2008年10月

2008年10月28日

みんなで首相宅まで遠足に行くと逮捕されるらしいね

 当日私は行かなかったんだけど、またこういうことが起こったわけね(汗)。
 まったく警察も何を過敏になってんだか。とりあえずは↓をご参照くだされ。

次の各号に該当する場合はこの限りでない
(「イルコモンズのふた」2008-10-27 00:36)

麻生でてこい救援ブログ

10/26 麻生邸宅見学に向かおうとしたら逮捕


ourplanet_iwamoto at 03:12|PermalinkComments(0)TrackBack(0) お知らせ 

2008年10月25日

がんばれマンナンライフ

 とりあえずマスメディアによる報道のほうは既に沈静化しているし、遅まきながらの感は否めないのだが――と思ってたら一昨日になってまたこんなニュースも出た――ともあれ「がんばれマンナンライフ!」ってことで、というか、それにかこつけて今年の春先に「青春18」の余り活用がてら乗りに行った「上信電鉄」の鉄旅日記をどさくさ紛れにやってしまおうと思った次第。



 群馬県の高崎から下仁田まで、途中にマンナンライフ本社のある富岡を経由しながら伸びる30劼曚匹離蹇璽ル私鉄。ご当地企業の広告を車体にまとった↑のような電車も私が訪ねた4月上旬には走っていたわけだけど、はたしてテレビCMでもこういうことになっちゃった今、この電車とか、どうなってんだろ? もしかしたら沿線の地元でも大変なことになってたりすんのかなあ……。

 というか、いつも思うんですけどね。

 そりゃ確かにこんにゃくゼリーを喉に詰まらせて死んだ子供たちは可愛そうですよ。だけど一方で、正月がくるたびに御餅を喉に詰まらせて死ぬ御年寄りが続出することだって、わたくし的には(何せ自分もそれで伯父を一人亡くしているので)凄く悲しいことなんですよね。

 けれども「こんにゃくゼリーで人が死んだから、こんにゃくゼリーはやめてしまえ」という話がすぐ出る反面、「お年寄りが御正月に御餅を喉に詰まらせているから、正月のお餅は廃絶せよ」なんていう話は(誰か言ってるのかもしれないけど、少なくとも私の知り限りでは)どこからも出てこない。

 と、また子供じみた下らん屁理屈を言ってると思われるかもしれないが、しかしこの種の話における「あれが悪い、あれが原因だ」という主張をなす価値基準とは、このように常に恣意的なものである。

 先の秋葉原の事件でもさっそく「ダガーナイフ撲滅」という方向へと話が進んでいったが、かつて池田小で宅間守がああいう事件を起こった後には「包丁撲滅」という話はいくら経っても出てこなかった。事件でわが子を失った親御さんたちの「料理のため台所で包丁を手に取ることもできない」という痛ましいコメントが報道で流れたりしたにも関わらず、である。

 アメリカ社会には銃が野放しになってるからあんなに銃による殺傷事件が起こるんだって話になるなら、日本中のあらゆる家庭にあまねく普及した大量殺戮兵器の存在はいったいどうなんだろうか……という屁理屈は、たとえそれが屁理屈であっても誰しも多少は頭の片隅を掠めるくらいの屁理屈ではある。

 ……と、書いてるうちに見つけたのだが、上に書いたような議論は実際にこういう場でも交わされたりはしているようだ。

 それにしても、この記事中に出てくる「法規制化推進派」の親玉の言う「もちはのどに詰まるもの、という常識を多くの人が共有している」という反論も、どうもねえ(苦笑)。だったらこんにゃくゼリーについても、これを期に「のどに詰まるもの」という常識が広まって多くの人に共有されるようになっていけば良いだけの話であって、何もわざわざ法律なんぞ作る必要もなかろうに。

 まあしかし、そういうトンチンカンな議論になっちゃう理由はある意味簡単なんだけどね。ようするに「いくらなんでも御料理に使う包丁や正月の御餅のない世の中は考えられませんよねえ」と誰もが思っているからだし、一方の「こんにゃくゼリー」はといえば、特にそれがないからといって市民社会の運営の妨げになるというものではなく、なおかつそれ及びそれを作っているメーカーさえ生贄に挙げてしまえば手っ取り早く問題を解決できた気分に浸れるからである。

 その意味でむしろ私が「気にくわねーな」と思うのは、そもそものこの問題の出かたである。発端は9月に兵庫県で子供がこんにゃくゼリーをのどに詰まらせて亡くなったという事件だったかと思うのだが、これって確か記者が実際にその事件を取材して報道したレポートがきっかけになったというわけでなく、上のリンク記事にもある通り国民生活センターが「こういう事件がありました」と発表したところから始まっているのだ。

 ようするに内閣府所轄(でしたっけ?)の独立行政法人が出した広報資料でもってメディアが大変だ大変だと大騒ぎしているうちに話題になったというだけのことなんじゃないか? って気がしてくるのだ(ちなみに一番上でリンクした記事でも「さらに2人の死者が出ていることがわかった」みたいに書かれているけど、これだって「判明」したのはメディアが独自取材したからではなく、情報源が「警視庁による」と記事中にも書かれている)。

 だからといって、別にこの段階で「国民生活センターや警視庁がそういう誘導を行った背景には何らかの意図がある」などというところまで深読みしようとは思わないし、それを報道すること自体にまでとやかく言うつもりはない。私が言いたいのは「大問題みたいに言ってる割には何だかトロいぞ、おまえらの議論」ということだ。

 そんなわけで今の私の関心事は、むしろ世間が「ダガーナイフ」や「蒟蒻畑」を製造や販売の中止へと追い込んだことが、同時に「それで食ってた」人たちをも結果的にどれだけ追い詰めたんだろう? という、マスメディア的には「それこそどうでもいい」と見なされることのほうにある。ましてやつい半年前に個人的な趣味の旅行のついでにその原産地近くを訪ねたばかりだったからなあ。

 上信電鉄だって地元の一大ブランドだったマンナンライフや蒟蒻畑が苦境に陥ったら大変でしょう。もし「じゃ電車に広告出すの辞めましょう」ってなったら鉄道会社にとっても広告収入が吹っ飛ぶし、ただでさえ赤字のローカル線の経営が圧迫され、ひいては廃線によって地域の公共交通がなくなり、その結果として域外から人も来なくなり居住人口も減少して「地域コミュニティが崩壊しました」なんてことになるかもしれない。

 それ以前に、地域の有名企業がこの件で経営的に左前になったために人員整理したり採用数を減らしたなんてことになったら大変ですよ。あぶれた若者たちが自分の先行きへの展望を失い、やけくそになって向かった秋葉原路上で、ダガーナイフが使えなくなった代わりに普通の包丁で無差別大量殺人をやらかした日なんかには、いったい誰がどういう言い訳を用意するんだ? そいつが仮にもし、懐具合が乏しい中を私みたいに「青春18きっぷ」を使って現場まで来ていたとしたら「金のない殺人者に行動の自由を与えるようなケシカラン切符は即刻廃止せよ」とでもいうのか(笑)。

 とかなんとか「鉄」日記のつもりで書き始めたら、いきなり支離滅裂なメディア論(?)になってしまって失礼しました m(_ _)m ひとまずここで一旦切って、続編は純然たる鉄ネタとして「岩本太郎ブログ」のほうに書きます。ではでは。

ourplanet_iwamoto at 01:16|PermalinkComments(0)TrackBack(0) ジャーナリズム論 

2008年10月16日

ささやかだけど本質突いてる(?)鹿児島での『政治vsメディア』のケース

 ↓を読む限りでは何だかあまり次元の高そうな論争に見えないが(失礼)、とはいえこうした地域レベルの「政治vsメディア」の対立というのは、潜在的かつ普遍的に従来から全国各地で生じていたことなんじゃないかなという気がする。

 さらにまた将来的には↓でも触れられている「公選法とネット利用」の問題とも絡めて)似たような問題があちこちで起こってくるのかも……ということで、とりあえず覚書代わりに紹介しておく次第。

『メディアは市長が選別、利用するもの』阿久根市長と地元新聞社の対立激化」(「J-CASTニュース」2008年10月16日19時8分配信)

ourplanet_iwamoto at 23:37|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2008年10月11日

静かな地下室から

 昨日も昼から銀座の「会社」へ。このところ、別件の取材や原稿仕事がある日以外はせっせとここに「出勤」している。

 銀座駅からほんの数分の路上を汗だくになりながら歩いた「初出勤」の八月初旬から一転、ここ1〜2週間は時おり、地上に上がるなり思わず襟元をすくめるような寒々しい秋雨模様の天候が続いている。なんのかんのでこの擬似「通勤」生活も、はや3ヶ月目に突入した。

 私の「仕事場」は社屋の正面受付を入ってすぐ下に階段を降りた、面積にして30坪はあろうかという広々とした地下室だ。昼下がりから夜かけての数時間、その一角へ臨時に設置された事務用デスクに向かいながらただ一人、社内資料を読み込んでは、付箋を貼ったりメモをとったりしながら推敲を重ね、ぼつぼつとキーボードを叩いてゆく――そんな日々が続いている。

 この地下室は時おり社員の人たちが会議や打ち合わせに使用する以外は基本的に無人で、あとは昔からの社内資料のほか、文具やトイレットペーパーなどの備品類の置場となっている。ただしフロア一面に絨毯が敷かれ、掃除や整理整頓も行き届いているため実に清潔。地下室ゆえ窓はないが照明は明るく、何しろ外部からの雑音に煩わされずにすむ。

 唯一の難点は、古いビルゆえネット回線が敷かれておらず、なおかつ携帯の電波状況も悪くてつながりにくいということだろう。ただしそのぶん無駄にネットサーフィンで遊んだり、不意にかかってくる電話に時間を取られたりすることもない。そういう意味ではまさに最高の仕事環境だといえるだろう。もっともこの間、他の仕事先のみなさんからは「お前、全然連絡取れないじゃんかよ!」と不興を買ってるみたいなんで、この場を借りてお詫び申し上げたいところでもあるのですが m(_ _)m

 とはいえ、そんな洞窟の仙人的な環境で仕事をしている私のもとにもほぼ毎日、二人の「来訪者」がやってくる。

 まず「出社」して机上のPCを立ち上げてキーボードを叩き出した頃に、上階の役員フロアから制服をまとった秘書課長のYさんがお盆にお茶を乗せてやってくる。朗らかな表情がとても素敵な女性だが、何しろ役員秘書なので実はとても偉い方なのであり、そこまで原稿に集中していた私もやおら立ち上がり、思わず深々とお辞儀する。実際にこのYさんは役員秘書業務から私への応対、さらには地下の私がいる部屋の隣りにある空調機器室の管理人から所轄の警察署が催す区域行事への窓口対応と、ありとあらゆる業務を八面六臂でこなしている。私としてもひたすら頭が下がる思いなのだ。

 で、なんでそうした上階の役員秘書の方が、地下室で一人もそもそと仕事をする私のところまでお茶を持ってやってくるのかというと、それは即ち、目下私が関わっているのが、その会社の「社史」を制作するという、それこそ経営に直結した社内的に重要なマターに属する仕事だからである。

 Yさんがにこやかに去っていってほどなくして、同じ上階の役員フロアから、今度は「先生」がやってくる。「社史」編纂プロジェクトの中心人物で、役員フロア内の個室で連日執筆作業にあたっている。

「先生」はこの会社の社員ではなく、幾多の著作を持つ著名なノンフィクション作家である。世間的には「反体制」と目されており、むしろこの会社の体質と一番相容れない気質の人ではないかと思われるのだが、どうしたわけだか、この会社のワンマン創業者(故人)とは長年に渡り、ある社員曰く「こんなことまで言い合っていいんですか?」というくらい本音ぶちまけ的な付き合いを続けてきた。古参の社員からも「私たちよりも会社のことをよくご存知です」と言われるほどだ。

 ひょんな御縁から、その片腕として起用された私のいる地下室へ、「先生」はしばし上階の役員フロアから降りてくる(逆に私のほうから書き上げた原稿を記録したUSBを持って上がる機会もあるが)。もちろん、その目的は基本的に作業進行上の打ち合わせなのだが、常に話題は日本社会における「コミュニティ」の問題をめぐり、アナキズムだボルシェビズムだ、ゲマインシャフトだゲゼルシャフトだといった単語がやたら錯綜する大状況論へと広がっていく。そんな静かな地下室における熱い対話は時に数時間におよび、日によっては下手すると原稿を書いてる時間よりもこっちのほうが長くなっているんじゃないかということもあったりする。

 ひとしきり対話が終わって「先生」が戻っていった後、再び私は机の上に広げた社内資料に向かう。先刻までの話の世界から頭を切り替えるのに苦労する、かと思いきや、意外なほどに私は「その世界」に引き込まれてゆく。

 その会社は戦後の混乱期の中で設立され、高度成長期からバブル期にかけて、まさに伸び盛りだった時代の日本と歩調を合わせるかのような急成長を遂げてきた。そして、黄色く褪せた資料の中に描かれた往時の社内風景は、本当に戦後の日本社会の縮図そのものである。農村を中心とする村落共同体が崩壊した日本にあって、「会社」こそが不安定な「個」の拠り所となる「コミュニティ」の役割を良くも悪くも担ってきた時代の息遣いが、そこからは濃厚に感じられるのだ。

 ――と、まあその辺の話は長くなりそうなのでまた改めて。ともあれ、この仕事もまだまだ先は長い。ぼちぼちいずれまた進捗状況も見ながらご報告します。ではでは。

(「岩本太郎ブログ」と同時掲載)

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