
天日方奇日方命
2026年06月29日
「岩瀧大明神」お社建立・「地鎮祭」
「岩瀧大明神」お社建立・「地鎮祭」
令和8年6月28日「岩瀧大明神」お社建立・「地鎮祭」
まず当日早朝に、不動尊縁日にて、岩瀧滝行場へ。
台風一過にて、水量が凄まじくありました。
岩瀧不動明王供養
並びに、岩瀧大明神お社建立地鎮祭へ向けての勤行お勤めをさせて頂きました。
改めて、光明真言と共に、お清めのための御砂も御取りいたしました。
戻って、地鎮祭の準備。まず紙垂飾り。
次に、本堂からご神鏡を祀りました。
出芽色の風呂敷を掛けてお祀り。
更に、中央に「岩瀧大明神」塔婆、大神神社・神樹・榊と三輪明神の御幣、四方に「四天王」塔婆を配して、岩瀧不動明王、大地主大神、久那斗大神、幸ノ姫大神、猿田彦大神、大国主命、事代主命、玉櫛姫命、天日方奇日方命、美良姫命の塔婆、神饌、清めの洒水器、清めの砂等を準備。
開始と共に、少し晴れ間が出て、有り難くにも磐座のある岩瀧山山頂が拝めました。
まず、神水・閼伽水にて、四方・中央を清めの洒水。
次に、大神神社・大和神社・岩瀧滝行場の御砂で清めの御砂撒き
鬼門(北東)から時計回りに四方に撒いて、最後に中央に向けて撒きます。
次に、ご神鏡披見。
勤行、開経偈、般若心経、消災呪、楞厳呪・第五会、奉請回向、不動明王真言、遥拝詞・神拝詞敬白、光明真言、普回向。
参列寺族焼香。
最後に、御神酒、御米、御神水、御塩をお撒きして終えました。
雨が少し降る中となりましたが、無事に地鎮祭が滞りなく終わり、少しホッとしました。
昼から、四條畷神社へと向かいまして、崇敬会総会で、「楠木正行公と南朝について」の拙い講話をさせて頂きました。色々なご縁を賜り、今後の研究の進展に向けて大変に有り難いことになります。
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台風が去って雨が止んだので、青竹立てと注連縄張りもしておきました。紙垂は明日に挟み込みます。
中央の神代は、大神神社の神樹の榊と大神神社の御幣、本堂の神鏡を立てます。
経筒へは鎮め物を納めました。
和紙に書いて納めたもののコピー
最近は塔婆書きばかりにて、和紙や奉書に書くのがかなり下手になりました・・
300年後とかに地鎮物を見た方に、こいつ字下手だなと思われてしまうかも。。
経筒の鎮め物には、各聖地の小石、土砂を「みわ山」の袋にまとめて入れて納め、カーラチャクラ砂曼荼羅の御砂は別瓶にして納めました。
法王猊下お加持の砂曼荼羅の御砂は、清水さんからダライ・ラマ法王猊下の日本でのカーラチャクラタントラ灌頂の実現へと向けて賜ったものの、時勢下と法王猊下のご高齢もあり、もはや可能性はほぼゼロになってしまいました。
しかし、何らかカーラチャクラタントラの加持力を活かせるように致さねばと考えており、今回、少し使わせて頂くことにしました。
あと、まだ余裕があるところに、大き目の聖地小石いくつかと守護札を納めて蓋をしました。般若札は毎年に胴部に納めることにします。
経筒の蓋は密封せず、僅かでも気の出入りがあることが大事になります。
建立式は8/8ながら、実は、地鎮祭の方が重要で、特に鎮め物は、工事が終われば、二度と納められないものになります。(往生院稲荷大明神社は納められるようにしてありますが、今回はそのようにはしていません。)
まだ、熊野大社、出雲大社、神魂神社以外の多くの出雲の神社に御挨拶参拝廻りができていませんが、来月には、2日間で廻らせて頂く予定にしています。
とにかく一つ一つです。
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台風が心配ですが、不動尊縁日の28日には、岩瀧お参りでの岩瀧不動明王供養の後に、「岩瀧大明神」お社の基礎工事を控えての「地鎮祭」を行います。
地を改めて清めて、神代を清浄に調えることになります。
御神水、閼伽水での洒水と、大神神社・三輪山の御砂と、岩瀧で採取の御砂にて清めて、御幣とお塔婆を真ん中に立て、四隅には四天王のお塔婆を立てて、勤行・拝詞敬白となります。
併せて、基礎工事で台座の下へと鎮めて頂くものを経筒へと納めます。
舎利石、鎮め石は、岩瀧山山頂磐座小石、三間石山磐座小石、岩瀧滝行場の小石を始めとして、去年の出雲巡礼から、この度の神社各御挨拶廻り先の聖地の御砂、小石粒を納めます。
舎利石の代わりとして、ダライ・ラマ法王猊下大阿のブッダガヤで行われたカーラチャクラ・タントラ大灌頂の砂曼荼羅の御砂も少し分けて納めさせて頂きます。
カーラチャクラタントラの由来も鑑みてこのお加持力も賜れば、国体護持のためとなること間違いないでしょう。
但し、出雲はまだまだ参拝できていないところが多数にて、来月中に一泊で二十社程を一気に巡礼御挨拶廻りをさせて頂く予定です。
今回で納められなかったものは、各賜った御神符と共にお社の胴部へと納めます。
特に、大神山神社(鳥取県・大山)への参拝が間に合わなかったのですが、来月、必ず参拝できればと存じます。
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2026年06月24日
「大和(おおやまと)神社」(天理市新泉町)に参拝
「大和(おおやまと)神社」(天理市新泉町)に参拝
今回、6月23日に、奈良県へと参りまして、岩瀧大明神お社建立の参拝御挨拶廻りをさせて頂きました。
「辺津磐座」から、次に車で移動。
途中で、「慶田寺」(桜井市芝)さんに寄らせて頂いて、ご挨拶、織田家墓所にて墓前回向をさせて頂いてから、「大和(おおやまと)神社」(天理市新泉町)へと向かいました。
御祭神
・日本大国魂大神(倭大国魂神)
・八千戈大神(出雲王国・西出雲王家・大国主・八千矛王)
・御年大神(西出雲王家・五十猛命)
「日本大国魂大神(倭大国魂神)」は、日本建国の父で、大和王国建国の礎となり、初代から三代天皇の後見となった出雲王国・東出雲王家の「天日方奇日方命」のことであると考えられます。
元の宮は今よりも別にあり、何度かの遷座があったようで、当初は麓の遥拝神社として成立し、創祀においては、東側の山の山頂付近に磐座も祀られたものと考えられます。
参拝、勤行。
御朱印を頂き、御神符、御砂も頂きました。
なんと、ここに「高龗(たかおかみ)神社」があり、しかも総本社とのこと。
今回の最初に「高山神社」(高龗神)に参拝、最後に「高龗神社総本社・高龗神社」の参拝になるとは、、
妙縁にて、有り難くに高龗大神の御札も頂いたのであります。
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「大神(おおみわ)神社」の境外摂社「神坐日向神社」(桜井市三輪)へ参拝
「大神(おおみわ)神社」の境外摂社「神坐日向神社」(桜井市三輪)へ参拝
今回、6月23日に、奈良県へと参りまして、岩瀧大明神お社建立の参拝御挨拶廻りをさせて頂きました。
次に、「ダンノダイラ」から「高山神社」まで、来た道を歩いて戻り、高山神社から車で移動。
下り、対向車が来ないことを願って。
無事に麓から「大神(おおみわ)神社」(三輪明神)へ。
まずは、「天日方奇日方命」が祀られてある「神坐(みわにます)日向神社」に参拝、勤行。
元々は三輪山山頂の「高宮(こうのみや)神社」の下之社、遥拝所であったと思われ、当然に「天日方奇日方命」が大神神社の当初祭神の有力な一柱であったと推定しています。
にもかかわらず、今の境外の隅へと追いやられ、「日向」とありながら太陽にも向かず、しかもあり得ない「北向き」に鎮座されており、大変に憂慮致しております。
もちろん、参拝者の姿はなし、、あまりにも寂しい限りです。
ただ、前回気付かなかったのですが、お社の下に石が納められていました。
恐らくは三輪山山頂の磐座群から運ばれて祀られたもの(拝み石になるもの)になるのではないかと思われます。
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2026年06月09日
式内社「鴨都波神社」(下鴨社)(御所市宮前町)に参拝
式内社「鴨都波神社」(下鴨社)(御所市宮前町)に参拝
今回、6月8日に、奈良県へと参りまして、岩瀧大明神お社建立の参拝御挨拶廻りをさせて頂きました。
「葛城一言主神社」(御所市森脇)から移動し、次に、「鴨都波(かもつば)神社」(下鴨社)(御所市宮前町)に参拝いたしました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B4%A8%E9%83%BD%E6%B3%A2%E7%A5%9E%E7%A4%BE
勤行、拝詞敬白。
御祭神、積羽八重事代主命(八重波津身命)と下照姫命。
河内地方から葛城地方に移住してきた出雲族、特に天日方奇日方命が、父である八重波津身命を祀ったのが始まりで、遥拝先となる磐座が葛城山に祀られてあることが考えられます。
下照姫命は、八千矛王命と多岐都姫命の娘で、高照姫命、味耜高彦根命の兄弟姉妹になります。
西出雲王家となりますが、天日方奇日方命と共に葛城地方に移住してきた中に高照姫命がおり、下照姫命が、移住の際に亡くなられたなどの理由で祀られたのではないかと考えられます。
少し気になったのが、近くに「櫛羅」という地名があったことです。
天日方奇日方命には、弟がいたとされ、「櫛梨命」(櫛無命)と伝えられており、もしかすると本当は「櫛羅命」であった可能性もあるかもしれません。
天日方奇日方命が、現在の桜井市の三輪へと出雲族の勢力を移してからは、葛城にその弟は残ったのではないかとも考えられます。
原始の森が残り、境内の整備も行き届いていました。
授与所にて御朱印と御神符を頂きました。
しばらくして雨が降り始めたので、葛木御歳神社(中鴨社)と高鴨神社は、また次回にして帰山することにしました。
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oujyouin_blog at 14:04|Permalink
式内社「葛城一言主神社」(御所市森脇)に参拝
式内社「葛城一言主神社」(御所市森脇)に参拝
今回、6月8日に、奈良県へと参りまして、岩瀧大明神お社建立の参拝御挨拶廻りをさせて頂きました。
秉田神社の参拝を終えて、13時半になり、お腹が空いたので、コンビニでおにぎりなどを買って、車内で遅いお昼にしました。
まだ帰山までは時間があるので、次に、「葛城一言主神社」(御所市森脇)へと向かうことにしました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%91%9B%E5%9F%8E%E4%B8%80%E8%A8%80%E4%B8%BB%E7%A5%9E%E7%A4%BE
勤行、拝詞敬白。
御祭神は、一言主大神(事代主命)と雄略天皇。
河内地方から葛城地方へと移住してきた出雲族による創祀と考えられ、特に、天日方奇日方命が、父である八重波津身命と歴代の事代主命を祀ったのが始まりと思われます。もちろん、背後の葛城山には、遥拝する磐座が祀られてあると考えられます。
記紀では、一言主大神と雄略天皇とのやりとり、一言主大神と役行者とのやりとりが記されていますが、何らかのことが暗喩されてあるものと考えられます。
社務所にて、御朱印と御神符を頂きました。
参道では、農家のおじいちゃんが、お米や野菜を売っておられたので、せっかくなのでお米を買わせて頂きました。
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2026年06月02日
式内社・溝咋神社(茨木市五十鈴町)に参拝
式内社・溝咋神社(茨木市五十鈴町)に参拝
今回、5月29日に、溝咋神社と三島鴨神社に、岩瀧大明神お社建立の参拝御挨拶廻りをさせて頂きました。
式内社・溝咋神社(みぞくいじんじゃ)(下之社・玉櫛媛命)(茨木市五十鈴町)に参拝。
(上之社、媛蹈鞴五十鈴媛命・溝咋耳命・天日方奇日方命は、下之社に合祀され、現在、跡には石碑のみ)
縁起の良いことに烏三羽が迎えてくれました。
玉櫛媛命・媛蹈鞴五十鈴媛命・溝咋耳命・天日方奇日方命(・速素盞鳴尊・天児屋根命 )
開経偈・般若心経・消災呪・回向・遥拝詞・神拝詞
摂津一帯を治めた有力者、溝咋耳(みぞくいみみ)命の三島氏一族の中心地。
三島氏は、海上・水上交通の要所を押さえて水運にて栄えた一族と考えられ、摂津・河内まで広範囲にその勢力が及んでいたと推定されます。
東出雲王家(向家・富家)とは親戚関係であり、溝咋耳命の娘、玉櫛媛命が、出雲王国の事代主・八重波津身命の后となり、天日方奇日方命・媛蹈鞴五十鈴媛命(初代皇后)・五十鈴依媛命(二代皇后)をもうけています。
出雲王国で、八千矛命と八重波津身命(摂社・事代主神社に祀られている)が同時に亡くなった二王枯死事件後、玉櫛媛命が、大勢の出雲族を率いて、子どもたちと共に実家へと戻り、やがて成長した子どもたちは、摂津→河内→大和へと移住していくことになります。
河内に移住した際において、天日方奇日方命が中心となり、岩瀧山磐座、三間石山磐座、饒速日山磐座など、生駒山地に磐座群を築いて、祭祀を行ったことが考えられます。
また、溝咋神社の真東の生駒山地には、式内社・神南備(かんなび)神社(京田辺市薪甘南備山)があり、この甘南備山には、元々は三島氏・鴨氏の祖神を祀る霊畤、磐座があった可能性があります。
現在、残念ながら常駐の宮司は不在となっており、日本建国の父・零代天皇である「天日方奇日方命」、初代皇后「媛蹈鞴五十鈴媛命」と二代皇后「五十鈴依媛命」と、その母「玉櫛媛命」、祖父「溝咋耳命」を祀る神社であり、その由緒、格式は別格中の別格で、日本国、日本国民からは、もっともっと大事に護持、尊崇、崇敬されないといけない大切な神社であります。
ところが、宮司の不在、更には災害による社殿損傷の修復もままならない状態は、極めて申し訳のない仕儀でございます。
この度の岩瀧大明神お社建立御挨拶参拝の御神縁、初穂料とは別にて、改めて修復のための御寄附もさせて頂こうと存じます。
溝咋神社は、大和王朝、日本建国の礎とも言える「日本国」にとっては、極めて大切な神社。
日本建国の祖父(三島溝咋耳命)、日本建国の父(天日方奇日方命)、初代皇后の母(玉櫛姫命)、初代皇后(姫蹈鞴五十鈴姫命)が祀られている最重要の神社であります。
日本神話創作、記紀編纂による歴史の改竄により、溝咋神社の存在は矮小化されてしまったままであり、このままではこの国の「国体の護持」にとっては極めて由々しき事態であります。
しかるべくに見直しをしていかねばならないと存じます。
また、三島溝咋耳命の別名には、陶津耳(すえつみみ)命、大陶祇(おおすえつみ)命があり、大田田根子命の父として日本書紀には登場しますが、これは明らかに世代が錯誤しており、間違いであり、溝咋耳命とは別人の有力者が存在していたものと考えられます。
いずれにしても、陶津耳命は、式内社・陶荒田神社(すえあらたじんじゃ)(陶器の一大生産地であった陶邑・堺市中区)に勢力のあった一族の長であったと考えられ、名前からも、陶器、須恵器の製作、交易に関係していた一族と考えられます。
ただ、溝咋耳命と同一視されることから、三島氏・鴨氏の一族、親戚であった可能性が高く、三島氏が、水運を利用して、摂津、河内一帯の広い地域に勢力があったことが窺えます。
つまり、陶津耳命は、溝咋耳命の子弟か、近親者であったのではないかと思われるのであります。
また、大田田根子命には、上記の陶邑とは別に、河内の美努(みぬ)郷の出自説があり、拙説では、こちらの方が有力説であるとして、八尾市西高安町の式内社「賀茂神社」を大田田根子命の出生地として比定でき、大田田根子命は、三島氏よりも、天日方奇日方命から始まる鴨(賀茂)氏の一族であったのは確かであると言えるでしょう。
更に、大田田根子命は、第一次物部東征の宇摩志麻遅命ら、物部勢の大和入りに協力し、神武東征における金鵄、八咫烏のモデルは、本来はこの大田田根子命のことを表すもので、大和では弱体化していた磯城王朝とは別に、大和南東部に三輪王朝を築いて、三輪大王となり、大田田根子命の妹か、娘かにあたる姫巫女、倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめ)と共に、大和において一大勢力を持ち、大田田根子命は、桜井茶臼山古墳に、百襲姫命は、箸墓古墳に葬られたと考えられます。
また、別に、金鵄、八咫烏とされることのある賀茂建角身命(かもたけつぬみ)も、三島溝咋耳命と同一人物のように扱われることがありますが、これも時代が錯綜しており、賀茂建角身命は、大田田根子命の子弟か、あるいは親戚であり、大田田根子命と同時代か、それよりも少し後に、山城の南部にて勢力を持った賀茂氏の長であったと考えられます。
このあたりは、記紀の内容を鵜呑みとせずに、しっかりと時系列を精査していくことが重要となります。
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溝咋神社の瓦には、菊の巴蓋瓦や菊水の原型と思われる瓦も。龍の瓦も。
この菊水の原型は、やがて楠木正成公が旗印に採用する原型であった可能性もあります。
また調べたいですね。
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2026年05月19日
「神坐日向神社=高宮神社」・「天日方奇日方命=日向御子神」
「神坐日向神社=高宮神社」・「天日方奇日方命=日向御子神」
「神坐日向神社(みわにますひむかいじんじゃ)」は、元々、三輪山の山頂付近にあったと伝わっており、それが、当然に、三輪山の山頂にある「高宮神社(こうのみやじんじゃ)」祭神・日向御子神」(ひむかいみこかみ)のことであり、結局のところは、「天日方奇日方命=日向御子神」ということで、間違いがないのであります。
つまりは、記紀による祭神の強制的な改竄により、麓の遥拝社が、大神神社の外れへと移されてしまい、しかも、三輪山を拝するどころか、まさかの東西のいずれの日にも向かない、北向きとされてしまっており、現在では、経路順の案内版もなく、ひっそりと拝殿からは避けるように鎮座なさられてしまわれています・・
行き方も迷ってしまい、GPSを頼りにしてようやく辿り着けたのであります・・
これでは参拝される方も皆無で仕方がないのでしょうが、サイノカミ三大神(久那斗大神・幸ノ姫大神・猿田彦大神)と歴代の出雲王国の主王・大国主命(大物主命)と副王・事代主命(少彦名命)とともに、大神神社の主たる祭神であったことは確実であり、この現況は、極めて忌々しき事態であると考えるのであります。
いずれにしても、この度の「岩瀧大明神」において、天日方奇日方命をお祀りする意義を、尚一層に強く強く感じることとなったのであります。
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第一次「岩瀧大明神」建立・神社参拝挨拶廻り(1~7)まとめ
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今回、5月18日の参拝挨拶廻りの行程
次に、大神神社の拝殿から「神坐日向神社」(みわにますひむかいじんじゃ)に向かいます。
天日方奇日方命が祀られている大事なところになります。
途中に「成願稲荷神社」があり、参拝してから向かうも、なかなか辿り着けず...順路がない、、
迷っていると、お地蔵さんと、庚申塔、三宝荒神が祀られたところがあったので、参拝。
そして、結局、GPSを頼りにようやくに到着。
まず驚いたのが、日向とありながら、お社が日(東or西)には向いていないことです。
それより何よりも、三輪山にも向いていないのであります。とにかく、北面、北向きのお社はあまりありません。
本来は、天日方奇日方命が葬られて祀られている三輪山の山頂の磐座、「高宮神社」(こうのみやじんじゃ)への麓の遥拝所であったはずで、三輪山の方を向いて参拝できることになっていたのでしょうが、ここに記紀による祭神の改竄にて、後代に天日方奇日方命が磐座に祀られていることが分からないように仕向けられた悲しい現実を表すもので、何とも言えない気持ちになりました。しかも、よりによって北向きとは・・あまりの仕打ち・・
もちろん、人気はなく、誰も参拝される様子もありません。
正直、落胆を覚えて、申し訳ない気持ちになり、御霊の安らかなることをお祈りしました。
参拝、開経偈・般若心経・消災呪・回向・遥拝詞・神拝詞。
続く・・
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「大直禰子神社(若宮社)」岩瀧大明神・建立参拝挨拶廻り・3
今回、5月18日の参拝挨拶廻りの行程
次に、天日方奇日方命に申し訳ない気持ちを抱えながら、神坐日向神社をあとにして、午前9時から配布が始まっている参拝記念樹のところへ。
千円納めて、神樹の榊と南天の苗を頂く。
センリョウは残念ながらありませんでした。
そして、大直禰子(おおたたねこ)神社(若宮社)へ参拝。
大田田根子命が祀られたのは記紀による後付けで、元々は十一面観音様が祀られていた大御輪寺のご本堂になります。
早朝に、拙寺の奥之院の十一面観音様をお参りしてきての御縁日にお参りができたのもご縁であります。
開経偈・般若心経・大悲呪・観音経・回向・十一面観音御真言。
そして、天日方奇日方命の后である美良姫命の祀られた磐座を参拝。
天日方奇日方命と、北、南に別れて祀られていることにも申し訳なさを思い、御霊の安らかなることをお祈りしました。
こちらも、本来は拝み墓の磐座であって、美良姫命も三輪山の山頂の磐座に葬られて、祀られていると考えられるため、向きは、三輪山を拝めるように西向きでないとおかしいことになります。
これも記紀による祭神の改竄の影響なのでしょう。誠に悲しいことであります。
参拝後、開経偈・般若心経・消災呪・回向・遥拝詞・神拝詞。
続く・・
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「神坐日向神社」岩瀧大明神・建立参拝挨拶廻り・2
今回、5月18日の参拝挨拶廻りの行程
次に、大神神社の拝殿から「神坐日向神社」(みわにますひむかいじんじゃ)に向かいます。
天日方奇日方命が祀られている大事なところになります。
途中に「成願稲荷神社」があり、参拝してから向かうも、なかなか辿り着けず...順路がない、、
迷っていると、お地蔵さんと、庚申塔、三宝荒神が祀られたところがあったので、参拝。
そして、結局、GPSを頼りにようやくに到着。
まず驚いたのが、日向とありながら、お社が日(東or西)には向いていないことです。
それより何よりも、三輪山にも向いていないのであります。とにかく、北面、北向きのお社はあまりありません。
本来は、天日方奇日方命が葬られて祀られている三輪山の山頂の磐座、「高宮神社」(こうのみやじんじゃ)への麓の遥拝所であったはずで、三輪山の方を向いて参拝できることになっていたのでしょうが、ここに記紀による祭神の改竄にて、後代に天日方奇日方命が磐座に祀られていることが分からないように仕向けられた悲しい現実を表すもので、何とも言えない気持ちになりました。しかも、よりによって北向きとは・・あまりの仕打ち・・
もちろん、人気はなく、誰も参拝される様子もありません。
正直、落胆を覚えて、申し訳ない気持ちになり、御霊の安らかなることをお祈りしました。
参拝、開経偈・般若心経・消災呪・回向・遥拝詞・神拝詞。
続く・・
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2026年05月17日
8/8「岩瀧大明神」お社(外宮)建立式・開催のお知らせ
8/8「岩瀧大明神」お社(外宮)建立式・開催のお知らせ
令和8年8月8日(土)午前10時〜
往生院六萬寺・仁王門前・東側
どなたでも参加できますので、お気軽にお越し下さいませ。
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「岩瀧大明神」お社の建立についての動画でのお知らせとなります。
「岩瀧大明神(いわたきだいみょうじん)お社の建立について 久那斗大神 幸ノ姫大神 猿田彦大神 大国主命 事代主命 玉櫛姫命 天日方奇日方命 美良姫命 令和8年8月8日建立予定」第107回 新シリーズ歴史再考




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