歴史について
2025年05月23日
映画「国宝」との縁・古代出雲との関係について
上記は、その撮影シーンの一コマになります。
歌舞伎は日本の伝統芸能。
その発祥・原点は、戦国時代の出雲阿国による一座の踊りからとなります。
出雲阿国は、出雲山家の出自、つまり、出雲王国の末裔であり、また、猿楽、能を大成した観阿弥・世阿弥のルーツも出雲山家で、橘(楠木)入道正遠の娘が、伊賀服部氏族(同じく出雲山家の子孫)の上嶋家へと嫁ぎ、その子が観阿弥(上嶋清次)となります。
また、橘(楠木)正遠、楠木正成、そして、当寺院にお墓のある正行と続く、楠木家の出自も出雲山家(熊野神領を管理する土豪の武士団一族)であるとするのが有力説であり、伊賀服部氏族との繋がりも、出雲山家同士の一族婚の関係性であることが濃厚と言えるわけです。
また、江戸時代初期、鷹司信房の開基により復興した往生院の中興開山となった欣譽浄泉和尚は、池島村の庄屋であった富家氏の出身になります。
この富家(ふけ)氏は、織田信長や鷹司信房に能を教えた能の家元の家柄であったことが、最近に分かってきました。
この富家氏は、つまり、出雲王国の王族子孫となる富家(とみけ)、富氏であり、出雲王国の直系に近い筋であると考えられることになります。
そして、岩瀧山の山頂石組みの謎は、最新の調査研究の結果、出雲の磐座であるとの解明が進みました。まさに古代出雲との繋がりの深い名残であると言えます。
この度、映画「国宝」のロケ地に選ばれたのも、このような出雲繋がりでの不思議な縁であったと言えるのかもしれません。
・・
映画「国宝」(主演・吉沢亮さん)
6月6日公開
カンヌ国際映画祭出品作品
原作 吉田修一氏 監督 李相日氏
脚本 奥寺佐渡子氏 音楽 原摩利彦氏
完成を心から御祝い申し上げます。
特設サイト
https://kokuhou-movie.com/
往生院六萬寺もロケ地の一つになっています。
(撮影にあたっては、撮影前に当山全御仏方並びに全御墓所全御霊位へのご挨拶、読経ご供養と共に、仏事道具への開眼供養・閉眼供養をお勤めさせて頂いております)
http://oujyouin.com/
往生院六萬寺は、映画「国宝」を応援しています。
是非、皆様、壮大な芸道映画を映画館にてご覧くださいませ。
大ヒット上映を心から祈念申し上げます。合掌

予告での往生院六萬寺のシーン
https://youtu.be/4LIm9S_xVGQ?feature=shared&t=51
本予告
https://youtu.be/DAiq_4YWXow?feature=shared
特報1
https://youtu.be/B4VjEUcWAJU?feature=shared
特報2
https://youtu.be/Kv4-BSJ3RRY?feature=shared
完成報告会
https://youtu.be/G3Gz9Ca76R0?feature=shared
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往生院六萬寺
http://oujyouin.com/
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映画「国宝」(主演・吉沢亮さん)
6月6日公開
カンヌ国際映画祭出品作品
原作 吉田修一氏 監督 李相日氏
脚本 奥寺佐渡子氏 音楽 原摩利彦氏
完成を心から御祝い申し上げます。
特設サイト
https://kokuhou-movie.com/
往生院六萬寺もロケ地の一つになっています。
(撮影にあたっては、撮影前に当山全御仏方並びに全御墓所全御霊位へのご挨拶、読経ご供養と共に、仏事道具への開眼供養・閉眼供養をお勤めさせて頂いております)
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往生院六萬寺は、映画「国宝」を応援しています。
是非、皆様、壮大な芸道映画を映画館にてご覧くださいませ。
大ヒット上映を心から祈念申し上げます。合掌

予告での往生院六萬寺のシーン
https://youtu.be/4LIm9S_xVGQ?feature=shared&t=51
本予告
https://youtu.be/DAiq_4YWXow?feature=shared
特報1
https://youtu.be/B4VjEUcWAJU?feature=shared
特報2
https://youtu.be/Kv4-BSJ3RRY?feature=shared
完成報告会
https://youtu.be/G3Gz9Ca76R0?feature=shared
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往生院六萬寺
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oujyouin_blog at 14:04|Permalink
2025年04月15日
河内・六萬寺の歴史を知る上で鍵となる三種の神器ダイヤモンド結界について
河内・六萬寺の歴史を知る上で鍵となる三種の神器ダイヤモンド結界。
改めて「西ノ山」(大阪府八尾市楽音寺)について述べさせて頂いております。
改めて「西ノ山」(大阪府八尾市楽音寺)について述べさせて頂いております。
古墳時代・最初期最大・前方後円墳説と被葬者・饒速日命説の根拠についてまとめてみました。
「西ノ山・前方後円墳(大阪府八尾市楽音寺)古墳時代・最初期最大・前方後円墳説 被葬者・饒速日命説 この根拠について 三種の神器ダイヤモンド結界 卑弥呼 神武天皇 大田田根子命」第45回 新シリーズ歴史再考 2025年4月15日
https://youtu.be/s8iW71iUqvs?feature=shared
https://youtu.be/s8iW71iUqvs?feature=shared
「わかくす」最新号では、山麓に埋もれ、消えていた浄土院を再び歴史の表舞台に出すことができました。
浄土院の開山、開基、歴代、僧侶、檀信徒の供養にもなり、誠に嬉しい限りです。
奈良国立博物館に伝わる當麻曼荼羅は本当に立派なものです。
南朝方の要所となり、南北朝の争乱に巻き込まれて焼失した浄土院。
往生院の鎌倉時代の歴史を補足して考える上でも、この浄土院の當麻曼荼羅の存在が大きな一つの視座になります。
是非、新号にてお読み頂けましたらと存じます。
oujyouin_blog at 11:50|Permalink
2025年04月06日
「三種の神器トライアングルと河内・六萬寺 天平の疫病大流行は、饒速日命の祟りか!?西ノ山の祟りの真相 石切劔箭神社 若江鏡神社 玉祖神社」
河内・六萬寺の創建の真相についても迫っています。
「三種の神器トライアングルと河内・六萬寺 天平の疫病大流行は、饒速日命の祟りか!?西ノ山の祟りの真相 石切劔箭神社 若江鏡神社 玉祖神社」 第39回 新シリーズ歴史再考 2025年4月6日
https://youtu.be/IWj1VaDvdak?feature=shared
法話・歴史再考 アーカイブ動画も是非ご覧下さいませ↓
チャンネル
https://www.youtube.com/@sankyusan
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2025年02月01日
前回の楠木正行公に続いて、楠木正成公、その終焉の地について
前回の楠木正行公に続いて、楠木正成公、その終焉の地について
【楠木正成】神となった武将の最後の地へ(怪奇な歴史研究室)
楠木正成も正行も敵味方関係ない仁愛の心を持っていた。
正成の寄手塚(敵方の供養)や正行の渡辺橋での敵方溺者・負傷兵の救助がそれを物語っている。
また、一族の安満了願を始めとして、正儀の子孫で僧侶になった者、寺院を開基した者など、仏教との繋がりも深い。(すぐ近くの横小路の多門寺廃寺、八尾の大光寺廃寺も楠木家開基の寺である。)
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2025年01月26日
「楠木正行公・四條縄手の合戦・上四条古戦場史跡の補足について」
少し遅くなってしまいましたが、上四条古戦場史跡を取材くださった怪奇な歴史研究室さんへのお礼動画
史跡の補足説明と今後の調査研究についても
「楠木正行公・四條縄手の合戦・上四条古戦場史跡の補足について」・「楠木正行の終焉の地の秘密」(怪奇な歴史研究室)動画内での史跡についての補足説明 2025年1月26日
https://youtu.be/iS0DLfJ1vEM?feature=shared
https://youtu.be/iS0DLfJ1vEM?feature=shared
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2025年01月21日
「楠木正行の終焉の地の秘密」(怪奇な歴史研究室さん)
楠木正行公・上四条古戦場跡のことについて取り上げて頂きました。
楠木正行の終焉の地の秘密
楠木正行の終焉の地の秘密
怪奇な歴史研究室さん、本当にありがとうございました。
取り上げて下さり、誠に感謝申し上げます。
取り上げて下さり、誠に感謝申し上げます。
「楠木正行公・四條縄手の合戦・上四条古戦場史跡の補足について」・「楠木正行の終焉の地の秘密」(怪奇な歴史研究室)動画内での史跡についての補足説明 2025年1月26日
https://youtu.be/iS0DLfJ1vEM?feature=shared
https://youtu.be/iS0DLfJ1vEM?feature=shared
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2024年10月21日
新シリーズ 歴史再考について
第1回 新シリーズ 歴史再考「これからの再調査の再開に向けて 河内・往生院跡 河内・浄土院跡 河内・西光寺跡 四條縄手古戦場跡」 2024年10月21日
https://youtu.be/yM8kEuUE7MI?feature=shared 新シリーズは今後こちらにアーカイブをまとめていきます↓再生リスト https://youtube.com/playlist?list=PLG2SRXHSbDlWy6A8tIoTLaqmgKedKIVii&feature=shared ・・
新シリーズ以前のものは・・ ↓ アーカイブ(2024.4.18以降)はこちらにまとめています ↓ 往生院六萬寺の歴史について(動画説明)古い順 http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/92689129.html 新しい順 http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/92790532.html 情報・資料提供・アドバイス・質問等はこちらの動画のコメント欄へとお願いいたします https://youtu.be/6u2nysA53vY?feature=shared 往生院六萬寺 http://oujyouin.com/ 往生院六萬寺の歴史 http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/7810399.html 往生院関連年表 http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/91065827.html 往生院六萬寺歴史館について https://youtu.be/EFK08uxguOU?feature=shared
https://youtu.be/yM8kEuUE7MI?feature=shared 新シリーズは今後こちらにアーカイブをまとめていきます↓再生リスト https://youtube.com/playlist?list=PLG2SRXHSbDlWy6A8tIoTLaqmgKedKIVii&feature=shared ・・
新シリーズ以前のものは・・ ↓ アーカイブ(2024.4.18以降)はこちらにまとめています ↓ 往生院六萬寺の歴史について(動画説明)古い順 http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/92689129.html 新しい順 http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/92790532.html 情報・資料提供・アドバイス・質問等はこちらの動画のコメント欄へとお願いいたします https://youtu.be/6u2nysA53vY?feature=shared 往生院六萬寺 http://oujyouin.com/ 往生院六萬寺の歴史 http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/7810399.html 往生院関連年表 http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/91065827.html 往生院六萬寺歴史館について https://youtu.be/EFK08uxguOU?feature=shared
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2024年04月21日
往生院六萬寺の歴史について(動画説明)新しい順
往生院六萬寺の歴史について(動画説明)
現在、往生院六萬寺の歴史について、再調査研究を進めています。随時に考察報告動画をアップさせて頂いております。
2024.4.18以降の新しい順はこちらになります。
舟形板碑五輪塔の由来について 村に伝わる伝承から読み解く 河内四條史を参照 南北朝時代・四條縄手の戦い・戦没武将のお墓で間違いないか!? 2024年7月1日 https://youtu.be/DSvO3Fc5iio?feature=shared
調査に進展!! 西光寺廃寺跡 最有力候補地について 前回確認した舟形板碑五輪塔とも関係か!? 東大阪市上四条町 2024年6月29日 https://youtu.be/cGkpoPsNbXw?feature=shared
字・花草谷にて舟形板碑五輪塔を確認 南北朝時代・四條縄手の合戦での戦没武将のお墓である可能性も 近くには神宮寺小太郎の首塚も伝わる 2024年6月24日
西光寺廃寺跡の調査について 候補地を選定 ついに有力候補を発見か!? 東大阪市上四条町 2024年6月18日
字「天王堂が芝」について 福富神社の由来 やはり字名の由緒は古代に皇族の建てたお堂にあるのか? 2024年6月18日
山畑古墳群 山畑2号墳の紹介 府下最大級の玄室 上円下方墳 西光寺廃寺跡探索 東大阪市上四条町 2024年6月18日
未発見の石碑「忠臣小楠之墓」 江戸時代・西光寺廃寺(東大阪市上四条)の境内に建立された石碑が行方不明のまま? 2024年6月12日
字「天王堂が芝」場所の特定が難しいのはなぜか? 飛鳥時代の寺院が存在していた可能性も。河内・桜井寺・六萬寺の実態解明にも期待できる 2024年6月10日
古来より伝わる忌み地・禁足地における畏敬・慰霊・供養の大切さについて 四條縄手の合戦戦没者供養・楠木正成公・正行公・正時公供養へと向けて 2024年5月27日
西光寺・廃寺(東大阪市上四条町)・字「天王堂が芝」に畑小路地蔵堂に隠匿されている楠木正行公・正時公の供養五輪塔が元々祀られていたか!? 2024年5月21日 https://youtu.be/YYG1DKByLew?feature=shared
楠木正行公・御墓所 全国七ヶ所目・東大阪市上四条町・畑小路地蔵尊五輪塔 / 明治元年に小楠公神社建立計画が往生院にあった!? そして、明治時代後期に発足した南木会とは!? 2024年5月19日
河内・浄土院跡へ 瓦の散在状況の確認と記録 東大阪市横小路町 2024年5月9日
https://youtu.be/vg_0Olg-xNk?feature=shared
寺歴の再調査研究における今後の課題について 往生院六萬寺 2024年4月26日 https://youtu.be/2cV4JGcZbWo?feature=shared
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「河内・桜井寺と六萬寺の歴史を解明する」日本最古の鬼瓦!?日本最古の寺院!?日本最古の九重塔!?往生院以前の古代史を再考察する(岩瀧山 往生院六萬寺)2024年4月5日
現在、往生院六萬寺の歴史について、再調査研究を進めています。随時に考察報告動画をアップさせて頂いております。
2024.4.18以降の新しい順はこちらになります。
2040年・河内往生院・開創1000年 2045年・河内六萬寺・開創1300年 2048年・楠木正行公四條縄手の戦い・戦没700年 記念事業・大法会へと向けて 2024年7月15日
河内・往生院の世界 アクロス歴史アカデミー2024前期 河内・往生院の成立 中興・金堂の建立 河内・浄土院との関係 講座解説資料
舟形板碑五輪塔の由来について 村に伝わる伝承から読み解く 河内四條史を参照 南北朝時代・四條縄手の戦い・戦没武将のお墓で間違いないか!? 2024年7月1日 https://youtu.be/DSvO3Fc5iio?feature=shared
調査に進展!! 西光寺廃寺跡 最有力候補地について 前回確認した舟形板碑五輪塔とも関係か!? 東大阪市上四条町 2024年6月29日 https://youtu.be/cGkpoPsNbXw?feature=shared
字・花草谷にて舟形板碑五輪塔を確認 南北朝時代・四條縄手の合戦での戦没武将のお墓である可能性も 近くには神宮寺小太郎の首塚も伝わる 2024年6月24日
西光寺廃寺跡の調査について 候補地を選定 ついに有力候補を発見か!? 東大阪市上四条町 2024年6月18日
字「天王堂が芝」について 福富神社の由来 やはり字名の由緒は古代に皇族の建てたお堂にあるのか? 2024年6月18日
山畑古墳群 山畑2号墳の紹介 府下最大級の玄室 上円下方墳 西光寺廃寺跡探索 東大阪市上四条町 2024年6月18日
未発見の石碑「忠臣小楠之墓」 江戸時代・西光寺廃寺(東大阪市上四条)の境内に建立された石碑が行方不明のまま? 2024年6月12日
往生院六萬寺 歴史館の紹介 展示物の簡単な説明 実際の見学は事前完全予約制・寺務所まで事前に必ずご連絡下さい
字「天王堂が芝」場所の特定が難しいのはなぜか? 飛鳥時代の寺院が存在していた可能性も。河内・桜井寺・六萬寺の実態解明にも期待できる 2024年6月10日
字・天王堂が芝と字・山田 天皇・皇子の建立したお堂があったか? 河内国に当麻皇子の建立した当麻寺の前身である万法蔵院・禅林寺のあった可能性も? 2024年6月9日
楠木正行公・正時公 畑小路地蔵尊堂内・五輪塔の伝来地を探す 東大阪市上四条町・山畑地区 2024年6月8日
山畑子安地蔵尊 旧山畑墓地の六地蔵尊 四条春日神社、近年に再建か? 東大阪市上四条町 2024年6月6日
https://youtu.be/eiGRxn8xYNM?feature=shared
経塚古墳(東大阪市上四条町)再調査 壁面の陀羅尼の解明 経塚古墳の由来について考える 2024年6月5日
経塚古墳(東大阪市上四条町)再調査 壁面の陀羅尼の解明 経塚古墳の由来について考える 2024年6月5日
春日神社(東大阪市上四条町)元春日・中臣氏と生駒山麓 河内・往生院との関係 2024年6月4日
【調査研究につきましての情報・資料提供・アドバイス・質問等】を頂けましたら有り難いです。コメント・オンにしています。定期的にチェックいたします。宜しくお願い申し上げます。また、ご質問・戒名のことについてご回答しております。2024年6月2日
四條縄手古戦場(東大阪市上四条) 地鎮法要・追善法要 楠木正成公・正行公・正時公・四條縄手合戦戦没者追善供養 経塚前祠堂にて厳修 法要の様子と経塚古墳について 2024年5月29日
古来より伝わる忌み地・禁足地における畏敬・慰霊・供養の大切さについて 四條縄手の合戦戦没者供養・楠木正成公・正行公・正時公供養へと向けて 2024年5月27日
西光寺・廃寺(東大阪市上四条町)・字「天王堂が芝」に畑小路地蔵堂に隠匿されている楠木正行公・正時公の供養五輪塔が元々祀られていたか!? 2024年5月21日 https://youtu.be/YYG1DKByLew?feature=shared
花草神社跡(東大阪市上四条町)と神宮寺小太郎首塚 楠木正成公・正行公親子二代に仕えた八尾市神宮寺の武将 2024年5月20日
四條縄手の戦いの史跡群をめぐる(東大阪市上四条町) その激戦の痕跡 霊光院 旧楠公院 畑小路地蔵尊 歯神さん 砂山城跡 2024年5月20日
楠木正行公・御墓所 全国七ヶ所目・東大阪市上四条町・畑小路地蔵尊五輪塔 / 明治元年に小楠公神社建立計画が往生院にあった!? そして、明治時代後期に発足した南木会とは!? 2024年5月19日
東大阪市上四条町にも楠木正行公・正時公供養の石塔が存在していたか!? 四條畷市雁屋南町の小楠公墓所由来の補足について 2024年5月18日
楠木正成公・正行公の戒名について 補足 小楠公・正行公墓所・往生院胴塚についての歴史認識 2024年5月17日
南北朝時代・四條縄手の戦い(1348年・正平3年1月5日) 楠木正行・正時 vs 高師直・佐々木道誉 四條縄手 東大阪市四条町・上四条町周辺 四條畷市北条周辺 2024年5月16日
小楠公墓所・楠木正行公のお墓 往生院胴塚・宝筐院首塚・額田首塚・正行寺首塚・四條畷墓所・甑島墓所 全国六ヶ所に伝わる楠木正行公ご墓所の由来について 往生院六萬寺 2024年5月15日
楠木正行公の念持仏について 毘沙門天・多聞天立像 懐中仏 携行仏 守り本尊 戦勝祈願 岩瀧山往生院六萬寺 2024年5月14日
今後の配信予定 楠木正行念持仏について 楠木正行御墓所について 四條縄手の戦いについて 楠木正成・正行の戒名について 楠木家一族による寺院開基開山について 2024年5月13日
叡尊(興正菩薩)と枚岡神社 元寇降伏祈願法会 蒙古襲来・元寇 全国寺社へ降伏祈願・鎮護国家法会を勅命 2024年5月11日
https://youtu.be/LsKjS2uDLj4?feature=shared往生院と修験道 往生院と陰陽道 妙見菩薩像・八臂弁財天像 土御門家と額田歴代組 金剛生駒山系・生駒山・岩瀧山 役行者 不動明王 2024年5月10日
河内・浄土院跡へ 瓦の散在状況の確認と記録 東大阪市横小路町 2024年5月9日
https://youtu.be/vg_0Olg-xNk?feature=shared
往生院金堂・焼失時期について 南北朝時代・四條縄手の戦い 室町時代・河内守護畠山家内紛 2024年5月8日
枚岡神社と往生院との関係性について 枚岡神社と生駒山系の地蔵菩薩信仰 六萬寺の寺名の由来仮説 念仏法難中の法然聖人の枚岡神社参詣 2024年5月7日
河内・浄土院の存在確定! 枚岡市史・江戸時代の字名「浄土院ヶ谷」発見!! 河内国河内郡横小路村 天保14年(1843年)の村明細帳 2024年5月6日
河内・浄土院 歴史表舞台デビューへ 大東市・アクロス歴史アカデミー講座2024.7.14「河内往生院の世界」にて 2024年5月2日
歴史に埋もれたままの寺院 経塚 楠開基 多門寺について 2024年4月30日
河内・往生院・中興開山についての再考察 2024年4月29日
寺歴の再調査研究における今後の課題について 往生院六萬寺 2024年4月26日 https://youtu.be/2cV4JGcZbWo?feature=shared
河内ふるさと文化誌 「若楠(わかくす)」のご紹介 2024年4月24日
河内・往生院金堂跡と河内・浄土院跡へ 現地見学説明会 2024年4月22日
摂関家・門跡寺院としての往生院の盛衰について 往生院・浄土宗西山義から臨済宗東福寺派の寺院に 2024年4月21日
証空上人(浄土宗・西山義の祖)と九條家の関係について 当麻曼荼羅の普及への貢献 2024年4月21日
河内・往生院の中興開山はいったい誰であるのか? 当麻寺との関係から読み解く 2024年4月21日
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「河内・桜井寺と六萬寺の歴史を解明する」日本最古の鬼瓦!?日本最古の寺院!?日本最古の九重塔!?往生院以前の古代史を再考察する(岩瀧山 往生院六萬寺)2024年4月5日
「河内・往生院の歴史を概観する」平安時代から江戸時代まで(岩瀧山 往生院六萬寺)2024年4月6日
空白寺院の存在!?「河内・六萬寺→◯◯寺→往生院」本尊・阿弥陀如来仏像の由来について考える(岩瀧山 往生院六萬寺)2024年4月7日
往生院六萬寺・歴史再考察・修正補足動画 4月8日・釈尊降誕会の様子 2024年4月8日
https://youtu.be/Cdtx_BML4qw?feature=shared
往生院六萬寺の歴史 補足について 2024年4月10日
往生院金堂跡 立派な庭園があった!? 2024年4月11日
https://youtu.be/_W4_g7JG12g?feature=shared
大発見!? 歴史に全く登場しない寺院・河内・浄土寺跡探索 往生院に匹敵する金堂跡か!? 2024年4月12日
河内・浄土院か? 浄土寺跡について 往生院の兄弟寺!? 当麻曼荼羅銘文から浄土院の成立を読み解く
河内・浄土院と往生院 その関係性について 当麻曼荼羅銘文から浄土院の歴史を考える
河内・往生院と浄土院 当麻曼荼羅銘文から引き続き関係性を読み解く
正行の城あと 字「南九重堂」に六萬寺跡を探索へ 楠木正行の城あとを確認 往生院金堂跡・北側 2024年4月16日
字「南九重堂」 「九重」は「九輪」と混同したか!? やはり、字「院堂」に桜井寺・六萬寺も多重的に存在していた? 2024年4月17日
河内・往生院でも当麻寺さんと同様の二十五菩薩お練り供養が修されていたのか? 日想観と共に華麗荘厳な来迎会 2024年4月18日
往生院六萬寺 http://oujyouin.com/ 往生院六萬寺の歴史 http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/7810399.html 往生院関連年表 http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/91065827.html
oujyouin_blog at 08:58|Permalink
2024年04月06日
往生院六萬寺の歴史について(動画説明)
往生院六萬寺の歴史について(動画説明)
現在、往生院六萬寺の歴史について、再調査研究を進めています。随時に考察報告動画をアップさせて頂いております。
古い順になっています。新しい順は、こちら
「河内・桜井寺と六萬寺の歴史を解明する」日本最古の鬼瓦!?日本最古の寺院!?日本最古の九重塔!?往生院以前の古代史を再考察する(岩瀧山 往生院六萬寺)2024年4月5日
現在、往生院六萬寺の歴史について、再調査研究を進めています。随時に考察報告動画をアップさせて頂いております。
古い順になっています。新しい順は、こちら
「河内・桜井寺と六萬寺の歴史を解明する」日本最古の鬼瓦!?日本最古の寺院!?日本最古の九重塔!?往生院以前の古代史を再考察する(岩瀧山 往生院六萬寺)2024年4月5日
「河内・往生院の歴史を概観する」平安時代から江戸時代まで(岩瀧山 往生院六萬寺)2024年4月6日
空白寺院の存在!?「河内・六萬寺→◯◯寺→往生院」本尊・阿弥陀如来仏像の由来について考える(岩瀧山 往生院六萬寺)2024年4月7日
往生院六萬寺・歴史再考察・修正補足動画 4月8日・釈尊降誕会の様子 2024年4月8日
https://youtu.be/Cdtx_BML4qw?feature=shared
往生院六萬寺の歴史 補足について 2024年4月10日
往生院金堂跡 立派な庭園があった!? 2024年4月11日
https://youtu.be/_W4_g7JG12g?feature=shared
大発見!? 歴史に全く登場しない寺院・河内・浄土寺跡探索 往生院に匹敵する金堂跡か!? 2024年4月12日
河内・浄土院か? 浄土寺跡について 往生院の兄弟寺!? 当麻曼荼羅銘文から浄土院の成立を読み解く
河内・浄土院と往生院 その関係性について 当麻曼荼羅銘文から浄土院の歴史を考える
河内・往生院と浄土院 当麻曼荼羅銘文から引き続き関係性を読み解く
正行の城あと 字「南九重堂」に六萬寺跡を探索へ 楠木正行の城あとを確認 往生院金堂跡・北側 2024年4月16日
字「南九重堂」 「九重」は「九輪」と混同したか!? やはり、字「院堂」に桜井寺・六萬寺も多重的に存在していた? 2024年4月17日
河内・往生院でも当麻寺さんと同様の二十五菩薩お練り供養が修されていたのか? 日想観と共に華麗荘厳な来迎会 2024年4月18日
河内・往生院の中興開山はいったい誰であるのか? 当麻寺との関係から読み解く 2024年4月21日
証空上人(浄土宗・西山義の祖)と九條家の関係について 当麻曼荼羅の普及への貢献 2024年4月21日
摂関家・門跡寺院としての往生院の盛衰について 往生院・浄土宗西山義から臨済宗東福寺派の寺院に 2024年4月21日
河内・往生院金堂跡と河内・浄土院跡へ 現地見学説明会 2024年4月22日
河内ふるさと文化誌 「若楠(わかくす)」のご紹介 2024年4月24日
寺歴の再調査研究における今後の課題について 往生院六萬寺 2024年4月26日 https://youtu.be/2cV4JGcZbWo?feature=shared
河内・往生院・中興開山についての再考察 2024年4月29日
歴史に埋もれたままの寺院 経塚 楠開基 多門寺について 2024年4月30日
河内・浄土院 歴史表舞台デビューへ 大東市・アクロス歴史アカデミー講座2024.7.14「河内往生院の世界」にて 2024年5月2日
河内・浄土院の存在確定! 枚岡市史・江戸時代の字名「浄土院ヶ谷」発見!! 河内国河内郡横小路村 天保14年(1843年)の村明細帳 2024年5月6日
枚岡神社と往生院との関係性について 枚岡神社と生駒山系の地蔵菩薩信仰 六萬寺の寺名の由来仮説 念仏法難中の法然聖人の枚岡神社参詣 2024年5月7日
往生院金堂・焼失時期について 南北朝時代・四條縄手の戦い 室町時代・河内守護畠山家内紛 2024年5月8日
https://youtu.be/Ui8kMT-acns?feature=shared
河内・浄土院跡へ 瓦の散在状況の確認と記録 東大阪市横小路町 2024年5月9日
https://youtu.be/vg_0Olg-xNk?feature=shared
叡尊(興正菩薩)と枚岡神社 元寇降伏祈願法会 蒙古襲来・元寇 全国寺社へ降伏祈願・鎮護国家法会を勅命 2024年5月11日
https://youtu.be/LsKjS2uDLj4?feature=shared河内・浄土院跡へ 瓦の散在状況の確認と記録 東大阪市横小路町 2024年5月9日
https://youtu.be/vg_0Olg-xNk?feature=shared
往生院と修験道 往生院と陰陽道 妙見菩薩像・八臂弁財天像 土御門家と額田歴代組 金剛生駒山系・生駒山・岩瀧山 役行者 不動明王 2024年5月10日
今後の配信予定 楠木正行念持仏について 楠木正行御墓所について 四條縄手の戦いについて 楠木正成・正行の戒名について 楠木家一族による寺院開基開山について 2024年5月13日
楠木正行公の念持仏について 毘沙門天・多聞天立像 懐中仏 携行仏 守り本尊 戦勝祈願 岩瀧山往生院六萬寺 2024年5月14日
小楠公墓所・楠木正行公のお墓 往生院胴塚・宝筐院首塚・額田首塚・正行寺首塚・四條畷墓所・甑島墓所 全国六ヶ所に伝わる楠木正行公ご墓所の由来について 往生院六萬寺 2024年5月15日
南北朝時代・四條縄手の戦い(1348年・正平3年1月5日) 楠木正行・正時 vs 高師直・佐々木道誉 四條縄手 東大阪市四条町・上四条町周辺 四條畷市北条周辺 2024年5月16日
楠木正成公・正行公の戒名について 補足 小楠公・正行公墓所・往生院胴塚についての歴史認識 2024年5月17日
東大阪市上四条町にも楠木正行公・正時公供養の石塔が存在していたか!? 四條畷市雁屋南町の小楠公墓所由来の補足について 2024年5月18日
楠木正行公・御墓所 全国七ヶ所目・東大阪市上四条町・畑小路地蔵尊五輪塔 / 明治元年に小楠公神社建立計画が往生院にあった!? そして、明治時代後期に発足した南木会とは!? 2024年5月19日
四條縄手の戦いの史跡群をめぐる(東大阪市上四条町) その激戦の痕跡 霊光院 旧楠公院 畑小路地蔵尊 歯神さん 砂山城跡 2024年5月20日
花草神社跡(東大阪市上四条町)と神宮寺小太郎首塚 楠木正成公・正行公親子二代に仕えた八尾市神宮寺の武将 2024年5月20日
西光寺・廃寺(東大阪市上四条町)・字「天王堂が芝」に畑小路地蔵堂に隠匿されている楠木正行公・正時公の供養五輪塔が元々祀られていたか!? 2024年5月21日 https://youtu.be/YYG1DKByLew?feature=shared
古来より伝わる忌み地・禁足地における畏敬・慰霊・供養の大切さについて 四條縄手の合戦戦没者供養・楠木正成公・正行公・正時公供養へと向けて 2024年5月27日
四條縄手古戦場(東大阪市上四条) 地鎮法要・追善法要 楠木正成公・正行公・正時公・四條縄手合戦戦没者追善供養 経塚前祠堂にて厳修 法要の様子と経塚古墳について 2024年5月29日
【調査研究につきましての情報・資料提供・アドバイス・質問等】を頂けましたら有り難いです。コメント・オンにしています。定期的にチェックいたします。宜しくお願い申し上げます。また、ご質問・戒名のことについてご回答しております。2024年6月2日
春日神社(東大阪市上四条町)元春日・中臣氏と生駒山麓 河内・往生院との関係 2024年6月4日
経塚古墳(東大阪市上四条町)再調査 壁面の陀羅尼の解明 経塚古墳の由来について考える 2024年6月5日
山畑子安地蔵尊 旧山畑墓地の六地蔵尊 四条春日神社、近年に再建か? 東大阪市上四条町 2024年6月6日 https://youtu.be/eiGRxn8xYNM?feature=shared
楠木正行公・正時公 畑小路地蔵尊堂内・五輪塔の伝来地を探す 東大阪市上四条町・山畑地区 2024年6月8日
字・天王堂が芝と字・山田 天皇・皇子の建立したお堂があったか? 河内国に当麻皇子の建立した当麻寺の前身である万法蔵院・禅林寺のあった可能性も? 2024年6月9日https://youtu.be/3xSFlxz6Z0A?feature=shared
字「天王堂が芝」場所の特定が難しいのはなぜか? 飛鳥時代の寺院が存在していた可能性も。河内・桜井寺・六萬寺の実態解明にも期待できる 2024年6月10日
字「天王堂が芝」場所の特定が難しいのはなぜか? 飛鳥時代の寺院が存在していた可能性も。河内・桜井寺・六萬寺の実態解明にも期待できる 2024年6月10日
往生院六萬寺 歴史館の紹介 展示物の簡単な説明 実際の見学は事前完全予約制・寺務所まで事前に必ずご連絡下さい
未発見の石碑「忠臣小楠之墓」 江戸時代・西光寺廃寺(東大阪市上四条)の境内に建立された石碑が行方不明のまま? 2024年6月12日
山畑古墳群 山畑2号墳の紹介 府下最大級の玄室 上円下方墳 西光寺廃寺跡探索 東大阪市上四条町 2024年6月18日
字「天王堂が芝」について 福富神社の由来 やはり字名の由緒は古代に皇族の建てたお堂にあるのか? 2024年6月18日
西光寺廃寺跡の調査について 候補地を選定 ついに有力候補を発見か!? 東大阪市上四条町 2024年6月18日 https://youtu.be/Cxk6p7mLD5g?feature=shared
字・花草谷にて舟形板碑五輪塔を確認 南北朝時代・四條縄手の合戦での戦没武将のお墓である可能性も 近くには神宮寺小太郎の首塚も伝わる 2024年6月24日
調査に進展!! 西光寺廃寺跡 最有力候補地について 前回確認した舟形板碑五輪塔とも関係か!? 東大阪市上四条町 2024年6月29日 https://youtu.be/cGkpoPsNbXw?feature=shared
舟形板碑五輪塔の由来について 村に伝わる伝承から読み解く 河内四條史を参照 南北朝時代・四條縄手の戦い・戦没武将のお墓で間違いないか!? 2024年7月1日 https://youtu.be/DSvO3Fc5iio?feature=shared
河内・往生院の世界 アクロス歴史アカデミー2024前期 河内・往生院の成立 中興・金堂の建立 河内・浄土院との関係 講座解説資料
2040年・河内往生院・開創1000年 2045年・河内六萬寺・開創1300年 2048年・楠木正行公四條縄手の戦い・戦没700年 記念事業・大法会へと向けて 2024年7月15日
往生院六萬寺 http://oujyouin.com/ 往生院六萬寺の歴史 http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/7810399.html 往生院関連年表 http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/91065827.html
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2024年01月05日
南北朝時代・楠木家の子孫が河内の浄土真宗寺院の僧侶となった者が多いのは何故か
南北朝時代・楠木家の子孫が河内の浄土真宗寺院の僧侶となった者が多いのは何故か
前回・・宗良親王・尹良親王・井伊家・大橋家・川口家・織田家・徳川家についての一考察
http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/91872871.html
これまでの一考察集・・
http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/91076974.html
関連年表・・
http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/91065827.html
中世以来、時の権力による弾圧、粛清、逆賊狩りから逃れるために、姓を変えて別の氏族に養子に入ったり、あるいは、出家・得度して僧侶となって寺院に入ったりすることは珍しくありませんでした。
皇家も、嫡子以外の兄弟や正室以外の子(庶子)、猶子などの親王は、特に朝敵、政敵から謀反など政治利用されないように、または、暗殺や粛清に遭わないように、早々に出家・得度させるなどして、門跡寺院に入らせて、法親王、入道親王として難を逃れさせるようにしていたのであります。
特に有名なのが、天台三門跡(妙法院・青蓮院・三千院)で、歴代の天台座主の半分ほどは親王が就くような時代もあったのであります。
他に門跡寺院には、醍醐寺、仁和寺や大覚寺、知恩院など十三ほどが有名であります。また、皇女を受け入れる尼門跡も存在していました。
皇家では、このようにして、無用な政争へと至らないように、避けるために、親王の受け入れ先を安定して設けていたわけです。
これは皇家以外でも、摂関家や将軍家でも行われたことで、それぞれに同じように無用な政争や粛清を避ける目的があったのであります。
また、摂関家や将軍家以外でも、幕府の政権交代等があり、朝敵や逆賊となってしまった臣下等も、粛清や逆賊狩りから逃れるために、出家・得度して僧侶となって寺院に入って住持となったり、もしくは寺院を開山、中興開山することも一般的に行われていたのであります。
いかに生き残り、家門、家督を絶やさずに存続させるかに当然に必死であったわけです。

図のように、南北朝時代、河内においての楠木家も、足利幕府、北朝勢力からの度重なる粛清、逆賊狩りから逃れるために、一族は、僧侶となって寺院に入ったり、あるいは、池田家、和田(にぎた)家の養子となったり、偽装のために姓を変えたり(有名なのが南木(なぎ)家など)して、生き残りを図っていったのであります。
興味深いのは、その寺院全てが、浄土真宗ということです。
他にも、東大阪市五条町にある天野山専宗寺は、元々は真言宗(天野山金剛寺の末寺)であったものの、和田(にぎた)正玄の三男・楠木正頼が、足利幕府による詮索から逃れるために僧侶となり専宗寺に入り、更にその際には真宗へと改宗しています。
なぜ、このように楠木家の子孫たちが僧侶となって開基、もしくは改宗した寺院には、浄土真宗が多いのか。
もちろん、家門、家督を絶やさずに子孫を存続させるためには、半僧半俗として、戒律が厳しくなく、妻帯も許されていた真宗であれば、子どもが生まれれば血縁を残せていけるということが、その大きな理由であったと考えられるのであります。
河内での楠木家だけでもこれだけあるわけですから、他の(逆賊・粛清対象となった)氏族でも同様なことが考えられるわけです。
浄土真宗の寺院が、爆発的に増えることになった理由の一つには、実はこのような時代における背景も少なからずあったのではないかと考えられるわけであります。
同様にして、川口家の祖と一説になる尹良(ゆきよし)親王の子・良王(よしたか)君が、津島大橋家に入ったのも、足利幕府による度重なる厳しい詮索、逆賊狩りから逃れるための苦渋の選択であったと思われるわけであります。
また、川口宗勝が直臣として織田信長に仕えていた頃に、安土城下に武家屋敷を構えていた川口家一族が、本能寺の変後しばらくして川口宗勝とは分かれて、僧侶となって武家屋敷を寺院として開基したのも、一族として生き残るためであったと考えられるわけであります。
ですから、やはり、家門、家督を絶やさずに存続させる選択として、浄土真宗にて開基したと思われるのであります。
このように、意外にも浄土真宗の僧侶となることで、家門、家督を保つ選択をした氏族は、案外全国でも多かったのではないだろうかと思うのであります。
一方で、川口宗勝は、本能寺の変後は、織田信雄、豊臣秀吉と仕えて、関ヶ原の戦いでは、豊臣方の西軍で戦うも、織田信長の直臣であったこと、また、徳川家康と宗勝は、はとこ関係であったこと(また、伊達政宗による嘆願・伊達家と大橋家は南朝功臣同志の深い縁)から、秀忠により放免されて青菅旗本に取り立てられて、以後、四代にわたり同地を知行することになりますが、川口宗恒(長崎奉行・江戸町奉行)の死後、徳川綱吉による後南朝断滅策の改易によって没落することになります。(川口家が、大橋家以来による南朝遺臣であり、また後醍醐帝後胤(良王君以来からの)となる説もあったためによると考えられます。)
前回・・宗良親王・尹良親王・井伊家・大橋家・川口家・織田家・徳川家についての一考察
http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/91872871.html
これまでの一考察集・・
http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/91076974.html
関連年表・・
http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/91065827.html
中世以来、時の権力による弾圧、粛清、逆賊狩りから逃れるために、姓を変えて別の氏族に養子に入ったり、あるいは、出家・得度して僧侶となって寺院に入ったりすることは珍しくありませんでした。
皇家も、嫡子以外の兄弟や正室以外の子(庶子)、猶子などの親王は、特に朝敵、政敵から謀反など政治利用されないように、または、暗殺や粛清に遭わないように、早々に出家・得度させるなどして、門跡寺院に入らせて、法親王、入道親王として難を逃れさせるようにしていたのであります。
特に有名なのが、天台三門跡(妙法院・青蓮院・三千院)で、歴代の天台座主の半分ほどは親王が就くような時代もあったのであります。
他に門跡寺院には、醍醐寺、仁和寺や大覚寺、知恩院など十三ほどが有名であります。また、皇女を受け入れる尼門跡も存在していました。
皇家では、このようにして、無用な政争へと至らないように、避けるために、親王の受け入れ先を安定して設けていたわけです。
これは皇家以外でも、摂関家や将軍家でも行われたことで、それぞれに同じように無用な政争や粛清を避ける目的があったのであります。
また、摂関家や将軍家以外でも、幕府の政権交代等があり、朝敵や逆賊となってしまった臣下等も、粛清や逆賊狩りから逃れるために、出家・得度して僧侶となって寺院に入って住持となったり、もしくは寺院を開山、中興開山することも一般的に行われていたのであります。
いかに生き残り、家門、家督を絶やさずに存続させるかに当然に必死であったわけです。

図のように、南北朝時代、河内においての楠木家も、足利幕府、北朝勢力からの度重なる粛清、逆賊狩りから逃れるために、一族は、僧侶となって寺院に入ったり、あるいは、池田家、和田(にぎた)家の養子となったり、偽装のために姓を変えたり(有名なのが南木(なぎ)家など)して、生き残りを図っていったのであります。
興味深いのは、その寺院全てが、浄土真宗ということです。
他にも、東大阪市五条町にある天野山専宗寺は、元々は真言宗(天野山金剛寺の末寺)であったものの、和田(にぎた)正玄の三男・楠木正頼が、足利幕府による詮索から逃れるために僧侶となり専宗寺に入り、更にその際には真宗へと改宗しています。
なぜ、このように楠木家の子孫たちが僧侶となって開基、もしくは改宗した寺院には、浄土真宗が多いのか。
もちろん、家門、家督を絶やさずに子孫を存続させるためには、半僧半俗として、戒律が厳しくなく、妻帯も許されていた真宗であれば、子どもが生まれれば血縁を残せていけるということが、その大きな理由であったと考えられるのであります。
河内での楠木家だけでもこれだけあるわけですから、他の(逆賊・粛清対象となった)氏族でも同様なことが考えられるわけです。
浄土真宗の寺院が、爆発的に増えることになった理由の一つには、実はこのような時代における背景も少なからずあったのではないかと考えられるわけであります。
同様にして、川口家の祖と一説になる尹良(ゆきよし)親王の子・良王(よしたか)君が、津島大橋家に入ったのも、足利幕府による度重なる厳しい詮索、逆賊狩りから逃れるための苦渋の選択であったと思われるわけであります。
また、川口宗勝が直臣として織田信長に仕えていた頃に、安土城下に武家屋敷を構えていた川口家一族が、本能寺の変後しばらくして川口宗勝とは分かれて、僧侶となって武家屋敷を寺院として開基したのも、一族として生き残るためであったと考えられるわけであります。
ですから、やはり、家門、家督を絶やさずに存続させる選択として、浄土真宗にて開基したと思われるのであります。
このように、意外にも浄土真宗の僧侶となることで、家門、家督を保つ選択をした氏族は、案外全国でも多かったのではないだろうかと思うのであります。
一方で、川口宗勝は、本能寺の変後は、織田信雄、豊臣秀吉と仕えて、関ヶ原の戦いでは、豊臣方の西軍で戦うも、織田信長の直臣であったこと、また、徳川家康と宗勝は、はとこ関係であったこと(また、伊達政宗による嘆願・伊達家と大橋家は南朝功臣同志の深い縁)から、秀忠により放免されて青菅旗本に取り立てられて、以後、四代にわたり同地を知行することになりますが、川口宗恒(長崎奉行・江戸町奉行)の死後、徳川綱吉による後南朝断滅策の改易によって没落することになります。(川口家が、大橋家以来による南朝遺臣であり、また後醍醐帝後胤(良王君以来からの)となる説もあったためによると考えられます。)
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