各霊位)
任 意 水子供養・無縁供養 お布施・各追加1千円
(どうしても供養に恵まれない方々への供養にもなります)
新規の方はメールでも受付可
新規の場合は、必ず施主名(主となって供養される方)とご供養されたい方全員の戒名(法名、戒名の無い方は俗名)を正確にお知らせ下さい。塔婆を作成するため。
○施餓鬼供養の全体の流れにつきまして下記をご参照下さいませ。
春季彼岸と夏お盆での施餓鬼供養の流れについて
http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/85154095.html
○事前にご用意する施餓鬼供養の塔婆につきましては下記をご参照下さいませ。
施餓鬼供養・塔婆について(春彼岸・夏お盆の年2回法会開催)
http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/85052585.html
○施餓鬼供養で読むお経の解説につきましては下記をご参照下さいませ。
開甘露門(施餓鬼のお経について)
http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/85151234.html
往生院六萬寺サイト
http://oujyouin.com/
2021年02月17日
施餓鬼供養の流れについて(往生院六萬寺)
当寺院にてお施餓鬼の法要にて、ご先祖様のご供養をお勤め頂く際の流れについてご説明して参ります。
まず事前のお申込みが必要です。事前に施餓鬼塔婆をご用意するため。施餓鬼塔婆については下記を参照下さい。
施餓鬼供養・塔婆について(春彼岸・夏お盆の年2回法会開催)
http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/85052585.html
次に、期間中(春彼岸一週間・3/17-3/23 夏お盆5日間・8/11-8/15)にご来山頂きまして、寺務所にて受付して順番を取って頂きます。
ご墓所がある場合は、先にご墓所のお参りに行って頂きます。ご墓所の無い方は、ご本堂前のテントの中でお名前が呼ばれるまでお待ち頂きます。
一座、2~4件さまにお入り頂けます。最大で15~20名ほどになります。1件さま、できれば5名まで、できればにて。コロナ対策にてご容赦願います。
お焼香の前にそれぞれお座り頂き、お並び頂きます。また、椅子席も十分にご用意しています。
皆さまがお座り頂いたのを確認して、施餓鬼棚の前にお座り頂いた各家の塔婆を用意しおえて、線香で塔婆を薫じてから、おりんを三つ鳴らして、始まりを知らせます。
順番にお焼香をして頂きますようにお声掛けご案内します。
お経が始まりますので、順番にお焼香ください。
お経は、開甘露門になります。
内容は、下記のページにて詳しく解説させて頂いております。
開甘露門(施餓鬼のお経について)
http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/85151234.html
お経が終わりましたら、当山の施餓鬼回向を読み上げます。
施餓鬼回向
「仏身は法界に充満して、普く一切の群生の前に現ず、縁に随い感に赴いて周からずということなし、而も常に此の菩提の座に処したもう。仰ぎ冀わくは洪慈、俯して、照鑑を垂れたまえ。山門今月今日、〇〇氏(〇〇氏・〇〇氏、)施主となりて、謹んで現前の清衆を集め、聖号を称揚し、秘呪を課持し、同音に開甘露門を諷誦す。集むる所の善利は、十方常住の三宝、果海無量の聖賢を讃え、護法の列位、諸天の仙衆、地界水界、大小の明霊、総じては一切の明霊、三界の萬霊、十方の至聖のために祝献す。この善利によって普く用いて回厳し奉る。集むるところの功徳は、〇〇家 〇〇〇〇〇〇之霊位、〇〇〇〇〇〇之霊位、〇〇〇〇〇〇之霊位(・・と全ての霊位を順番に読み上げていく)〇〇家先祖代々の各霊位のためにし奉り、報知を荘厳す。同じく法味を受けもって、仏祖の化門を護り、各々威光を増して災障を除かんことを。専ら祈るらくは、各人多生の父母、歴劫の冤親、一切の幽霊、河沙の餓鬼に資薦し、咸く迷衢を出でて、同じく覚路に登らんことを。十方三世一切の諸仏諸尊菩薩 摩訶薩 摩訶般若波羅蜜。」
回向が終わったら、最後に供養された閼伽水を塔婆に洒水して掛けます。
洒水された塔婆を、配布のしおり(施本)と共に各施主様にお渡しします。
それから、法話となります。
法話は約10分程度になります。お楽にして頂いて、足も崩して頂いて、気軽な感じでお聴き頂きます。
もちろん、各回で法話の内容は異なります。
世情や皆さまの関心に合わせて、毎回工夫して、また、ホワイトボードや事前に書いたフリップなども用いて、分かりやすく丁寧にを心掛けてお話をさせて頂きます。
法話が終わると、退堂して頂きまして、手向け地蔵さま・水かけ地蔵さまのところへと行って頂きまして、そこに塔婆を掛けるところがありますから、そこに塔婆を掛けて頂きまして、水をかけて供養して頂きまして、これで終わりとなります。
塔婆は、一カ月間、水かけ地蔵さまのところにお祀りして供養した後に浄焚いたします。
以上が、当山の施餓鬼供養の流れとなります。ご参考までに。全国どなたでも供養をして頂けます。下記ページを参照して下さいませ。
施餓鬼供養・塔婆について(春彼岸・夏お盆の年2回法会開催)
http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/85052585.html
施餓鬼供養の本質について
http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/85135519.html
3/17-3/23・春彼岸「おせがき」供養・3/20・彼岸中日「日想観」法要のご案内
http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/85003156.html