施餓鬼

2018年06月12日

お盆・施餓鬼法要のご案内

大切なご先祖さまのご供養

お盆・施餓鬼法要のご案内 

お盆供養は、苦しみある衆生(餓鬼や地獄の者たちなど)を救うために行った供養による「功徳」を、ご先祖さまの仏道を進める糧として頂くために及ぼすと共に、その供養による「功徳」と「仏縁」により、私たちの「現世の安穏」と「後生の安楽」のためにも繋げて参りたいものとなります。

また、ご先祖さまを想うと共に、今ある自分を見つめ直すための機会にもしたいものでございます。

お塔婆をご用意いたしますので、ご供養なさられる方は、お早めにご返信をお願い申し上げます。

8月11日~15日(5日間)午前8時~午後4時(※最終日は午後3時まで)

御本堂にて

塔婆ご用意の都合上、必ず事前に寺務所までお申し込みください。

毎年お勤めのお方へは往復ハガキにてご案内いたしますので、ご返信ください。

本年度の「法話」は、皆さまからのご質問にお答えをさせて頂く形式といたしますので、お気軽にご質問くださいませ。

往生院六萬寺
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2018年02月28日

春彼岸・施餓鬼法要・日想観法要のご案内

春彼岸・施餓鬼法要のご案内

平成30年・春彼岸・施餓鬼法要のご案内

日程 3月18日~24日の1週間

時間 午前8時~午後4時 ※最終日は午後3時まで

場所 ご本堂にて

※ 事前申込必要。施餓鬼の塔婆準備のためご供養をお勤めになられます方は、事前にお申し込み下さいませ。

寺務所まで。電話でも受け付けています。

毎年される方には往復はがきにてご案内申し上げますので、必要事項を記入の上、お早めにご返信ください。

締切、3月15日まで。


春彼岸中日・往生院「日想観・極楽誓願」法要開催

※雨天により、直前の天気を問わず、中止が決定しました。また、秋彼岸中日へのご参加を宜しくお願い申し上げます。

3月21日 午後5時半から日没(雨天中止)

詳しい内容は、下記ポスターを参考に。

http://yaplog.jp/hidetoshi/image/5574/5552

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釈尊降誕会(花まつり)

・4月8日 本堂前にて


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2017年07月24日

秋彼岸墓前回向のご案内

秋彼岸墓前回向のご案内

秋・彼岸・墓前回向

日程 9月20日~26日  7日間
時間 午前8時~午後4時 ※受付は午後3時半まで
回向料 2千円
当日受付・事前申込不要

お墓前でのご先祖様御供養になります。当日に寺務所で受け付けをして頂きまして、その際にお渡しした順番カードを所定の場所へと持って行き、置いて頂いた後、お墓掃除をなさってお待ち頂ければと存じます。

期間中来れない方でも、頼んで頂けましたら、期間中にこちらにてお勤めさせて頂きます。

配布資料『無常を考える』平成29年9月・彼岸・配布資料
http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/72423186.html

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平成29年・お盆・ご先祖様ご供養・施餓鬼法要のご案内

日程 8月11日~15日  5日間

時間 午前8時~午後4時 ※最終日は午後3時まで

場所 ご本堂にて

法話内容(予定)「葬儀・供養の意義について」

配布資料『葬儀と供養の意義について』
http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/71902360.html

回向料 7千円 

任意 水子・無縁各供養 各1千円 

※ 事前申込必要。塔婆準備のためご供養をお勤めになられます方は、事前にお申し込み下さいませ。

※ 期間中、諸事情にて来られなくても、塔婆供養をお寺が責任をもってお勤めさせて頂きます。 

寺務所まで。電話でも受け付けています。

毎年される方には往復はがきにてご案内申し上げますので、必要事項を記入の上、お早めにご返信ください。

締切、8月8日まで。

※ 混雑緩和のため、混雑が予想されます13日・14日のお参り・お勤めは極力お避け賜れましたら有り難くに存じます。

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8/24 地蔵盆のご案内

※ 雨天の場合、ご本堂にての開催となります。お気をつけてお越し下さいませ。

8月24日 地蔵盆法要 18時~ 水子地蔵尊前にて

回向料 2千円

経木塔婆を用意致しますので、御供養なさられる方は、できるだけ事前にご連絡下さい。

法要後、皆様でお分け致す御供養品は各自任意にてお持ち寄り下さいませ。

提灯について・・

提灯は一張・三千円にて承っております。子供さんの健やかな成長、無病息災も願って、どうぞお気軽に寺務所までお申し込み下さいませ。お名前を書き入れさせて頂きまして、毎年地蔵盆にてお飾りさせて頂きます。

水子ご供養について
http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/7832557.html

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『葬儀と供養の意義について』
平成29年8月・お盆施餓鬼法要配布資料

岩瀧山・往生院六萬寺 副住職 川口英俊

「縁なき衆生は度(ど)し難(がた)し」と仏教において、よく引用されて使われる言葉がございます。その意味は、「仏様、また、仏様の教えとのご縁が無ければ、どのような者であろうとも、仏様、仏様の教えにおいて、救うこと、あるいは救われることは難しい」といった内容となり、この場合の「縁」とは、悟り・涅槃へと至るための因縁(原因と条件)のことで、「悟り・涅槃へと至るための因縁が無くては、その結果としての悟り・涅槃を得ることはありえない」ということになります。

私たちのこの世界においては、全て「因果の法」に則って、モノ・コトが成り立っています。何も因縁(原因と条件)が無いのに、突然に、何かが生じる、あるいは、何かが滅するということは、絶対にあり得ないことでございます。

それは、つまり、今、このように存在できている皆、一人一人にも、そのように存在できているための因縁があって、今の状態という結果があることになります。そして、また、それら今の結果も、次の結果への因縁となったりもしながら、更に色々な因縁が複雑に絡んでいく中において、次の結果、また次の結果へと繋がっていくのであります。

お釈迦様は、お悟りを開かれて、この複雑な因縁と結果の流れを見極められて、悪い流れを絶ち、善い流れへと変えることで、善い結果へと向かっていくためにとして、「善巧方便」(ぜんぎょうほうべん)・「対機説法」(人それぞれの迷い苦しみ、あるいは、人それぞれの理解・実践できる能力に応じて)にて仏教を説示なされました。その善き流れに乗るための教えとの「縁」を持つことができなければ、いつまでも悪い輪廻(りんね)という流れにおいて迷い苦しみ続けてしまうことになってしまいかねないのでございます。

ですから、仏教においては、まず仏様、そして、その教えとの「縁」、つまり、「仏縁」を持つことを何よりも重視して、大切としなければならないことになるのであります。

その「仏縁」を正式に結ぶために行われるのが、特に、受戒、得度により正式な「仏弟子」となることでございます。そして、できるだけ生前の早い段階においてなされておかれることをお勧め申し上げたい次第でございます。

また、もしも、生前においては、何らかの理由にて、その「仏縁」がほとんど無かったとしても、その最後の機会として、葬儀を執行することにより、正式な仏縁を結ぶことによって、後生の大事、安楽へと向けて、その仏縁を繋げて頂きたいものとなります。

正式な仏縁は、お釈迦様以来の正式な仏法の流れを拠り所として、仏様、仏法、そして正式な仏法の流れを受け継いできている僧侶たちの三宝への深い帰依信心と共に、守るべき戒律を守り、智慧と福徳という二つの資糧の修行をしっかりと進めていくことによって、悟り・涅槃へと向かうための善い流れに確実に乗りたいものとなります。

私事となりますが、私の場合、これまでにも有り難く尊いご仏縁が色々とございました中において、特には、自分の「生前葬儀」であると覚悟して平成28年の秋に参加させて頂きましたダライ・ラマ14世法王猊下様ご導師によりますチベット密教・無上瑜伽タントラ(四つあるタントラの分類の最上位のタントラ)の一つである「チッタマニターラー尊灌頂」が、私にとっての最重要なご仏縁になったものであるとして、その後の仏教修習も、ダライ・ラマ法王様を根本上師に、チベット密教の教えに基づいた実践を主としながら、灌頂の成就法にも日々努めさせて頂いております。

実は、密教灌頂も、葬儀と同様に、受戒と引導が扱われるものとなります(但し、浄土真宗では受戒・引導を扱いません)。例えば、三宝への帰依は当然として、悪業の懺悔と浄化や、悟りを目指す決意としての菩提心の生起、守るべき菩薩戒・密教(三昧耶)戒などの受戒、そして、曼荼羅の仏世界・仏境地への導引、これからの修行内容についての詳細な指示などがございます。それらも、悟り・涅槃へと向かうための善き流れ、更に密教の場合では、悟り・涅槃へと向けての速い流れに乗るための内容となっており、それらの確かなる実践を、とにかく今生においてもしっかりとできる限りに取り組むことで、来世、来来世へもその善き流れを途切れさせることなく加速させて繋げて参りたいものとなります。

とにかく、まずは、仏様、仏様の教えとの「仏縁」を正式に強く結ばなければ、何も始まらないのであります。もしも、亡くなった故人の生前の行いがどれほど悪くても、あるいは、仏縁、仏心のかけら一つも無い人生であったとしても、何とか最後において葬儀を執行してあげられることができれば、善き流れの最終列車へと、無理矢理にでも乗せてあげることができると、一応は言えるのでございます。

もちろん、生前において、正式な受戒や得度、または、密教灌頂を済ませていれば、それはそれで、改めて葬儀の執行は必要のないことになりますが、しかし、受戒・引導は、一度だけではなく、何度も受けることによって、よりその仏縁を強固とすることができるものとなります。実際に灌頂も何度でも受けることができ、その度ごとに仏縁が強く増すものであるとされています。

また、何よりも、葬儀は、亡くなった故人のためだけに執行するものではなく、施主・遺族・参列者たち、または、葬儀を執行する僧侶たちにとっても「功徳となる利他行」であり、それぞれ自分自身の悟り・涅槃へと向かうための仏縁、善い流れにも繋がるものになるとして、「自利行」にもなり得るのでございます。つまり、葬儀は、亡くなった故人のみならず、施主・遺族・参列者たち、僧侶たちの「自利利他」を成すための絶好の機会でもあるのです。

それが、最近では、形骸化、簡素化、省略化が著しく進んでしまったことにより、葬儀が正式に執行されなくなっている事態は、亡き故人の為とならないどころか、残された私たちにとっての仏縁を頂くための有り難く尊い機会をも失わせてしまっていると言えるのでございます。

できれば、今一度、葬儀の意義、仏縁を結ぶあり方について、それぞれがしっかりと考えることにより、どのように故人の葬儀を行うべきか、また、自分の葬儀もどのようにしてほしいのか、更には、どのような僧侶(導師の資質を確かに有する者)に執行を託すべきであるのか、などについて見直す一つのきっかけとして頂けましたら有り難くに存じます。

とにかく、葬儀の執行は、亡き故人はもちろん、自分の後生の大事にも係わってくることになります。軽々しく適当にしてしまっては、それこそ無駄、徒労となりかねません。また、その執行を司る僧侶の資質についての見極め、判断も、慎重に行うべきことになります。しっかりと導師たる役目を果たせる者にこそ、葬儀の執行を依頼したいものでございます。

皆様とお寺、僧侶との信頼関係が希薄化するにつれて、檀家制度が崩壊してしまっている昨今、お寺、僧侶も皆様から取捨選択される時代となっています。私自身も、浅学非才の未熟者ではございますが、葬儀を司るに値する資質があるのかどうか、常に自らに問いつつ、これからも仏教修習にできる限りの精進に努めて、ご期待にお応えできますように調えて参りたいと僭越ながらにも存じております。

次に、「供養」についてとなりますが、例えば、このお盆、あるいは彼岸における「施餓鬼」という供養は、地獄や餓鬼に落ちている者たち、あるいは、もしかすると地獄や餓鬼に落ちてしまっているかもしれないご先祖様を救う目的において営まれると考えるのが妥当となりますものの、「亡くなられた故人は、生前の仏縁や功徳、あるいは葬儀の執行による引導(浄土真宗の場合では即得往生)、追善供養などによって、極楽、浄土にて仏様のところで修行に励んでいるものであると思うのですが・・」と中には疑問に思われる方もいらっしゃることでしょう。

もちろん、それはそう考えて頂いても妥当であるかとは存じます。ただ、それでも、施餓鬼供養のみならず、様々な供養を行う意義とは、やはり上記の葬儀の際にも述べさせて頂きました悟り・涅槃へと向かうための「自利利他」の行いということに尽きるのではないだろうかと考えております。

供養においては、極楽・浄土など仏様の下で精進なさられておられる方々へは、成仏へと向けての応援、励ましとなるための功徳となり、また、迷い苦しみにある者たちを救うためとなる功徳は、迷い・苦しみにある者たちを救うための功徳になると共に、自ら自身における悟り・涅槃へと向かうための功徳にもなるということでございます。

そして、葬儀と同様に、供養においても重要となるのは、もちろん「仏縁」であり、それを供養の対象と共に、自らも頂ける大切な機会としなければならないのであります。

とにかく、葬儀、供養も「自利利他行」として調えることにより、皆が、悟り・涅槃へと向けた善き流れに乗れるようにとして努めることが必要となる次第でございます。

何より、この生の後にも続いていく心相続においては、「仏縁」を決して途切れさせないようにしないといけません。「仏縁」さえ完全に切れなければ、紆余曲折はあろうとも、いずれ悟り・涅槃へと導いて頂けることができるということでございます。

さて、施餓鬼供養の目的の一つとして、悪い輪廻にある者たちを救うという内容を同様に持つインド中後期密教経典の中に、「一切悪趣清浄タントラ」という経典がございますが、このお経が説かれた由来の教説の中において、帝釈天(天界の神様)が、天界で共に親しくあった天子無垢宝光という者が死んだ後のことを心配されて、世尊仏陀(ヴィルシャナ)に尋ねられるくだりが出て参ります。

その際、世尊は、天子無垢宝光のことについてお答えになられますが、そのお答えを要約すると、天子無垢宝光は、死後、地獄に落ちてしまっており、その後も六道輪廻の中を苦しみ彷徨い続けるとおっしゃられます。そして、帝釈天たちは恐れおののき、天子無垢宝光、また、帝釈天たちはもとより、悪い輪廻に落ちている者たちが、悪い輪廻から解脱して、悟りへ至るための方法をお示し下さいと懇願されて、世尊が、その具体的な方法を説示されておられるのが、このお経の全体的な内容となっています。

その説示されました方法の一つを、帝釈天たちが、天子無垢宝光のために実践することにより、天子無垢宝光は、何とか地獄、悪趣輪廻から逃れて、善き流れに乗ることができるようになるのですが、実は、天子無垢宝光が、帝釈天たちによって、そのように供養を行ってもらえたのは、天子無垢宝光には、その過去世における強い仏縁があったことによっての功徳を積んでいたが所以であると、補足して説明されます。

つまり、確かなる仏縁や功徳が、過去世、現世のどこかにおいてあったのであれば、その後の輪廻転生の中において、多少の紆余曲折があっても、必ずやその仏縁、功徳による果報により、仏の道を外れずに、善き流れを進められる場合があると考えることができます。(例えば、顕教の修行では、成仏するのに三阿僧祇劫(さんあそうぎごう)というとてつもない膨大な時間が掛かってしまうことになりますが、有り難く尊い仏縁となる密教の無上瑜伽タントラの灌頂を受けて、戒律・律義を守り、生起次第と究竟(くきょう)次第の二次第の修行を確実に進めれば、早くて今生の内に即身成仏できることもあれば、例え、二次第の修行が何らかの理由にてあまりできなくても、戒律・律義さえしっかりと守っていれば、7回、もしくは、16回転生する中において、必ず成仏できるとされています。つまり、無上瑜伽タントラの灌頂・修行とは、それだけ早く成仏できる強い仏縁となるものであると言えるでしょう。だからと言って、今生において油断して戒律を守らずに怠惰となってしまえば、当然に成仏が遠のいてしまうことになるのは言うまでもありません。)

とにかく、自他共に、悟り・涅槃へと向けた善き流れに乗るための仏縁を、どう強く結び、修行、功徳に励んでいくべきであるのか、それをしっかりと考えて、様々な供養においても、できる限りに、その意義を理解した上において努めて参りたいものでございます。

川口英俊 合掌 平成29年7月28日


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『般若心経における「空」について』 平成28年8月・お盆施餓鬼法要配布資料
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/93cd51b49c2264eb00fcc00a904a3392

「Amazonお坊さん便」の抱える問題について/平成28年3月・春彼岸施餓鬼法要・配布資料
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/d339cd6c14be7db57860f241caf4984d

「仏教と戦争 ~ 戦後70年と仏教 ~」平成27年8月・お盆施餓鬼法要・配布資料
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/c479dc1d59328df2708ba23499b4d92b

「仏教の基本的な理解のために」平成27年3月・春彼岸施餓鬼法要・配布資料
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/55ced9a1512c6ef6e095caa4fbe9eb8c

「死後について」平成26年9月・秋彼岸墓前回向・配布資料
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/46df9bb57071ef4f2b56161423dba66f

「お葬式について」平成26年8月・お盆施餓鬼法要・配布資料
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/0816eb5e788bf5ecfc8eed8e901b1a76

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『葬儀と供養の意義について』 平成29年8月・お盆施餓鬼法要配布資料

『葬儀と供養の意義について』
平成29年8月・お盆施餓鬼法要配布資料

岩瀧山・往生院六萬寺 副住職 川口英俊

「縁なき衆生は度(ど)し難(がた)し」と仏教において、よく引用されて使われる言葉がございます。その意味は、「仏様、また、仏様の教えとのご縁が無ければ、どのような者であろうとも、仏様、仏様の教えにおいて、救うこと、あるいは救われることは難しい」といった内容となり、この場合の「縁」とは、悟り・涅槃へと至るための因縁(原因と条件)のことで、「悟り・涅槃へと至るための因縁が無くては、その結果としての悟り・涅槃を得ることはありえない」ということになります。

私たちのこの世界においては、全て「因果の法」に則って、モノ・コトが成り立っています。何も因縁(原因と条件)が無いのに、突然に、何かが生じる、あるいは、何かが滅するということは、絶対にあり得ないことでございます。

それは、つまり、今、このように存在できている皆、一人一人にも、そのように存在できているための因縁があって、今の状態という結果があることになります。そして、また、それら今の結果も、次の結果への因縁となったりもしながら、更に色々な因縁が複雑に絡んでいく中において、次の結果、また次の結果へと繋がっていくのであります。

お釈迦様は、お悟りを開かれて、この複雑な因縁と結果の流れを見極められて、悪い流れを絶ち、善い流れへと変えることで、善い結果へと向かっていくためにとして、「善巧方便」(ぜんぎょうほうべん)・「対機説法」(人それぞれの迷い苦しみ、あるいは、人それぞれの理解・実践できる能力に応じて)にて仏教を説示なされました。その善き流れに乗るための教えとの「縁」を持つことができなければ、いつまでも悪い輪廻(りんね)という流れにおいて迷い苦しみ続けてしまうことになってしまいかねないのでございます。

ですから、仏教においては、まず仏様、そして、その教えとの「縁」、つまり、「仏縁」を持つことを何よりも重視して、大切としなければならないことになるのであります。

その「仏縁」を正式に結ぶために行われるのが、特に、受戒、得度により正式な「仏弟子」となることでございます。そして、できるだけ生前の早い段階においてなされておかれることをお勧め申し上げたい次第でございます。

また、もしも、生前においては、何らかの理由にて、その「仏縁」がほとんど無かったとしても、その最後の機会として、葬儀を執行することにより、正式な仏縁を結ぶことによって、後生の大事、安楽へと向けて、その仏縁を繋げて頂きたいものとなります。

正式な仏縁は、お釈迦様以来の正式な仏法の流れを拠り所として、仏様、仏法、そして正式な仏法の流れを受け継いできている僧侶たちの三宝への深い帰依信心と共に、守るべき戒律を守り、智慧と福徳という二つの資糧の修行をしっかりと進めていくことによって、悟り・涅槃へと向かうための善い流れに確実に乗りたいものとなります。

私事となりますが、私の場合、これまでにも有り難く尊いご仏縁が色々とございました中において、特には、自分の「生前葬儀」であると覚悟して平成28年の秋に参加させて頂きましたダライ・ラマ14世法王猊下様ご導師によりますチベット密教・無上瑜伽タントラ(四つあるタントラの分類の最上位のタントラ)の一つである「チッタマニターラー尊灌頂」が、私にとっての最重要なご仏縁になったものであるとして、その後の仏教修習も、ダライ・ラマ法王様を根本上師に、チベット密教の教えに基づいた実践を主としながら、灌頂の成就法にも日々努めさせて頂いております。

実は、密教灌頂も、葬儀と同様に、受戒と引導が扱われるものとなります(但し、浄土真宗では受戒・引導を扱いません)。例えば、三宝への帰依は当然として、悪業の懺悔と浄化や、悟りを目指す決意としての菩提心の生起、守るべき菩薩戒・密教(三昧耶)戒などの受戒、そして、曼荼羅の仏世界・仏境地への導引、これからの修行内容についての詳細な指示などがございます。それらも、悟り・涅槃へと向かうための善き流れ、更に密教の場合では、悟り・涅槃へと向けての速い流れに乗るための内容となっており、それらの確かなる実践を、とにかく今生においてもしっかりとできる限りに取り組むことで、来世、来来世へもその善き流れを途切れさせることなく加速させて繋げて参りたいものとなります。

とにかく、まずは、仏様、仏様の教えとの「仏縁」を正式に強く結ばなければ、何も始まらないのであります。もしも、亡くなった故人の生前の行いがどれほど悪くても、あるいは、仏縁、仏心のかけら一つも無い人生であったとしても、何とか最後において葬儀を執行してあげられることができれば、善き流れの最終列車へと、無理矢理にでも乗せてあげることができると、一応は言えるのでございます。

もちろん、生前において、正式な受戒や得度、または、密教灌頂を済ませていれば、それはそれで、改めて葬儀の執行は必要のないことになりますが、しかし、受戒・引導は、一度だけではなく、何度も受けることによって、よりその仏縁を強固とすることができるものとなります。実際に灌頂も何度でも受けることができ、その度ごとに仏縁が強く増すものであるとされています。

また、何よりも、葬儀は、亡くなった故人のためだけに執行するものではなく、施主・遺族・参列者たち、または、葬儀を執行する僧侶たちにとっても「功徳となる利他行」であり、それぞれ自分自身の悟り・涅槃へと向かうための仏縁、善い流れにも繋がるものになるとして、「自利行」にもなり得るのでございます。つまり、葬儀は、亡くなった故人のみならず、施主・遺族・参列者たち、僧侶たちの「自利利他」を成すための絶好の機会でもあるのです。

それが、最近では、形骸化、簡素化、省略化が著しく進んでしまったことにより、葬儀が正式に執行されなくなっている事態は、亡き故人の為とならないどころか、残された私たちにとっての仏縁を頂くための有り難く尊い機会をも失わせてしまっていると言えるのでございます。

できれば、今一度、葬儀の意義、仏縁を結ぶあり方について、それぞれがしっかりと考えることにより、どのように故人の葬儀を行うべきか、また、自分の葬儀もどのようにしてほしいのか、更には、どのような僧侶(導師の資質を確かに有する者)に執行を託すべきであるのか、などについて見直す一つのきっかけとして頂けましたら有り難くに存じます。

とにかく、葬儀の執行は、亡き故人はもちろん、自分の後生の大事にも係わってくることになります。軽々しく適当にしてしまっては、それこそ無駄、徒労となりかねません。また、その執行を司る僧侶の資質についての見極め、判断も、慎重に行うべきことになります。しっかりと導師たる役目を果たせる者にこそ、葬儀の執行を依頼したいものでございます。

皆様とお寺、僧侶との信頼関係が希薄化するにつれて、檀家制度が崩壊してしまっている昨今、お寺、僧侶も皆様から取捨選択される時代となっています。私自身も、浅学非才の未熟者ではございますが、葬儀を司るに値する資質があるのかどうか、常に自らに問いつつ、これからも仏教修習にできる限りの精進に努めて、ご期待にお応えできますように調えて参りたいと僭越ながらにも存じております。

次に、「供養」についてとなりますが、例えば、このお盆や彼岸における「施餓鬼」という供養は、地獄や餓鬼に落ちている者たち、または、もしかすると地獄や餓鬼に落ちてしまっているかもしれないご先祖様を救う目的において営まれると考えるのが妥当となりますものの、「亡くなられた故人は、生前の仏縁や功徳、あるいは葬儀の執行による引導(浄土真宗の場合では即得往生)、追善供養などによって、極楽、浄土にて仏様のところで修行に励んでいるものであると思うのですが・・」と中には疑問に思われる方もいらっしゃることでしょう。

もちろん、それはそう考えて頂いても妥当であるかとは存じます。ただ、それでも、施餓鬼供養のみならず、様々な供養を行う意義とは、やはり上記の葬儀の際にも述べさせて頂きました悟り・涅槃へと向かうための「自利利他」の行いということに尽きるのではないだろうかと考えております。

供養においては、極楽・浄土など仏様の下で精進なさられておられる方々へは、成仏へと向けての応援、励ましとなるための功徳となり、また、迷い苦しみにある者たちを救うためとなる功徳は、迷い・苦しみにある者たちを救うための功徳になると共に、自ら自身における悟り・涅槃へと向かうための功徳にもなるということでございます。

そして、葬儀と同様に、供養においても重要となるのは、もちろん「仏縁」であり、それを供養の対象と共に、自らも頂ける大切な機会としなければならないのであります。

とにかく、葬儀、供養も「自利利他行」として調えることにより、皆が、悟り・涅槃へと向けた善き流れに乗れるようにとして努めることが必要となる次第でございます。

何より、この生の後にも続いていく心相続においては、「仏縁」を決して途切れさせないようにしないといけません。「仏縁」さえ完全に切れなければ、紆余曲折はあろうとも、いずれ悟り・涅槃へと導いて頂けることができるということでございます。

さて、施餓鬼供養の目的の一つとして、悪い輪廻にある者たちを救うという内容を同様に持つインド中後期密教経典の中に、「一切悪趣清浄タントラ」という経典がございますが、このお経が説かれた由来の教説の中において、帝釈天(天界の神様)が、天界で共に親しくあった天子無垢宝光という者が死んだ後のことを心配されて、世尊仏陀(ヴィルシャナ)に尋ねられるくだりが出て参ります。

その際、世尊は、天子無垢宝光のことについてお答えになられますが、そのお答えを要約すると、天子無垢宝光は、死後、地獄に落ちてしまっており、その後も六道輪廻の中を苦しみ彷徨い続けるとおっしゃられます。そして、帝釈天たちは恐れおののき、天子無垢宝光、また、帝釈天たちはもとより、悪い輪廻に落ちている者たちが、悪い輪廻から解脱して、悟りへ至るための方法をお示し下さいと懇願されて、世尊が、その具体的な方法を説示されておられるのが、このお経の全体的な内容となっています。

その説示されました方法の一つを、帝釈天たちが、天子無垢宝光のために実践することにより、天子無垢宝光は、何とか地獄、悪趣輪廻から逃れて、善き流れに乗ることができるようになるのですが、実は、天子無垢宝光が、帝釈天たちによって、そのように供養を行ってもらえたのは、天子無垢宝光には、その過去世における強い仏縁があったことによっての功徳を積んでいたが所以であると、補足して説明されます。

つまり、確かなる仏縁や功徳が、過去世、現世のどこかにおいてあったのであれば、その後の輪廻転生の中において、多少の紆余曲折があっても、必ずやその仏縁、功徳による果報により、仏の道を外れずに、善き流れを進められる場合があると考えることができます。(例えば、顕教の修行では、成仏するのに三阿僧祇劫(さんあそうぎごう)というとてつもない膨大な時間が掛かってしまうことになりますが、有り難く尊い仏縁となる密教の無上瑜伽タントラの灌頂を受けて、戒律・律義を守り、生起次第と究竟(くきょう)次第の二次第の修行を確実に進めれば、早くて今生の内に即身成仏できることもあれば、例え、二次第の修行が何らかの理由にてあまりできなくても、戒律・律義さえしっかりと守っていれば、7回、もしくは、16回転生する中において、必ず成仏できるとされています。つまり、無上瑜伽タントラの灌頂・修行とは、それだけ早く成仏できる強い仏縁となるものであると言えるでしょう。だからと言って、今生において油断して戒律を守らずに怠惰となってしまえば、当然に成仏が遠のいてしまうことになるのは言うまでもありません。)

とにかく、自他共に、悟り・涅槃へと向けた善き流れに乗るための仏縁を、どう強く結び、修行、功徳に励んでいくべきであるのか、それをしっかりと考えて、様々な供養においても、できる限りに、その意義を理解した上において努めて参りたいものでございます。

川口英俊 合掌 平成29年7月28日


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『般若心経における「空」について』 平成28年8月・お盆施餓鬼法要配布資料
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/93cd51b49c2264eb00fcc00a904a3392

「Amazonお坊さん便」の抱える問題について/平成28年3月・春彼岸施餓鬼法要・配布資料
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/d339cd6c14be7db57860f241caf4984d

「仏教と戦争 ~ 戦後70年と仏教 ~」平成27年8月・お盆施餓鬼法要・配布資料
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/c479dc1d59328df2708ba23499b4d92b

「仏教の基本的な理解のために」平成27年3月・春彼岸施餓鬼法要・配布資料
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/55ced9a1512c6ef6e095caa4fbe9eb8c

「死後について」平成26年9月・秋彼岸墓前回向・配布資料
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/46df9bb57071ef4f2b56161423dba66f

「お葬式について」平成26年8月・お盆施餓鬼法要・配布資料
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/0816eb5e788bf5ecfc8eed8e901b1a76

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往生院六萬寺サイト
http://oujyouin.com/


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2017年01月25日

春彼岸・施餓鬼法要のご案内/2月から4月の行事案内

春彼岸・施餓鬼法要のご案内/2月から4月の行事案内
 
平成29年・春彼岸・施餓鬼法要のご案内

日程 3月17日~23日の1週間

時間 午前8時~午後4時 ※最終日は午後3時まで

場所 ご本堂にて

※ 事前申込必要。施餓鬼の塔婆準備のためご供養をお勤めになられます方は、事前にお申し込み下さいませ。
 
寺務所まで。電話でも受け付けています。

毎年される方には往復はがきにてご案内申し上げますので、必要事項を記入の上、お早めにご返信ください。

締切、3月15日まで。

※ 混雑緩和のため、混雑が予想されます18日・19日・20日のお参り・お勤めは極力お避け賜れましたら有り難くに存じます。

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節分会・護摩焚き供養

・2月3日 午前9時~ 不動尊前


釈尊涅槃会

・2月15日 午前9時~ 本堂内


釈尊降誕会(花まつり)

・4月8日 午前9時~本堂前


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2016年06月25日

お盆・ご先祖様ご供養・施餓鬼法要/地蔵盆法要のご案内

平成28年・お盆・ご先祖様ご供養・施餓鬼法要のご案内

日程 8月11日~15日  7日間

時間 午前8時~午後4時 ※最終日は午後3時まで

場所 ご本堂にて

回向料 7千円 

任意 水子・無縁各供養 各1千円 

※ 事前申込必要。塔婆準備のためご供養をお勤めになられます方は、事前にお申し込み下さいませ。
 
寺務所まで。電話でも受け付けています。

毎年される方には往復はがきにてご案内申し上げますので、必要事項を記入の上、お早めにご返信ください。

締切、8月8日まで。

※ 混雑緩和のため、混雑が予想されます13日・14日のお参り・お勤めは極力お避け賜れましたら有り難くに存じます。

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8/24 地蔵盆のご案内

※ 雨天の場合、ご本堂にての開催となります。お気をつけてお越し下さいませ。

8月24日 地蔵盆法要 18時~ 水子地蔵尊前にて

回向料 2千円

経木塔婆を用意致しますので、御供養なさられる方は、できるだけ事前にご連絡下さい。


法要後、皆様でお分け致す御供養品は各自任意にてお持ち寄り下さいませ。

提灯について・・

提灯は一張・三千円にて承っております。子供さんの健やかな成長、無病息災も願って、どうぞお気軽に寺務所までお申し込み下さいませ。お名前を書き入れさせて頂きまして、毎年地蔵盆にてお飾りさせて頂きます。

水子ご供養について
http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/7832557.html

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秋・彼岸・墓前回向

日程 9月19日~25日   7日間

時間 午前8時~午後4時 ※受付は午後3時半まで
回向料 2千円
当日受付・事前申込不要

お墓前でのご先祖様御供養になります。当日に寺務所で受け付けをして頂きまして、その際にお渡しした順番カードを所定の場所へと持って行き、置いて頂いた後、お墓掃除をなさってお待ち頂ければと存じます。


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2016年02月02日

春彼岸・施餓鬼法要のご案内/2月から4月の行事案内

平成28年・春彼岸・施餓鬼法要のご案内

日程 3月17日(木)~23日(水)

時間 午前8時~午後4時 ※最終日は午後3時まで

場所 ご本堂にて

※ 事前申込必要。施餓鬼の塔婆準備のためご供養をお勤めになられます方は、事前にお申し込み下さいませ。
 
寺務所まで。電話でも受け付けています。

毎年される方には往復はがきにてご案内申し上げますので、必要事項を記入の上、お早めにご返信ください。

締切、3月15日まで。

※ 混雑緩和のため、混雑が予想されます19日・20日・21日のお参り・お勤めは極力お避け賜れましたら有り難くに存じます。

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節分会・護摩焚き供養

・2月3日 午前9時~ 不動尊前


釈尊涅槃会

・2月15日 午前9時~ 本堂内


釈尊降誕会(花まつり)

・4月8日 午前9時~本堂前


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2015年07月25日

『 仏教と戦争 ~ 戦後70年と仏教 ~ 』平成27年8月・お盆施餓鬼法要・配布資料

『 仏教と戦争 ~ 戦後70年と仏教 ~ 』平成27年8月・お盆施餓鬼法要・配布資料

岩瀧山・往生院六萬寺・副住職 川口英俊

はじめに

今年は、戦後70年を迎えて、テレビ報道でも戦争特集が放映されたり、各地においても節目の年として、追悼・慰霊供養の行事がなされております。そのよう な中、憲法解釈を逸脱する疑いのある安保法案が強行採決されて、衆議院を通過、ほぼ成立が決まってしまいました。集団的自衛権による自衛隊の武力行使が、 いよいよ認められることになれば、今後、日本が「戦争」の惨禍にやむなくに巻き込まれる懸念もますます高まってしまうことになります。仏教界からも安保法 案への反対、平和憲法擁護の声の高まりがございますが、今一度、先の大戦での日本仏教界による戦争協力への反省から、私たち仏教徒においては、「戦争」に ついて、これからどのように向き合い、考えて実践していくべきであるのか、この度は少し拙生なりの考えを述べさせて頂こうかと存じます。


仏教の基本的な姿勢について

まず、仏教では、「慈悲」、「非暴力・不害」の心を大切とするため、守るべき戒律としての「不殺生戒」がありますように、「殺したり、殺させたりしないよ うにすること」が求められます。初期仏典の一つ「法句経」には、「すべての者は暴力におびえ、すべての者は死をおそれる。己が身をひきくらべて、殺しては ならぬ、殺さしめてはならぬ」・「すべての者は暴力におびえる。すべての(生きもの)にとって生命は愛しい。己が身にひきくらべて、殺してはならぬ。殺さ しめてはならぬ。」(129・130偈・中村元氏訳参照)とありますように、自分のされて嫌なことは、相手も当然に嫌であって、そんなことはしないという ことの一つとして、「不殺生戒」もあると言えるのではないかと存じます。

また、仏教では「縁起」という考え方がございますが、私たちの世界では、お互いに支え合い、助け合い、分かち合い、補い合いによって、生かされて生きるこ と、存在することができている世界であって、傷つけ合い、奪い合い、貪り合いによってでは、自分も、他も、いずれその存在が成り立たなくなってしまいかね なくなるため、「共存・共栄」を重視し、自分だけが良ければいいというわけでも、また、相手だけが良ければいいというわけでもない、その両極端を避けた 「中道」が望まれることになります。


先の大戦における日本仏教界の戦争協力とその反省について

ほんの僅か一部の反戦の動きを除いて、ほぼ日本の仏教界は、日露戦争から、先の大戦においても、「戦争協力」を行い、あるいは「皇道仏教」として積極的に 戦争を賛美して、加担した例があったのも事実でございます。その理由としては、明治期の廃仏毀釈による萎縮の影響や国家神道の強大化により、これ以上の日 本仏教・教団の弱体化を防ぐためとして、国家への協力を余儀なくされてしまっていたということ、反戦・非戦の主張は、非国民・国賊の扱いにて、厳しく迫 害・断罪され、命が奪われてしまうことさえあったのを回避するためなど、色々なやむを得ない事情を汲むことはできます。

そのような中、今でこそ信じられないことですが、事実上、前述の「不殺生戒」を無効化させるような大乗仏教の誤った理論(涅槃経や法華経の比喩の一説や 空・無我の誤った解釈)を用いて、戦時殺人を肯定的に扱った主張(一殺多生の菩薩行であるという聖戦化、真なる正義[真の救い]のための殺人は、究極の慈 悲利他行として許され、功徳になるなど)を行ってしまっていたという残念な例さえもございました。

しかし、戦後において、日本の仏教界、各教団は、一貫して、凄惨で悲劇的な苦しみとなる戦争は、やはり仏教に反するものであり、先の大戦での戦争協力も完全に誤りであったとして、懺悔、反省すると共に平和のための声明を都度、表明するに至っています。


お釈迦様の政治・戦争への態度について

釈尊ご自身があまり政治や社会運動・活動などに積極的に関わることをなさられておられなかったことから、仏教の態度としては、あまり政治には介入せずに中 立・中道的立場が望ましいと言えるのではないかと存じます。但し、時の権力者、王や大臣にも教えを請われて、仏法をお説きになられておられましたので、少 しは仏教の観点から政治へのアドバイス的なことはされていたかもしれません。

また、釈尊の戦争への態度として有名であるのが、コーサラ国による釈迦族への軍事侵攻の際に、三度、それを留めさせたことであります。しかし、四度目は無 く(仏の顔も三度までの故事の由来)、もはや釈迦族の業による、どうしようもない厳しい因果の流れ、報いを見極められて、四度目の軍事侵攻に際しては、何 もなされずに見送られ、釈迦族は滅亡の憂き目となってしまったということがございました。

とにかく、政治、権力闘争、戦争などの俗事にはあまりとらわれず、惑わされることなく、何よりもそれぞれ自身、善い行いに努め励むことによって、悟り・涅槃へと向けたより善い因果の流れを調えることが、大切になるということではないかと存じます。


中国によるチベット侵攻の際のチベット仏教界における思想的背景について

中国のチベット侵攻において、当時のチベットを統治していたチベット仏教界が、ほとんど無抵抗のまま(実際には、侵攻の際のチャムドの戦いや、その後もゲ リラ戦による抵抗は続いており、一部寺院・僧侶による武器を持っての抵抗もあった)に、中国による侵略、虐殺、陵辱を許してしまった背景には、実は仏教思 想における「慈悲・非暴力・不害」の心が、その大きな要因としてあったのではないだろうかと考えることができます。

そこで、その思想的背景の一端を探るべく、この度は、シャーンティデーヴァ(寂天)大師の「入菩薩行論」(大法輪閣)の内容の一部を引用させて頂きまし て、「戦争」に対して、仏教徒としては、いかなる態度をとるべきであるのかということの一つの参考として、ここにおいて考察させて頂いておきたいと存じま す。

※ また、チベット問題を考える上での参照として、拙論「自らを灯明と化した菩薩たちの願い」~チベット問題・焼身抗議を考える~ http://t.co/PwVvYWck も、是非この機会にお読み下さいませ。


「入菩薩行論」(大法輪閣)の引用抜粋

「私の一切はあなた(勝者(諸仏方)とそれら仏子)のものゆえ、輪廻においても怖れない。[私は]有情のために利益しよう。以前の不善業を正しくし、これからは他の罪はすまい。」(第二章・罪の懺悔・p38)

「からだとこのような財産と、三世の善根(=過去に行った善、現在において行っている善、未来に行う善)すべてを一切有情の利益を成就するために、ためらわず、与えよう。」(第三章・菩提心の受持・p53)

「私は、一切の生きものへこのからだを、どうなろうとも、与えよう。それによって、殺そうとも、ののしろうとも、あるいはたたこうとも、好きにせよ。」(第三章・菩提心の受持・p53)

「このからだで、[自他すべてに対して]害をもたらさない、いかなる行為でも行いなさい。私を対象として、いつでも、誰も、一つも無意味[な目にあわ]ないように[私は望む]。」(第三章・菩提心の受持・p53-54)

「誰かが、私に対して怒ろうとも、信仰の心を生じようとも、それが常に彼らのすべての利益を成就する原因とならんことを。」(第三章・菩提心の受持・p54)

「ある者は私を非難し、他の者は害を加える。あるいは、そのように陰口を言う。それらすべても、菩提を得る幸運を持つものとなれ。」(第三章・菩提心の受持・p54)

「私は、焼き殺されようとも、私の頭を切られようとも構わない。決して煩悩という敵に屈従しない。」(第四章・菩提心の不放逸・p66)

「粗暴な有情は虚空のよう[に無限にいる。そのような]彼らを滅ぼすことはできない。[しかし、]怒りというこの心一つを滅ぼせたなら、すべての敵を滅ぼしたようなものだ。」(第五章・正知の守護・p73)

「あるとき、自分の心が執着し、怒りを生じるようなときは、[何も]行為をせず、口を開かず、木のごとくあれ。」(第五章・正知の守護・p78)

「慈悲心が[いまだ]清浄でないならば、このからだを布施してはならない。ただし[堅固な慈悲心をおこしたら]、今生においても他生においても偉大なる成就の原因とすべく[からだを]布施せよ。」(第五章・正知の守護・p83)

「千劫にわたって積んできたもの、布施や諸仏への供養などによる善き行い、それらすべても、たった一つの怒りが打ち壊す。」(第六章・忍辱波羅蜜・p95)

「このように、すべて[のもの]は他に依存しており、それ自体には自由がない。そのように理解して、幻のごとき事物に対して怒りをおこすな。」(第六章・忍辱波羅蜜・p99)

「もし、「この敵には害そうとの心があるから、供養するべきではない」と言うならば、医者のように助けとなろうとする者に対して、どうして私は忍辱を成就できようか。」(第六章・忍辱波羅蜜・p108)

「それゆえ、強い瞋恚の心によって忍辱を生じ、それ(=敵)が忍辱の原因であるならば、聖なる法[に対する]ように供養すべきである。」(第六章・忍辱波羅蜜・p108)

「私は、焼かれ、殺されようとも、私の頭が切られようとも、決して煩悩という敵を尊敬などしない。」(第七章・精進波羅蜜・p128)

「地獄などの苦しみを考えれば、もろもろの欲望に対して、武器と毒と火と峡谷と敵など[の苦しみ]も比べようもない。」(第八章・禅定波羅蜜・p148)

「自分のために他者を害するなら、地獄などで苦しむこととなる。他者のために自分が害を受けるなら、あらゆる円満を得ることになる。」(第八章・禅定波羅蜜・p153)

「私のこの福徳によって、一切有情がすべての罪を捨てて、つねに善をおこないますように。」(第十章・廻向・p220)

「菩提心を離れずに菩薩行に努力し、仏たちに完全に守られて、魔の業すべてを捨てますように。」(第十章・廻向・p220)

「虚空があり続ける限り、有情があり続ける限り、私があり続け、衆生の苦しみを滅ぼせますように。」(第十章・廻向・p222)

「衆生のいかなる苦しみも、すべてが私にもたらされますように。菩薩の僧伽によって、有情が幸せになりますように。」(第十章・廻向・p223)


以上の引用の内容から考えますと、敵から理不尽にも害され、殺されることになろうとも、それよりも、そのことに対して、怒りや憎しみなどの煩悩を起こして しまうことによる過失(悪業)の方が、この繰り返しの迷い苦しみの輪廻においては、はるかに恐ろしく、避けるべきであるということが、一つ言えるのではな いかと存じます。

また、害を与えてくる敵であっても、あるいは守るべき味方でも、この輪廻から救われるべき対象として、平等に慈悲の心を起こすべきであるということ、更に は、敵という存在は、「忍辱波羅蜜」という尊い修行の実践のための大恩ある先生、有り難い善知識(場合によっては、実際の師や諸仏以上の存在)であると捉 えることさえも実はございます。

所詮は、そんなもの理想論、楽観論だとの批判もあるでしょうが・・たとえどんなに、相手に殺させない(戦争をさせない)ための努力をしていたとしても、や むなくに戦争が始まり、戦禍に巻き込まれ、害してくる者があって、まさに殺されようとしても、あるいは、身内・仲間が害されたり、殺されたりしても、決し て怒りや憎しみなどの煩悩を生じさせてしまってはいけない、煩悩によっての悪業を積むことなく、変わらずに堅固なる菩提心(悟りを求める心)と慈悲心を持 ち続け、心を清浄に保ち、悟りへと向かうための福徳・功徳の行いに、最後の最後まで努め励むことが大切であるということが、仏教の教えに適うものになるの ではないだろうかと存じます。

とにかく、戦争による悪業を作らないためには、冷静に、諦めずに戦争反対を主張し続けること、戦争を止める努力をすると共に、悪魔の狂気に決して惑わされ ずに、最終的にどうしても避けられないとなれば、疎開や亡命など、勇気を持って全力で逃げて離れること、やむなく徴兵などにて無理矢理に戦地に駆り出され たとしても、できる限り殺さない、殺させないようにし、逃げ、隠れ、サボって、また喜んで即座にでも捕虜になって、どんなに根性なし、国賊と責められよう が、とにかく生きて帰れるように努力することが大切になるのではないかと存じますし、是非、そのようにありたいものでございます。

「誰かに聖なる宝の心(=菩提心)が生じたならば、私はその方のおからだに礼拝する。その方に害を加えることさえも楽の縁となる、楽の源に帰依する。」(第一章・菩提心の利益・p31)

堅固なる菩提心は、例え害してくるものにでさえも、悟り・涅槃へと向かわしめる縁とさせしめることができる・・この浅学非才の未熟、若輩なる拙生も、そのような究極の菩提心をしっかりと発心し、菩薩道・仏道を確かに歩んで参りたいものでございます。


その他、法句経(中村元氏訳参照)からの参照として・・

「実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以ってしたならば、ついに怨みの息むことがない。怨みをすててこそ息む。これは永遠の真理である。」(法句 経・5偈)、「戦場において百万人に勝つよりも、唯だ一つの自己に克つ者こそ、じつに最上の勝利者である。」(法句経・103偈)、「自己にうち克つこと は、他の人々に勝つことよりもすぐれている。つねに行ないをつつしみ、自己をととのえている人、---このような人の克ち得た勝利を敗北に転ずることは、 神も、ガンダルヴァ(天の伎楽神)も、悪魔も、梵天もなすことができない。」(法句経・104・105偈)

・・以上ここまで。

「自らを灯明と化した菩薩たちの願い」~チベット問題・焼身抗議を考える~
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「仏教の基本的な理解のために」平成27年3月・春彼岸施餓鬼法要・配布資料
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「 死後について 」平成26年9月・秋彼岸墓前回向 配布資料
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平成26年・お盆施餓鬼法要 法話内容 録画配信Ustream
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「お葬式について」平成26年8月・お盆施餓鬼法要・配布資料
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2015年06月25日

お盆・施餓鬼法要のご案内

お盆・施餓鬼法要のご案内

平素より当寺にてご先祖様ご供養を賜りまして、厚く御礼申し上げます。

ほどなくお盆をお迎え致します。今夏もお施餓鬼法要をご本堂にてお勤めさせて頂きますので、ご先祖様並びに有縁先亡者各霊位、三界萬霊位のご供養をお勤め賜りますよう、ここに謹んでご案内を申し上げます。合掌

※寺務所でも申し込み受け付け致しております。

※ 施餓鬼塔婆の用意の都合上、案内同封の返信葉書にご記入の上、お早めにご返信の程を宜しくお願い申し上げます。
(特に施主名はお書き忘れのないように願います。)

日 程  平成27年8月12日(水)から8月16日(日)の5日間

日 時  午前8時から午後4時 (※ 最終日は、午後3時までの受付)

お布施 7千円(塔婆・法要)※ 当日のお支払いで構いません。

別途、任意にて無縁供養・水子供養をなされる方は、各・千円のお布施となります。

ご供養をご希望の方は、返信ハガキのチェック欄に必ずチェックをお入れ下さいませ。

お盆用の墓前仏花(蓮・槇入り)は十分な数をご用意させて頂いております。


お盆・施餓鬼法要の概略・流れ

1 事前にお申し込み必要。締切までに。葉書での返信、または寺務所にて申し込み。
2 施餓鬼塔婆のご用意。
3 供養当日に寺務所にて順番の受け付け、供養料のお支払い。
4 お墓の参り後にご本堂前へ。本堂前のテントで、名前が呼ばれるのを待ちます。
5 堂内よりお名前が呼ばれましたら、本堂内へと入る。
6 法要・焼香・法話(約15分~20分)。ご供養をお勤め頂きます。
7 ご供養後、水向け地蔵さんのところへ塔婆を持って行き、水を掛けてご供養。塔婆は、 
 一ヶ月間、お祀りした後にお焚き上げご供養。

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2015年03月07日

「 仏教の基本的な理解のために 」 平成27年3月・春彼岸施餓鬼法要・配布資料

平成27年3月・春彼岸施餓鬼法要・配布資料

『 仏教の基本的な理解のために 』
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/55ced9a1512c6ef6e095caa4fbe9eb8c

岩瀧山往生院六萬寺 副住職 川口英俊

はじめに・・

平成24年11月からスタートした「お坊さんがこたえるQ&Aサービスhasunoha(ハスノハ)」 http://hasunoha.jp/ に参加致しまして、2年が過ぎました。サービス開始当初から回答させて頂きまして、平成27年3月2日にて、ようやく500回答に達成することができまし た。多くの皆様から日々、多種多様なご質問を頂きまして、浅学菲才の未熟者ではございますが、他の登録僧侶の皆様と共に何とかここまで継続してお答えする ことができて参りました。この間、お答えさせて頂きました内容を振り返りまして、仏教の基本的な理解のために、今一度、確認しておくべきことにつきまし て、この度は改めて述べさせて頂いておこうかと存じております。どうぞ少しなりともご参考にして頂けましたら幸いでございます。

【 hasunoha拙回答の基本的な前提となる考え方について 】
http://www.hide.vc/h1.html

大前提 「 空と縁起の理法に反する考え方の否定 」
小前提
 1、実体的・絶対的な存在の否定、常見と断見の否定。
 2、輪廻思想・業論を否定しかねない考え方の否定。
 3、善因善(楽)果・悪因悪(苦)果の因果関係を破壊しかねない考え方の否定。
 4、仏教の修道論(智慧開発・善徳行・利他行・菩薩行)を無用化させかねない考え方の否定。
 5、無際限・無限定に如来の慈悲を根拠として引用しての楽観的な救済論の否定。
 6、仏教を不要化させかねない楽観的な現実全面肯定の理論の否定。
 7、神秘主義的な考え方の否定。

この以上の項目の内容に関しまして、今回は、補足を少し述べさせて頂くことにより、仏教の教えの理解へと向けた基本的なことについて考えて参りたいと存じます。

まず、仏教の修習において大切となるのが「智慧と福徳(方便行・善徳行・慈悲利他行)」の二つとなります。

智慧は、賢さを表す言葉ですが、その賢さとは、真理を悟るための力となるため、しっかりと学び修していくことが望まれます。その内容とは、端的には「空」 を悟ることになります。「空」を悟ることによって、全ての遍くに貫いている真理のありようを理解し、特には、誤った見解、邪見、とらわれなどを無くすこと が求められることになります。

「空」とは、あらゆる全てのモノ・コトには、「実体・自性・自相が無い」という事態を示しますが、簡単には、そのモノ・コトが、それ自体の側において、永 久永遠に変わらずに存在し続けているような様態としては成立していないということを表します。もう少し詳しく述べるならば、他に(例えば、要因や条件、要 素・部分等に)依存せずに独立自存として成立しているものがあり得ないということになります。

もっと更に分かりやすく述べるならば、もしも、他に依存せずに独立自存として存在するものがあるならば、一応、この宇宙の始まりと言われているビッグバン 以前からも、それはそれとして変わらずに存在していなければならないことになります。もしも、仮にあなたのその現在の心身が実体として有ると言うならば、 その現在の心身そのままのものが、ビックバン以前からも実体として存在して有るということにならなければいけません。しかし、もちろんそんなことはあり得 ないのですが、そのようにして、「実体・自性・自相が無い」という事態の理解を、あらゆる全てのモノ・コトへと及ぼしていくことで、これで間違いないとい う心底からの「空」の了解が必要となります。

ただ、ここで気を付けないといけないのは、「実体・自性・自相が無い」と述べても、何も無いという「虚無・絶無」ではありません。確かに現にモノ・コトは モノ・コトとして存在しています。但し、その存在のありようは、「縁」(よ)って「起」こっているという「縁起」(※三層の縁起のあり様につきましては、 以前の資料をご参照下さいませ)を理解することが同時に大切なことになります。

そのようにして、「空と縁起」を正しく理解するのが、「中道」の智慧となります。これが、大前提と小前提1の理解において必要なことになります。

次に、小前提2における輪廻思想・業論について、「輪廻」とは、迷い苦しみ(惑・業・苦)の連環のことであり、「業」は、身・口・意(身体・言葉・心)に よる言動の積み重ねのことで、これから先の結果へと繋がる要因・条件にもなっていくものであります。無明(根本的な無知)・煩悩に支配されたままであれ ば、迷い苦しみから逃れることができないということと、無明・煩悩に支配された状態における悪い言動の数々は、悪い結果をもたらす要因・条件になってしま い、もちろん、その逆に、無明・煩悩から離れた、もしくは離れるために行われる善き言動は、善い結果をもたらす要因・条件になることになります。輪廻・業 論の否定は、無明・煩悩、あるいはそれらによる悪業、または、悟り・涅槃、あるいはそれらへと向けた善業や仏道までも否定してしまうことに繋がりかねない ため注意が必要となります。

また、上記の小前提2におけることと同様に、小前提3の「善因善果・悪因悪果の因果関係」の否定も、悪業・善業の否定、無明・煩悩や悟り・涅槃の否定、仏 道の否定となってしまうため、やはり注意が必要となります。この「因果の理」は、全ての仏教思想に通底している基本的な理となります。モノ・コトは、必ず 因果の理、あるいは条件という意味の「縁」も加えて、「因縁果の理」によって成り立っていることを、まずはしっかりと理解しておかなくてはいけません。

次の小前提4としての「仏教の修道論(智慧開発・善徳行・利他行・菩薩行)」も、まさに善因善果・悪因悪果の因果関係を基本としているため、もしも、それ らを否定してしまっては、別に何もせずとも、あるいは、善業、悪業のどちらにも拘らず、何か善い結果、例えば、悟り・涅槃へと到れること、如来となれるこ とを認めてしまうことにも繋がりかねないため、否定すべきものではないと考えます。

更に、小前提5におけるように、「無際限・無限定に如来の慈悲を根拠としての救済」を説いてしまうことは、その救済の範囲をあまりにも拡大させすぎて、 「善因善果・悪因悪果の因果関係」・「仏教の修道論」を破壊してしまう恐れがあります。例えば、「いずれ如来の慈悲の中において、みんな必ずや救われる、 悟れることになるから大丈夫、安心だ」となってしまえば、それでは、どんな悪業や善業、修行にも拘らずに、いずれ誰もが救われることになり、何をしてもし なくても関係ないこと、平気なことになってしまいます。それが、小前提6の楽観的な考え方として、仏教そのものが、結局は、不要・無用となりかねなくなり ます。特に、「全ては既に悟っている、悟りの中にある、全ては皆成仏している」といったような全面肯定の考え方は危険極まりなく、それも、いずれは、「何 もしなくても大丈夫だ」となって、仏教の不要化・無用化に繋がりかねませんので、非常に気をつける必要があります。

最後の小前提7の神秘主義的な考え方も、上述のことに加えて、「何か訳は分からない、証明はできないけれども、それで悟れるらしい、救われるらしい」とい うような無責任なことを認めてしまっていけば、因果の理を否定することになり、確かなる仏道の修習が成り立たなくなってしまう恐れが出て参ります。

仏教における、その教え、考え方が正しいかどうかは、常に各々で合理的に十分に色々と検証していくことが大切であり、チベット仏教における教えの中に、 「師の教えを、ただ尊敬だけをもって受け入れるべきではなく、金細工師が、その扱っている金が本物か偽物か、その金を焼いて、切って、磨くことをもって慎 重に吟味するように、そのようにして師の教えも受け入れていくべきである」とありますように、例え師の教えであろうとも、批判的、合理的に検証を繰り返し て、しっかりと納得した上にて、その教えを修習することが大切なことになります。とにかく、心の底から納得できるまでは、合理的に批判的に検証を繰り返し ていくことが必要であり、あまりにも現実的で無いような荒唐無稽なことを狂信したり、妄信、盲信してしまっては、善い結果(悟り・涅槃)へと到れるどころ か、まるで逆の悪い結果に陥りかねない危険性もありますので、十分な注意が必要となります。

とにかく、仏教の基本的な教えについて、過去この世に顕れられた七名の如来が、共通しておっしゃられていることを端的に表すお経がございます。それが「七仏通誡偈」(しちぶつつうかいげ)でございます。

「諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意 是諸仏教」
(しょあくまくさ しゅうぜんぶぎょう じじょうごい ぜしょぶっきょう)

「諸々の悪い行いをなさずに、善い行いに努め励みて、自らその心を浄らかにすること、これが諸々の御仏の教えである」

仏教の基本は、とにかく、悪い行いを慎み、悪業を積まずに、善い行いに努めて、善業を積むことに励み、心を無明や煩悩に汚されないように浄らかにして、やがて悟り・涅槃へと到れるように、確かなる仏道の歩みを進めていくことが大切となります。

確かなる仏道の歩みを進めていく上で、特に前述の「智慧と福徳」の二つのことにしっかりと修習していくことが望まれます。是非共にこれからも頑張って参りましょう。

川口英俊 合掌

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