2006年05月

2006年05月26日

なぜか「オーマイニュース」に登場

 21日の「アンチ共謀罪ガールズ」中野駅前アピールを見に来てくれた朴哲鉉(パク・チョルヒョン)さん(映画『共謀罪、その後』監督)が、終了後に駅前の居酒屋で行われた打ち上げの際、私を含めた「共謀罪に反対する表現者たちの会」メンバーのライターたちに「なんでフリーランスになったんですか」という質問をさかんに行っていた。ので「何だろう?」と気になっていたのだけれど、その朴さんから昨日いきなり「許可なしで勝手に載せちゃってごめんなさいね」との連絡がMLで回ってきた。何と韓国の有名なインターネット新聞「オーマイニュース」に、みんなの顔写真入りで記事を寄稿したというのだ(現物はこちら)。

オーマイニュース」といえば、ソフトバンクとの提携により近々日本語版を出すという件が少し前に話題を呼んでいたけれども、とはいえ、まさか自分がその紙上(っていう言い方も変だよな。インターネットなんだし)で写真まで入れて紹介されるなどとは予想だにしていなかった。朴さんの話や、後で朴さんから送られてきた記事の邦訳によると、出版市場の規模や形態が日本と異なる韓国から見ると、「フリーランスライター」なる業態が存立しうる日本のマーケットが、むしろ羨ましく見えたりもするらしい。

 私などからすれば「オーマイ」の市民記者のような有り様が社会的なプレゼンスを確保している韓国の状況のほうがむしろ羨ましく思えたりもするし、市場がデカイといったって日本の出版業界もこの先はジリ貧が必定。フリーランスの淘汰も必至。あんまり買い被られても――という感じなんだけどね。ただ、韓国に比べると一般市民レベルでの政治に対するアクションやリアクションが極めて淡白なこの国で、会社にも属さないフリーランスライターたちが、当初はほとんど誰も関心を持たなかった共謀罪法案への反対活動を地道に続け、ここにきてこういう状況になっている――ということに感ずるものがあったのかもしれない。訳された記事(知らない読者向けに断っておくと、数年前に来日した朴さんは今や日本語の読み書き会話において日本人と全く遜色がない)を読んでもその辺の思い入れはひしひしと伝わってくる。そのせいか、記事に掲載されたメンバーたちの写真も(元々が悪い私を除けば)みな凛々しく、飄々としてカッコいい(寺澤さんと三宅さんのツーショットなんて、何だか良いよね)。

 とはいえ、それにしても記事の中での私についての記述は……はっきり言って持ち上げすぎだよねえ(苦笑)。まあ、大半の日本人は読めないだろうなというのが不幸中の幸いかもしれないけど、しかし私を知る人々(特にオウム問題関連やメディア業界の人たち)の多くは、その内容を知ったら気分を害するんじゃないかなあ。あと、明らかな事実誤認の記述もあったのだけど、これははっきりいって私の説明不足による責任も大きいので、何か問い合わせが来た時には私のほうで受け止めます。個人的には朴さんが、「なんでこんな仕事を経済的な貧乏と引き換えにやっているのか」というあたりをきちんと咀嚼して描いてくれたことに、心から感謝の意を表したいと思います。ありがとうございました!

(「岩本太郎ブログ」と同時掲載)

ourplanet_iwamoto at 23:59|PermalinkComments(1)TrackBack(0) フリーライター | インターネット

2006年05月16日

まばたきしただけで罪になる(強行採決またも延期)

fe300627.JPG 夕方6時前に国会へ。今日は3時から衆議院法務委員会の審議があり、昨日も書いた通り「共謀罪」がここで一気に強行採決されるとの見方が巷では広がっていたのだ。

 出先からそのまま、審議の結果がどうなったかも知らないまま永田町へ直行。国会議事堂裏手の衆議院待合室のロビーには見たところ200人近くの群衆がいた(上の写真)。もはやおなじみの顔もちらほら。「共謀罪に反対する表現者たちの会」メンバーの安藤裕子さんを見つけたので訊ねると、結局この日も強行採決は見送られ、次の山場は19日(金)になりそうだという話だった。

 昨日になって、さらにJCJや日本ペンクラブが反対声明を出すなど、数ヶ月前のことを思えば「ほんとかよ?」といいたくなるくらい、「共謀罪」をめぐる世論が盛り上がっている。反対している我々自身ですらそうなんだから、政府や法務省もこの展開にはさぞかし面食らっていることだろう。しかしそれにしても与党が国会で圧倒的多数とはいいながら、反対勢力がそれなりに気合いを入れて動けば、それなりの効果は出てくるものなんだな――と、この間の状況の流れを見ながら少し認識を新たにした次第。

 ところで、今日の法務委員会審議ではまたケッタイな問答が行われたらしい。詳しくは保坂展人さんのブログで既に報告されているが、答弁にたった法務省の刑事局長が、何と「まばたきするだけでも共謀罪が成立する」という趣旨の発言をしたらしい。聞いて思わず「バカだ――――――――!!」とみんなで大笑い。

「共謀罪」に関しては以前にも同じその刑事局長が「その場にいて目配せで意思表示しただけでも成立しうる」と審議中に発言。物議を醸すネタとなっていた。当然保坂さんも今日の質問ではそこを突っついたわけだが、どうも刑事局長さんもテンパッたのか、「目配せ」と「まばたき」を一緒くたにしたまま、結局この日の答弁の最後まで改めることもなかったとか(法務大臣は「まばたきでは成立しません」と答弁し、結果的に食い違うハメに)。

 確かに「目配せ」は誰かに対する意思表示のための行為だけど、「まばたき」は単なる生理現象だぞ。もし電車の中でそこらの高校生とかが「あいつぶっ殺してやりてーよな」「おう」なんて話してるのを脇でぼんやり眺めながらまばたきしてたら――罪になっても仕方がないのか!

 まあ、この種の話題をあんまし挙げ足取りの材料として使いすぎるのもどうかなという気も一方ではするのだけれども、それにしたって三年越しで二回廃案になった法案についての審議の大詰めで、こういう大バカ問答を国民の税金を使いながらやっとるというのははたしていかがなものかね。あるいは最早突き放して単純に「あれは漫才だ」と思いながら楽しむぶんにはなかなか良いネタだろうなとは思うけど。

 というわけで次回の法務委員会は上記の通り19日。「衆議院TV」でインターネットによる生中継を見ることができるので、みなさんも是非御覧になられるとよいでしょう。強行採決があるとしたら、あるいは三谷幸喜ばりのドタバタ劇として大いに笑かしてくれるかもしれない。

(「岩本太郎ブログ」と同時掲載)

ourplanet_iwamoto at 22:48|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2006年05月15日

映画『共謀罪、その後』第2話、公開!

 先にこのブログでも紹介した(5月5日付「『共謀罪』アワプラ襲撃!」 )通り、さる連休中、メディアカフェをお借りして映画『共謀罪、その後』第2話の撮影が行われたのだが、それがようやく完成し、本日から下記にてウェブ配信されることになった。アワプラのみなさん、本当にありがとうございます!

 スタッフおよびキャストは以下の通り。岩本は前回と同様『週刊現在』副編集長役としてちょっとだけ出演しております(今回でお役ごめんかな?)。宜しければ御覧ください。

 それにしても「共謀罪」法案、明日にはまた「強行採決か?」というヤバイ状況になっている。何のかんのと言いながらもここまで粘り、報道も世論もこれだけ盛り上がってきたのだから、何とか今回も乗り切って欲しいものだが――。

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【共謀罪MOVIE(ムービー)】
 『共謀罪、その後』第2話
[11分24秒]
(※視聴はこちら↓から)
 ●Windows Media Player版
 ●MPEGファイル版
 ●韓国語版(オーマイニュース)

<スタッフ&キャスト>
■原案・監督
 朴哲鉉(パク・チョルヒョン)
■助監督
 西村仁美
■撮影・編集
 三宅勝久
■脚本・プロデュース
 寺澤有
■出演(カッコ内は配役)
 沢田竜夫(イラストレーター・来生高志)
 林克明(『週刊現在』編集長・桜木英雄)
 岩本太郎(『週刊現在』副編集長・藤井順一)
 國貞陽一(幸水会会長・水野幸二)
 白川剛(警視庁組織犯罪対策部企画課巡査部長・花田実)
 武藤久登(刑務官)
 田原大輔(受刑者)
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ourplanet_iwamoto at 23:32|PermalinkComments(1)TrackBack(0) インターネット | アワプラ話

2006年05月12日

ポストイットの付いた広告

38148324.JPG 新宿の地下街を歩いていて見つけた壁面広告。近々公開される映画『ナイロビの蜂』の宣伝なのだが、ポスターの表面に何やらポストイットがたくさん貼られている。近寄って眺めてみると、ようするに試写会で実際に『ナイロビの蜂』を見た人々が書いた感想を貼り付けているのだった。

 割と多くの通行人が「何これ?」という感じで足を止めて見入っていたので、広告の手法としてはそれなりに効果のあるものだとは思う。ただ、本当に市販のポストイットを貼り付けただけなので、放っておくとどんどん剥がれ落ちたり、あるいは誰かに剥がされたりしちゃいそうだ。実際、すぐ隣りにあるマンションの広告の上にいつのまにか貼っつけられていたのも何枚かあった。

 それと、はたして試写会で観た人たちにきちんと「こういう形で使いますよ」と断ったうえで書いてもらったのかな? というのが気になった(さっき試しに検索してみたところ、試写会で参加者たちにポストイットに感想を書いてもらうということは確かにやっていたらしい。ただし事後の使い方まで説明していたか否かまでは不明)。

 仮に説明していたとしても、会場で出された小さな用紙に急いでちょちょっと書いた感想(名前こそ書かれていないが、職業とか年齢は記入)を、こういう場に貼りだされるというのは、書いた側からすれば必ずしもあまり気分のいいものではないと思うが(もちろん個人によって受け止め方は違うだろうが)どうか?

 まあ、映画を観た人たちが感動のあまり自発的に感想を書き込んだり貼ったりしたというんであれば、それはそれで結構なことなんだけどね。ところで、こういう広告って他でもあちこちでやってるのかな。

ourplanet_iwamoto at 12:41|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 写真日記 

2006年05月11日

『グッドナイト&グッドラック』(映画評) 

 東西冷戦下での緊張が高まっていた1950年代のアメリカ、全米三大ネットワークのひとつ・CBSの高名なニュースキャスターであるエド・マローが、当時の共和党上院議員ジョセフ・マッカーシーに主導された反共キャンペーン(俗に言う「赤狩り」)に対して、自らの報道番組「シー・イット・ナウ」を舞台に戦いを挑んだ――。

 彼の地アメリカではもちろんのこと、日本においても報道関係者なら知らぬ人などおそらくほとんどいないだろうというくらいに有名な史実だ。私自身も何度か本などで読んだことがあるし、ずいぶん前になるがテレビドラマ化されたものを見て、強く印象を受けた覚えがある。

 にも拘らず、なぜ今この『グッドナイト&グッドラック』が報道関係者から持て囃されているのか。言うまでもなく、モノクロ映像で再現された1950年代の伝説的な神話の光景に、2000年代初頭の現在の状況をみんながダブらせながら観ているからだ。アメリカはもとより、NHK問題やら何やらで「政治とジャーナリズム」との関係性のあり方が問われる日本のメディア業界人にとっては、観ながらさぞや身につまされた映画であったに違いない。

 ストーリーについては上記の通り既によく知られた史実でもあるし、未見の若い人たちにネタバレとなっても申し訳ないので、とりあえずここでは省略する。ただ、全編を通じて私の印象に残ったのは、まだテレビが若くて伸び盛りのメディアだった20世紀の中盤、その現場で活躍していたジャーナリストたちの気骨漢ぶりだった。

 日本に比べると政治権力からのジャーナリズムの独立性が制度的にも文化的にも保障されているように見えるアメリカだが、それでも抱える事情は彼の地でも同じだ。政治家からはあの手この手の圧力がかかるのは日常茶飯事。それも劇中で描かれているように、何たって空軍の将校までが局まで直談判におしかけてくる世界なのだ。もとより営利企業ゆえ、トップは経営を揺るがしかねない報道には表情を曇らせ、現場に対してそれとなく、いや、時にはあからさまに自重を求めてくる。

 マローとは立場を超えた友人関係にあったCBSの社長も、番組が反マッカーシー・キャンペーンを企てるや、新聞に出す番組宣伝広告用の経費を出さないと通告。マロー、そして相棒のプロデューサーであるフレッド・フレンドリー(劇中では本作の監督を務めたジョージ・クルーニーが演じる)は自ら3000ドルを払ってニューヨーク・タイムズに広告を出し、あくまで予定通りの放送を行う。

「全部お前のせいにしといたからな」と、本番直前のスタジオでフレッドはマローに囁く。
「イエロー(腰抜け)め」とソッポを向きつつ毒づいたマローに、フレッドはしれっとした顔で返す。
「レッド(アカ=共産主義者)って言われるよりゃいいさ」

 こんな具合に、敢えて火中の栗を拾いに飛び込んだような状況を、マローたちスタッフは逆にむしろ楽しんでいるようにも見える。生放送が終わった直後には爽快な気分のもとにみんなで拍手。そのままバーに繰り出して翌朝まで痛飲し、上がってきた早番の朝刊に載った番組評を観ながら快哉をあげる。

 とはいえ襲い掛かってくるプレッシャーは並大抵のものではない。局の経営者は「スタッフに共産党シンパがいないかどうかを徹底的に洗え! 揚げ足を取られるな!」と厳命。番組のスタッフの一人は「少し前に別れた妻が、自分と結婚する以前に共産党主催の集会に出ていた」と自ら降板を申し出る。

 別の番組でマローを応援した同僚のキャスターは、保守派新聞にボロクソに叩かれたあげくに自ら死を選ぶ。マッカーシーからの反論に番組で真っ向から答えたマローだが、一方で同僚に番組での反論を諌めていたことを思い、深い罪悪感に苛まれる。

 熾烈な戦いは結局、マローらのキャンペーンに腹を立てたマッカーシーが自ら番組に出演して行った反論が仇となり、失脚へと追い込まれる形で終わる(「私は正しい!」とか叫んでいるマッカーシーの映像を見ながら、私は思わず安倍晋三を想起した。いや、くらべるのはマッカーシーに対して失礼かなとは思うのだけれども)。

 だが、マローたちの払った代償も大きかった。毎週火曜夜に放送されていた「シー・イット・ナウ」の時間帯は、スポンサー受けもよくて制作費も安いクイズ番組に差し替えられ、マローたちは月一回・日曜午後の枠へと追いやられる。番組スタッフだった男女二人(実は夫婦なのだが周囲には秘密。ただしスタッフ間では公然の事実)は、現場を足元から切り崩そうとする局より「社内結婚は禁止」と定めた社内規程に違反しているとの今さらながらの理由で解雇をちらつかされる(これも実際にあったことなんだとか。まあ、こうした陰険なやり方っていうのは日本に限らずどこの国でもあるんだね)。

 そんな中でもマローの功績を高く評価した報道関係者たちは、後年になって「エド・マローを称える会」と称したパーティを開く。が、その華やかな宴席の壇上に呼ばれたマローは冒頭から「耳の痛い話をします」と切り出し、沈みかえる聴衆の前でテレビ産業の現状に対する辛辣な批判を展開した後に、
「Good Night,and Good Luck」
 という、往年の番組における末尾の名セリフを残して壇上から去っていく。登壇の際に湧き起こった盛大な拍手は聴こえてこないまま、映画はそこで終わる。

 ――って結局ストーリー書いちゃったな(笑)。まあしかし、史実を題材にしたこの映画については、基本となるストーリーよりも、むしろそれぞれの局面におけるシークエンスの妙こそを楽しみながら観てもらったほうが良いかと思う。即ちこの作品は「エンターテインメント」として見るのが正しい。

 もちろん、監督のジョージ・クルーニーは映画化に際して、1950年代当時の様子をリアルに表現することに拘った。マッカーシーらが出てくる場面を含めた当時の外的状況については、再現ではなしに、あえて当時のニュースフィルムを使用。また、それらとの違和感をなくそうとの考えから、プロの役者による再現シーンも含めた全編をモノクロ映像で統一したという判断も正解だったと思う。マロー役のデヴィッド・ストラザーンも、はっきり言ってまさにエド・マローその人にしか見えないというくらいのハマリ役だった。ほんと、はっきり言ってめちゃくちゃカッコよかったですよ。俺もフリーライターなんかやめて今からニュースキャスターめざそうかと一瞬思ったくらい(笑)。

 ただし、そうしたディレクションや配役の妙が、逆に作品を小粒なものにしてしまった感も否めないところだ。いや、ダイアン・リーブスによるジャズ・ナンバーも含めて、作品が総体として実にタイトで小気味良いテイストにまとめあげられたのには心底好感が持てる。だが一方で、メインのストーリーは全て屋内劇(見ていた限りでは屋外ロケのシーンは絶無)で、敵方のマッカーシーサイドは基本的に再現映像でまとめるという構成だったからか、歴史上の事実についての再現ドラマとしては、スケール的に思ったよりも小じんまりとしたものになっているなという気はした。

 で、おそらくこの映画、そのへんをめぐって評価が分かれたりするんではないかとも思った。例えば宮台真司さんはこの映画について自分のブログで「感動的だからこそ政治的には適切ではない」という評価をしている。確かに、マローたちがなした仕事の背景にある文脈や、あのエピソードが今日の政治状況に対して突きつけているメッセージについて、そのバックグラウンドを全て捨象したうえで捉えるのは危険なことだろうなと私も思う。

 とはいえ、私はこの作品をできるだけ大勢のメディア関係者や、将来ジャーナリズムの世界で仕事をしたいと考えている人たちにも観てもらいたいと思った。なぜなら、ここには「なんで自分はこういう仕事をやってるんだろう?」と自信がなくなった時に、少しは元気付けてくれるだけのものがしっかりと描かれているからだ。要するにみんな「楽しいから」、そして「自分の目の前にある状況をそのまま見過ごすことに納得できないから」というプリミティブな動機が根源にあればこそ「ジャーナリスト」だの「報道関係者」だの「フリーライター」だのといった人々は、今の世にもかろうじて生き長らえているのだ。

 何しろ今は「ジャーナリスト」「マスコミの人」とか言われた時点で、尊敬どころか軽蔑の視線すら浴びかねない時代だ。なればこそ、こういう映画を観ることで、自分が何でこの世界に入ってきたのかをメディア関係者が問い直す機会になってくれたらいいなとは思う。まあ宮台さんが言うように、元気になっただけで背景を見通す視座を獲得できないまま狭窄して行ってもらうのも困るのだけど。

 最後にほとんど蛇足のような感想をひとつ。この映画、タバコがすごい〜(笑)。

 いや、1950年代ってどこもかしこもそんな感じだったんだろうし、リアルに徹すればああいう描写になったっていうのもわかるんだけど、逆に「この際だから徹底的に吸っちゃるぞ!」ってくらいに喫煙シーンが全編に充満してたのが面白かった。何たってエド・マローからしてオンエアの直後から左手に吸い掛けを挟みながら「Good Evening」とかってビシッとポーズを(カッコいいのだ、これが)決めていたりするのだから。

 最近のハリウッド映画ともなれば、テレビ放映の際の権利まで織り込み済みだろうに、この作品では堂々と「KENT」のモノクロCMまで出てくるからな。モノクロ映像を選んだことを含めて、敢えて今のメディアや世の“良識”をわざと逆撫でしにかかったんじゃないかという気すらしてくる(笑)。

 聞けば監督のジョージ・クルーニーは、この作品の製作資金を捻出するために自宅を抵当に入れたという話だ。このあたりはマローやフレンドリーが自腹で新聞広告の料金を払ったとかいう話にも通じるようで興味深い。

 オリバー・ストーンのように単細胞でもなければ、マイケル・ムーアのように無邪気でもないように見えるクルーニーは、ある意味バランスの取れているようにも見えるけど、そこが逆にどこか頼りない印象を与えるとしたらもったいない話だ。できればこの先、したたかで確信犯的な映像作家としての道を歩んでいってもらいたいものですね。私はその辺のショービジネスの事情は知らないので、今回の映画を見た限りにおいてそうした感想を抱いた次第。

ourplanet_iwamoto at 02:41|PermalinkComments(0)TrackBack(0) ジャーナリズム論