空と縁起

2016年07月21日

『般若心経における「空」について』 

『般若心経における「空」について』 平成28年8月・お盆施餓鬼法要配布資料
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/93cd51b49c2264eb00fcc00a904a3392

岩瀧山 往生院六萬寺 副住職 川口 英俊


一、はじめに・・

 本論は、近畿化学工業界・機関誌「きんか」第759号(平成28年7月1日発行)に寄稿させて頂きました拙論「空(くう)について」を加筆修正して、この度、お盆法要の配布資料用として改めて編集したものでございます。

二、「般若心経」・・

深遠なる真実義をお説きになられました仏陀世尊・お釈迦様に敬礼申し上げます。

「摩訶般若波羅蜜多心経」(中村元先生の漢文読み下し文参照)

「観自在菩薩が深き般若波羅蜜多を行ぜし時、五蘊皆空なりと照見して、一切の苦厄を度したまえり。舎利子よ、色は空に異ならず。空は色に異ならず。色はすなわちこれ空、空はすなわちこれ色なり。受想行識もまたまたかくのごとし。舎利子よ、この諸法は空相にして、生ぜず、滅せず、垢づかず、浄からず、増さず、減らず、この故に、空の中には、色もなく、受も想も行も識もなく、眼も耳も鼻も舌も身も意もなく、色も声も香も味も触も法もなし。眼界もなく、乃至、意識界もなし。無明もなく、また、無明の尽くることもなし。乃至、老も死もなく、また、老と死の尽くることもなし。苦も集も滅も道もなく、智もなく、また、得もなし。得る所なきを以ての故に。菩提薩埵は、般若波羅蜜多に依るが故に。心に罣礙なし。罣礙なきが故に、恐怖あることなく、一切の顛倒夢想を遠離して涅槃を究竟す。三世諸仏も般若波羅蜜多に依るが故に、阿耨多羅三藐三菩提を得たまえり。故に知るべし、般若波羅蜜多はこれ大神呪なり。これ大明呪なり。これ無上呪なり。これ無等等呪なり。よく一切の苦を除き、真実にして虚ならざるが故に。般若波羅蜜多の呪を説く。すなわち呪を説いて曰わく、羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶。般若心経。」

 般若波羅蜜多心経は、サンスクリットで、「プラジュニャー(般若)・パーラミター(波羅蜜多)・フリダヤ(心)」なるお経として、「最高の智慧(ちえ)の心髄なるお経」ということになります。仏教では、悟りを得るためには、仏道を歩む中で、大きく分けて二つの実践が必要となり、その一つが「智慧」の修習で、もう一つが、「福徳」(方便行・善徳行・功徳行)の集積となります。
 「般若心経」は、その前者の代表格となる「空」(くう)を理解するための「智慧」を説くお経となっております。その内容は、観音菩薩様が、お釈迦様の十大弟子のお一人、シャーリプトラ(舎利子)との問答において「空」の教えをお説きになられ、お釈迦様がそれをご承認なさられているという形式となっています。
 お釈迦様の教えは、「八万四千の法門」と言われますように、たくさんの教えが説かれておりますが、それは、説く相手の人、それぞれの苦しみ、迷いに対して的確に応じて、対機説法(たいきせっぽう)・方便(ほうべん)として、仏教をお説きになられたためでございます。そのたくさんの教えが、お経としてお釈迦様がお亡くなりになられた後代にまとめられて、現代にまで伝わっています。
 「般若心経」も、その一つの教えとなりますが、実は、「大般若波羅蜜多経」という膨大なお経のエッセンスとして、更にまとめられたお経となっています。
 お釈迦様の教えとなるお経は、その内容を理解して、悟りへと向かうための実践として活かしていくことが大切となります。「般若心経」も同様に、ただ読経するだけ、ただ写経するだけではなく、その「深遠なる空の智慧」の内容を理解して、生きる実践、仏道の実践に役立てていかなければならないものとなります。

三、「空」(くう)とは・・

 「空」とは、端的に述べると「実体の否定」ということになります。「実体」とは、「独立自存として成り立っていること」を言いますが、その「実体の否定」とは、簡単には、モノ・コトが、それ自体の側において、永久永遠に変わらずに存在し続けているような、「独立自存」なる何かによって成り立っているのかどうかと言えば、そういった「独立自存」なるものは、何らとして見当たらないということになります。
 つまり、それ自体が、それ自体の側で、それ自体によって成り立っている何かが、どこにも見当たらないとして、例えば、分子一つについて、どんなに分析して分解していって、原子、電子、中性子、陽子と、その単体としての構成要素の根本を更に探し出そうとしても、実は見つからない、見つけられないということになります。
 おそらくは、どんなにこれから文明が発展して、研究が進んでも、そのようなものを見つけるのは難しく、しかも、この宇宙の構成要素・物質の九十五パーセントが何かさえも、まだ解明されていませんので、仮に構成要素の根本的なものが何かあったとしても、今の地球の人類が存在している間において、その何かを見つけることなど、多分、到底無理になるのではないだろうかと思われます。
 さて、ただ、「実体が無い」といっても、「何も無い」という「絶無・虚無」ではありません。「般若心経」でも、「無・無・無・・」と否定辞となる「無」が多用されているため、「何も無い」と勘違いして「空」を理解されてしまう方がおられますが、実はそうではありません。「何も無い」のであれば、私も皆さんも全く存在していないことになりますが、そんなことはないですよね。
 確かに、私たちは、現に、今、このようにして存在しています。目の前のモノ・コトも、もちろん存在しています。ただ、それらは存在してはいますが、そのありようは、あくまでも「空なるもの」ということになるのでございます。

四、「縁起」(えんぎ)とは・・

 では、「空」ではあるものの、モノ・コトというものは、どのように存在して成り立っているのかということを、それらは、「必ず何らかの他に依存して成り立っている」と説明することになります。それを仏教では「縁(よ)って起こっている」ということで、「縁起」(えんぎ)と申します。
 その縁起についても、いくつかのレベルがあり、例えば、「原因と条件と結果のそれぞれとの依存関係」(簡単には、種(たね)という原因があり、養分や水や光といった条件があって、結果としての花が咲き、実が成るということ)、あるいは、「部分と全体との依存関係」(タイヤや車軸、エンジン、座席などの色々な部品が集まることによって、全体としての車があるということ)、更には、私たちの「意識作用・概念作用・思惟分別作用により、仮名・仮説・仮設されることによっての依存関係」(世間一般・通例・慣例で広く認められている概念上によって、一応、仮に名付けられたものとしてあるということ)として、大きく三つに分類されることになります。

五、「空と縁起」について・・

 この「空と縁起」としてあるモノ・コトのありようを正しく理解することにより、私たちが普段、間違って、何かそのモノ・コトに実体があるかのように、とらわれを起こして、迷い苦しんでいることをよく知り、その迷い苦しみから離れていけるように調えていかなければならないとして、「般若心経」の中でも「一切の顛倒夢想を遠離して涅槃を究竟す」と述べられているのであります。
 さて、「空と縁起」について、もっと分かりやすく申しますと、私たちは、独りで生きていられるような存在ではありません。
 もしも、私たちが存在していくにあたり、永久永遠に変わらずに存在できていける何かがあるのであれば、別に何も食べなくても、空気を吸わなくても、他の生命がいなくても、地球が無くても、宇宙が無くても、他に人がいなくても、それで存在していけるはずですが、そんなことはあり得ないでしょうし、そんな実体は無いということになります。
 私たちは、地球があり、空気があり、自然・生命の営み、人の営みがあって、色々なものに依存することで、支えられて、助けられてこそ、何とか存在していけるのでございます。
 ですから、自分自身に実体があると、自己中心的に自分にとらわれての「我執」(がしゅう)や、モノ・コトのそれぞれに実体があるとして、それらをいつまでも抱えておこうとしてのとらわれとなる「法執」(ほっしゅう)を取り除いていくことで、簡単には、お互い様の配慮の心、有り難うの感謝の心、助け合い・支え合い・分かち合いの心において過ごしていけるようにしていくことが、この世界でより良くに過ごしていくために必要となり、また、「情けは人の為ならず」、仏教的には、「自利利他」(じりりた)の精神として、他のためにできることで、助け、支えになっていけるように調えていくことも大切となる次第でございます。

六、「色即是空 空即是色」について・・

 「般若心経」と言えば、最も有名なフレーズが「色即是空 空即是色」でございますが、この場合の「色」とは、「物質的な現象のこと」であり、「物質的な現象の本質は、空なるものであり、また、空なる本質であるがゆえに、物質的な現象は、縁起なるものとして立ち現われているのだ」として、つまり、「物質的な現象は、実体、独立自存として成り立っているものではないが、空にして縁起なるものとしては成り立っている」ということ、また、「縁起なるものとして成り立っているがゆえに、空なる本質であると言えるもの」として、更に、私たちの色(物質)以外の「受・想・行・識」の各作用なども、そのようなものであると続けられています。
 いずれにしても、この世の全てのモノ・コトは、必ず他に依存することによって成り立っており、他に依存せずに成り立っているものなどどこにもなく、それがゆえに、全てのモノ・コトは、「縁起」なるものとしてあり得ており、そして、それら「縁起」としてあり得ているものは、実体が無く、「空」なるものと言い得るのであります。

七、「般若心経の真意」について・・

 そして、「般若心経」では、お釈迦様の重要な教説である、「無明(むみょう)から老死」へと私たちの迷い苦しむ過程を説いた「十二の因縁(原因と条件)」の各それぞれにも実体は無い、四つの聖なる真理「四聖諦」(ししょうたい)としての「苦諦・集(じっ)諦・滅諦・道諦」の各真理にも、それぞれの実体は無い、そして、「智慧」にも実体が無いと続いていますが、それらは、あくまでも「実体が無い」ということであって、「縁起」としては正しく成立しているということでもあり、各それぞれの実体にとらわれてしまうことなく、教えに基づいた実践をすることにより、悟り・涅槃へと至るための確かなる道を歩まなければならない、ということになる次第でございます。
 特に仏教における教えの中でも、その要諦となるのが、何よりもお釈迦様が最初に教えを説かれた「初転法輪」の中での「四聖諦」であり、それは、例えば、私たちは、代表的に八苦[生・老・病・死、愛するモノ・コトとも別れなければならないという苦しみの愛別離苦(あいべつりく)、憎しみ怨むモノ・コトとも出会っていかなければならないという苦しみの怨憎会苦(おんぞうえく)、(実体的に)求めても得られず満足できないという苦しみの求不得苦(ぐふとっく)、心身共の作用が盛んに働いていることによる苦しみの五蘊盛苦(ごおんじょうく)]する中にありますが、それらの苦しみには、その苦しみという結果へと至らしめている因縁(原因と条件)が必ずあって、苦しんでしまっているのであって、その苦しみをもたらしてしまっている因縁を何とか解決して、より良い結果へと向かわしめるための因縁へと変えていくことができれば、やがて、苦しみを滅することができ、更に、仏道の実践によって、悟り・涅槃へと至るための因縁もしっかりと調えていくことで、いずれ、悟り・涅槃へと至れることになるものであるとして、そのための方法論を、お釈迦様が、対機説法、善き巧みなる方便(善巧方便)を駆使なさられてお説きになられたのであり、実は、「般若心経」の内容も、この「四聖諦」を基本として説かれている教えになるのでございます。
 ですので、「無苦集滅道」と「般若心経」の中にございますが、それは、「四聖諦」を否定しているのではなくて、「十二因縁や四聖諦の教えというものも、空であり、実体としては成立していないが、縁起なるものとしては正しく成立しているので、そのこともしっかりと理解した上で、実践に努め励みなさい」ということであると考えることができる次第でございます。
 「般若心経」についての注釈書や解説書は、これまでにも数多く出版されていますが、このことについてしっかりと言及されている内容は、あまりないのではないだろうかと思われます。

八、「二諦」について・・

 もう一つ仏教を理解していく上で大切となるのが、「般若心経」において説かれているような「空」による最高の真理を示す教えとしての「勝義諦」(しょうぎたい)と、世間世俗の真理に留めて説かれている教えとしての「世俗諦」(せぞくたい)という、二つの真理に基づいて、仏の教えが説かれている、ということでございます。
 数々のお経の内容においても、それが、世俗的、便宜的な「方便」の教えとしてであるのか、あるいは、「空」という最高の真理を示すための教えであるのか、このことを意識して理解せずに学び進めてしまっては、混同、混乱し、それが間違った学び、実践へと繋がりかねないため、十分に注意することが必要となります。
 特に、「二諦」においては、「無明」(根本的な無知)を対治していく中で、「ある」ものを「ない」としてしまっている錯誤、「ない」ものを「ある」としてしまっている錯誤について、いったい、何を否定して、何を肯定するべきであるのか、あるいは、何を否定するにしてもどこまでとなるのか、何を肯定するにしてもどこまでになるのか、そのことを明確にすることによって、一切のモノ・コトについて、正しく設定することができるようになるため、それにより、仏教の場合では、迷い苦しみのありようから、悟りのありようまでもを正しく設定した上で、正しい悟りへと向けた階梯(修行段階)に取り組み、しっかりと励んでいけるようにすることが、何よりも大切となって参ります。
 仏教を学び進めていただく際には、少しだけこのことを頭の片隅に置いておいていただけましたらと存じます。

九、最後に・・

 私は、三年半前から、お坊さんが悩み事や相談にお答えするQ&Aサイト「hasunoha」(ハスノハ)[ http://hasunoha.jp/ ]に回答僧侶として登録し、参加しています。
 日々、ご質問と向き合いながら、少しでも皆様の悩み苦しみに寄り添い、解決のきっかけとしていただく回答を目指し、仲間の同志の僧侶たちと共に精進しております。
 読者の皆様方におかれましても、もし、何か悩み事や相談事、あるいは、仏教全般におけることでの疑問がございましたら、是非、活用していただけましたらと存じます。匿名でも質問できますので、どうぞ気軽にご利用下さいませ。

 「やがて、全ての衆生が、迷い苦しみの世界から離れて、悟り・涅槃の世界へと至れますように」

川口英俊 合掌


往生院六萬寺
http://oujyouin.com/

最近の配布資料・・

「Amazonお坊さん便」の抱える問題について/平成28年3月・春彼岸施餓鬼法要・配布資料
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/d339cd6c14be7db57860f241caf4984d

「仏教と戦争 ~ 戦後70年と仏教 ~」平成27年8月・お盆施餓鬼法要・配布資料
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/c479dc1d59328df2708ba23499b4d92b

「仏教の基本的な理解のために」平成27年3月・春彼岸施餓鬼法要・配布資料
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/55ced9a1512c6ef6e095caa4fbe9eb8c

「死後について」平成26年9月・秋彼岸墓前回向・配布資料
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/46df9bb57071ef4f2b56161423dba66f

「お葬式について」平成26年8月・お盆施餓鬼法要・配布資料
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/0816eb5e788bf5ecfc8eed8e901b1a76

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2015年03月07日

「 仏教の基本的な理解のために 」 平成27年3月・春彼岸施餓鬼法要・配布資料

平成27年3月・春彼岸施餓鬼法要・配布資料

『 仏教の基本的な理解のために 』
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/55ced9a1512c6ef6e095caa4fbe9eb8c

岩瀧山往生院六萬寺 副住職 川口英俊

はじめに・・

平成24年11月からスタートした「お坊さんがこたえるQ&Aサービスhasunoha(ハスノハ)」 http://hasunoha.jp/ に参加致しまして、2年が過ぎました。サービス開始当初から回答させて頂きまして、平成27年3月2日にて、ようやく500回答に達成することができまし た。多くの皆様から日々、多種多様なご質問を頂きまして、浅学菲才の未熟者ではございますが、他の登録僧侶の皆様と共に何とかここまで継続してお答えする ことができて参りました。この間、お答えさせて頂きました内容を振り返りまして、仏教の基本的な理解のために、今一度、確認しておくべきことにつきまし て、この度は改めて述べさせて頂いておこうかと存じております。どうぞ少しなりともご参考にして頂けましたら幸いでございます。

【 hasunoha拙回答の基本的な前提となる考え方について 】
http://www.hide.vc/h1.html

大前提 「 空と縁起の理法に反する考え方の否定 」
小前提
 1、実体的・絶対的な存在の否定、常見と断見の否定。
 2、輪廻思想・業論を否定しかねない考え方の否定。
 3、善因善(楽)果・悪因悪(苦)果の因果関係を破壊しかねない考え方の否定。
 4、仏教の修道論(智慧開発・善徳行・利他行・菩薩行)を無用化させかねない考え方の否定。
 5、無際限・無限定に如来の慈悲を根拠として引用しての楽観的な救済論の否定。
 6、仏教を不要化させかねない楽観的な現実全面肯定の理論の否定。
 7、神秘主義的な考え方の否定。

この以上の項目の内容に関しまして、今回は、補足を少し述べさせて頂くことにより、仏教の教えの理解へと向けた基本的なことについて考えて参りたいと存じます。

まず、仏教の修習において大切となるのが「智慧と福徳(方便行・善徳行・慈悲利他行)」の二つとなります。

智慧は、賢さを表す言葉ですが、その賢さとは、真理を悟るための力となるため、しっかりと学び修していくことが望まれます。その内容とは、端的には「空」 を悟ることになります。「空」を悟ることによって、全ての遍くに貫いている真理のありようを理解し、特には、誤った見解、邪見、とらわれなどを無くすこと が求められることになります。

「空」とは、あらゆる全てのモノ・コトには、「実体・自性・自相が無い」という事態を示しますが、簡単には、そのモノ・コトが、それ自体の側において、永 久永遠に変わらずに存在し続けているような様態としては成立していないということを表します。もう少し詳しく述べるならば、他に(例えば、要因や条件、要 素・部分等に)依存せずに独立自存として成立しているものがあり得ないということになります。

もっと更に分かりやすく述べるならば、もしも、他に依存せずに独立自存として存在するものがあるならば、一応、この宇宙の始まりと言われているビッグバン 以前からも、それはそれとして変わらずに存在していなければならないことになります。もしも、仮にあなたのその現在の心身が実体として有ると言うならば、 その現在の心身そのままのものが、ビックバン以前からも実体として存在して有るということにならなければいけません。しかし、もちろんそんなことはあり得 ないのですが、そのようにして、「実体・自性・自相が無い」という事態の理解を、あらゆる全てのモノ・コトへと及ぼしていくことで、これで間違いないとい う心底からの「空」の了解が必要となります。

ただ、ここで気を付けないといけないのは、「実体・自性・自相が無い」と述べても、何も無いという「虚無・絶無」ではありません。確かに現にモノ・コトは モノ・コトとして存在しています。但し、その存在のありようは、「縁」(よ)って「起」こっているという「縁起」(※三層の縁起のあり様につきましては、 以前の資料をご参照下さいませ)を理解することが同時に大切なことになります。

そのようにして、「空と縁起」を正しく理解するのが、「中道」の智慧となります。これが、大前提と小前提1の理解において必要なことになります。

次に、小前提2における輪廻思想・業論について、「輪廻」とは、迷い苦しみ(惑・業・苦)の連環のことであり、「業」は、身・口・意(身体・言葉・心)に よる言動の積み重ねのことで、これから先の結果へと繋がる要因・条件にもなっていくものであります。無明(根本的な無知)・煩悩に支配されたままであれ ば、迷い苦しみから逃れることができないということと、無明・煩悩に支配された状態における悪い言動の数々は、悪い結果をもたらす要因・条件になってしま い、もちろん、その逆に、無明・煩悩から離れた、もしくは離れるために行われる善き言動は、善い結果をもたらす要因・条件になることになります。輪廻・業 論の否定は、無明・煩悩、あるいはそれらによる悪業、または、悟り・涅槃、あるいはそれらへと向けた善業や仏道までも否定してしまうことに繋がりかねない ため注意が必要となります。

また、上記の小前提2におけることと同様に、小前提3の「善因善果・悪因悪果の因果関係」の否定も、悪業・善業の否定、無明・煩悩や悟り・涅槃の否定、仏 道の否定となってしまうため、やはり注意が必要となります。この「因果の理」は、全ての仏教思想に通底している基本的な理となります。モノ・コトは、必ず 因果の理、あるいは条件という意味の「縁」も加えて、「因縁果の理」によって成り立っていることを、まずはしっかりと理解しておかなくてはいけません。

次の小前提4としての「仏教の修道論(智慧開発・善徳行・利他行・菩薩行)」も、まさに善因善果・悪因悪果の因果関係を基本としているため、もしも、それ らを否定してしまっては、別に何もせずとも、あるいは、善業、悪業のどちらにも拘らず、何か善い結果、例えば、悟り・涅槃へと到れること、如来となれるこ とを認めてしまうことにも繋がりかねないため、否定すべきものではないと考えます。

更に、小前提5におけるように、「無際限・無限定に如来の慈悲を根拠としての救済」を説いてしまうことは、その救済の範囲をあまりにも拡大させすぎて、 「善因善果・悪因悪果の因果関係」・「仏教の修道論」を破壊してしまう恐れがあります。例えば、「いずれ如来の慈悲の中において、みんな必ずや救われる、 悟れることになるから大丈夫、安心だ」となってしまえば、それでは、どんな悪業や善業、修行にも拘らずに、いずれ誰もが救われることになり、何をしてもし なくても関係ないこと、平気なことになってしまいます。それが、小前提6の楽観的な考え方として、仏教そのものが、結局は、不要・無用となりかねなくなり ます。特に、「全ては既に悟っている、悟りの中にある、全ては皆成仏している」といったような全面肯定の考え方は危険極まりなく、それも、いずれは、「何 もしなくても大丈夫だ」となって、仏教の不要化・無用化に繋がりかねませんので、非常に気をつける必要があります。

最後の小前提7の神秘主義的な考え方も、上述のことに加えて、「何か訳は分からない、証明はできないけれども、それで悟れるらしい、救われるらしい」とい うような無責任なことを認めてしまっていけば、因果の理を否定することになり、確かなる仏道の修習が成り立たなくなってしまう恐れが出て参ります。

仏教における、その教え、考え方が正しいかどうかは、常に各々で合理的に十分に色々と検証していくことが大切であり、チベット仏教における教えの中に、 「師の教えを、ただ尊敬だけをもって受け入れるべきではなく、金細工師が、その扱っている金が本物か偽物か、その金を焼いて、切って、磨くことをもって慎 重に吟味するように、そのようにして師の教えも受け入れていくべきである」とありますように、例え師の教えであろうとも、批判的、合理的に検証を繰り返し て、しっかりと納得した上にて、その教えを修習することが大切なことになります。とにかく、心の底から納得できるまでは、合理的に批判的に検証を繰り返し ていくことが必要であり、あまりにも現実的で無いような荒唐無稽なことを狂信したり、妄信、盲信してしまっては、善い結果(悟り・涅槃)へと到れるどころ か、まるで逆の悪い結果に陥りかねない危険性もありますので、十分な注意が必要となります。

とにかく、仏教の基本的な教えについて、過去この世に顕れられた七名の如来が、共通しておっしゃられていることを端的に表すお経がございます。それが「七仏通誡偈」(しちぶつつうかいげ)でございます。

「諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意 是諸仏教」
(しょあくまくさ しゅうぜんぶぎょう じじょうごい ぜしょぶっきょう)

「諸々の悪い行いをなさずに、善い行いに努め励みて、自らその心を浄らかにすること、これが諸々の御仏の教えである」

仏教の基本は、とにかく、悪い行いを慎み、悪業を積まずに、善い行いに努めて、善業を積むことに励み、心を無明や煩悩に汚されないように浄らかにして、やがて悟り・涅槃へと到れるように、確かなる仏道の歩みを進めていくことが大切となります。

確かなる仏道の歩みを進めていく上で、特に前述の「智慧と福徳」の二つのことにしっかりと修習していくことが望まれます。是非共にこれからも頑張って参りましょう。

川口英俊 合掌

・・

hasunoha拙回答・500回答到達にて検証・充電期間中。再開はお彼岸後以降の予定。どうかご容赦下さいませ。

「Hasunoha」お坊さんがこたえるQ&Aサービス
http://hasunoha.jp/
スマートフォン・携帯ブラウザも対応

hasunoha・拙回答まとめ集
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/

hasunoha・拙生紹介ページ
http://hasunoha.jp/users/16

hasunoha・拙寺紹介ページ
http://hasunoha.jp/temples/6

運営者によるhasunoha(ハスノハ) blog
http://taka.hasunoha-blog.info

東日本大震災を機縁として立ち上がりました「hasunoha」に参画できましたこと、誠に感謝致しております。微力ながらにも一つ一つ少しずつでもお役に立てれる善行・功徳となりましたら、亡くなられました皆様への追善供養として回向申し上げたくに存じております。合掌

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2014年09月07日

「 死後について 」 平成26年9月・秋彼岸墓前回向 配布資料

平成26年9月・秋彼岸墓前回向 配布資料

『 死後について 』

岩瀧山 往生院六萬寺 副住職 川口英俊

はじめに・・

皆様方には、平素より当寺にて御供養をお勤めして頂きまして、誠にありがとうございます。この度は、私が回答者として参加させて頂いております 「hasunoha」(お坊さんがこたえるQ&Aサービス)における問答から、「死後について」を考えて参りたいと存じます。少しでも参考となり ましたら幸いでございます。

問い「死んでしまったら無なんでしょうか?」
http://hasunoha.jp/questions/742

拙回答「コップとお茶の例え」

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

基本的に「中道」を説く仏教では、断滅論も常住論も退けることとなるため、何か実体として有ったものが無くなるということや、何か実体として存続していくものが有るということは言いません。

では死後において存続していくものが何であるのか・・前回の問いでは「心相続」と述べさせて頂いております。

問い「自殺した人の霊」
http://hasunoha.jp/questions/718

「心相続」について詳しく説明することは誠に難しく、残念ながら千字の回答字数制限内で到底うまく説明できるものではございません・・

ただ、実体として、独立自存として存在しているものではなくて、あくまでも因・縁(原因や条件)によって存在しているものということにはなります。仏教的には「空であり、縁起なるもの」という表現となりますが・・

よく使われる例えとして、コップにお茶が入っているとして、コップ・器を身体、お茶を心として、コップを落として壊してしまって、お茶をこぼしたとして も、お茶はお茶としてテーブルや床に一応はありますよね。でも、そのお茶も雑巾で拭き取ったり、拭いた雑巾を水で洗ったり、土壌へ捨てたり、乾いたり・・ とすれば、お茶は私たちが一般で言うところの飲めるお茶では無くなってしまいますが、ただ、色々な条件や原因により変化していっているだけで、どこかへと お茶がまるごと消え去っていってしまったわけではありませんよね。

また、実体としてお茶があるとするならば、飲んだとしてもお茶はお茶のままで排泄されなければならないですし、宇宙の始まりから存在していることにもなりますが、そうでもありませんよね。

この世における存在・事象というものは、全て「縁起」なるもので、身体も心もそのようなものであります。また因縁さえ調えば、その心の連続体も(例えば人として)新たに色々と作用を現すことができるようになることも、もちろん十分に考えることはできます。

とにかく、この度は自死されてしまわれた彼氏様の心相続に、どうか善き赴き、御仏のお導きがありますようにと御供養をお勤めして頂けましたらと存じております。

川口英俊 合掌

・・拙回答ここまで。

仏教では、善因善果、悪因悪果の理を「因果応報」と申しますが、原因や条件があって結果があるという「因・縁・果の法」(因果の法)を重視して考えること になります。何も因・縁なしに結果が出ること、何も因・縁に依らずして何かが生じる、あるいは滅するということはありえません。この世における全ての存 在・事象は、必ずや因や縁に依存して(依りて、「縁」りて)、「起」こっているという「縁起」の法を理解することと共に、依存して成立しているということ は、つまり、独立自存・実体として成立していないという「空」であることの理解も求められるものとなります。

この「空と縁起」という考え方は、仏教思想・哲学における重要な視座であり、私たちは、その理解を誤りなくに進めることで、悟り・涅槃へと向けた智慧を開発していくことに努める必要がございます。

死後へと向けた「私」という存在も、当然に因・縁次第において、その向かう先である結果が決まっていくことになるものとして、上記の拙回答でも述べさせて 頂いておりますように、空にして縁起なる存在としての「私」は、「無になる」というわけではなくて、その存続していくありよう(特に因・縁・果の流れにお ける心の連続体・心相続のありよう)を考えていくことが大切となります。

例えば、上記の拙回答における「コップとお茶の例え」では、お茶を心の例えとして一応扱って考えておりますが、更に補足しますと、コップである身体が壊れ てしまっても、お茶(心)の状態をより善くに保てることができれば、また、別のコップ(身体)へと移し替えることだってできるものとなります。例えば、こ ぼれてしまったお茶であっても、丁寧にきれいな布で抜き取って絞り、不純物を取り除くことができれば、多少の変化があっても、改めて飲むことのできるお茶 (心)として別のコップ(身体)へと移すこともできることとなります。

このように考えますと、単純に同じとは言えないことでありますが、実際に死後もその心の性質・状態を大幅に変えることなく、新たにこの世に人間として生まれ変われるということもあり得ないことではないと、少しくでもご理解が頂けるのではないかと存じております。

例えば、実際にチベット仏教においては、高い境地に達した高僧が、自らの意思にて再び衆生を導いて救うべくに人間としての生まれ変わりを図るという「転生霊童」、「転生活仏」の例がございます。

もちろん、私たちにおいては、そこまでの高い境地に至れなくても、何とか今のうちから、より善き因・縁を調えることで、死後にも続く心の連続体(心相続) のより善き結果、より善き行き先(例えば、御仏が教えを説いておられる国である浄土)へと向けて、仏様とのご縁、仏法とのご縁に与(あずか)り頂いて、仏 道を歩みて、いずれ悟り・涅槃へと至れるようにと精進努力していくことが大切になります。

今夏のお盆法話の際にも述べさせて頂いておりますが、仏教の基本原則は「七仏通誡偈」の内容となります。

「諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意 是諸仏教」(しょあくまくさ しゅうぜんぶぎょう じじょうごい ぜしょぶっきょう)

「諸々の悪い行いをなさずに、善い行いに努め励みて、自らその心を浄らかにすること、これが諸々の御仏の教えである」

特に私たちの悟り・涅槃の妨げとなっている原因の三大要素としては、「無明(根本的な無知)・煩悩・悪業(悪い行い)」であり、更に二つにまとめると「煩悩障と所知障」というものとなります。

何とか智慧(空性の了解)と福徳(善徳・慈悲・利他行)の二資糧を円満に積むことにより、悟り・涅槃の妨げとなっている原因をしっかりと対治、排撃してい くことが、これから先における悪い結果を回避して、より善い今後、将来へと向かうためにも大切なことになる次第でございます。

確かなる仏道を歩みて、皆共に、やがて無事に悟り・涅槃へと至れることができますようにと、これからも頑張って取り組んで参りましょう。

普回向・略三宝

「願わくは此の功徳を以て普く一切に及ぼし、我等と衆生と皆共に仏道を成ぜんことを
 十方三世一切の諸仏 諸尊菩薩 摩訶薩 摩訶般若波羅蜜」合掌


「ハスノハ」(hasunoha)お坊さんがこたえるQ&Aサービス紹介 

http://hasunoha.jp/

一昨年の11月より回答者として参加登録させて頂いております。超宗派にて参加している僧侶たちが様々な質問に対して、それぞれの知識・見解・体験等から 回答していくサービスとなっております。スマートフォン・携帯からでもご利用頂けます。現時点にて、回答僧侶が54名となっており、拙生は416問 (9/3時点)をこれまでに回答させて頂いております。

サイトの趣旨説明

「hasunoha(ハスノハ)は、あなた自身や家族、友人がより良い人生を歩んでいくための生きる知恵(アドバイス)をQ&Aの形でお坊さんよ りいただくサービスです。あなたは、悩みや相談ごとがあるとき、誰に話しますか?友だち、同僚、先生、両親、インターネットの掲示板など相談する人や場所 はたくさんあると思います。そのひとつに、「お坊さん」を考えたことがなかったのであれば、ぜひ一度相談してみてください。なぜなら、仏教は千五百年もの 間、私たちの生活に溶け込んで受け継がれてきたものであり、お坊さんがその教えを伝えてきたからです。心や体の悩み、恋愛や子育てについて、お金や出世と は、助け合う意味など、人生において誰もが考えることがらについて、いろんなお坊さんからの回答を参考に、あなたの生き方をあなた自身で探してみてはいか がでしょうか。」

皆様もお坊さんへの質問や、お坊さんからアドバイスを受けたいことがありましたら、是非、ハスノハを利用されてみることをご一考下さいませ。

これまでに拙生がご回答させて頂きましたまとめの一覧

「hasunoha」拙回答まとめ集
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/

hasunoha・拙生の紹介ページ
http://hasunoha.jp/users/16

hasunoha・拙寺の紹介ページ
http://hasunoha.jp/temples/6

・・以上ここまで。

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東日本大震災を機縁として立ち上がりました「hasunoha」に参画できましたこと、誠に感謝致しております。微力ながらにも一つ一つ少しずつでもお役に立てれる善行・功徳となりましたら、亡くなられました皆様への追善供養として回向申し上げたくに存じております。合掌

・・

平成26年・お盆施餓鬼法要 法話内容 録画配信Ustream
http://www.ustream.tv/recorded/51379634

「お葬式について」平成26年8月・お盆施餓鬼法要・配布資料
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/0816eb5e788bf5ecfc8eed8e901b1a76

・・

勝義方便メモNo.9
http://togetter.com/li/681727

現在、勝義方便メモ・ツイート随時展開中。
https://twitter.com/hide1125

勝義方便メモNo.9 超宗派系一覧(2014.7.13時点)
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また、追記・訂正等がございましたら、どうか宜しくお願い申し上げます。

「拙理解仏教図式No.7(2014.6.14)」ご提示・再考随時訂正予定
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/f11483ea1a2eb35ce5dcda72284b2bfa

「なぜ、空と縁起の理法を理解しなければならないのか」
平成26年3月・春彼岸施餓鬼法要配布資料・公開
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/8697c85d36b8f91fac08e58235d9984d

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2001年01月03日

往生院六萬寺 正・副住職の紹介

正・副住職の紹介

住職

川口哲秀(かわぐち・てつしゅう) 

昭和21年東大阪生まれ

岐阜伊深・正眼寺僧堂にて、梶浦逸外老師・谷耕月老師に師事。

郷土歴史研究、楠木正行公研究、民具研究にも従事。

「描かれた農事風景の世界」・「民具歳時記」など論著多数。

地域社会活動に力を入れて30年。民具館の社会見学の受け入れや、地域保育園・小学校の教育発展、地域郷土のために様々に貢献している。

社会見学の児童・園児を含めて、民具供養館の入館者数は既に延べ11万人を超えている。

環境問題にも関心が高く、エコ民具の紹介など昔の民具を通じて、環境保護の大切さも伝えている。

河内の郷土文化サークルセンター会長などを歴任。東大阪地球温暖化対策地域協議会、大阪府文化財愛護推進委員会などにおいても活動している。

・・

副住職

川口英俊(かわぐち・えいしゅん) 

昭和51年東大阪生まれ

岐阜寺町・瑞龍寺僧堂にて、清田保南老師に師事。

チベット仏教哲学研究・中観帰謬論証派思想哲学研究・ツォンカパ大師中観思想研究。

仏教を一から学び直す中で、現在では、チベット密教の修習を中心に進めており、ダライ・ラマ14世法王猊下の御来日時における灌頂・法話会にも参加するなどし、平成28年11月には、無上瑜伽タントラ・チッタマニターラ尊大灌頂を受法致し、ダライ・ラマ14世法王猊下を根本上師とし、日々、密教修行にも正式に努めさせて頂いております。

著書「誇れる社会のために」(文芸社)、「佛の道シリーズ」など施本・論著、多数。

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他参照・・

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