
岩瀧大明神
2026年07月14日
「岩瀧大明神」お社建立御挨拶参拝廻り・出雲巡礼(7/7・7/8)のご報告メモ
「岩瀧大明神」お社建立御挨拶参拝廻り・出雲巡礼(7/7・7/8)のご報告メモ
今回の巡礼先一覧
初日
二日目・最終日
動画「滝行・岩瀧山・出雲巡礼への禊ぎ 岩瀧大明神 岩瀧不動明王 岩瀧山往生院六萬寺」2026年7月4日
この禊ぎによることからか、7月5日の早朝に「天日方奇日方命」と思われるお方からの夢告があり、出雲王国、東出雲王家の御供養を望んでおられる旨の御託宣で、急遽に経木塔婆(と板塔婆も)と、御三方が、2186年ぶりとなる里帰りをされたいということであるとも思われ、御三方の名前をお書きした御札もご準備させて頂きました。
出雲へは自身、二回目で、一回目は、出雲大社、熊野大社、神魂神社の三社を家族で参拝したのみで、今回は、「岩瀧大明神」お社の建立御挨拶廻りとして、二日間、参拝に廻らせて頂いた次第であります。
メモ・・
出発二日前の夢告にて、東西出雲王家の御供養のための塔婆をご用意させて頂いて、天日方奇日方命・美良姫命・玉櫛姫命の御三方のお名前の書いた御札もご用意させて頂いて、出雲帰参をお手伝いさせて頂いたこと、各神社での参拝では、この御札と共に参拝、また勤行・拝詞敬白をさせて頂きました。
当初予定していなかった神社へと複数、誘われたこと。
まだまだ発見されていない遺跡、磐座がかなりあるであろうこと。
出雲大社の背後の山の峰々が、河内側からの生駒山の峰々と重なって見えたこと。
御陵神社、立石神社の磐座の荘厳さが凄かったこと。
立石神社には、明らかな霊畤の広場も確認ができたことから、西出雲王家の埋め墓の磐座である可能性も。但し、御陵神社も、もちろんその可能性が高い磐座であると言えます。最も有力であるのは、出雲大社の背後にある「八雲山(西)」の山中が考えられますが、禁足地として、本格的な確認・調査が未だない可能性が高くあります。
御陵神社・立石神社ともに、大岩だけではなくて、周囲に後に据えられたのではないかと考えられる埋め墓石の磐座が複数、確認できます。
ちなみに、「熊野大社の元宮・奥宮の天狗山・天宮山」には、東出雲王家の埋め墓・斎場があります。
初日、美保神社が、ちょうど月次祭、七日恵比寿にあたり、「八重波津身命」の御供養をさせて頂けました。出発二日前の夢告にて、王家の供養をしてほしいとのことで、急遽に塔婆を準備して持参、神魂神社近くの王陵(出雲大神)にて東出雲王家の御供養に勤めさせて頂きました。
二日目、八日、8は出雲王国・出雲族の聖数、「八千矛王」を猪目洞窟にて御供養させて頂くこととなり、御陵神社にて西出雲王家の御供養をお勤めさせて頂きました。
出雲井社(出雲大社摂社)の背後にひっそりとあった磐座は、注連縄等がなされていなかったものの、かなり重要な磐座であると思われること。
アラハバキの龍蛇神に見立てた注連縄の巻かれた神木のある神社が幾つも見られたこと。
神木を神籬(ひもろぎ)として御幣が立てられてある神社も多くあったこと。
御神水お水取り
熊野大社
須我神社の奥宮・磐座への禊ぎ場(神泉水)
清め御砂取り
稲佐の浜・弁天島
出雲大社・素鵞社
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2日間で39巡礼
大山寺
大神山神社・奥宮
美保神社
佐太神社
能義神社
都弁志呂神社
揖夜神社
須多神社
八重垣神社
神魂神社
出雲大神(東出雲王家王陵)
眞名井神社
六所神社
熊野大社
須我神社
須我神社奥宮磐座
塩冶神社
曽枳能夜神社
御井神社
女夫岩遺跡
佐為神社
石宮神社
来待神社
玉作湯神社
一人女神社
大森神社(大森大明神)
埼田神社
立石神社
猪目洞窟
大穴持伊奈西波岐神社(出雲大社摂社)
御陵神社
日御碕神社
稲佐の浜・弁天島
出雲大社
御歳社(出雲大社摂社)
神魂伊能知奴志神社(命主社)(出雲大社摂社)
出雲井社(出雲大社摂社)
朝山八幡宮
智伊神社
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2日目の出雲巡礼、一番驚いたのは、当初、全く参拝の予定になかったところに、数か所も誘導されました。
ナビは確かに設定した行き先を示してルートを取るものの、途中、何度も変なルート、一車線の狭い道や、山道などに変わり、その度に別の思わぬ神社の鳥居に、ハッと出遭うことに。
まるで、ここをお参りしてほしいと言わんばかりにて、降りない訳にはいかなくなり、天日方奇日方命、美良姫命、玉櫛姫命の御三方(お札を常時携帯しての各参拝、勤行、拝詞)には久しぶり?(2186年ぶり?)の里帰りだけに、所縁の地を懐かしく巡られたかったのではないかと。。
やがて、更には、何故か、わざわざ細い道の日本海際の海岸線のルートを取られ、エッ!猪目洞窟の標識が、、
ここは八千矛王(大国主命・主王)が枯死なさられたところでは、、
今回は参拝のところとしていなかったのですが、もちろん、急遽に、狭い道ながら車を無理に寄せに寄せて停めて、洞窟へと降り、御供養を申し上げました。
また、報告、画像、動画を随時、このブログに整理してアップしますが、とにかく不思議なことは最後にも。
西出雲からの帰りの山陰自動車道が、故障車のため直前で一部通行止めに。
東出雲で下ろされて、安来までの20キロ以上、下道を走ることに、、
御三方とも、最後の最後まで故郷を去るのを名残惜しまれたのでしょう。
国、人は代わっても、山河は変わらず。今日はずっと窓を開けて走らせて頂きました。
初日は、全く事前には知らなかったのですが、大神山神社の次に向かった美保神社では、7日恵比寿の月次祭があり、神楽奉納を見れ、出雲に入っての最初で八重波津身命(事代主命・副王)の供養をさせて頂くことに。もちろん、玉櫛姫命の夫で、天日方奇日方命の父であります。
事前に急遽、塔婆をご用意させて頂くこととなった東出雲王家の供養は、神魂神社近くの王陵(拝み墓の磐座)にて、西出雲王家の供養は、御陵神社において勤めさせて頂きました。
ただ、西出雲王家の王陵(埋め墓の磐座)は、もしかしたら立石神社ではないかとも、それぐらいに立石神社は色々な意味で圧巻でありました(勤行、拝詞敬白は勤めております)。
とにかく一つ一つをしっかりとまとめたいと存じます。
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予定していたものの、残念ながら廻れなかったところ・・
長浜神社
朝山神社
須佐神社
多伎神社
佐毘売山神社
五十猛神社
八千矛山大国主神社
後から廻っておければと思ったところ・・
万九千神社
菅原天満宮
持田神社
大岩(雲南市加茂)
富神社
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令和8年6月28日「岩瀧大明神」お社建立・「地鎮祭」
動画「岩瀧大明神・岩瀧山磐座遥拝石社建立・奉鎮祭」(令和8年6月28日)
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2026年06月27日
「岩瀧大明神」お社建立・「地鎮祭」準備・2
「岩瀧大明神」お社建立・「地鎮祭」準備・2
台風が去って雨が止んだので、青竹立てと注連縄張りもしておきました。紙垂は明日に挟み込みます。
中央の神代は、大神神社の神樹の榊と大神神社の御幣、本堂の神鏡を立てます。
経筒へは鎮め物を納めました。
和紙に書いて納めたもののコピー
最近は塔婆書きばかりにて、和紙や奉書に書くのがかなり下手になりました・・
300年後とかに地鎮物を見た方に、こいつ字下手だなと思われてしまうかも。。
経筒の鎮め物には、各聖地の小石、土砂を「みわ山」の袋にまとめて入れて納め、カーラチャクラ砂曼荼羅の御砂は別瓶にして納めました。
法王猊下お加持の砂曼荼羅の御砂は、清水さんからダライ・ラマ法王猊下の日本でのカーラチャクラタントラ灌頂の実現へと向けて賜ったものの、時勢下と法王猊下のご高齢もあり、もはや可能性はほぼゼロになってしまいました。
しかし、何らかカーラチャクラタントラの加持力を活かせるように致さねばと考えており、今回、少し使わせて頂くことにしました。
あと、まだ余裕があるところに、大き目の聖地小石いくつかと守護札を納めて蓋をしました。般若札は毎年に胴部に納めることにします。
経筒の蓋は密封せず、僅かでも気の出入りがあることが大事になります。
建立式は8/8ながら、実は、地鎮祭の方が重要で、特に鎮め物は、工事が終われば、二度と納められないものになります。(往生院稲荷大明神社は納められるようにしてありますが、今回はそのようにはしていません。)
まだ、熊野大社、出雲大社、神魂神社以外の多くの出雲の神社に御挨拶参拝廻りができていませんが、来月には、2日間で廻らせて頂く予定にしています。
とにかく一つ一つです。
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台風が心配ですが、不動尊縁日の28日には、岩瀧お参りでの岩瀧不動明王供養の後に、「岩瀧大明神」お社の基礎工事を控えての「地鎮祭」を行います。
地を改めて清めて、神代を清浄に調えることになります。
御神水、閼伽水での洒水と、大神神社・三輪山の御砂と、岩瀧で採取の御砂にて清めて、御幣とお塔婆を真ん中に立て、四隅には四天王のお塔婆を立てて、勤行・拝詞敬白となります。
併せて、基礎工事で台座の下へと鎮めて頂くものを経筒へと納めます。
舎利石、鎮め石は、岩瀧山山頂磐座小石、三間石山磐座小石、岩瀧滝行場の小石を始めとして、去年の出雲巡礼から、この度の神社各御挨拶廻り先の聖地の御砂、小石粒を納めます。
舎利石の代わりとして、ダライ・ラマ法王猊下大阿のブッダガヤで行われたカーラチャクラ・タントラ大灌頂の砂曼荼羅の御砂も少し分けて納めさせて頂きます。
カーラチャクラタントラの由来も鑑みてこのお加持力も賜れば、国体護持のためとなること間違いないでしょう。
但し、出雲はまだまだ参拝できていないところが多数にて、来月中に一泊で二十社程を一気に巡礼御挨拶廻りをさせて頂く予定です。
今回で納められなかったものは、各賜った御神符と共にお社の胴部へと納めます。
特に、大神山神社(鳥取県・大山)への参拝が間に合わなかったのですが、来月、必ず参拝できればと存じます。
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2026年06月26日
「若楠」原稿・第8回目「神功皇后と河内国・河内郡・桜井郷との関係について」入稿
次号の「若楠」へと向けて、第7回に続けて、シリーズ、第8回目「神功皇后と河内国・河内郡・桜井郷との関係について」を前倒しで入稿させて頂きました。
本当は、あと一年、原稿を温める予定でしたが、、
この7、8回で一応、シリーズは最終になります。
10月の発行になりますが、先取りして「桜井八幡宮」のお社建立に向けても、急いで説明案内を作成し、入稿に間に合いました。
一連の調査研究の成果は、しかるべくの供養、慰霊へと繋げることができるのが、本当に有り難いことであります。
更には、「西ノ山古墳」についての更なる解明や、「三種の神器ダイヤモンド結界」に関する解明、または、「嶋垂根命」の古墳もほぼ特定ができており、そこにはもしかすると竪穴式石室がまだ現存している可能性もあるなど、引き続きに取り組みは山積していますが、シリーズにおける一つの成果を見れたことは良かったと存じます。
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「岩瀧大明神」お社建立・「地鎮祭」準備
台風が心配ですが、不動尊縁日の28日には、岩瀧お参りでの岩瀧不動明王供養の後に、「岩瀧大明神」お社の基礎工事を控えての「地鎮祭」を行います。
地を改めて清めて、神代を清浄に調えることになります。
御神水、閼伽水での洒水と、大神神社・三輪山の御砂と、岩瀧で採取の御砂にて清めて、御幣とお塔婆を真ん中に立て、四隅には四天王のお塔婆を立てて、勤行・拝詞敬白となります。
併せて、基礎工事で台座の下へと鎮めて頂くものを経筒へと納めます。
舎利石、鎮め石は、岩瀧山山頂磐座小石、三間石山磐座小石、岩瀧滝行場の小石を始めとして、去年の出雲巡礼から、この度の神社各御挨拶廻り先の聖地の御砂、小石粒を納めます。
舎利石の代わりとして、ダライ・ラマ法王猊下大阿のブッダガヤで行われたカーラチャクラ・タントラ大灌頂の砂曼荼羅の御砂も少し分けて納めさせて頂きます。
カーラチャクラタントラの由来も鑑みてこのお加持力も賜れば、国体護持のためとなること間違いないでしょう。
但し、出雲はまだまだ参拝できていないところが多数にて、来月中に一泊で二十社程を一気に巡礼御挨拶廻りをさせて頂く予定です。
今回で納められなかったものは、各賜った御神符と共にお社の胴部へと納めます。
特に、大神山神社(鳥取県・大山)への参拝が間に合わなかったのですが、来月、必ず参拝できればと存じます。
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「岩瀧大明神」お社建立・「地鎮祭」準備
「岩瀧大明神」お社建立・「地鎮祭」準備
台風が心配ですが、不動尊縁日の28日には、岩瀧お参りでの岩瀧不動明王供養の後に、「岩瀧大明神」お社の基礎工事を控えての「地鎮祭」を行います。
地を改めて清めて、神代を清浄に調えることになります。
御神水、閼伽水での洒水と、大神神社・三輪山の御砂と、岩瀧で採取の御砂にて清めて、御幣とお塔婆を真ん中に立て、四隅には四天王のお塔婆を立てて、勤行・拝詞敬白となります。
併せて、基礎工事で台座の下へと鎮めて頂くものを経筒へと納めます。
舎利石、鎮め石は、岩瀧山山頂磐座小石、三間石山磐座小石、岩瀧滝行場の小石を始めとして、去年の出雲巡礼から、この度の神社各御挨拶廻り先の聖地の御砂、小石粒を納めます。
舎利石の代わりとして、ダライ・ラマ法王猊下大阿のブッダガヤで行われたカーラチャクラ・タントラ大灌頂の砂曼荼羅の御砂も少し分けて納めさせて頂きます。
カーラチャクラタントラの由来も鑑みてこのお加持力も賜れば、国体護持のためとなること間違いないでしょう。
但し、出雲はまだまだ参拝できていないところが多数にて、来月中に一泊で二十社程を一気に巡礼御挨拶廻りをさせて頂く予定です。
今回で納められなかったものは、各賜った御神符と共にお社の胴部へと納めます。
特に、大神山神社(鳥取県・大山)への参拝が間に合わなかったのですが、来月、必ず参拝できればと存じます。
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2026年06月11日
「西ノ山古墳」(大阪府八尾市楽音寺)宇佐王朝最後の天皇「隼別天皇」の陵墓推定
最近は、岩瀧大明神お社建立へ向けたことが中心となってしまっていますが、もちろん、「西ノ山古墳」のことも気に掛けています。
本日は、手を合わせに行って参りました。
大光寺の瓦片、鳥居もそのまま夏草に埋もれたままに。
西ノ山古墳は、宇佐王朝最後の天皇「隼別天皇」の陵墓で、墳丘長400メートル超(日本3番目クラス)と推定しており、未調査陪塚(現在の花岡山)と併せて、行政に調査を依頼していますが、いまだ何も始まらないままで、誠に残念に思っております。
前方部の地主さんには、立ち入りの許可を頂いており、今秋には調査再開を考えています。
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2026年06月09日
式内社「葛城一言主神社」(御所市森脇)に参拝
式内社「葛城一言主神社」(御所市森脇)に参拝
今回、6月8日に、奈良県へと参りまして、岩瀧大明神お社建立の参拝御挨拶廻りをさせて頂きました。
秉田神社の参拝を終えて、13時半になり、お腹が空いたので、コンビニでおにぎりなどを買って、車内で遅いお昼にしました。
まだ帰山までは時間があるので、次に、「葛城一言主神社」(御所市森脇)へと向かうことにしました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%91%9B%E5%9F%8E%E4%B8%80%E8%A8%80%E4%B8%BB%E7%A5%9E%E7%A4%BE
勤行、拝詞敬白。
御祭神は、一言主大神(事代主命)と雄略天皇。
河内地方から葛城地方へと移住してきた出雲族による創祀と考えられ、特に、天日方奇日方命が、父である八重波津身命と歴代の事代主命を祀ったのが始まりと思われます。もちろん、背後の葛城山には、遥拝する磐座が祀られてあると考えられます。
記紀では、一言主大神と雄略天皇とのやりとり、一言主大神と役行者とのやりとりが記されていますが、何らかのことが暗喩されてあるものと考えられます。
社務所にて、御朱印と御神符を頂きました。
参道では、農家のおじいちゃんが、お米や野菜を売っておられたので、せっかくなのでお米を買わせて頂きました。
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2026年06月02日
式内社論社・三島鴨神社(高槻市三島江)に参拝
式内社論社・三島鴨神社(高槻市三島江)に参拝
今回、5月29日に、溝咋神社と三島鴨神社に、岩瀧大明神お社建立の参拝御挨拶廻りをさせて頂きました。
式内社論社・三島鴨神社(みしまかもじんじゃ)(高槻市三島江)に参拝。
大山祇神 (おおやまづみのかみ)・事代主神(八重波津身命)
開経偈・般若心経・消災呪・回向・遥拝詞・神拝詞
伝えられているよりも由来は古く、社名のとおりに、三島溝咋耳命の一族(三島・三嶋氏)と天日方奇日方命と姉妹の出雲一族(鴨・賀茂氏)の祖神・先祖を祀ったことが、その創祀であると考えられます。
溝咋神社と同様に、真東の生駒山地には、式内社・神南備(かんなび)神社(京田辺市薪甘南備山)があり、この甘南備山に、元々は三島氏・鴨氏の祖神を祀る霊畤、磐座があった可能性が高くあります。
大山祇神(大山津見神・大山積神)は、久那斗(くなと)大神と考えられるため、三島氏も元々は出雲族が出自であった可能性があり、出雲王家とは友好な親戚関係であったと思われます。
注連縄の由来として、出雲王国のことと共に、竜蛇神・アラハバキ信仰のことについても言及されていました。
向かって右から
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oujyouin_blog at 12:12|Permalink
式内社・溝咋神社(茨木市五十鈴町)に参拝
式内社・溝咋神社(茨木市五十鈴町)に参拝
今回、5月29日に、溝咋神社と三島鴨神社に、岩瀧大明神お社建立の参拝御挨拶廻りをさせて頂きました。
式内社・溝咋神社(みぞくいじんじゃ)(下之社・玉櫛媛命)(茨木市五十鈴町)に参拝。
(上之社、媛蹈鞴五十鈴媛命・溝咋耳命・天日方奇日方命は、下之社に合祀され、現在、跡には石碑のみ)
縁起の良いことに烏三羽が迎えてくれました。
玉櫛媛命・媛蹈鞴五十鈴媛命・溝咋耳命・天日方奇日方命(・速素盞鳴尊・天児屋根命 )
開経偈・般若心経・消災呪・回向・遥拝詞・神拝詞
摂津一帯を治めた有力者、溝咋耳(みぞくいみみ)命の三島氏一族の中心地。
三島氏は、海上・水上交通の要所を押さえて水運にて栄えた一族と考えられ、摂津・河内まで広範囲にその勢力が及んでいたと推定されます。
東出雲王家(向家・富家)とは親戚関係であり、溝咋耳命の娘、玉櫛媛命が、出雲王国の事代主・八重波津身命の后となり、天日方奇日方命・媛蹈鞴五十鈴媛命(初代皇后)・五十鈴依媛命(二代皇后)をもうけています。
出雲王国で、八千矛命と八重波津身命(摂社・事代主神社に祀られている)が同時に亡くなった二王枯死事件後、玉櫛媛命が、大勢の出雲族を率いて、子どもたちと共に実家へと戻り、やがて成長した子どもたちは、摂津→河内→大和へと移住していくことになります。
河内に移住した際において、天日方奇日方命が中心となり、岩瀧山磐座、三間石山磐座、饒速日山磐座など、生駒山地に磐座群を築いて、祭祀を行ったことが考えられます。
また、溝咋神社の真東の生駒山地には、式内社・神南備(かんなび)神社(京田辺市薪甘南備山)があり、この甘南備山には、元々は三島氏・鴨氏の祖神を祀る霊畤、磐座があった可能性があります。
現在、残念ながら常駐の宮司は不在となっており、日本建国の父・零代天皇である「天日方奇日方命」、初代皇后「媛蹈鞴五十鈴媛命」と二代皇后「五十鈴依媛命」と、その母「玉櫛媛命」、祖父「溝咋耳命」を祀る神社であり、その由緒、格式は別格中の別格で、日本国、日本国民からは、もっともっと大事に護持、尊崇、崇敬されないといけない大切な神社であります。
ところが、宮司の不在、更には災害による社殿損傷の修復もままならない状態は、極めて申し訳のない仕儀でございます。
この度の岩瀧大明神お社建立御挨拶参拝の御神縁、初穂料とは別にて、改めて修復のための御寄附もさせて頂こうと存じます。
溝咋神社は、大和王朝、日本建国の礎とも言える「日本国」にとっては、極めて大切な神社。
日本建国の祖父(三島溝咋耳命)、日本建国の父(天日方奇日方命)、初代皇后の母(玉櫛姫命)、初代皇后(姫蹈鞴五十鈴姫命)が祀られている最重要の神社であります。
日本神話創作、記紀編纂による歴史の改竄により、溝咋神社の存在は矮小化されてしまったままであり、このままではこの国の「国体の護持」にとっては極めて由々しき事態であります。
しかるべくに見直しをしていかねばならないと存じます。
また、三島溝咋耳命の別名には、陶津耳(すえつみみ)命、大陶祇(おおすえつみ)命があり、大田田根子命の父として日本書紀には登場しますが、これは明らかに世代が錯誤しており、間違いであり、溝咋耳命とは別人の有力者が存在していたものと考えられます。
いずれにしても、陶津耳命は、式内社・陶荒田神社(すえあらたじんじゃ)(陶器の一大生産地であった陶邑・堺市中区)に勢力のあった一族の長であったと考えられ、名前からも、陶器、須恵器の製作、交易に関係していた一族と考えられます。
ただ、溝咋耳命と同一視されることから、三島氏・鴨氏の一族、親戚であった可能性が高く、三島氏が、水運を利用して、摂津、河内一帯の広い地域に勢力があったことが窺えます。
つまり、陶津耳命は、溝咋耳命の子弟か、近親者であったのではないかと思われるのであります。
また、大田田根子命には、上記の陶邑とは別に、河内の美努(みぬ)郷の出自説があり、拙説では、こちらの方が有力説であるとして、八尾市西高安町の式内社「賀茂神社」を大田田根子命の出生地として比定でき、大田田根子命は、三島氏よりも、天日方奇日方命から始まる鴨(賀茂)氏の一族であったのは確かであると言えるでしょう。
更に、大田田根子命は、第一次物部東征の宇摩志麻遅命ら、物部勢の大和入りに協力し、神武東征における金鵄、八咫烏のモデルは、本来はこの大田田根子命のことを表すもので、大和では弱体化していた磯城王朝とは別に、大和南東部に三輪王朝を築いて、三輪大王となり、大田田根子命の妹か、娘かにあたる姫巫女、倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめ)と共に、大和において一大勢力を持ち、大田田根子命は、桜井茶臼山古墳に、百襲姫命は、箸墓古墳に葬られたと考えられます。
また、別に、金鵄、八咫烏とされることのある賀茂建角身命(かもたけつぬみ)も、三島溝咋耳命と同一人物のように扱われることがありますが、これも時代が錯綜しており、賀茂建角身命は、大田田根子命の子弟か、あるいは親戚であり、大田田根子命と同時代か、それよりも少し後に、山城の南部にて勢力を持った賀茂氏の長であったと考えられます。
このあたりは、記紀の内容を鵜呑みとせずに、しっかりと時系列を精査していくことが重要となります。
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溝咋神社の瓦には、菊の巴蓋瓦や菊水の原型と思われる瓦も。龍の瓦も。
この菊水の原型は、やがて楠木正成公が旗印に採用する原型であった可能性もあります。
また調べたいですね。
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2026年05月17日
8/8「岩瀧大明神」お社(外宮)建立式・開催のお知らせ
8/8「岩瀧大明神」お社(外宮)建立式・開催のお知らせ
令和8年8月8日(土)午前10時〜
往生院六萬寺・仁王門前・東側
どなたでも参加できますので、お気軽にお越し下さいませ。
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「岩瀧大明神」お社の建立についての動画でのお知らせとなります。
「岩瀧大明神(いわたきだいみょうじん)お社の建立について 久那斗大神 幸ノ姫大神 猿田彦大神 大国主命 事代主命 玉櫛姫命 天日方奇日方命 美良姫命 令和8年8月8日建立予定」第107回 新シリーズ歴史再考




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2026年05月13日
「岩瀧大明神」お社の建立へ向けて
「岩瀧大明神」お社の建立へ向け、色々と具体的に進めております。
(予定)
看板も作成依頼済み、石碑「岩瀧大明神」の文字は、少し時間を掛けて揮毫させて頂いたものを彫って頂く予定にしています。
建立へと向けた各神社挨拶回り参拝も準備を調えています。
御神符、御砂を賜りに参ります。
まずは大神神社、各摂社、三輪山登拝を予定しています。
三輪山の登拝に向けて、御神水入れ
いつものような岩瀧山閼伽水の空ペットボトル入れを使っていては、やはり失礼になると新調しました。今後の御神水、閼伽水専用。
昨年に頂いてきた神樹の榊は、ここまで成長してくれました。
新しいお社のそばに植樹をしようと思いますが、また磐座への植樹のために、榊か、南天か、センリョウかが、参拝した際に置いてあれば、ご購入させて頂く予定です。
oujyouin_blog at 08:03|Permalink













































































































































