楠木正行公について
2025年12月08日
出雲散家と南朝について
出雲散家と南朝について改めて関連を考察しておきたいと思います。
以前に織田信長と南朝の関係については色々と考察済みになっています。
また、徳川家康と南朝の関係についても、ある程度考察をしていますが、徳川家康と出雲散家との関係が、実はまだであったと思います。但し、賀茂家との繋がりについては以前には触れています。
南朝勢力を結集することで、関ケ原の戦いに勝利した徳川家康の松平氏は、賀茂氏(三河賀茂社(豊橋市賀茂町)の社家)の出自であり、つまりは、出雲散家ということであります。(以前は出雲族との関係までは全く言及できていない。)
三河賀茂社の社家、賀茂氏の一族が、三河国加茂郡松平郷(豊田市松平町)へと移り住み、やがて、松平氏となります。
賀茂氏・・松平信盛-信重-娘婿(世良田)親氏-泰親-信光-親忠-長親-信忠-清康-廣忠-徳川家康
松平氏の氏神を祀る「六所神社」には、猿田彦神・塩土老翁・岐の神が祀られており、また、元々の祭神として、大山祇神(クナト大神)も祀られていたことから、「六所山」には、サイノカミ三大神の磐座が祀られていることが窺え、松平氏の出自が、東出雲王家の富家、賀茂家の出雲族であることが、これにより、よりはっきりと明らかになります。
実は、徳川秀忠の娘・和子と後水尾天皇との皇女である明正天皇は、明確に出雲王国の末裔であって、しかも南朝方遺臣の血も引く天皇であったと言えるのであります。
(後水尾天皇は継体天皇、欽明天皇の流れからにはなりますから、東出雲王家の富家から蘇我家に養子に入った富太彦・継体天皇からの繋がりで、出雲王家の子孫ということにはなります。)
(また、後水尾天皇が先に譲位したのは、美作後南朝・小倉宮家の高仁天皇であったわけですが、徳川家光の圧力により即座に廃位となります。)
但し、明正天皇に子女がいなかったため、その血統が続くことにはならず、将軍家(+東出雲王家+南朝方遺臣)を外戚とした唯一の天皇となったのであります。
南朝と松平家との関係・・
新田義重(新田源氏)-世良田義季・・・満義(新田義貞の家臣)-政義、子に親季、政親、政秋・・松平家の娘婿(世良田)親氏-泰親-信光-親忠-長親-信忠-清康-廣忠-徳川家康
後醍醐天皇に従った新田義貞の新田源氏の流れにあった世良田氏の嫡流は、その後に絶えるものの、政義の子か、または甥と思われる親氏が、世良田氏の嫡流が絶える前に、世良田氏から松平氏へと養子になっており、やがて世良田氏をも継ぐ形となり、松平氏が世良田氏をも名乗るようになっていたと考えられ、松平氏は、南朝方の遺臣であると、言えることになるのであります。
徳川家と井伊家との関係・・
徳川家康に仕えた井伊直政は、徳川四天王の最右であります。
井伊家は、三国広見(真人)の子孫で、つまりは、三国国造家の末裔であり、東出雲王家・富家からの養子を迎えた蘇我家(富太彦・継体天皇)の流れとなり、その子孫が、遠江国井伊谷に移り住み、井伊氏となり、遠江介に任じられた井伊行直が、後醍醐天皇の皇子・宗良親王に従って南朝方となります。
(同じく宗良親王に従ったとされる井伊道政は、行直の兄弟か叔父、子の可能性があります。)
遠江国引佐郡の大敬神社、現在の「三嶽(みたけ)神社」が、まさに井伊家の先祖、氏神を祀る神社であり、広国押建金日命(ひろくにおしたけかなひのみこと)、大国主命、少彦名命が祀られています。
広国押建金日命は、継体天皇の次の天皇である安閑天皇(母は蘇我振姫)のことになります。
その昔に安閑天皇の一族、蘇我家(継体天皇と蘇我振姫の子孫)が、この地に移住した際に、三岳山にサイノカミ三大神を祀ったのが、その創祀であると考えられます。
宗良(むねよし)親王と井伊行直(道政)(もしくは行直の兄弟、その一族)の娘との子が、尹良(ゆきよし)親王になります。
井伊家は、出雲王国の末裔にして、南朝方の遺臣ということになるのであります。
他・・
世良田政義の娘は、尹良親王の室となり、その子が良王(よしたか)君であります。
大橋定省と桜姫(宗良親王の娘)の子が、大橋定元で、大橋定元の娘と良王君との子が、大橋信重になります。
(尹良親王、良王君は、実在性についての疑義がありますが、それぞれにお墓も実際にあり、尹良親王のお墓は宮内庁により陵墓に治定されています。様々な伝承と、それに基づく史跡が幾つもあることから、安易に実在が否定されるものでは全くありません。いずれにしても、宗良親王の娘、桜姫は大橋定省の室であり、大橋家、川口家は後醍醐天皇の後胤であると言えることになります。)
良王君-大橋信重-定廣-盛祐(川口宗持の養子)-川口宗吉-川口宗勝
川口盛祐と於富の方(華陽院)の子が川口宗吉になります。
於富の方(華陽院)と水野忠政の子が、於大の方、於大の方と松平廣忠の子が、徳川家康になります。
宗良親王、尹良親王に仕えた津島大橋家から養子となった川口盛祐の子が、宗吉(母は於富の方)、宗吉の子、宗勝は、徳川家康と「はとこ」同士になります。
織田信長が、川口宗勝を直臣として特別に扱ったのは、織田信長の伯母が宗勝の母であり、織田家の親戚で、また、大橋家、川口家が後醍醐天皇の後胤でもあることをよく理解しており、特に、大橋信弌は、父が、大橋重長で、母は、織田信秀の娘・くらの方であり、信長にとっては甥にあたることから織田家の連枝に迎えて織田信弌とするのであります。
織田信弌を連枝とし、川口宗勝を直臣にしたのは、信長が、いよいよ室町幕府に取って代わる政権を目指して、南朝勢力の結集を図るため、ある意味で利用する目的もあったのでしょう。
(楠木正儀の子孫である楠木正虎や、楠木正行の遺児とされている池田教正の子孫、摂津池田氏の重用なども同じと言えます。)
本能寺の変後、宗勝は織田信雄、豊臣秀吉、秀頼に仕え、最盛期には伊勢国と尾張国に、合計1万8千石を領有します。
(本能寺の変後に安土城下にあった武家屋敷を寺院として開基したのが、宗勝の子で、拙川口家はその子孫になります。旗本は宗勝の三男の宗重が継いでいます。)
宗勝は、関ヶ原の戦いにおいて、消極的ながらにも豊臣方の西軍について戦わざるを得ず、敗戦後には所領が没収となり、高野山に蟄居し、伊達政宗(伊達家は、西出雲王家の五十猛命の末裔にして、しかも南朝遺臣中の遺臣)の預かりとなります。
しかし、徳川家康、徳川秀忠は宗勝を放免して、異例にも江戸幕府の旗本に取り立てます。
やはり、その理由には、宗勝が家康の「はとこ」であり、徳川家と血の繋がりがあったからであると言えるでしょう。
・・
これまでの考察に関する推定年代を、ある程度まとめてほしいと頂きましたので、推定してみました。
また、今後の調査研究の対象についても改めてまとめています。
桜井神社(東大阪市六万寺町)の創祀は、桜井田部連氏の先祖、出雲王国の出雲族(天日方奇日方命が率いる出雲族一団)が、大国主・八千矛王と事代主・八重波津身命の二王枯死事件後、紀元前160年頃(2185年前)に河内へと至った際に、サイノカミ三大神と出雲王国の歴代の先祖である大国主命・事代主命を祀った三間石山と岩瀧山磐座への遥拝からとなりますが、当初は神社というよりも遥拝所という形式であったと考えられます。
推定年代
紀元前165年頃 出雲王国・二王枯死事件(2190年前)
紀元前160年頃 生駒山地(三間石山・岩瀧山等)磐座の創祀(2185年前)
紀元前155年頃 金剛山・二上山・葛城山磐座の創祀(2180年前)
紀元前150年頃 三輪山・ダンノダイラ磐座の創祀(2175年前)
海村雲命・初代大王 海部・磯城王朝の成立(天日方奇日方命が後見)
紀元前100年頃~25年頃 綏靖天皇、安寧天皇、懿徳天皇
紀元後25年頃~150年頃 孝昭天皇、孝安天皇、孝霊天皇
150年頃 第一次物部東征(彦五十瀬命・宇摩志麻遅命)
大田田根子命と宇摩志麻遅命が同盟、大和へ侵攻
孝霊天皇が播磨、吉備、出雲へ侵攻
大彦(長髄彦)が伊賀、近江から北陸・東北へと侵攻
160年頃 三輪王朝(大田田根子命・宇摩志麻遅命の共同統治)・磯城王朝(孝元天皇)の並立
200年頃以降
桜井茶臼山古墳(桜井市外山)・・大田田根子命(大直禰子命・意富多多泥古命・三輪大王)
箸墓古墳・・倭迹迹日百襲姫命(孝霊天皇の皇女)
桜井外山古墳(桜井市外山・宗像神社付近に推定)orメスリ山古墳(桜井市高田)or渋谷向山古墳(天理市渋谷町)or柳本行燈山古墳(天理市柳本町)・・宇摩志麻遅命or意富弥希毛知命(大御食持命・おおみけもちのみこと・神部大王)or大三輪大友主or大鴨積命
富雄丸山古墳・・磯城県主大目or細姫命(孝霊天皇の后)の兄と細姫命
奈良帝塚山古墳(奈良市学園中に推定)・・孝元天皇or天足彦国押人命(孝昭天皇の皇子)
以前に、築山古墳(大和高田市築山)を宇摩志麻遅命の墳墓と推定しましたが、やはり時代が合わない可能性があり、共同統治の宮を置いていたと思われる鳥見山周辺域が有力になるとして、改めて考察し直しています。
豊国・豊玉姫(卑弥呼)と崇神天皇(物部印恵王)が同盟
磯城王朝、開化天皇(丹波道主命)が丹波に勢力移動(大和は磯城王家、和邇家等の複数有力豪族による内乱状態・倭国大乱)
崇神天皇は九州で没する
250年頃 第二次物部東征開始
垂仁天皇・豊玉姫・豊来入彦・豊来入姫らによる侵攻
255年頃 豊玉姫没する(安芸の宮島)、宇佐神宮(卑弥呼・天照大神)に祀られる
第二次物部東征軍により出雲王国滅亡
260年頃 垂仁天皇・豊来入彦・豊来入姫(台与)ら大和入り
豊来入姫(台与)による檜原神社の創祀(母・豊玉姫・卑弥呼・天照大神を祀る)
265年頃 垂仁天皇による物部王朝成立
野見宿禰の出雲軍が田道間守、豊来入彦らを大和から追い出す
270年頃 豊来入姫により伊勢神宮(豊玉姫・卑弥呼・天照大神)の創祀
豊来入姫(台与)が暗殺される(ホケノ山古墳に葬られ、豊受大神として伊勢神宮外宮に祀られる)
280年頃~350年頃 景行天皇、倭建命の遠征、成務天皇・仲哀天皇
350年頃 神功皇后による三韓征討開始
355年頃 生駒山・岩瀧山霊畤にて大嘗祭・神功天皇の即位
370年頃 応神天皇の即位
390年頃 宇治天皇、続いて隼別天皇即位もクーデターで敗死
仁徳天皇の即位
430年頃 八田皇后によりヒシアゲ古墳(奈良市佐紀町)・西ノ山古墳(八尾市楽音寺町)の造営開始
440年頃 宇治天皇をヒシアゲ古墳に、隼別天皇を西ノ山古墳に改葬
・・
今後の研究調査・考察の説・・
桜井神社奥宮・元宮の全容解明
河内・桜井寺の全容解明
三種の神器ダイヤモンド結界について(西ノ山古墳とともに)
河内・六萬寺の全容解明(行基上人開基・三種の神器ダイヤモンド結界との関連)
弓削道鏡禅師の事績解明(三種の神器ダイヤモンド結界主宰)
古墳関係・・
桜井茶臼山古墳(桜井市外山)・・大田田根子命(大直禰子命・意富多多泥古命・三輪大王)
桜井外山古墳(桜井市外山・宗像神社付近に推定)orメスリ山古墳(桜井市高田)or渋谷向山古墳(天理市渋谷町)or柳本行燈山古墳(天理市柳本町)・・宇摩志麻遅命or意富弥希毛知命(大御食持命・おおみけもちのみこと・神部大王)or大三輪大友主or大鴨積命
富雄丸山古墳・・磯城県主大目or細姫命(孝霊天皇の后)の兄と細姫命
奈良帝塚山古墳(奈良市学園中に推定)・・孝元天皇or天足彦国押人命(孝昭天皇の皇子)
桜井六萬寺古墳(東大阪市六万寺町に推定)・・桜井田部連(島・嶋)垂根(男鉏と糸姫の父)
島の山古墳(磯城郡川西町唐院)・・桜井田部連(島・嶋)男鉏と糸姫(糸井姫)
西ノ山古墳(八尾市楽音寺)・・隼別天皇
西ノ山古墳陪塚(東大阪市横小路)・・雌鳥皇后
天皇歴代・即位関係・・
天足彦国押人命(孝昭天皇の皇子)の天皇即位説
長髄彦・大彦命(孝安天皇の皇子)の天皇即位説
神功皇后の天皇即位説(生駒山・岩瀧山霊畤大嘗祭)
宇治天皇・隼別天皇の天皇即位説
高市皇子(天武天皇の皇子)の天皇即位説
尾治(尾張)天皇の天皇即位説
高仁天皇(後南朝小倉宮家)の天皇即位説(後南朝美作朝廷・小倉宮家の系譜、美作朝廷の全容解明)
その他・・
三炊屋姫(長髄彦・大彦命の妹)は宇摩志麻遅命の后・妃説
川口家先祖の系譜についての解明・・
後醍醐天皇→宗良親王→尹良親王→良王(尹重)→大橋信重(良王と大橋定元の娘との子)
大橋定省と桜姫(宗良親王の娘)の子が大橋定元、大橋定元の娘と良王との子が、大橋信重
大橋信重→定廣→川口盛祐(川口家(宗持)の養子、妻は於富の方(華陽院))→川口宗吉(織田信長の伯母を妻とする)→川口宗勝(信長直臣・弓大将、江戸幕府の旗本)
川口宗勝の主君
水野信元→柴田勝家→織田信長→信雄→豊臣秀吉→徳川秀忠
於富の方(華陽院)の水野忠政との子である於大の方(水野大(子))は、徳川家康の母
ちなみに、於富の方(華陽院)は、水野忠政、松平清康、星野秋国、菅沼定望、川口盛祐と、五人に嫁いでいる。
宗勝の子、宗信、宗之、宗重(三男が旗本本家となる)、宗利、宗澄、宗政のいずれかが、本能寺の変の後、安土城下の川口宗勝の武家屋敷に浄土真宗寺院を開基。
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2025年12月02日
「往生院稲荷社御縁起」(往生院稲荷大明神と楠木正行公の恋人・弁内侍)について
「往生院稲荷社御縁起」(往生院稲荷大明神と楠木正行公の恋人・弁内侍)について
往生院稲荷大明神、鎮座20周年で発行された「往生院稲荷社御縁起」についての当時の四大紙の新聞記事が寺史に残されています。
記事によると、鎮座20周年において弁内侍の出生から自害までについて改めて編纂した冊子を作った上で、楠木正行公墓所の北東50メートルほどの現在の稲荷社の地に弁内侍が自害の後に祀られたと、先代(川口立誡)が最終的に見立てられたことが分かります。
もちろん、黙庵周諭禅師によって、楠木正行公の胴遺骸が、現在の墓所に葬られたとされるわけですが、四條縄手の戦いの戦闘が沈静した後に、武装して河内近くまで馳せ参じていた弁内侍が、密かに正行公と正時公が自刃した地、字・天王堂ヶ芝(東大阪市上四条町)まで赴き、お二人の胴遺骸を見つけられて、当時の往生院の避難地であった現在のところまで運ばれて、黙庵周諭禅師の葬儀(読経)によって葬られたとも考えられるわけです。
その後に自害した弁内侍も近くに葬られて祀られることになったと考えられるのであります。
写真に映りこんだ女性の武者についての審神者(さにわ)をされた方の名前も最後のお二人が寺史には記されており、伊勢の木村宗左衛門氏と堀田由造氏とあり、数年かけて複数人にサニワをして頂いた上に、慎重に先代が最終的に見立てて、稲荷社を再興して弁内侍を祀ったということが改めて分かるのであります。
・・
往生院稲荷大明神大祭(12/1)
(全景は先月の画像)
通常、稲荷社は、二月初午祭が有名ですが、当寺は十二月一日が例年の大祭日となり、また、当寺では、楠木正行公の恋人・弁内侍の御霊も一緒にお祀りしてご供養致しております。
現在の往生院六萬寺の主な鎮守社は、楠木正行公墓所の隣に鎮座の「熊野大権現」と、この「稲荷大明神」になります。
(ただ、更に古くに元々は岩瀧山山頂に祀られた磐座を遥拝するための桜井神社の元宮・奥宮があったのは確実となっています。飛鳥時代には桜井寺も創建されています。)
熊野大権現・十二社権現が、古来から祀られていたことについては、以前に考察済みです。
では、稲荷大明神が祀られてあるのはなぜか、ということですが、これも現在、梶無神社の摂社、八幡神社と関係があることになります。
八幡神社は、宇佐王朝の祖神を祀る神社であります。
神功天皇(皇后)が、三韓征討後に生駒山(岩瀧山霊畤)で大嘗祭を行い、天皇に即位した関連にて、ここ河内郡桜井郷の豪族、桜井田部連氏が宇佐王朝に仕えることになり、桜井郷で八幡神社が祀られることになります。
八幡神社・宮は、宇佐国、つまり、豊国の祖神を祀る神社であり、豊玉姫(卑弥呼・天照大神)、豊来入姫(台与)、豊来入彦、応神天皇(竹葉瀬君)、応神天皇を養子にした神功天皇(皇后)、神功天皇の三韓征討に協力した仲哀天皇(早世。実際には日向襲津彦王が協力)などを祭神に祀ることになります。
では、この八幡神社・宮と、稲荷神社・稲荷大明神が、どう関係するのか、ということですが・・
稲荷大明神は、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)という女神で、古事記では、素戔嗚尊と神大市比売(かむおおいちひめ)との娘で、大歳神は兄とされますが、記紀以前の伝承においては、豊受大神(豊宇賀能売命)とされ、豊受大神は、伊勢神宮の外宮、豊受大神宮に祀られていることで有名であります。
つまり、本当は誰であるのは歴然としていることで、崇神天皇(物部印恵王)と豊玉姫命(天照大神・卑弥呼)の娘、豊来入姫命(台与)であります。
母の祀られてあるそばに、垂仁天皇により暗殺された悲劇の姫巫女の御霊が祀られたのであります。
暗殺後、桜井市箸中の「ホケ(豊家)ノ山古墳」に葬られた豊来入姫。
第二次物部東征で、大和入りに成功した後に、三輪山の麓に檜原神社を創祀し、東征の途中に安芸の宮島で没した母である豊玉姫(卑弥呼・天照大神)を祀って供養するも、兄、豊来入彦が、垂仁天皇との大和での勢力争いに敗れ、大和を追い出されることになった際に、東海へと共に逃げ延びて、その途中の地にて、母を祀りなおして創祀したのが、「伊勢神宮」になるのであります。
やがて、豊来入彦の豊国の主勢力は、関東まで落ち延びることになりますが、豊来入姫は垂仁天皇によって暗殺され、檜原神社のすぐ西の「ホケノ山古墳」に葬られるのであります。
その後に、悲劇の姫巫女の慰霊のために、母・豊玉姫が祀られてある伊勢神宮の外宮へと祀られることになり、それが豊受大神宮になるのであります。
宇佐王朝に仕えた桜井田部連の糸姫が、やがて応神天皇の妃の一人となり、隼別皇子(宇治天皇の次の天皇)をもうけており、桜井郷に八幡神社があったのも、神功天皇からの関係と、この隼別皇子のことからも明らかであると言えます。
当然に、桜井神社の奥宮にも、神功天皇、応神天皇を祀る宮が設けられ、豊玉姫や豊来入姫が祀られることになったのも推定されるわけです。
特に、豊来入姫は、実際に第二次物部東征の際に、豊来入彦や垂仁天皇と共に、生駒山を通過した可能性が高くあり(暗峠の豊浦・東豊浦の地名)、桜井郷周辺でも、実際に目にした姫巫女として有名であったと考えられます。
それが、宇佐王朝の時代に至っても、まだまだ語り継がれており、豊玉姫命(卑弥呼・天照大神)よりも、実際に目にしたことのあるリアルな姫巫女であった豊来入姫命=豊受大神=稲荷大明神が祀られたと考えられるのが自然と言えるわけです。
先代が、弁内侍の御霊も一緒にお祀りする際に稲荷社を整備したわけですが、当初祭神は不詳であったとも伝わっており、かなりの時間(数年)をかけて、当時の主な有名霊媒師、数名にも見立てを伺っていたことが、寺史に記録されています。
その結果にて、正式に稲荷社として弁内侍の御霊も祀ることになったわけですが、なるほど、その見立ては、このように歴史的なことから考えても正しいと言えるものであると思うのであります。
これからは、明確に、豊来入姫命(豊受大神・台与)と弁内侍が祭神であるとして、御供養申し上げていこうと思う次第であります。
・・
七月に桜井市へと一日調査に伺った際に、ホケノ山古墳と玄賓庵にも訪れましたが、能「三輪」に出てくる玄賓庵に現れた女性の霊こそ、まさに玄賓庵(檜原神社すぐ)の近くに葬られていた豊来入姫命(豊受大神・台与)であり、これは本当にあった話である可能性が極めて高いのであります。
「思えば伊勢と三輪の神、一体分身の御事、今更何と磐座や」
自らが、檜原神社(三輪山)に祀った豊玉姫命、伊勢神宮にも祀った豊玉姫命。当然に伊勢と三輪の神は同じであるわけです。
自分と母、豊国の一族たちを供養してほしいと、当代随一の高僧であった玄賓僧都に頼まれたわけです。
実は、以前にも考察してあるとおり、弓削道鏡禅師、弓削玄賓僧都も、宇佐王家の子孫であり、豊来入姫命は、自分の子孫である高僧に供養を頼みに現れたというわけなのであります。
全てが繋がるのです。
能「三輪」
https://www.the-noh.com/jp/plays/data/program_065.html
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往生院稲荷大明神大祭 稲荷大明神と弁内侍(楠木正行公恋人)を祀る
往生院稲荷大明神大祭
(全景は先月の画像)
通常、稲荷社は、二月初午祭が有名ですが、当寺は十二月一日が例年の大祭日となり、また、当寺では、楠木正行公の恋人・弁内侍の御霊も一緒にお祀りしてご供養致しております。
現在の往生院六萬寺の主な鎮守社は、楠木正行公墓所の隣に鎮座の「熊野大権現」と、この「稲荷大明神」になります。
(ただ、更に古くに元々は岩瀧山山頂に祀られた磐座を遥拝するための桜井神社の元宮・奥宮があったのは確実となっています。飛鳥時代には桜井寺も創建されています。)
熊野大権現・十二社権現が、古来から祀られていたことについては、以前に考察済みです。
では、稲荷大明神が祀られてあるのはなぜか、ということですが、これも現在、梶無神社の摂社、八幡神社と関係があることになります。
八幡神社は、宇佐王朝の祖神を祀る神社であります。
神功天皇(皇后)が、三韓征討後に生駒山(岩瀧山霊畤)で大嘗祭を行い、天皇に即位した関連にて、ここ河内郡桜井郷の豪族、桜井田部連氏が宇佐王朝に仕えることになり、桜井郷で八幡神社が祀られることになります。
八幡神社・宮は、宇佐国、つまり、豊国の祖神を祀る神社であり、豊玉姫(卑弥呼・天照大神)、豊来入姫(台与)、豊来入彦、応神天皇(竹葉瀬君)、応神天皇を養子にした神功天皇(皇后)、神功天皇の三韓征討に協力した仲哀天皇(早世。実際には日向襲津彦王が協力)などを祭神に祀ることになります。
では、この八幡神社・宮と、稲荷神社・稲荷大明神が、どう関係するのか、ということですが・・
稲荷大明神は、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)という女神で、古事記では、素戔嗚尊と神大市比売(かむおおいちひめ)との娘で、大歳神は兄とされますが、記紀以前の伝承においては、豊受大神(豊宇賀能売命)とされ、豊受大神は、伊勢神宮の外宮、豊受大神宮に祀られていることで有名であります。
つまり、本当は誰であるのは歴然としていることで、崇神天皇(物部印恵王)と豊玉姫命(天照大神・卑弥呼)の娘、豊来入姫命(台与)であります。
母の祀られてあるそばに、垂仁天皇により暗殺された悲劇の姫巫女の御霊が祀られたのであります。
暗殺後、桜井市箸中の「ホケ(豊家)ノ山古墳」に葬られた豊来入姫。
第二次物部東征で、大和入りに成功した後に、三輪山の麓に檜原神社を創祀し、東征の途中に安芸の宮島で没した母である豊玉姫(卑弥呼・天照大神)を祀って供養するも、兄、豊来入彦が、垂仁天皇との大和での勢力争いに敗れ、大和を追い出されることになった際に、東海へと共に逃げ延びて、その途中の地にて、母を祀りなおして創祀したのが、「伊勢神宮」になるのであります。
やがて、豊来入彦の豊国の主勢力は、関東まで落ち延びることになりますが、豊来入姫は垂仁天皇によって暗殺され、檜原神社のすぐ西の「ホケノ山古墳」に葬られるのであります。
その後に、悲劇の姫巫女の慰霊のために、母・豊玉姫が祀られてある伊勢神宮の外宮へと祀られることになり、それが豊受大神宮になるのであります。
宇佐王朝に仕えた桜井田部連の糸姫が、やがて応神天皇の妃の一人となり、隼別皇子(宇治天皇の次の天皇)をもうけており、桜井郷に八幡神社があったのも、神功天皇からの関係と、この隼別皇子のことからも明らかであると言えます。
当然に、桜井神社の奥宮にも、神功天皇、応神天皇を祀る宮が設けられ、豊玉姫や豊来入姫が祀られることになったのも推定されるわけです。
特に、豊来入姫は、実際に第二次物部東征の際に、豊来入彦や垂仁天皇と共に、生駒山を通過した可能性が高くあり(暗峠の豊浦・東豊浦の地名)、桜井郷周辺でも、実際に目にした姫巫女として有名であったと考えられます。
それが、宇佐王朝の時代に至っても、まだまだ語り継がれており、豊玉姫命(卑弥呼・天照大神)よりも、実際に目にしたことのあるリアルな姫巫女であった豊来入姫命=豊受大神=稲荷大明神が祀られたと考えられるのが自然と言えるわけです。
先代が、弁内侍の御霊も一緒にお祀りする際に稲荷社を整備したわけですが、当初祭神は不詳であったとも伝わっており、かなりの時間(数年)をかけて、当時の主な有名霊媒師、数名にも見立てを伺っていたことが、寺史に記録されています。
その結果にて、正式に稲荷社として弁内侍の御霊も祀ることになったわけですが、なるほど、その見立ては、このように歴史的なことから考えても正しいと言えるものであると思うのであります。
これからは、明確に、豊来入姫命(豊受大神・台与)と弁内侍が祭神であるとして、御供養申し上げていこうと思う次第であります。
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七月に桜井市へと一日調査に伺った際に、ホケノ山古墳と玄賓庵にも訪れましたが、能「三輪」に出てくる玄賓庵に現れた女性の霊こそ、まさに玄賓庵(檜原神社すぐ)の近くに葬られていた豊来入姫命(豊受大神・台与)であり、これは本当にあった話である可能性が極めて高いのであります。
「思えば伊勢と三輪の神、一体分身の御事、今更何と磐座や」
自らが、檜原神社(三輪山)に祀った豊玉姫命、伊勢神宮にも祀った豊玉姫命。当然に伊勢と三輪の神は同じであるわけです。
自分と母、豊国の一族たちを供養してほしいと、当代随一の高僧であった玄賓僧都に頼まれたわけです。
実は、以前にも考察してあるとおり、弓削道鏡禅師、弓削玄賓僧都も、宇佐王家の子孫であり、豊来入姫命は、自分の子孫である高僧に供養を頼みに現れたというわけなのであります。
全てが繋がるのです。
能「三輪」
https://www.the-noh.com/jp/plays/data/program_065.html
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2025年11月28日
「映画・国宝」・「イクサガミ」・「SHOGUN 将軍」の共通項
そういえば、徳力基彦さんの「映画・国宝」の記事の中で出てくる、「イクサガミ」、「SHOGUN 将軍」、ある共通項も一つ見えてきます。
それは・・「楠公」、「楠木正行」です。
映画「国宝」、中盤の重要なところとして、喜久雄、半二郎、幸子のお墓参りのシーンが撮影された当寺院は、楠木正行公菩提寺であり、正行公の胴塚の墓所があります。
「イクサガミ」の原作者は、小説家、今村翔吾氏、朝日新聞で長期連載された「人よ、花よ、」の主人公は「楠木正行」でありました。
「SHOGUN 将軍」の真田広之氏は、大河ドラマ「太平記」で主役、足利尊氏を演じていました。
つまり、いよいよ、映画「楠公」が来るのではないかという予感をしています。
もしかすると日本一となった映画「国宝」を早速に脅かすのでは・・
楠木正成を渡辺謙さん
楠木正行を吉沢亮さん
楠木正時を横浜流星さん
楠木正儀を木戸大聖さん
足利尊氏を真田広之さん
黙庵周諭禅師の役を・・ 丁度、2年前、李相日監督、スタッフとのロケについての協議の場で、映画で僧侶役があれば使って頂いてもと言っておきましたので、李相日監督が、映画「楠公」を撮るとなれば、もしかすると・・・
・・
映画「国宝」22年ぶり歴代興収更新の快挙が示す、日本映画業界の主役交代
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/2af28ed08e10da9a3bcd8b21c96d00360a1fbc78
岡田准一「イクサガミ」が世界2位スタート。アップデートされた「時代劇」は世界に広がるか
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/fdf03c9e58d9ccef53489f74b7abf7dc23737942
真田広之と「SHOGUN 将軍」の快挙は、日本発で世界に広がる作品の布石になるか
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/a3c4fff14aa4fdcd5c41691e714e03c504b13a7a
・・
映画「国宝」の関西ロケ地マップが作成され、当寺院もご紹介を頂いております。
是非、参照、巡礼にお役立て下さいませ。
それは・・「楠公」、「楠木正行」です。
映画「国宝」、中盤の重要なところとして、喜久雄、半二郎、幸子のお墓参りのシーンが撮影された当寺院は、楠木正行公菩提寺であり、正行公の胴塚の墓所があります。
「イクサガミ」の原作者は、小説家、今村翔吾氏、朝日新聞で長期連載された「人よ、花よ、」の主人公は「楠木正行」でありました。
「SHOGUN 将軍」の真田広之氏は、大河ドラマ「太平記」で主役、足利尊氏を演じていました。
つまり、いよいよ、映画「楠公」が来るのではないかという予感をしています。
もしかすると日本一となった映画「国宝」を早速に脅かすのでは・・
楠木正成を渡辺謙さん
楠木正行を吉沢亮さん
楠木正時を横浜流星さん
楠木正儀を木戸大聖さん
足利尊氏を真田広之さん
黙庵周諭禅師の役を・・ 丁度、2年前、李相日監督、スタッフとのロケについての協議の場で、映画で僧侶役があれば使って頂いてもと言っておきましたので、李相日監督が、映画「楠公」を撮るとなれば、もしかすると・・・
・・
映画「国宝」22年ぶり歴代興収更新の快挙が示す、日本映画業界の主役交代
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/2af28ed08e10da9a3bcd8b21c96d00360a1fbc78
岡田准一「イクサガミ」が世界2位スタート。アップデートされた「時代劇」は世界に広がるか
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/fdf03c9e58d9ccef53489f74b7abf7dc23737942
真田広之と「SHOGUN 将軍」の快挙は、日本発で世界に広がる作品の布石になるか
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/a3c4fff14aa4fdcd5c41691e714e03c504b13a7a
・・
映画「国宝」の関西ロケ地マップが作成され、当寺院もご紹介を頂いております。
是非、参照、巡礼にお役立て下さいませ。



1.映画『国宝』関西広域ロケ地マップ
(1)概要
映画『国宝』のロケ地に採用された関西ロケ地のうち10か所を紹介しています。
(2)発行部数
1万5千部(A4判カラー4頁)
(3)紹介ロケ地(全10か所)
出石永楽館(兵庫県豊岡市)、玉手橋(大阪府柏原市)、往生院六萬寺(大阪府東大阪市)、びわ湖大津館(滋賀県大津市)、上七軒歌舞練場/光盛大明神(京都府京都市上京区)、国立文楽劇場(大阪府大阪市中央区)、先斗町歌舞練場(京都府京都市中京区)、レストラン百花園(京都府八幡市)、東大阪市立日新高等学校(大阪府東大阪市)、安戸文化住宅(大阪府東大阪市)
(4)主な配布先
滋賀県庁、滋賀県内の関係施設(市役所・町役場、観光協会、観光案内所、道の駅等)、ここ滋賀(東京)、大阪観光局、東大阪市役所、京都市メディア支援センター、柏原市役所、豊岡市役所、出石永楽館、びわ湖大津館、八幡市観光協会等(11/26以降順次配布予定)
(5)内容
冊子の内容をご覧になりたい方はこちら
(滋賀ロケーションオフィスホームページ)
・・
ついに、映画「国宝」が、金字塔を打ち立てました。
本当におめでとうございます。心からお祝い申し上げます。

https://x.com/mtt_75058/status/1992804337593229624?s=20
映画「国宝」オスカー正式候補に 国際長編映画賞 アカデミーが候補作を公表
・・
映画「国宝」これまでのロケ地・往生院六萬寺における関連記事まとめ一覧
http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/95514786.html
・・
往生院六萬寺は、映画「国宝」を応援しています。
是非、皆様、壮大な芸道映画を映画館にてご覧くださいませ。
大ヒット上映を心から祈念申し上げます。合掌
特設サイト
https://kokuhou-movie.com/

予告での往生院六萬寺のシーン
https://youtu.be/4LIm9S_xVGQ?feature=shared&t=51
本予告
https://youtu.be/DAiq_4YWXow?feature=shared
特報1
https://youtu.be/B4VjEUcWAJU?feature=shared
特報2
https://youtu.be/Kv4-BSJ3RRY?feature=shared
完成報告会
https://youtu.be/G3Gz9Ca76R0?feature=shared
・・
往生院六萬寺
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2025年10月07日
河内ふるさと文化誌「若楠(わかくす)」88号(記念号)発行
購読会員は1年2000円で、年2回、新しい若楠が届くことになります。
支援、協力を頂ける賛助会員・協賛会員も募集しています。
次回(来年4月)は後編となります。
・・
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また、次次回(来年10月)から、「西ノ山古墳と三種の神器ダイヤモンド結界」の研究考察シリーズへと入りたいと考えています。
その初回は、「岩瀧山の磐座霊畤について」を予定しています。
このシリーズは文量からも分けて5回以上は確実で、2029年4月までかかるかもしれません。
隼別(桜井)天皇の即位と西ノ山古墳陵墓の証明も含めて、2030年までには決着をつけたいですね。
もちろん、神功皇后の岩瀧山での大嘗祭による天皇即位の証明も。
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あとは、奈良帝塚山古墳(奈良市学園中)の孝元天皇陵墓証明、桜井宗像古墳(桜井市外山)の古墳証明、築山古墳(大和高田市)の宇摩志麻遅命墳墓証明も関連して論考していければと考えています。
更には、桜井茶臼山古墳の大田田根子命墳墓証明、ダンノダイラ磐座の天日方奇日方命の磐座証明もできれば。富雄丸山古墳造出被葬者、細姫命証明も。
これらがひと段落したら、後南朝小倉宮家・高仁天皇の即位証明に取り掛かりたいと考えています。
江戸時代に再興された往生院の開基となった松平信平も、後水尾天皇から高仁天皇への譲位に何らか絡んでいたのは確実ではないかと見ています。
南帝擁立。紀州藩松平家、尾張藩松平家も高仁天皇の後見にあったのであります。
これに対して、家光は、譲位の橋渡し役であった美作藩主・森忠政を暗殺し、30万もの兵を動員、上洛して明正天皇即位を強行しています。
これらの論考、若楠で発表していけば、2035年ぐらいまで掛かってしまうことになるでしょうか・・
とにかく次の号の原稿は既に書き終わっているので、明日にはメールで入稿して、新しい原稿に早速に取り掛かりたいと思います。
往生院六萬寺
http://oujyouin.com/
日々の考察・・先行メモ書き程度のものです
https://ameblo.jp/iwatakiiwakurareiji/
往生院六萬寺
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日々の考察・・先行メモ書き程度のものです
https://ameblo.jp/iwatakiiwakurareiji/
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2025年09月26日
映画「国宝」と映画「宝島」
映画「国宝」と出雲王国、伝統芸能文化の歴史との関係性については、これまで何度も考察してきたわけですが、日本国、日本人とある意味で、「共霊性」を有する映画が「国宝」であるとして、極めて日本的シンパシー性を有するもの、郷愁的なものが、メガヒットにも関係していると思われるのであります。
映画「国宝」これまでの関連記事まとめ一覧
http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/95514786.html
映画「国宝」これまでの関連記事まとめ一覧
http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/95514786.html
この共霊性を有することが、クチコミやSNSによる爆発的な絶賛評価、推薦、拡散、リピートの原動力を生んだ理由ではないかと思うわけです。
一方、公開から動員が伸び悩んでいる映画「宝島」は、戦後沖縄の苦悩の歴史を扱っているため、どうしても地勢の限定と共に、日本全体ではない、限定的な共霊性とならざるを得ないものであると言えるわけです。
一方、公開から動員が伸び悩んでいる映画「宝島」は、戦後沖縄の苦悩の歴史を扱っているため、どうしても地勢の限定と共に、日本全体ではない、限定的な共霊性とならざるを得ないものであると言えるわけです。
もう一つは、李相日監督は、ご自身が学生時代に鑑賞されて一番に感動されていた映画を、いずれはご自身も撮りたいと心の底から純粋に思って撮られた映画が、「国宝」であり、賞レースや大ヒットを狙うなどの余計な打算が無く撮られたものであるということも、純粋な感動を生む理由でもあるのでしょう。
そして、何よりも撮影における中での、神仏や故人、畏敬すべきものへの敬礼を怠らない慎重さ、配慮、これは極めて大切なことで、初代・中村鴈治郎さんが小楠公の役を演じる際に、墓所の階段整備や案内碑建立にて、楠木正行公の供養をなされた「配慮」とも重なるものであります。
【映画「国宝」】初代・中村鴈治郎さんと往生院六萬寺とのご縁
映画「国宝」・撮影ロケ地での配慮・心配り
http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/95980117.html
今の時代、監督や役者の中には、賞レースに勝ちたい、有名になりたい、儲けたい、となりがちな者が多く、役や作品に対しての畏敬や敬礼が、蔑(ないがし)ろとなっている俳優、監督も非常に多いわけです。
余計な打算がチラつく演技、作品は、どんなに取り繕ったとしても、観る者にはある程度、分かってしまうものがあります。
http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/95980117.html
今の時代、監督や役者の中には、賞レースに勝ちたい、有名になりたい、儲けたい、となりがちな者が多く、役や作品に対しての畏敬や敬礼が、蔑(ないがし)ろとなっている俳優、監督も非常に多いわけです。
余計な打算がチラつく演技、作品は、どんなに取り繕ったとしても、観る者にはある程度、分かってしまうものがあります。
そんな余計な打算がほとんどなく作られたのが、映画「国宝 」であり、純粋な感動体験を、純粋に体験してほしいという李相日監督の願いが、そのまま「国宝」に込められて体現され、役、作品への畏敬、敬礼も忘れず取り組まれてあり、まさに邦画実写歴代1位として相応しい作品と言えるものとなっているのであります。
もちろん、演じる役が実在の故人であった場合、役者さん、監督さんが、お墓参りし線香をあげて敬意、感謝を表されることもあるわけですが、布施・寄附をしてまで供養をするというのは、最近あまり聞かないことであります。自分たちの身銭を切ってまですることではないという認識もやはりあるのでしょう。
時代が異なるとはいえ、まだまだ現代より余裕がない大変な時代の中でありながら、初代・中村鴈治郎さんが役を演じるにあたってなさられていた「配慮」は、役者としての覚悟とその使命を窺うに十分なものであると言えるでしょう。
もちろん、神仏、先祖への感謝も日々欠かされなかったのであります。(平成中村座物語を拝見する中で、故・十八代目・中村勘三郎さんが、日々、神仏・先祖への感謝、祈りを欠かされていなかった様子も窺うことができます。)
もちろん、神仏、先祖への感謝も日々欠かされなかったのであります。(平成中村座物語を拝見する中で、故・十八代目・中村勘三郎さんが、日々、神仏・先祖への感謝、祈りを欠かされていなかった様子も窺うことができます。)
オーディションで合格して演技力が認められて主演を務める役者(一見的役者)と、歌舞伎や能、狂言など、神仏、先祖への祈りと感謝を日々捧げながら演じる役者とでは、やはり根本的に異なるものもあるわけです。
このような点でも、四代目・中村鴈治郎さんが、映画「国宝」の監修に入られた意義は極めて重要なものであったと言えるのであります。
このような点でも、四代目・中村鴈治郎さんが、映画「国宝」の監修に入られた意義は極めて重要なものであったと言えるのであります。
映画「国宝」との対比で語られることの多くなってきている映画「宝島」は、戦後の沖縄の苦悩が描かれていますが、沖縄戦での戦没者、戦後も犠牲となられた方々への慰霊とともに、戦後の沖縄の苦悩を癒すための「配慮」から入られてあるものであれば、地勢の限定、限定的な共霊性も十分に跳ね返せるものがあると思われるのであります。
つまり、映画「宝島」を通じて、沖縄の戦没者、戦後の犠牲者の慰霊となり、沖縄の苦悩に寄り添えるものとなるような、そのような「共霊性」が、この映画を通じてあれば、映画「国宝」と同様に、日本中での大ヒットとなる可能は十分にあると思われます。
その「配慮」があるかどうかが、極めて重要なものであると考えます。
その「配慮」があるかどうかが、極めて重要なものであると考えます。
ちなみに、この『映画「国宝」と映画「宝島」』の考察の中で用いている「共霊性」の用語は、鈴木大拙氏の「日本的霊性」と似たようなものになりますが、鈴木大拙氏のものとは、少し異なる意味合いにて使っている拙造語となります。
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映画「国宝」これまでのロケ地・往生院六萬寺における関連記事まとめ一覧
http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/95514786.html
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往生院六萬寺は、映画「国宝」を応援しています。
是非、皆様、壮大な芸道映画を映画館にてご覧くださいませ。
大ヒット上映を心から祈念申し上げます。合掌
特設サイト
https://kokuhou-movie.com/

予告での往生院六萬寺のシーン
https://youtu.be/4LIm9S_xVGQ?feature=shared&t=51
本予告
https://youtu.be/DAiq_4YWXow?feature=shared
特報1
https://youtu.be/B4VjEUcWAJU?feature=shared
特報2
https://youtu.be/Kv4-BSJ3RRY?feature=shared
完成報告会
https://youtu.be/G3Gz9Ca76R0?feature=shared
・・
往生院六萬寺
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2025年06月21日
【映画「国宝」】初代・中村鴈治郎さんと往生院六萬寺とのご縁
映画「国宝」には、歌舞伎俳優の四代目・中村鴈治郎さんが、ご出演なさっており、歌舞伎の演技指導もされていらっしゃいます。
実は、大正時代に、初代・中村鴈治郎さんと往生院六萬寺とはご縁があり、初代・中村鴈治郎さんが、楠木正行公を演じられたことから、楠木正行公への供養として、楠木正行公御墓所の正面石階段と、近鉄・瓢箪山駅・奈良線側ホームの案内石碑をご寄附頂いています。
四代目からみると、初代は、血の繋がりがある曾祖父にあたる方になります。大正4年、1915年・・2025年ですから、110年ぶりのご縁に・・
実は、大正時代に、初代・中村鴈治郎さんと往生院六萬寺とはご縁があり、初代・中村鴈治郎さんが、楠木正行公を演じられたことから、楠木正行公への供養として、楠木正行公御墓所の正面石階段と、近鉄・瓢箪山駅・奈良線側ホームの案内石碑をご寄附頂いています。
四代目からみると、初代は、血の繋がりがある曾祖父にあたる方になります。大正4年、1915年・・2025年ですから、110年ぶりのご縁に・・
このようにも、映画「国宝」との縁が、不思議と繋がるのです。
映画「国宝」(主演・吉沢亮さん)
6月6日公開
カンヌ国際映画祭出品作品
原作 吉田修一氏 監督 李相日氏
脚本 奥寺佐渡子氏 音楽 原摩利彦氏
完成を心から御祝い申し上げます。
往生院六萬寺もロケ地の一つになっています。
(撮影にあたっては、撮影前に当山全御仏方並びに全御墓所全御霊位へのご挨拶、読経ご供養と共に、仏事道具への開眼供養・閉眼供養をお勤めさせて頂いております)
http://oujyouin.com/
・・
映画「国宝」での喜久雄(吉沢亮さん役・三代目・花井半二郎)の仏壇お参りのシーンについて
【映画国宝】初代「花井白虎」の戒名について・大名墓・五輪塔・名跡・屋号・定紋・他
映画「国宝」大ヒット上映をお祝い申し上げます
市川團十郎白猿さんも映画「国宝」を称賛、推薦
映画「国宝」・制作の皆さんの作品と向き合う真摯な熱意の表れ
映画「国宝」美術制作にも是非ご注目下さい
映画「国宝」(主演・吉沢亮さん)6月6日公開・完成を御祝い申し上げます
映画『国宝』いよいよ公開へ
・・
往生院六萬寺は、映画「国宝」を応援しています。
是非、皆様、壮大な芸道映画を映画館にてご覧くださいませ。
大ヒット上映を心から祈念申し上げます。合掌
特設サイト
https://kokuhou-movie.com/

予告での往生院六萬寺のシーン
https://youtu.be/4LIm9S_xVGQ?feature=shared&t=51
本予告
https://youtu.be/DAiq_4YWXow?feature=shared
特報1
https://youtu.be/B4VjEUcWAJU?feature=shared
特報2
https://youtu.be/Kv4-BSJ3RRY?feature=shared
完成報告会
https://youtu.be/G3Gz9Ca76R0?feature=shared
・・
往生院六萬寺
http://oujyouin.com/
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2025年03月11日
映画「国宝」との縁 往生院と初代・中村鴈治郎 近鉄瓢箪山駅・奈良側ホーム楠木正行公墓所案内石碑の寄附
映画「国宝」との縁 往生院と初代・中村鴈治郎 近鉄瓢箪山駅・奈良側ホーム楠木正行公墓所案内石碑の寄附
初代、中村鴈治郎が、楠木正行公を演じる際に、現在の往生院六萬寺の小楠公墓所(胴塚)の正面石階段を寄附しています。(近鉄瓢箪山駅・奈良側ホームにある墓所案内の石碑も)
初代、中村鴈治郎が、楠木正行公を演じる際に、現在の往生院六萬寺の小楠公墓所(胴塚)の正面石階段を寄附しています。(近鉄瓢箪山駅・奈良側ホームにある墓所案内の石碑も)
映画「国宝」との縁が、不思議に繋がります。
中村鴈治郎、映画『国宝』歌舞伎指導&出演 吉沢亮・横浜流星らを称賛
https://news.yahoo.co.jp/articles/3634cde61546b08d87bf8a1d5c88225d30ae88f6
中村鴈治郎、映画『国宝』歌舞伎指導&出演 吉沢亮・横浜流星らを称賛
https://news.yahoo.co.jp/articles/3634cde61546b08d87bf8a1d5c88225d30ae88f6
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2025年02月01日
前回の楠木正行公に続いて、楠木正成公、その終焉の地について
前回の楠木正行公に続いて、楠木正成公、その終焉の地について
【楠木正成】神となった武将の最後の地へ(怪奇な歴史研究室)
楠木正成も正行も敵味方関係ない仁愛の心を持っていた。
正成の寄手塚(敵方の供養)や正行の渡辺橋での敵方溺者・負傷兵の救助がそれを物語っている。
また、一族の安満了願を始めとして、正儀の子孫で僧侶になった者、寺院を開基した者など、仏教との繋がりも深い。(すぐ近くの横小路の多門寺廃寺、八尾の大光寺廃寺も楠木家開基の寺である。)
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2025年01月26日
「楠木正行公・四條縄手の合戦・上四条古戦場史跡の補足について」
少し遅くなってしまいましたが、上四条古戦場史跡を取材くださった怪奇な歴史研究室さんへのお礼動画
史跡の補足説明と今後の調査研究についても
「楠木正行公・四條縄手の合戦・上四条古戦場史跡の補足について」・「楠木正行の終焉の地の秘密」(怪奇な歴史研究室)動画内での史跡についての補足説明 2025年1月26日
https://youtu.be/iS0DLfJ1vEM?feature=shared
https://youtu.be/iS0DLfJ1vEM?feature=shared
oujyouin_blog at 15:02|Permalink























