2011年08月

2011年08月31日

【追加上映決定!】『大津波のあとに』『槌音』上映+報告会、明日・明後日夜に開催

 さる18日夜に渋谷のアップリンクファクトリーにて上映されたドキュメンタリー映画『槌音』(大久保愉伊監督)および『大津波のあとに』(森元修一監督)が、今週の木・金(9月1・2日)に再び上映されるとのことです。

 私も前回は上映開始時刻の直前に会場にやってきて「満席なので入れません」と言われてすごすご引き返したクチなんですけど、何とか今回は観ることができればと思っております。以下にアップリンク公式サイトから引用した案内文を貼り付けておきますので、興味のある方は是非足を運んでみてください。何卒宜しくお願い申し上げます。ではでは。

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【追加上映決定!】『大津波のあとに』『槌音』上映+報告会

2人の映像作家が3月に被災地に入って撮影した2本の作品には「3月の衝撃」が封じ込められています。『槌音』の大久保愉伊は故郷の岩手県大槌町が被災、家族も被害に見舞われました。東京に持ってきていたことで津波に流されることを免れた震災前の貴重な映像も使い、鎮魂の映像詩を編み上げました。『大津波のあとに』の森元修一は宮城県の仙台、東松島を経由して知人のいる石巻に入り、街とそこに生きる人々の姿を静かな映像の中に刻みつけています。日本のみならず、世界中に衝撃を与えた東日本大震災。時間の経過による風化・忘却に抗するために、この2本の作品に込められた被災地の記憶、被災者の声をお届けしたいと思います。(森元修一)

上映:『大津波のあとに』(73分)監督:森元修一
   『槌音』(23分)監督:大久保愉伊

上映終了後、二人の監督によるトークショーあり

日時:9月1日(木)19:00開場/19:30開演
   9月2日(金)19:00開場/19:30開演
料金:¥1,500(メール予約できます)

予約方法
この上映会への参加予約をご希望の方は、
(1)お名前
(2)人数 [一度のご予約で3名様まで]
(3)住所
(4)電話番号
以上の要項を明記の上、
件名を「予約/9月◯日『大津波のあとに』『槌音』上映+報告会」として、
factory@uplink.co.jpまでメールでお申し込み下さい。
※参加をご希望される日にちを必ず明記して下さい

インタビュー▽
「テレビや新聞で見たどの震災の映像よりもリアルで心に響いた」被災地の模様と現地に生きる人々の姿を捉えた『大津波のあとに』『槌音』映像作家・森元修一、大久保愉伊両氏のインタビューはこちら


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(以上、転載ここまで)

ourplanet_iwamoto at 00:45|PermalinkComments(1)TrackBack(0) お知らせ 

2011年08月29日

「最後のテレビ」

 と続いて、三回目です。「最後のテレビ」について。

「例えば、こういうものがあるんですよ」と、言いながら毛原大樹(けはら・ひろき)さんは傍らから新書サイズ大の機器を取り出した。見れば昔懐かしい「ポケットテレビ」である。もちろんアナログ放送に対応したもので、放送のデジタル化がほぼ完了した今では本来どこのチャンネルも観られないガラクタ同然のアイテムなのだが、しかしここではディスプレイ上に放送中の――それもつい先月まではNHK総合テレビの枠だった1チャンネルに――画面が映されている。他ならぬ我々二人がいるブース内部の様子を実況生中継しているもので、私のすぐ横にある年代物のビデオカメラがそこから写し出している映像なのであった。

「そのビデオカメラも私の実家にあった30年くらい昔のものなんですけど」と毛原さんは言う。「このポケットテレビも今では生産中止になった製品で、余った新品が秋葉原で500円で売られていたんです。でも、今ではポケットラジオだって1000円ぐらいしたりするじゃないですか。そういう意味ではもはやラジオよりもテレビのほうが身軽なメディアなんじゃないかと」

 聞けば、ブース外の会場内各所に置かれたテレビモニターやアンテナ(もちろん全てアナログ式)も毛原さんが出身校の芸大(大学院)で不要になったものを掻き集めてきたそうで、今回の展示に際して要した機材等の費用は「ほとんどタダ同然」だという。言うなれば産業考古学的な見地から、つい先日まで見られていたアナログテレビ放送の受信環境をこの一帯(半径100m)限定で一時保存したというところだろうか。鉄道で言えば蒸気機関車、バスで言えば旧型ボンネットバスの動態保存運転みたいなものかもしれない。なるほど、だから「最後のテレビ」なのか。

 とはいえ、視聴できる範囲が市街地から少々離れたベイエリアの半径100m以内(せいぜいがこの新港ピアの内部だけ)では、見ようと思ったらわざわざこのすぐ近所まで来なければならない。地デジならば携帯のワンセグ、ラジオだったらポケットラジオを持っていればいいが、テレビとなると上述のポケットテレビを持っている人などそうはいないだろうし、結局この会場まで来てモニターで視聴するしかない。つまり、オーディエンスはあらかじめ「わざわざここに来た人」に限られるのだ。そこまでしてテレビ放送をやる意義はあるのだろうか?

「確かにこの近所まで来なければみられないわけですけど」と毛原さんは語る。「アナログ停波前の2月に六本木で本放送開始前のプレイベントをやったんですが、その時も会場の中や屋外にテレビを置いてみたんですね。そこでは一台のテレビを参加者みんなでわいわい言いながら観るという、まるでテレビ放送がスタートした頃の街頭テレビに凄く似てるんじゃないかという光景が見られたんですね。その時に『あ、これが本来のテレビの楽しみ方なんじゃないかな』って気がついたんですよ」

 7月24日の深夜に東京タワー近くの屋外で実施した「停波ピクニック」でもそうした光景が見られたという。深夜12時を過ぎて砂嵐状態になったテレビの画面上に、やがて「最後のテレビ」という文字が浮かび上がったのを見ながら、参加した人たちの間で大いに盛り上がったそうだ。

「僕自身も今まで見たテレビ放送の中では、あれが一番面白いなと思ったんですね。別にお笑いとかやってるわけでもないのに、何でみんなでこんなに笑ったりできるんだろうと思った時に、やっぱりこれは一緒に見ている人たちと同じ笑いを共有できるからだと気づいたんですよ。で、『最後のテレビ』ではこれをやろうと。『これは地デジでは共有できない関係が築けるな』と」。

 うーん。まるで高柳健次郎が大正末期、日本で最初の無線遠視鏡(テレビ)の試験放送で「イ」の字を画面に浮かび上がらせたというエピソードを彷彿とさせる話ではないですか。なるほど、それが「最初のテレビ」であり、尚かつ「最後のテレビ」の姿なのだ。

 かつてマクルーハンが『メディア論』の中でこんなことを言っていたのも思い出した。

新しい環境の『内容』は工業の時代の古い機械化された環境である。新しい環境は古い環境を根本的に加工しなおす。それはテレビが映画を根本的に加工しなおしているのと同じだ。なぜなら、テレビの『内容』は映画だからだ。いま、テレビがわれわれをとり巻きながら知覚されていないのは、いっさいの環境がそうであるのと同じである。われわれはその『内容』すなわち古い環境にしか気づいていない。(略)新しい技術はすべて環境を生み出すが(略)その新しい環境がそれ以前の環境を芸術形式に変えるのである」(栗原裕・河本仲聖共訳=みすず書房)

 これになぞらえて言うのが正しいかどうかわからないけど、デジタル放送という新しい環境が生まれた結果、アナログ放送という古い環境は「芸術形式」に変わったのかもしれない。ならばこそ、今やたった半径100mぐらいにしか届かないメディアになったアナログ放送を観るために、大勢の人々がわざわざやってくるほうがむしろ当たり前なのである。だって普通、アートを鑑賞しようと思ったら、誰だって美術館や劇場に自分から足を運ぶじゃないですか。

 とはいえ、テレビ放送のデジタル化によって生じた電波の“ホワイトスペース”は、将来的に「マルチメディア放送」だか何だかに使われることになっているし、この『新港村』発の放送も会期終了の11月6日までには終わる。今後の展望はどうなのだろうか?

「ゆくゆくは、いろんな人にこういう仕組みややり方を伝えていって『誰でも簡単にテレビ放送ができる』という状態を作りたいですね。実は今、『最後のテレビ』でスカイプのアカウントをとってまして、そこでビデオ通話をしてもらえば、その内容がそのままアナログへと変換されてアナログ放送で流せるようになっています。この『最後のテレビ』ではテーマの一つに『アナログは愛用し、デジタルは利用せよ』と言ってるんですが、デジタルにもアナログにもそれぞれ長所と短所があるじゃないですか。そこを上手く補い合いながらお互いの良いところを上手に使っていけたらいいんじゃないかと。
 あと、東北3県では来年の3月31日にアナログ放送が終わるので、またそれにあわせて仙台市の山の上にある電波塔を目指して“停波登山”をやろうとか。あと、今回のデジタル化後に各テレビ局で余った『地デジカ』をなんとか集めたうえで茶色に塗って、2016年に地デジ化を予定しているオーストラリアに持っていって『地デジカンガルー』にしようとか(笑)。まあ、これからの3か月間、ここでワークショップを開きながらいろいろなことを考えていこうと思ってます」

 などなど。突然押しかけた見ず知らずの取材者にも懇切丁寧に、いろいろな“目から鱗”の話をしてくれた毛原さんなのであった。本当にありがとうございます。なお既に書いた通り、この「新港村」での展示は11月6日まで続いているので、興味のある方は是非、この“古くて新しい”「最後のテレビ」でアナログ放送を体験してみてください。毛原さんはワークショップの開催日(上記の公式ホームページに載っています)にはブースにいるようなので、どうかよろしく。というわけで、ではでは。

ourplanet_iwamoto at 00:07|PermalinkComments(0)TrackBack(0) テレビ 

2011年08月22日

「最後のテレビ」

最後のテレビ」が始まった。

 さる7月24日をもって、従来のアナログ方式によるテレビ放送が全て終了(岩手・宮城・福島の3県を除く)し、いわゆる“地デジ”こと地上波デジタル放送へと切り替えられたことは皆さんもご承知の通りである。視聴者が全く与り知らない、総務省の役人をはじめとする一部の連中が勝手な決めた法律により、やれテレビを買い換えなきゃいけないだの、チューナーを新たに買わなきゃいけないだのといった憂き目を大多数の視聴者が感受しなければならなくなり、ひいては“地デジ難民”の大量発生が懸念されたことは記憶に新しい。

 そうした中で「最後のテレビ」は始まった。もう少し平たく言えば“最後のアナログテレビ”である。つまり、地デジ移行に伴って「空き地」になった従来のアナログテレビの周波数帯域を使って、一般人が勝手にアナログ式テレビ放送を始めてしまおうという試みだ(ちなみに、もちろん無免許での放送だが、電波の出力自体は極めて微弱なものなので法律には抵触しない)。言ってみれば、ビルの建て替えに伴い生じた空き地を、子供たちが勝手に占拠のうえ自分たちの遊び場に変えてしまった(ないしは、学校当局が建て替えを決めたサークル棟を学生たちが占拠のうえ自主管理を始めてしまった)ようなものだとでも言えようか。

 上記のリンクからも御覧いただける通り、第一回放送は去る2月15日に都内・六本木の芋洗坂にあるスペースを拠点に行なわれた。ちなみにこの時点ではまだ地上波アナログ放送は終了する前だったが、アナログ時代から空いてた地上波2チャンネル(首都圏ではNHK総合と教育の間)を使っての、まさにゲリラ的な放送だった。

 その後、7月24日の深夜の地上波アナログ停波の際には、東京タワーの周辺まで大勢で繰り出す“停波ピクニック”を敢行。砂嵐に切り替わった画面に映し出された「最後のテレビ」のロゴを観ながらみんなで気勢をあげたようだ。

 そしてさらに8月5日からは横浜市の新港ピアで開催中の「新・港村」にブースを出展のうえ、NHKが先日まで総合テレビを発信していたアナログ波の1チャンネルを使った放送を連日展開しているのであった。この段階に至ってようやくその存在を知った私は、先日ようやく、現地に代表の毛原大樹(けはら・ひろき)さんを訪ねてお話を伺う機会を得た。

(つづく)

ourplanet_iwamoto at 00:13|PermalinkComments(0)TrackBack(0) ラジオ 

2011年08月19日

南三陸災害エフエム

 はっしー@エフエムとうみからtwitterで教えてもらったのだけど、宮城県の南三陸町で5月17日に開局した災害臨時放送局「南三陸災害エフエム」の立ち上げに「京都三条ラジオカフェ」から参加した宗田勝也さん(「難民ナウ!」)と松浦哲郎さん(龍谷大学講師・ラジオカフェ理事)がラジオカフェで毎週木曜日の夕方17時から放送されている番組「らくらく5」に相次いで出演。その音源が以下↓から聴けるそうだ(って、出演から2か月も経った後なので紹介するのも気が引けるのですが(^_^;)。

【らく5】南三陸災害エフエム、放送支援活動レポ

【らく5】南三陸災害エフエム、放送支援活動レポ

 先日ここここで紹介した「女川さいがいエフエム」ともまた違ったお話を「ふむふむ」と神妙な思いで聴いた。よろしければみなさんも是非お聴きください。それにしても此度の震災を機に被災地で計26局も立ち上がったという「災害臨時放送局」、日本の放送史においても後世に語り継ぐべき存在になるのではあるまいか。忘れ去られられないためにも、とりあえずこのブログでも紹介しておく次第。

【追記】ちなみに昨日は夜から渋谷のアップリンクで上映された『大津波のあとに』(森元修一監督)と『槌音』(大久保愉伊監督)を見に行ったものの、超満員で入場できずに帰ってきたのでした。まあでも注目されているようで何よりです! 次回は9月初めに上映予定とのことなので、今度は何とか観られればと(リャンさん、本当にすみませんでした)。

ourplanet_iwamoto at 00:04|PermalinkComments(0)TrackBack(0) ラジオ 

2011年08月12日

「いまメディアと市民はどう動くべきか」〜生活保護利用者デモ

 あ、あづい(汗)。みなさん、お元気れすか。

 一昨日(10日)は午後から、いまや麹町のホットスポット(?)と化しつつある自由報道協会の会見場で行なわれた公開討論会&記者会見「いまメディアと市民はどう動くべきか」に参加。パネリストは日隅一雄NPJ)、上杉隆(自由報道協会)、森広泰平(アジア記者クラブ)、高田昌幸会見開放を求める会)の各氏。

 今回の企画は、体調を崩して5月末から入院していた日隅さんの退院祝いをやろうという話から始まったんだそうだが、ここへさらに6月末に北海道新聞を退職した高田さんの退職祝い(?)も重なってきたということで「まあ、この際みんなで集まって公開討論会でもしようか」といった感じで開催されたらしい。

 そんなわけで、別に4団体でもって何らかの共同声明をだそうとかいうことでもなく、ここで行なわれる記者会見にしては珍しく、まったりモードで進行。まあ、たまにはこういうのもいいよね。

 といっても、さすがにこのメンツだと話の中身まで軟らかくなるわけもなく、話題はもっぱら先の震災を期に露呈してしまったマスメディアの構造的な問題点に集中。

日本のマスメディアがいかに事実を伝えないものなのか、この震災で浮き彫りになった。福島原発の事故でだって、3月12〜14日に相次いで爆発した時でも「大丈夫」とか(少なくとも近隣の支局の記者たちは「逃げろ」と言われていたにも関わらず)報じていた。私が報道の責任者だったら即座にアキバでガイガーカウンターを買ったうえで被爆線量を現場から上げてきたはずだ。そうした「評価」以前の事実すら伝えていないのだ」(日隅さん)

今では新聞社の組織もすっかり官僚化・保守化してしまい、報道にしてもとにかく前例を踏襲するパターンに陥っている。ほとんどの記事が当局による発表もので、要するに「言われた通りに書く」というシステムが浸透しきってしまっている。だから今回の震災のようなことが起こっても対応できず、枝野長官が「ただちに健康には影響がない」と発言したことは事実ということで、そのまま書いてしまう。だったらいっそのこと、小出先生のような方を新聞社が嘱託の社員として採用のうえ、会見などに出させてみればよいのだ。これは今すぐにでも可能だし、それだけでもかなり変わってくるはずだ」(高田さん)

既存メディアの中にも優秀な記者はいるが、現在の体質を根本から帰ることはまず不可能だ。一方で海外には原発問題に詳しい優秀なライターたちがおり、彼らが数人単位で集まって結成したオルタナティブ・メディアが例えば今回の福島について書いた優れた記事が、何ヶ月遅れかで『週刊金曜日』に載るというのが日本の現状だ。日本でもこうしたオルタナティブ・メディアや、あるいはパブリック・アクセスをいかに成り立たせていくことが今後の課題ではないか」(森広さん)

まさにそれを自由報道協会では目指している。まだ完全なパブリック・アクセスはまだできていないが、ここで行なう記者会見についてはそれこそ『週刊金曜日』から『チャンネル桜』まで誰でも入っていいことになっている。また、日本のマスメディアは“純血主義”をとることで逆に自分の首を絞めているところがあるが、たとえば警察ジャーナリストだった黒木昭雄さんのように、組織のインナーサークルにいた方が、辞めた後にジャーナリズムの世界に入ってくるようなことがもっとあっていい。今の日本の記者がやってるのは要するにワイヤーサービスだが、海外では「新聞記者」と「通信記者」は別々になっている。日本でもこういうシステムを導入して、新聞記者にはそうした人材をあてるようにしてはどうか」(上杉さん)

 ――と、まあだいたいこういう内容。1時間半の限られた時間内だったので、多少食い足りない感じがしないでもなかったが、なかなか面白かった。

 会見終了後、渋井哲也さんから「このあとのデモには行かないの」と声を掛けられる。この日は夕方から日比谷公園〜銀座にかけて「わたしたちの声をきいてください!生活保護利用者デモ」というのが行なわれるというので、私としても実は気になっていたのだ、なにせ自分も当事者だから(苦笑)。
とはいえ、あまりにも身につまされるテーマであることに加え、このところやったらあちこちのデモを見に行ったりしていたので今日はパスしようかなとも思っていたところだったが、せっかく近所まで来たことだし、渋井さんと一緒に見に行くことにする。 

 生活保護受給者が200万人を超えた今、財政負担の増大という問題に直面した国や地方自治体の中からは、現行の生活保護法を見直すべく検討しよう(例えば稼動年齢にある者については受給期間を3〜5年に制限したり、あるいは現在は全額が免除されている医療費についても一部自己負担を導入することなど)という動きが出ていることは既に報じられている通りだ。もっとも、そうした国と地方との間における議論の中身が見えにくいことに加え、この8月中にも「改正案」が取りまとめられるという話も出てきたことから(結局は国と地方自治体との意見がまとまらず、9月以降に延期されたらしい)、「このままではいかん(切り捨てられる)」との危機感を抱いた受給者たちがデモに打って出たというわけだ。

 それにしても、つい数年前までだったらそれぞれが全く分断されたまま、みんなで表立って、しかも一つにまとまって意思表示を世の中に対してやっていこうなどという話が出てくるべくもなかった生活保護受給者たちが、こうして白昼に日比谷や銀座の街中を堂々と意見表明しながら練り歩ける時代状況になってきたんだなあ……と感慨深く眺めた次第だ。

ourplanet_iwamoto at 22:15|PermalinkComments(0)TrackBack(0)