仏教考察

2026年09月07日

「信心獲得」と「無疑心の心相」について・「信心獲得」は「頓悟」なのか「漸悟」なのか

信の一念について解説します(岡林愚聞の非僧非俗チャンネル 浄土真宗の法話)

 

無疑心の心相(信心)が、常に臨終まで続くことになるものが、「信心獲得」となれば、無疑心の心相が不安定で、疑心がまた生じたり、消えたりするような場合は、もちろん、「信心獲得」と言えない事態になるわけです。

 

もしくは、一度、「無疑心」となれば、再び疑心を生じることはなく、つまり、疑心の生じる種、要因が全て消え去ったという事態を「信心獲得」とすれば、それは臨終まで続くことに当然なるわけです。

 

ならば、「煩悩障断滅」や「所知障断滅」のように「疑心障断滅」という言葉とすれば、はっきり、すっきりとより分かりやすくなるわけですが、そのような言葉が親鸞聖人の教義において直接的に見られないのも、やや疑問が残ることになります。

 

 

いずれにしても、この「無疑心」の心相があるということが、極めて重要なのは、「信心獲得」に証があるということになるからであります。


「自内証」ではありますが、結局、煩悩障や所知障を断滅したならば、その者の相好、言動から、それが確実に分かる、第三者も知ることができるようになるのと同じように、「無疑心」の心相に至った者にも、少なくとも言動からそれを窺い知ることができるということになります。


つまり、「妙好人」ということであるわけです。

 

あとは、昔に質問があったので言及したことがありますが、「信心獲得」は「頓悟」なのか、「漸悟」なのか、ということであります。

 

拙生は、どちらもあり得ると考えますが、いずれにしても、因縁(原因と条件)がなくて「信心獲得」できるものではなく、必ず「宿善」や「聴聞」等など、無疑心、信心獲得に至るための因縁があるということであります。

 

 

 

 

 



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