施食会

2025年02月15日

3/17-3/23・春彼岸「おせがき」供養・3/20・彼岸中日「日想観」法要のご案内

3/17-3/23・春彼岸「おせがき」供養・3/20・彼岸中日「日想観」法要のご案内

春の彼岸「おせがき」供養のご案内

本年も春彼岸、施餓鬼法要のご案内をいたします。昨今、ご先祖さまの供養から遠ざかる世情が窺え、もの寂しさを感じることがございますが、ご先祖さまあっての私たちであることには何も変わりがございません。また、私たち自身の後生の一大事を考える時、仏さまとの有り難いご縁となる供養を大切にしたいものです。お塔婆をご用意してお待ち申し上げます。

※もし期間中にご来山できなくても、お寺の方にて責任をもって塔婆供養をお勤め致しますので、ご遠慮なくお申し込み下さいませ。


また、これまで往生院にご縁の無い方や、ご先祖様の供養をしてもらえるお寺を探しておられる一般の方でも、お勤めのお申込み、供養して頂けます。

その場合は、必ず、供養されたい方の戒名(法名)とお勤めのお施主の方のお名前を事前にメールやFAXでお知らせ下さい。お塔婆をご用意いたします。


実際に事前にご用意する塔婆に関しましては下記をご参照下さいませ。

施餓鬼供養・塔婆について(春彼岸・夏お盆の年2回法会開催)
http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/85052585.html


一、日時 3月17日~23日・午前8時~午後4時
(※最終日は、午後3時まで)

一、お布施 7千円(施餓鬼塔婆・経木塔婆ご先祖さま各霊位)

一、任 意 水子供養・無縁供養 お布施・各追加1千円
(どうしても供養に恵まれない方々への供養にもなります)

※もし期間中にご来山できなくてもお寺の方にて責任をもって塔婆供養をお勤めいたしますので、お申し込みの際にその旨お書き添え下さい。その場合のお支払いはお振込みか、後日ご来山の際でも構いません。


彼岸中日「日想観・極楽誓願」法要について
http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/72883056.html

・3月20日(祝)
・午後5時半から日没・表階段上台地にて
どなたでも参加できます(雨天中止)


往生院六萬寺サイト
http://oujyouin.com/

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2023年06月15日

8/11-8/15・お盆「おせがき」供養のご案内

8/11-8/15・お盆「おせがき」供養のご案内

お盆は供養する私たちにとっても有り難いご仏縁となります。施餓鬼供養を通じて、それぞれご仏縁を深めて参りたいものでございます。当山のご墓所に祀られていない方(例えば、実家のお墓のご先祖様等)でも、塔婆に戒名をお書きしてご供養を受けて頂くことができます。お気軽にご相談下さい。

※もし期間中にご来山できなくてもお寺の方にて責任をもって塔婆供養をお勤めいたしますので、お申し込みの際にその旨をお書き添え下さい。

初めてご供養ご検討の方は下記をご参照下さいませ。

施餓鬼供養・塔婆について(春彼岸・夏お盆の年2回法会開催)

一、日 時 8月11日~15日(5日間) 午前8時~午後4時(※最終日は午後3時まで)

一、お布施 1件・7千円(施餓鬼塔婆・経木塔婆各ご先祖さまご霊位ご供養)

一、任 意 無縁法界萬霊位供養・水子各霊位供養 お布施・別途各1千円

※ メールでもお申し込み受け付けています。

oujyouin【アットマーク】gmail.com

本年度の法話は「焼香について」を予定しています。

「施餓鬼会(施食会・水陸会)と放生会について」 令和4年8月・お盆施餓鬼法要 配布資料


往生院六萬寺サイト



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2022年06月24日

8/11-8/15・お盆「おせがき」供養のご案内

8/11-8/15・お盆「おせがき」供養のご案内

「送火や 母が心に 幾佛」 高浜虚子

お盆は供養する私たちにとっても有り難いご仏縁となります。施餓鬼供養を通じて、それぞれご仏縁を深めて参りたいものでございます。当山のご墓所に祀られていない方(例えば、実家のお墓のご先祖様等)でも、塔婆に戒名をお書きしてご供養を受けて頂くことができます。お気軽にご相談下さい。

※もし期間中にご来山できなくてもお寺の方にて責任をもって塔婆供養をお勤めいたしますので、お申し込みの際にその旨をお書き添え下さい。

施餓鬼供養・塔婆について(春彼岸・夏お盆の年2回法会開催)

一、日 時 8月11日~15日(5日間) 午前8時~午後4時(※最終日は午後3時まで)

一、お布施 1件・7千円(施餓鬼塔婆・経木塔婆各ご先祖さまご霊位ご供養)

一、任 意 無縁法界萬霊位供養・水子各霊位供養 お布施・別途各1千円

※ メールでもお申し込み受け付けています。

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「施餓鬼会(施食会・水陸会)と放生会について」 令和4年8月・お盆施餓鬼法要 配布資料


往生院六萬寺サイト



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2022年06月12日

「施餓鬼会(施食会・水陸会)と放生会について」 令和4年8月・お盆施餓鬼法要 配布資料

 令和48月・お盆施餓鬼法要 配布資料 


「施餓鬼会(施食会・水陸会)と放生会について」

 

もともと、施餓鬼(せがき)会(施食会・水陸会)が中国、日本で盛んとなる前には、僧俗共における仏教行事の中でも、特に主な行事となっていたのが、「放生(ほうじょう)会」となります。

「放生」は、仏教における第一の戒律である不殺生戒の実践、慈悲行の実践として、全ての生類、衆生の命を大切にするということの一環として、特に食用、ペット用として売られてある生き物を助けて、野に解き放って、自然へと返してあげるという考えを基に行われることになります。

そして、「放生」により積んだ功徳を、一切衆生の悟りへと向けて回向したり、自分のご先祖さまや供養をしたい者への追善供養としたり、あるいは、自分の後生のための功徳とするなどして、各々の仏道の成就へと向けた資糧とするものであります。

また、生きていく上においては、やむなく奪ってしまう命(食べる命)や悪意、故意や過失なく殺してしまった命等、私たちは、たくさんの犠牲の元で生存させて頂いていることへの懺悔、慚愧ということから、「放生」による功徳で滅罪を図る、悪業浄化を図るという目的もあります。

この思想における仏典の典拠としては、主には金光明経や梵網経に由来するところになります。

しかし、この放生会は、やがて中国、日本においても衰退していくことになり、その代わりとして施餓鬼会(施食会・水陸会)の方がより中心的に営まれていくことになります。

この要因としては、やがて仏教における在家・信徒による要請として大きくなる先祖供養が主なものとなっていく中で、その役割を果たすことが鮮明化される施餓鬼会(施食会・水陸会)の方が、需要が高まることになっていったからであると推測されます。

もちろん、施餓鬼会(施食会・水陸会)も一切衆生の悟りへと向けた功徳を主目的として儀軌が調えられるものとなりますが、その趣旨は、餓鬼への施しを通じた先祖供養のための功徳という点が強調されるところになり、寺院行事の中心的なものとなっていくことになりました。

施餓鬼供養で読むお経「開甘露門」(かいかんろもん)についての解説は下記をご参照下さい。

開甘露門(施餓鬼のお経について)
http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/85151234.html

しかし、拙考においては、「放生会」(不殺生行)による功徳と「施食会」(布施行)による功徳では、その差はかなり大きなものがあり、功徳の差を考えるならば、「放生」の方がより推奨されるべきではないだろうかと考えるところであります。

いや、むしろ、「放生会」と「施餓鬼会(施食会・水陸会)」は、両方を一緒に行うことで、よりその功徳の意義を高めることができるものとなるのではないだろうかと考えます。

「水陸放生施食会」として、儀軌を調えて行うことを提案したいところとなります。

ただ、近年、実際の放生で問題となっているのが、環境、生態系へと悪影響を及ぼしてしまう恐れがあることや、放生としての動物を売買する商用化、または、魚介類を放生した下流では転売目的で漁師が待ち構えて放生した魚介類を捕らえてしまうなどの反道徳・反倫理的な行為へと逆に繫がってしまうなどの懸念もあり、せっかくの善行、功徳を台無しにしてしまうことも多々見受けられるところとなっています。

そこで、大量の魚や鳥を放つ、それもわざわざ放生用としての動物を買い取って放つなど、そのように仰々しいことをしなくても、身近な生き物を大事にすることで、その功徳を積むことは十分にできるものとなります。

例えば、放生会の日(あるいはその前後、彼岸期間であれば一週間)は、できる限り肉、魚を食べることを控える、歩く際には、地面にできる限り注意を払って小さな虫を踏まないようにする、または、他人に踏まれそうな虫がいれば、草陰へと持っていってやる、水瓶等の水たまりで溺れている虫がいれば助けてあげる、家の中に出た虫を殺さずに外へと逃してあげる、蚊取り線香やゴキブリホイホイ、アリの巣コロリ等の殺虫剤の使用を控えるなど、実際に身近でできることはたくさんあります。

そのように放生の功徳を実践した上で、寺院・僧侶による放生会の法要に参加して、積んだ功徳を回向することが大切なことになります。

では、その法要の儀軌はどのようなものが望まれるのかということですが、主には施餓鬼会(施食会・水陸会)に準拠するものとして、回向において「放生の功徳を一切衆生へと回向する」ことを文言として整理して加えると良いでしょう。


「水陸放生施食会」法要の儀軌の例としては、観音菩薩の関連するお経を中心としての読誦、回向として、

開経偈・般若心経・大悲心陀羅尼(大悲呪)・開甘露門・観音経世尊偈・放生会回向並び施食会回向・四弘誓願として調えると良いのではないだろうかと思われます。

また、儀軌への補足としての称名念仏、真言や陀羅尼としては、開甘露門の七如来や五如来の称名や十仏名の称名、あるいはそれら如来の各真言、陀羅尼としては、光明真言や宝楼閣真言、宝篋印陀羅尼、阿弥陀如来根本陀羅尼、抜一切業障根本得生浄土陀羅尼、仏頂尊勝陀羅尼などを加えると尚良いのではないだろうかと存じます。

更には、放生としての不殺生の実践と共に、施食としての布施の実践としては、実際の餓鬼や地獄の衆生たちへと向けた食べ物等をお供えすること(実際は寺院へと納める供養料としての金品に代わってしまいますが、本来は、米等の供物が望まれるでしょう)も必要なことになります。

 

(※米が望まれるのは、米を万倍の乳粥へと陀羅尼により変化させて餓鬼へと提供し、その空腹を満たしてもらうため。炊いた米を皆で食べる前に少しだけ集めて、動物たちへと施す「生飯」(さば)の由来も施餓鬼であります。)

上記のように、これからの主な寺院行事の一つとして、「放生会」と「施餓鬼会(施食会・水陸会)」を一緒に行うようにしていくことをお勧めする次第でございます。

 

当寺院でも、これまでの施餓鬼の内容を見直して、「放生」の要素も加えてお勤めをさせて頂くことにしたいと考えています。

 

そのため、特に施餓鬼供養の彼岸の期間の一週間においては、普段はなかなか意識して取り組むことが難しくある功徳の実践をする期間として、できる限り生き物の命を大切にすることもその一つとして、それぞれで取り組みを頂けましたら有り難くに存じます。

 

合掌 


参考・・放生儀軌(現在の中国・台湾基本法式)

 

1、大聲稱念佛號(称名念仏)

南無本師釋迦牟尼佛(三回)

南無寶髻如來(三回)(所有的動物,就在捨報後馬上升天,永不墮入三惡道!)

南無寶勝如來(三回)(可助永不墜三惡道)

 

2、持経咒(誦経)

楊枝淨水讚:楊枝淨水遍灑三千  性空八德利人天  福慧廣增延  滅罪消愆  火燄化紅蓮

南無清涼地菩薩摩訶薩(三回)

南無大悲觀世音菩薩(三回)

大悲咒(三回)

般若波羅蜜多心經(一回)

 

3、懺悔

現前諸眾生,念汝多生業重,墮在畜生,今代為汝等,對三寶前發露罪愆,汝當至誠隨我懺悔。

往昔所造諸惡業  皆由無始貪瞋癡 從身語意之所生  一切罪障皆懺悔(三回)

 

4、三帰依

諸佛子等!汝等不聞三寶,不知皈依,所以輪迴三有,墮畜生身。我今為汝,授與三皈依法。汝今諦聽!

諸佛子等:

皈依佛、皈依法、皈依僧(三遍)

皈依佛兩足尊、皈依法離欲尊、皈依僧眾中尊(三遍)

皈依佛不墮地獄、皈依法不墮餓鬼、皈依僧不墮畜生(三遍)

皈依佛竟、皈依法竟、皈依僧竟(三遍)

 

5、発願(四弘誓願)

諸佛子等!再為汝等宣四弘誓願,令汝得聞,依法發願,依願修行,汝今諦聽。

眾生無邊誓願度  煩惱無盡誓頤斷 法門無量誓願學  佛道無上誓願成(三回)

 

6、念仏

南無西方極樂世界大慈大悲阿彌陀佛

南無阿彌陀佛(十回)(可助往生極樂世界)

(轉念四字佛號)...阿彌陀佛...(此時一邊唸佛一邊放生)

 

7、放生会回向

放生功德殊勝行  無邊勝福皆回向 普願沉溺諸眾生  速往無量光佛

十方三世一切佛  一切菩薩摩訶薩 摩訶般若波羅蜜

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2022年05月02日

「施餓鬼会(施食会・水陸会)と放生会について」

前回の施餓鬼法要における法話の内容から、「放生」について色々とご質問を頂くことになりましたので、そのお答えの一つとして下記のようにまとめさせて頂いておきますので、ご参照下さいませ。

「施餓鬼会(施食会・水陸会)と放生会について」

もともと、施餓鬼会(施食会・水陸会)が中国、日本で盛んとなる前には、僧俗共における仏教行事の中でも特に主な行事となっていたのが、「放生(ほうじょう)会」となります。

「放生」は、仏教における第一の戒律である不殺生戒の実践、慈悲行の実践として、全ての生類、衆生の命を大切にするということの一環として、特に食用、ペット用として売られてある生き物を助けて、野に解き放って、自然へと返してあげるという考えを基に行われるところとなります。

そして、「放生」により積んだ功徳を、一切衆生の悟りへと向けて回向したり、自分のご先祖さまや供養をしたい者への追善供養としたり、あるいは、自分の後生のための功徳とするなどして、各々の仏道の成就へと向けた資糧とするものであります。

また、生きていく上において、やむなく奪ってしまう命(食べる命)や悪意、故意や過失なく殺してしまった命等、私たちは、たくさんの犠牲の元で生存させて頂いていることへの懺悔、慚愧ということから、「放生」による功徳で滅罪を図る、悪業浄化を図るというために行うということもあります。

この思想における仏典の典拠としては、主には金光明経や梵網経に由来するところになります。

しかし、この放生会は、やがて中国、日本においても衰退していくことになり、その代わりとして施餓鬼会(施食会・水陸会)の方がより中心的に営まれていくことになります。

この要因としては、やがて仏教における目的の一つとなる先祖供養が主なものとなっていく中で、その役割を果たすことが鮮明化される施餓鬼会(施食会・水陸会)の方が、在家においての需要が高まることになっていったからであると推測されます。

もちろん、施餓鬼会(施食会・水陸会)も一切衆生の悟りへと向けた功徳を主目的として儀軌が調えられるものとなりますが、その趣旨は、餓鬼への施しを通じた先祖供養のための功徳という点が強調されるところになり、寺院行事の中心的なものとなっていくことになりました。

施餓鬼供養で読むお経「開甘露門」(かいかんろもん)についての解説は下記を参照下さい。

開甘露門(施餓鬼のお経について)
http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/85151234.html

しかし、拙考においては、「放生会」(不殺生行)による功徳と「施食会」(布施行)による功徳では、その差はかなり大きなものがあり、功徳の差を考えるならば、「放生」の方がより推奨されるべきではないだろうかと考えるところであります。

いや、むしろ、「放生会」と「施餓鬼会(施食会・水陸会)」は両方を一緒に行うことで、よりその功徳の意義を高めることができるものとなるのではないだろうかと考えています。

「水陸放生施食会」として、儀軌を調えて行うことを提案したいところとなります。

ただ、近年、実際の放生で問題となっているのが、環境、生態系へ悪影響を及ぼしてしまう場合や、放生としての動物を売買する商用化、または、魚介類を放生した下流では転売目的で漁師が待ち構えて放生した魚を捕らえてしまうなどの反道徳・反倫理的な行為へと逆に繫がってしまうなどの懸念もあり、せっかくの善行、功徳を台無しにしてしまうことも多々見受けられるところとなっています。

そこで、大量の魚や鳥を放つ、それもわざわざ放生用としての動物を買い取って放つなど、そのように仰々しいことをしなくても、身近な生き物を大事にすることで、その功徳を積むことは十分にできるものとなります。

例えば、放生会の日(あるいはその前後、彼岸期間であれば一週間)は、できる限り肉、魚を食べることを控える、歩く際には、地面にできる限り注意を払って小さな虫を踏まないようにする、または、他人に踏まれそうな虫がいれば、草陰へと持っていってやる、水瓶等の水たまりで溺れている虫がいれば助けてあげる、家の中に出た虫を殺さずに外へと逃してあげる、蚊取り線香やゴキブリホイホイ、アリの巣コロリ等の殺虫剤の使用を控えるなど、実際に身近でできることはたくさんあります。

そのように放生の功徳を実践した上で、寺院・僧侶による放生会の法要に参加して、積んだ功徳を回向することが大切なことになります。

では、その法要の儀軌はどのようなものが望まれるのかということですが、主には施餓鬼会(施食会・水陸会)に準拠するものとして、回向において「放生の功徳を一切衆生へと回向する」ことを文言として整理して加えると良いでしょう。

「水陸放生施食会」法要の儀軌の例としては、観音菩薩の関連するお経を中心としての読誦、回向として、

開経偈・般若心経・大悲心陀羅尼(大悲呪)・開甘露門・観音経世尊偈・放生会回向並び施食会回向・四弘誓願として調えると良いのではないだろうかと思われます。

また、儀軌への補足としての称名念仏、真言や陀羅尼としては、開甘露門の七如来や五如来の称名や十仏名の称名、あるいはそれら如来の各真言、陀羅尼としては、光明真言や宝楼閣真言、宝篋印陀羅尼、阿弥陀如来根本陀羅尼、仏頂尊勝陀羅尼などを加えると尚良いのではないだろうかと存じます。

更には、放生としての不殺生の実践と共に、施食としての布施の実践としては、実際の餓鬼や地獄の衆生たちへと向けた食べ物等をお供えすること(実際は寺院へと納める供養料としての金品に代わってしまいますが、本来は、米等が望まれるでしょう)も必要なことになります。(※米が望まれるのは、米を万倍の乳粥へと陀羅尼により変化させて餓鬼へと提供し、その空腹を満たしてもらうため。米を少し動物たちへと施す「生飯」(さば)の由来も施餓鬼であります)

上記のように、これからの主な寺院行事の一つとして、「放生会」と「施餓鬼会(施食会・水陸会)」を一緒に行うようにしていくことをお勧めする次第でございます。

令和4年5月 合掌

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