
神社参拝挨拶廻り
2026年07月14日
「岩瀧大明神」お社建立御挨拶参拝廻り・出雲巡礼(7/7・7/8)のご報告メモ
「岩瀧大明神」お社建立御挨拶参拝廻り・出雲巡礼(7/7・7/8)のご報告メモ
今回の巡礼先一覧
初日
二日目・最終日
動画「滝行・岩瀧山・出雲巡礼への禊ぎ 岩瀧大明神 岩瀧不動明王 岩瀧山往生院六萬寺」2026年7月4日
この禊ぎによることからか、7月5日の早朝に「天日方奇日方命」と思われるお方からの夢告があり、出雲王国、東出雲王家の御供養を望んでおられる旨の御託宣で、急遽に経木塔婆(と板塔婆も)と、御三方が、2186年ぶりとなる里帰りをされたいということであるとも思われ、御三方の名前をお書きした御札もご準備させて頂きました。
出雲へは自身、二回目で、一回目は、出雲大社、熊野大社、神魂神社の三社を家族で参拝したのみで、今回は、「岩瀧大明神」お社の建立御挨拶廻りとして、二日間、参拝に廻らせて頂いた次第であります。
メモ・・
出発二日前の夢告にて、東西出雲王家の御供養のための塔婆をご用意させて頂いて、天日方奇日方命・美良姫命・玉櫛姫命の御三方のお名前の書いた御札もご用意させて頂いて、出雲帰参をお手伝いさせて頂いたこと、各神社での参拝では、この御札と共に参拝、また勤行・拝詞敬白をさせて頂きました。
当初予定していなかった神社へと複数、誘われたこと。
まだまだ発見されていない遺跡、磐座がかなりあるであろうこと。
出雲大社の背後の山の峰々が、河内側からの生駒山の峰々と重なって見えたこと。
御陵神社、立石神社の磐座の荘厳さが凄かったこと。
立石神社には、明らかな霊畤の広場も確認ができたことから、西出雲王家の埋め墓の磐座である可能性も。但し、御陵神社も、もちろんその可能性が高い磐座であると言えます。最も有力であるのは、出雲大社の背後にある「八雲山(西)」の山中が考えられますが、禁足地として、本格的な確認・調査が未だない可能性が高くあります。
御陵神社・立石神社ともに、大岩だけではなくて、周囲に後に据えられたのではないかと考えられる埋め墓石の磐座が複数、確認できます。
ちなみに、「熊野大社の元宮・奥宮の天狗山・天宮山」には、東出雲王家の埋め墓・斎場があります。
初日、美保神社が、ちょうど月次祭、七日恵比寿にあたり、「八重波津身命」の御供養をさせて頂けました。出発二日前の夢告にて、王家の供養をしてほしいとのことで、急遽に塔婆を準備して持参、神魂神社近くの王陵(出雲大神)にて東出雲王家の御供養に勤めさせて頂きました。
二日目、八日、8は出雲王国・出雲族の聖数、「八千矛王」を猪目洞窟にて御供養させて頂くこととなり、御陵神社にて西出雲王家の御供養をお勤めさせて頂きました。
出雲井社(出雲大社摂社)の背後にひっそりとあった磐座は、注連縄等がなされていなかったものの、かなり重要な磐座であると思われること。
アラハバキの龍蛇神に見立てた注連縄の巻かれた神木のある神社が幾つも見られたこと。
神木を神籬(ひもろぎ)として御幣が立てられてある神社も多くあったこと。
御神水お水取り
熊野大社
須我神社の奥宮・磐座への禊ぎ場(神泉水)
清め御砂取り
稲佐の浜・弁天島
出雲大社・素鵞社
・・
2日間で39巡礼
大山寺
大神山神社・奥宮
美保神社
佐太神社
能義神社
都弁志呂神社
揖夜神社
須多神社
八重垣神社
神魂神社
出雲大神(東出雲王家王陵)
眞名井神社
六所神社
熊野大社
須我神社
須我神社奥宮磐座
塩冶神社
曽枳能夜神社
御井神社
女夫岩遺跡
佐為神社
石宮神社
来待神社
玉作湯神社
一人女神社
大森神社(大森大明神)
埼田神社
立石神社
猪目洞窟
大穴持伊奈西波岐神社(出雲大社摂社)
御陵神社
日御碕神社
稲佐の浜・弁天島
出雲大社
御歳社(出雲大社摂社)
神魂伊能知奴志神社(命主社)(出雲大社摂社)
出雲井社(出雲大社摂社)
朝山八幡宮
智伊神社
・・
2日目の出雲巡礼、一番驚いたのは、当初、全く参拝の予定になかったところに、数か所も誘導されました。
ナビは確かに設定した行き先を示してルートを取るものの、途中、何度も変なルート、一車線の狭い道や、山道などに変わり、その度に別の思わぬ神社の鳥居に、ハッと出遭うことに。
まるで、ここをお参りしてほしいと言わんばかりにて、降りない訳にはいかなくなり、天日方奇日方命、美良姫命、玉櫛姫命の御三方(お札を常時携帯しての各参拝、勤行、拝詞)には久しぶり?(2186年ぶり?)の里帰りだけに、所縁の地を懐かしく巡られたかったのではないかと。。
やがて、更には、何故か、わざわざ細い道の日本海際の海岸線のルートを取られ、エッ!猪目洞窟の標識が、、
ここは八千矛王(大国主命・主王)が枯死なさられたところでは、、
今回は参拝のところとしていなかったのですが、もちろん、急遽に、狭い道ながら車を無理に寄せに寄せて停めて、洞窟へと降り、御供養を申し上げました。
また、報告、画像、動画を随時、このブログに整理してアップしますが、とにかく不思議なことは最後にも。
西出雲からの帰りの山陰自動車道が、故障車のため直前で一部通行止めに。
東出雲で下ろされて、安来までの20キロ以上、下道を走ることに、、
御三方とも、最後の最後まで故郷を去るのを名残惜しまれたのでしょう。
国、人は代わっても、山河は変わらず。今日はずっと窓を開けて走らせて頂きました。
初日は、全く事前には知らなかったのですが、大神山神社の次に向かった美保神社では、7日恵比寿の月次祭があり、神楽奉納を見れ、出雲に入っての最初で八重波津身命(事代主命・副王)の供養をさせて頂くことに。もちろん、玉櫛姫命の夫で、天日方奇日方命の父であります。
事前に急遽、塔婆をご用意させて頂くこととなった東出雲王家の供養は、神魂神社近くの王陵(拝み墓の磐座)にて、西出雲王家の供養は、御陵神社において勤めさせて頂きました。
ただ、西出雲王家の王陵(埋め墓の磐座)は、もしかしたら立石神社ではないかとも、それぐらいに立石神社は色々な意味で圧巻でありました(勤行、拝詞敬白は勤めております)。
とにかく一つ一つをしっかりとまとめたいと存じます。
・・
予定していたものの、残念ながら廻れなかったところ・・
長浜神社
朝山神社
須佐神社
多伎神社
佐毘売山神社
五十猛神社
八千矛山大国主神社
後から廻っておければと思ったところ・・
万九千神社
菅原天満宮
持田神社
大岩(雲南市加茂)
富神社
・・
令和8年6月28日「岩瀧大明神」お社建立・「地鎮祭」
動画「岩瀧大明神・岩瀧山磐座遥拝石社建立・奉鎮祭」(令和8年6月28日)
・・
oujyouin_blog at 22:12|Permalink
2026年06月29日
「岩瀧大明神」お社建立・「地鎮祭」
「岩瀧大明神」お社建立・「地鎮祭」
令和8年6月28日「岩瀧大明神」お社建立・「地鎮祭」
まず当日早朝に、不動尊縁日にて、岩瀧滝行場へ。
台風一過にて、水量が凄まじくありました。
岩瀧不動明王供養
並びに、岩瀧大明神お社建立地鎮祭へ向けての勤行お勤めをさせて頂きました。
改めて、光明真言と共に、お清めのための御砂も御取りいたしました。
戻って、地鎮祭の準備。まず紙垂飾り。
次に、本堂からご神鏡を祀りました。
出芽色の風呂敷を掛けてお祀り。
更に、中央に「岩瀧大明神」塔婆、大神神社・神樹・榊と三輪明神の御幣、四方に「四天王」塔婆を配して、岩瀧不動明王、大地主大神、久那斗大神、幸ノ姫大神、猿田彦大神、大国主命、事代主命、玉櫛姫命、天日方奇日方命、美良姫命の塔婆、神饌、清めの洒水器、清めの砂等を準備。
開始と共に、少し晴れ間が出て、有り難くにも磐座のある岩瀧山山頂が拝めました。
まず、神水・閼伽水にて、四方・中央を清めの洒水。
次に、大神神社・大和神社・岩瀧滝行場の御砂で清めの御砂撒き
鬼門(北東)から時計回りに四方に撒いて、最後に中央に向けて撒きます。
次に、ご神鏡披見。
勤行、開経偈、般若心経、消災呪、楞厳呪・第五会、奉請回向、不動明王真言、遥拝詞・神拝詞敬白、光明真言、普回向。
参列寺族焼香。
最後に、御神酒、御米、御神水、御塩をお撒きして終えました。
雨が少し降る中となりましたが、無事に地鎮祭が滞りなく終わり、少しホッとしました。
昼から、四條畷神社へと向かいまして、崇敬会総会で、「楠木正行公と南朝について」の拙い講話をさせて頂きました。色々なご縁を賜り、今後の研究の進展に向けて大変に有り難いことになります。
・・
台風が去って雨が止んだので、青竹立てと注連縄張りもしておきました。紙垂は明日に挟み込みます。
中央の神代は、大神神社の神樹の榊と大神神社の御幣、本堂の神鏡を立てます。
経筒へは鎮め物を納めました。
和紙に書いて納めたもののコピー
最近は塔婆書きばかりにて、和紙や奉書に書くのがかなり下手になりました・・
300年後とかに地鎮物を見た方に、こいつ字下手だなと思われてしまうかも。。
経筒の鎮め物には、各聖地の小石、土砂を「みわ山」の袋にまとめて入れて納め、カーラチャクラ砂曼荼羅の御砂は別瓶にして納めました。
法王猊下お加持の砂曼荼羅の御砂は、清水さんからダライ・ラマ法王猊下の日本でのカーラチャクラタントラ灌頂の実現へと向けて賜ったものの、時勢下と法王猊下のご高齢もあり、もはや可能性はほぼゼロになってしまいました。
しかし、何らかカーラチャクラタントラの加持力を活かせるように致さねばと考えており、今回、少し使わせて頂くことにしました。
あと、まだ余裕があるところに、大き目の聖地小石いくつかと守護札を納めて蓋をしました。般若札は毎年に胴部に納めることにします。
経筒の蓋は密封せず、僅かでも気の出入りがあることが大事になります。
建立式は8/8ながら、実は、地鎮祭の方が重要で、特に鎮め物は、工事が終われば、二度と納められないものになります。(往生院稲荷大明神社は納められるようにしてありますが、今回はそのようにはしていません。)
まだ、熊野大社、出雲大社、神魂神社以外の多くの出雲の神社に御挨拶参拝廻りができていませんが、来月には、2日間で廻らせて頂く予定にしています。
とにかく一つ一つです。
・・
台風が心配ですが、不動尊縁日の28日には、岩瀧お参りでの岩瀧不動明王供養の後に、「岩瀧大明神」お社の基礎工事を控えての「地鎮祭」を行います。
地を改めて清めて、神代を清浄に調えることになります。
御神水、閼伽水での洒水と、大神神社・三輪山の御砂と、岩瀧で採取の御砂にて清めて、御幣とお塔婆を真ん中に立て、四隅には四天王のお塔婆を立てて、勤行・拝詞敬白となります。
併せて、基礎工事で台座の下へと鎮めて頂くものを経筒へと納めます。
舎利石、鎮め石は、岩瀧山山頂磐座小石、三間石山磐座小石、岩瀧滝行場の小石を始めとして、去年の出雲巡礼から、この度の神社各御挨拶廻り先の聖地の御砂、小石粒を納めます。
舎利石の代わりとして、ダライ・ラマ法王猊下大阿のブッダガヤで行われたカーラチャクラ・タントラ大灌頂の砂曼荼羅の御砂も少し分けて納めさせて頂きます。
カーラチャクラタントラの由来も鑑みてこのお加持力も賜れば、国体護持のためとなること間違いないでしょう。
但し、出雲はまだまだ参拝できていないところが多数にて、来月中に一泊で二十社程を一気に巡礼御挨拶廻りをさせて頂く予定です。
今回で納められなかったものは、各賜った御神符と共にお社の胴部へと納めます。
特に、大神山神社(鳥取県・大山)への参拝が間に合わなかったのですが、来月、必ず参拝できればと存じます。
・・
oujyouin_blog at 13:25|Permalink
2026年06月26日
「岩瀧大明神」お社建立・「地鎮祭」準備
「岩瀧大明神」お社建立・「地鎮祭」準備
台風が心配ですが、不動尊縁日の28日には、岩瀧お参りでの岩瀧不動明王供養の後に、「岩瀧大明神」お社の基礎工事を控えての「地鎮祭」を行います。
地を改めて清めて、神代を清浄に調えることになります。
御神水、閼伽水での洒水と、大神神社・三輪山の御砂と、岩瀧で採取の御砂にて清めて、御幣とお塔婆を真ん中に立て、四隅には四天王のお塔婆を立てて、勤行・拝詞敬白となります。
併せて、基礎工事で台座の下へと鎮めて頂くものを経筒へと納めます。
舎利石、鎮め石は、岩瀧山山頂磐座小石、三間石山磐座小石、岩瀧滝行場の小石を始めとして、去年の出雲巡礼から、この度の神社各御挨拶廻り先の聖地の御砂、小石粒を納めます。
舎利石の代わりとして、ダライ・ラマ法王猊下大阿のブッダガヤで行われたカーラチャクラ・タントラ大灌頂の砂曼荼羅の御砂も少し分けて納めさせて頂きます。
カーラチャクラタントラの由来も鑑みてこのお加持力も賜れば、国体護持のためとなること間違いないでしょう。
但し、出雲はまだまだ参拝できていないところが多数にて、来月中に一泊で二十社程を一気に巡礼御挨拶廻りをさせて頂く予定です。
今回で納められなかったものは、各賜った御神符と共にお社の胴部へと納めます。
特に、大神山神社(鳥取県・大山)への参拝が間に合わなかったのですが、来月、必ず参拝できればと存じます。
・・
oujyouin_blog at 11:26|Permalink
2026年06月24日
「大和(おおやまと)神社」(天理市新泉町)に参拝
「大和(おおやまと)神社」(天理市新泉町)に参拝
今回、6月23日に、奈良県へと参りまして、岩瀧大明神お社建立の参拝御挨拶廻りをさせて頂きました。
「辺津磐座」から、次に車で移動。
途中で、「慶田寺」(桜井市芝)さんに寄らせて頂いて、ご挨拶、織田家墓所にて墓前回向をさせて頂いてから、「大和(おおやまと)神社」(天理市新泉町)へと向かいました。
御祭神
・日本大国魂大神(倭大国魂神)
・八千戈大神(出雲王国・西出雲王家・大国主・八千矛王)
・御年大神(西出雲王家・五十猛命)
「日本大国魂大神(倭大国魂神)」は、日本建国の父で、大和王国建国の礎となり、初代から三代天皇の後見となった出雲王国・東出雲王家の「天日方奇日方命」のことであると考えられます。
元の宮は今よりも別にあり、何度かの遷座があったようで、当初は麓の遥拝神社として成立し、創祀においては、東側の山の山頂付近に磐座も祀られたものと考えられます。
参拝、勤行。
御朱印を頂き、御神符、御砂も頂きました。
なんと、ここに「高龗(たかおかみ)神社」があり、しかも総本社とのこと。
今回の最初に「高山神社」(高龗神)に参拝、最後に「高龗神社総本社・高龗神社」の参拝になるとは、、
妙縁にて、有り難くに高龗大神の御札も頂いたのであります。
・・
oujyouin_blog at 12:03|Permalink
曹洞宗・三輪山・慶田寺(桜井市芝)に参拝
曹洞宗・三輪山・慶田寺(桜井市芝)に参拝
今回、6月23日に、奈良県へと参りまして、岩瀧大明神お社建立の参拝御挨拶廻りをさせて頂きました。
慶田寺さんへと一年ぶりに、ご挨拶お伺いさせて頂きました。
ご挨拶後、今回は、織田信長の弟、有楽斎(長益)の御墓所、四男・長政からの芝村藩・織田家の歴代御墓所にて、墓前諷経、回向。
有楽斎(長益)の御墓所
川口宗勝の母は、織田信長の伯母であることから、宗勝は織田家の親戚であるゆえに、信長から直臣・弓大将として重用されました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E5%8F%A3%E5%AE%97%E5%8B%9D
もちろん、有楽斎とも当然に交流があったことでしょう。
あとから知りましたが、たまたまにもこの日(6/23)は信長の誕生日。
直前までお伺いできるかどうかでしたが、何とかお伺いができたのであります。
30年来、慶田寺さんとのご縁は本当に不思議なものであります。
ちなみに、芝村藩は、別名、「戒重」藩で、藩の「陣屋」は戒重城跡に置かれていました。
慶田寺の山門は、芝村陣屋南門を移築したものになります。
「戒重城」は、南北朝時代、大神神社の神主「大神勝房」の子とも伝わる「三輪(戒重)西阿」が築いた城で、強力な武士団を率いて、現在の桜井市一帯において勢力を持って支配し、西阿と、その子、戒重良円は、南朝方となって活躍するも、三輪西阿と戒重良円の父子は、楠木正行公に従って、「四條縄手の合戦」にて最期は討ち死にしているのであります。
(一説では、西阿は四條縄手の合戦前に亡くなっていたとも。四條畷神社では、三輪西阿の父子と戒重良円の父子として祀られています。)
慶田寺さん横の神社にも参拝させて頂きました。
真東が箸墓古墳、ホケノ山古墳、檜原神社、三輪山、巻向山になり、今は春日社ながら、その昔は太陽の道、レイラインに関わる神社であったのではないかと思われるのであります。
・・
oujyouin_blog at 11:45|Permalink
三輪山「辺津磐座」・「山ノ神遺跡」・「きよめの瀧」・「辰五郎大明神」に参拝
三輪山「辺津磐座」・「山ノ神遺跡」・「きよめの瀧」・「辰五郎大明神」に参拝
今回、6月23日に、奈良県へと参りまして、岩瀧大明神お社建立の参拝御挨拶廻りをさせて頂きました。
次に、狭井神社から前回参拝できなかった「辺津(へつ)磐座」へ。
きよめの瀧、稲荷社・辰五郎大明神を参拝。
きよめの瀧は、三輪山の「三光の瀧」の下沢の滝になると思われます。
滝場で勤行。
経路を見て、「山ノ神遺跡(やまのかみいせき)」の磐座へ。磐座は撮影禁止。
参拝、勤行。
次に更に奥に進んだところに「辺津磐座」。磐座は撮影禁止。立派な磐座でした。参拝、勤行。
辺津磐座は、三輪山の中津磐座、奥津磐座への、麓の拝み磐座であると言えます。
ここが本来の三輪山登拝への入り口であった可能性が高く、「神坐日向神社」は、元々ここのあたりにあったのではないだろうかとも、ふと感じるところでありました。
「神坐日向神社」は、こちらに遷座なされて、三輪山、高宮神社を遥拝できるように祀られるあり方が当然に正しくて良いのではないだろうかと思われます。
・・
oujyouin_blog at 11:31|Permalink
「大神神社」・「磐座神社」・「狭井神社」・「市杵島姫神社」に参拝
「大神神社」・「磐座神社」・「狭井神社」・「市杵島姫神社」に参拝
今回、6月23日に、奈良県へと参りまして、岩瀧大明神お社建立の参拝御挨拶廻りをさせて頂きました。
「神坐日向神社」から「大神(おおみわ)神社」へ。
夏至の日から始まった、「夏越の祓(はらへ)」、「茅(かや)の輪くぐり」があり、初めて∞の字にくぐらせて頂きました。
夏越の祓、茅の輪くぐりは、半年間の禊祓と後半年の厄災除け祈願となりますが、由来は「蘇民将来(そみんしょうらい)」説で、ある意味での「善行の勧め」にもなる話であります。
参拝、勤行。
御朱印を頂きました。
残念ながら、神樹はもう無くなっていました、、
神樹配布所は、能の演目「三輪」、玄賓(げんぴん)僧都の由来になる大杉の切り株のそばになります。
次に磐座神社、狭井神社、市杵島姫神社にそれぞれ参拝。
狭井神社では、御朱印と御神水を頂きました。
「市杵島姫神社」
・・
oujyouin_blog at 11:16|Permalink
「大神(おおみわ)神社」の境外摂社「神坐日向神社」(桜井市三輪)へ参拝
「大神(おおみわ)神社」の境外摂社「神坐日向神社」(桜井市三輪)へ参拝
今回、6月23日に、奈良県へと参りまして、岩瀧大明神お社建立の参拝御挨拶廻りをさせて頂きました。
次に、「ダンノダイラ」から「高山神社」まで、来た道を歩いて戻り、高山神社から車で移動。
下り、対向車が来ないことを願って。
無事に麓から「大神(おおみわ)神社」(三輪明神)へ。
まずは、「天日方奇日方命」が祀られてある「神坐(みわにます)日向神社」に参拝、勤行。
元々は三輪山山頂の「高宮(こうのみや)神社」の下之社、遥拝所であったと思われ、当然に「天日方奇日方命」が大神神社の当初祭神の有力な一柱であったと推定しています。
にもかかわらず、今の境外の隅へと追いやられ、「日向」とありながら太陽にも向かず、しかもあり得ない「北向き」に鎮座されており、大変に憂慮致しております。
もちろん、参拝者の姿はなし、、あまりにも寂しい限りです。
ただ、前回気付かなかったのですが、お社の下に石が納められていました。
恐らくは三輪山山頂の磐座群から運ばれて祀られたもの(拝み石になるもの)になるのではないかと思われます。
・・
oujyouin_blog at 11:01|Permalink
巻向山「白石の神域」から「ダンノダイラ」の磐座(東側)に参拝
「白石の神域」から「ダンノダイラ」の磐座(東側)へ参拝
今回、6月23日に、奈良県へと参りまして、岩瀧大明神お社建立の参拝御挨拶廻りをさせて頂きました。
次に、「白石の神域」参拝、「放置車」を見て、「巻向山」から、GPSを頼りに「ダンノダイラ」へ。
「天壇」へと到着。
再び、参拝、勤行。
そして、今度こそ、「東側の」磐座へ。
複数の注連縄の張られた磐座群があり、特に一番東側の磐座には、大きな岩が組まれてあり、「サイノカミ三大神」(久那斗大神・幸ノ姫大神・猿田彦大神)が祀られていると推定できます。
最も大きな磐座の前にて参拝、勤行。
他の磐座群、勤行の様子は、また動画の方でもご報告させて頂きます。
・・
oujyouin_blog at 09:55|Permalink
巻向山・古代霊畤跡「白石の神域」(夏至の大平)に参拝
巻向山・古代霊畤跡「白石の神域」(夏至の大平)に参拝
今回、6月23日に、奈良県へと参りまして、岩瀧大明神お社建立の参拝御挨拶廻りをさせて頂きました。
次に、「高山神社」から、巻向山の「夏至の大平」(げしのおおだいら)とも呼ばれている古代霊畤跡、「白石の神域」へと向けて出発。
GPS頼りで向かうも、少し迷いながら、修正しつつで、何とか到着して、参拝、勤行。
白い石がサークル上に敷き詰められていました。外側と内側、二段のサークル石組もあるように思われます。
また勤行の様子は動画にてご報告させて頂きます。
「夏至の日」(今年は6/21)の2日後ながら、「夏至の大平」の別名がある「白石の神域」に登拝、勤行ができたのは、本当に有り難いことでありました。
同じように参拝の一行と、行き帰りの二度すれ違い、帰りの途中にて法螺貝の法音が山内に一度だけ木霊していました。ダンノダイラにおいて奉音供養なされられたのでしょう。
次に、前回に参拝できなかった「ダンノダイラの東側磐座」を目指して、巻向山の山頂方面へ。
途中に、かなり昔に乗り捨てられたままの車が、、
巻向山の山頂を見て、すぐ近くにも、おそらく磐座があるのではないかと、注意深く周りを探してみると、やはり、すぐに組まれてあると思われる岩がありました。
・・
oujyouin_blog at 09:26|Permalink











































































































































