岩瀧山
2026年02月01日
法話動画・「御霊(ごりょう)信仰の根源についての考察」
「御霊(ごりょう)信仰」の源流について考えていくと、意外にも、古代出雲王国・出雲族のサイノカミ信仰と、神道、仏教との共通点を見出していくことができ、法話と歴史再考、両方としての動画をアップいたしました。
非常に面白い発見なのではないかと思います。
ガネーシャ神→久那斗大神(サイノカミ三大神)→三宝荒神・聖天・歓喜天
聖天信仰が、役行者によって始まるわけですが、ガネーシャ神・サイノカミ三大神・三宝荒神=歓喜天として、強力な守護、加護を賜るためであると言えます。
改めて、役行者(賀茂・忌部氏)が、出雲神道と密教に精通していたことが窺えます。
岩瀧山の修験行場を開かれた役行者。
岩瀧山の山頂石組みには、出雲のサイノカミ三大神が祀られていたことも、当然にご存知だったのでしょう。やがて、往生院は葛城修験の宿の一つになり、岩瀧山が修験行者の聖地になったのも頷けることであります。
「御霊(ごりょう)信仰の根源についての考察 ガネーシャ神 サイノカミ信仰 三宝荒神 歓喜天 聖天信仰 護法善神」第79回 仏教ミニ法話 第94回 歴史再考
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2026年01月19日
岩瀧山磐座 久那斗大神・幸姫大神・猿田彦大神とそれぞれの遥拝対象神社(上下)の確定
1月18日に岩瀧山磐座へと拝登、勤行へと行って参りまして、その様子はYouTubeの方にアップさせて頂いております。
この動画の最後の方にある岩瀧山の山頂から100メートル南、50メートル西へ少し降ったところにも磐座がありました。
特に気になったのが、この皿状の穴で、明らかに人為的に彫られてあり、お供えするものが意識されてあると考えられるのであります。
周囲は祭祀を行うスペースも十分にあり、間違いなく磐座であると言え、この直下にある白鬚神社(現在の堂之宮・権現宮)から考えますと「猿田彦大神」が祀られていることが考えられます。
ここから、岩瀧山磐座を再考察すると、下記のような関係にあるのではないかと思われます。
往生院の旧金堂跡からの往生院道(廃道)は、古くから女人大峰と呼ばれていた修験道の修行場(鬼奥駈)であったこと、神功皇后の大嘗祭が行われた(鬼面岩)と考えられること(真西には、八幡神社の下社(字・八幡)と神功皇后が鏡を奉納した若江鏡神社があります)から、女神が意識されていたと考えられる鬼奥駈・鬼面岩が、幸姫大神が祀られていたのではないかと推定できます。
そして、真ん中が久那斗大神ということになるというわけです。
ここから、岩瀧山磐座とサイノカミ三大神と神社を対応させると、まさにこのようになり、八幡神社の上下、桜井神社の上下もこれで位置がほぼ確実なところが分かることになります。
更には白髭神社の下之社の位置も想定できることになります。
半堂池のすぐ南。半堂池ができた時に無くなった可能性もあります。
現在の梶無神社には、十二社権現社も合祀されていることから、ここに十二社権現社の下之社があった可能性がかなり高く、半堂池ができた際に梶無神社へと合祀されたのでしょう。
これでかなりの解明が一気に進んだことになります。
・・
岩瀧山の磐座へと拝登、勤行に行って参りました。
その様子をYouTube動画にてアップしています。
「岩瀧山磐座霊畤 拝登勤行 古代祭祀遺跡 サイノカミ三大神 久那斗大神 幸姫大神 猿田彦大神 大国主命 事代主命 女人大峰 修験道 神功皇后 大嘗祭」第85回 新シリーズ歴史再考 2026年1月18日
「岩瀧山・鬼ノ城山の磐座群 古代祭祀遺跡 鬼面岩 鬼石臼 鬼奥駈 女人大峰 修験道 神功皇后 大嘗祭」第84回 新シリーズ歴史再考 2026年1月18日
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岩瀧山の磐座へ拝登勤行
往生院六萬寺の古代の歴史(桜井寺・桜井神社・八幡神社・六萬寺)を知る上での鍵となる岩瀧山の磐座へと拝登、勤行に行って参りました。
その様子をYouTube動画にてアップしています。
「岩瀧山磐座霊畤 拝登勤行 古代祭祀遺跡 サイノカミ三大神 久那斗大神 幸姫大神 猿田彦大神 大国主命 事代主命 女人大峰 修験道 神功皇后 大嘗祭」第85回 新シリーズ歴史再考 2026年1月18日
「岩瀧山・鬼ノ城山の磐座群 古代祭祀遺跡 鬼面岩 鬼石臼 鬼奥駈 女人大峰 修験道 神功皇后 大嘗祭」第84回 新シリーズ歴史再考 2026年1月18日
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2025年11月25日
往生院六萬寺の歴史・古代史の解明へ向けて
往生院の前身寺院、六萬寺の歴史とともに、古代にあった桜井寺、桜井神社も含めて、更には、河内郡桜井郷の豪族であった桜井田部連氏のこと、西ノ山古墳のことなどにつきましても解明へ向けての大きな前進がありました。
大賀世(おおがせ)神社と方守(ほうまもり)神社
大賀世神社
大賀世(おおがせ)神社(東大阪市横小路町)は、元々は、龍田大社(生駒郡三郷町)よりも創祀が古く、サイノカミ三大神を祀る神社と考えられます。
方守(ほうまもり)神社は、今は大賀世神社の境外社になるものの、古来から猿田彦大神も明確に祀られていたことが分かり、大賀世神社がサイノカミ三大神を祀る神社であったことの一つの決め手になります。
方守神社
また、龍田大社を詳しく調べていくと、境外末社に「神奈備(かんなび)神社」(天満宮)があるように、龍田大社は、「三室山」(みむろやま)にサイノカミ三大神を祀っていた神社であり、郷戸家・八千矛王の娘、下照姫命も祀られている(祖霊社として実際は下照姫命の父である大国主命・八千矛王が祀られている)ことから、河内から大和に入った西出雲王国、郷戸家の出雲族により、葛城地方の各神社よりも早い時期に「大賀世神社」、そして、十三峠から大和入りしての「龍田大社」が創祀されたものと考えられます。
また、龍田大社の本命の磐座は、高尾山の磐座である可能性もあります。
現在の鐸比古鐸比賣神社の奥宮があるところになりますが、もちろん、銅鐸祭祀は出雲王国の文化であり、祭神が代えられてしまっているわけですが、間違いなく元はサイノカミ信仰の磐座であったと考えられます。
高尾山
https://maps.app.goo.gl/qhyCuRFChy9QtYpU8?g_st=ipc
参照 Googleマップ
大賀世神社の社歴では、龍田大社から祭神を勧請したとありますが、これは正確ではなく、龍田大社よりも先の創祀で、桜井神社や堂之宮・権現宮(白鬚神社・猿田彦大神)にサイノカミ三大神、大国主命らが祀られたのと、ほぼ同時期の創祀と言えるでしょう。
先に、出雲族の河内への移動時にサイノカミ三大神を祀る岩瀧山磐座を遥拝するために大賀世神社が創祀され、古墳時代後期に古墳造営があった後に、いつの時代にか荒廃したものの、再建される際には古墳の墳丘に龍田大社から祭神を勧請して社殿を建立し、現在に至っているというのが正解になるのでしょう。
これまで何回も参拝していたものの、現在の案内碑の社歴から、あまり重視せずにいましたが、いやいや、真東の岩瀧山磐座を遥拝するためのサイノカミ信仰の神社で間違いなく、「日本国二之宮」と言えることになります。
また、方守神社の辺りのところからは、岩瀧山の背後にある三間石山を臨むことができることになります。
下の画像の奥の高まりのあるところが三間石山となります。岩瀧山(360メートル)より三間石山の方が標高が100メートルほど高く454メートルあります。
三間石山については、原田修先生のサイトに詳しい解説があります。
(方守神社から南へ100メートルほどのところに賀茂神社跡(八尾市西高安町)があり、ここからも三間石山が遥拝できることになります。つまり、賀茂神社も当然にサイノカミ三大神を遥拝する神社であったことが、これではっきりすることになります。)
三間石山遥拝ライン
やはり、三間石山も岩瀧山磐座も、樹木がなければ、磐座を今でも拝めるわけです。意図して、この位置に、人工的、人為的に造られたのであります。
(春秋分の日に太陽が昇ってくるところであり、春秋分の日は、出雲王国における大祭の日となります。)
三間石山は、間違いなく出雲国の八雲山に次ぐ、極めて重要なサイノカミ三大神を祀る磐座であることが、これで更によりはっきりと分かることになりました。
そして、この大賀世神社の古墳に眠る者は、桜井田部連(さくらいたべのむらじ)氏の河内郡桜井郷における最後の方の有力者であり、やはり桜井田部連氏の出自は出雲王国であったことが、これで確実となるのでもあります。
桜井田部連垂根(たりね)が、河内郡桜井郷を支配していた頃に、神功皇后が三韓征討から帰国して、生駒山で大嘗祭(天皇への即位式)を行う際、神功皇后は長らく桜井郷に留まり、この時から桜井田部連氏が、神功天皇に従うことになり、垂根の長男・男鉏(おさひ)が、そのまま大和へと同行し、神功天皇と応神天皇の近臣として仕え、そして、応神天皇の妃の一人には垂根の娘である糸姫(糸井姫)がなるのであります。
ちなみに、桜井神社の下社のあった字・桜井の隣には、字・八幡、八幡神社があり、こちらも現在、梶無神社の摂社となっています。創祀はもちろん、神功天皇・応神天皇に由来することになります。
応神天皇は、豊国(宇佐国)の豊玉姫(卑弥呼・天照大神)と崇神天皇の子・豊来入彦命の子孫、竹葉瀬君(たかはせのきみ)で、神功天皇が養子に迎えたのであります。
この糸姫(糸井姫)と応神天皇との皇子が隼別天皇であり、つまり、隼別天皇は、西出雲王家の血筋と宇佐王家の血筋であったことも、これで確実となるのであります。
(奈良県磯城郡川西町にある「島の山古墳」は、後円部に桜井田部連男鉏、前方部には糸姫(糸井姫)が埋葬されていたと考えられます。父の垂根の古墳は、桜井郷にあるとして、ある程度推定できており、そこには桜井神社の元宮・奥宮があったと考えています。この場所もある程度、推定ができています。)
島の山古墳
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B3%B6%E3%81%AE%E5%B1%B1%E5%8F%A4%E5%A2%B3
しかし、武内宿禰大田根の子孫で、東出雲王家の血筋でもある巨勢臣小柄の子・星川建彦、つまり、仁徳天皇のクーデターによって、宇佐王朝は終わりを迎えることになります。
仁徳天皇の后で、隼別天皇の異母兄妹、磯城王家の分家、和邇家の八田(やた)皇后が、糸姫(糸井姫)実家の桜井郷の地に西ノ山古墳を造営し、隼別天皇を改葬したのは、出雲王家と宇佐王家の天皇である隼別天皇への最大限の敬意と慰霊からでもあったのでしょう。
八田皇后は、同じくクーデターにて敗死した実の兄である宇治天皇も同様に、和邇家の実家の地において、ヒシアゲ古墳へと改葬して慰霊しています。
ヒシアゲ古墳
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%82%B7%E3%82%A2%E3%82%B2%E5%8F%A4%E5%A2%B3
西ノ山古墳についても、いよいよますます核心に近づくことになってきました。
大賀世神社
方守神社
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2025年10月07日
河内ふるさと文化誌「若楠(わかくす)」88号(記念号)発行
購読会員は1年2000円で、年2回、新しい若楠が届くことになります。
支援、協力を頂ける賛助会員・協賛会員も募集しています。
次回(来年4月)は後編となります。
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また、次次回(来年10月)から、「西ノ山古墳と三種の神器ダイヤモンド結界」の研究考察シリーズへと入りたいと考えています。
その初回は、「岩瀧山の磐座霊畤について」を予定しています。
このシリーズは文量からも分けて5回以上は確実で、2029年4月までかかるかもしれません。
隼別(桜井)天皇の即位と西ノ山古墳陵墓の証明も含めて、2030年までには決着をつけたいですね。
もちろん、神功皇后の岩瀧山での大嘗祭による天皇即位の証明も。
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あとは、奈良帝塚山古墳(奈良市学園中)の孝元天皇陵墓証明、桜井宗像古墳(桜井市外山)の古墳証明、築山古墳(大和高田市)の宇摩志麻遅命墳墓証明も関連して論考していければと考えています。
更には、桜井茶臼山古墳の大田田根子命墳墓証明、ダンノダイラ磐座の天日方奇日方命の磐座証明もできれば。富雄丸山古墳造出被葬者、細姫命証明も。
これらがひと段落したら、後南朝小倉宮家・高仁天皇の即位証明に取り掛かりたいと考えています。
江戸時代に再興された往生院の開基となった松平信平も、後水尾天皇から高仁天皇への譲位に何らか絡んでいたのは確実ではないかと見ています。
南帝擁立。紀州藩松平家、尾張藩松平家も高仁天皇の後見にあったのであります。
これに対して、家光は、譲位の橋渡し役であった美作藩主・森忠政を暗殺し、30万もの兵を動員、上洛して明正天皇即位を強行しています。
これらの論考、若楠で発表していけば、2035年ぐらいまで掛かってしまうことになるでしょうか・・
とにかく次の号の原稿は既に書き終わっているので、明日にはメールで入稿して、新しい原稿に早速に取り掛かりたいと思います。
往生院六萬寺
http://oujyouin.com/
日々の考察・・先行メモ書き程度のものです
https://ameblo.jp/iwatakiiwakurareiji/
往生院六萬寺
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日々の考察・・先行メモ書き程度のものです
https://ameblo.jp/iwatakiiwakurareiji/
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2025年06月18日
岩瀧山 往生院六萬寺 の飛鳥時代~現在までの歴史の看板を新調しました
現在、岩瀧山の磐座、霊畤(神功皇后の大嘗祭)とともに、六萬寺の解明もかなり進んでおり、いずれ論文にまとめて発表していく予定です。
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2025年06月02日
【改めて鬼ノ城山・岩瀧山への入山についての注意喚起】
【改めて鬼ノ城山・岩瀧山への入山についての注意喚起】
令和7年6月1日の夕刻に、けたたましいサイレンと共に消防車がお寺へと入ってきました。
何事かと聞きますと、山で滑落遭難者が出たとのこと。
携帯電話から119に連絡があったようであり、岩瀧山、鬼ノ城山の西麓付近にGPSの位置反応があるとのことで、副住職が往生院の境内から山道を案内して救助の先導をすることになりました。
位置情報は、往生院金堂跡の上方を示しているようで、どうやら既に廃道・通行禁止となっている鬼ノ城山・西側ルートを外れて滑落したのではないかとして、藪を漕いで直上急登を消防隊員、救急隊員たちと上がって行くと、遭難者の反応する声に徐々に近づくことができました。
かなりの断崖絶壁のところで、遭難者が木にしがみつかれていました。お一人で入山されての滑落遭難でした。足を痛めて、自力下山ができない状態でした。
とにかく、生駒山系は低山ですが、絶対に侮ってはいけません。
至るところに断崖があり、しかも鬼ノ城山西側ルートは、古来からの修験道の行場であり、素人には危険極まりない山道となっています。
今はハイキングコースからも除外されており、過去の動画内で何度も注意を促しています。
大阪側からの鬼ノ城山、岩瀧山への登山は本当に命に関わると思っておいた方がよいでしょう。
断崖のため救助作業も難航しておりました。まず遭難者を抱えて登り、旧登山道まで出て、それから険しい山道を担架に乗せて下っていく行程となりました。
救助は、お寺に消防車が到着した16時20分頃から、遭難者が救急車で搬送されるまでの18時近くまで掛かっていました。
とにかく日が暮れるまでに救助されて良かったです。
慣れて山を知っている者による案内でなければ二次遭難の危険もあるレベルが、鬼ノ城山や岩瀧山の西側ルートになります。
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2023年10月24日
河内ふるさと文化誌「若楠」(わかくす)に「伝・親鸞聖人自作坐像」について寄稿
40年以上昔から続いている河内ふるさと文化誌である
「若楠」(わかくす)2023年秋季号・通巻84号
に、往生院に伝わる「伝・親鸞聖人自作坐像」についての考察を掲載させて頂いています。
住職は、随分以前より継続して様々なシリーズで寄稿しています。今号は、引き続いての「岩瀧山一帯の探索報告」のシリーズになります。
その他、興味深い郷土文化の考察が毎号たくさん掲載されてあります。
ご興味のある方は、購読会員を随時募集していますので、お気軽にお問い合わせ下さい。毎号1000円、年2回の計2000円になります。
まずは一年間だけでも。申込先も画像にありますので、是非に。
追記※河内ふるさと文化誌「わかくす」を定期購読して頂ける場合・・
定期購読は年2000円で、春と秋に郵送して送られることになります。
郵便局の「振込取扱票」(青、赤のどちらでも構いません。青であれば手数料自己負担になりますが)に、
通信欄には、「定期購読会員」と書いて、
下の欄の郵便番号、住所、お名前、電話を書いて、2000円を送金して頂けましたらと存じます。
それで、次号から発行誌が郵送されて届きます。
次号は4月になります。
拙論は、「玉日姫坐像」について、として、その由来について詳しく書かせて頂いております。
更に論考をシリーズにて予定しています。どうぞ、宜しくお願い申し上げます。
次回は、更に引き続いて、親鸞聖人と往生院との関係性を紐解く鍵となる「玉日姫坐像」についての内容を予定しています。
その次は、同じく往生院に伝わってある「法然聖人三日月の御影」について、更には、後南朝に関して、と計5回ほど続けての掲載を目指しています。
oujyouin_blog at 05:51|Permalink
2023年04月08日
岩瀧山(生駒山系)の山桜 ドローン映像 往生院六萬寺
岩瀧山(生駒山系)の山桜 ドローン映像 往生院六萬寺(音ありバージョン)
https://youtu.be/lZv2a7BS-Cc
岩瀧山(生駒山系)の山桜 ドローン映像 往生院六萬寺(音なしバージョン)
https://youtu.be/KhxRXEuvcH8
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2022年12月14日
今回のLIVEニュースでの滝行の様子・一週間限定視聴可・無料・地域情報アプリ「ど・ろーかる」
無料・地域情報アプリ「ど・ろーかる」をインストールして頂くと、一週間限定ながら、全国どこでもどなたでも今回滝行で放映されたLIVEニュースを観て頂けるようです。
https://www2.myjcom.jp/special/dolocal/


往生院六萬寺
http://oujyouin.com/
oujyouin_blog at 07:53|Permalink





































